天風師が説く「5つの心」① | Yokoi Hideaki

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5つの心
久しぶりに前回の続きです。中村天風師は人間には物質心、植物心、本能心、理性心、霊性心の5つの心があるとされました。
ここからは一つ一つを天風師の言葉を紹介し、簡単に解説します。

天風師は5つの心の説明の冒頭で、こうおっしゃっています。
「さあそこで、心です。一口に、心、心といっても、その働きのうえからみると、大まかに区別しても二色ある。一つは、肉体に属している心。それからもう一つのほうは、精神生命に属している心。だから、心といっても、このどっちかしらの心が、心を動かす心理領域にでて、そして我々にいろんなことを考えさせたり、思わせたりしているんです。たった一色だけが、あなた方の思い方や考え方を決定しているんじゃない。一色だけで思ったり、考えたりするんなら、人間、何にも心というものに苦労しないで、穏やかに心を統御できるんだけれど、そうじやない。「心こそ心迷わす心なれ、心に心、心許すな」というような歌を感心せざるを得なくなるんです。」

「そこで肉体に属している心、精神に属している心をさらに細かく分けていくと肉体の方が3つ、精神のほうが2つある。肉体の方は物質心、植物心、本能心の3つで、精神の方は理性心と霊性心です。物質心は、物のすべてに存在している物の芯を為しているものがそれです。どんなものにも芯というものが有る。金平糖を作るとき芥子粒が芯になっている。そして物質心は心を動かす精神領域までは飛び出してこない。この世に生まれるときは先ず最初にこの物質心が最初に出てきて、最後死ぬ時もこれが留まり、これが無くなるときに、あなた方の体は水になっちまうんですが、物質心は敢えて理解しておく必要はない。理解しないといけないのはあとの4つです。」


5つの心の説明です。心には肉体に付属した心が3つ、精神に属した心が2つあるとし、一つ一つ判りやすく解説して下さっています。

物質心と植物心
最初の物質心とは目に見えないけれど物質的な存在の芯になっているものです。
現代の言葉でいえば物質の大元の素粒子のようなものを指しています。
難しく言うならこの3次元世界に存在するための最も基本的な素材、芯です。そして天風師は物質心とは何かは難しく考えず、放っておけばよい、とおっしゃっています。
そして大事なのは残り4つの心だとして、2番目の「植物心」をこのように説明されています。

「第2の植物心、これは活動的な心ではあるけど、これも意識領域には出てこない心なんだ。そしてこの植物心があるから、このお互いの五臓六腑はこの植物心の命令で動いているんだ。これら肉体を保つ働きを司っているのが植物心。隠れたる縁の下の力持ちのような存在です。褒められなくとも一生懸命働いているから、とても形容出来ない尊い心だ。植物心は何も直接的に我々の大脳が監督しなくても、どんな不精な人の植物心でも、命を保つ作用は忠実に勤勉に働いているけれども、ここに忘れてならない大事な注意がある。それは、あなた方の大部分の、何かといえばすぐ怒ったり、悲しんだり、恐れたり、憎んだり、そねんだり、ねたんだり、断えたり、悩んだり、苦しんだり、迷ったりするような心になると、あなおそろしい、植物心に大きなショックが与えられる。すると、ふつうにしておけば極めて完全に働いてくれる植物心、ならびにその支配を受けている自律神経の仕事がちっともはかどらなくなってしまうんです。」

植物心は自律神経系を支配している心だ、と言われています。
ウィキぺディアでは自律神経を「末梢神経系のうち植物性機能を担う神経系であり、動物性機能を担う体性神経系に対比される。」と説明しています。
私たちは手や足を意識的に動かせても、心臓や胃腸など内臓の活動を意識的に動かすことはできません。動物のように動きまわりはしないけれど、生物として存在する植物に例えて、この心を植物心と呼ばれています。
また天風師は「心と体の密接な関係」についても話されています。現代ではストレスが病気の原因になっていることにもはや疑いはありません。過度なストレスが免疫力を低下させ、内臓諸器官の働きを弱めてしまいます。
天風師は怒ったり、悲しんだり、恐れたりすることの弊害をこのように述べてらっしゃいます。これは天風思想の中でも大事なところなので、少し長くなりますが紹介、解説します。

「理想的な人生を生きるうえで、注意のうえにも注意をしなきゃならないことは、「怒っていけないこと」と、「悲しんでいけないこと」と、「恐れていけないこと」なんです。これの逆をのべつまくなしに、日々やっているのが、あなた方の日課だ。変なことがディリーベースになっていますよ。怒ったり、悲しんだり、恐れたり、悶えたり、憎んだり、迷ったり、悩んだりして、いちばん肉体を健康に丈夫に生かそうとするところの血液を濁してしまっているんです。こういった消極的な感情がフワーッとでるでしょう。コントロールしないと、いきなり交感神経系統がフーッと異常興奮を起こす。それと同時に、腎臓の上にある副腎の中から、アドレナリンという化学系物質が発生するのであります。アドレナリンは何のために発生するかというと、ハッと驚いたり、カッと怒ったりしたときに、各種の破壊作用が知らない間に細胞組織の中に生じますから、その生じる破壊作用を防ごうがための自然現象なんだが、ここなんだ、注意すべき問題は。そういういい目的をもつたものでも、分量が増えちまうといけないの。どんないいことでも、たとえば栄養物が大変これはいいからというので、それじゃあと、そいつを仰向いて歩かなきや歩けないほど食ってごらん。体によくないだろう。このアドレナリンが、いわゆる発生過剰の状態になるとね、そりや恐ろしいいろんな結果がくるんです。一番先に抹消動脈がキュッと収縮するんであります。収縮すると同時に、血液の循環障害というものが起こってくる。円満に血液が巡回しなくなる。そして恐るべき問題は、血圧が上昇する。同時に、それを繰り返しやってると、血管硬化が早くくる。」

ここでは心が血液の循環に影響を与えることが説明されています。血液とは肉体を働かせるためのガソリンであり、潤滑油ですから、この循環に障害が生じる状態が続くと、肉体の働きを著しく損ねることになります。更に問題はその血液そのものにも生じます。

「それから二番目には、アドレナリンが生産過剰になると、糖分が増加して、血液が酸性化しちまう。この血液の酸性化というのはおっかないんだ。血液というものは弱アルカリ性、学問でいうと、純正アルカローシスというのが理想なんであります。どういうわけで糖分が増加するかというと、カッと怒ったり、ハッと驚いたりするとね、肝臓の中の糖原質がブドウ糖に変化してしまうんです。ブドウ糖に変化して、このブドウ糖が、必要なところに流れてくれていればいいけど、組織の中にも入ってくる。このブドウ糖が、バクテリアに抵抗する血液の抵抗力を弱いものにしてしまう。さあここだ。病原菌を束で食おうが、この抵抗力があったら菌に侵されやしない。結局要するに抵抗力の薄弱な人間になっているから、その原因がどこにあるかと言えば、「心の使い方」なんであります。」

これが血液の酸性化による免疫力の減退です。このように心と体との関係が実に科学的に述べられています。
天風師は明治、大正、昭和に活躍された方ですが、ここで仰っていることは最新の免疫学の知見、例えば免疫学の権威である新潟大学名誉教授の安保徹さんなどの主張とも重なっています。また他の講演では血液の酸性化の原因に、恐怖や不安など心の消極化と共に肉食を上げられています。これについては、また別の機会に紹介したいと思います。

さらに天風師は心が消極化することで起こる肉体的な現象として肝臓障害を上げられます。

「科学的に言うと、心が消極的になると一番先におっかない現象は、循環器障害。血液が循環する血管の中にいろいろな変化が起こるから血圧が高くなったり、そうかと思うと反対に血圧が低くなったりする。そうしてさなきだに、血管の中をことごとく値打のないごく悪い血液が流れているから、その結果がどうなるかというと、臓器障害です。人間の体のなかに生命を生かしていくのに必要な、肝臓、脾臓、脖臓、腎臓、いろいろ臓と名のつくものがあるでしよう。その五臓六腑の働きが鈍っちまうんです。それで、臓器障害の中でもいちばんおっかないのはですね、肝臓障害なんです。肝臓の中の糖原質の分解というものが異常充進されると、糖分が体の中へ増えちまうんだ。」

そして、天風はその肝臓障害に起因する糖尿病について語られます。

「このなかに医者もいるから良く耳を澄まして聞きなさい、お医者さん。あなた方、糖尿病の患者に会うとすぐ砂糖をよけい食べちやいけないとか、インシユリンの注射でもすれば糖尿病は治るというふうに思っているのがあなた方の学校で教わった医学だ。それで治りますか、糖尿病が。治ると思う医者があったら手をあげてごらん。そうすればそうするほど、ちょうど流れる水をただ一時的につっかえ棒して、通せんぼしているだけの結果でしよう。食い物の糖分を食べちゃいけないって言いながら、精神方面でしょっちゅう糖分を余計に出していれば、結局、何にもならない。」

いくら糖分を制限しても、心がクヨクヨと消極的であったり、怒ったり、悲しんだりしていたら糖分を自己生産していて、何もならないという事です。
そこで天風師ご自身がかかわった糖尿病の治癒例を紹介されます。

「牛久の津久戸にだれでも知っている有名な焼酎星がありますね。あそこの息子が糖尿病にかかった。品川の海岸に別荘をもっていて、とにかく空気がいいっていうんでそこで養生しているときに私が呼ばれて行った。行くと、私にはお茶菓子が出るんです。その患者はね、お茶も飲まなければお菓子も食べないんだ。それも子供だ、十八、九の男の子でした。」

その青年に話を聞くと菓子は医者に禁じられているから食べない、甘いものと辛いものは厳禁と言われていると、いう事でした。そこにやってきた医師との間で次のようなやり取りがなされたそうです。

「それからもうひとつ、伺いたいんですが、砂糖分を食べちやいけないとおっしやったそうで?」「ああ、いかんです。尿のなかに糖があるから」「ああ、そうですか。しょっちゅう神経過敏にして、おどおどしてる気分もっていれば黙っていても肝臓の中の糖原質の分解が異常昂進していますから、砂糖分食わなくたって自家製造の糖分はどうなさるんです?」「そりやあ、どうもしようがないです」「しようがないっていうのは、つまり、防ぐ手がないから、それで死んじまうのはどうでも勝手にしろっていう言い草ですか」「乱暴な言葉で言えばそうなるんでしょうが、とにかくできるだけ甘いものを食べさせないようにしています。」

「ああそうですか。じゃあねえ、ひとつ何も感情の争いでなく、お互いの患者をとにかく治そうっていう気持ちから、私の提案を長い間でない、たったひと晩だけ採用してくれませんか」「何です?」「この菓子をね、この少年に食べさせてみようじゃありませんか」「いやっ、それはもってのほかです」「だって、ひとロ食わせるぐらい何でもないじゃないか。そのぐらいのこと、あんた、そばにくっついていて看護してやることできないですか?」

「それは責任負えません」「あっそう。それじゃよろしい、俺が責任を負うよ。おい、坊や、この餅菓子食えよ。大丈夫だ、俺が引き受けるから。それで、どんな変化が起こるかっていうことをひとつやってみよう。おめえ、食いてんだろう、甘いもの好きなんだろう?」「ああ、とっても好きなんだ」「とても好きなら、我慢しねえで食え。好きなものを我慢して食わずにいるんじゃ、そのほうから糖分がよけい出るわ。食べな、食べな。大丈夫だ、俺がついてるから」安心ていうものは大きいものだね。ほんとからいったら医学上障るであろうように思われる生菓子を一つぺロリと食べちまいやがって、まだ一つ食いたいような顔してるから、「これも食いな」って……。」


天風師は糖尿病で食事制限している青年に生菓子を二つも食べさせたというのです。そしてその結果です。

「そうしてあくる日、その医者と立ち会いで検尿したら糖分はありゃしない。だからどんなに食養生しても精神的な方面が安定していなければ、いわゆる肝臓外の糖原質の分解という自家現象で糖尿病は治らないんです。ましてや、インシュリンを注射するなんていうのは、金とりながら患者を毒殺しているのと同じなんだ。時計の機械が止まったからって、針の先で歯車を押しているのと同じこと。手を離せばすぐ止まっちまうじゃないか。とにかく、神経反射の調節をしないと、感情や感覚からくる心のうける再反射作用によって、えらい損害が生命に招きよせられちまうんです。」

天風師はこの例を通じて病気治療はこの精神面の立て直し、心の積極化なしには為しえないこと、またそこに気づかず、西洋医学的な対症療法を施すことはむしろ害になることもおっしゃっています。実際に慢性病を医師が治すことはできません。現代医学は慢性病には無力で、表面的には病院で治して貰ったように見えても、実際は患者が自分で治しています。風邪と同じです。風邪も現代医学では治療法がありません。医師がやっているのは風邪の症状の緩和ですが、それによって早く治るものが余計に時間がかかったりするのです。
この患者自身の「治す力」を強めるのが心の積極化です。

3つ目の心、本能心
だから、何か事があるたびにクヨクヨしたり、怒ったり悲しんだりする習慣からいかに抜け出すかが、文字通り物心両面、肉体精神両面の幸せにとって重要なのです。「病の時は病を忘れよ」は天風師がよくおっしゃった言葉ですが、意味するところはそういう事です。
天風師は心を積極的に保つための秘訣を次の本能心の解説の中でおっしゃっていますので、先に進みましょう。本能心の説明です。

「第3の肉体に付随している本能心。本能心というのは肉体を生かすために、常に意識領域に出て活動している心です。人間だけでなく、生きとし生ける動物はみんなこの心をもっているんです。生きるのに必要な働きをおこなっている心だから、動物心ともいいます。この本能心というものは、盛んに意識領域の中にあらわれて、我々の命を生かすために必要な要求というものを、遠慮会釈なく心にあらわして活動している心です。なにしろ肉体を守るために造物主が与えてくれた心で、これがなかったら、腹のへったのだってわかりゃしない。本能心があなた方の肉体生命の中に栄養となるべき物質の欠乏を感じたとき「お腹へってるぜ。何か食わねえか」ということを、あなた方の大脳へ合図する。だから、これがなかったら日干しになって死んじまう。」

「眠くなって寝ようとするのも本能心。性欲、これもまた、系統を相伝する必要上、すべての生物に存在している本能心であります。この食欲、睡眠欲、性欲の三つのどれかしらんが少しでも衰えてきている人は、失礼ながら焼き場の方へ向いている人ですよ。ほとんどの人が、年をとると、どうも若い者ほどは食えなくなっちまうし、睡眠欲だって、もうしょっちゅう目ざとくなって、朝なんかとびきり早く目が覚めちまうし、朝早く目が覚めなければ、夜しょっちゅう、ちょこちょこ目が覚めるし、夜ちょこちょこ目が覚めなきゃ、もう宵っ張りで、いつまでも眠くならない。まして性欲のごときは、現代人は哀れなやつが多い。もう六十歳ぐらいになると男も女も浜辺の軽石みたいになっちゃってる。笑いごとじやないんだよ。これ、まじめに考えなきゃだめなんだぜ。」


このように天風師は食欲等の人間の基本的な三つの本能的欲望を上げて本能心を説明されていますが、更に低級な感情想念も元は本能心から出ていると次のようにおっしゃいます。

「だから本能心は必要な心だけれど、階級の低い感情というのも本能心からでてるんです。つまり、憎いとか、ねたましいとか、ねえ、やきもちをやくとか、かたき討ちせずにおくか、というような心持ちだ。これを「不要残留本能心」と言っています。人間の本能心の中には、祖先時代の人間が生きるためには必要だったけれど、今の現代のお互いが生きるには必要でない、極めて階級の低い本能心が、整理されないままで残っているんです。これが、おそろしく長い名前をつけている「不要残留本能心」であります。この不要残留本能心も本能心からでてるんですけれど、いきなりは意識領域にはでてこない。本能心から感情情念の方へ毒汁のようなものを流しこんで、感情情念の領域から発作的に出てくる。あなた方の感情の大部分は不要残留本能心なんですよ。この本能心のほうから流された毒汁のようなものが、あなた方の感情情念の領域に入ってパッパッパッと火花のように朝から晚まで活動しているんですよ。みだりに人を羨んだり、怨んだり、あるいは嫉妬、猜疑、復讐というような低劣な感情情念や、度はずれの淫欲とか分をすぎた所有欲、なんかの自己本位の欲情をやたらと発動させているのが、現在のあなた方だ。だから、本能心というのは、我々の生命に欠かせない、非常に大切な心ではあるんだけど、その中にこの不要残留本能心があるがために、あなた方に反省より以上の内省を促したい心なんです。」

ここで「不要残留」とおっしゃっているのは人間の進化、成長の中で退化して消えていくべき不要なものがまだ残っている、というほどの意味でしょう。
本能心は必要だけれど、人間としての成長につれて退化消滅していくべき不要物の嫉妬心、猜疑心、復讐心などの低級な感情想念をこのように呼んでいるわけです。
繰り返しになりますが、これは本来人間的な成長の過程の中で小さくなり、そして消えていくべきものです。

天風師は不要残留本能心の害を天風師の主治医であった青山医師の例を上げて次のように説明されています。青山氏は当時世界的にも有名な医師であったそうです。

「青山先生は実に患者を診ることにかけては、日本一だったけれど、自分自身を診るに少し下手だった。たいへん偉い先生だったけれど、一つ残念なことがあった。これは神経過敏な人に良い手本になる話だ。この先生がもう口癖に「おれはねえ、中村、死ぬんなら心臓麻禅か脳溢血で死にたいなあ」というから、変なこと言うと思ってね。これだけの人が死に方の注文するんで、「何が一番お嫌です?」と聞いたら、「癌、癌にはかかりたくねえ」って。それが癌で死んだんですよ。それも本当の癌でない、にせ癌で。要するに、不要残留本能心を完全に統御しきれないでいると、人間というものはちょっとしたことで神経力過敏になっちまって、あんな死に方をするんだと思いましたよ。」

青山医師は心配性で、「癌で死にたくない」と常々口にしたそうです。「癌で死ぬかも知れない」という取り越し苦労と神経過敏が青山医師の生命を奪ってしまいます。

「六本木に病院をもってる額賀は、私と同じ青山先生の弟子なんだ。あるとき額田がね、「ねえ、おい、中村、先生、クレィブス(癌)にかかってるようだぜ」と言って来たんです。「うそだい」「いや、ご自分でおっしやったよ、この間」「そうか、おれにはまだ何にも言わねえけど」「いや、今度、中村が来たら言うって言っておられた」「おまえ、どう思うんだ」「どうもねえ、さわってみろっていうからね、胃のとこだよ。みぞおちのちょっと上のところだ。さわってみたらね、あるんだよ、ツモール(腫瘍)が」「あるか。へえー」それから今度ね、私のほうから言ってみた。「先生、額賀から聞いたんですけど、何かお体に……」「うんうん、とうとうやられた。真性のクレィブスだ。さぁ、手を出してみな」そうするとね、拳の半分ぐらいの塊がある。今ならねえ、すぐそれが何だということがわかるんだけど、その時分にはまだ医者の「い」の字にもなってないときだろ。「さあ、こういうのが癌かいな」と思ったよ。ただ、そのとき気がつくことが一つあったんだけど、それが素人ななんでわからなかった。こうやつて押さえると、「痛い」というんだ。痛いというところをみると癌じゃねえ。癌なんてものは、そうむやみに、さわったぐらいで痛むはずがないしだから。そのうちに、だんだんだんだん、癌と同じようにやせていって、そしてね、あるとき先生が吐いた吐しゃ物を見たんで、うわあ、これはいよいよ真性のものだと思いましたよ。それで、間もなく七十一歳で死にました。」

このように青山医師は亡くなるのですが、実は癌ではなかったことが判ります。

「死後解剖してみると、胃の中にできてたんじゃないんだよ。肋骨の外のところの内側に向けて、摩擦によって生じた脂肪溜、脂肪溜というのは脂肪の塊だよ。それが内側に向けてできてるだけだ。それはねえ、癌になりやせんか、癌になりやせんか、しょっちゅうこうやって気にしていたためなんだな。本人が癌だ、癌だ、癌だ、頑として頑強に癌だという。どこまでも胃癌だと思ってるから、そうでなくて死んじゃって間に合わねえ。額田と二人でもってね、死骸を見ながら、神経というものは恐ろしいなあと、つくづくそのとき思った。どうだい、胸にピーンとくる人いないかい。「私は心臓が弱いから、心臓麻痺で死ぬんじゃなかろうか」とか、「血圧が高いが、脳溢血じゃないか」なんてしょっちゅう気にして、神経過敏になっている人がありやせんか。一世の大家たる、あれだけのえらい医者でさえそういうことになるのも、本能心の中にそういう事を気にする良くないものが残っていたためなんだ。」

これが不要残留本能心の怖い作用です。取り越し苦労は勿論のこと、事実であっても恐怖、不安、猜疑、嫉妬などの不要残留本能心は心を消極化させ、肉体の上にその影響が及びます。そこで、天風師は不要残留本能心の掃除法を次のように教えて下さっています。

「だから、本能心の中の掃除を怠らず行う事だよ。それがいつも言っている三つの方法なんだ。観念要素の更改、積極観念の養成、神経反射の調節。これは一生懸命にやらないといけない。潜在意識のお掃除なんだから。それと日常の言葉や態度に気を付けることも大事だ。それからもう一つ必要な方法は、低級な欲望や劣等感情情念がヒョイ心の中に発動してきたなと思ったらね、ソリロキズムというのをやってもらいたい。日本語に訳すと「つぶやきの自己暗示法」と言いましょうか、ソリロキズム。何も口にブツブツ出さなくていいんですよ。それは、心知ったる人の前なら構いませんけれど、知らない人の前で口でブツブツ言うと、おかしいな、この人、気でも違ったかなと思われるからね。要するに、観念でひとりごとを言えばいいんですよ。それを否定するつぶやきを心の中でやればいいんです。「こんなことに腹が立つか。こんなこと悲しくない。自分はそれより以上すぐれた心の持ち主だ」というふうに、自分自身が一人でつぶやくのを、ソリロキズムというんです。これがまたばかに効き目があるんですよ。」
力の誦句
不要残留本能心の除去法
不要残留本能心の除去には観念要素の更改、積極観念の養成、神経反射の調節の3つを行うことを勧められています。これを判りやすく言えば潜在意識に刷り込まれている消極的な観念や思い込みを本来あるべき積極的なものに置き換えることです。

その一つの方法として、ここではソリロキズムを上げられています。これは「つぶやき暗示法」ともいうべきものです。消極的な心にとらわれたな、と思ったら直ちに独り言のようにこれを否定する積極的な言葉をつぶやくのです。簡単なことですが、これを習慣化すると潜在意識の固定観念を良いモノに入れ替えることが出来、人生全般に著しい効果があると断言されています。
もう一つは積極的な視覚イメージを心に描くことです。

「終わりにもう一つ、不要残留本能心の整理に非常にいい効果のある方法があります。これは、方法というより、心がけかな。それはね、ちょっと気のつかないことかもしれないけれど、平素努めて心の中でおこなう想像を積極的なものにするようにする。あなた方は普段、何か自分の人生の将来や現在を考えるときに、暗い方面からのみ考えていやしませんか。もう体の弱い人なんかが、ようやく六十歳ぐらいまでなるというと、とくに夜の寝際にくるらしいな、変な気持ちが。「とても天風先生ほど生きられやしない。こうやって、とにかく生きていられるのがどのくらいかしら。もうそう長いことはないじゃないかしらん」とか余計なことを考えちゃう。そうすると、ついそれは、何事に直面した場合でも、心の中に描く画像といおうかね、描く一つの絵が、薄暗いものになるんだよ。それをやめる。始終、心の想像の花畑は百花繚乱たるものにしなきゃいけないんだよ。それもやはり習慣ですよ。のべつ心がけていると、何事に直面しても、心はいつも明るいほうからばかりそれを見るようになりうるんだからね。」

「だから、この前も言ったとおり、人間はね、暇なときがあるんだから、たとえ二分でも三分でも、そういうときは静かに、気が散らないように目をつぶりながら、自分の楽しめるような、喜ぶような想像を心の銀幕の中に描くということが必要なんだ。よろしいか。哲学的に考えなきゃいけないんだよ。これは貴重なことなんですぜ。たとえよしんば、現実どんな病にかかっていようと、どんな悪い運命にいようと、心がそこから離れてるときは、それがあっても、なきにひとしいということを、あなた方は考えなきゃだめなんだよ。その証拠には、今日、明日死ぬという病人でも、グッと前後も知らず寝てるときは、その人はもう重病人じゃありませんよ。感覚的に何にも感じてないんだ。いわんや、悲惨な境遇の中にいても、自分の気持ちの中に、ある時間内だけは晴れやかな気持ちをもたせりゃあ、その時間内だけは晴れやかであったということになるだろう。すべてキヤンセルした後のトータルを見てごらん。こういう非常に幽玄微妙な哲学的な消息があるということを、まず第一番に悟らなきゃだめなんだよ。それが結局、つねに心を積極的にしっかりと保っていく秘訣なんであります。」


この視覚イメージ法も意識して、習慣的すると積極観念を養成し、運命好転の素晴らしい効用があります。

ただ、これらのことは簡単ではありません。常に意志の力を働かせないといけません。相応の精神力も必要です。しかしこれらのことを意志力で習慣化するプロセスの中で不要残留本能心が徐々に消えていくんだ、と天風師は力説されています。

「それでは、本能心を統御、監督するものは何かといえば、それは「意思の力」であります。人間の本体である霊魂の中から出てくる意志の力が、本当にこれらを監督する権能を持っているのです。意思を渙発せしめるには、そのカギを握っている心というものにその主体性を発揮せしめないといけない。それには何を置いても心を積極化しないといけない。」

ここで、意思の力とそれが出てくる本体の霊魂について語られていますが、これについては、後述します。次は4番目の心の「理性心」です。天風師はこのようにおっしゃっています。

4つ目の心、理性心
理性心は人間だけに与えられた心で、物の良し悪し、間違い、正しいを見分ける心です。おのれが考えていることが間違っていると、正しいことだという事を判断してくれる心です。ところが、この理性心だけを標準とし,これに頼って生きると思い違いをすることになる。理性で判断したり、統御したりできることは限られているうえに理性心は一日一分と同じ状態でいないんです。おととい考えたことを今日考えたら違っていたという事がありゃしないかい。要するに理性というものは向上し、発達し、変化するからです。その変化も一方向ではない。だから変転極まりない発達性を持っている理性を標準にして生きようとする計画は、狂っているコンパスを当てにして航海するようなものなんですよ。」

常識的には「人間は理性によって生きねばならない」というようなことを考えがちですが、天風師はむしろ理性の頼りなさをここで指摘されています。またこの理性心と本能心の葛藤が煩悶や懊悩を生む元凶である、と次のようにおっしゃっています。

「そもそも心の中にある煩悶とか失望とか、悲観などというのは9割9分、整理されない本能心と理性心との相克、衝突によって生じるんです。あなたがたの現在はしょっちゅう本能心が占拠する、そうすると理性心が見るに見かねて、チョクチョクと横槍を入れる。そうすると本能心が「余計なことをするな」と食ってかかる。そこで理性心がまた居丈高になってつかかっていく、こんな状態です。理性心というのは、早い話がなんの力もなく、ただ小理屈をこねて、ベラベラさみだれ小言を言い続けている家庭教師みたいなものです。本能心の方は、始末におけない、親のいう事を聞かない、わがままな子供みたいなものです。理性心では本能心は統御できないんだよ。」

天風師はこのように理性心では本能心を統御できないと言われます。又仮に理性心で本能心が統御できたにしろ、その理性心は誰が統御するのか、ということも別の講演でおっしゃっています。理性心にも間違いがあるからです。否、よく間違いを犯すのも理性心です。

そこで、本能心は勿論、始終間違えている理性心をも正しく導き、統御することが出来るのが5番目の心、霊性心であると天風師は教えて下さるのですが、このあたりでブログの文字数が超過しますので、この霊性心については、以下に分けて掲載します。

天風師が説く「5つの心」② 霊性心とは

参考記事

霊性心開発の方法①五井先生の易行道


霊性心開発の方法②「The Power Of Now」エックハルト・トール

霊性心開発の方法③エックハルトトールと中村天風師

霊性心開発の方法④五井昌久先生「老子講義」より

霊性心開発の方法⑤ 五井昌久先生と中村天風師の教えの要諦 「潜在意識の大掃除」

世界平和の祈りの行じ方

「病や不幸とどう向き合えばよいのか」① 中村天風師と五井昌久先生の教え

「病や不幸とどう向き合えばよいのか」② 甲田光雄先生と舩井幸雄先生、そして世界平和の祈り

「病や不幸とどう向き合えばよいのか」③ 病気の原因と対処法

その他 当ブログ記事一覧