前回のブログでは内掃工場の先生と一緒に、どのような会話や作業をしていたかを書きました。
コメントをたくさんいただきました。刑務官も日々葛藤しながら仕事をしていること、受刑者には刑務官の名前は一切知らされないこと、刑務官とも信頼関係を築けること。
刑務所のことを知らない方々に、刑務官にどのような人がいるか、少しでも知って頂ければと思います。
炊場へ移動した先生
先生が栃木刑務所から居なくなってしまったと思い込んだ私は、大変落ち込みました。内掃の担当が変わったと聞いたその直後、泣きながら大浴場を掃除をしました。
でも実際は、炊場へ移動していただけでした。それを炊場の受刑者から聞いたときは、嬉し涙を流したほどです。
たかが刑務官の移動に泣くのかよ?そう思った方もいらっしゃるでしょう。私の中で、この先生の存在はそれだけ特別だったということです。
移動から2日後、元担当が居室まで会いに来てくれました
夕食が終わって余暇時間です。元担当が内掃工場の受刑者の居室まで会いに来てくれました。
先生、「依存さん、○○さん(タイ人)、久しぶり~!」
私、「先生!!急に居なくなっちゃったから本当に心配したんですよ!」
先生、「聞いた聞いた~!(安達祐実似の金線の)先生から、依存さんがこの世の終わりみたいな顔してたって聞いてさ~。笑っちゃった~!」
私、「笑い事じゃないですよ!本当に心配したんですよ!あとアイスベルトと氷、いつもよりたくさんありがとうございます!」
先生、「心配してくれてありがとう。そうそう、アイスベルト欲しかったら言ってね。まだまだ暑いからさ。」
先生はそのあと、炊場の受刑者と少し話をして、戻って行きました。
私、この世の終わりみたいな顔してたんだ……(笑)
やっぱり私はあの先生が大好きだ。このとき改めて思いました。
元担当は、内掃の受刑者をその後も気にかけてくれました
炊場に居る元担当の先生から、時間があるときで構わないから、指定された場所の掃除をお願いされることもありあました。バラが綺麗に咲いていること、食堂前の花の手入れについて褒められることもありました。
内掃工場がやっていることを、工場は違えどしっかり見てくれている。そして「よくやってるね、綺麗だったよ」と声を掛けてくれる。前回のブログでも書きましたが、そんな先生が、私は人として大好きでした。
そんな私に、仮釈放の兆しが見えてきました。いわゆるペーパーというやつです。
更生保護委員の面接に向けて書く、「出所後の生活計画」という用紙を貰います。洗濯工場や内掃の受刑者から、「もうそろそろ仮釈だよ!」と言われます。
刑務所からいよいよ出るときが来たんだ。もちろんそれは嬉しい。でも嬉しさと同時に、こんな私が社会に出ていいのだろうか……?そんな不安も襲ってきていました。
釈放前指導に入り、静思寮へ
釈放前になると、作業に従事する受刑者とは一切接触を持つことはなくなります。栃木刑務所では、「静思寮(せいしりょう)」という場所で2週間生活したのち、仮釈放となります。
静思寮では釈放前指導を受けます。略して「釈前(しゃくぜん)」と呼びますが、出所後のことを簡単に学びます。
以前のブログでも書いたことがありますが、長期刑の受刑者だと、切符からSuicaに変わった、ガラケーからスマートフォンになったことを知らない人もいます。時代の流れと共に変わった事柄を、一通り学ぶのが釈前です。
女区の場合、出所後に必ず婦人科系の健康診断を受けるようにと言われます。刑務所では定期的に健康診断を受けることができませんから、特に子宮関係は間違いなく行くように!と言われた記憶があります。
余程の短期刑でない限り、運転免許証も失効になっていますから、その手続きに必要な書類が何か、教えてもらうのも釈前です。
静思寮では、起床時間も就寝時間も少しだけ緩かったと思います。正確な時間はうろ覚えですが、朝は7時か7時半起床、就寝は21時半か22時だったと記憶しています。
静思寮に、元担当が来てくれました
夕食が終わって余暇時間、受刑者の多くは食堂にあるテレビを観ていました。
すると突然、元担当が食堂に顔を出しました。静思寮には炊場の受刑者も居たので、みんなに最後の挨拶をしに来てくれたのです。
私は先生と二人きりで話がしたかった。それを先生は察してくれて、炊場の受刑者と話をしたあとまた顔を出し、私を静思寮の外廊下へ手招きしました。
静思寮にはもちろん鍵が掛かっています。その外廊下へ私を連れ、短いですが、一対一で話をさせてもらうことができました。
いま、こうしてパソコンで文字を打っていても、そのときのことを鮮明に思い出すことができます。そして、涙が出てきます。
先生の言葉に、号泣してしまいました
私は泣きながら、先生に感謝の想いを伝えました。
先生が担当で本当に良かった。先生と出会ったことは一生忘れない。先生と作業ができて私は本当に幸せだった、とっても楽しかった、そう伝えました。
「いやだ~、そんなこと言わないでよ~!」そう言いながら、先生も少し涙ぐんでいるのが分かりました。
私は年齢的にも、もう子どもを作ることは難しい。夫にいつ離婚を言い渡されるか分からない。私は出所してもちゃんとやっていける自信がないんです、外が怖いんです。そう言いました。
すると先生は、力強くこう言いました。
「依存さんなら大丈夫だよ。子どもだって遅くなんかない。ご主人だって、今まで頑張ってきた依存さんをちゃんと分かってくれるよ。だから、自分に自信を持って。依存さんなら大丈夫だから!」
私はもう、大泣きしてしまいました。「もう!泣かないの!」と言う先生も、涙ぐんでいました。
私は先生宛に手紙を書きます!と言いました。すると、「ダメだよ~、大体届くか分からないよ?」と言いました。でも私は、例え先生に届かなかったとしても書きますから!そうお伝えしました。
そして、本当に今までありがとうございましたと頭を下げ、先生と最後のお別れをしました。
受刑中の大恩人、元担当への最大の恩返し
先生とお別れして、5年が経過しました。仮釈放から今月で5年です。
実は、先生に1回手紙を書いたことがあります。住所は栃木刑務所で、宛名は「元内掃担当、現炊場担当の先生へ」です。あんな宛名で果たして本人に届いたかどうか、実際は分かりません。(笑)
(受刑者は、刑務官の名前を知ることはできません。刑務官同士も「先生」と呼び合うので、苗字を知ることはできないのです。出所後に刑務官へ報復しようとする受刑者も居るかも知れないので、受刑者や元受刑者から刑務官を守る手段なのだと思います。)
先生からすれば、私が二度と刑務所へ戻らないことが、最大の恩返しだと思います。
私の活動が、先生の目に留まる日が来ると信じています
でも私は最近思うんです。いつか、どこかで先生に出会えるんじゃないかと。その理由ですが、「想いは必ず届く」ことを、最近実感できたからです。
私のもう一人の受刑中の恩人、進藤龍也牧師は、こちらからコンタクトを取った訳ではないのに、発信をコツコツ続けることで、私を見つけてくれました。
私は進藤さんの講話に助けられた。その想いを正直にアメブロで綴ってきました。するとどうでしょう。今では教会で、進藤さんの説教を聞かせて頂くまでになりました。
真剣な想いは、必ず相手に届くのです。
先生に心からの感謝を
私が地道に活動をし続ける限り、何年かかるか分からないけれど、先生に想いが伝わると信じます。
依存さんなら大丈夫、そう言ってくれた先生の言葉は、今の私の動力源となっています。
先生はもしかしたら、もう刑務官を辞めているかも知れない。逆に刑務官としてものすごい出世をしているかも知れない。
元受刑者だった私には知りようがありませんが、先生の存在がどれだけ受刑中の私を勇気付けてくれたか、出所後の励みになったか分かりません。
一緒に笑い、涙ぐんでくれたあの日のことは、一生忘れません。
私が刑務所で講話ができるほど成長したら、出世した先生と会えるんじゃないか。
そして直接、感謝を伝えられるのではないか。
そんな淡い期待を胸に、これからも活動していきます。
今日は私の受刑中の恩人について、書かせていただきました。