蛇のスカート    -3ページ目

12-a 謎のジャガー族

  

唐沢と取り止めのない話をしていると、酒を飲み過ぎた桂木が床の上にダウンし大鼾をかき始めた。唐沢は邪魔者がいなくなったのを確認し、声を潜めた。黒斑のメガネの奥にある瞳が強い光を帯びている。

「ところで片山さん、新宿興信所は調査以外に、お嬢さんを連れ戻すための対策でも立てておられるのでしょうか」

俺は痛めた足を押さえながら真剣な表情を作る。

「いえ、そこまでは自分の職務ではありません。ただ、近藤家の残りの二人のうち、ケイコさんの娘の居場所を確実に突止めるために、険しい森を分け入って捜査しようとしました。しかし捜査の途中で見つかって矢で撃たれ、危うく命を落とすところでした」

興味本位で道に迷って撃たれたとは言えない。嘘八百を並べ立てた。

唐沢は本気でそう思ったらしく、悲痛の表情を呈した。

「それはそれは大変なことでした。さすがプロ根性ですな。でも何とかして下さい。あの男はともかく、晶子ちゃんの居場所だけでも何とかして見つけられないものですかな」

唐沢の黒い鞄の上に双眼鏡が置かれてある。役に立たないものかと考えながら、

「それは実に困難ですよ。東西の野蛮人どもが、サメのように血の匂いを求めて島の周りをうろついているからです。地理的にもこの島に詳しくありません。立ち向かう強力な武器もありません。ただ彼なら発見ぐらいはできるかもしれません」

「誰ですか。あの赤い羽根のインディアンですか」

「いえ、そこで寝ている桂木さんです」

いびきをかきながら眠っている男を凝視した。

「どういうことですか。船を使って沖から接近するのですか」

「それ以外に考えられません。まあ、警察や海上保安官に助けを呼べば別でしょうが」

唐沢は苦虫を噛み潰したような顔をして弱り果てていた。

「それだけは勘弁して下さい。何かの罪で近藤勉が逮捕されれば、えらいことです。飢えたマスコミの餌食ですよ。『原田総合病院の理事長の娘であり、元医者である女性が今、酋長をやっている』とか派手に書き立てられます。変な噂が広まれば病院経営が大ダメージを受けることは必至です。ここは極秘裏に事を運びませんと……」

「では、桂木さんに頼んで島の東西と北に廻ってもらって、少しずつ位置を変えながら、双眼鏡で観察するしかありません。これによって娘さんがワシ族かジャガー族のどっちにいるかぐらい見当がつくのではありませんか」

「分かりました。多分、父親と一緒だ思いますが、違うかもしれませんので、一応調べてみましょう。ところであの重い心臓病の男は本当に生きているのでしょうか」

唐沢はどうしても信じられない面持ちで首を傾げていた。

俺は憶測を冷静に語る。

「そりゃそうでしょ。あの男はピンピンしています。ですからジャガー族はまだ元気なんです。僕はまだこの島に二週間しか住んでいませんが、この島では酋長は大黒柱です。ケイコさんの巫女は、迫真の演技で、彼女が死んでしまえばこのルリカケス族は魂が抜け、倒れてしまうも同然です。このことは他の部族にも共通しているのではないですか。特に西のジャガー族といえば〈なろう会〉の会長である近藤勉ですよ。奴こそカリスマある大酋長であって、人数なんかも倍はあるのではないでしょうか」

唐沢は大きく目を見開いて感嘆の溜め息を吐いた。

「へー、そんなに西のジャガー族の勢力は大きいのですか」

バッグからメモ帳を取り出し、唐沢の前に広げ、ボールペンを使って説明する。

「これを見てください。当初、島の人口は四十六人だったらしいのですが、後で七人桂木さんの船で加わっています。北はハブ族の酋長唯一人。南は十一人しかいませんから、東西合わせて四十一人はいます。東は一度覗いたことがありますが、せいぜい十五人ですね」

「やはり晶子ちゃんは西にいる可能性が高いのですな。仮にお嬢さんと翔太くんが東京に帰ることになったとしても、残された晶子ちゃんだけはどうにもならないわけだ」

唐沢はまだ希望を失っていないようだ。酋長がここを出て行くことはまずないと思ったが、俺は小さな推測を大きく膨らました。

「唐沢さん、今の状態ではケイコさんは島から出て行きません。ですが仲間の大半が消えてしまったら島を抜けるしかないでしょう。唐沢さん、僕はこの島で毎日考えるのですが、このルリカケス族は相当減ったのではないかと疑っているのです。殺されたか、もしくは自分から進んで抜け出したか……」

黒縁めがねの底にある唐沢の瞳が大きくなった。

「お嬢さんの仲間が減っているですと? 動機もないのに殺すでしょうか。自分から進んで抜けると言うのも府に落ちませんが……」

「唐沢さんはこの生活を三年も続ける自信がありますか。島の自然も食べ物も最初は美味しいのですが、次第に飽きが来ます。踊りもそうです。魂を揺さ振るものがありますが、ケイコさんの号令の下、毎日毎日踊ってばかりいられるものですかね」

「お嬢さんに飽きてしまったということですか」

「所詮ただの母親です。平凡な姿を見て、幻滅したとき、考えますよ。加えて、こんな堕落した生活を繰り返して良いのか。他人の芝生は青くみえます。ジャガー族の方が魅力的に見えたのかもしれません」

強引な理由付けすると、唐沢は目を白黒させて狼狽した。

「しかし片山さん、ここの人々の話によると、ジャガー族は野蛮で畜生というではありませんか。そんな嫌われている部族の仲間になろうとは普通、考えないのではありませんか」

12-b

俺は余裕たっぷりの表情で微笑み返す。

「騙されてはいけません。あれはここに残りたい者が自分に言い聞かせているだけです。実際、西は南の二倍いるのですから。惹きつけるものがあるのです。それで何人も去った。でも自分はここに残る。そう思う者がジャガー族は畜生だと主張しているのでしょう。鬼畜米英の発想と同じですよ。占領されてしまえばあっちの方が良かった、よくあることです。団結するために共通の敵を作っているのですよ」

再三の説明にもかかわらず唐沢はまだ疑っているようだった。

「でも片山さん、ルリカケス族の人々がジャガー族に移ったという確たる証拠でもあるのですか」

「人数を計算したら分かります。桂木さんは二年間で七人も連れてきたんですが、全部ルリカケス族に加わっているんですよ。日が浅い人が多いですね。トモコと長瀬は三ヶ月前に、村上と芳子は半年前に来たばかり。かおりは丁度一年目、その三ヶ月前に元木と早苗が来た。つまり二年前はケイコさんと息子の他、吉村夫婦しかいなかったことになるのです。どう考えてもおかしいではありませんか。当初四十六人いた蛇島で、ルリカケス族はたったの四人で結成されたというのですか」

続けざま、キセルで壁の印をとんとん叩く。壁板には「美紀バイバイ」「直子バイバイ」と刻まれている。

「これは昔ここに住んでいた者が彫ったのでしょう。ルリカケス族をバイバイした女が二人いて、これを書いた者がいる。裏切り者は最低、三人はいますね」

「なるほど」

唐沢は痕跡を指でなぞる。

唐沢は納得したのか比須顔になった。

「そりゃ良かった。仲間に逃げられれば、お嬢さん独りでは暮らせなくなる。理事長の所に連れて帰ることができるかもしれませんな」

「ケイコさんはあっちに人間が取られて行くこと癪に障るのではないですか。僕が仲間になる時、男は最初だけだ、そのうち変化を求め、どんどん刺激を求めるとか、散々けなされましたから。島について少しでも聞けば腹を立てる。東西南北、好きな部族に移動できるルールなら、ジャガー族が一番人気で、ハブ族が最低。ルリカケス族は初心者向きでしょう。慣れればそのうち僕もジャガー族に加わると思っているんでしょうね」

唐沢は何度も肯きながら俺の勝手な解釈に聞き入っていた。

外はバケツをまいたような激しい土砂降りになった。暗い空は怒り狂っており、雷が盛んに轟いている。物置小屋の外に張付けられているビニールにぱちぱち叩き付ける音が、重い瞼を跳ね返す。眠気が覚め、ぼ―っと横を見る。

唐沢は藁の上で死体のように両手を腹の上において眠っていた。ケイコが東京に戻ってきた夢でも見ているのか、表情が柔らかい。

鉛色の暗がりの中、底抜けの不安に落ちていく。本当にルリカケス族はジャガー族に仲間を取られているのか。他所の部族については皆が触れたがらない。さっき名探偵を演じてみせたが全然矛盾がない。当初、四十六人を四つに分けたとしたら、十一人はいたはずだ。二年前、四人しかいなかったとしたら、七人も出て行ったことになる。こんなにぞろぞろ抜け出す理由があるのか。

確かに南は住み心地が良い。気性の荒い者もいない。踊りながら楽しくやっているが、それが返って災いしているのかもしれない。インディアンなら自給自足が原則だ。ここは米や塩、醤油などを本土から買って貯蔵している。これだけの労働でこれだけの生活レベルは享受できない。

金属製の陳列に並んだプラスチッケケースを眺める。米は十キロの袋が二つあり、焼酎の大瓶が一ダースはある。味りん、砂糖、味噌、缶詰など揃っている。悪天候が続いたとしてもこのルリカケス族は滅びそうにない。リスクのなさに不満を感じる。ここは食糧に困っていないが、東西はどうやって食糧を手に入れているのか。ハブ族の酋長が運んでいるのか。あの男は何かの商売で忙しいように見える。桂木のように頼れないなら自給自足をしていることになる。山芋でも栽培し、魚介類を食い、家畜を飼うなり、鳥や獣を捕まえて殺せば、肉が食える。「野蛮だ、畜生だ」といわれようが仕方のないことだ。ルリカケス族の生え抜きは本来の状態に戻って行ったのではないか。

太い雨粒の弾ける音を聞きながら、俺は次に抜け出しそうなインディアンに思いを巡らせた。酋長の口ぶりからして俺と同じ若い男だろう。男は翔太を除いて四人。吉村と元木、長瀬、村上。吉村はケイコと三年一緒。元木は経済計画長。長瀬はトモコ次第。残るは村上だが、一番若いし、密かに脱出を企てているかもしれない。  

近くで落雷があり、縮み上がる。夢から醒め、冷静になる。疑い深くなる。本場のネイティブ・アメリカンがケイコらの生活に感心するだろうか。勤勉な者には耐えられない。仲間の契りとて固そうで、案外脆弱ではないか。ケイコが裏切られているのは事実だ。この島は秘密がある。未だに誰も正直に教えてくれない。自分で突止めるしかない。

ビニールを叩き付ける雨音を聞きながら、村上に接近してみようと心に決めた。

13-a 四面楚歌

   

翌朝、静かになった。強風と重い雨音が止み、透き通った青い空が広がった。

時計なしで生活を始めてから、太陽の傾き加減を測る。東に四十五度だから九時だとか、西に二十度だから六時かと勘繰る。東のワシ族の拠点から昇ってきた黄金の光は、ゆっくりと天頂を高く泳いでジャガー族の待ち構える西にピッタリと沈んでいく。不気味だった。

太陽が東に四十五度ぐらいの時、食堂でアジの塩焼きを食べる。かおりが何時の間にか隣にいた。無視し、朝早く出かけた唐沢のことを考える。調査はうまく行っているのか。

唐沢は昨夜、現金を積み、桂木に漁船を動かしてもらうよう口説いた。桂木は渋ったが、五万円出されると、顔色を変え、漁船で島を一周することに合意した。

食事を終え、日課の漂流物拾いに向う。かおりはパッチワーク作りの仕事に消えた。釣竿を抱え、集落を出て海に向かって下りようとすると、シャベルを持った吉村と元木が復旧作業をしている。コンクリートの階段を残し、赤土の部分が大雨で流れてしまっていた。泥の海に枝葉が浮かんで漂っている。足元に気をつけながら降りる。大雨の後は釣れないので誰も釣りに行かない。道はぬかるんで、足が脹脛まで泥水に浸かる。蛭が太ももにくっ付く。ハブに噛まれるよりましだと思いながら、銛と竿を上げて前進する。

森を抜け出ると、嵐の後の光景に鳥肌が立った。白く泡立っていた海岸は美しく生まれ変わっていた。黄色い砂浜には大量の漂流物が点々としている。大波はフィリピン方面から沢山の椰子の実を運んでいた。拾って揺すると、ちゃぷちゃぷ音がした。ナイフで穴を開け、口をつけて甘い汁を吸う。ココナツジュースに満足し、砂の上に寝そべる。優子の話を思い出す。奄美大島には海の彼方にある神の国から豊穣や豊漁がもたらされるという信仰があり、漂流物をその神からの贈り物、ユリムンと呼んで感謝していたらしい。

しばらく日光浴した後、船着き場にある大岩を伝って、断崖に近い場所で糸を降ろす。いくら待っても釣れない。既に予想していたので、残念にも思わず、竿を置き、銛を手にした。潮が引いたとき、磯の浅瀬に閉じ込められた魚を狙って突き刺そうと構える。河豚類の派手な背中は、見るからに毒がある。稚魚がいた。死に物狂いで狭い岩陰に逃げる。袋の鼠だ。刺し殺すのを止め、網で掬ってバケツの中に放り込んだ。小ぶりだったので腹の足しにならず、大きめの魚を狙い、ヤドカリを餌に再び竿を投げる。

碧い海に意識を浮かべる。波が静かに岩礁にかぶさる。長閑だ。森からセミが合唱し、海鳥が鳴く。赤い浮きが揺れている。太陽は海を黄金の針で無数に刺すように輝いている。

分裂した蛇島に思いを馳せる。映画撮影。価値観の違う現代人に爪弾きに合うから諦めたのか。インディアンの理想郷を作るのに変更した。だがこの島とて四つに分断しているではないか。神々を崇拝する原始世界に戻れば、上手く行くという保障はない。人々は神々を祝って平和になるどころか、神々のために殺し合いをやりかねない。やはり今の寛容なシステムが一番良いのかもしれない……。

取り止めもないことを考えていると太陽が西に七十度ぐらいの角度で移動していた。

13-b

一たん、「レストラン・市場」に小さな獲物を持って帰る。村上のことが気になったが、再び海岸に降りる。銀色の水の底に、心臓大の貝殻があり拾う。岩陰に腰掛ける。重力感のある貝殻に耳を当てると、ごおっと神秘的な音が聞こえてきた。潮影に落ちたサクランボの浮きを眺めながら、ぼんやりと過ごす。

太陽が四十度ぐらいの角度で西に傾きかけた頃、桂木の漁船がカタカタと音を立て、水飛沫を上げながら戻ってきた。船着き場に着くと、唐沢は岩場に降り立った。その視線は、森に覗く黄色い家に向かっている。

船を降りた唐沢は眉をしかめ、ポケットをまさぐり手帳を取り出した。何か書き込んだらしく、難しい表情でページを捲りながら親指の爪を噛んでいる。

釣り竿を肩に砂浜を歩きながら

「長いこと観察したんですね。で、何か分かりましたか」

唐沢は脇に挟んだ双眼鏡を掴み取り、

「片山さん、驚きましたよ。てっきりこの島は四つの部族に分断されているとばかり思っていましたが、これでよく調べてみると、そんな感じではないですな。お嬢さん率いるインディアンだけが閉じこもっている感じですよ」

意外な事実に声がひっくり返った。

「え! じゃあ、残りは全部一緒なんですか!」

「そんな感じですな。ここだけが孤立しているとしか思えません。映画を作ろうとしただけのことはあって、本物と見紛うような格好でしたな。西も北も東も境目に畑が開墾されていました。敵対しているのなら、北西の境界線や北東辺りであんな畑を作ったり出来るはずがありません。様子を伺うと、これが平然と海岸沿いの道を歩いているのですな」

「みんな野蛮だ」とは聞いていたが、「みんな同じだ」とまでは聞いていなかったので脳天をトンカチで叩かれたような気がした。

「はーっ、じゃあ、残りの三部族は近藤勉の下に一致団結しているんですか」

「そんな感じですな」

唐沢はTシャツ姿だったが、秘書魂か黒鞄を手放さない。双眼鏡を入れ、ハンカチで汗を拭く。書き込まれた手帳を見ながら、何か他の事を考えている。

浜辺を歩きながら黄色い家に戻る。雨に濡れたアダンが光っている。森に入り、泥臭い水溜りの道を踏みながら、

「それで唐沢さん、晶子ちゃんの居所は掴めましたか」

輝きを帯びた眼差しが返ってきた。

「はい。あの少女、多分、あれですな。黒い家の庭に立っていました。やはり西ですな。物凄い羽飾りを付けていました」

「他に何か分かりましたか」

「そうですね。片山さんが言われた通りなのかもしれませんな。最初は野蛮だという先入観で観察していたのですが、普通ですよ。畑には幅広くネットが張ってあり、牛がいました。黒い集落はここの倍の面積はありましたな」

物置部屋に入る。蒸し暑くて溜まらず、窓を一杯に開ける。藁に座った唐沢は水を一杯飲んだ後、思い出したように、

「そうそう、北にも廻りましたが、あそこは崖ですな。寂しそうな場所に白い家が建っていましたよ。北西の海岸に漁船がつけてありました。向こうでも誰かが往復しているのですな」

「あれですか。あづまという、ハブ族の酋長の船ですよ」

「ほお、北では酋長自らが運転するのですか」

あまりの暑さに汗が噴出す。型紙を団扇にして首筋に風を流し込む。

「仲間がいませんからね。映画の脚本かどうか知りませんが、彼はこの島では死神を祀る神官で、まったくの謎の人物なんです。ただ商売に忙しいようですけど」

唐沢は興味を持って口を丸くし、

「ほお、何の商売ですかな」

「それが皆目分からないのです。奄美大島行きのフェリーで出会ったのですが、子犬を海に投げ捨て、事業に失敗したら自分も飛び込むとか、かなり真剣でしたよ。ところがサーフィンをしたり、この島の森をさ迷っていましたから、儲けの薄い商売でしょう。蛇の皮革で身を固めていましたから、多分、ハブの養殖でもやっているのではないですか」

「え? あの猛毒の? 恐ろしい事業ですな」

「あくまで推測ですが、死神を崇拝しているなら、ハブをばら撒いて毒吸い取り器を売るとしたら、ピッタリじゃないですか」


13-c


「ハブが死神の化身なら、ここにも蛇の石像がありますな。あれは縁起が良いのですか」

「さあどうでしょう。あの怪獣は大地の女神らしいですが、不気味ですよね。そういえば、みんなの石像を見る時の目、あれは尋常ではないですよ。何かあるような気がしますが、まあ、これ以上憶測はやめましょう。他に何か分かりましたか」

「大体そんなものですな」

手帳には他にもいろいろ書いてあるようだった。非常に好奇心をそそられる。矢で撃たれたが恐怖心すら、逆に怖いもの見たさで妄想を煽る。何か秘密があって追い出そうとしたのか。だとしたら探りに行ってみたい。だがルリカケス族を抜け出してジャガー族に加わることが出来るのか。逆に捉えられて生け贄に殺されるのではないか。

黒斑のメガネのインテリに、本土に戻るのか尋ねると、唐沢は黒い鞄を膝に抱え、

「それは出来ませんよ。理事長と奥様は三年もの間、心休まる暇もなく案じておられ、理事長に至っては胃潰瘍になられ、食べ物も受け付けず死ぬほど弱っておられるのです。居場所が分かれば絶対に連れて帰ると宣言したのです。それなりの資金も惜しみません」

唐沢は黒鞄を片時も手放さない。郵便配達の男や桂木に金をばら撒けるのなら、あの中に相当の資金があるのではないか。察知したのか、唐沢は弁解がましく、

「私がこうやって長期の出張ができ、大金を使えるのは訳がありましてな。理事長は、お嬢さんたちが地球の裏側にいるとばかり信じているのです。アマゾンの奥地を調査するのは並大抵ではありませんからな。それが灯台下暗しで、驚きますよ。伝えれば、理事長と奥様がここに来るのは間違いないでしょうから、酷く悩みましたよ。ショックで倒れてもらっても困りますし、まだ見つけたことすら報告していない次第です」

俺は次々と説得者がやってきて、面白い展開になることを予想していたので戸惑った。

「それでは唐沢さんの他、それっきり、もう誰も来ないのですか」

唐沢は意志の強そうな目で、

「そういうことですな。ですからこの件に関しましては私と、片山さんとで、極秘裏に何とかしましょう」

「何とかって……、しかし、それは……、何とかなるのですかねぇ……」

九分九厘無理だと思われたが、唐沢は平然とした口ぶりで、

「近藤勉はどうでも良いのですよ。問題はお嬢さんと二人のお子さんです。この三人を連れて帰ることが出来れば、理事長は飛んで喜ばれるでしょうな。そうなった暁には、もちろん、片山さんにも謝礼を差し上げます」

「どのくらいでありますか」

「そうですな、二百万、いや、三百万円でいかがですかな」

「さ、三百万円!」

唐沢は獲物を捕らえる目つきで、

「どうですかな。協力していただけますかな」

つばを飲み込む。首を縦に振る。

「ただ私は新宿興信所といっても、実際はケチな私立探偵です。あそこはピン撥ねが酷く、成功報酬は僕の口座に振り込んで下さいませんか」

唐沢は笑って了解し、こんな辺鄙な場所に来させられた俺に同情した。

「悠長に自然崩壊を待ってもいられませんし、どうやって連れ戻しましょうかな」

針の穴に毛糸を通すような作業だったが、大金になるのでやる気が湧いてきた。

「東京に連れ戻すには、親が危篤だと偽るのはどうでしょうか。あれで結構、甘いですから、最後を看取りに戻るかもしれませんよ」

「ほお、良い考えですな。実際、理事長は弱っておられますし。で、晶子ちゃんは?」

「僕がここを出てジャガー族になって接近するしかないでしょう。何とかして晶子ちゃん連れてくるか、どうしょうもなければ攫ってきます。船が必要ですから、唐沢さんは桂木さんを買収しておいてください」

唐沢の顔が苦しそうに硬直した。

「それは非常に危険ですな」

「大丈夫です。逃げ足には自信がありますから」

「気をつけてくださいよ。死んでは意味ありませんから」

大きく頷く。頭の中では、既に三つの札束が、ガオスの新車ベグスに化けていた。

14-a 村上青年

    半月、ルリカケス族での生活を楽しんだが、俺の本体は未だ都会の現実にいた。生命力が溢れ、違和感が増大したのかもしれない。この南にいる十一人だけで、我が身を守ることが出来るのか。盲腸炎にでもなったらどうするのか。いずれ過酷な鉄槌が落ちる日が来るだろうから、俺が思い出させてやるべきだ。

地に足が着いていない違和感。歴史や伝統が少ないからか。俺をこの島に送りしめた貧困状態。稼ぐために闘争する毎日の生活……。踊るだけで物資が湧いてくるはずがない。地に足が着いた生活とは、精霊溢れる物語に生きることではなくて、黙々と生活に必要な品物を作り、金を生み出すことなのではないか。3年も生活できたのは散財してきたからだろう。実際、自給では全く足らず、桂木が持ってくる商品を開封して食うのだから、事実上、ニート。稼がなければ金はなくなるが、それほど蓄えているというのか、この連中が。

トモコや長瀬は暇潰しにダンボール箱一杯に小説を注文して持ってこさせ、回し読みしている。ケイコは東洋医学のほか、未だ西洋医学書を読み耽っているし、元木もレンガのように積まれたマルクスの資本論を睨んでいる。それだけの能力があるなら、現実世界で役立たせてもらいたいものだ。

唐沢が到着して二日目の今日、ケイコがたこ焼きを作った。「レストラン・市場」の前で仲間が集う。炭火で熱せられた鉄板から、食欲をそそる匂いが充満した。ケイコは頭にタオルを巻き、アイスピックのようなものでたこ焼きを突つく。

俺が食べようとすると、中西かおりがやってきた。吉村と元木もテーブルについている。吉村は既に十二個ほど平らげ満足そうな表情を浮かべていた。

ソースを垂らして、あつあつのを一口食べる。美味い。余計に本土の食い物が懐かしくなった。元木は名残惜しそうに食べている。その頭は日差しで光っている。

「片山くん、あの男は酋長を連れて帰るのか」

がんちゃんが尋ねてきた。傍で焼いているケイコに聞こえないように囁く。

「そうらしいですよ。何せ、大病院の一人娘ですからね」

「それは困るにゃ」

吉村が嫌悪感を示す。

「そうさ。俺たちはずっと一緒に暮らしてきた。酋長が急に止めるなんて考えられない」

「酋長は出ないにゃ」

吉村が断言したので、極めて理性的に諭した。

「もちろん僕もそれを望んでいますよ。でも遠い将来、いつか、何か起きれば、この島を去らざるを得ない日が来るのではないでしょうか」

予言めいた言葉に、二人が沈黙した。かおりは席を立たない。

たこ焼きを焼いていたケイコがこちらを振り向いたので、聞こえよがしに、

「元木さん、あと二十年たってもこの生活を続けられますかね」

「そりゃ、自活のレベルを上げないと無理さ」

「資金が途切れるのですか」

とぼけて聞くと、元木は余裕たっぷりの表情で笑った。

「インディアン基金は十分分あるさ。でもインフレとかあったら、ひもじくなるさ

「いっそのこと、その金で、本土でやり直すということは考えないのですか。まだ三年ですから取り返しがつきますよ」

少しだけ俺の本心が混ざると、がんちゃんの眉間が歪んだ。

「何を今さらそんなことを言うのさ。我々が島へ来たのは、自然が好きだからさ。もちろん仕事にも不満があったさ。労働者は囚人で、管理者はその看守。働きが悪いと罵倒して無理な労働を強いる。文句を言うと、代わりなら幾らでもいるとクビにしやがるのさ」

経済学の博士号を取得しても、恵まれた職には就いていなかったようだ。

「片山はまだ若いからいいにゃ。わしらはもう手遅れだにゃ。行き場が無いにゃ」

吉村の投げやりの言い方は、負け犬だった。本土に戻っても絶望の余り自殺をするのではないかと心配になる。

議論が分からないのか、かおりが席を立った。吉村も釣り竿を肩に乗せて、元木を連れて浜辺に降りていった。

残された俺は危篤の理事長の病名を考える。肺癌にしようか、脳梗塞にしようか。

思案していると、ケイコを見ていると目が合った。ケイコは、たこ焼きを全員に配り終えたようで、残りの処分か自分で食べている。

「唐沢さんがまだいますから、あげたらどうですか」

ケイコは渋々皿に十個盛った。俺がそれを倉庫に届けに行き、戻ってくる。ケイコはテーブルに座り、水を飲みながら食べていた。鋭い眼光で話しかけて来た。

「あの秘書、何で一緒に船に乗って帰らなかったのよ」

ケイコは一緒に住んでいる俺に責任を押し付けた。赤の他人であることを装いながら、

「唐沢さんとは少しだけ話をしました。ケイコさんが東京に戻らない限り、絶対にここから離れないらしいですよ」

ケイコは困ったようにため息を次ぎ、たこ焼きに醤油をつけながら、

「馬鹿ねぇ。あの秘書は私の父に三十年間仕えたから、忠誠心が強いのよ。どうしてここが分かったのかしら」

「確か、〈なろう会〉の副会長を買収したらしいですよ。理事長の体調が良くないから今すぐにでも戻ってもらわないと困るとか、焦っていて……」

事実と嘘を入り交えてケイコの様子を伺う。親父のいる場所まで記憶を飛ばしているのか、ケイコはぼんやりとした眼差しで、

「え? お父さんの様態が悪いの?」

「そうらしいですよ。確か肺癌とか……」

脅してみると、ケイコは「癌!」と素っ頓狂な声を出し、顔が青くなって沈んだ。

「タバコ酷かったからね。そう……」

「死んだら、もう二度と会えませんよ」

「それは、最後に、親の顔を見に戻りたいけれど……」

「相当心配しておられるようですよ。一度、戻られてはいかがですか」

感情を込めて軽く押してみると、ケイコはすっと束の髪を払いながら、

「ここにいる皆がそうなのよ。示しがつかないわ。それに、どうせ見舞いに行っても治らないわ。遺言で病院を頼むと言われても困るし。財産なんて欲しくないから」

「もったいない話ですね」

本音を漏らすと、ケイコは「面倒なだけよ」と鼻で笑ったが、その全身から様子がおかしくなったのが感じられた。食べながら氷のような目で何やら考えている。四つ髪束が風に少し揺れている。

「あのしぶとい秘書、どうやって追い出そうかしら」

あら。肺癌で苦しんでいる親父のことを考えていたのではないのか。まさか、逆を決心したのか。想定外のことを尋ねてきたので戸惑う。

「それは、ちょっと、無理だと思いますよ。一度追い返すのに成功したとしても、今度は理事長に報告して、応援を連れてやってくるでしょう」

「じゃあ、あの秘書以外には、誰も知らないってこと?」

彼女の眼差しは殺気を帯びていた。

俺は唾を飲み、「ええ。確か、昨夜、会話でそんなことを漏らしました。体面上、出来るだけ秘密を保ちたいとか」

ケイコは首を何度も縦に振って、

「そうでしょうね。うちの病院は五年前、医療ミスで少女殺したのがバレたのよ。新聞に出て騒がれて以来、かなり神経質になっているからね」

「そうだったのですか」

「病院なんて案外、いい加減なものよ。頼らない方がいいわ」

病院に恨みでもあるような口ぶりだ。ケイコの味方であることを示すために、

「良い方法がありますよ。唐沢さんだって命は惜しいはずです。東西の連中は本当に殺そうとします。あの恐怖を知れば、唐沢さんだって諦めるのではないですか」

「あいつらを利用するの」

「そうです。ジャガー族には晶子ちゃんがいます。ですから、西へ行って本土から酋長の娘を連れ戻しに来た奴がいると垂れ込めば、ターゲットになるかもしれません」

「平和に解決できないかしら」

それは無理だろうと青空を見上げ、頭を捻る。

ケイコを東京に戻すのも難しいが、唐沢を手ぶらで戻すのも難しい。

半ばやけくそに、「でしたらもう、唐沢さんを、このままルリカケス族の仲間にしたらどうですか。結構踊りに嵌まっていましたし。仲間に入れて居心地を良くするんです。酒を浴びせ、仕事に釣りをやらせて、大自然に囲まれた島でのんびり色々考えさせるんです。きっとあの年になるまで働き通しだったでしょう。ふつう定年退職して人生に悩むのが筋かもしれませんが、この島で暮らしていると、ほんと、価値観が変わりますよ。理事長には内緒で、お嬢さんをそっとして置いてやろうとか……」

己の体験を入れて語ると、ケイコは反駁した。

「そう簡単ではないわよ。あの男には東京に家があって妻子もあるのでしょうが」

常識を遮るように、俺は拳に力を入れた。

「それこそ、宗教の力ですよ。踊らせて、徹底的に洗脳させるのです。ミイラ取りは往々にしてミイラになるものです。今は理事長の味方ですが、一ヶ月も立てば、酋長の味方にならないとも限りません」

困惑していたケイコの表情は、あっけらかんとした顔に戻った。立ち上がり、「そうね。このまま放って置こうか。とりあえず、あの秘書を監視しといてね」

14-b

  村上を探し始めたとき、太陽は既に西に三十度ぐらいに傾いていた。村上は半年前に来た二十六の若者。背丈は普通だが、横幅があり、三枚目の印象を受けた。

村上は厨房の壁越しに住んでいた。「レストラン・市場」へ行き呼び出すと、蒸し暑い中に芳子が転がっていた。「炭焼きでもしに行ったんじゃない」と言うので、広場を歩き回り、店の裏庭に回る。草を蹴りながら歩く。ケイコは情に脆そうだから親を慕って東京に戻る可能性がある。となれば問題は晶子だが、これだけは潜入しなければどうにもならない。果たしてジャガー族に鞍替えする方法があるのか。抜け出した仲間がいる以上、あるはずだ。ただ、ワシ族に襲われたように、身の危険が付き纏うから、仲間になる方法があるのなら村上から聴きださねばならない。

スダジイの長い木陰が伸びていた。ブーゲンビリアが紫に咲き零れ、アゲハチョウが舞っている。炭焼き窯は無人だった。森にでも入ったのかと探しに向かう。

森に潜れば、羊歯の髭が背中を撫でてくる。夕暮れも近いし、そろそろ戻ってくるだろうと、蝉の声を聞きながら待つ。

やがて緑の羽飾りを頭に立てた男が鉞を片手に、木を担いで戻ってきた。

偶然を装って「やあ、村上くん」と接近する。

「それで何か作るのかい」

村上は毎日外に出て動いているせいか、キツネ色に焼けており、目と歯だけ異様に白かった。愛想の良い返事をして、

「ああ、片山さんか。道の邪魔になりそうなのを三本ほど伐採しておいたよ。これも大切な自然の恵みだからね。これは薪にするには惜しいほど、りっぱに捻じ曲がっている。何か芸術作品が作れるね。まるでМ字だ……」

村上は荷を降ろし、木の形を自慢した。俺に似て捻くれている木に同情する。

「伐られる木もさぞかし痛かっただろうね」

「ちゃんとお祈りを捧げたよ。木が怒って毒蛇に襲われたら、かなわないからね」

「森に入って木を伐るなんて、物凄く勇気のいることだ。誰もやりたがらない仕事だよ」

持ち上げると、村上は「そうかい」と単純に喜んだ。競争心もなく、呑気に夫婦で幸せを満喫しているこの若者には反感を持っていたので、これまで親しく会話をしなかったが、今日ばかりは心を開いた。

眼を潰すような夕日を見上げる。「今日はいい天気だね」

「う~ん、赤々と照りつける太陽。青く茂る葉っぱ。あれを食んで生きれば言うことはないね。あと、子供がいるな」村上の顔は日差しに輝いている。

「お前は牛か」と言いたいのを我慢しながら、

「平和だね。ルリカケス族は喧嘩も少ないし、みんな穏健な性格だよね。そうそう、僕は違うけれど、君は〈なろう会〉のメンバーなんだよね」

「ああ。おいらは半年前に着たけれど、実は三年前、ここで半年間過ごしたんだ。片山さんも、かおりちゃんがダメなら、誰か連れて来たらどうだい。男の一人暮らしなんて不自然だよ」

俺の好奇心が倍増した。

「へー、じゃあ、減っていてびっくりしただろ。三年前ここは何人いたんだい」

「変な質問をするな、何でそんなことを聞くんだ」

にこやかな村上の眉間は疑惑で歪んでいた。まずかったかと頬が引き攣る。

「いや、ひょっとして山に入って、東西の連中に生け贄にされたのではないかなと思って。僕は脚を矢で撃たれたからね」

もっともらしい質問が功を奏したのか、再び表情が軽くなった。

「裏切って山を越えた奴も何人かいるよ。本能のおもむくまま畜生の世界に走ったんだ。生け贄にされたか、向こうで楽しくやっているか、そんなことは分からない」

「やっぱり向こうのインディアンは畜生なのかい」

村上は釘を刺すように、「片山さんはまだ知らないだろうけど、この映画島の脚本がそうなんだ。東西南北それぞれにわかれて、それぞれの部族の神に仕えてんだ。片山さんは運がいいよ。南は文明神と大地の女神を祀っている善玉だからね。でも東西は太陽と闇に血を捧げている」

「それは酋長から聞いたよ。連中は殺生が仕事なんだろ。でも何でそんな奴らの所に裏切ったりして行くわけだ。向こうがこっちに来るのならともかく……」

執拗に追求すると村上は困り果てた顔をした後、嘲笑うかのように、

「知らない。平和思想に飽きたのかもね。伐採だって立派な殺生だ。所詮、殺生なしでは生きて行けない。南は甘いのかもね。血を見るのを嫌って、たこ焼きを食ってる」

村上は真っ白な前歯を見せた。やはりそうか、と自信が深まる。

「インディアン本来の姿を求めたんだね」

「きっと肉が食いたかったんだよ」

「そうだね。魚ばっかりだもんね」

村上は真面目な表情で、「魚にも血は流れるよ、あの西日の色に似た……」

その指は夕焼けを差している。既に海に重なろうとしていた。鮮血を想像させ、厭世観が湧き上がる。

「何か溜息が出るよね。自分も血を流さなきゃならないような、怖い話だ」

「牛の身になってみれば肉が食えないよ。せっかく生きているのに、何で殺してまで食べなきゃいけないんだって、片山さんもそう思わないか」

悟ったような顔をしている青年の横顔に俺の面影を見る。この男は多分、不毛の哲学でも齧っていたのではないか。世の中や人生に悩んだ挙句、この島に流れたのだろう。未開人になって踊り、思考は停止したのだ。同情しながら微笑み、わざと突っ込んでみた。

「何で牛を食べるかって? 腹が減るから食べるんだ。生きるためだろう」

「何で生きるんだ」

「さあ、生きているから生きているんだ。そこに在るから在るんだろ」

「片山さん、そりゃ実在論だ。意識とは別に存在がそこに存在する。でも存在するものにもそれなりのストーリーがあるんだ。片山さんだって、俺だって、この島に来るまでの長いストーリーがある。同じように、自然、水、森、石、種などが出来るまでのストーリーがあるんだ」

公園で踊り、ちゃぶ台に札束を並べた郵便配達の男を思い出しながら、

「そりゃ、一匹の虫にだって蛹から成長するまでのストーリーはあるだろう。僕がここに来たのも偶然なのではないかな」

「片山さんは夢がないなあ。大地の精霊が片山さんをここに呼んだんだ。……神話によると、遥か昔、地球の大地は月みたいに殺伐として味気なかったらしいんだ。でも大地の女神コアトリクエが太陽と結ばれると、大地の女神コアトリクエは母となり、今のような緑の地球になったんだ。コアトリクエの体は水や石となり、風となり、森となった。多くの種や花をばら蒔き、この美しい大地となったんだ」

村上は生き生きとした声で軽快に語る。

「そのストーリーの中に僕たちは生きているのかい」

「そうなんだ。偶然じゃないんだ。最初に神話があって世界はスタートしたんだ。なのに科学はそれを冷たい眼差しで分析している。彼女の肌にある岩、砂、あらゆる物質。そして彼女がばら撒いた生き物たち……」

「へー、じゃあ僕らは女神の肌の上で蠢いている芋虫みたいなものなのかい」

「またまた夢の無いことをいうなぁ。女神は地上の生き物達を全て踊らせるんだ。芋虫だって蝶々になって大地を舞うんだ。ワシやルリカケスだってそうだ。足も翼もないハブだって、体全体を使ってくねくね大地を踊るんだ。人間だって正にそうなんだ」

村上は目を細め、夕日を見つめながら力説している。

まだらな西空を見ながら「違った」と思った。この男は南から離れそうにない。心から大地の女神が気に入っている。ケイコや仲間を裏切って西に行く玉ではない。

村上に見切りを付け、長瀬でも当ろうと立ち上がった時、村上がボソッと低い声で、軽蔑したように喋った。

「片山さんはここで踊るのに飽きたんだろ。ジャガー族の仲間になりたくなったんだろ。何たって向うには会長がいるもんね」

背中から心臓を射られた気がした。笑って誤魔化す。

「あんな連中、恐ろしくて近寄れないよ。いいかい、僕は一回殺されそうになったんだよ」

「礼儀作法があるんだ。素っ裸になって両手を挙げて行けば受け入れてくれるよ」

喋った後、村上は視線を落とし、鉞と木を拾い、女の待つ家に戻っていく。

唖然としたまま後姿を見送る。一体何を考えているのか。仲間が出て行っても平気なのか。普通仲間に向かってこんなことを言うだろうか。

見かけほど腹が読めないものだと立ち尽くしていると、乾いた太鼓の音が勢いよく鳴り始めた。吉村のジャンベが誘っている。元木のラッパも同調する。号令を聞き、ルリカケス族が広場に集う。昼間拾って用意しておいた枝が、石像の近くに投げ込まれる。

燻る炎の中、蛇のスカートを揺らしながら、ケイコが舞台に邁進していた。

15-a 餌に釣られた男

  

いつものように夜遅くまで踊り狂ったあと、俺は物置の家に帰った。

桂木は奄美大島に戻り、一週間は来ない。倉庫の中、誰にも邪魔されず、唐沢と向かい合う。唐沢も最初から仲間に加わり踊るようになっていた。

三本の蝋燭が、台の上で頼りなげに揺れている。唐沢は『海神様』という焼酎を赤いコップに入れ、水で薄めて飲み干んでいる。

ハエのように太った蚊を叩くと血が、手の平に飛び散った。自然と脚が痒くなる。

「一昨日ほどではありませんが、今日も良く踊りましたね」

藁の上で両手を後ろに突きながら話し掛けると、唐沢は腕時計を見ながら、

「ええ、もう十一時ですよ。お嬢さん、こうやって毎日踊り暮らしているわけですか」

「はい。踊るために生きているわけですから。十一時……。久々に聞く時間の観念ですね。時計をなくしたんですが、ここでは必要ありません。それにしても三人が戻るまで逗留されるなら、まだまだ時間がかかりますよ」

酔いが回ったか、唐沢は黒縁の眼鏡を外し、棚にすがって眠そうに目を擦った。

「お嬢さんは完全にこの島の人になっていますな。舞台で踊るのが、実に上手いですな。鈴も似合っていますし。それから傍で叩いているあの太鼓、実に素晴らしい音色ですな。アフリカの名人顔負けですよ。禿げた人のラッパにもパワーがありますし、三人だけでも十分、ひき付けるものがあります。大昔、卑弥呼もああだったんでしょうか」

唐沢の赤い表情はとろけている。時代を超え、邪馬台国にでも来たと想像しているのだろうか。未開世界の魅力に飲み込まれていても、黒い鞄だけは脇から放さない。

「さあ、どうでしょう。考えてみれば、この精霊崇拝は神道そのものじゃないですか。仏教伝来まで、格好はともかく、ケイコさんのような巫女が鈴を鳴らし、歌って踊っていたんでしょうね」

日々蒸し暑さは度を増している。型紙で盛んに首筋の辺りを仰ぐ。

「理事長が見たら卒倒するでしょうな。お前たちは頭がおかしくなったのかと。あはは。とにかく価値観や環境が全然違います。何時から何時まで働くとか、給料が幾らとか、預金しようとか、そんなこと全然考えなくてもいい」

早くも唐沢の態度が島側に傾いているように思われた。顔つきも到着時のような緊張感がなく、眼の角がとれ、頬が緩くなっている。縄で縛ってでも理事長の娘と二人の孫を連れて帰ろうとする気迫が感じられない。酒と踊りでストレスが解消されたのか、顔がいつも笑っている。唐沢はロレックスの時計を外し、黒革の鞄の中に入れた。

「ここの生活はいいですな。時間に支配されなくて。時間なんて所詮、人間が作った幻ですよね。犬や鳥は時間なんて意識しないでしょう。東京では起きている時は常に時計と睨めっこしている。寝ている時すら時計に起こされる。理事長の手足となって動き回る。金がないと家族もろとも餓死しますから、これが当たり前だ、皆そうだと納得させながら働く。でも疲れて体が拒絶しているのに、半ば無理やりですからな。病気にもなりますよ。それでも何日か休んで踊れば回復するのでしょうが、そんな環境ではないですからな」

へらへらしている黒縁メガネの心境を察した。ケイコの期待通り、未開世界の罠に嵌まり、真っ逆さまに堕ちて行こうとしている。だがこの男は都会生活を棄てられる状況にないはずだ。子供の教育費や住宅ローンが残っているかもしれない。

「唐沢さん、しっかりして下さい。この島の連中は、文明を殺そうとする危険思想の持ち主ですよ。人類に向って、努力やら知能、法律、金に至るまで全部捨てろと言っているようなものです。こんなぐうたらな考えでは一億、いや、六十六億人の生活は成り立つはずはありませんし、どうせ後十年、二十年経ったら、病気や飢え泣きつくようになりますよ」

奮い起こさせると、唐沢は黒縁眼鏡を整え、真面目になった。

「やっぱりそうですな。育った環境が一番自然ですな。日本はポリネシアの国ではないですから。しかしお嬢さんを連れて帰るといっても、何とかなりそうにない雰囲気ですな」

「一応、理事長が肺癌で死にそうだから唐沢さんが焦っていると、伝えておきました」

「ほお。どうでしたか」

「やや手応えがありましたが、示しが付かないということで、断られましたが」

「それでもダメですか。所詮、親子の絆ってその程度のものなのですかな」

唐沢は肩を落とし、酷く残念そうにため息を吐いた。

「どういうことですか」

「傍から見て大層仲が良かったのですよ。忙しい合間を縫って、理事長はお嬢さんに勉強を教えたり、クラシック・コンサートへ行ったり……」

しんみりと語る唐沢を眺めていると、都会の常識的な家族が髣髴され、やるせない気持ちになった。この島にしがみ付かねばならない理由というのが、一体何なのだろうか。

15-b

再び日が昇ると、砂浜で投げ釣りをした。唐沢にシロギスを釣るコツを教えてやる。投げれば何かが食いついたので、唐沢は大いに喜んた。

「小さい魚だから腹の足しになりませんな」

「唐揚げが良いでしょう」

魚犇めくバケツを覗き込む。

竿を持ち、砂浜で立ちんぼする。潮騒の中、蝉が啼いている。

「暑いですね」

唐沢は白く汗光している首筋をハンカチで拭った。

「でも夜は涼しい風が吹きますから」

「あら、お嬢さんがいますよ……」

唐沢が俺の背中を突いて、指を差した。遠く、浜の片隅で、ケイコが太平洋の彼方を見つめていた。島に囚われていた魂が抜け出そうとしているかに見えた。

「唐沢さん、今がチャンスかもしれませんよ」

「まさか、父親のことで帰りたがっているのですか」

束ねた髪の靡くケイコの横顔を観察しながら、

「さあ、思い出に浸っているだけかもしれませんが、……生憎、船がありません」

「では一週間後には、連れ戻せるかもしれませんな」

「そうだとしてましても、晶子ちゃんを何とかしませんと……」

「ただ片山さん、無理やり連れて帰ったとしても、元の木阿弥になりませんか」

舞い戻れば報酬が出ないと言うのか。頼りない唐沢に苛立ち、

「そこまでは責任を持てませんよ。ただお宅は病院でしょう。しばらく精神病の部屋にでも入れて治療したらどうですか」

「そんなことで心が入れ替わりますかな」

唐沢と話しながら、小魚を土産に集落へ戻る。かおりを見かけなかった。

昼前、洗い場が空いたので、唐沢は「雑貨・衛生所」へ行き、シャツを揉み洗いし始めた。「レストラン・市場」には元木がいて箸を握っている。一緒に食事をすることにした。吉村にシロギスの入ったバケツを渡すと、これは高級魚だと、すぐに刺身にしてくれた。

吉村は食べながら、「酋長、元気がないにゃ」

元木はスキンヘッドからずれた羽飾りの帽子を修正し、笑いながら、

「ヨッシー、昨日酋長に提案したのが悪かったさ。たこ焼きを作ってもらっただろ。次はラーメンが食べたいって言ったのさ」

「チャーシューのないラーメンですか」

俺が嫌味っぽく話しに加わると、がんちゃんは目を丸くし、「そしたら、酋長は怒ったのさ。次次と品物を船で運んでもらったら、ここで生活している意味がないでしょ、って」

「口ではともかく、島の生活に飽きているのかもしれないにゃ」

ここぞとばかり、俺は洗い場を差した。

「元気が無いのは、あの人のせいですよ。実は酋長のお父さんが末期の肺癌で死にそうなんです。だからこうやってわざわざ来て東京に連れて帰ろうとしているわけです」

元木は一瞬、舌を噛んだかの険しい表情を見せた。

「そうなのか。でも酋長は優しいからさ、俺たちを置いては出て行けっこないさ」

「そうだにゃ。東京に戻るわけがないにゃ」

やはり仲間の存在が、ケイコの重石だ。が、ルリカケス族は実にお人よしの集団だから、そこは逆手に取れるのではないか。

唐沢がレストランに近づいてきたので、巧言令色なパフォーマンスをしてみた。

「多分そうでしょう。このままでは酋長は出て行きません。示しが付かないと言っていましたから。しかし、吉村さん、元木さん、臨終の際ぐらい、親に会わせてあげたらどうですか。酋長の心に、一生の深い傷が残りますよ。ねえ、唐沢さん」

「え、ええ。少々お借りするだけですから」

俺は意を決したように、拳骨をテーブルに振り下ろし、理性的に語った。

「しかし、このままでは酋長は動きません。死ぬまで皆を守ると言う責任がありますからね。そこで、元木さんや村上さんから、みんなの署名を集めて欲しいのです。『酋長、東京へ戻って下さい』と。皆の要請があれば、唐沢さんと一緒に桂木さんの船に乗るでしょう」

一瞬、間があった。

口を真一文字にしめた元木が、吉村の肩を叩いた。

「よっしゃ、やろうさ」

「やるにゃ」

南のインディアンは予想以上に単純だった。

唐沢の小躍りしている顔を見て、小さくお辞儀をした。

15-c


太陽が沈むと、海のざわめきが一段と耳に伝わる。ケイコが塞いでいるせいか、今晩は踊りが無かった。がんちゃんは十人の署名を集めて、酋長に届けた。

俺は唐沢と祝い酒を飲み、雑談をした。嘘も方便、俺の行為は正しいと正当化する。文明の品に頼り過ぎており、自給自足をしていない。同じモンゴロイド人種で精霊崇拝であるとはいえ、日本人はより現実的。ケイコは大自然に直接育てられたのではない。社会システムがあり、東京にいる両親が世話をして大きくなった。彼女も馬鹿ではないからそのくらいは分かるだろう。ケイコは親元に戻るべきである。

唐沢は酒で顔が赤い。釣りの本を蝋燭に照らして捲りながら、タバコを吹かしている。小魚を数多く釣り、喜んでいる。数日前の手応えを思い出し、本当の釣りはそんなものではないと、「クロダイが釣れそうなポイントが、船着場の向こうにありますが、明日の朝、行って見ますか」

「ええ、餌は何ですか。ああ、魚釣りも面白いものですな。もっと早く知ればよかった」

計画は順調に進んでいるのだが、唐沢はケイコの思う壺になっている。嵌まって行くその姿に、大丈夫なのだろうか心配になってきた。

「唐沢さん、一週間後には三人を連れて東京に戻るのですから、嘘がバレた時の対処は考えて置いてくださいよ」

「大丈夫です。うちの病院ですから。誤診だったということで納まるでしょう」

唐沢はもう仕事が終わり、残りを余暇として思う存分楽しみたいようである。

「でも晶子ちゃんが残っていますよ」

「全てお任せします」

唐沢は信頼に満ちた眼差しを送ってきた。

「分かりました。何とかして攫って来ましょう」

「お願いします」

口先だけの返事で、唐沢は魚の写真を熱心に嘗めまわしている。

だが矢が飛んで来るこの島で人攫いをするのは、並大抵のことではない。しかもジャガー族の酋長の愛娘。まさに虎穴に入らずんば虎児を得ず。晶子を手に入れようとジャガー族に潜り込み無事に南へ戻れるのか。生け贄になるのではないか。裸で万歳すれば受け入れてくれるという。ならばワシ族に襲われたのは態度が悪かったからか。確かに一目散に逃げたのは怪し過ぎた。だが万歳しても、何処の馬の骨かも知らないものを仲間に入れるわけには行かないはずだ。そもそも俺は〈なろう会〉の名簿には載っていない。身元保証となると副会長の兄が手紙をくれたが、果たして役に立つのか……。

蝋燭が二つとも爪先ほどに縮んでいる。妙案が浮かばないので、そろそろ寝ようかと思って横になる。太鼓のリズムで扉を叩く音が聞こえた。

真紅の羽冠が姿を現した。吉村だ。

「アワアワ、酋長が呼んでおられる」

唐沢かと思えば、指名されたのは俺だった。一体何の用事だろうか。訝しがりながら外に出る。爽やかな夜風を浴びながら、漆黒の空に頭を上げると、星が降ってくる。

集落には「病院・美術館」だけ明りが点いていた。闇夜に切れた半裸画の隣のドアを叩く。入ると香木が匂い、奥にケイコが座って待っていた。息子も眠そうに瞬きしている。香炉から紫の煙が燻り、蝋燭がオレンジの輪を作っていた。「酋長、東京へ戻ってください」という署名が広げられている。子供は羽根だらけの人間が踊っている絵を描いていた。

何時ものごとく、長テーブルの入り口付近に座り、ケイコと面と向かう。ケイコは長いキセルを手にしていた。息を潜めて待っていると、ケイコは高い張りのある声で「夜遅く悪いわねえ」と切り出した後、「足の具合はどうか」と聞いてきた。

「傷口が塞ぎましたし、もうどれだけ踊ろうが大丈夫ですよ」

「そう。でもワシ族に潜り込むなんて、ここでは誰もできないわよ。ハブも出てくるしね」

「面白そうだったんで、つい、好奇心が湧きまして」

ルポライターの仕事で潜伏しただけだが、勇敢さを褒められたようで悪い気がしない。

「決心がついたのですね。なら、唐沢さんを起こしてきましょうか」

立ち上がろうとする俺に、ケイコは手を出して制止した。「いや、あなたに用事があるの」

「何ですか」

「危篤の父親に会いに帰るのは、いつでも出来るのだけれど、そうするには、思い残すことが一つあるのよ」

察しはついたが「何を思い残すのか」一応聞いてみる。

「西のジャガー族に晶子という娘がいるのよ。お父さん、あの子、特別に可愛がっていたから、最後に見せたいのよ。一緒に連れて帰れないかしら」 

三百万円の仕事だし、頼りにされては断れない。

「分かりました。誰も行きたがらないから、無鉄砲な自分に頼むと言うわけですね。やってみましょう」

段取りとして、あの郵便配達の男が遣した手紙を要求し、さらに知恵を絞る。

「ケイコさんも手紙で、一筆書いていただければ、理由が強くなるのではないですか。息子の祖父が死んだ。あなたは死に目に会えなかったが、私はそんなことはしたくない。今、あなたの娘の祖父が死にそうなので、娘を一時的に貸してくれ、とか」

「あの畜生に効くかしら」

ケイコは煙を吹き、羽根ペンで手紙を書き始めた。丸みを帯びたかわいらしい字。本当は近藤兄弟の親父もまだ健在なのだから、まさに嘘で嘘を塗り固めたような手紙である。これで晶子を連れて帰るのは無理だろうが、ジャガー族に潜り込む理由にはなろう。潜入すれば攫って逃げるまでだ。

「今のお父さんの気持ちは、私が晶子を想う気持ちと全く一緒のなよね。あの子、いま一体どうしているのかしら」

「ジャガー族について教えていただけませんか」

ケイコの黒い瞳を見据えて真剣に問う。

「前に言ったでしょう」

ケイコはそっけない。

「太陽と闇の神話ですか? こっちは命がけですよ。もっと現実的なことを教えて下さい。この島は一体どうなっているんですか、一体何者が住んでいるんですか!」

ケイコは手の甲で触角の髪を軽く払いながら、笑いとぼけたように、

「さあ、何者が住んでるのでしょうね。赤黒黄白と家の色が違うように、考え方が違う人々が住んでいるわけよ。ただワシ族は福原の一族で固めてあるから説明しやすいかもね。親の死に目も気にする必要がない。だって両親が島に来て住んでいるんだもの。二人の息子夫婦が二組あって、その娘婿が酋長をやっていたわね。それぞれ小さい子供がいたわ。ジャガー族は、大勢いるわね。晶子がいて、私の昔の旦那がいて、霊媒師の男がいる。牧場があって、広場もペットだらけね。食べちゃうのだけれど」

「それで、ルリカケス族を辞めて出て行った人は何人いるんですか」

ストレートに尋ねると、ケイコの目は驚きの光りを放った。

「誰から聞いたの」

「それくらい聞かなくても分かりますよ」

「勘違いしないで。破門にしたのよ。血の気の荒い者、肉を食べる者、馬が合わない者、みんな出て行ってもらったわ。全部で八人、のしを付けて譲り渡してやったわよ」

想定した範囲内だ。

「ジャガー族の霊媒師は何をやっているんですか」

「さあね。悪霊払いでもやっているんじゃないの。生き物の虐殺に忙しいから。でも殺された牛や豚にも深い怨霊があると考えると、普通なら、私らのように菜食主義でないと悪霊から身を守れないけれど、あいつらはおかしいのよね。血で血を洗う? 神に捧げるなら全てが許されると考えているのか、怨霊を解くために新たな血を必要としているのか、わけが分からないのよね」

ケイコは頭をかしげ、束ねた髪を払った。不安と好奇心のシーソーをしていた俺は、再び不安に足が着く。

「そんなわけの分からない所へ、僕は行かされるのですか」

「映画の脚本通りよ。シナリオではね、一番の悪人役がハブ族の酋長で、死神を祀りながら暮らしているわけ。すぐに仲間に逃げられたのだけれど、今でも西や東に干渉して悪事を働いているのよね」

「悪事? 何ですか。やっぱりハブでもばら撒くんですか」

ケイコはもうこれ以上は答えられないと、梅干を噛んだような顔をした。

「それくらい自分で探りなさいよ。噂によるとあなた、嗅ぎまわっているのでしょ?」

「そういえば、宝があると聞きましたが」

そういうとケイコの顔はさらに歪んだが、俺の不安は少し軽くなった。

あの蛇男が最悪なら知れたものだ。奴は、フェリーの中で仲良く話した相手ではないか。ワシ族は怖かったが、コソ泥のように逃げねば矢は飛んでこなかったに違いない。ジャガー族も正々堂々とした態度で臨めば、すんなり仲間入りさせてくれるだろう。

「分かりました。明日の朝、ジャガー族の所に乗り込んで手紙を渡してきます」

微笑んだケイコは気合いの入った声で檄を飛ばした。

「よし、それじゃぁ、吉村さんに案内してもらうように言っとくわ」

引き攣る頬に手を当て、いよいよ本格的に探偵をやるのかと俺は性根を据えた。