霊性心開発の方法 ③ エックハルトトールと中村天風師 | Yokoi Hideaki

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だいぶ間が空いてしまいましたが、前回のつづきです。

https://ameblo.jp/institutejpn/entry-12227396633.html

 

エックハルトトールの説く 「さとり」のため為すべき2つのこと

前回はエックハルトトールの著作「The Power Of Now」(邦題:さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる)から、「さとり」をひらくための重要な要素、手順について私なりの解釈を行いました。

エックハルトトールが説く「さとる」ための必要な手順、要素を要約すれば①「思考を止める」、②「今に在る」の2つになるというのが私の解釈でした。

 

中村天風師のインドでの「さとり」も滝での瞑想修行によって一瞬、思考を止めたことから始まったのは以前のブログで書いた通りです。その経験から天風師は「霊性心(さとり)は容易に出てくる、雑念や妄念を払いさえすれば自然に出てくるんだ」とおっしゃいました。

https://ameblo.jp/institutejpn/entry-12156858036.html

 

前回のブログで書いたように「思考を止める」とは「迷走、暴走している無意識的思考を止める」ということです。そして迷走、暴走する思考にスットップをかけるためにエックハルトトールが薦めているのが「意識的思考」の習慣化で、それは②の「今に在る」ための前提でもあります。よって「①思考を止める」「②今に在る」の二つの要素は表裏のもので、「無意識的思考を止める」ために「今に在らねばならず」、「今に在る」ために「無意識的思考を止めねばならない」という相互的なものであるとも述べました。

 

これも前回のブログに書いたようにエックハルトトールは電車で独り言を言い続けている「おかしな女性」に出会った事から、自身もいつも、心ここにあらず、頭の中で独り言を言い続けていた、という事に気づかされます。そして、この気づきが、のちの彼の覚醒体験に繋がります。

 

先の2つの要素「無意識的思考を止め」「今に在る」為に「意識的思考」を行え、というのがエックハルトトールの「さとり」「覚醒」のための入門メソッドです。

彼は「呼吸する、歩く、食べる、取る、話す、観る、聞く、話す、これらすべての動作、行動を意識的に行わねばならない」と説きます。

 

例えば呼吸について彼はこう言っています。

「呼吸を観察してみよう。呼吸を感じてみる。空気が動いて体のなかに入ってくるのを感じる。息を吸ったり吐いたりするたびに、胸や腹がわずかに広がったり、収縮したりするのを感じる。一つの呼吸を観察するだけでも、それまで途切れない思考がつづいていたところに空間が出来る。」

 

このように一度の呼吸を観察する、意識して呼吸を行うことだけでも、心を占拠している無自覚な迷走する思考を止め、叡智の泉である「大いなる存在」からインスピレーションが湧き出てくる空間、隙間を作ることが出来るのだ、と彼は言っています。

この「空間」(内なる空間、すきま)に湧き出てくるインスピレーションが「さとり」です。

そしてそれはこのブログで繰り返し述べてきた「霊性心」と呼ぶことも出来ます。

またさらに、「本当の自分」、「真我」、「本心」、「大いなる自分」、「大我」、「サムシンググレート」、「神」、「宇宙霊」などとも言い換えることが出来るでしょう。

 

前回のブログで、エックハルトトール自身の「覚醒体験」を禅の悟り、「心身脱落」と、とらえて「さとり」とは「思考を止め、自我意識を離れ、大いなる存在とつながる事である」とし、

「迷走を続けている思考(個我)から心を離すと、そこに大いなる存在と一体である自身の本体(霊性=真我、大我)が姿を現します。これを如来(ありのままに(が)来る=本当の自分、真我が来る、顕われてくる)と呼びます。個我の心身が脱落すると、そこに本来の心身、真我の心身が如如(にょにょ)として来る(如来)、というのが禅の悟りです。これが般若心経の本来の意味で、エックハルトトールの覚醒体験もそのようなものだったのでしょう。」

と書いた理由もそこにあります。

 

天風師が説く「無念無想」の効果

また、これまでのブログで度々紹介してきたように、中村天風師も「無意識的思考を止める≒雑念妄念を払う」ことが最も重要だ、それこそが宇宙本体の無限のエネルギー、叡智とつながる鍵なんだ、と述べられています。少々長くなりますが、天風師の言葉を引用します。

「人間と言うものは厳密な意味からいうと、その本性において、知る知らざるとを問わず宇宙本体と自分の生命が何時も一体化されるように出来ている。宗教的にいえば神、仏の持つ智恵、哲学的に言えば宇宙創造の造物主の智恵も当然、人間の心に一つのつながりを持っているわけなんだ。ちょうどそれはね、電灯と発電所の発電機がつながっているのと同じだ。さてそう考え付いたら、電灯はスイッチをひねると燈がつくだろう。スイッチをひねらないと燈がつかない。

人間もまた同じで、宇宙の本体の造物主、いわゆる人間と神を結びつけるのも、やはり結び付けのスイッチというものがあるわけです。そのスイッチがどこだというと心なんであります。もっと判りやすく言うと心を特別な状態にすると、造物主と人間の生命がピターッとつながちまう。電灯と発電所がつながるようにね。それじゃー特別な状態とはどんな状態かという事だが、英語で言うとトランスの状態にする事なんだ。トランスとは無念無想のこと。

こういうと「さあそこだ。それが一番難しいんだ」と大なり小なり座禅の真似事をした人ならみな口をそろえていうでしょう。そういう人は無念無想がどういう状態か、ハッキリ理解していないんだ。ジャーどういう状態かというと一口で言うと、心が命の一切を考えない時が無念無想なんだ。(中略)

わかりやすくいうと、肉体を思わない、また心が心を思わないときが無念無想なんです。

とにかく心が出来るだけ折りあるごとにこの無念無想の状態になればいやでも、応でも人間の生命は、生命の本源である宇宙本体とピタリと結びつくように出来てんだ。さっきの電灯と発電所と同じなんだ。」

 

このように、雑念、妄念が心を離れ、無念無想、想念が停止した時、宇宙本体の造物主、神と一体になる、と師はおっしゃいます。

更に、病気や、不運の時こそ、これを心がけねばならないと次のように続けられています。

「ところが普通の人間は特に病があったり、運命が悪い人間は、そういうときに一層宇宙本体の無限の力を自分の生命に招き入れないといけないのに、反対にその結びつきを自ら妨げるような愚かな事をやっちまっているんです。ここのところが大事なところなんだ。心が肉体を考えない、あるいは心が心の動きを思わないとき、心が即座に霊性境地にしぜーんと、入りたくなくとも、入る事になっているんだ。」

 無念無想の時、あるいは無心で、夢中に何かに集中する時、宇宙本源の無限の力、叡智にアクセスし、これをわが身、わが心に招き入れることができるのです

 

天風流の意識的思考、有注意力の集中

天風師は更に、エックハルトトールの言うところの「意識的思考」についても述べられています。これも少し長くなりますが、引用します。

「まず第一大事なのは、諸事万事に応接するときに、「はっきりした気持ちでやる」ということなんだ。これは「有意注意力」を集中するという意味なんだが、これは、精神統一の修得には欠かせない条件だったね(『成功の実現』第八章参照)

あなた方は興味のあるものには、求めずとも注意をそうとう長くふりむけられるが、そうでないものには、注意の注がれる力が弱くなってしまうんだね。

興味を感ずる芝居や書籍などは、たいして疲労もせず倦怠感を覚えずして、粘り強い注意を長時間ふりむけられるけれど、興味のかいものには、すぐ飽きちやって注意なんかどっかにいっちまう。

そうじゃなくして、何事に対しても、まずそのものの中から何かの興味を見出だすか、または造りだすかして、どんな興味のないものに対しても、必ず意識を明瞭にして応接する習性をつくるようにする。もっとわかりやすく言えば、何事をおこなう際にもけっして「なに気なしにおこなわぬ」ことを心がける。

 

天風師は明瞭な意識でなにごとにも取り組むことが大事だとおっしゃっていますが、これはエックハルトトールの意識的思考と同義です。師はこれを習慣化せよと勧められています。

「これを有意注意力というんだが、これが習性化されてくると、自然と注意が注がれる範囲が拡大されていって、一度に多数または多方面に自分の注意を困難なくふりむけられるようになってくる。言いかえると、やたらにくだらない不必要な消極的観念が心の中を占拠して有意注意力をするということがなくなってくる。その当然の帰結として、連想力が正確になり、いわゆる思想の整理が自然に巧妙になされるようになると同時に、記憶力がすこぶる良くなるんです。どうしてかというと、いったん心の前におかれた事物のいっさいをその心に深刻に印象づけて、細大もらさず心の中の記憶の倉庫内にいれちまうからだ。

反対に、不注意に見たり聞いたりしたことは、完全に覚えてないでしよう。さっきの話にもあったね、見たんだが、見てない。

実際、古今ともに、いわゆる傑出した人物というのは、いずれもみんな有意注意力が完全な人々のことを言うんだ。何ごとに対しても周到にその観念が総合され、したがって精神も統一され、その結果、すベての能力が研ぎ澄まされて、いやでも自然と傑出しちゃう。だから、いつも何事でも自分の好むことをおこなうときと同様に気をこめておやりなさい。」

 

そして意識的思考、有意注意の習慣化の具体例をこのように示されています。

「私は、一杯の水を飲むときでも、観念を使っている。あなた方は、こういうところに来て、お茶飲むときに、ただ何の気なしに飲んでいる。私が茶を飲むときには、この茶の中にあることごとくの栄養を、いままさに自分の四肢の末端に至るまで、恵みとして受けるんだ、という感謝で飲む。ただ、いちいち口に出さないから、あなた方、わからないだけでね。一口、物を食うときといえども、いやさ、寝るにも、起きるにも、何をするのにも、まず第一番に観念の決定を施してから行うというのがこの天風哲学なんだ。」

 

更にこうも述べられています。

「私、ヒョイと握手しても、気なしにはしません。手と手を通じて、お互いの体が一つになって、向こうに足らない力をこつちからやるというつもりで、私はいつでも握手している。

あなた方みたいに、ただ一時の興奮でヒャッとやっているのとは違う。いやさ、一目チョイと見る場合でも、あなた方は目と目を見合わすだけだ。私は目で見たときに、この人の生命の中に、こっちの目を通じて活力を送ってやるぞ、こういう意味で見てる。観念てえものを応用しないで人生を生きている埸合、その人生の情味を味わう分量が非常に少なくなっちまうんだぜ。」

 

このような日常的な意識的思考、意識的行動が重要であることを更に繰り返され、次のようにおっしゃっています。

「どんな些細な事をする場合でもハッキリした気持ちで行う事が大事なんだ。意識を明瞭にしておかないと色々なミステークやエラーがでてきてしまう。とにかく何をするにもハッキリした気持ちでするクセを付けなさい。何をするにも気を散らさずに行う事がハッキリした気持ちでいるという事なんだ。人間が心を使うとき気が散っている事ぐらいいけない事はない。気が散ると心のまとまりが崩れてしまう。ノイローゼになったり、神経衰弱になったり、精神病の一歩手前にまでなるのはこの気の散りすぎが原因なんだ。心がまとまっていない、ちらかった状態だと心の力、働きはそれはもう哀れ惨憺たる状態になってしまう。」

 

また常に意識をハッキリとさせよ、集中せよと、こうも繰り返されています。

「常日頃から気を散らさないで物事を行う心がけを実行していると、習慣は第二の天性だから、どんな事にあってもいつもハッキリした気持ちで渋滞なく物事をかたずけていけるようになるんです。ハッキリした気持ちでいく、これがコンセントレーション(集中)なんだ。集中は心がけがないと出来ない。」

 

霊性意識の発動

そしてこのような日常的な意識的思考、行動の習慣化が、自然な精神の統一状態を生み出し、その結果として霊性心、霊性意識の開発、発動を可能にする、として次のように述べられています。

「心を使うとき、くれぐれも何気なしに使わないようにしないといけないよ。フワッと使うからいけないんだよ。意識を明瞭にして、ハッキリとした気持ちでもつという事を心がけの第一にしないといけない。そうすると正確に観念が集中する。正確に観念が集中されると黙っていても精神は統一されるんだ。そういう練習をいつもしていると、段々と習いは性となり、求めず期せず、精神が統一されるようになる。そうすると人間の最高級な霊性意識と言うものがこれまた困難なく発動されるようになるんです。」

 

長い引用になりましたが、更に天風師はこうした実践を通じて霊性心、霊性意識が発動されるとどうなるかという事をこのようにおっしゃっています。

「霊性意識が出てくると、何といったら形容が適当かと思うほど、鬼に金棒以上の安心立命以上の安心した人生を生きられる。

こういう気持ちが出ないとちょっとした事でも人に相談しないといけない状態で、わずかな事でも物笑いの種になるような占い師なの易者だのに診て貰う様なばかげた事をしなければならないようになってしまう。人間の本当にありがたい点はこの霊性意識が発現する点にあるんだ。霊性意識はいわゆる第3の目なんです。これが出てくると諸事万事自分でも不思議なくらい名案工夫が出てくるんです。古来、覚者とか哲人というようなものはみんなこの霊性心がでた人の事を言うんです。」

 

天風師は霊性意識を発現して生きることで人間本来の正しい、幸せな人生、創造的な人生を生きることが出来るのだ、またそこから更に進んで古来の覚者、哲人のレベルに至ることもできるのだ、とおっしゃっています。

 

このように見てみると天風師と同じことをエックハルトトールも言っているということがわかります。このことはこの二人の方だけではありません。天風師が言われるように古来の覚者、哲人は同じプロセスを経て霊性心を発現した、「さとり」をひらいたと言っても良いと思います。

お釈迦さまもイエスさまもその意味では同じだと言えるのではないでしょうか。

 

先に述べたようにこの「霊性意識」は「本当の自分」、「真我」、「本心」、「大いなる自分」、「大我」、「サムシンググレート」、「神」、「宇宙霊」などとも言い換えることが出来ますが、「本当の自分」、「真我」、「本心」とあるように、これらに対するものとして「偽物の自分」があります。それは「心」が作り上げたある種の幻影です。「心」というのは天風師の説く「5つの心」でいうところの本能心、理性心で、言い換えると習慣化された無意識的思考のパターンを指します。

 

参考「5つの心」 

https://ameblo.jp/institutejpn/entry-12181427471.html

 

無意識的思考(偽物の自分)が力を持った「エゴ」

エックハルトトールはこの偽物の自分のことを「エゴ」と呼んでいます。

彼はエゴ的思考に人生をコントロールされている限り、真の「心の平安」を得ることはできないと言っています。また、エゴは「ほんとうの自分」の代用品であるので、自分の外側にある偽物でアイデンティティを証明しようとする、とも言っています。

 

そしてエゴが自己証明として利用するものを「所有物、職業、肩書、人からの評価、知識、学歴、ルックス、特殊技能、交友関係、家柄、信念体系」などであるとし、さらに集合的なもの「政治」「国家」「人種」「宗教」なども時にエゴは利用する、としてます。

 

またエゴが「私」という思考を支えるために必要としているのが「他者」で、より鮮明に私、自己を意識する為に必要なのが「敵」という概念である、とし、人間本来の、正しい、幸せな、創造的人生を生きる妨げとなっているのが「エゴ」であるということをエックハルトトーは繰り返し述べています。特にこのエゴへの対処法、エゴの駆逐法については彼の著作である「ニュー・アース」で詳細に解説しています。

 

 

私なりに解釈すればこのエゴ=偽物の自分を作り上げてしまっているのが「心」です。そして「心」とは、「思い」の事です。思いとは「観念」でもあります。上のエックハルトトールの定義のような概念を「自分」だと思っている「思い込み」や「観念」、また肉体や肉体から派生している「心」が作り上げた「幻想」を自分自身であると認識している「思い込み」や「観念」、これらが「エゴ」の正体です。そしてエックハルトトールがニュー・アースで繰り返し述べているようにエゴを自分であると思っている限り、本当の人生を歩むことはできません。

 

エゴに支配されず、支配するには

この事を私は以前のブログでこのように書きました。

https://ameblo.jp/institutejpn/entry-12185002591.html

生きていくうえで一番大事なことは「心」を広々と、大らかに、積極的に、働かせること。「働かせる」と書いたのは「自分の心」と思っているものが、本当は自分そのものではないからです。

 

実際の自分は判りやすい言葉で言うと「魂・たましい」です。そして魂と心は違ったものです。魂は宇宙のエネルギーといってもいいし、神様といってもいい、仏様といってもいい、そういう大きなエネルギーとつながっています。魂は「生きるエネルギー」そのもの、「無限の知恵」と直接につながった存在です。そしてこれは永遠に存在します。

 

ちなみに幽霊の事を「死んだ人の魂」という言い方をしますが、これは間違っています。幽霊とは肉体が死んだという事が判らない「心」がこの世に残り続けたものです。いわば勘違いした心です。だから幽霊のことを「迷った霊」と呼びます。

 

あなた自身は魂であって、心ではありません。心というのは生まれてから、いろいろな経験をして、そのことを通じて蓄積された一種の思考パターンです。考え方のくせ、少し難しい言い方で判りにくいかもしれませんが、経験に対する反応のパターンです。それは単なる反応パターンで、あなた自身ではありません。

 

そこで、先ず知らねばならないのは今悩んだり、苦しんだりしているのは決してあなたではないという事です。悩んでいるのは、苦しんでいるのはあなたの心です。人生というのは自動車教習所のようなものです。心という自動車を自在に動かせるようになるための教習所です。体も心も本当は魂が動かしています。

 

「心」が心臓を動かしたり、血圧をコントロールしたり、体温を維持したりしているのではないことは判りますね。息はしばらく止めることが出来ますが、寝ているときには止められません。意識しても心臓を止めることは出来ないでしょう。寝ている間も呼吸をつづけさせ、心臓を動かし続けているものは魂です。このように心も体も本当は魂が働かせているのです。

 

身体以上に「心」の運転はなかなか難しいのです。心には「くせ」があるからです。心とは経験に対する反応のパターンだと言いましたが、何度も何度も同じような経験をして、その経験に同じように反応していると、それが心のくせになります。何かあるとそれに対して同じような反応をしてしまうようになります。しかし、それは自動車の「くせ」であって、運転者の「くせ」ではありません。

 

このように、先ず知らないといけないのは、苦しんだり悩んだりしているのは「心」であってあなた自身ではないという事です。次に知らねばならないのは、そんな心を上手に運転するコツです。これまでに書いたように人生とはある意味では「経験」とそれに対する「反応」で作り上げられるものです。

 

人生に同じことが起こっても、すべての人が必ずしも同じ反応をするとは限りません。人生にはコントロール出来ないものと出来るものがあります。例えば「人は死ぬ」という事はコントロールできません。「男として」「女として」生まれるということもコントロールできません。(中略)

 

コントロールできない事をくよくよ悩んでも仕方がありません。人生はコントロールできることに集中することで開けます。コントロールとは難しい言葉では制御ですが、わかりやすく言い換えれば「選択」という事です。「経験」と「反応」で言えば、「経験」の方は選択できなくとも「反応」の方は選択可能だ、という事です。

 

極端な言い方に聞こえるでしょうが、人生におけるあらゆる出来事に本来意味はありません。出来事に意味を与える(反応する)のはあなた自身です。だから同じことが起こっても人の反応は様々です。同じ出来事をポジティブ(前向き、積極的)に受け止める人がいます。逆にネガティブ(後ろ向き、消極的)に受け止める人もいます。

素晴らしいと同時にやっかいでもあるのですが、心には力があります。

 

それは一種の「引き寄せる力」です。同じ反応を続けると心はその反応を引き出すような同じ経験を引き寄せるようになります。その悪循環を「不幸」と言います。しかし、これは変えることができます。うまくコントロール、選択すれば「幸せ」という善循環にすることもできます。反応はコントロール、選択が可能だからです。

 

それには先ず、魂から心にその反応を止めるように命令するのです。魂は心の奥底にあります。だから「心の底から」「もうこんな反応はしません」「こういう選択はしません」と宣言するのです。

 

そして、同じような選択や反応をしていることに気づいたら、きっぱり意識してそれを止めることです。心というのはなかなか手ごわい相手ですが、粘り強く続けたら最後はあなたが勝ちます。心はあなたが生み出したものだからです。

 

振り返ってみるとこのブログで度々紹介している天風師の積極精神(積極観念)の養成法、観念要素の更改法、また今回改めて紹介しているエックハルトトールのエゴへの対処法、駆逐法も同じことを目的にしたメソッド、方法論であるということが出来そうです。

 

そしてその目的は「さとり」であり、「霊性心開発」であり、言い換えれば「本当の自分」、「真我」、「本心」、「大いなる自分」、「大我」を生きること、「サムシンググレート」、「神」、「宇宙霊」、天風師の言葉を借りれば「宇宙本体の造物主」と一つになることです。

 

エックハルトトールの最初の著作名の原題は「The Power of NOW(今に在ることの力)」ですが、日本語訳のタイトルは「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」です。確かに、それはその通りだと思いますが、肝心の「さとりをひらく」方は、われわれ凡夫、凡人にとってシンプルでも楽なことでもありません。

 

 

先に紹介した天風師の言葉にこうありました。

心を特別な状態にすると、造物主と人間の生命がピターッとつながちまう。電灯と発電所がつながるようにね。それじゃー特別な状態とはどんな状態かという事だが、英語で言うとトランスの状態にする事なんだ。トランスとは無念無想のこと。こういうと「さあそこだ。それが一番難しいんだ」と大なり小なり座禅の真似事をした人ならみな口をそろえていうでしょう。」

 

天風師がいみじくも「それが一番難しいんだ」とおっしゃっているように、これがやさしいものなら、こんな楽なことはありません。禅の修行も楽なものになるはずです。しかし、そうではありません。

そこで、次回は私の信じる「さとりをひらく」ためのもっとも「やさしい方法」について書いてみたいと思います。

 

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