ブログが埋めるもの、Twitterが埋めるもの | A Day In The Boy's Life

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

ブログの価値について。Twitterとの闘い @ rhyme nor reason


今を発信するTwitterをやり続ければ、ブログという形にまとめる必要性がなくなってくるのは自分も思うところです。

ただ、ブログの書き方や使い方にもよってきたりするところがあるなと。


ブログが埋めるもの


例えば何か思うところがあって、頭にある整理できていない諸所の考えをTwitterでつぶやきまくってたら、最終的に考えがまとまった、ということがあるかもしれませんが、それをまとめて読み返そうとしたら結構大変な作業になります。

あと、考えがまとまるまでつぶやきまくるというのは、結構根気のいることで多くは2回、3回と頭の中のものを吐き出してしまったら、例えそれが答えでなくても満足してしまうところがあるようにも思えます。


ある話題についてブログで書く時間は、Twitterでその話題についてつぶやきまくったそれよりもはるかに多くの時間を費やします。

ブログの場合、書くのに考えをめぐらせる必要がありますし、確かにそれは一定の時間を要してその考えは過去のものとなりつつあるものの、その成熟した考えがより良い考えを生み出す結果にもなりえます。

全てのおいて、考えに考え抜いたブログの記事のほうが質が高いとは思いません。

往々にして最初に思いついた考えでまとまった、ということは良くあるもので、自分も10分以上考えてそれ以上答えが出ないのであれば、そのときの答えが正しいものとして行動したりします。


ここまでのことをまとめるとブログには2つの価値があるのかなと。


1. 自分の考えをまとめる時間を得る

2. 自分が時間を消費した分、他人に時間を与える


これらの考えの行き着く先って言うのは、ブログって単なる自己満足の形でしかないような気もします。


Twitterが埋めるもの


もう少し考えてみると、Twitter上のつぶやきって「おはよう」とか「ただいま」とか他人から見たら結構意味のないものも多かったりします。

でもそれをつぶやくことをやめないというのは、その人にとっては意味のあることだということになります。


ブログは日常を表現するツールとして位置づけられていましたが、Twitterはよりリアルな日常を表現できます。

ネットってリアルタイムなやり取りが可能といいますが、実際にそのリアルタイムを感じ取れる機会というのはそれほど多くないなと感じます。

話したい相手がオンラインになってることは少なくないですし、実際にコメントが送られてくるのは発信してからずっと後だったりもします。


ブログで「おはよう」とか「ただいま」とかただそれだけをやってみたところで、相手からの反応というのはそれほどリアルに返ってこなくて、日常にあるような誰かに挨拶をしたら返ってくるというキャッチボールはなかなかできません。(もちろん有名人のブログとかは別かもしれませんが、多くの無名なブロガーではなおさら)


Twitterでもリアルタイムに会話が成立しないというのは多いですが、自分の発言が誰かのTLに流れているという不思議な安心感が得られることと、自分とのつながりを強く感じさせる魅力がそこにはあるように思えます。

個人的な感想としては、SNSにおける「無題なコミュニティ」があるような感じかなと。


つまり、Twitterが埋めているのは、ネットにあるタイムラグを取り除いたよりリアルな場ではないかなと思います。