見えざる神の手とは
今日のテーマ、「見えざる神の手」は、英国の思想家、アダム・スミスが『 国富論 』で述べたことに対して後世の人が名付けた言葉です。
経済学者でもあった彼は「市場には個々人が利己心のままに利益を追求、行動しても需要と供給のバランスをとる自動調整メカニズムが働き、社会全体は発展を続ける。」としました。
この自動調整メカニズムを「見えざる神の手」と表現したのです。これはDNA研究の世界的権威で筑波大名誉教授でいらした村上和夫先生が複雑精緻なDNA構造に「something great(何か偉大なるもの)が働いたとしか思えない」とおっしゃったことに通じます。
そして、そういった不思議な力の働きは私たちの日常生活の中でも感じることがあります。それを心理学者カール・ユングは「シンクロニシティ」と表現しました。
この言葉は「共時性」と訳されますが、「虫の知らせ」のような一見して因果関係がない出来事が類似性や関連性を持って現れる現象を指します。
要は「ありえないような偶然」を起こることがシンクロニシティです。
ここで一つ私がごく最近聞いたシンクロニシティの例を紹介しましょう。それを体験した人のことも知っています。今年のGWの森美智代さんの断食合宿の参加者のTさんです。
Tさんはフィレンツェ在住の日本女性です。彼女は今回の帰国中に、友人から聞き森美智代さんの断食合宿のことを知って「絶対行きたい!」と申し込みました。しかし、あいにく既に満員。それでも「キャンセル待ちは出来ます」と言われたので、キャンセル待ち登録をしました。その時、既に4人のキャンセル待ちの方がいました。
実はそれに先立ってTさんは身内の方が遺された遺作のお披露目会開催を考え、京都在住のモザイク作家の親しい友人と相談し、ゴールデンウィークの2日間、上賀茂神社近くのギャラリーを予約していました。
合宿のキャンセル待ちを申し込んだものの、前に4人のキャンセル待ち。合宿はムリだろうと思い、お披露目会の友人との約束はそのままにしておきました。ところが、そのキャンセル待ちの4人の方が次々とキャンセル、Tさんがギリギリのところで参加できることになったのです。
それでTさんは友人との個展開催を「またの機会に」ということにして勇んで合宿に参加されました。
一週間の合宿の終盤です。参加者が車に分乗し、45分ほどのところにあるパワースポット「益田岩船」を訪れる機会がありました。
合宿後半のパワースポット訪問の「行き先」をそもそもTさんは知りませんでした。
その「益田岩船」(上写真の巨石 巾11メートル)でのことです。森さんが巨石の神様と交流し七福神祝詞を奉納、森さんのリードで参加者全員が巨石を取り囲み、大きく手を広げ巨石を抱きしめました。Tさんはその日に個展を開く予定だった友人の事を想っていました。
なんとその時、その友人がその場にやって来たのです。お互い、そこに行くことを知らないのにです。Tさんは号泣してしまいました。その出会いに、目に見えない力の働き、運命的なものを感じたからです。
合宿前半は私も講師役で参加しており、Tさんとは私のブログのアイコンにしているフィレンツェのウフィツィ美術館所蔵、ミケランジェロの「聖家族」のことをお話したのでTさんのことはよく覚えています。
その合宿ではこのような偶然の一致、「シンクロニシティ」の事例やそれが何故起こるかもというお話しもしたので、Tさんには一層印象深い体験だったのでしょう。
ここで合宿で紹介したシンクロニシティの例を紹介します。
下は英国の数学者で統計学の権威、デイビッド・J・ハントさんの著作で、この本には「ありえない偶然の一致」、「シンクロニシティ」の例がたくさん紹介されています。
以下はこの本の冒頭で紹介されている名優が体験したエピソードです。同著よりの転載します。
1972年の夏、ジョージ・ファイファーの小説『ペトロフカの少女』(角川書店)の映画化作品で助演を務めた俳優アンソニー・ホプキンスが、原作を買いにロンドンへ出かけた。
だが、市内のどの大きな本屋へ行ってもあいにく一冊もなかった。それが帰る途中、地下鉄のレスタースクエア駅で電車を待っていたとき、隣の椅子に本が捨て置かれているのに気がついた。それが『ペトロフカの少女』だった。この話には続きがある。
後日、原作者と対面したおりにホプキンスがこの奇妙な成り行きの話をしたところ、ファイファーが関心を示した。というのも1971年11月、ファイファーはこの本を友人に貸した。その一冊はアメリカ版の刊行に向けてイギリス英語をアメリカ英語に直すための書き込みが入っていた唯一の本だったが、友人がそれをロンドンのベイズウォーターでなくしていたのだ。
ホプキンスがさっそく書き込みを確かめてみると、手持ちの本はファイファーの友人がどこかに置き忘れたまさにその本だった。そんなことが起こる確率はどれくらい?
100万分の1? 1億分の1? 不審が頭をもたげてくる。あの本をホプキンス経由で巡り巡ってファイファーのもとへと戻すような、私たちのあずかり知らない力なり影響なりが絡んだ説明がありそうに思えてくる。(転載おわり)
この本にはユング自身のシンクロニシティの事例や興味深い「偶然の一致」例が多く紹介されており、「読み物」としても実に面白い本なので一読をお薦めします。
2度の同着1位
これを書きながら16年前に話題になった「ありえない偶然の一致」を思い出したので、ここで共有します。下はそれを報じる2010年5月23日の日経新聞のオンライン記事です。
見出しは「同着で始まった新たなライバル物語 競馬オークス」。記事冒頭には「死力を振り絞るようなゴールから約12分後。 写真判定の結果が『同着』と伝えられると、2頭の関係者は誰彼なく抱擁をかわし、ラグビーのノーサイドを思わせる光景。2人並んでのインタビューで、アパパネの蛯名も、サンテミリオンの横山典も『負けなくてよかった』と口をそろえた。」とあります。
競馬には詳しくありませんが、「オークス」というのは中央競馬の最高格のレースであるG1の一つです。このニュースが注目を集めたのは、そのG1で2頭が同着1位になるのは史上初だったからです。
しかしこの話にはもう一つ印象的なサイドストーリーがありました。
実はこの記事の2人の騎手、蛯名正義さんと横山典弘さん(下オークスの2人の写真)は、さかのぼる18年前の1992年の帝王賞でも大接戦の末、同着1位を起こしていたのです。
帝王賞はダートレースでGI級だそうです。この2人の騎手はG1級の大きなレースで二度の同着1位を起こしていたのです。それが起こる確率はいったいどれくらいでしょうか。私はこの2人の騎手のライバルとしての古(いにしえ)よりの因縁因果に思いを馳せずにいられませんでした。
さてシンクロニシティの事例を三つ紹介しましたが、過去のブログでも私自身の体験などを紹介し、思うところを書いてきました。その中から三編を改めて紹介しておきます。シンクロニシティに興味をお持ちの方は以下もご覧になることをお薦めします。
シンクロニシティが起こる理由
なお、先に「森さんの合宿ではシンクロニシティが何故起こるかも話している」と書きましたが、それも簡単にここにまとめておきます。
冒頭「シンクロニシティは心理学者カール・ユングによって見出された」と書きましたが、ユングについては解説の必要はないでしょう。フロイトと並ぶ、あるいはフロイト以上に心理学に巨大な足跡を遺した心理学の泰斗(たいと)です。
日本におけるユング心理学研究の第一人者である河合隼雄さんは下の著書の中で、フロイトとユングのアプローチの違いをおよそ次のように述べられています。
フロイトはノイローゼに代表される精神的疾患の原因を個人の生活史の中に求め、その原因をハッキリ意識することで患者は癒されるとしましたが、ユングはその見解を認めつつも、それだけでは精神疾患すべてを癒すことができない、としました。
何故ならユングはそのアプローチでは治療できない精神分裂症の患者を診ることが多かったからです。
それを述べた上で河合さんは「ユングは分裂病者のような深い問題をもつ患者に接しているうちに、人間の『たましい (die Seele) 』ということを考えざるを得なくなった。」と述べられています。
さらに河合さんはこう続けます。「ユングは『たましい』を宗教ではなく、あくまで心理学として研究しようとした。すなわち彼は、固定した方法や理論、つまり儀式や教義を確定するのではなく、個々の場合に応じて現れる現象を観察、記録しようと試みたのである。(中略)
彼がたましいの現象について見出したもっとも大切なこととして、共時性 (syn-chronicity)を上げることが出来る。それを端的に言えば、たましいの現象には因果律によって把握できぬものがあるということである。それは単なる『偶然』とは言えないものだった。」
また河合さんは、この本の中でユングのシンクロニシティ研究の背中を押したのはアインシュタインであると次のように書かれています。
「それまでも「意味のある偶然の一致」と呼ばれ、そこに何らかの意味を考えさせられるような「偶然」は存在した。それが起こる原因への考察が自身の研究と精神病治療に役立つのでないか、と考えるようになったユングは、まだ充分に考えのまとまらないまま、この考えのその一端をアインシュタインに話をした。その時アインシュタインは、『それは極めて重要なことだから必ずその考えの発展を怠らないようにせよ』とアドバイスしたという。そして、このアドバイスがユングの背中を押した。」
ここにある「『意味がある偶然の一致』が起こる原因への考察」がユング心理学の基盤である「集合意識」(共通無意識層)や元型(アーキタイプ)への道を開きました。
GWの森さんの合宿講話ではこのようなことを紹介し、シンクロニシティについて私なりの解説を行いましたが、ユングが発見した集合意識がシンクロニシティの背景にあるのは疑いないと言えそうです。
先に紹介した過去ブログ「セレンディピティとシンクロニシティ」で、私自身がロシアで体験したシンクロニシティのエピソードを紹介しましたが、それに驚いたロシア人通訳の「横井さん、奇跡ってあるんですね!」という言葉に、「世界は奇跡で出来ているんだよ」と返したことを書きました。少々芝居じみてはいましたが、これは心からの思いでした。
今日ここで紹介しているような事例は「奇跡」のような「特別な体験」ですが、冷静になって考えれば私たちの人生そのものが「奇跡であり特別な体験」であることに気がつかないでしょうか。
シンクロニシティは決して特別ではなく「日常」です。この父がいて、この母がいて、日本に生まれ、ここに自分がいる。家族がいる、友人がいる、仕事がある、様々な人間関係がある。それらはすべて「シンクロニシティ」である、というのが私の実感です。
今日取り上げたような「際立ったシンクロニシティ」はそのことを私たちに知らせるために起こっている、というのが私の思いなのです。その気になって観察すればそれに気付く機会は無数にあります。
長くなっていますが、ここで私たちの人生そのものが「奇跡であり」、「特別な体験」であることを考えさせられる話を紹介しておきます。
私たちが存在している「地球」と「宇宙」のお話です。下はそれを紹介してくれるアメリカの物理学者ミチオ・カクさん著の「パラレルワールド」(2006年刊)です。
この本は2006年刊。副題に「11次元宇宙から超空間へ」とあるように量子学、多元宇宙(マルチバース)の解説書です。20年近く前に読んだのですが、この本の第8章「設計された宇宙」にある「宇宙の偶然」という話があります。カクさんは次のように語っておられます。やや長文ですが以下に転載します。
設計された宇宙
私が小学校低学年のときに先生がなにげなく言ったひとことで、どうしても忘れられないものがある。「神様は地球をとても愛していらしたから、太陽からちょうどよく離れたところに置かれたのですよ」
六歳だった私は、その話の単純さと威力に圧倒された。神が地球を太陽からもっと遠くに置いていたら、海は凍りついていただろう。逆にもっと近くに置いていたら、海は蒸発していたに違いない。だから先生にとって、神は実在するばかりか、慈しみ深かった。地球を心底愛していたからこそ、太陽からちょうどよい距離に置いたというわけだ。これに私は大きな衝撃を覚えた。
今日、科学者は、地球が太陽に対し「ゴルディロックスゾーン」に位置しているといった言い方をする。ゴルディロックスとは童話『コルディロックスと三匹のクマ』に登場する少女の名で、クマの家に迷い込んだ彼女がスープやベッドの寝心地を確かめてみて、父グマや母グマのものは合わず、子グマのものが両者の中間でぴったり合ったということから、ちょうどよい塩梅(あんばい)の譬に使われる言葉だ。
もし地球が太陽からもっと離れていたら、地球は火星のように「凍てつく砂漠」となり、荒涼たる不毛の地表で、水、あるいは二酸化炭素までもが、凍結してしまっているだろう。火星の地表の下でも、じっさい永久凍土と呼ばれる凍ったままの水を含む層が見つかっている。地球がもっと太陽に近かったら、金星のようになっていただろう。
金星は地球とほぼ同じ大きさだが、「温室効果の惑星」として有名だ。この星は太陽に近く、大気の主成分が二酸化炭素なので、太陽のエネルギーを吸収して温度が摂氏480度にもなる。だから金星は、太陽系で平均的に見て最も熱い惑星なのである。硫酸の雨が降り、地球の百倍もの大気圧をもち、猛烈に熱い金星は、太陽系で最悪の惑星かもしれない。その原因は主に、太陽までの距離が地球より短いからなのだ。
私の小学校の先生がした話を、科学者なら人間原理(※)の一例と言うかもしれない。
自然法則が、なんらかの大がかりな設計によって決まっているのか、それともたまたまそうなっているだけなのかという議論は、昔から多くなされているが、とくに近年は激しさを増している。(※人間原理とは「たまたま」であるという考え方)
それは、生命や意識の存在を可能にする「偶然」が非常にたくさん見つかっているためだ。一部の人は、これこそ神が生命とわれわれの存在を可能にするように自然法則を作った証拠だと言っている。一方、われわれが一連の幸運な偶然の産物であることを意味するにすぎないと考える科学者もいる。いやひょっとしたら、インフレーションやM理論(※)がもたらす結果を信じれば、さまざまな宇宙からなるマルチバースが存在するということなのかもしれない。(※量子力学の先端の仮説)
この議論の複雑さを理解するために、まずは地球上の生命を存在可能にしている偶然を考えよう。われわれのいる場所は、太陽との関係でのゴルディロックスゾーンであるだけでなく、ほかのさまざまな点でのゴルディロックスゾーンでもある。たとえば月は、地球の動きを安定させるのにちょうどよい大きさをしている。もしも月がずっと小さかったなら、地球の自転のほんのわずかな摂動が何億年もたまる結果、地球は激しくよろめき、気候が大きく変化して生命は存在できなくなる。コンピュータ計算の結果、月が十分大きくなければ、数億年のあいだに地軸が90度も傾く可能性があることがわかっている。
現在、DNAが誕生するには、数億年にわたって気候が安定していなければならないと考えられている。だから周期的に地軸が傾く地球では、気候に破滅的な変化が起き、DNAは誕生できなくなる。幸運にも、実際の月は地球の動きを安定させるのに「ちょうどよい」大きさなので、そうした悲惨な事態にはならない。火星の月は小さくて火星の自転を安定させられない。そのため、火星は現在、ゆっくりと不安定期に入りつつある。過去に火星は、地軸が45度も傾いていたのではないか、と天文学者は考えている。
地球の月はまた、わずかな潮汐力によって、年に約4センチメートルの割合で地球から遠ざかっている。およそ20億年後までには、遠ざかりすぎて地球の自転は不安定になってしまう。それは地球上の生命に破滅をもたらすだろう。
今から数十億年経つと、夜空に月がなくなるばかりか、地軸が倒れてまったく違う星座が見えるようになるかもしれない。すると地球の気候はとんでもないものになり、生命は存在できなくなる。
ワシントン大学の地質学者ピーター・ウォードと天文学者ドナルド・ブラウンリーはこんなことを書いている。「月がなかったら、月光はなく、月日の月もなく、Lunacy(狂気)という言葉もなく、アポロ計画もなく、詩は今より少なく、世界は毎晩暗いことだろう。さらに、月がなければ、鳥も、セコイアも、クジラも、三葉虫も、はかの高等生命も、地球を彩らなかったに違いない」
また、われわれの太陽系のコンピューターモデルから、水星の存在が地球の生命にとって幸運であることも明らかになっている。水星の莫大な重力が、小惑星を太陽系外へ放り出すのに役立っているのだ。
かつて、45億年前から35億年前までおよそ10億年にわたる「阻石の時代」に、太陽系の誕生時から残っていた小惑星や彗星のかけらが「片づけられた」。水星がもっと小さくて、重力がずっと弱かったなら、太陽系は今も小惑星だらけで、地球に生命は存在できないに違いない。小惑星が頻繁に海に飛び込んで、生命を滅ぼしてしまうからだ。したがって、水星もやはりちょうどよい大きさなのである。
われわれの住む惑星の質量も、ゴルディロックスゾーンに収まっている。地球がもう少し小さければ、重力が弱すぎて酸素をとどめておけなくなる。反対に大きすぎると、原初の有毒ガスの多くが残りつづけ、生命は存在できない。地球は、生命に有利な大気組成を維持するのに「ちょうどよい」重さなのだ。
われわれの惑星の軌道も、ゴルディロックスゾーンに収まっている。なんという偶然か、冥王星を除く惑星の軌道はどれも円に近いため、太陽系で惑星の衝突はほとんど起こりえない。それゆえ地球は、巨大なガス惑星に接近して重力で軌道を変えられることがない。これもやはり、数億年は安定した期間が必要な生命にとって都合がいい。
さらに、地球は天の川銀河のなかでもゴルディロックスゾーンに位置している。銀河の中心から縁までの3分の2の距離にあるのだ。太陽系がブラックホールのひそむ銀河中心に近すぎると、強烈な放射線を浴びてしまうため、生命は存在できない。一方、銀河中心から遠すぎると、重い元素が十分に存在せず、生命に必要な元素ができない。
地球が無数のゴルディロックスゾーンに収まっていることは、いくつも例を挙げて示せる。先ほど紹介したウォードとブラウンリーは、われわれがあまりにも多くの制約すなわちゴルディロックスゾーンのなかで生きていることから、地球上の知的生命は銀河系で、いや、ひょっとしたら宇宙でも唯一の存在かもしれないと言っている。
じっさいふたりは、地球の海やプレート運動、酸素濃度、熱容量、地軸の傾きなどが、知的生命を生み出すのに「ちょうどよい」量であることを、見事なリストにまとめて提示している。これらの威しい制約を、ひとつでも地球が満たさなかったら、われわれがここでこうして議論していることはないだろう。 (中略)
宇宙の偶然
われわれの惑星で生命が誕生するには、数億年にわたって比較的安定した環境でなければならなかった。しかし、数億年ものあいだ安定している世界を作るのは、おそろしく難しい。まずは原子の成り立ちから説明しよう。
原子を構成する陽子は、中性子よりわずかに軽い。そのため中性子は、いずれは崩壊し、低いエネルギー状態を占める陽子になる(質量とエネルギーは等価の関係にあるから)。もし陽子が今より1%でも重かったら、崩壊して中性子になるため、原子核は不安定になって崩壊するだろう。原子はばらばらになり、生命は存在しえなくなるのだ。
生命の存在を可能にしている宇宙の偶然には、陽子が安定で、崩壊して陽電子を生み出さないというものもある。実験から、陽子の寿命がまさしく天文学的な時間で、宇宙の寿命よりはるかに長いことが明らかにかっている。そして、安定なDNAができるためには、陽子が少なくとも数億年は安定でなければならない。
「強い力」(※)が今より少しばかり弱かったら、重水素などの原子核はばらばらになり、宇宙のさまざまな元素が恒星内部の元素合成でできることはないだろう。また反対に少しばかり強かったら、恒星が核燃料を急速に使い果たし、生命が進化する余裕はない。
「弱い力」(※)の強さを変えてみても、やはり生命が存在できないことがわかる。弱い力によって相互作用を起こすニュートリノは、超新星爆発でエネルギーを外へ運ぶのに欠かせない存在だ。そのエネルギーは、鉄より重い元素を生成する役目を果たす。
(※素粒子間に働く相互作用には4つの力があり、重力、電磁力、強い力、弱い力の4つ、これが相互に作用して、物質、宇宙が成立している)
もし弱い力が今より少しばかり弱かったら、ニュートリノはほとんど相互作用せず、超新星爆発でも鉄より重い元素はできないだろう。逆に少しばかり強かった場合、ニュートリノは恒星のコアからうまく逃げ出せず、やはりわれわれの体や世界を形成している重い元素が生成できないことになる。
科学者は、そうしたいくつもの「幸運な宇宙の偶然」を列挙している。この膨犬なリストを前にすると、なんと宇宙に存在するおなじみの定数の多くが、生命の存在を可能にする非常に狭い範囲に収まっていることがわかる。
このような偶然のたったひとつが変化するだけで、恒星ができなくなり、宇宙はばらばらになり、DNAが誕生しなくなり、われわれの知る生命は存在できなくなり、地球が横倒しになったり凍りついたりしてしまうのだ。天文学者のヒユー・ロスは、これが実に驚くべき状況であることを強調しようと、大竜巻がくず鉄置き場を襲った結果、ボーイング747ができあがってしまったようなものだと言っている。 (転載おわり)
この最後のヒュー・ロスさんの「大竜巻がくず鉄置き場を襲った結果、ボーイング747ができあがってしまった」は、「あり得ない偶然の一致」を示すもっとも過激な?表現で、私の脳裏に強い印象を残しました。
こんなありえない偶然に、「見えざる神の手」または「偉大なる何者か」の働きがある、と思うのは私だけではないでしょう。
長くなっていますが、もう一つ面白い本を紹介します。右は住友銀行出身で、関西アーバン銀行頭取の伊藤忠彦さんが「パラレルワールド」と同じ年の2006年に刊行された「宇宙が味方する経営」です。
この本の第一章の章題は「現実の背後にある大きな力に気付く」です。この「背後にある力」は即ち「見えざる神の手」「偉大な何者か」です。そこに次のような記述があります。以下同著、第一章よりの転載です。
昔の日本人は、「山川草木悉皆成仏」という考え方をしていました。 道ばたの草木も石もすべてに魂が宿り、生きている。だから大切にしなければならないと考えたのです。今は物質がすべての時代ですから目に見えるものしか信じません。でも、少し昔まではそうではなかったのです。では、目に見えるものとは何でしょうか。私は何でも原理的に考えるのが好きです。
少し物質について考えてみましょう。物質はもとはエネルギーだと考えられています。エネルギーが物質化するためには、ひとつの設計図みたいなものが必要になってきます。たとえば身近な例でいくと、どこかの大学に入りたいという意志を持つとします。そうすると具体的にどういうふうにしたら入れるかという情報を集めます。そして努力して、希望の大学に入ったという結果が出てきます。 会社でも、自分の会社をこうしたいと願います。時価総額をいくらにしたいとか、そういう意志、想念です。そのためにそれを具現化する手段を作っていくのです。
そう考えると、私たちの目の前にある現実は結果の世界となります。まず想念の世界があって、そしてその結果の世界が現実の世界です。またその先には新たな想念の世界があるでしょう。因果応報というのは、これを表しています。
いい結果をもたらすためにはいい想念がまず大事です。想いの方向が間違っていたら、間違った結果が出てしまうのです。実はこの想念の世界は原因の世界とも呼ばれます。その原因の世界にはもう一つ「目的の世界」というものがあります。原因を作る目的です。何のためにその原因を作ろうとしているのか。
目的、原因、結果というふうに言うのですが、本当は目的の世界は五次元の世界、原因の世界は四次元の世界、結果の世界は三次元の世界というふうにわけられています。つまり目的の世界は神の世界に、原因の世界は霊・想念の世界に存在するということになります。(後略 転載おわり)
この本は銀行トップが書いた「経営書」ですが、述べられている原因と結果に関する考察は非常にスピリチュアルであり、同時に科学的です。ここにある5次元や4次元の高次元世界の存在は先の「パラレルワールド」にあるように科学的に証明されているからです。そのことも先月のブログに書きました。そこでは多次元世界の投影がこの現実世界であるということを述べています。
さらに続けてこのブログを書きました。
これらの中で伊藤さんがおっしゃっている「想念の働き」、それをより良きものに導く「守護の神霊の働き」について書きました。伊藤さんは先の一文の中で「霊の世界」と「神の世界」を書かれれていますが、「想念の働くところ」が伊藤さんの言うところの「霊の世界」であり、「守護の神霊の働く場」が、伊藤さんが言うところの「神の世界」とも言えそうです。
ちなみにこのことは先に紹介した河合隼雄さんの「ユングが『たましい』の存在とその働きを考えざるを得なかった」という言葉に通じるものでもあります。ちなみに伊藤さんには「宇宙が味方する生き方」という先の著書の続編があります。こちらも良書ですので、一読をお薦めするものです。
さて今日のブログで言いたいことです。
伊藤さんは「いい結果をもたらすためにはいい想念がまず大事」とおっしゃっています。想念こそが「創造の源」です。
もちろん私にとって一番いい想念は「世界人類が平和でありますように」です。また世界平和の祈りにある「守護霊様、守護神様ありがとうございます」も「宇宙を味方にする」ための大事なキーワードであると思いました。
よって、もし読者の中にまだこのお祈りをなさってない方がいらしたら、
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が全うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
という「世界平和の祈り」を日々の習慣になさることをお薦めするものです。
それが皆さんの人生を「宇宙が味方する生き方」に導くと信ずるからです。
最後に今朝の小さなシンクロニシティを紹介し、本稿を閉じます。毎朝拝読している五井先生の会の会報に次の文章がありました。以下1970年6月の五井先生の法話「宗教理念と実生活」の結語です。
やがては眼に見えぬ力 (守護神、守護霊)が、日々我々の身辺で働きつづけていることのはっきりわかる日が来るのであります。宗教理論、哲学理論をもてあそぶよりは、世界平和の祈りをなし、守護の神霊への感謝を念じたほうが、どれ程自己のためになり、世界人類のためになるかは、今に判然としてくることを、私は明言致します。
世界人類が平和でありますように (五井昌久)













