前に書いた「会社の人たちが仕事でWikiを使ってくれない 」というエントリの続きになりますが、メールというのはそれを受け取ることで、そして自分もそのメールというツールを使うことで幾つかの弊害が発生するものだな、と思いました。
1. 返事を返さないといけない
メールを送った先に人がいることは確かですが、その人の存在が目に見えるわけではないため、少なくともそれを受け取ったよということは相手に伝えなくてはなりません。
目の前にいるのであればうなづくだけでも相手に伝えられますが、メールだと「了解です」の一言でも返さなくてはならなくなります。
返事をしばらく返していないと、わざわざ席のところまできて、「メール送ったけどみた?」と聞かれることもあります。
特に社内の場合、途中でメールがロストすると言うことは考えにくいため、届いていることは間違いないことなのですが、人間の心理として返事がなかったら不安になるのでしょう。
2. 結果を伝えなければならない
直接言われた場合と違って、メールで情報を伝えられた場合にはある一定の猶予が与えられます。
受け取ってすぐに返事する必要はないですが、次に返事する場合はある程度の結果を返さないといけません。
単純なところでは、その仕事を受けるかどうか、調査を頼まれたのなら、わかった範囲でその報告とか。
つまりは、その猶予期間がそのための仕事をする時間に置き換わってしまいます。
3. 考える時間を与える
これはあまり言い意見ではないかもしれませんが、直接相手に話す場合、勢いで押し切ったり煙に巻くこともできます。
しかし、メールの場合は猶予期間があるため、ある程度の考える時間を相手に与えます。
それはもちろんよいことなのですが、それによって相手がメールの内容について細かな質問をしてきたり、論理が飛躍しすぎてよくわからない内容のものを送ってきたりと、その考える時間によって生み出されたものが、新たな苦労の種になることもあります。
例えば、システム構成についてメールでやり取りしていたら、なぜか内部統制の話を書いてきたり。
今の議論はそこではないでしょと、なだめるのに新たに自分の時間を費やさなくてならなくなります。
これは、メールの問題ではないのですが、メールによってその人の悪い一面を助長させる働きがあるようにも感じます。
メールは今のところ最も企業内で使われているツールですし、何らかの形で記録に残すことができるという点ではよいのですが、余計なラリーや断れないタスクが増えることで、自分の時間を食いつぶしていくことになりかねないな、というのが個人的な意見です。
これは単にメールの問題というよりは、メールというコミュニケーション手段に慣れてしまった人間の心理的なところによる問題なのかなと。
人間は楽しようと思う生き物なので、それをどのように使うかというのを考えたときに、決していい方向にだけ考えを傾けるものではないのだろうなとか、慣れてしまったことでそういう感覚が麻痺してしまっているとか。
もし、メールというものがなくって、本人に情報を伝達する手段が、直接話すか電話するか、となった場合、ある程度のことを自分で処理し始めるのではないかな、と思ったりします。
電話する場合、受け取る側は適度に無視することができます。
今は話しかけられたくないのであれば、電話の電源を切っておくことさえもできます。
こうした場合、直接相手に話しかけなければなりませんが、近くにいる場合は簡単にできるものの、ある程度の距離がある場合は、面倒だと感じてくるでしょう。
であったら、自分でやったほうがましだという意識に傾くのではないかと。
話を戻して、メールという手段を使うことで時間がつぶされる要因になるので、それは適度にスルーすることも必要なのではないかと感じます。
まぁ、そのメールをスルーした時を考えてみて、たいしたことが起きないようであれば返事は返さないほうが無難ではないかなと。
それを返すことで新たな仕事を振られ、新たなストレスとなり、自分の時間を取られる原因となるかもしれませんよ。