すっかり秋だなぁ・・・昼間は妙に暑いけど^^;

で、、以下は、
すごく前に書いてて保存したままの記事・・・を、
今更ながらアップw

=====
 

さて、

お金の悩みを解消するなんかしらのブログのつもりが、

なんかやたら考え方とか、マインドとか、

(時に、他人とってはどうでもいいボヤキとかもw)

精神論?

哲学?

 

みたいな内容が、多いと自分でもわかっている(笑)

 

あのね、

お金の問題・・・

多分、日本人でダントツなのは、将来の年金足りないとか、不安とか、

働けなくなったらどうする!?

 

って、やつでしょ。

 

それを解決する唯一の方法は、

「お金を働かせること」なのね。

(アホほど言ってるけど)

 

他に、

借金どうやって返せる?とか、

収入を増やすには?とかも、

そんなの、その気になりゃあ人間なんでもできるモンなの。

自分でわからないから、という人は、

ちゃんと個別に聞きにくるなりされてます。

 

悩んで何も行動できてないのは、

結局、本気出してないの。本気で悩んでないからですよ。

 

と、ものすごい乱暴で、

めっちゃテキトーな話だけど(自分でわかってるよw)。

 

で、話は逸れてるかもだけど、

 

その、

精神論やら考え方、マインドのような内容が多くなってしまうのは、

理由があります。

 

あのね、お金の事含めて、

人生のあらゆる苦悩とか、いろんな問題あるけど、

その苦しみから脱出する唯一の方法は、
実のところ、

「自分の人生すべからく自分の責任だっ!」

と、そんな信念を持っていて

そのことを心底覚悟できているかどうかにかかってるから。

 

そう思えたら、

だいたい、ほとんどの事はクリアできるんですよ。

 

その逆に、

例えば、今の自分がこんな苦しいのは、
社会のせい、あいつのせい、環境のせい、運が悪いせい・・・

とかって、

自分でない何かのせいにして、
何かのせいにすること、そのもの、
そこに執着すればするほどドツボにハマるようになってるもの。


自分でない、何か別のところに責任転嫁する考える癖というか、
もはや、それ自体が、すでに思考停止してるから。
 

だから、いつまでたっても

悩む苦みから抜けられなくなるのです。

 

自分の人生、自己責任の信念が無いままってのは、

結果、自分で自分を苦しくしてしまうもの。

 

これ、超究極なのが、、、、

 

もし、誰かに自分が殺されたり、

また、自分にとって大事な誰かが、

殺されたら!?

(事故だったにしても)

 

それでも、ソレは自分の責任て思えますか?

そんな考え方できる!?

 

殺したヤツが悪いか。

殺したヤツのせいにするのか。

 

そりゃあ、殺人罪という刑法にふれることなので、

人を殺したヤツが悪いのはあたりまえじゃんって、まぁなります。

法律で、そう決まっているから

「悪い」「有罪」ってなるのはあたりまえ。

 

でも、この「善悪」の判断は、

あくまで法治国家で法律の中だけでの話。
そして大多数は、
所詮、その枠の中でしか物事を考えられないぐらい

情報操作、思考の操作されてるって事気づいてる!?

真理から言えば、

そもそも、最初から善も悪もないんですよ。

善か悪かと、

その枠の中だけでモノゴトを考えることしかできないから、

しんどくなるのですよ。

 

まぁ、そりゃあ、仮に法律がなかったとしても、

自分の大事な家族とかが殺されたり、

自分の命が絶たれたら、コンチクショー!

よくも!よくもやりやがったなー!とか、

辛くて、悲しくてたまらないでしょう。

 

感情的には、誰だってそうなる。

 

しかしさ、

 

事故だろうが、殺されてしまうのにも、

究極の本質のところいうと、

「本人の責任」なわけ。

 

事故にあうことなんて、誰にも予知できないのは辛いことだけど、

例えば、交通事故とかだって、

事故にあうようなとこにいたのは、誰のせい?

 

いろんな事情があったにせよ、

あの日、あの時、あの瞬間に、その場にいるという

選択をしてそうしたのは、誰?

て、、、つきつめたら、

結局、全部自分じゃないですか。


と・・・責任とまで言わなくとも、

運と言うか、巡り合わせみたいな何か。

これだ!という答えなんて出せないなら、

自分がしんどくならない考え方を選択するしかない。
 

殺されるのも、

殺される原因があったり、

殺すということは法律上の悪でも、

殺される原因作ったのは本人。

 

とどのつまり

法律だけで解決できることなんて、たかが知れてる。

 

殺した犯人が死刑になったとて、

殺された人が生き返るわけない。

「法律で、こうだから、こう」みたいにだけでモノゴトを考えても、

個人的なところの本質的な解決にはならない。

 

また、殺されたいという願望みたいなのとか、

いっぺん誰かに殺されてみたい体験がしたいって無意識の領域で

そう思っている人が、

いっぺん人を殺してみたい体験をしたい・・・

そんなことを無意識の領域に持っている人と会うものだとか。

意識のエネルギー云々で、

と、そんな巡り合わせになっているとかかんとか・・・

 

と・・・・

なんか、金樫さん

わけわかんねーこと言ってんじゃねーぞ!?

 

って、思われるかもしれないけど、

そういうのって本当にあるんですよ。

(ブログでの文字化でだけで説明するとクソ長くなるから詳細省きますw)

 

て、なんか、支離滅裂な文章になってきてるので、

このへんでやめておこう(苦笑)

まぁ、わかる人だけが、わかればいいやってね(・∀・)


=====

とにかく、、人生すべからく自分のせい。
 

今の状況、
良くも悪くも、すべて自身が創造してきた結果。


もし、

現に今、自分にとって不本意な事が起こってて、

「こんなこと望むわけないでしょ!」「マゾじゃねーよ!」

「信じられないわ!!」と、

フツーは思われるでしょうが・・・。

 

例えば・・・

 

小さい子供が親に構って欲しくて、

親がどこかに行ってほしくないから、

親が出かける日に限って、子供が熱を出すことがあります。

 

熱を出すのは、表面的にみると、

本人にとっては辛い事。

でも、この辛さを味わうことのメリットが

親がそばにいてくれること。

これが、その子供本人にとっての一番欲しい利益なら、

そうなるわけです。

 

だから精神的にかまってちゃんほど、

なんかしら医学的な病気を持ってるケースも多いです。

病気なども、自分の体も、ホントは全部自分で創っているってこと。

ある程度人生を経験してる人は、

気付いてるでしょう。

 

まぁまぁな年齢にもなって、

気付けないのは、
よほど思考停止してるか、

世の中の余計な情報に無意識にも操作されてるとか、

よほどガチガチの頑固さがあるとかだろうね。

 

また、たとえば、

めっちゃ若くて働き盛りの30代40代でも、

病気のために、働けなくなり、

それで生活保護を貰っている人もいます。

 

病気は表面的には不本意なことなはずですが、

病気だから、仕方ないよね・・という、
体のいい言い訳、免罪符が欲しくて、

自分でそのようになること実際にあります。

病気とか本当にむちゃくちゃ辛くても、
それによって

もたらされる利益が大きいと(お金のことだけじゃないよ)そうなる。
(誰かに優しくしてもらったり、かまってもらえたりも利益)
 

何が言いたいかというと、

自分に起こることは、

ぜーんぶ自分の思考が作ってるってやつ。

誰のせいでもなく、自分。

 

 

と、これが信じられないのは、

人は、自分は悪くないと思い込んでるし、

自分が悪いと思いたくないから、

なんかしらの言い訳になる免罪符を振りかざしたい。

 

免罪符になりうる体裁のいいのは、

法律で決まっていたり、

一般的に、まぁ仕方がないわねーって、思えるようなことになってる。

 

みんな、こんな免罪符が欲しいんです。
 

免罪符を見つけることばかりを必死にやって、

擁護されよう、自分は悪くないって頑なに思い込んでても、

なんの成長も、進歩も、未来も拓けない。

 

たとえば、こんな話もある。

昔に詐欺にあったことがある人が、

その後も、何回も詐欺にあうのは、この為。

 

自分にも落ち度があったことを認めず、

勉強になっていないというか、痛い経験で凝りてなくて、
自己反省がない故にあう。

 

エエ格好をしないで、
欲が深い自身のことを認めなよってこと。

(人間なんだから欲深くて当たり前なのに、なんかエエ格好したがる人って何故か多いw)

 

欲張って失敗することなんて、

人間なんて、常にあるあるレベルw


だから、
本当に心底自己反省をしたら、そこで、学びになり、

自分のことにも気づけて、

今後そんな目にはあわないですから。

むしろ、そこをバネにして、
その後の人生で超資産家になった人も沢山います。

自分が悪かったって事を認めて初めて、

大成長できる。


こんな目に遭ったからこそわかる何か。

遭わなければ一生気づけなかった何か。
その学びが、その人にとって必要だった何か。
苦境、困難、不本意な状況でしか真に学べない何か。

それらの何かに気づいてレベルアップできた人だけが進める道がある。

 

自分の人生、すべからく自分の責任だと信念と覚悟をもつには、

それはそれは、大変「勇気」がいることです。

(今は持てなくても、そう意識していくだけでも大成長です)

 

そして、誰やかれやのせい、

社会のせい、環境のせい、運命のせいとか他責の気持ちをもってたら、

そこには「恨み辛み」しかなく、
かえって、そんな思考を発する自身を蝕むもの。

 

これらをガチで許すことは難しいし、

そう簡単に出来るものでもないです。

 

しかし、

自分のためを考えたら、最終的に許す優しさを持つってこと。

そのために勇気が必要。

 

あ~・・・許すって、なんか究極の勇気だなw

 

それが実は、お金の問題もひっくるめての、

全ての問題、

悩みを解決するための究極の答えになるから。

 

だから、しつこいぐらいに、

マインドやら思考のことを語るんです。

 

何かを変えようと思ったら、勇気を持ち、

思考と行動を変えなければいけないのだから。

 

と、

そういえば、シンデレラの話にもあるね。

勇気と優しさがあれば、

どんなことでも乗り越えられる。

これ、実写版のシンデレラの方ねw

Have courage and be kind.

 

話逸れすぎ(苦笑)

 

■お知らせ

 

お金の話・マネーリテラシー人気記事

 

 

■マネー美人の心がけ人気記事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不愉快にこそ真実がある
 
 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

今日も読んでいただき
ありがとう御財益す