ブレブレタコラの逆襲 -180ページ目

ダイジェスト:2005年4月13日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

あちこちから、メールがはいったり、電話が来たり、この「hitorigoto」の存在を教えていない人からも、連絡がくるようになった。
H.P.も、なかなか広まっていて、いい感じだと思う反面、書けない事も出てきて、自分の中で、書く事にも制限が増えていく今日この頃。
実名でのH.P.も、いろいろと考えもの。
でも、匿名で書きたいことを書きまくるのも、限度を超えてしまいそうで、性に合わない。
まあ、ほどほどの、たる~い感じの今のままでいいんじゃあないの。
仕事で書いてる訳じゃあ無いんだから。
って、よく考えたら、このH.P.って、もともと、仕事用に立ち上げたものだった。
前の会社を退社したときに、自分で勝手に更新できるコーナーが欲しくて作ったのが「hitorigoto」だったんだけど、もう、完全に仕事用じゃないね。
逆に、仕事の話題は避けて通ってきている。
まあ「hitorigoto」ってタイトルなんだから、「笹木のひとりごと」ってことで、気にしなくていいか。

ダイジェスト:2005年4月11日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

関東首都圏の大地震が、ここ何年間のうちに必ずやってくるといわれている。
ここ何年間じゃなくて、ここ何ヶ月かもよ。
地震は恐くはないけれど、所有しているものを一挙に失ってしまうのは、ちょっと嫌な気分。
なるべく身軽にしておかなければと思う、今日この頃。
生活必需品はしょうがないとしても、持って逃げる事もできないものは、なるべく処分しておいた方がいい。
よし、もうそろそろ、部屋にあるものを売り払い始めることにするか。
という事で、少しずつ、部屋にあるガラクタから値打ちのある楽器類まで、片っ端からオークションに放出し始めることにした。
これで、少しは部屋も広くなるというものだ。

ダイジェスト:2005年4月2日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

私がいつも口に出して言い続けていることに「継続は力なり」という言葉がある。
本当に、いつも、この言葉には助けられているけれど、言ったところで、実際続けることって本当に大変。
続けることができていることなんて、本当に数えるほどしかない。
だからこそ、口に出して言い続けるくらいのことをしないと、めげてしまうことの方が多い。
あの「マツケンサンバ2」だって、7、8年、松平健のコンサートのラストを飾って、常連客には定番になっていた。
それから何年も経った後のいきなりの大ブレイクだ。
世の中、何があってもおかしくない。
これは、ということは、とにかく続けるべきなのだ。
でも、続けることと、きっぱり止めることの見極めはなかなか難しいね。
続けていてもしょうがないと思われることを、失敗を何度も繰り返しながら頑固に続けている人を見ると、もういい加減に止めて、ほかのことやったら。と助言したくなる。
どちらの考えがあたっているかはわからないけれど、やっぱり、当の本人が見極める力もつけないとね。
考えてみて、自分にも思い当たることあるでしょ。

じつは、身の回りって、続けるべきか、止めるべきか、悩むことだらけだよね。

ダイジェスト:2005年4月1日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

よく知っている人に、年中「エイプリル・フール」気分の人がいる。
さあ、誰でしょう。
あなたの近くにも必ずいるはず。
本当に困るんだけど、怒れないんだよね。
「あっ、そう。」「そうなんだ。」って聞いてはあげているけど、ぜったい、作り話。
ぜったい嘘なのよ。「ホラ」なのよ。
でも、聞き流しちゃうんだよな。
本人の為には、「お前、それ、嘘だろ。」って言ってあげた方がいいと思うんだけれど、どうせ、「嘘じゃぁなくって。」って言うんだから面倒くさい。
そのまま、聞いてるふりをしておく。
まあ、本当に罪がなけりゃ、いいけど。

ダイジェスト:2005年3月27日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

「日光」はとても天気に恵まれて、普段から行いが良いのを、褒められているような気がした。(うそです。)
けっこう広くて、裏の山の方まで参拝ということで、全て消化するには時間がなく、和太郎さん(先生)曰く、その奥の参拝に、かなり御利益があるらしく、お祓い以上の効果を期待して、お祓いは省略した。
「日光東照宮」の中の建物の天井に書いてある天女の絵を見て、たしか、小学校の低学年くらいの頃(もっと小さい頃かもしれない)、近所の寄り合いで、近所の人たちがみんなで、家で盛り上がって飲んでいるときに、父親の吸っているタバコの煙が、たちまち天女の姿になって、私は、「ねえ、ねえ、天女。天女だよ。」と言って、誰にも相手にされなかったのを思い出した。
今、思い出しても不思議なのだが、本当にタバコの煙が、今でいうホログラムのように3Dで浮かび上がったのを、はっきり覚えている。でも、家族も、近所の人たちも、何言ってんのといって相手にしてくれなかった。
何故、みんなには見えなかったのだろう。
その姿が、今日見た天女の絵と、観音様と、聖母マリアとだぶるのです。
なんだか、神懸かった話になってしまいましたが、私は、無宗教(多宗教?都合の良いことだけ信じる)です。
そんなこんなで帰ってきまして、帰りぎわに買った「葉唐辛子佃煮」と「たらの芽醤油漬け」と、「湯葉刺身」を、今つまんでいますが、最高です。
あっ。そうそう、お昼ご飯を食べた店がおいしかった。
お店の名前は、「ゆば料理 新松」で、「日光」の駅から「神橋」に行く途中の左側です。お昼のお弁当が2,500円、TELが0288-54-0041 定休日が水曜です。おすすめです。
また、一人で行こうっと。

ダイジェスト:2005年3月24日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

異常に眠たい。これって気圧のせい?
会社員をやっていた頃は、どんなに眠たくても、そんな理由で休むわけにはいかなかったけれど、この今のフリーの状況では、自分のやるべきことがやれていたり、別に今日は、やらなくてもいいかってことばかりだったら、いっそ休んでしまった方が、効率がいい。
と、思えるほどの眠さなのよ。
まいった。
こんな時って、眠たいのは自分だけじゃなくて、きっと、港区民がみんな眠たいんだとか、いや、今、ここは渋谷だから、渋谷区民がみんな眠たいんだとか、いや、東京都民がみんな眠たいんだとか、いや、日本国民がみんな眠たいんだとか、どんどん自分だけじゃあないって、仲間を増やしたい気になってくる。
もしかしたら、何かの前兆じゃないかって感じたりして。たとえば、宇宙人か何かが、眠たくなるガスかなんかを雲の上からばらまいているとか、自分が、じつは超能力者で、何か不吉なことが起こる前の予知能力の一つで眠たくなってきているんだとか、いろんな妄想をしてしまう。
それくらい眠たい。
って、ここまでは、今日、昼間に、代官山の事務所で思っていたこと。
何やってんだ。

ダイジェスト:2005年3月23日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

ホームページにしても、書き込みにしても、匿名やハンドルネームでの表現のみで自分の実態を明らかにしない人たちの話。
これって、よけいな他からの攻撃や干渉からの影響を避けられるという利点はあるかもしれないけれど、ただ、やっぱり、バーチャルの世界に浸ってしまって、自分以外の、もう一人(それ以上)の人格が、自分の中に形成されてしまうという危険性はおおいにある。
人間って、一人の人格の中に、善もあれば、悪もあり、主張するところもあれば、自制するところもあって、そういう、相反するものが同居しているのが普通。その時々で、発言や行動にたいして悩んだりするから人間なのよ。
それを、一時の感情の動きで、その状況に合わせたバーチャルな人格を無意識に脳が簡単に作り出してしまうっていうことが、そんな自分の実態を明らかにしない人たちのなかに、多く起きているというようなことってあると思う。
そうやって形成された人格っていうのは、悩むことなく、発言できたり、行動できたり、また、行動した気になったり、ひどいときは、行動した事実を脳の中で作り上げたり、このような状況は、もう、起きていないことを起きたように錯覚する事態にまで陥る。
要するに、これはもう、現実の出来事と、バーチャルな出来事の区別がつかなくなる訳なので、精神分裂や痴呆症に近い症状な訳です。(医学的にはどうか知らないけれど)
って、大袈裟に書いたけれど、そんなことだと思うので、皆さん、自分を失わないように気をつけましょう。

ダイジェスト:2005年3月17日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)



マルチ・トラック・レコーディングに於いて、数々のテクニックを生み出してきた「10cc」。
もともと、「ゴドレー&クレーム」という名前で活動していた二人に、メンバー追加されてできたのが、「10cc」。
「I'm Not In Love」の大ヒットでも有名だ。
レコーディングの実験的なテクニックの才能とは違って、liveはというと、当時のビデオを見る限り、普通な感じ。
当時、まだ、CDが主流になる前に、今や、「世にも奇妙な物語」のテーマや、ゲーム、アニメ系の音楽で巨匠となってしまった「配島邦明」(配の字は本当は草冠だが、字が見つからない)さんと一緒に、スタジオに入って、「10cc」のBOXのレコードを聴きながら、そのレコーディング・テクニックの解明をしたり、実際、同じ手法でレコーディングをしてみたりしていたのを思い出した。

ダイジェスト:2005年3月16日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

最近の売れてる音楽って、どっちかっていうと、感性先行で、テクニックが付いていってない。
逆もあるけど。
もうちょっと、何とかならないのかね。
(同じ音楽業界ながらも、人ごとみたいにいうけど。)
上手いとこばっかりもだめだと思うけど、下手すぎるよね。
下手なら、下手なりに、個性が強けりゃ、それは、人に感動をあたえることもある訳なんだけど、最近のはどうなんでしょう。
そんなのが、チャートにあがってくると、どうしてかわからなくて、困ってしまう。
(まあ、いまだにタイアップって理由がはっきりあるんだけど。まだ踊らされているユーザーにも、うんざりしてしまう。)
どうでもいい音楽でも、チャートに入ってきてしまうのは、いつの時代でもあったと思うけれど、最近の状況は、近来、稀に見るほどスゴイ!!
本当に、いい新人アーティストの不作の時代ですね。

音楽の仕事に戻ってきたのはいいけど、ヒット、ヒット、って急かされる業界には、なるべく戻りたくない。
でも、売れるものは作りたいよね。
じつは、これ、矛盾しているようで、矛盾していないのです。

ちゃんとやっていて結果を出している、アーティストも、スタッフも、実際、存在するんだから。

アーティストをひろいあげる側のスタッフは、信念を持って、ちゃんとやらないとね。

私も。

なんて、熱く語ったわりには、文脈がわかりづらい。

ダイジェスト:2005年2月28日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)



「ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ」。
「ピチカート・ファイヴ」のまわりや、10年くらい前に流行っていた「シブヤ系」といわれた連中のなかには、時代を超えて影響を受けた人が結構いたんじゃないかと思う。
その頃の若者たちも、もう、おじさんやおばさんになっている。私の先輩の時代から、私の時代、そしてまた「シブヤ系」の時代の彼らも年をとり、また、新しい世代の若者たちが、どこからか音源を手に入れ、話題を作り出す。
爆発的には売れなかったにしろ、何世代もに渡って愛される、彼らのようなアーティストは、ほんとうに幸せだ。
まあ、バンドでは売れなかったけれど、「ロジャー・ニコルズ」自身は他のアーティストの仕事でたくさんヒットを出しているので、印税で儲かっただろうけど。