大学入試センター試験 国語 2014年 漢文の現代語訳・解答・簡易解説を作成しました。

twitter等では、「タケノコが好きな人達の話」などといわれていましたが、美味しいタケノコとまずいタケノコのたどる運命を対比しながら、荘子の「無用の用(一見、役に立たないと見えるものが、実は大きな役割を果たす)」に通じる考え方を説明していく随想です。

※設問等を参考にしつつ、自身で作成した訳です。


江南には竹が多い。江南の人は筍を食べるのを習慣にしている。春の時期になるごとに、筍の外皮が土から出ると、生えたばかりの子牛の角のような形をした筍の小さな若芽は、たいてい採集され食用に回される。ある場合には蒸したり煮たりしてスープとし、筍の穂先の柔らかい皮やお茶を食卓に並べる。

風流な人は、目にするのに清雅な光景を選り好み、ちょうどよく伸びている竹を切らない。それで、庭園の竹は豊かに美しく、庭園の主人が日ごろ、幾重もの垣根や門扉をしつらえ、竹を愛護しているといっても、その筍が食べるのにおいしいとなると、筍は掘られ、(掘る人は)庭園の美など顧みない。ただ、その味が苦くて、食用にならないものだけ、筍は常に傷付かない状態である。渓谷や山中、地面に散らばって生えていて、採られてないものは必ずまずいからといって打ち棄てられているものなのである。しかし、おいしい筍は皆がそれを採って、その周辺のものまでことごとく採り切られてしまう。ということは、おいしい筍は、ほとんど自分で自分を傷付けているようなものである。苦いものは、打ち棄てられているといっても、切り取られずに済んだのと同じようなことだ。

そもそも、食べ物の類は美味しいものの方が大切にされ、苦いものは傷付けられず全うすることができる。世間でも、貴い人間で採られないものはいないし、賤なる人間が棄てられないものはいない。しかし、採られる者が幸せというわけではなくて、たまたま打ち棄てられる者が幸せであるということがわかる。これこそ、『荘子』のいわゆる『無用ヲ以テ用ト為ス』もののたぐいではなかろうか。



問1④、③
(1)竹が多く、春になると筍を食べる習慣なのである。
(2)「尚」に「たっとぶ」という読みがあることを知っていれば簡単であったか。苦いものが放って置かれる(ゆえに生を全うできる)こととの対比。

問2⑤
「好事家(こうずか、風流を好む人)」という語を知っていたら、内容の想像がつきやすく、やりやすかっただろう。筍が長くなると竹になるわけだが、美しい竹林を風流な庭園として、見て楽しむのである。「清嗜」のまとまりを「以て」の目的語として見られるか。③は「目す(見る・注目する)」の意味により採り難い。正解の⑤の「~(する)に○○を以てす」は句形として習うものではないが、よく出てくるので慣れておくと良い。

問3①
甘い(おいしい)もの=採られて食べられる、苦い(まずい)もの=放って置かれて生き抜ける。この二項対立を読み取れているかどうか。

問4⑤
「猶ほ~ごとし(まるで~のようだ)」の再読文字。

問5③
「~(せ)ざるは莫し」の二重否定に気づくと、①か③。1つ前の食べ物の話をしていた文と、内容が類似。

問6①
「夫れ(そもそも)」という発語があることから、エで必ず区切れるに違いないとめどをつける。甘い⇔苦いの二項対立の話題がどこまで遡れるか。

問7⑤
「豈に」が反語でないというのは極めて珍しい。句形から単純に解くのではなく、本文内容、「無用を以て用を為す」の書き下し・意味を理解する必要あり。



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