機能不全家族の中で歪みを引き受けた、1番弱い立場の人間はどのような人生を歩むのか? | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

ブログにお越しいただきありがとうございます^^

 

ASD(自閉症スペクトラム)当事者

女係長 鹿島じゅんです。

 

私の発達障害に関する診断結果

コチラです。

 

専門家でも見分けるのは難しいと言われる、

発達障害と愛着障害。

 

自分は本当は発達障害ではなく、

愛着障害なのではないかと思い振り返った、

私の愛着障害に関する生育歴

コチラです。

 

*******************

 
私は子供の頃に、
親からマルトリートメント
(精神的・肉体的虐待)を受けて育ちました。
 
自分の気に入らないことがあると、
 
「俺のやることが気に入らないなら出て行け!!」
 
と父親が私に怒鳴りつけ、
夜の暗い中、
家から追い出されるのは、
私が幼い頃から繰り返されていた、
いつもの光景でした。
 
おそらく発達障害であったであろう、
父親の機嫌の地雷はいたるところにあり、
定型発達者の母と兄は、
上手くその地雷を避けて、
父親と付き合うことができていましたが、
同じく発達障害の私は、
上手に父親の機嫌をとることが出来ず、
ことある毎に、
父親を怒らせていました。
(父親が私を嫌っていたために、
兄と同じことをしても、
私だけ怒られるということも多かったため、
父親への接し方が分かりませんでした)
 
幼い頃は、
父親に怒鳴られる私を母が庇って、
当たり前になっていましたが。

小学生にもなってくると、
母親も私を庇わなくなっており。
 
私と兄が家でケンカをしていると、
どちらが悪いというのは一切関係なく、
家を追い出されるのは、
父親から嫌われている私1人だけ
となっていました。
 
父親が仕事から家に帰ってきてから、
怒鳴って家から追い出されるため、
いつも追い出される時間は、
夕方から夜にかけてでしたが、
 
「女の子が夜、外に出るのは危ない」
 
などと心配してくれる人は、
私の家族の中には1人もいませんでした。
 
もっとも、私にとっては、
家の中が1番危険な場所だったのですが。
 

そのため私は、
父親に家から出て行けと言われた時に、
行く場所の無かった子供の頃こそ、
困っていたものの。
 
大人になって別にアパートを借りていて、
実家に顔を出すのも、
好きでやっていた訳ではなく、
子供の義務感として行っていた私にとって。
 
父親の"家から出て行け"という言葉は、
私にとって、
なんの脅し文句にもなっていませんでした。
 
むしろ。
 
「私まであなたを見放したら、
あなたを相手にする子供なんて、
いなくなるよ?」
 
という、
冷めた気持ちで父親の言葉を聞いていました。
 
私の原家族(生まれ育った家族)は、
父と母と兄と私という、
4人家族で。
 
父は兄を大層可愛がっていましたが。
 
兄が大人になって、
父親の庇護を必要としなくなってから。
 
今までの傍若無人な言動や、
家族を自分に隷属するもののように、
捉えていた態度から、
兄はたまに会っても父を避けるか、
会話をしても、
あからさまに父を馬鹿にするように、
なっていました。
 
そんな兄の態度に、
しょげたり、
兄から尊敬されたくて、
見栄を張る父親を、
私は横でずっと見てきました。


ずっと親に愛されたくて努力して、
それでも愛されなかった私は。
 
父親の寂しさがよく分かるから、
自分の存在は望まれていないと分かっていても、
父親を見放すことが、
出来ませんでした。
 
そして、大人になった私には、
父親から家を追い出されても、
行く場所はあったけれど、
機嫌の悪い父親と一緒に家に残される、
母親のことも心配でした。
 
だから私は今まで、
どんなに理不尽に父親に怒鳴られても、
グッと我慢してその場に留まっていました。
 
でも、さすがに。
 
20年以上も、
その状態でいる両親に対して、
いい加減にしろ
 
という気持ちが湧き起こってきていました。
 
兄に好かれたいなら父親は変わればいい、
父親が怖いなら、
母親は父親と離婚すればいい。
(母親には父と離婚したら面倒をみると言っていました)
 
それでも変わらない両親に対して、
最終的に私は。
 
この2人(両親)は、
好きでこの状態に甘んじているのだ
 
と思うようになったのでした。

そして、この思考は父の死後、
1人残された母が、
あれだけ父に対して文句を言っていたのに、

「父が居ない」

と元気を失くしてしまったことや、
父との思い出を懐かしく、
良かったことのように私に語る姿から、
間違っていなかったことが分かりました。
(私は父が亡くなって、心が軽くなるのを感じました)

そのことは私の心に、
虚しさを感じさせました。

家族間の歪みは、
1番弱い部分(末子の私)に対する、
父親の性的虐待や、
両親からの言葉の暴力、
兄の、
「こいつは動物と同じで調教が必要だ」
という言葉と共に加えられた、
私に対する暴力など、
至る所に現れていたのに、
そのことに心を砕いてくれる家族は、
誰もいなかったのです。


機能不全家族の歪みは、
1番弱いところに現れてきます。

"弱い"は"優しい"に言い換えても、
いいのかもしれません。

自分が犠牲になっても、
家族の調和をとろうとする心を、
家族に利用された。

私が小学生の頃に父から受けた、
綺麗に無かったことにして、
父との思い出を懐かしく私に語る母に対して、
私がそんな気持ちを抱いたとしても、
仕方ないことではないでしょうか。
私が機能不全家族の調和をとるために、
捧げてきた40年以上の時間は、
もう、取り返すことは出来ません。

そして、
私は自分が生きてきた期間の、
およそ半分にあたる20年という時間を、
自分の心の傷を癒したり、
人生を立て直すために使ってきました。

でも、そんな私の苦しみを、
理解してくれる家族はいません。

私に対する家族の態度が、
私に対して優しくなってきたのは、
私の存在を受け入れてくれたからではなく、

私が役に立つ存在だと、
家族に認知されるよう、
私が努力したからです。

以前、
私が実家に1人で住む母の様子をみに行った時、
母は財布から、
兄とその子供の写真を取り出して、
私にこう言いました。

「お父さんったらね、
この写真をずっと財布の中に入れていたのよ」

そう言って、
父の遺志を受け継ぐかのように、
母は父が大事にしていたその写真を、
自分の財布に仕舞い込みました。

父を邪険に扱っても、
父や母の誕生日に、
お祝いの言葉さえ贈らなくても、
存在しているだけで愛される兄。


40年以上という時間をかけて、
自分の有用性をアピールしないと、
存在を認められなかった私とは、
大きな違いでした。

何やってたんだろうな、私。

私に対して、
自分がどんな残酷な言葉を伝えているか、
理解していない母の姿を見つめながら、
私はただただ本当に、
自分が愛されるために行ってきた、
自分の行為の虚しさを感じていました。

存在自体を愛されている子供には、
存在を愛されていない子供は、
何をやってもかなわない。
 
そのことを痛感した私は、
心の中はボロボロに傷ついていたけれど、
それでも笑顔で、
母の言葉を聞いていました。

やっぱり母親の幸せを願いながら。

以前通っていたセラピスト養成講座で、
講師の方から勧められたこちらの本。

 序章を読んだだけで気分が悪くなって、
未だに最後まで、
読むことが出来ていません。
 

どう生きていいのか分からなくて、
途方にくれていた時

1番母の助けを必要としていた時に、
私を突き放した母の幸せを願ってしまうのは、
もう、子供が生まれつき持っている、
病なのでしょうか。





私は現在、1人で暮らしています。

車で30分の距離に、
母の住む実家がありますが、
一緒に住むという選択肢は私にはありません。

人から害されない、
自分1人しかいない空間で初めて、
私は心から安らぐことが出来ます。
 
兄は結婚して子供をもうけ、
普通に家族と一緒に暮らしています。

でも私には、
誰かと一緒に暮らすということが出来ません。

このブログを読んで下さっているあなたには、
私が1人で寂しい人間だと、
そう映るでしょうか?

でも1人で、
安心して過ごせる空間と時間がある今が、
家族と暮らしていた頃よりも、
ずっと幸せだと、
私は感じています。

これが、
機能不全家族の中で、
家族の歪みを受け持って育った子供の、
人生の一例です。

もし、あなたが私と同じく、
機能不全家族の中で、
自分を犠牲にしてしまっているのなら。

早く自分の幸せのために、
生きる決意をしてください。

あなたが家族のために捧げた時間も犠牲も、
あなたの家族を幸せにすることはあっても、

あなた自身を幸せにしてはくれません。

そして、そのことに、
あなた自身が傷ついてしまうのです。

その傷は、
かけた時間が長いほど、
払った犠牲が大きいほど深くなります。

きっと、
私と同じように育ってきた人には、
自分でそう思うことは出来ないだろうから、
私があなたに伝えますね。

あなたは幸せになっていい存在です。

1人でいることが1番幸せだと感じる私を、
可哀想だ、
寂しい人間だと、
あなたが感じてしまうなら。

あなたは私とは違う道を歩んでください。

1番弱い者の犠牲の上に、
成り立っている家族なんて、
本当は、
あなたが自分の人生を捧げてまで、
守ってあげる価値なんてないのですから。