2月25日は、国公立大学の前期試験の日です。東京大学の一日目の国語、第三問では、文理共通の文章として漢詩(蘇軾によるもの)が出題されました。

取り急ぎ、現代語訳(現代日本語訳)を作成しましたので、受験生や同日模試受験の高2生の振り返りの役に立てばと思い、公開いたします。手もとに研究書などの参考資料がなく、訳に悩んだ箇所も結構ありまして、もし、お気づきの点などございましたら、どうか、コメントなどで、お気軽にご指摘くださいましたら幸いです。

なお、東大の付しているリード文は以下の通りです。


次の文章は、北宋の蘇軾(一〇三七~一一〇一)が朝廷を誹謗した罪で黄州(湖北省)に流されていた時期に作ったものである。これを読んで、後の設問に答えよ。

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「仮住まいは定恵院の東、野生の花々が山に満ち、海棠(カイドウ、バラ科)が一株あり、土地の人はその美しさを分かっていない」

長江に面した黄州の地は湿気が多く、草花が良く茂っている。
その中にひとつ、素晴らしい花で、大変ひっそりと咲いている花がある。
にっこりとす微笑むように竹の籬の間で咲いている。
桃や李(すもも)が山に満ちているけれど、それらはみな野卑なものだ。
実感するよ、天の作った万物には深い意がこめられている、と。
天は、美人(ここでは海棠のたとえ)にこそ、人気(ひとけ)の無い谷あいの地で暮らさせるのだ。
自然の豊かさは、天与のままの姿から感じられるものだ。
きらびやかな宮殿において、金盤(に盛られた豪勢な酒食)をすすめる必要はない。
(なぜなら、海棠の赤く美しい花が咲く様子といったら)美人の紅い唇が酒を口にし、頬を赤く上気させているようである。
(海棠の葉と花の色合いといったら)青緑色の薄絹をまとい、肌が(お酒で)火照って赤くなっている様のようである。
林は深く、霧が濃くかかって、暁の光もなかなか届かない。
日は暖かく、風は軽やかで、春の眠りも十分である。
雨の中では(海棠の)涙もまた悲しげで、月のもとではあたりに人がなく、(海棠は)いっそう物静かでしとやかな感じである。
お腹を満たし、特にすることもない。
ブラブラと散歩をして、自分で自分の腹を撫でる。
人の家か、僧舎かに関わらず、
杖をついて門をたたき、長く伸びた竹(の垣根)を見る。
たちまち、(海棠の)絶世の艶美が朽ち衰えているのに出くわして、
ため息をつき、無言で、病を抱える目(の涙)をぬぐう。
狭苦しいこの国で、どこでこの海棠の花を得たのか。
あるいは、好事家が西蜀から移植したのか。
根も弱く、千里は移しにくいだろう。
大きな渡り鳥 鴻鵠が種をくわえて、飛んで来たのだろう。
海棠が故郷を離れて遠くこの地に流れ着いた境遇に、遠く左遷された私は共感することができる。
それで、一樽の酒を飲み、この曲を歌う。
明くる朝、酒が醒めてまた一人海棠のもとを訪れたら、
雪が降り落ちて(もしくは、雪が降り落ちるように花びらがばらばらと舞い散って)、海棠の花はふれるに忍びないにありさまに違いない。