28-g
銃声がしない。弓矢を構え、じりじりとカーブを曲がって様子を見ると、一団がストップしていた。
息子が倒れていた。ケイコが慌てている。
息子の口を塞いでいた藤本が「ハブに咬まれた」と囁く。
ケイコがふくらはぎに口を付け、必死で毒を吸い出していた。子供は痛くて藤本の腕を齧るように泣いている。
「どうしよう～、早く何とかしないと、翔太が死んでしまうわ～」
小さな足に毒が回っている。母親は真っ青になって、ひたすら毒を吸い取っている。
「子供だ。後一時間も持たないかもしれない」
藤本が呟いた。
俺はあの時を思い出した。血清と毒吸い取り器が、山小屋にあったことを告げると、「そうなの！」歓喜の声が反応した。ケイコは「小屋はどこだったかしら」と遠い記憶を探った。
藤本が炭焼きで山小屋へ行っていたので詳しかった。トウモロコシ畑を横切れば近いと教えた。
足を黄色いバンダナでしっかり縛り、藤本は翔太を背負った。俺は翔太の食糧を抱えて付いていく。
トウモロコシの髭が姿を現した。畑を過ぎると、藤本は疲れたようで、荷物と弓矢を交換に、今度は俺が背負う。ずしりと腰の辺りが重くなる。
疲れた体に鞭打って背負い、足掻くように上る。
山小屋へ行くのは自殺行為ではないかと思った。毒蛇は多いし、あづまが巡回していたら蜂の巣になってしまう。
ヘゴが密生し、紫の蝶が舞う。羊歯の緑が風に揺れていた。山小屋付近は草が刈り取られておらず、一週間前咬まれたばかりだったので、恐る恐る足を繰り出す。
急に藤本の足が止まった。双眼鏡で、様子を見ている。
少しずつ前進する。
山小屋が見えたとたん、「伏せろ！」と声が飛んだ。
「いや、あれは人形だ」
樹木からに見え隠れするような場所に、烏帽子とジャケットをつけた案山子があった。
吉村の死体があった。俺はそばに立った。案山子の銃撃を逃げようとしたようだ。吉村の足には、吊りわなのロープがあった。
俺は森の中を歩く勇気が萎えた。
「まだいるのかしら」
「雨戸が閉まっている。今は外出中だ」
鎖で鍵がかけてあり、丸太の戸は柱のように厚かった。
「酋長、斧か何かないと無理ですよ」
藤本は山小屋を一周し、どこか侵入する場所を探したが無駄だったらしい。 息子は苦しみのあまり「ういい、ういい」と不可解な声で唸っている。
ケイコは未だにナタを持っていた。山小屋の壁を叩いて歩く。彼女は厚さを見て回り、雨戸の前で止まった。一番可能性があると目をつけ、ナタの刃を立てる。切れ込みを徐々に膨らませて大きくした。手でこじ開けようとする。
「片山くんも手伝ってよ」
ナタを渡され、少しでも多くの切れ目を入れる。隙間が縦に広くなり、左右に亀裂が入ると、蹴飛ばし、一気に破った。
侵入した俺は記憶を辿る。確かテーブル付近に血清の小箱と毒の吸い取り器があった。ケイコと藤本は雨戸を丸ごと外し、息子を運び入れている。
毒吸い取り器は直ぐに見つかった。ケイコに渡す。が、肝心の血清がない。用心にもって出たのかもしれない。
引き出しを引っ張っる。研究の書類の他、現金が五百万円ほどあった。
ベッドの下を覗く。粉の入った箱があった。これだ。ケイコに渡す。
ケイコは水で溶かし、注射器を指先で弾き、息子の腕に打った。
俺は巡回に来るのではないかと気が気でない。
「酋長、早くここから出た方が良いですよ」
「マッチない？」
血清を打ったケイコは安心したのか、小屋にあったタバコを吹かしはじめた。
藤本は引き出しから書類を出し、マリファナを包む紙にした。チャイルド装置の設計図に思われた。ランプ兼火炎瓶がケイコの目が留まった。
「いい油、あるじゃない」
俺は残った二つのうち一つを渡す。
ケイコは毒吸い取り器と血清を持ち出し、火炎瓶を書類に投げつけた。
油を食った炎は雨戸に飛び移り、煙を上げ燃え始めた。
火の回りは速かった。俺たちが山小屋から去る頃には、炎が小屋全体を包み、噴煙を上げていた。
息子を背負った俺は、逆鱗に触れたのが恐ろしくて、一歩でも早く山小屋から遠くに行こうと足を急いだ。
29-a 真剣勝負
ケイコは札束を腰に巻いていた。弓矢を荷う藤本は、ナタで枝葉を切り分け、案内する。
樹木の切れ目をさ迷う。がむしゃらに動くに連れ、緑が深くなる。枝葉の露で体がべとべとになっていく。足元や枝葉に気をつける。息子を休ませる場所がないか探す。
「ここで休みましょう」
湿り気がなく、西日が当たる傾斜に、俺たちは腰を下ろした。
こぶし大の石に、トカゲがするすると動いて仰け反った。藤本が意味ありげに笑い、寝そべる。
ケイコはリストと地図を見ている。山小屋を大きな×で消し、トモコの名前にも×を入れた。
空が赤く染まっている。子供なら死ぬ可能性もあるが、生命力が強いのか翔太は呼吸をしていた。息子を抱擁しているケイコは浮かない表情で、
「そろそろ行こうかしら」
「北にですか」
今さら奴の居る場所にのこのこ出かけていくなんて、危険この上ない。自殺行為だ。俺がためらっているの読んだのか、ケイコは例のごとく挑発的になった。
「ひょっとして、あなた、怖いから行きたくないの？」
「はい。まだ死にたくないです」
とうとう本音を白状してしまった。ケイコの前では虚勢を張り続け、弱い自分を隠していたが、初めて素直になった。
ケイコは薄ら笑いを浮かべ、寝ている息子と見比べるような優しいまなざしをしていた。
「じゃあ、藤本先生、一緒に行きましょう」
藤本は恨めしげに俺を見た。逃げ回っていたから必ず断ると思ったが、意外にも弓矢を持って立ち上がった。
「よし、近道を案内してやろう」
「片山くん、翔太を頼むわよ。グッドラック」
北へ向かった二人は森に消えた。
俺は猛毒と戦っている翔太の側に近づく。熱で汗まみれの子供。生き残ることは出来たが、毒蛇の森に残され、また咬まれるかもしれない。
青葉の茂みにツユムシがジイジイと鳴いていた。
強烈な虚しさに襲われた。たとえ殺されるとしても、最後までケイコと行動を共にすれば良かった。まだ間に合うだろうか。だが息子の面倒を託されている。
携帯していたペットボトルの水も残り少なくなっていた。
どうせ、このまま二人は戻ってこない。そうなると夜が来てハブが怖い。朝になれば死神が怖い。どうせ死からは逃れられない。俺は死ぬ時、何を思うだろうか。死の苦悶に喘ぐ際、殺して食ったクロウサギや牛丸の姿が点滅するかもしれない
俺の命は、沢山の生贄の上にあったのだということに、やっと気づくのかもしれない。俺自身が死ぬ瞬間に。
ルリカケスが高木の梢でうるさく鳴いていた。
俺は動く決心をした。眠っている翔太を背負い、力を振り絞って森を下りた。
ケイコの痕跡を探しながら、ハブに気をつける。
どうせケイコは戻ってこない。翔太はジャガー族の集落に置いておこう。沈み行く太陽の方角を目指して、枝を折り、蜘蛛の巣を引っ掛けながら進む。
西に果てしない金色の海が広がっていた。
トウモロコシ畑を出て道に合流すると、強烈な死臭がした。休憩をとり、翔太を下ろして、水を飲む。ソテツの陰が長く覆いかぶさっている。
翔太が目覚めた。半分死んでいる。「死んだふりをしろ、動いたら死ぬぞ」とアドバイスする。
ジャガー族の集落へ戻ると、ガジュマルの傍で羽飾り帽子の少女が佇んでいた。
「あれ、晶子ちゃんここにいたの！」
「あなた、ハブ族じゃないの？」
「違うよ、味方だよ。北にある洞窟に隠れていたのではないの？」
「牛小屋で干草の中に隠れていたわ。あっ、そうだ」
晶子は指を差した。視線を移すと、肉屋の前で、シンケンが刀を研いでいた。
俺は近寄って声をかける。
「まさか、死神を殺ったのですか」
「そんなわけ無いだろ。枝を伐ったぐらいだ。刃毀れが酷くてな」
シンケンは死んだのだとばかり思っていたので意外だった。
「よく御無事でしたね」
「運だよ、運。吉村と攻め込んだんだが、仁王にばったり出会ってな。向こうもびびっていたんだが、矢が当たらなかった。吉村は罠にかかって撃たれた。俺は樹木を楯に何とか逃げ通せた。やはり猪突猛進は良くないな。全く手も足も出ない。次の機会を狙って、隠れて様子を窺っていただけさ。そういや、浜に逃げた臆病者がいただろ。のこのこ出て来やがって、俺について来るんだ。足手まといだったよ」
「二人とも死んだんですか」
「ああ。お前も見たろ。東で煙が上がったのを。おれら三人、あの時、森のど真ん中にいたんだ。あれを見て、今が北へ行くチャンスだと思った。敵は東にいるんだからな。この隙にと、北に行ったのが、飛んで火にいる夏の虫だ。死神先生が待ち構えていたんだ。何てこった、火を放ったのは囮作戦、あれは罠だったんだ。安全だと思っていたから、もう俺たちはパニックだ。三人散らばって逃げ、結局残ったのは、ここにいる俺だけだ」
シンケンは自虐的な笑いを見せたが、心は力強くなった。
「お前と一緒にいたあの女は死んだのかよ」
「いえ、息子がハブに咬まれて……」
俺はこれまでの経緯を語った。
シンケンは磨き上げた日本刀に西日を当て、水を払い、立ち上がった。
「ピストル持って攻めに行ったんだな。なら今しかない」
シンケンは刀を鞘に納め、矢筒を持ち、弓を提げた。海沿いの道を疾走する。
俺は晶子に翔太の世話を頼み、洋弓を持って追いかけた。
ケイコと藤本はどうなったのか。走りながら生きているのを願う。
北の岬に近づくに連れ、シンケンは足を緩め、身を屈めた。
彼は手を横に出し、俺の鼓動を止めた。
覗いてみると、白い家は何事もなかったように無傷で残っている。
どんな罠が張り巡らされているのだろう。
枝が足元に飛び、ギクッとした。這いつくばる。
「こっち、こっち」と囁く声がする。
声の方向に行くと誰もいない。凝視していると、ソテツの辺に手招きが見える。シンケンと一緒に茂みに飛び込んだ。
「どうして来たのよ。翔太はどこに置き去りにしたのよ」
ケイコは怒りを露にした。晶子が生き延びて西におり、看護してもらっているので大丈夫だというと、ケイコの顔は綻んだ。
そちらはどうだと尋ねる。
ケイコは何も語らない。静かに息を殺して潜んでいる。
まさか、死神を待ち伏せしているのか。
俺は周囲を見回した。見張りに適している。隠れている位置は、森への入り口と、海沿いの道との中間辺り。ハブ族の集落が一瞥でき、死神の社と衛生所の間がくっきり見通せる。その向こうは崖。薄暮になれば人影は鮮明に映る。だが、こちらは森だから見つけにくい。
死神とて、出歩く必要がある。じっと潜んでいるのは合理的かもしれない。
だがあの死神だ。森で一夜ぐらい過ごすのではないか。
この茂み、ハブが出るのではないか。
ケイコの読みを信じて現れるのを待ったが、不安になる。
「酋長、別の場所にいるのではないですか」
「黙りなさい！」
厳しい囁きが飛んだ。ケイコは俺の考えを全く受け付けない。
怒られるから微動だにしない。ただ弓を引く準備をする。
こほっ、こほっ。
遠くから微かに咳込む音が聞こえた。
いるのだ。あづまとて馬鹿ではない。処刑リストを消去した後、残党がいることは承知だろう。戻らない木田が死んだと考えるなら、銃を奪われたことも承知しているだろう。不用意に出られないわけだ。
29-b
地の利が無くなるほど暗くなろうとする頃、ケイコが皆の肩を叩いて囁いた。
「どこかにいるわね」
「いるいる」「おお」「咳が聞こえました」
俺たちは囁き合った。
「誰かが誘き出して、現れたところを襲うしかないわ」
返事が止まった。
誰かがって、誰だ？
まさか火炎瓶を一本持っている自分か？
「それしかない。四人とも沈むか。一人が犠牲になるか」
藤本は悟った声で賛同した。
だが誰がそのリスクを担うのだ？ 俺は誘う出す役目など御免だ。
「じゃんけんで決めようかしら」
ケイコはあっけらかんとした声を出した。
運が公平なのか？
そうだろう。やっぱり、それしかないか。
草むらに緊張感が走ったとき、シンケンが低い声でぼそっと言った。
「あんたらじゃ、引っ張り出せねぇ」
シンケンは黒いバンダナを外し、ピンク色のを締めた。日本刀をすっと引き抜いた。鞘を俺に渡し、胸を張って、堂々と歩き出した。
その行動に胸が裂けそうになった。
薄暗い広場に出たシンケンは咆えた。
「先生～ 決着を付けようぜ！ 勝負だ～」
護衛隊長が命知らずの叫びを上げたとたん、ライトがぱっと点灯し、高いサイレンが鳴り響いた。同時に、銃声が連発した。
シンケンは「卑怯～」と怒りの声を張り上げ、崩れた。
赤外線センサーが機能したのだ。放心状態で様子を見つめていると、窓からサングラスの顔が出てきた。
あづまは森に向って目くらめっぽう撃ちはじめた。
伏せた俺の頭上を、弾が掠めた。頼みのケイコを見るが、一発も放たない。
やがてライトは消え、薄暗い世界に静寂が広がった。
弓を握る俺の手はねっとりと汗ばみ、撃たれたシンケンの映像が頭によみがえる。センサーが反応してから一瞬の出来事。相手に対する感情も何もない。まるで熱に飛びつくハブだった。
シンケンは一対一での勝負で引きずり出そうとしたのだろうが、相手はそんな情など持ち合わせていなかった。誰であろうが近付いた者は問答無用で撃ち殺す。あづまはあくまで自分の土俵で勝負する。ルールなき殺し合いの世界……。
死神の社から光がこぼれてきた。ブラックルームにロウソクを点けたのだろう。
やがて、狂気の部屋から弾む太鼓の音が聞こえてきた。
「死、死、死……、死、死、死……」
一定のリズムと声で叩き続ける。
ケイコも、藤本も、息を潜めて様子を伺っている。
どちらが有利か。人数ではこちらだが、シンケンが死んだ今、残された弾を考え、あづまではないか。
死神という名の虫が鳴いている。俺は敵の立場で考えた。
あづまは今、包囲されているが、形だけに過ぎない。逃げようと思えば、いつでもできる。罠を仕掛けている可能性も高い。俺たちはそこにおびき出されて殺される運命にあるのかもしれない。だが今は無理だ。赤外線ゴーグルでもあれば別だが、俺とてハブ族にいた。俺の知る限りでは、それはない。となると、今夜はブラックルームで一夜を過ごしながら、明日俺たちを始末するイメージトレーニングでもしながら眠る、というのか。
「敵も出られないわ。明日の朝まで」
ケイコが囁いた。
そうか。赤外線センサー諸刃の剣。相手だけではなく、自分にも反応するのだ。
「ハブ族がなしたことをそのままお返ししましょう」
俺は二人に火炎瓶を出して見せた。
「燻りだすか……。仕掛けは分かったし、戦うなら今だ」
「そうよ。せっかくの犠牲を無駄にしてはいけないわ」
「シンケンがサイレンに驚いた場所」と藤本は広場の中央を指しながら、「あの距離で、赤外線センサーが感知する。ということは、あの距離までは大丈夫だ。だからギリギリまで前進して狙いを定め、正面ドアを出てきた瞬間を仕留めよう」
俺はそう簡単にいくとは思えなかった。奴ならそれぐらい想定していそうだ。
「確かに後ろは断崖絶壁ですが、左右をぶち抜いて出てくるかもしれませんよ。もちろん、赤外線センサーの電源を切って」
二人は沈黙した。
だがこの火炎瓶を投げるしか手がない。他にどうすればいいのだ。
29-c
涼しい夜風が首筋を通り過ぎる。
這うようにケイコと藤本が前進した。
「とりあえず、障害物になる家まで行くわよ」
ケイコたちはあづまの研究室を目指しているようだ。
デス･マシーンがある部屋。何か仕掛けがありそうな予感もする。
土を摩りながら、俺たちは研究室の後ろに隠れた。
辺りは暗くなった。太鼓の音も消えた。断崖を打ち付ける波の音だけが聞こえる。
ケイコと藤本は首を出し、死神の社の様子を伺っている。
俺は反対側から覗いてみた。人気のない場所に、殺気だけが感じられた。
「どうしようかしら」
「火を投げるしかないよ」
藤本は投げやりに答えた。俺はマッチをする準備をした。
「やはり今しかないですか」
二人はうなずいた。
俺は覚悟した。この攻撃が失敗すると、勝負は明日になる。昼になれば、あづまは自由に動き回れ、俺たちの生存率は低くなる。
ケイコはシンケンが置いた弓を手に取った。
「残された弾は二発。外れたら、あとはこの弓しかないわ」
藤本は声を荒げた。
「ピストルは決定的な瞬間に使うべきだ。二発しかなかったということは、奴は木田に弾を少なめに渡していたのだろう。奴は弾が尽きるのを待っているのかも知れん」
「なら、どうするのよ」
藤本は指先を振り回して説明し始めた。
「ますは敵の数を多く見せるため、正面から三人で一斉攻撃。そしてすぐケイコくんと片山くんは左右に散らばり、逃げ場が崖しかない状態に追い込む。正面には私の矢が狙っているから、左右に逃げざるを得ない。だから片山くんが左側から火炎瓶を投げれば、奴は右に逃げざるを得ない。そこをケイコくんは狙い撃ちする」
俺は感銘した。良さそうなアイデアだ。が、赤外線センサーはどうする。
「すぐにサイレンが鳴りますよ」
「大回りしていけばいい」
俺はうなずいた。
だがそれでは矢を放った後、肝心の正面が藤本だけになってしまうではないか。いや、あづまは生存者が何人いるか正確な数は知りえない。なぜなら、木田は東で殺されたのだから。
はったり作戦だが、この賭け、勝てるかもしれない。
俺たち三人は、続けて矢を射れるよう用意し、弓を引く。
皆、正面に狙いを定めた。
藤本の合図と同時に、一斉に放つ。
藤本、ケイコ、俺。三人が急いで弓を引き、四、五回、矢を繰り出す。
的が近いせいか、満遍なく正面のドアに当たった。
死神の社の扉に、鋭い音が何度も打ち付ける。
俺は強く響く音に満足を覚えた。
よし、計画通りだ。俺とケイコは左右に散った。
29-final
衛生所の後ろに回った俺は、壁に背持たれ、呼吸を整えた。
マッチを擦ったが、すぐ消した。
あまりの暗さに俺は投げるのを躊躇った。
瓶が窓に入らず、外れたらどうする。
壁にすら着火しないかもしれない。風と距離間を感じ、自信がない。
俺は絶望を感じた。投げて、炎上する可能性。かなり低い。
だが失敗は許されない。絶対に。
正面に藤本、右サイドにケイコが待っている。近づくしかない。
だがライトが灯ってサイレンが鳴る。
果たして奴はどのように動くか？
シンケンは赤外線センサーを知らずに撃たれたが、俺は仕組みを知っている。
ライトが点けば、窓から銃撃してくる。
窓から死角になる場所はどこだ。隅だ。
だが、広場の隅は早めに察知される。
チャンスがあるのはありえない場所。断崖絶壁の、ぎりぎりの隅。
リスクがあるから勝機がある。崖に向かって走る奴はいない。
俺は決意した。走って滑り込んだ。
ライトが付き、銃声がした。
俺は転がり、社の壁に火炎瓶を放った。
突き上げるような潮風にぞっとし、深く伏せた。
あづまは首と銃を出した。撃ってきた。
すぐに見つかる。
もはやこれまでか。俺の思考は止まった。
何をしていいのか分からない。銃で殺されるぐらいなら、崖を飛び込むほうが……。
時間が止まった。
俺の意識は戻った。
扉を強く打つ音が連発した。藤本が矢を射たようだ。
あづまは首を引っ込めた。
しめた。俺は逃げ、衛生所の裏に戻ることに成功した。
大きく息を吐き、死神を祀る社を覗いてみる。
赤外線センサーは消え、代わりに真っ赤な光が目に入る。木の壁に油がまかれ、着火している。
俺は狂喜した。
これからだと、狙いを定め、弓を構える。
じわじわ炎が広がっていく。
死神の社の出口にがつっと深い音がした。藤本が矢を放っている。
何本も、扉に向けて射て、威嚇しておく。
あづまを閉じ込めている。俺も一つ、渾身の思いで、炎めがけて矢を射た。
存在感のある音がした。
どうする。奴は何処へ逃げる。
縦へ燃える火の手は回りが速い。左側は大部分が炎に包まれた。
俺は弓を引く。限界まで引いて狙いを定める。
出て来い。死神め。赤外線センサーを切っても、火事でこれだけ照らされていれば確実性は高い。出てきたら一発でしとめてやる。
大量の煙がどっと出てきた。我慢できず、正面のドアを開けたようだ。
俺の口びるは渇き、鼓動は激しくなった。
現れた男は、机、あのブラックルームの長台を楯にしていた。
これでは藤本はどうしようもない。
手と顔がぬっと出た。あづまは銃を構えていた。
そこだ。俺は射た。
矢は外れた。
気づかれたか？ 狙いが小さすぎる。
舌打ちした俺は再び弓を引いた。
銃声が６連発した後、うわっと叫ぶ声が舞い上がった。
藤本の声だ。
あづまは安堵しせず、烏帽子を地面に落とし撃ち続ける。
まだ他にも敵がいると想定しているようだ。
炎がブラックルームを食い尽くすと、あづまは体を大部分さらけ出した。
疲れているのか、背中に丸みを帯びている。
蛇の物体が姿を現すと、俺は藤本の仇だと射た。
脚に当たった。あづまは倒れ、死神の社の右側に這った。
俺の視界から、あづまが消えた。
すぐ銃撃戦があった。
甲高い声が短く木霊した。
静寂が広がった。
ケイコの高らかな声が聞こえてきた。
（了）