15-c | 蛇のスカート   

15-c


太陽が沈むと、海のざわめきが一段と耳に伝わる。ケイコが塞いでいるせいか、今晩は踊りが無かった。がんちゃんは十人の署名を集めて、酋長に届けた。

俺は唐沢と祝い酒を飲み、雑談をした。嘘も方便、俺の行為は正しいと正当化する。文明の品に頼り過ぎており、自給自足をしていない。同じモンゴロイド人種で精霊崇拝であるとはいえ、日本人はより現実的。ケイコは大自然に直接育てられたのではない。社会システムがあり、東京にいる両親が世話をして大きくなった。彼女も馬鹿ではないからそのくらいは分かるだろう。ケイコは親元に戻るべきである。

唐沢は酒で顔が赤い。釣りの本を蝋燭に照らして捲りながら、タバコを吹かしている。小魚を数多く釣り、喜んでいる。数日前の手応えを思い出し、本当の釣りはそんなものではないと、「クロダイが釣れそうなポイントが、船着場の向こうにありますが、明日の朝、行って見ますか」

「ええ、餌は何ですか。ああ、魚釣りも面白いものですな。もっと早く知ればよかった」

計画は順調に進んでいるのだが、唐沢はケイコの思う壺になっている。嵌まって行くその姿に、大丈夫なのだろうか心配になってきた。

「唐沢さん、一週間後には三人を連れて東京に戻るのですから、嘘がバレた時の対処は考えて置いてくださいよ」

「大丈夫です。うちの病院ですから。誤診だったということで納まるでしょう」

唐沢はもう仕事が終わり、残りを余暇として思う存分楽しみたいようである。

「でも晶子ちゃんが残っていますよ」

「全てお任せします」

唐沢は信頼に満ちた眼差しを送ってきた。

「分かりました。何とかして攫って来ましょう」

「お願いします」

口先だけの返事で、唐沢は魚の写真を熱心に嘗めまわしている。

だが矢が飛んで来るこの島で人攫いをするのは、並大抵のことではない。しかもジャガー族の酋長の愛娘。まさに虎穴に入らずんば虎児を得ず。晶子を手に入れようとジャガー族に潜り込み無事に南へ戻れるのか。生け贄になるのではないか。裸で万歳すれば受け入れてくれるという。ならばワシ族に襲われたのは態度が悪かったからか。確かに一目散に逃げたのは怪し過ぎた。だが万歳しても、何処の馬の骨かも知らないものを仲間に入れるわけには行かないはずだ。そもそも俺は〈なろう会〉の名簿には載っていない。身元保証となると副会長の兄が手紙をくれたが、果たして役に立つのか……。

蝋燭が二つとも爪先ほどに縮んでいる。妙案が浮かばないので、そろそろ寝ようかと思って横になる。太鼓のリズムで扉を叩く音が聞こえた。

真紅の羽冠が姿を現した。吉村だ。

「アワアワ、酋長が呼んでおられる」

唐沢かと思えば、指名されたのは俺だった。一体何の用事だろうか。訝しがりながら外に出る。爽やかな夜風を浴びながら、漆黒の空に頭を上げると、星が降ってくる。

集落には「病院・美術館」だけ明りが点いていた。闇夜に切れた半裸画の隣のドアを叩く。入ると香木が匂い、奥にケイコが座って待っていた。息子も眠そうに瞬きしている。香炉から紫の煙が燻り、蝋燭がオレンジの輪を作っていた。「酋長、東京へ戻ってください」という署名が広げられている。子供は羽根だらけの人間が踊っている絵を描いていた。

何時ものごとく、長テーブルの入り口付近に座り、ケイコと面と向かう。ケイコは長いキセルを手にしていた。息を潜めて待っていると、ケイコは高い張りのある声で「夜遅く悪いわねえ」と切り出した後、「足の具合はどうか」と聞いてきた。

「傷口が塞ぎましたし、もうどれだけ踊ろうが大丈夫ですよ」

「そう。でもワシ族に潜り込むなんて、ここでは誰もできないわよ。ハブも出てくるしね」

「面白そうだったんで、つい、好奇心が湧きまして」

ルポライターの仕事で潜伏しただけだが、勇敢さを褒められたようで悪い気がしない。

「決心がついたのですね。なら、唐沢さんを起こしてきましょうか」

立ち上がろうとする俺に、ケイコは手を出して制止した。「いや、あなたに用事があるの」

「何ですか」

「危篤の父親に会いに帰るのは、いつでも出来るのだけれど、そうするには、思い残すことが一つあるのよ」

察しはついたが「何を思い残すのか」一応聞いてみる。

「西のジャガー族に晶子という娘がいるのよ。お父さん、あの子、特別に可愛がっていたから、最後に見せたいのよ。一緒に連れて帰れないかしら」 

三百万円の仕事だし、頼りにされては断れない。

「分かりました。誰も行きたがらないから、無鉄砲な自分に頼むと言うわけですね。やってみましょう」

段取りとして、あの郵便配達の男が遣した手紙を要求し、さらに知恵を絞る。

「ケイコさんも手紙で、一筆書いていただければ、理由が強くなるのではないですか。息子の祖父が死んだ。あなたは死に目に会えなかったが、私はそんなことはしたくない。今、あなたの娘の祖父が死にそうなので、娘を一時的に貸してくれ、とか」

「あの畜生に効くかしら」

ケイコは煙を吹き、羽根ペンで手紙を書き始めた。丸みを帯びたかわいらしい字。本当は近藤兄弟の親父もまだ健在なのだから、まさに嘘で嘘を塗り固めたような手紙である。これで晶子を連れて帰るのは無理だろうが、ジャガー族に潜り込む理由にはなろう。潜入すれば攫って逃げるまでだ。

「今のお父さんの気持ちは、私が晶子を想う気持ちと全く一緒のなよね。あの子、いま一体どうしているのかしら」

「ジャガー族について教えていただけませんか」

ケイコの黒い瞳を見据えて真剣に問う。

「前に言ったでしょう」

ケイコはそっけない。

「太陽と闇の神話ですか? こっちは命がけですよ。もっと現実的なことを教えて下さい。この島は一体どうなっているんですか、一体何者が住んでいるんですか!」

ケイコは手の甲で触角の髪を軽く払いながら、笑いとぼけたように、

「さあ、何者が住んでるのでしょうね。赤黒黄白と家の色が違うように、考え方が違う人々が住んでいるわけよ。ただワシ族は福原の一族で固めてあるから説明しやすいかもね。親の死に目も気にする必要がない。だって両親が島に来て住んでいるんだもの。二人の息子夫婦が二組あって、その娘婿が酋長をやっていたわね。それぞれ小さい子供がいたわ。ジャガー族は、大勢いるわね。晶子がいて、私の昔の旦那がいて、霊媒師の男がいる。牧場があって、広場もペットだらけね。食べちゃうのだけれど」

「それで、ルリカケス族を辞めて出て行った人は何人いるんですか」

ストレートに尋ねると、ケイコの目は驚きの光りを放った。

「誰から聞いたの」

「それくらい聞かなくても分かりますよ」

「勘違いしないで。破門にしたのよ。血の気の荒い者、肉を食べる者、馬が合わない者、みんな出て行ってもらったわ。全部で八人、のしを付けて譲り渡してやったわよ」

想定した範囲内だ。

「ジャガー族の霊媒師は何をやっているんですか」

「さあね。悪霊払いでもやっているんじゃないの。生き物の虐殺に忙しいから。でも殺された牛や豚にも深い怨霊があると考えると、普通なら、私らのように菜食主義でないと悪霊から身を守れないけれど、あいつらはおかしいのよね。血で血を洗う? 神に捧げるなら全てが許されると考えているのか、怨霊を解くために新たな血を必要としているのか、わけが分からないのよね」

ケイコは頭をかしげ、束ねた髪を払った。不安と好奇心のシーソーをしていた俺は、再び不安に足が着く。

「そんなわけの分からない所へ、僕は行かされるのですか」

「映画の脚本通りよ。シナリオではね、一番の悪人役がハブ族の酋長で、死神を祀りながら暮らしているわけ。すぐに仲間に逃げられたのだけれど、今でも西や東に干渉して悪事を働いているのよね」

「悪事? 何ですか。やっぱりハブでもばら撒くんですか」

ケイコはもうこれ以上は答えられないと、梅干を噛んだような顔をした。

「それくらい自分で探りなさいよ。噂によるとあなた、嗅ぎまわっているのでしょ?」

「そういえば、宝があると聞きましたが」

そういうとケイコの顔はさらに歪んだが、俺の不安は少し軽くなった。

あの蛇男が最悪なら知れたものだ。奴は、フェリーの中で仲良く話した相手ではないか。ワシ族は怖かったが、コソ泥のように逃げねば矢は飛んでこなかったに違いない。ジャガー族も正々堂々とした態度で臨めば、すんなり仲間入りさせてくれるだろう。

「分かりました。明日の朝、ジャガー族の所に乗り込んで手紙を渡してきます」

微笑んだケイコは気合いの入った声で檄を飛ばした。

「よし、それじゃぁ、吉村さんに案内してもらうように言っとくわ」

引き攣る頬に手を当て、いよいよ本格的に探偵をやるのかと俺は性根を据えた。