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明日11:00ローンチです

 

スマホ小説「奥さまはCEO」が明日午前11:00から配信開始です。
で、このことを発信していたら、いくつか典型的な質問があって、それにお答えしたく…

 


この配信を読むには「ローソンアプリ」が必要になります。
で、すげえ基本ですけど、アプリの前に必要なのがスマートフォンです。
たまにスマホないんだけど…的お問い合わせに戸惑っています。
こればかりは、今のところ回避策がないので、よほど親しい方にはPDFで送るよみたいなことも考えましたが、そうなると、もはやこの企画の意味がなくなるのでやめました。
(当たり前んだっつうの)

 

 

「ローソンアプリ」をDLしたら、さあ読むぞといっても、10月1日11:00以降じゃないとコンテンツがありません。
これも当たり前だけど、数名の方から「ねえじゃん」みたいなお話を頂いて驚きました。
もう少し人の話をきちっと聞いてもらいたいものです。

 

 


で、10月1日11:00以降になりましたら、簡単なアクセスとしましては、アプリ左上にある「メニュー」を押下してもらいます。
すると、二番目に「LAWSON Wi-Fi コンテンツ」の項目がありますから、そちらに入ってください。
予定ではそこにバナーが現れるはずです。
もし、見当たらなかったら、横に何度かスクロールしてみてください。
※ここにスクリーンショット的なものを貼り付けようかと思いましたが、面倒なのでテキストだけで失礼ますっ!

 


意味はないけど、主人公「聡美」のイラストを貼っておきます。

聡美 
  

 

一応、予告ページももう一度貼っときます。
http://lawson.eng.mg/f0df4

超久しぶりに更新「奥さまはCEO」連載開始で…

エラく久しぶりに更新してみます。
(これがどれだけ読まれるのやらわかりませんがとりあえず)

 


今年の年始だったか…ローソンの加茂常務に「スマホ小説やってみない?」といい加減な誘いを受けていたのを真に受けて、二つほどアイデアを出したのがきっかけです。
一つ目のアイデアはドロドロとした大人の恋愛劇みたいなので、オッサンには受けたのですが、どうもやりきる自信が湧かず棚上げにしました。

 


二つ目のアイデアが「奥さまはCEO」。完全なるタイトル先行で内容は全く考えていませんでした。
ベタですよね?でも、まあいいじゃんと思って、そっちを書いてみることにしたわけです。

 


男女関係が昔と変わる中で、年上女性が年下男性と結ばれるケースが多いように思います。
でもって、キャリアのある女性がジュニアな男性と結婚というのもよく聞きます。
そこで、そういう時代性を反映したドタバタ劇をベンチャー企業を舞台に作ったら面白いのでは?ってのがコンセプトです。

 


なので、「奥さまはCEO」では、縦糸にCEOと平社員の恋愛を、横糸にベンチャー企業で巻き起こる異常な日常を描こうというわけです。

 


構想は3日もかかってませんが、いざ作り始めたら、大変でした。
そうはいっても、人様に読んでもらうわけですから、それなりに努力が必要です。
相当、書き直しました。何万文字書いただろうか…いくつものバージョンができて、随分捨てました。
それも編集の佐久間さんやローソンHMVの大野常務のご協力があったればこそ…ありがとうございました。

 


ってことで、予告ページができましたゆえ、見てみてください。

奥さまCEO1 
http://lawson.eng.mg/f0df4

一過性だろうが・・・

一過性にすぎないだろうが、ここ数日、急速にネット熱が上がっている。

きっかけはFacebook。

後輩からのプレッシャーで登録。

いろいろといじりながら、あれこれと更新して数日が経過しました。

そうなると約1年前に始めた「Twitterもやってみるか」となり…

ならばついでに、ほぼ動かなくなって久しいフロクを更新してみようとなった次第です。

で、前回の更新内容を確認すると愕然としました。

前回はTwitterをはじめて、それが”触媒”となってフロク更新という運びになっていた。

すっかりそれを忘れている自分に驚嘆しつつ、1年前と全く変わっていない自分に恥じ入りながら、この駄文をつらねております。

また新しいネットサービス(ネットサービス?)に登録した時に、またこのフロクが更新されることでしょう…

思い出したように

思い出したようにか、

生き返ったようにか、

突然フロクを更新する気になりました。






というのは、何を思ったかtwitterを始めたため、

相乗的に「何かを書く」ことへのスイッチが入ったようです。







不動産投資のプロジェクトを始めてからいつの間にか1年が経ちました。

本当に早いものです。







最近感じるのは、人材サービスの世界も完全にネット・ドリブンになっていますが、

不動産取引の世界もネットなくしては語れないということ。

しかし、人材サービスよりも不動産取引の方がネット活用の成熟度は低いように感じます。

「転職」「仕事探し」はそれそのものが情報伝達であり、一連のサービスを全てネット上で完結しようという野心が成り立ちそうに見えます(まぁ、実際はやや異なりますが)。

そうした野心がネット化を促進したように思います。







一方、不動産取引の場合は、そこここに業界にいるものでしかわからないブラックボックスがあり、なおかつ、幾重もの規制が張り巡らされているために、一連の取引動作を全てネット化しようなどという野心を持ちようがありません。

もちろん、いまやネットなくして不動産流通は語れないわけですが、どうも(たった)1年かかわっただけですが、不動産の世界にはまだまだネット利用の余地があるように感じられます。







あるいは、これは、単なる場替えによる錯覚かもしれません。

それもきっちり認めるべきとも思います。

よそ者だから感じる未開の部分。

踏み込めば、以外に浅い所に行き止まりがあるのかもしれません。

が、最近の関心テーマは不動産流通におけるネット利用であります。








そんなことでフロクを書く、意味が何となく発見された次第です。

2009年ももうすぐ終わり

今年は結局、(会社としてのではなく)個人としての年賀状は出さずじまいになってしまいました。




この久しぶりの更新(更新というより復活、しかも長続きする保証のない復活かな…)は、その贖罪といったところでしょうか。




今年は自分自身にとって、大きな転換期でした。私はなにかと「9」の付く年が転換期でして、1989年にインテリジェンスを仲間たちと共同で創業し、1999年にインテリジェンスの社長に就任しました。
1999年の社長就任は色々あって、そうなったのですが、振り返れば、もしそれがなかったとしたら、私はその年にはインテリジェンスを辞めていたと思うわけです。




ちなみに、1979年も私にとって転機でしたが、この年に、私は神奈川県小田原市から東京都港区に転居したのでした。
それがなければ、私の人生は今頃全く違うものになっていたと思いますが、これはこれで長くなるのでやめます。




まぁ、とにかくそんなことで、9の付く年は、私にとって変化の年であり、今までで言うと、だいたい10年単位で生きてきています。





さて、年賀状ですが、2009年の年賀状、つまりは2008年に準備する時まで、私は6年連続かなり手の込んだ年賀状を作っては、自分の身の回りの(とりわけ前職の社員の皆さんに)方々に出しておりました。
結構手が込んでいた故に、年始にそれを楽しみにしてくれている人もいて、この2010年年始にそれを届けずじまいになったことが、今年最後の気がかりになってしまったというわけです。





誰しも、年末までに気持ちよく何でも終わらせたいと思うもの、私もご多分にもれず、年末ターゲットでやり切る「リスト」を作っては、それをせわしなく消しこんでいくということをいたします。
2009年も生活環境は一変したものの、人間の根本が変わったわけではなく、やはり年末に向けた「やることリスト」を消しこんでいったわけですが、最後まで「個人の年賀状」は消せずじまい。




というか、途中で完全に投げておりました。
今までそれなりに手が込んだものを作ってきていた故、どうも中途半端な形で妥協することができず、ならば出さぬほうがましという破壊型の結論になってしまいました。




しかし、この年賀状の代替手段が、これまた見当たらないわけです。
①電子メール>これがどうも完全なリスト収集ができていないのと、やはり(個人的な)年賀状というのは家に届くから価値があるわけで会社のメールアドレス宛に送信してもこれを代替してるようには思えない。
②携帯メール>年賀状を個人宅に送る感覚には近づくものの、PCのアドレスよりも、更に体系立てたアドレス収集は行っておらず、夥しい「抜け漏れ」となってしまう。
③寒中見舞い>これほど目立たぬまま葬られる私信もないのではないでしょうか。位置付けが中途半端ゆえもらったのかどうかもよくわからない。年賀状を出し忘れた言い訳のようにも見える…




そんなことで、今年は頂戴した年賀状(年賀メール)に応じて、柔軟に対応することにしました!
(というか、それしかできないので、自慢できるようなソリューションではありませんが…)




私宛に年賀状をお送りいただいた皆様、私からはお送りしない失礼をお許しください。
このフロク上で、こんなことを書いて、どうこうなるわけでもなく、どうこうしようというわけでもありませんが、どうにもならないので、許してください。




ちょっと近況をお伝えしておきますと、
9月からオープンしたフレンチレストランはお陰さまでとても好評でして、11月から予約が取れにくくなり、12月には予約が取れない状態になってきました。
食べログでもかなり良いスコアーが出ていて、ネットでの評判がお店の集客力に直結することを学んだ次第です。
この話は機会があったら(ないかもしれないですが)、フロクに書きます。




それと、不動産投資のアート・クラフト・サイエンスはまずまず順調です。
まだまだこれからではありますが、十分な手応えを感じています。
この話も機会があったら…(ないかも…)





ベイカリー事業(丸の内ポワン・エ・リーニュ)はいよいよしっかりと立ちあがってきました。
2009年は、三越、高島屋、伊勢丹、松屋、東急百貨店で開催した催事販売では、いずれも好記録を達成。
新商品の開発も順調に進んで、お客さまからのご評価もいただいています。
ありがたいことです。




そんなことで、2009年もありがとうございました。
2010年、よろしくお願いいたします。

フエ―ベトナム





今回の連休は色々あってフエというリゾート地に行ってきました。
ベトナムの中部、ダナンから50Kmほど北に位置するベトナムの古都。
その古都が隠れたリゾート地として徐々に発展しているということで、ある御仁に誘われるままに行ってまいりました。




ベトナムの通貨”ドン”は日本で両替ができません。
(なぜできないのかは不明…ベトナム側の事情なのか、日本に需要が少ないために金融機関が扱わないのか…)
そこで、手持ちのドルを持って、行ってまいりました。




たいがいの場所でドルは普通に使えます。
とりわけ、ゴルフ場のような外国人がよく来る場所だと、少額の支払いで100ドル紙幣を出しても、きれいなドル紙幣たちで、さっさかとお釣りをくれる。
これは、ちょっとうれしい。




というのは、1ドル紙幣というのは、どんな旅先でもちょこっとしたチップなどで「使える」しろもの。
ところが、その分、手元からなくなって、次の旅に出る時には、50ドル、20ドルの紙幣はあるけど、少額の1ドル、5ドルがないということが起きてしまう。
さらに、困るのは、ドルで払ってお釣りは現地通貨という場合。とりわけドンのようなマイナーな通貨でおつりをもらうと余計な買い物をして通貨を消化しないといけなくなります。




ゴルフをしたのはフエから50km離れたダナンでした。
ダナンといえば、私のイメージでは、ベトナム戦争時代の米軍の補給基地(だったと思う)。
ところが、行ってみると、軍港というイメージは全くなく、とてつもないリゾート開発が進行中でした。
そのリゾート開発の一環としてなんでしょう、このほどオープンしたというMontgomerie Golf Links。
ベトナム中部で初めて誕生したゴルフ場でプレーしました。




ゴルフ場としては、起伏が少なく一見単調になりそうなところをふんだんな池と激しいブッシュ、起伏の激しいグリーン(ほとんど砲台)でもってなかなか過酷な作りになっています。




で、何といっても、暑い…。
暑さ対策で8時ティーオフにしたものの、10時以降は暑さでふらふら。
よほど物好きでない限りダナンで12時前後のゴルフはおすすめできません。
無理です。




ところでフエですが、日本に帰ってきてから聞きましたが、世界有数の亀の産卵場所ということで、それが有名だそうです。
(そんなことは全く知りませんでした)
それと、古都ということで、それをしのばせる王宮が世界遺産に指定されている。
そこをぐるっと一回りしましたが、ゴルフ同様に暑くて暑くて、ゆっくり見る気は起きないという有様でした。

表参道と築地のうなぎ屋




最近、初めて「表参道ヒルズ」というものをこの目で見ました。
たまたま表参道から原宿方面に移動する都合があり、久方ぶりに表参道を歩くことになったわけです。




すると、まぁ、首都圏に住む方々ならば、良くご存じであろう「表参道ヒルズ」を今更直接この目で見るということに相成った次第です。
考えれば、その昔、青山近辺にオフィスを構え、この辺りは(言い過ぎですが)「庭」のようなものであったはずが、いつの間にやら、まったく縁遠い場所となり、表参道ヒルズも開業からおそらく3年くらいは経とうという今、初めてその前を歩きました。





そして驚いたことに表参道ヒルズに隣接してラルフ・ローレンの立派なビルがある。
このビルが一体いつ建ったのかさえ、私にはわかりません。
しかも、平日の昼間だというのに、ばかみたいに人がたくさんいる(これは昔から変わらないか…)。




昔から変わらないはずなのに、まるで今まで経験したことのない場所にやってきたような錯覚を覚える始末でした。
(この調子では、おそろしくて、とても原宿の小道には踏み込めないという有様です。)





現代人の生活圏というのは、とりわけ東京のような大都市では、「点」でもって、まさに点在しているんでしょう。
私の場合、その昔、仕事の本拠地が青山近辺でしたんで、住まいを含めて青山→渋谷→世田谷あたりをに活動する場所が点在していました。





それが本拠地を丸の内に移して以降は、活動の場所がぐいっと東に移っていって、丸の内→日本橋→銀座というようなあたりに変わっていきました。
そうすると、よほど行きたくなるレストランでもない限り、表参道のど真ん中に行く用事もなくなってしまうわけです。
(年とともに、意味もなく街をブラつくということもなくなりますんで)





最近では、築地の奥行きに驚きながら、日々を過ごしています。
つい先日、ある方に「うなぎ屋」を教えてもらいました。
(名前は忘れましたが、場所は正確に覚えました。こういう状態も年齢からくるんでしょうか…)
今にもつぶれてしまいそうな年季の入った建物。席数が少ないために長蛇の列ができている。




こういううなぎ屋は表参道にはないでしょう。
拠点が東側に移ると、生活様態も変わってしまうというわけです。

新しい常識との出会い




久しぶりに更新してみます。
まるで「仮死状態」のフロクですが、死に切っていないところに味があるように思います。





自分なりには色々と経験を積んできたという自負があるものの、その経験というのは、ある限定された状況と場面で育まれたものなんだと感じる時があります。
つまり、「限られた経験」だったように感じる。




もちろん、それとは逆に、どのような局面でも通用する汎用性の高い経験の蓄積を感じる時もあります。
そういう時は、人間の生業というものは、時代や場面、状況というものに左右されず共通しているんだなぁと実感して、ちょっとホッとしたりする。
でも、それだと路線変更した(脱線かも!?)自分としては、あまり価値を感じない。
このあたりが微妙なところです。




業界によって常識が異なる理由の一つがビジネスモデルから来るのだろうと思います。
そもそも時間の感覚が違ってくる。
一つのプロジェクトを仕掛って、組成して、終わらせるまでのサイクルが3年も4年もかかるという業態の場合、1日単位で”結果”を出せと言われても到底出来るものではないという話になります。
本質的には1日で(あるいはその瞬間に)結果が出せることでも、長期プロジェクトで時間感覚を鍛えられると、何であれ時間をかける。




逆に、私が経験してきたように、とにかく早く結果が求められると、何であっても短縮的、凝縮的に結果を出していこうとします。
それによって拙速となって、痛い目にあうこともありますが、そういう環境で育つと「最速こそ最善」という考え方が染み付いてしまいます。





昨今の風潮だと何であれスピーディにやれということになるんでしょう。
もちろん、基本的に、私もそういう考え方です。
ところが、その法則が通用しない世界も厳然と存在している。
放置する、あたためる、何もしない…そういうことのほうが、正しい答えになることを感じたりする今日この頃です。

久しぶりに




ややもすると、「生きていないのではないか・・・」と思われているらしいので、アップデートしてみました。



ちょっと近況をラップアップしますと、5月末日でもってインテリジェンスの相談役を退任。
(あれっ?日付正しいかな・・・、多分5月末だったと思います。)
そういえば、これも日付を忘れましたが、いくつかインテリジェンスから買い物をさせてもらいました。
一つは約10年使ってきた机、椅子、サイドボードなど、まぁ考えれば、他人が使うには不便なものですが、本人からすると愛着もあり、使いやすいという代物です。それと、金庫。これも置いておいても無用の長物ということで、適正な価格で買い取らせてもらいました。



それでもって、この机だの椅子だのを最近取り組み始めた不動産プロジェクトを進めているオフィスに運び込みました。
そして、金庫のほうは、主としてパン屋をやっている個人会社のオフィスに運び入れました。




長年勤めた場所を離れて活動していく上で、最初に悩んだのは、どこを拠点に仕事をしていこうか、ということでした。
もちろん、その前に「何をやるか」というもっと重要なことがあるわけですが…
生きる上での土台というか、動物としての”巣”がどこにあるかというような合理的に考えないで「気分がいいかどうか」という判断が働く部分があるように思います。




実際、私もいろんな場所で働いてきましたし、インテリジェンスでの後半は、色んな場所に拠点があってどこが本拠かわからないという時期もありました。
そういう経験から自分が主に時間を過ごす場所はひとつに固定したほうがいいという当たり前の結論に至っています。




そして、「この場所はどうも気に入らない」という本能的な感覚も大事だと思っています。
話を戻すと、今、仕事をする上で一番長い時間を過ごしているのは、アート・クラフト・サイエンスという会社のオフィスで、築地にあります。
したがって、ここ最近は主に築地のオフィスにいて、不動産投資の仕事を中心にしています。




話は変わって、6月ですが、6月15日がインテリジェンスの20周年ということで、5年に一度創業に関わった人間たちで集まるという企画があり、それはなかなか面白い場でした。
なかなかインテリジェンスという会社は変なところがあって、あれは、今から15年前ですが、宇野さん(USEN社長)と武林さん(UCOM社長)と私とで、深夜から朝方にかけてブレストをしていたわけです。
その時に、「5年後の未来を予想しようじゃないか」という話になって、確か20問ばかりの(たとえば、「新幹線で東京⇔新大阪間は一体何時間何分になっているか?」など…15年前の視点では、東京⇔新大阪間の運行時間が短縮されることに関心があったということでもあります)設問を出して、それぞれが将来を予想したわけです。
そして、それを5年後の創業記念日に「答え合わせ」をしようという企画でした。





これが発端で、5年ごとに「5年後予測」をするという恒例が生み出された次第です。
今年オープンしたタイムカプセルは2004年に作成されたものでしたが、残念なことにそれぞれの予測が不幸な事故によって紛失して”賭け”は不成立でした。
さて、2014年にオープンされる今年作成のタイムカプセルの結果はどうなっているやら…





7月はいよいよ本格的にスタートを切ったアート・クラフト・サイエンスの事業枠組みについて試行錯誤の繰り返しです。
さらに、これとは別に8月スタートのプロジェクトも同時進行でして、なんやかんやとあっという間に時間が過ぎ去ってしまっています。





43歳で、今までと全く連続しないビジネスにチャレンジするというのは、自分でも予想していなかったことです。
だいたい経験していないことにチャレンジするということは面倒だし、生意気かもしれませんが、そこそこビジネスでうまくやってきた実績があると、「それに傷をつけたくない」なんて、たいしたことないくせに考えたりもします。
それでも、また再び全く新しくリスクをとろうと思った理由は、性分としか言いようがありません。
何だかムズムズとやりたくなって、やり始めてしまいました。





ここ最近会う知人たちからもこのフロクを通じて、近況を捕らえてくれていた人が多かったということがわかり、アップデートした次第です。



昨日を最後に




2005年、サイバーエージェントの藤田社長に勧められるまま、何となくスタートしたブログでしたが、当初は先のことは分からないが、思いつくことを書いておけばいいだろうという感じでやっていました。
やっているうちに、ブログの”効果”というものを感じるようになって、一時はずいぶんと気合を入れて書きました。
やがて、また別の”意味”を感じて、それがために止めることができなくなりました。




最初に感じた”効果”はインテリジェンスが学生援護会と統合する時でした。
それなりの規模の統合でしたから、数ヵ月後に一緒に働くことになる皆さんに何らかのメッセージを送りたいと思っていました。
そんなとき、顔合わせの会合で「ブログを見ています」という話を聞いて、ブログならば、どんな所にいる人にでもメッセージを届けられるし、将来もしかしたら一緒に働くことになるかもしれない”まだ見ぬ”社員に効果を提供できるのではないかと気づきました。




もちろん、逆効果もあります。
言うまでもなく、ブログの発信者(私)は鎌田和彦であることを明示して発信している。
つまり、発信者として匿名性がなく、かつ、社会のあらゆる人々が見ることができてしまうという点で、(大げさかもしれないですが)責任ある発言でなければなりません。




ところが、そのブログに対して、寄せられるコメントは必ずしも人物が特定されるわけではない匿名的なものです。
匿名的に発信できるとなれば、非難であれ、中傷であれ、好きなだけ書き込むことができます。
発信者がいちいちそうした非難や中傷にこたえるべきとは思いませんから、それに応じたことはありませんでしたが、おそらく、そうしたコメントを寄せた人たちの想像をはるかに超えて、発信者にはダメージになることを身をもって実感しました。




私自身、あらゆる場面で、常に批判・非難を受け止める準備をして生きています。
しかし、それには、当然、説明したり議論したりする機会が伴うべきだと思っています。
ところが、ブログを通じた批判に対して、発信者は何もすることができません。
これは多大なストレスでした。
(結局、コメントを見ないことにするしかなかった。)
(コメントやめればよかったでしょ、というのもありますが、わざわざなくすのも…)
(ならば、こんなこと書かなきゃいいんでしょ、ということかもしれませんが、もうやめるつもりなんだから許してください。)




それから、正直、これまで、言いたいこと、書きたいことの10%くらいしか書けませんでした。
発信者として様々な側面に照らして、問題があってはならないという意識がありましたから、そもそもテーマにも気を使い(言い過ぎかも)、それなりに配慮して書いていたつもりです。




ところが、世の中には、書いてあることが”ごく一部分”だということに気付かず、あたかも”全部”だと理解する人がいたりする。
これにも困りました。





そんなことで、ある時期、すっかりブログ更新に倦んで、やめてしまおうと思っていた時、別の効果を感じました。
それは、昔からの友人・知人、一緒に仕事をした人々など、私の近況に関心を持ってくれいている人たちが、ブログを通じて「鎌田は元気かな」とか「最近、何をしているのかな」といった情報を摂取してくれているということがわかったからです。




なるほど、ブログというのは―これはインターネットというツール全体に言えることかもしれないですが―単に不特定多数が情報を受け取るだけでなく、特定された集団に向けて発信することにも力を発揮するんだという、当り前のことを感じました。




そんなことで、最近は、自分の近況を伝えるために書いていたつもりですが、それでも自由な発信はできなかった。単なる近況を書くことにも、時に逡巡があった。おそらく、考えすぎなのかもしれません。
あるいは、このブログがインテリジェンスという会社人格を背負っている面があって、それを意識したからかもしれません。




さて、これまで長いこと、私の秘書をしてくれていた菅原さんが昨日を最終出社として、インテリジェンスを卒業されることになりました。
この場を借りて、菅原さんに感謝申し上げます。

そんなことで、私にコンタクトいただく際は、直接お願いいたします。