自分も経験があることですけど、開発していて思い通りに動いた時の感動というのはあって、ただ様々な経験を経て新人の時に体験したそれとは違って年々その喜びというのは当たり前へと変化していったりします。
これは慣れと感心ごとの移り変わりの問題であったりして単純な動くものを作るという喜びから、例えばそれがユーザーから得られた感謝とか、より複雑なサービスを長い年月苦労しながらリリースした時の喜びへとシフトしていっているからだと思うのですけど、それでも例え小さなものでも何かものづくりを体験した時の感動というのはエンジニアとして持っておきたいなと思ったりしています。
ただ、近年ではその単純な感動も得にくい状況になりつつあるのではないかと感じたりしています。
単純なものでは喜ばれない時代
1つは、高度なサービスが巷に溢れていて単純な仕組みづくりでは感動を得にくいからかもしれません。
現状では様々な企業が非常に高レベルで複合的なサービスを展開していて、個人のエンジンニアが作るものなど程度が知れていると感じてしまう傾向にあったりします。
また、個人や小さなチームが作り上げたものに対して目の肥えたユーザーが単純にすごいと思ってくれない時代であったりもするので、一昔前の競合がいない(と見えていた)時代からいきなりラスボス級の高レベルなサービスと戦わないといけない状況になってたりもします。
そして、大抵は「それ、あのサービス使えばできるよね」で、打ちのめされます。
システム開発というものがエンジニアの特権であった時代は終わっていて、今では少しの学習と(その気になれば、一定のレベルまでプログラミングは高速に学べますし)高機能で無料のサービスの組み合わせによって簡単に新しいものが作れてしまったりもします。
そして、そういった誰でも作れる新しいものが氾濫していく中で、エンジニアの優位としてのモノづくりというのはその地位が失われつつあるんじゃないかと感じたりします。
これは、以前に「クラウド時代のエンジニアの活きる道 」の中で書いたように、エンジニアとしてもより高度なサービスを支える尖ったスキルを持ったエンジニアと、そうではないエンジニア(これは、より大衆に近い立場にある人たちとなるわけですけど)の二極化が進んでいくのではないかという話に通じるものであったりします。
簡単にモノづくりができる裏返し
もう1つが、簡単にモノづくりができてしまう時代であるが故というのがあるかもしれません。
一昔前では、すべて自前で実装しなくてはならなかったものが、現状では高機能なライブラリや豊富なサービスが提供するAPIなどを通して簡単に新規サービスが作れたりもします。
ただそれは、同時に「自分たちが作っている」という感覚が薄くなってそこから得られる単純なモノづくりへの感動というのが乏しくなってしまったりします。
これは、エンジニア個人としての自己満足な世界であったりもするので、小さくて単純でも自分一人で何かを作れたという感動と、より大きく複雑なものだけど出来合いのものを組み合わせて作れたという感動というのには、実際のところ違いはないんだと思うんですけど、そこで自分が介入できる余地がどれだけあったかで作った感覚というものを通して生まれてくる感情なのかもしれません。
先ほども書いたようにエンジニアとしてのモノづくりの優位性は薄くなってきてはいるので、モノづくりの感動というものも単純に動くものや目に見えるものを作るというところから、より多くの人が使うものや求めているものを作り上げるというところへのシフトというのは避けられないところかなと思います。
まぁ、本来はそれが当たり前で個人としての感動というのは大局的に見れば意味のないもののようにとらえられてしまうんですけど、それでも最初に書いたようにモノづくりの感動というものがなければ新しいものを作る喜びもまたないわけで、そんなシンプルな感動というものをいつまでもエンジニアとしては持っておいてほしいなと思ったりします。
まとめ
個人として作れるサービスというのは、大規模なサービスに比べて非常に限定的で非常に不格好なもので到底太刀打ちができないかもしれません。
ただ、大企業の展開するサービスと競合しないニッチなモノづくりというものにフォーカスを当てれば、まだまだ余地は残っていたりもするので、そういったところから小さなモノづくりを進めていくというやり方はあるでしょう。
そこには、失われつつあるエンジニアとしてのモノづくりの感動がまだあるかもしれませんし、そこで得られる感謝やちょっとした優位性を感じられるかもしれません。
そのことが意味のある事かどうかは置いといて、大きなモノづくりでも小さなモノづくりでも何かを作り上げられた時の喜びというのは持ち続けたいなと感じたりしています。
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