体験談③守護の神霊の働き、「人間万事塞翁が馬」とその後のこと | Yokoi Hideaki

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前回の続きです。前回書いた山本印店の店主、桃仙先生からのアドバイスを得て、改めて「人間万事塞翁が馬」のことわざは「その通りだ」と思いました。
社内での孤立や社長とのぎくしゃくした関係、更に役員退任など、当時の私は客観的に見れば、悪い方へ、悪い方へと歯車が回っているように思えました。

それを桃仙先生は「あなたは良い方に、良い方に運ばれている」と教えて下さいました。
悪い方ばかりに考えが巡っていた当時、そうは思えませんでしたが、前回書いたように後々振り返れば本当に「良い方向」に向かっていたのです。

「人間万事塞翁が馬」は、「人生における幸不幸は予測しがたい」という中国の故事に基づいたことわざですが、ご存知ない人の為、ここで紹介します。

中国の北のある国に占い上手な老人が住んでいました。その国の北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。
ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。逃げた馬は高く売れる良い馬で、近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。
「このことが災いにならないとも限らないよ。」
しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞を襲撃してきました。城塞の若者はすべて戦いに行きました。城を守ることができましたが、多くはその戦争で死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

※「塞翁」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味で、正しくは人間は「じんかん」と読み、世間を意味する言葉です。

この故事は幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという意味ですが、目の前の不幸に見える事態にした右往左往した自身を振り返ると、このことわざが実に正しいと思い当たります。

さて、前回の続き、顛末です。
「相談から2度目の誕生日を迎える前のことです。桃仙先生の言われた外資との問題が起こります。その結果、創業者の子息、二代目社長は退任を余儀なくされることになりました。」と書いた記事の続きです。

(再編集中)

この間の出来事でCEOのやり方に反対された創業者一族からの依頼もあり、私なりに骨を折りましたが、苦い思い出ばかりです。そのころやり取りした資料は優に5センチくらいの厚みのもので、まだ手元にあります。

もしこの事態に当事者、役員として巻き込まれていたら、と思うと冒頭にも書いた桃仙先生の「あなたは良い方に、良い方に運ばれている」という言葉、また今日のブログのテーマである「人間万事塞翁が馬」は本当だ、と思わざるを得ないのです。そして、目に見えない守護の神霊の守りは私にとっては実感なのです。

その後も桃仙先生からは訪問ごとに温かい、また勇気づけられるアドバイスを頂きました。

例えば取引先(指導先)についてのアドバイスを求めた時です。その時に付き合いがあった会社の社名を上げて、どのように付き合えばよいか尋ねたところ、先生のアドバイスは「あなたは頼まれたことだけしていればよい。あなたから離れていったり、あなたが見放したりする会社はいずれダメになるから」で、これには自信を持てました。


この経験は守護の神霊の存在への確信をますます深めさせてくれたのは言うまでもありません。
五井昌久先生(写真)は守護の神霊についてこのように教えて下さっています。



神は愛である。愛であるから、守護神を我らにつかわし、守護霊を任じて、人間世界の悪因縁を消滅し去ろうとしているのである。守護霊を信じ、守護神を想い、神に感謝しなければ、いくら因縁の転回や、心の法則を知ったところで、人間は永久に救われない。

こちらが知っても知らなくとも、守護霊はただ、黙って人間を守っていてくれる。夢などはその顕著なるものである。夢は何故見るか、この問題は世界の学者が種々と研究をつづけているのだが、いまだに、はっきりとわかっていない。夢とは人間の業因縁の消滅する姿である、と私はいう。想念は必ず現われる。この法則は動かしがたい法則である。この法則のままに、想うことがそのままこの肉体界に現われたら、この人生は、もっともっと以前に滅びていたに違いない。
何故ならば、肉体の人間の心を奥底まで解剖すれば、愛は情に流れて執着となり、恨みは恨みを重ね、悲しみは悲しみを追い、闘争心は常に戦火を絶やさず、情慾業火は至る所に燃えひろがり、殺傷事件は眼に触れるあらゆる箇所に展開されていることは明らかである。

夢も守護霊の尊い働き
この業念の感情を、肉体脳髄の念の休止している間に、巧みに夢として肉体世界と離して、画き出してしまうのが守護霊の偉大なる一つの仕事なのである。現われれば消えるのが想念の性格であるので、夢として画き出されてしまえば、その想念は消えてしまう。

肉体世界に現われた場合は、その現れが、また頭脳にキャッチされて、再び同じ想念を幽体に記録してしまうが(それでも現われれば幾分ずつか、消えてゆく。)、夢の場合はその想念が巧みに戯画化されていて、いったいなんの想念であるか判然としないので、醒めた後人で、いくら肉体頭脳で思ってみても、その夢に現われた想念は再び幽体に記録されることはない。その想念は夢によって一度断ち切られるので、業因縁がそれだけ消えたことになる。


五井先生は、夢はこの肉体界(現世)に表れるべき悪想念を夢という形で顕し、消してしまう守護霊の守護の働きだとされて、更にこのようにおっしゃいます。

たまたまはっきり憶えている夢もあるが、守護霊が予知的に、その人に示す夢(霊夢)以外は、その夢の画が、やはり、その想念の内容を察知できぬように描いてあって、判然としない。
フロイトという精神分析学者は、この夢をすべて性欲(リビドー)の現れと解釈していて、夢に現われる物質、風景、氏名等によって、それぞれの内容を解剖しているが、私の述べていることとはまるで異なる解釈で、人間の救いには、あまり役立たぬものと思う。

判然としない夢は、そのまま判然とさせる必要はないので、ただ、簡単に、自分の悪想念が肉体の悪い運命となって現われるのを、守護霊がその夢と現わして消して下さったのだ、と感謝すればよいのである。このことを知ることは大きな救いになると思う。

この守護霊の働きは真に感謝しなければならぬものである。守護霊は霊界、幽界、肉体界と三界を通して働ける者なので、幽界において、できつつある運命、あるいはすでにできあがって、時間の経過につれて自然に肉体界(現界)の運命として現われようとする悪想念の結果(因果)を、あらゆる手段をもって、その人間の運命として現われぬように修正してゆく。

以前ブログで紹介した散歩時のストーカー呼ばわり事件で紹介した消えてゆく姿の考え方も同じですが、悪因縁はいずれかの形で顕われなければ、消すことはできません。

そのエピソード、体験を以下に再掲載します。
私の実家は大阪府枚方市にあります。病気の母の見舞いに実家に帰った時のことです。私の習慣は朝の散歩で、その朝も近隣で小一時間の散歩を楽しんでいました。
その帰り際です。前を歩いていた四十歳くらいの男性からいきなりストーカー呼ばわりされたのです。
前を歩いていたと言っても、私は脇道から彼の歩いている道へ出たばかりで、ほとんど出合い頭に近い言いがかりでした。私は何のことかわからず、一瞬絶句しましたが、彼は「ずっとついてきている」「何かうらみがあるのか」「いい加減にしろ」などと一方的に罵声を浴びせかけてきます。
もちろん初めて会った男性でしたから、理不尽に対して反論しましたが、彼は聞き入れません。
その日は仕事があり、余り時間を取るわけにいかないので、どなる彼を振り切って、帰路につきました。幸い彼は追っては来ません。

帰宅するまでほんの5分ほどでしたが、男性を振り切った直後は理不尽な彼への怒りで頭に血が上り、心拍数も上がっていたのですが、家に着くころにはすっかり気持ちが穏やかになり、彼への感謝の気持ちすら湧いてきました。
なぜそのように心境が変化したのかですが、それはこのように考えることが出来たからです。

人生で起こることには必ず原因や理由があります。さっきの理不尽なストーカー呼ばわりにも理由があるはずだと考えていたら、あれは「消えていく姿」だったという事に気がついたのです。
おそらく私には誰かと争い、もしかすると怪我でもするような因縁があったに違いありません。原因があれば必ず結果が生じます。その現れるべき因縁をたまたま通りがかった少しおかしな男性からの言いがかりという形で表して、小さく、消してくださったに違いない、ということが理解できたからです。
「消してくださった」としたのはそこに守護の神霊の働きを感じたからでした。
私はこの事を真実そうであったと思っていますが、それを置いて物事をどう受け止めるかという事が大事だと言い換えても良いです。

バシャールと消えてゆく姿
チャネリングで有名なバシャールの言葉に「whole situation is neutral」(すべての状況は中立である)というものがあります。これは「ワクワクを追いかける」と共に初期のバシャールのチャネリングの中核的な概念です。
その意味するところは「起こっていることに意味はない」、「意味を与えるのはあなた自身だ」、という事です。バシャールは出来事にどういった意味を与えるかの「選択」が人生を豊かにもするし、貧しくもする、ということを教えてくれています。

これは出来事に常識、思い込み、習慣などで勝手な意味づけをしてはならない、という事ですが、消えてゆく姿の「消えてゆくものを再びつかんではならない」に通ずるものです。

いつもそんなことが出来るわけではありませんが、この朝、幸いにも私は怒りを感謝に置き換えることが出来ました。だから家に帰るまでの数分、ずっと心の中は神様、守護霊への感謝で満たされていました。


守護霊の働き方
このように過去の因縁因果、想念行為の結果を小さく顕して、消してくださるだけでなく、夢も顕れるべき運命を「消えてゆく姿」にする守護霊の働きであるというのが五井先生が教えて下さっていることです。
更に守護霊の働きのあり方を次のようにも教えて下さいます。

いったいどういう風に守護霊が運命を修正してゆくかというと、種々の方法がある。
例えば、転覆した汽車に乗るべきを、忘れ物をして乗り遅れたため、生命の危機を逃れた。
という場合、物を忘れた、この忘れ物に守護霊の働きがあるので、守護霊の念がその人の肉体頭脳に働きかけ、その人の頭の回転を瞬間的に阻止して物を忘れさせるのである。

また他の人を使って、自分の守護する人間を助ける場合もある。例えば、ある人が、何か急に友人Aを尋ねたくなり、別段に用事もないのに、急用でもある気持で、その友人を尋ねる。と、友人A一家は、事業に失敗して、今まさに一家心中の手前であった。驚いたその人はその友人の為に早速一肌脱いでやることになった。この場合、Aの守護霊はAを助けるため、Aと波長の合う友人のある人に思いを送り、Aの家へ引き寄せたのである。この友人なら、Aを救ってくれる、ということを、守護霊ははっきり知っているのである。
この二つの例のようなことが、常に人間世界の生活の上に起っているのである。


五井先生は守護の神霊の働きがどのように行われるかの例を上のように紹介し、人間はその働きにどのように応えるべきかをこうおっしゃっています。

守護霊はその被守護体の眠っている時から醒めて働いている時、休んでいる時、いついかなる時間にも、この人間を守りつづけているのである。そして、この人間の発する悪想念の蓄積を浄めるために、たゆまざる努力をつづけているのである。もっとも、肉体界(現界)の救いとしては、この人間にでき得るかぎりの努力、経験をさせつつ、いざという時に助けるのである。

ここで、大いに考えなければならぬことは、守護霊にとって、一番働きやすい、肉体人間の状態は、常に守護霊のほうに心を向けていてくれることである。守護霊の存在のいかに重大であるかを知って、常に守護霊に感謝を捧げている子孫ほど、守りやすい肉体はないのである。もっとも守護霊の生前の氏名など知る必要はない。守護霊が懸命に、浄めの念を肉体に送っても、その肉体の心が、全然他を向いて、一向に守護霊のほうに心を向けなければ、守りにくくて仕方がない。


この部分は前にも紹介しました。守護の神霊への感謝の念がその守りを一層強く、確かなものにする、という事です。
だからお墓参りや仏壇に手を合わせることには意味があります。
お墓や仏壇の中にご先祖や守護霊がいらっしゃるわけではありませんが、そうすることでより本気になって感謝をささげることが出来ます。また一種のアンテナが立っていると考えても良いでしょう。

守護神の働き
そして、その尊い働きを知らず、守護している対象者が一向に守護霊の方に心を向けない時に、守護霊はどうするかをこのように教えて下さっています。

やっと眠りの世界に肉体が入った時、無心になった肉体脳髄から、悪想念の蓄積(その時々の因縁)を夢として消すことより仕方がない。
そこでこうした人を守るためには、先程の二例のように、他の人に送念して、他の人から注意や、助太刀をしてもらうことにする。この時の相手は、必ず過去世において、守護霊同志、または、肉体人間同志が、因縁浅からぬ者でなければ駄目なのである。

しかし時には、その被守護体の人間が、あまりにも業因縁が深く、迷(無明)で分霊の光をほとんど覆ってしまっている場合には、いかに守護霊が全力を挙げて浄めたり、奔走したりしても、通じない。仕方がないので、守護霊は、守護神に救援を願うのである。
すると守護神はこの願いを聞き入れて、大いなる神の光を、その肉体人間に放射する。この光は業因縁を通して、分霊に通じ、分霊の光の力が増してくる。この時、なんとなくこの肉体人間の心(脳髄)に宗教への関心が湧いてくる。この場合、たんにご利益信心的な心であるかも知れない。それでもよいのである。この人間にとっては、その気持の起ったことが、一歩も二歩もの進歩なのである。その時、守護霊は、その機会を逃がさず、その人間に適当する宗教に、その人間を導くのである。

また、ある場合は、守護神の光によって、一挙に幽界に転出してしまうことがある。いいかえれば、急死してしまうことがある。それは、そのほうが、この人間の進歩に都合が良いからである。


厳しいお話ですが、守護される当人に一向に自覚が生じず、これ以上地上にとどまっても進歩がない、運命の修正がままならない場合は、死によって、運命の修正が可能な世界に転出、移行させることもある、ということです。そして、このようにおっしゃいます。

以上のように守護霊は肉体人間と一つになって、人間を善導しているのである。人間が、自己の運命を改善し、幸福になりたいとするならば、ただ、守護霊に自己の運命を委せればよい。守護霊さん、ありがとうございます、守護神さん、ありがとうございます、神様、ありがとうございます、と常に感謝していればよい。
この心が神への全託なのであり、守護霊の活躍を充分にさせる一番よい方法なのである。
この心でいれば、その人の行動はおのずから、調和した整ったものになり、生活は楽しく楽になるに決まっているのである。


中々、このように思い切ることはできないかもしれませんが、私はこのブログで紹介している自身の経験から、五井先生のお話は「その通り」だ、断言できます。

迷った時の対処法
また五井先生はもし迷った時は守護霊に尋ねなさい、とこのようにおっしゃっています。

もし迷う事柄があったら、心の中で守護霊さんを呼びながら、その裁断を願えば、必ずなんらかの形で、その答をしてくれる。それは前に述べたように他の人に逢って、その人の口から聞かされるかも知れぬ。あるいは、ピンと直感的にひらめくかも知れぬ。ただ、この場合、前者なら、最初に逢った人であり、後者なら、最初の直感、第一直感が、その答である。
その答がいかに、現在の自分に都合が悪いように思えても、それは後によくなる方法に違いないのである。それを信じなければならぬ。第二直感で出てくることは業因縁の答であるから、よくよく注意せねばならぬ。


私はもう一つ、迷った時は氏神様のおみくじを引いたら良い、というアドバイスをすることがあります。その時は守護霊への感謝を念じながら、想いながら引くのです。
その場合、内容が大事ですから、吉凶に動じず中身をよく読んでみたらよいと思います。そこにヒントがあるはずです。

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霊性心開発の方法②「The Power Of Now」エックハルト・トール

霊性心開発の方法③エックハルトトールと中村天風師

霊性心開発の方法④五井昌久先生「老子講義」より

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