14-b | 蛇のスカート   

14-b

  村上を探し始めたとき、太陽は既に西に三十度ぐらいに傾いていた。村上は半年前に来た二十六の若者。背丈は普通だが、横幅があり、三枚目の印象を受けた。

村上は厨房の壁越しに住んでいた。「レストラン・市場」へ行き呼び出すと、蒸し暑い中に芳子が転がっていた。「炭焼きでもしに行ったんじゃない」と言うので、広場を歩き回り、店の裏庭に回る。草を蹴りながら歩く。ケイコは情に脆そうだから親を慕って東京に戻る可能性がある。となれば問題は晶子だが、これだけは潜入しなければどうにもならない。果たしてジャガー族に鞍替えする方法があるのか。抜け出した仲間がいる以上、あるはずだ。ただ、ワシ族に襲われたように、身の危険が付き纏うから、仲間になる方法があるのなら村上から聴きださねばならない。

スダジイの長い木陰が伸びていた。ブーゲンビリアが紫に咲き零れ、アゲハチョウが舞っている。炭焼き窯は無人だった。森にでも入ったのかと探しに向かう。

森に潜れば、羊歯の髭が背中を撫でてくる。夕暮れも近いし、そろそろ戻ってくるだろうと、蝉の声を聞きながら待つ。

やがて緑の羽飾りを頭に立てた男が鉞を片手に、木を担いで戻ってきた。

偶然を装って「やあ、村上くん」と接近する。

「それで何か作るのかい」

村上は毎日外に出て動いているせいか、キツネ色に焼けており、目と歯だけ異様に白かった。愛想の良い返事をして、

「ああ、片山さんか。道の邪魔になりそうなのを三本ほど伐採しておいたよ。これも大切な自然の恵みだからね。これは薪にするには惜しいほど、りっぱに捻じ曲がっている。何か芸術作品が作れるね。まるでМ字だ……」

村上は荷を降ろし、木の形を自慢した。俺に似て捻くれている木に同情する。

「伐られる木もさぞかし痛かっただろうね」

「ちゃんとお祈りを捧げたよ。木が怒って毒蛇に襲われたら、かなわないからね」

「森に入って木を伐るなんて、物凄く勇気のいることだ。誰もやりたがらない仕事だよ」

持ち上げると、村上は「そうかい」と単純に喜んだ。競争心もなく、呑気に夫婦で幸せを満喫しているこの若者には反感を持っていたので、これまで親しく会話をしなかったが、今日ばかりは心を開いた。

眼を潰すような夕日を見上げる。「今日はいい天気だね」

「う~ん、赤々と照りつける太陽。青く茂る葉っぱ。あれを食んで生きれば言うことはないね。あと、子供がいるな」村上の顔は日差しに輝いている。

「お前は牛か」と言いたいのを我慢しながら、

「平和だね。ルリカケス族は喧嘩も少ないし、みんな穏健な性格だよね。そうそう、僕は違うけれど、君は〈なろう会〉のメンバーなんだよね」

「ああ。おいらは半年前に着たけれど、実は三年前、ここで半年間過ごしたんだ。片山さんも、かおりちゃんがダメなら、誰か連れて来たらどうだい。男の一人暮らしなんて不自然だよ」

俺の好奇心が倍増した。

「へー、じゃあ、減っていてびっくりしただろ。三年前ここは何人いたんだい」

「変な質問をするな、何でそんなことを聞くんだ」

にこやかな村上の眉間は疑惑で歪んでいた。まずかったかと頬が引き攣る。

「いや、ひょっとして山に入って、東西の連中に生け贄にされたのではないかなと思って。僕は脚を矢で撃たれたからね」

もっともらしい質問が功を奏したのか、再び表情が軽くなった。

「裏切って山を越えた奴も何人かいるよ。本能のおもむくまま畜生の世界に走ったんだ。生け贄にされたか、向こうで楽しくやっているか、そんなことは分からない」

「やっぱり向こうのインディアンは畜生なのかい」

村上は釘を刺すように、「片山さんはまだ知らないだろうけど、この映画島の脚本がそうなんだ。東西南北それぞれにわかれて、それぞれの部族の神に仕えてんだ。片山さんは運がいいよ。南は文明神と大地の女神を祀っている善玉だからね。でも東西は太陽と闇に血を捧げている」

「それは酋長から聞いたよ。連中は殺生が仕事なんだろ。でも何でそんな奴らの所に裏切ったりして行くわけだ。向こうがこっちに来るのならともかく……」

執拗に追求すると村上は困り果てた顔をした後、嘲笑うかのように、

「知らない。平和思想に飽きたのかもね。伐採だって立派な殺生だ。所詮、殺生なしでは生きて行けない。南は甘いのかもね。血を見るのを嫌って、たこ焼きを食ってる」

村上は真っ白な前歯を見せた。やはりそうか、と自信が深まる。

「インディアン本来の姿を求めたんだね」

「きっと肉が食いたかったんだよ」

「そうだね。魚ばっかりだもんね」

村上は真面目な表情で、「魚にも血は流れるよ、あの西日の色に似た……」

その指は夕焼けを差している。既に海に重なろうとしていた。鮮血を想像させ、厭世観が湧き上がる。

「何か溜息が出るよね。自分も血を流さなきゃならないような、怖い話だ」

「牛の身になってみれば肉が食えないよ。せっかく生きているのに、何で殺してまで食べなきゃいけないんだって、片山さんもそう思わないか」

悟ったような顔をしている青年の横顔に俺の面影を見る。この男は多分、不毛の哲学でも齧っていたのではないか。世の中や人生に悩んだ挙句、この島に流れたのだろう。未開人になって踊り、思考は停止したのだ。同情しながら微笑み、わざと突っ込んでみた。

「何で牛を食べるかって? 腹が減るから食べるんだ。生きるためだろう」

「何で生きるんだ」

「さあ、生きているから生きているんだ。そこに在るから在るんだろ」

「片山さん、そりゃ実在論だ。意識とは別に存在がそこに存在する。でも存在するものにもそれなりのストーリーがあるんだ。片山さんだって、俺だって、この島に来るまでの長いストーリーがある。同じように、自然、水、森、石、種などが出来るまでのストーリーがあるんだ」

公園で踊り、ちゃぶ台に札束を並べた郵便配達の男を思い出しながら、

「そりゃ、一匹の虫にだって蛹から成長するまでのストーリーはあるだろう。僕がここに来たのも偶然なのではないかな」

「片山さんは夢がないなあ。大地の精霊が片山さんをここに呼んだんだ。……神話によると、遥か昔、地球の大地は月みたいに殺伐として味気なかったらしいんだ。でも大地の女神コアトリクエが太陽と結ばれると、大地の女神コアトリクエは母となり、今のような緑の地球になったんだ。コアトリクエの体は水や石となり、風となり、森となった。多くの種や花をばら蒔き、この美しい大地となったんだ」

村上は生き生きとした声で軽快に語る。

「そのストーリーの中に僕たちは生きているのかい」

「そうなんだ。偶然じゃないんだ。最初に神話があって世界はスタートしたんだ。なのに科学はそれを冷たい眼差しで分析している。彼女の肌にある岩、砂、あらゆる物質。そして彼女がばら撒いた生き物たち……」

「へー、じゃあ僕らは女神の肌の上で蠢いている芋虫みたいなものなのかい」

「またまた夢の無いことをいうなぁ。女神は地上の生き物達を全て踊らせるんだ。芋虫だって蝶々になって大地を舞うんだ。ワシやルリカケスだってそうだ。足も翼もないハブだって、体全体を使ってくねくね大地を踊るんだ。人間だって正にそうなんだ」

村上は目を細め、夕日を見つめながら力説している。

まだらな西空を見ながら「違った」と思った。この男は南から離れそうにない。心から大地の女神が気に入っている。ケイコや仲間を裏切って西に行く玉ではない。

村上に見切りを付け、長瀬でも当ろうと立ち上がった時、村上がボソッと低い声で、軽蔑したように喋った。

「片山さんはここで踊るのに飽きたんだろ。ジャガー族の仲間になりたくなったんだろ。何たって向うには会長がいるもんね」

背中から心臓を射られた気がした。笑って誤魔化す。

「あんな連中、恐ろしくて近寄れないよ。いいかい、僕は一回殺されそうになったんだよ」

「礼儀作法があるんだ。素っ裸になって両手を挙げて行けば受け入れてくれるよ」

喋った後、村上は視線を落とし、鉞と木を拾い、女の待つ家に戻っていく。

唖然としたまま後姿を見送る。一体何を考えているのか。仲間が出て行っても平気なのか。普通仲間に向かってこんなことを言うだろうか。

見かけほど腹が読めないものだと立ち尽くしていると、乾いた太鼓の音が勢いよく鳴り始めた。吉村のジャンベが誘っている。元木のラッパも同調する。号令を聞き、ルリカケス族が広場に集う。昼間拾って用意しておいた枝が、石像の近くに投げ込まれる。

燻る炎の中、蛇のスカートを揺らしながら、ケイコが舞台に邁進していた。