A Day In The Boy's Life -140ページ目

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

エンジニアとしていろんなシステム構築に携わっていると、そのシステムにより効率化された結果、職や地位を失う人っていうのが結構出てくるのだなと感じます。


何をいまさらという感じですが、この不況の折そういったことがどんどんと進行している状況を見ると、自分が作ったシステムがある人には幸せをもたらし、その一方で不幸とは言わずとも何らかの害をこうむる人もいるのだということを目の当たりにすることが結構あったりします。


企業にとって経費を削減するというのは、金のかかるモノを切り捨てる以外に、余剰にかかっている人件費を削減するというのも当てはまるわけです。

その余剰な人件費を切り取り、他に当てはめることができる余白があるのであれば、単にその人はやるべき仕事が変わるというだけで済みますが、それがないのであればその人自体も切り捨てざるを得ないという状況になってしまいます。

システムにより仕事が効率化しても余剰な人員を抱え込んでいるのであれば、何の効果を持たないということになってしまいますので、そういったところで効率化という名の下に整理されていってしまうわけです。


ただ、人間の歴史の中でそういった革命的発明のおかげである職業が消えていき、そしてその発明のおかげで新たな職業が生まれるということを繰り返していっていますので、自然の成り行きといわざるを得ないかもしれません。

コンピュータの発明によって工場などでは人を介するよりはるかに生産性が高く、効率的にモノが作られるようになり、それによって工場勤めの人は職を失うか、ホワイトカラーへ移っていくというような選択を取っていっています。


これは何も非エンジニアの人だけに当てはまることではなくて、エンジニアにとっても同じようなことが言えます。

高度な開発ツールの登場によって、少数でも高度な開発が行えるようになりましたし、能力の高いエンジニアたちによって作られた、洗練されたWebサービスがタダで使えるようになったおかげで、わざわざ高価なソフトウェアを買おうという機会も少なくなっていっています。

このご時世、「ホームページ作ります」だけでは食っていけないでしょう。


私自身も、ここ数年でネットで流行っているWebサービスなんか見てると、こういうのはとてもじゃないけど自分では作れないなとか、こういうのが実務化して企業内になだれ込んできたら、自分やっているエンジニアの仕事なんてほとんど残らないだろうなと感じたりします。


システムが人を幸せにするか?という問いに対しては、ある人はYESと答え、ある人にはNOと答えます。

ただ、NOと答えた人も別のところで高度なIT技術によって支えられているのは事実です。

右から流れてきた書類を左に受け流すだけの仕事をしてた人が、ペーパレス化のシステムによって職を追われたときにシステムを恨むでしょうか。

一時的な感情はあるかもしれませんけど、そこにとどまり続けた結果ともいえます。


自分自身、「あなたにとってIT技術は幸せにしてくれるものか?」という問いに対しては、「利用する立場なら幸せ」というのが一つの答えかなと思ったりします。

(もちろん利用したくないけどそうせざるを得ないシステムというのもありますが)


私たちは自分たちがやっていることが何によって置き換わる可能性があるのかということを少し考えておかないといけないかもしれません。

そして、それに応じた身の振り方を考えて、日々そうはさせまいと自分の中の価値を高めておかなければならないのだろうなと感じます。




親父のITリテラシがすごかった件 」の続き。


意外とうちの親父はIT機器を使いこなせ、ネットとかにも詳しいことがわかったのですが、そうはいってもやはり使い慣れた環境とは異なるところで戸惑ったらしく、幾つか質問が着たりしました。


最初にきたのが


親父「説明書読んでたら○×ガイドって書いてるんやけど、これが入ってないんや」

親父 「買った店の店員さんに聞いてもらえる?」


って質問。

いやいやいや、この人どこまでマニュアル読む気だよ、って思いましたがなぜ必要なのかとかを聞いてたら結局そのなんとかガイドの話は忘れてくれました。


次にきたのが、Windows XP上のOutlookExpressからWindows Mailへメールデータを移行したけど、メールの送受信ができないという件。

こちらは、アカウントやメールサーバーの設定情報が間違っているんだろうと、電話越しに幾つか状況を確認してみました。

私自身、VistaもWindows Mailも使ったことがなかったのですが、OutlookExpressと同じようなもんだろうと、その知識を元に状況を確認することに。


自分 「メールサーバーの情報は設定した?」

自分「とりあえず自分自身にメール送ってみて届くか?」

自分 「あぁ。それとメールのソフトウェア上に送受信ってボタンない?それを押したときになんかエラー出る?」


矢継ぎ早に質問したせいか、若干混乱したらしく言葉に詰まっているようだったので、とりあえずメールサーバーの情報を正しくセットしたかを聞いてみると


親父「メールサーバーの情報というのはポップ(POP)サーバーというやつでええんかな?」


・・・。この人、どこで「ポップサーバー」なんて単語覚えたんだろうと思いつつも、とりあえず正しく設定されているようだったので、じゃあアカウントの情報かパスワードが間違っているんだろうなと思い、先ほど質問したエラーが出るかどうかをもう一度聞いてみることに。


すると、何かエラーが出ているようなのですが、それをうまくこちらに伝えられないようで言葉につまって、何か四角い箱が出てくるとか、ユーザーの情報がどうたらこうたらとか言っているので、間違いなくアカウント名かパスワードが間違っているんだろうなと思い、そこを見直すように伝えました。

(結論から言うとアカウント情報にWindowsにログオンするときにアカウント名を入れてた・・・)


で、こういったことを伝えるときに自分であれば、「ポップアップでエラー画面がでて・・・」とか「ユーザー情報を入力するダイアログがでて・・・」とか、その言葉の使い道が正しいかどうかはさておき、共通の知識を持つ人にはある程度イメージしやすい言葉を知ってたりします。

ある程度IT関連の知識を持っている人には、ポップアップという言葉からは、何らかのアクションを起こしたときにエラーメッセージが飛び出してきたんだろうなという共通のイメージをもてます。


ですが、うちの親父はそれを知らなかったためにそれを伝える術を持っていないわけです。

そんなの知らないのにPC使うなとか、使っているうちに覚えるというのもあるんでしょうけど、やはり一般的にそういった会話をする人は身に着くかもしれませんけど、PCを情報収集の便利機器とぐらいで生活のごく一部でしか使わない人にとっては、いつまでもなじみのない言葉のままなんだと思います。


そういう言葉を知らないときのもどかしさって言う存在に、なんかはっと気づいたりしました。

例えばいきなり英語圏(英語喋れる人はドイツ語でもスペイン語でもスワヒリ語でもなんせ自分が知らない言葉の国を想像)に行って困っていたときに、相手に伝えたいのにどう伝えていいのかわからないというもどかしさのような感じなのだろうなと。

頭の中ではわかっているのに、それを口に発することができないわけです。

「あの・・・」とか「その・・・」とかしか言えず、頭の中のイメージを直接相手に伝えたいって気持ちがそこに見えて、なんか次から次へと不明な単語使って質問したことを少し申し訳なく思ったりしました。


言葉を知らない人がそれを伝えようとするときのもどかしさをもっとわかってあげるべきなのかもしれませんね。




ブログの価値について。Twitterとの闘い @ rhyme nor reason


今を発信するTwitterをやり続ければ、ブログという形にまとめる必要性がなくなってくるのは自分も思うところです。

ただ、ブログの書き方や使い方にもよってきたりするところがあるなと。


ブログが埋めるもの


例えば何か思うところがあって、頭にある整理できていない諸所の考えをTwitterでつぶやきまくってたら、最終的に考えがまとまった、ということがあるかもしれませんが、それをまとめて読み返そうとしたら結構大変な作業になります。

あと、考えがまとまるまでつぶやきまくるというのは、結構根気のいることで多くは2回、3回と頭の中のものを吐き出してしまったら、例えそれが答えでなくても満足してしまうところがあるようにも思えます。


ある話題についてブログで書く時間は、Twitterでその話題についてつぶやきまくったそれよりもはるかに多くの時間を費やします。

ブログの場合、書くのに考えをめぐらせる必要がありますし、確かにそれは一定の時間を要してその考えは過去のものとなりつつあるものの、その成熟した考えがより良い考えを生み出す結果にもなりえます。

全てのおいて、考えに考え抜いたブログの記事のほうが質が高いとは思いません。

往々にして最初に思いついた考えでまとまった、ということは良くあるもので、自分も10分以上考えてそれ以上答えが出ないのであれば、そのときの答えが正しいものとして行動したりします。


ここまでのことをまとめるとブログには2つの価値があるのかなと。


1. 自分の考えをまとめる時間を得る

2. 自分が時間を消費した分、他人に時間を与える


これらの考えの行き着く先って言うのは、ブログって単なる自己満足の形でしかないような気もします。


Twitterが埋めるもの


もう少し考えてみると、Twitter上のつぶやきって「おはよう」とか「ただいま」とか他人から見たら結構意味のないものも多かったりします。

でもそれをつぶやくことをやめないというのは、その人にとっては意味のあることだということになります。


ブログは日常を表現するツールとして位置づけられていましたが、Twitterはよりリアルな日常を表現できます。

ネットってリアルタイムなやり取りが可能といいますが、実際にそのリアルタイムを感じ取れる機会というのはそれほど多くないなと感じます。

話したい相手がオンラインになってることは少なくないですし、実際にコメントが送られてくるのは発信してからずっと後だったりもします。


ブログで「おはよう」とか「ただいま」とかただそれだけをやってみたところで、相手からの反応というのはそれほどリアルに返ってこなくて、日常にあるような誰かに挨拶をしたら返ってくるというキャッチボールはなかなかできません。(もちろん有名人のブログとかは別かもしれませんが、多くの無名なブロガーではなおさら)


Twitterでもリアルタイムに会話が成立しないというのは多いですが、自分の発言が誰かのTLに流れているという不思議な安心感が得られることと、自分とのつながりを強く感じさせる魅力がそこにはあるように思えます。

個人的な感想としては、SNSにおける「無題なコミュニティ」があるような感じかなと。


つまり、Twitterが埋めているのは、ネットにあるタイムラグを取り除いたよりリアルな場ではないかなと思います。