久しぶりにブログ更新します。
私のブログの主たるテーマである「世界平和の祈り」の提唱者、五井昌久先生は「運命は80%決まっている」とおっしゃっています。であれば残りの20%はこの世の努力、心がけ次第で創造することができる、または変えることができるということになります。また別のところで「変えられるのは5%くらい」ともおっしゃっていますので、運命は80%~95%くらいは決まっているということでしょう。
晴天の夜空を見上げる時、私たちの目に映る星々はすべて過去の姿です。一番近くの惑星の金星は2分前~14分前の姿で、恒星なら一番近いプロキシマ・ケンタウリは4年以上前の姿、一番遠くは130億光年の彼方にあり、今観測しているのは130億年前の光です。
同じことは私たちの人生でも言えます。今、この人生で起こっていることは過去において自分が思い、やってきたことが見えているに過ぎません。それが仏教でいう「因果応報」なのですが、これは量子力学や心理学によって科学的にもほぼ説明できるようになりました。
今回は詳しく説明する紙数がありませんが、これに興味がある方は以下の書籍をお読みになれば「人生で起こることは過去の投影である」ということが合理的に理解できると思います。
現在が過去の投影に過ぎないなら、この人生における努力は無駄なのかというと、そうではないことは言うまでもありません。今の営み、努力は未来に投影されるからです。「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」というのは有名な日蓮聖人の言葉ですが、これは宗派を問わない「仏教の常識」です。
さて、ごく最近わが身に起こった少々情けない話をします。私は僅かですが何社かの株を持っているのですが、5年ほど前だったでしょうか。持っている株の一つに売却の必要が生じました。換金は面倒だったのでそれを三社の株式に買い替えました。
私が株を買うときは、経営者が尊敬できる、その会社が好き、などが理由で、もちろん損をする気はないですが、「儲けよう」という気持ちで買うことはありません。
しかし、その時買った一社が先日、不正会計で問題を起こしたニデック(旧日本電産)でした。日頃株価のチェックはしていませんが、高いときに買ったので、おそらく暴落しているでしょう。株価を見ないのは見ても詮無いし、嫌な気持ちになるだけだからです。
それでも毎朝目を通す日経新聞の紙面にニデックの会計不正に関するニュースが頻繁に掲載されています。それを目にするたびに心に影が差します。
私の株式投資はトータルではプラスなのですが、それでも「マイナス」はやはり気になります。ニデックやそのカリスマ創業者の永守さんの名前を見るたび、暗い気持ちになることに「修行が足りないなぁ」と思うことしきりでした。
さて今日の本題です。このブログで何度か紹介していますが、私は古い五井先生の会の会報「白光誌」をある方から頂戴し、毎朝少しづつ拝読することを習慣にしています。
先日読んだ1970年2月号の「五井先生が答える人生相談」に「株での損はこう考えなさい」と五井先生から諭していただくような一文が掲載されていましたので、今回はそれを皆さんに紹介させて頂くことにしました。
五井先生への会員からの相談はおよそ次のようなものです。
知り合いが自分にお金を借りに来ました。手元になかったので別の知り合いに頼んだところ「あなたは信用しているが、知らない人には貸せない」と断られました。その時ちょうど以前勤めていた会社からの退職金支払いの通知が来たのですが、その退職金が借金を申し込まれたピッタリの額だったのです。
私は「これは「貸せ」ということだな」と思い込んで、知り合いに全額を貸してしまいました。それが50万円(昔の話でかなり大きな金額)だったのですが、私にも借金がありまして、本当ならその中から10万円は人様に返さないといけないお金だったのです。
その後、家を売ったりして、ようやくその借金は返すことが出来ました。それで「借金を返すことが出来て良かった」と思うのですが、私が用立てた50万円は帰ってきません。
「貸したお金のことなど、上げたものと考えて気にしてはならない」と思っているのですが、それが始終、気になって心が晴れません、五井先生、どうしたものでしょう……というのが質問者の方の相談でした。
その方は生長の家や創価学会、さらに五井先生の会と宗教経験が長く、「こんなに長く修行をし、日ごろは人様に偉そうなことを言っているのに、こんなことで把われの気持ちが出てきて情けない」という思いが重なって、余計に気に病まれ、その気鬱を晴らすため、五井先生に相談されたのです。
さてこれに対する五井先生お答えです。
お金を貸してやって、返ってこないと、まあいいやと思いながらもいつまでも思う。女の人はなおのこと、男はさっぱりしていますが、それでも思います。まして自分は他から借りていて、そのために家を売って返したんじゃ、なおのこといやになっちゃう。しかし、それはこう考えなさいよ。貸した人に前生でうんと借りていたんです。それを今お返ししたんで、本来あなたのものじゃなかった。それならいいでしょ、あぁさっぱりした(笑)。
いや本当の話。借り倒されたりしますのは、必ずその人から過去世において借りているんです。それを返しただけの話であって別に損したわけじゃないんです。
自分の懐に入るお金ならどんなことしたって入ります。入らない金はどんなことしても入らない。きまっているんです。もらう高がきまっている。例えば宝くじで一千万円当った人は幸せでいいと思いますが、一千万円一度にもらっちゃうといい気持になってしまって使っちゃうと思うんです。
一度にもらわないで十万円ずつ毎月もらえりゃそのほうがいい。一千万円もらう運命があったら、一度にもらうより小刻みにもらったほうが余計いい。そのほうが楽です。
あくせくして悪いことまでして稼ぎ溜めたりする人は、必ずあとでなくなっちゃう。正当に自分が働いて自然にもらうのはいいけれど、なにかに当ったり、まして競馬や競輪で当るのは、必ず当った以上に出ていってしまいます。
株式の相場で儲けたのも必ずとられる。なぜかというと、そのお金をもらおうって想いが一杯ついている。そのみんなの執念をもらうわけだから、せっかく入るけれどみんなで引っぱるんだから、財布の中にあったものまで引っぱっていかれちゃう(笑)。
だから競馬や賭けごとは儲かっていいようで損、損して損、やめたほうがいいんです(笑)。人間の想いの世界というのを知らないからで、想いのないきれいな金をもらうのが一番です。会社が社員にサラリーをやるのをいやだ、いやだとは思っていません。想いがなにもない、やるのは当然、もらうのも当然、そういうのがいい。
一番いけないのは悪いことして、人をだましてお金をとることです。それは必ずいつか取られちゃう。今の話も例えば前生で人からだまして取ったのかもしれない。とにかく前の世のことは必ず返ってくる。もし後の世界、あの世(霊界)とか或いはもう一度生まれ変るとしたら、その時にいい幸せな生活をするために徳を積んでおかなければ駄目です。
これで先がないんじゃないんですから。死んだらそれでおしまいじゃなくって、誰でも亡くなっても必ず個生命意識が存続するのですから、あの世で生活するにしても、この世に生まれ変ってくるにしても、今やっていることが結果として現われてくるんです。
現在の生活環境というのは、過去世の結果が現われてきているんです。映画というのは今、上映されているけれども、今映したんじゃないんです。前に撮影してあったもので、撮影したものはそのまま、よかろうと悪かろうと、スクリーン(現在) へ出てくる。
だから撮影して現われて出る前に、悪いところがあったらちょん切って、いいところだけにしていけばいい。過去世の因縁が今現われて映画が映っている。映るのはビデオやフィルムで映ってくるんです。つまりもうやっちゃったんです。もう撮影済みなのです。
で、これから先は撮影が終って映すばかりのものが映って出てくるわけです。だから映ってくる前に、もし悪い場合があったら修正して切らなきゃならない。ところがどういう場面が映ってくるかわからない。明日のことはみんなわからない。
知っているのは誰かというと、守護霊、守護神さんが知っているんです。監督だから後から見ている。「守護霊さん、守護神さんよろしくお願い致します」とお願いしていれば、あぁ、これは映しちゃうとこの子に可哀想だナ、と思えば、ちょんと鋏で切ってくれてつなぎ合せて、悪いところだけ取ってくれるんです。
そうすると知らないうちに悪いところが出てこないし、出てきても小さく済んでいく。
だから私はいつも「守護霊さん、守護神さんお願い致します。私たちの天命が完されますように、って祈りなさい」というんです。未来に出てくるものが、例えば干のものを百に、百の悪いものなら十にしてくれる。全部まけちゃくれません。
全部負けてくれなくても、何十パーセントもまけてくれるんです。守護霊が代りにしょってくれる。いつも守護霊さん、守護神さんお願いします、とやっていれば、撮影しちゃったフィルムでもこの現象界に映す前に直してくれます。
これから撮影する場合は気を付けなけりゃいけません。いいものを撮らなければいけない。そこでいい想いで生活していけば今日以後の生活にプラスしていく。まして来生ではとても良くなる。
現在、お金持で不自由なく、家庭もいいという人があるとするならば、それは過去世でうんと徳を積んでいるんです。今とても美人でいい人があったとすれば、前の世で、優しい想いを持ったのです。そういう人が優しい柔かい、いい顔になるんです。すべて過去の因縁が映ってくるのだから、これから先のことは今の責任です。
現在、現われている病気や不幸も過去世のものだから、どう騒いだって仕方がない。把われることはありません。それは神様にお委せすれば神様のほうでうまくやってくれます。これからの運命は自分で作らなきゃいけません。そのためにも常に明るい愛の深い想いで人のために尽くしいれば、必ずいい世界が後には開けてくる。これは科学的な法則なんですからそれをやればいいわけです。(お話おわり)
私もニデックのおかげでこの質問者の様な「把われ」があり、恥ずかしい話ですが、新聞で「ニデック」「不正会計」の見出しを見るたびに心に影が差していました。そんな時、五井先生のこのお話を拝読して、改めて心がすっきりしました。
このお話しで五井先生は映画を撮影したのは過去で今観ているのは既に撮り終えたフィルムの映像であるということをおっしゃいます。
別のところで五井先生はそのフィルムは心理学で言うところの潜在意識(幽体)で、そこには全てが記録されてあるとおっしゃっています。それがこの世界(スクリーン)に映し出されているのです。
ここで五井先生がおっしゃっていることと同じことをさらに詳細に分かり易くお話になっていることを紹介したことがあります。
それが下のブログです。こちらもご覧いただくと、ここで五井先生のお話にになったことへの理解が進むと思います。
先に紹介した「投影された宇宙」は五井先生がお話の「フィルムと映画」の例を量子力学の世界観から分かりやすく説明されています。ご興味を持たれたら一読をお薦めするものです。
今日はもう一つ五井先生のお弟子で「如是我聞」などの著作でご生前の五井先生のお振舞、お言葉を遺された高橋英雄さんの個人誌「神人」からの一文も紹介します。ここで述べられていることも上で五井先生がおっしゃっていることと同じことです。
以下、2005年の5月号の「積徳のルール」から転載します。
「あの人のために親切にしてやったのに、仇で返した」「あの人のためにしてやったのに、私の悪口ばかり云いふらしている」と泣く人がいます。しかし泣いて嘆いて変るわけではないし、ましてやよくなるわけでもありません。
こうした時、どうしたらいいでしょう? 泣く人といっしょになって、「あの人はとんでもない人ね」とおこり、嘆く人といっしょになって、嘆いたらいいのでしょうか?
それで泣く人の心がいやされ、元気になって立ち直って、また人に親切にしてあげるようになればいいのですが、そうでもないようです。ただ単に同調し、同情しただけでは解決したことには、一つもなっていません。
五井先生は「積徳のルール」を教え下さいました。
親切にしてあげた、人のためにしてあげた、ということは、善行為で、普通では徳を積んだことになります。いいことをして、人に感謝されて、いい報いを受けた、ということは、ふつうではよろこぶべきことですが、積徳のルールによれば、ちょっと違うのです。
いいことをして、いい報いを得ると、それで「いいことをした」ということが帳消しになってしまうのです。いいことをして、いいことが返ってくると、報酬を得たことになり、それでツーペーになって、徳は消えたことになるのです。
いいことをし、恩をほどこしたのに、それ人から仇で返して来られること、悪口を云われることは、自分の中にそれだけのものがあったからで、それを相手の人が拾って下さって、引き出して、背負って下さって、消して下さったのだから、仇で返され、悪口を云いふらされたということは、二重の徳をつんだことになる というのです。
いいことをした。親切にしてあげた、愛情をかけてあげて、尽してあげたこれは光を自分から相手に放った、ということだからプラス1点の得点。
その上に、向うが仇で返して来た、悪口をかえしてきたことによって、自分の業を減らしてくれた、ということだから、プラス2点になるというのです。
恩をほどこして、仇で返される、ということは、二重のプラスになるのだから、悪口を言われるたび、仇で返されるたび、自分の業が減って、自分の本心が早く出てくるのだから「よろこべ、よろこべ」ということです。善行を施して、なんのお返しがない、かえって悪評が返ってくるとすれば、すごい徳を天の倉に積んでいる、ということになるわけです。
「自分はこれだけのことをしてやったのに」などとケチな考えを起さず、相手がどんなことを返して来ようと、それにめげず、出来る限りの善いことを、そのまま続行することが大切です。人のために何かをした時には、本心が光り輝きます。自分の業が消えてゆきます。
人のために何かをしつづけていけば、どんどん本心は光り輝いて来ます。光は大きくなります。
積徳のルールをよく学んでおけば、人は随分、心強く、明るく大らかに生きられるのではないでしょうか? (転載おわり)
(五井先生の「積徳」の書)
ちなみに、ここで「本心」と述べられているのは、神であり仏である自身の「本体」、「本当の自分」ということです。
私たちの人生はそこに至るためのロールプレイイングゲームのようなものです。
さらに、今日書いたことの関連する記事を以下のブログにも書いていましたので、こちらも紹介しておきます。
ご興味あればこちらもご覧ください。
以上、今日の記事が読者の皆さんのお役に立つものであれば幸いです。
世界人類が平和でありますように





