前回のブログでは共依存の自覚は一人では非常に難しいということを書きました。よく「恋は盲目」と言いますが、共依存はそれ以上に盲目的になってしまう病だと思います。

 

自分に苦言を呈してくれる人を遠ざけてしまうのが依存症ですが、共依存の人にもその傾向があるように思います。

 

依存症者や受刑者を支える方は孤独にならず、どうか他人の意見に耳を傾ける勇気を持ってください。たくさんの意見を聞くことは必ず今後の自分のためになります。仮に暴言を吐くような人がいたとしても、それはこれからの人間関係を整理する見極めにもなります。

 

 

今日も近況報告からさせてください。7月2日に税務署に開業届を提出してきました。HP作成も着々と進んでいて7月中の運用を目指していますが、毎週日曜日が産業カウンセラー養成講座で埋まってしまい時間が足りないのが現状です。

 

 

6月20日の産業カウンセラー養成講座で、私が依存症当事者で元受刑者だと自己開示をしたと依存症子の“覚悟”に書きました。

その後の7月4日の産業カウンセラー養成講座で、私の自己開示にとても考えさせられたという方が一名、「ブログ読みました」と言ってくれた方が一名いました。

 

素直にとても嬉しかったです。自分の自己開示は決して無駄ではなかった。

私の自己開示やこのブログが皆さんの人生を良いものにするきっかけとなればいい、気付きとなればいい。それが私の望むことです。

このブログを読んでくださる皆さんの勇気や力になれることが、何よりも嬉しいです。

 

 

今日は仮釈放当日に起こった出来事を、2回に分けて書いていきます。

 

 

仮釈放まであと2週間

 

仮釈放が決まると栃木刑務所では「静思寮(せいしりょう)」という場所で2週間過ごすことになります。静かに思い考える場所、という意味らしいです。

この2週間を「釈前(しゃくぜん)」と呼びます。正式名称は何だったか…釈放前指導とかそんな名前だったと思います。

仮釈放予定の受刑者以外とはもう話をすることは出来ません。他の受刑者とは生活する場所が完全に分けられます。

 

この静思寮で過ごす2週間の間に、時代の変化に対して受刑者が浦島太郎にならない為の教育が行われます。

 

具体的に書くと、中には十年単位で服役している人もいますから、例えば切符からSuicaになりましたとか、ガラケーからスマホになりましたとか。

刑務所では健康診断は何年かに1回ですが、出所したら乳がんや子宮がんの検診を定期的に受けるようにしましょうとか。外部から専門の講師を招いて勉強するのが釈前です。

 

私の場合は2年という短い期間ですので世の中に大きな変化はありませんが、交通法規の変更箇所や、運転免許証が受刑中に失効してしまっているので、その手続き方法などを教えてもらいました。

 

長期受刑者にとっては切符からSuicaという電子マネーへの変化は魔法が使えるようになったくらいの大きな変化だと思います。

実際に長期刑の受刑者が釈前中に刑務所の外に出て、刑務官と一緒にSuicaの使い方を学んだという話を聞きました。チャージ方法やSuicaでの買い物方法を教わったそうです。

 

釈前中に何か問題を起こせばもちろん仮釈放は取り消されます。受刑者にとっては待ちに待った釈放ですからほとんどが大人しく過ごしますが、過去には実際に取り消しになった受刑者もいるようです。

 

 

迎えに来るはずのない夫

 

静思寮に来て2日目、刑務官から質問をされます。「依存さんは身元引受人がご主人になっているけど、こちらから連絡しても来れるか分からないと言われたの。依存さんはご主人から何か聞いてない?」

 

私は即答します。「多分夫は迎えに来ないと思います。私は電車で帰りますから、ここから最寄りの駅を教えてください。」

 

こうきっぱり答えたのには理由があって、私は出所したら離婚されるだろうと思っていたからです。離婚予定の女を迎えに来るはずがない、そう思いました。出所日は木曜で平日なので、夫がわざわざ仕事を休んで栃木まで来るとは思えませんでした。

 

・依存症について徹底的に勉強をして、依存症専門の病院へ行きたいと書いても全く理解されない、相手にされない。

・○○を頑張っていますと手紙に書いても「頑張るなんて当たり前のこと、普通のこと」と撥ね退けられる。

・言い訳ばかりするな、自分のやってきたことを正当化するなと言われ続ける。

 

私が真剣に更生しようと思っているのに夫に全く伝わらない、そのことにずっとジレンマを抱えながら受刑生活を送ってきました。

 

ときには諦めそうになることもありました。「こんなに依存症のことを伝えているのに何で分かってくれないんだろう…もう本の内容を抜粋するのも、自分の意見を伝えるのも疲れた。言うだけムダなのかも知れない…」こんなふうに考えたこともありました。

 

でも私は諦めずに伝え続けました。諦めが悪くてしつこいのが私の取り柄。何が何でも夫に理解してもらわないと、私の依存症は回復しないと思ったからです。

 

栃木刑務所から最寄りの駅はどこか、累犯で栃木刑務所に来たことのある受刑者に詳しく聞いたのを覚えています。栃木刑務所からタクシーって呼べるの?とか、駅まで幾らくらいかかるの?とか。夫は絶対に迎えに来ないと思っていたから。

 

 

出所3日前の知らせ

 

出所3日前に刑務官に呼び出されます。「ご主人はお仕事の都合がついたようだから迎えに来ると言っています。良かったですね。」

 

いえ、全然良くありません。

私は一人で家に帰る気満々でした。夫は私の受刑中に一度も面会に来ていません。迎えに来るって3日前に言われても心の準備が出来ていない。今更どんな顔をして会えばいいのか分かりませんでした。

 

何の話をすればいいの?まずは迷惑をかけてごめんなさいかな…。でもやったことを覚えていないのにごめんなさいって、それって誠実じゃない気がする。でもまずは犯罪を犯して迷惑を掛けてしまったことにごめんなさいだよね。あれ?でもわざわざ仕事を休んで迎えに来てくれるんだからまずはありがとうって言わなきゃ失礼だよね。来てくれてありがとう、そしてごめんなさいか。でも来てくれてありがとうっておかしいか…迎えに来てくれてありがとうか…。

こんなことを3日間、ずーっとぐるぐる考えていたのです。

 

 

2年ぶりの再会

 

出所日の朝はとても忙しいです。手続きが色々あります。

 

卒業式ならぬ釈放式みたいなものがあるのですが、栃木刑務所の中でも役職が高い刑務官が揃って、統括から遵守事項を渡されます。遵守事項には仮釈放中に守らなくてはいけないことが書いてあります。

 

遵守事項を破ったときには仮釈放は取り消され、再度収監されてしまいます。

 

遵守事項を受け取るのに前日練習をするのですが、まるで学校の卒業式のようでした。

当日は何かセリフを言ったような記憶がありますが、何を言ったか全然覚えていません(笑)。それくらい緊張したということです。

 

仮釈放式(?)が終わってからもドタバタです。

刑務所に来たときに預けた現金、カード類、洋服、靴、バッグ、持ち物を全部一気に返されるので、それらと刑務所で使っていた日用品全てを袋に詰めます。そこはお役所仕事、手続きが本当に面倒くさいです。

 

着替えて荷物を全て受け取り終わって廊下に並ばされます。いよいよ仮釈放です。

 

 

栃木刑務所から出たとき、何とも言えない感覚になりました。

 

 

私は内掃工場といって刑務所中を歩き回って掃除をする作業に就いていました。

 

面会室へ向かういつもの分厚い鉄扉。

その鉄扉に近付いて蜘蛛の巣を掃除するとき、「私はこの鉄扉の向こうへいつか出る日が来るんだよな」そう思いながら作業をしていました。

 

 

その日がとうとうやってきたのです。

 

分厚い鉄扉を通って外に出ます。

 

 

 

しばらく進むと、そこに夫の姿がありました。

 

「迎えに来てくれてありがとう。」そう言うと決めていたので、素直に伝えました。

 

でも夫が何と言ったかは覚えていません。このブログを書くにあたり夫にも聞いてみましたが、何と答えたか全く覚えていないそうです。

 

私は両手いっぱいに荷物を持っていました。夫はそれを持ってくれて駐車場へと向かいます。私は夫の後ろを無言で付いて行きました。

 

 

夫の後姿を見ると、後頭部が薄くなっていました。

 

「受刑前はこんなに薄くなかったはず…。私が苦労をかけさせてしまったからこんなにハゲちゃったんだ……」

 

冗談でも笑いごとでもなく、本気でそう思いました。

 

 

仮釈放当日の出来事 #2 へ続きます。