受験生の皆さん、東大入試の問題にチャレンジした高校生の皆さん、お疲れ様でした! 

こちらのサイトでは、大学受験塾の国語講師・吉田裕子が個人的に作成した2020年東大入試の古文・漢文の現代語訳を公開しています。

復習などにお役立てくださいませ。

2020年 東京大学国語「古文」 現代語訳

 興福寺の壹和僧都は、修行も学問もどちらもでき、才智が比類なかった。最終的には世間を離れて、外山(現・奈良県桜井市の外山(?))という山里に住み続けた。その昔、維摩会講師の役目を望み申し上げたが、予想外に、祥延という人に先を越されてしまった。「どんなことも前世からの宿命で決まったことだから(仕方がない)」と自分の気持ちをなだめるけれど、その恨みはこらえ難いと感じたので、興福寺にいて仲間と議論を交わす生活を離れ、諸国放浪の修行の旅に出ようと思って、弟子たちにも、こうだとは知らせないで、本尊や持経だけを竹の笈に入れて、ひそかに三面のを出て、春日大社に詣でて、泣きながら、いよいよ最後の法施という法施を捧げ申し上げたような壹和の心中は、とにかく想像してやるが良い。そうはいっても、住んできた寺も離れるのが嫌で、慣れ親しんだ友も捨て難いけれど、決心したことなので、行き先をどことさえ決めず、何となく東国の方に行くときに、尾張国の鳴海潟に着いた。

 潮の引くタイミングをうかがいつつ、熱田神宮に参詣して、何度も法施を行ううちに、異様な雰囲気の巫女が来て、壹和に対して言うには、
「お前は恨みの残ることがあって、本寺を離れて彷徨っている。人の習性として、恨みには耐えられないものなので、(そういうことをするのも)もっともだけれど、自分の心に叶わないのが、この世の友というものだ。陸奥国えびすの城へ(でも逃れよう)と思うとしても、そこにもまた薄情な人がいたら、さてどこへ行こうか、いや、どこにも行けまい。急いで本寺に戻って常日頃の望みを叶えるのが良い」
とおっしゃるので、壹和は頭を垂れて、
「思いもよらないことをおっしゃるのだなぁ。こうした乞食修行者に何の恨みがございましょうか、いや、何の恨みもないでしょう。あるはずもないことである。どうしてこんな風におっしゃるのでしょうか」
と申すときに、巫女は大いにあざ笑い、
「蛍の火のように、隠しても隠れないものは、自分の身からあふれ出ている思いなんだなぁ」
という歌占いを出して、
「お前は心拙きことに私を疑うのか、いや、そんなことがあってはならない。よしそれなら事情を言って聞かせよう。お前は維摩の講師に関して、祥延に先を越されて恨みを抱いているのではないか。例の講師というのはだな、帝釈宮の金札に書いてあるのだ。その順序はすなわち、祥延・壹和・喜操・観理とあるのだ。帝釈の札に書いてあるのも、これは前世からの導きであるに違いない。私の仕業ではない。早く早く憂いを落ち着けて、本寺に帰るのが良いのだ。和光同塵は結縁の初め、八相成道は利物の終わりであるので、神といい、仏というのは、その呼び名こそ違うが、(神も仏も)どちらも同じく衆生を憐れむことは母が子を愛おしむかのようである。お前は無情にも私を捨てるというが、私はお前を捨てないで、こうやって大切に思い続けたことを示したのだ。春日山の老骨がこんなところまできて既に疲れた」
といって、天に上がりなさったので、壹和は畏れ多さ、尊さは並々でなく、心から仰ぎ慕う感激の涙を抑え、急いで興福寺に戻った。

 その後、次の年の講師になることを達成し、四人の順序はちょうど神託と同じだったという。
 

2020年 東京大学国語「漢文」 現代語訳

 于公は県の獄史(裁判担当)であり、郡の決曹(裁判担当)であった。裁判の判決は穏当で、法律を犯した当人も皆、于公の判決に関しては恨むことがなかった。

 東海に孝婦(親孝行な婦人)がいて、彼女は若くして寡婦(未亡人)となり、子はいなかった。姑の世話には大変きちんと取り組んだ。姑は嫁を再婚させようとしたものの、嫁はずっと受け入れなかった。姑が隣人に語ったことには、
「孝婦は私に仕え、非常に骨を折っている。彼女が(私の亡き息子との間に)子供もいないのに、未亡人の立場を貫いているのを見ていて悲しんでいる。私はもう年老いており、若い人を長年苦しめることは、どうしたらよいか、いや、どうしようもない」
と。その後、姑は自分で首をくくって死んだ。姑の実の娘は、役人に対し、
「婦(亡き息子の妻=孝婦)が母を殺した」
と告げた。役人は孝婦を逮捕した。孝婦は、姑を殺していないと否定した。役人が取り調べをした結果、孝婦は自分で事実を曲げて服役した。裁判の書類が役所に上げられた。于公が考えたことには「この婦人は姑を十年余り世話してきた。孝行者との聞こえを踏まえれば、絶対に姑を殺してはいまい」と。太守はそれを聞き入れず、于公は彼とこの件を争うも、結局聞き入れてもらうことはできなかった。そこで、その裁判の書類を抱いて役所で慟哭した。それで、病ということにして職を辞して去った。太守はとうとう罪を決め、孝婦を殺してしまった。
 
 その郡の地は三年間日照りに見舞われた。次の太守が来て、日照りの理由を占いで調べていた。(そのとき)于公が言うには、「孝婦が死罪に当たらないのに、前の太守は強引にこの人を処分した。日照りの原因の罪はもしかしたらここにあるのでしょうか」と。ここで、新しい太守は牛を殺し、自分で孝婦の塚を祀り、それできちんとした墓標を建てた。(すると)たちまち天から大いに雨が降って、その年は豊作になった。郡では、これをもって大いに于公を尊敬した。
 
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