Yokoi Hideaki

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久しぶりにブログを更新します。今日は長崎に原爆が投下された日、来週は終戦記念日です。

そして今日のテーマは、下の五井先生の会の会報「白光」の昭和45年(1970年)8月号に掲載されていた五井先生の法話です。

 

 

このところ首相に就任された高市さんへの攻撃が激しくなっています。皇室典範の改訂についても「愛子さまを天皇に」といういうスローガンの元、左翼サイド、マスコミからの「男系継承阻止」の動きはかなり目につきました。この問題は一応の決着をみましたので、高市政権の次の難所は憲法改正でしょう。

 

今日紹介する法話の中で、五井先生は「天皇」と「平和憲法」という、まさに現在ホットなテーマをお話になっています。

天皇の問題は一応の決着をみたので次は「平和憲法」をどうするかです。これは現代日本に残された最重要問題であるように思われます。

そこで今日は五井先生のお考えを読者の皆さんに共有したく思いました。

五井先生は当時の世界情勢や日本の状況を縷々述べられた後、次のようにお話です。(以下転載)

 

怨みに報ゆるに徳を以てする
……仏陀釈尊は「実にこの世において怨みに報ゆるに怨みを以てせば、ついに怨みのやむことなし。怨みをすててこそやむ。これは永遠不変の真理である」といっていますし、キリストは「汝の敵をも愛せよ」といっているのです。


これは個人にとっても、国家人類にとっても同じ真理なのです。人類はこの真理に一歩づつでも近づいてゆかなければ、到底救われの道に入ることはできません。しかし、宇宙の大経綸からみれば、地球に大調和世界が実現する順番になっておりますので、どんなにむずかしそうにみえましょうともやがて、地球人類は、この真理を行じられるようになるのだと私共は思っているのです。

ですから、たとえ一歩ずつでもよいから、地球人類がこの真理に近づいてゆけるように、私共宗教者はこの世界平和への道を宣布し、日本国中に、そして世界中に祈りによる世界平和運動をひろめてゆく働きをつづけているのであります。

要は、キリスト教会とか、宗教団体とかの神様仏様ではなくて、人類生命の根源である大生命エネルギーとの調和を、まず人類はさねばならないのです。大生命との調和がなされねば、やがて小生命である人類は枯れ果ててしまいます。
 

横のつながりの権力や物質力の争いに明け暮れているうちに、肝腎かなめの縦のつながりである大生命、即ち宇宙の法則から外れた生き方になって、生命の根源の流れを受けることができなくなり、地球自体のエネルギーも人類の生命エネルギーも、ついには無になり滅び去ってしまうということになるのです。
 

ですから、こちらが善だ、あちらが悪だ、こちらが正義で、あちらが侵略だ、といがみ合い戦いつづけていて、少しでも大生命の法則であり、宇宙の法則である、調和ということをないがしろにしていると、形の上では大戦争や天変地変ということで、地球人類は滅亡しさってしまうのです。

アメリカが正義だといっても、どこまでが一体正義なのか、計り知ることはできません。日本の繊維問題(注:当時の日米間の貿易問題)にしても、自国の経済的なご都合によっては、無理な貿易制限をしようとしたりして、日本の利害おかまいなしで、自国の利益を計ろうとします。

この考えをひろげてゆけば、軍事問題にしても、自国の都合次第では、他国の犠牲を敢えて強いる結果になることも予想されます。日本でもアメリカの立場に立てばそうするかも知れませんが、どこの国にしても、現われの世界の自国本位の生き方をしていれば、自国の利害がまず先で、他国の利害は後わしということになります。これはソ連でも中共でも英仏でも、みな同じことです。

私のいいたいのは、こういう世界観では、いずれは地球人類滅亡の日来るということになってしまうということです。そういう日の来らぬためにと、神々は、仏陀やキリストや様々の聖者をこの世に遣わして、種々と教えさとしていたのであります。今日に至っては、もう目先の損得勘定をさらりと捨てて、世界の平和のために、どこかの国が、先頭に立って、真実の平和運動を展開しなければならない絶対絶命の決意をしなければならないのです。

天意の平和憲法
私たちの日本は、そうした大調和運動、平和運動には、最も適した国であり、絶対無条件降伏の中で、天下り式に平和憲法をつくらされた国でもあるのです。この憲法はいかにもアメリカによってつくらされたようにみえましょうが、日本が無条件降伏の無の境地にあった時につくられた憲法なので、枝葉のところで修正したいところもありましょうが、根本的には、やはり、天が日本の天命成就のために、下し給わった憲法であると思うより仕方がありません。
日本人の我でこうしてつくろうと想ってつくったのではなく、絶対絶命の無の境地の中でつくらされた、ということが、神計(かみばからい)であると私はいいたいのです。

常識では到底そうなり得べき筈もない、天皇制の存続なども神計いというべきで、来るべき世界平和達成のための大きな二つの神計いである、と私は信じているのです。

そのためにも、日本はあくまでも、真の世界平和達成といことを大眼目として、国政を行い、いかなる状態の中にあっても、争いの渦に巻きこまれぬようにすることが第一であるのです。

アメリカ、ソ連、中共という武力を中心に世界に睨みをきかせている国家とは全く異なる立場に、日本は起たねばなりません。なぜならば、日本は原爆を受けた唯一の国であり、戦争を心底から嫌っている国民であり、大調和をこの地球世界につくり出す天命を天よりさずかっている国であるからです。

日本が武力によらずに、この世界に平和を成就させる天命を持つ国であるということは、日本 (霊の本=ひのもと)という国名にも 大和という名にも、はっきり示されていることであり、太平洋戦争の敗北による、平和憲法、戦争放棄の世界への宣言によっても、実にはっきりしているのです。ただ偶然に、どこの国にもかってなかった平和憲法ができる筈はありません。天意という他にいいようはないのです。

日本の生き方は
ですからあくまで日本はこの平和憲法の意にそった生き方をしなければならぬので、いちいち他国の顔色をみては、平和憲法を各国並みの憲法に改めようなどという気持を起こさぬことが大事なのです。日本はあく軍国主義には反対なのだ、平和憲法を護りぬくのだ、という根本精神を堅持して、各国にもその真意を了解させる運動をつづけることが必要なのです。

自衛隊があることなど、いちいち言訳けする必要はありません。核兵器を持つ国が五つもある今日、自衛隊が少しぐらい拡張されたとしても、軍事国という程の力をもつわけでもなく、他国を攻撃するという程の力があるわけでもありません。真実に自衛のための軍隊であることには違いありません。

ただ日本の立場としては、武力によって国を護るということより、世界平和を成就するための大いなる働きを日本はしなければならないのだ、そのためには国を挙げて、平和精神の結集を計り精神波動、生命エネルギーの強力なるパワーによる、真実の平和運動を展開しなければならぬ、ということを政府と国民が一体になってやらねばならぬのです。

 

反米だ、反共だというような、常にどこかを敵とみての平和運動などは、神の眼からみれば実におかしなことなのです。真の平和運動に敵がある筈がありません。 現在敵とみえる国でも、真実平和な精神に徹し、その道を歩みつづけていれば、必ず敵ではなくなってきます。そのためには神と一体になる祈りの心が必要なのです。個人の業も国家人類の業も、祈りに徹する心によって超え得ることができるのです。

 

その最も適切なる祈り言葉が、「世界が平和でありますように」からはじまる平和の祈りです。 「なに、そんな甘い」とおっしゃる方には、一体他にどんなよい方法で世界を平和にしようというのかをおききしたいものです。アメリカをやっつけることですか。 それとも共産主義者を叩きつぶすことですか。 そんな敵をつくり、敵を叩きつぶすことで平和をつくろうなどという、そういう昔ながらの因果律の中での行き方こそ、甘っちょろいといわねばなりません。

真の世界平和運動は、いざという時には生死をかけていささかも悔いない、不惜身命の心と、いかなる挑発にも乗ってゆかぬ深い忍耐力、そして絶大なる勇気をもって、着々と歩を進めてゆく運動なのです。

私共日本人は、個人人類同時成道の、神との一体化を目指す、世界平和の祈りの中で絶大なる生命エネルギーの力を養い、光明心をもって生きつづけてゆくことです。そしてアメリカにヨーロッパにそして、ソ連に中共に、真実の国の生き方を示してゆくのであります。

その場その時の目先きの変化に気を取られ、すぐに武力の闘争に入ってゆくという時代はもう原爆誕生以前の人間のやり方なのです。

人間は今こそ、神のみ心の中に想いをむけて、徹頭徹尾の神のみ心の愛の心に従って、生きてゆかねばならぬのです。その生き方のみが、個人を、国家を、人類を平安にし得る唯一の生き方なのであります。 すべての善き生き方はそこから生れ出でるのです。(転載おわり)

 

以上、56年前、1970年8月の白光誌よりの転載でした。

 

今日から来週に至る数日、この五井先生のお話を胸に世界平和を祈る日々を送りたいと思うものです。

 

世界人類が平和でありますように