Thu 200611 ホドホドが苦手/オレッキエッテ(アドリア海岸探険記13)3943回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 200611 ホドホドが苦手/オレッキエッテ(アドリア海岸探険記13)3943回

 もう7年も8年も前のことになる。11月末の札幌で、400人規模の公開授業がスーパー級の大成功を収め、そりゃスタッフ一同も大喜び、夕暮れからススキノで大祝勝会になった。

 

 1次会、2次会、3次会、やがて午後11時を過ぎ、「もう何軒飲み歩いたか分からない」という爽快感の中で、「どうですか、シメにラーメン行きませんか?」と誘われた。

 

 何しろ「ホドホド」が苦手なワタクシだ。「このあたりでホドホドにしてホテルに帰ります」などという発言をするわけがない。「行きましょう & 行きましょう」と2つ返事で頷いて、導かれるままに「えびそば 一幻」の列に並んだ。

(バーリにて。アドリア海岸のマンマたちが、ひたすらパスタを作っていく 1)

 

 11月下旬の札幌だ。地面にはすでに雪が積もり、ラーメン屋の明かりと湯気の中、チラチラ白い雪が舞い始めた。こういう雪は、マコトに美しいものである。15分ほど待って店に入るまでに、スタッフみんなの肩にも少し雪が積もっていた。

 

 今やラーメン通なら知らない人のいない名店であるが、ワタクシはそんなにラーメンに詳しい方ではないから、「一幻」はあの時が初めて。エビ味噌ラーメンに3段階あるのも知らず、「そのまま」「ほどほど」「あじわい」のうち、どれを頼んだらいいのかも知らなかった。

(バーリにて。アドリア海岸のマンマたちが、ひたすらパスタを作っていく 2)

 

 ラーメン屋で一番カッコ悪いのは、優柔不断である。何を頼んだらいいか決まらなくてウジウジ、そのうち苛立った店員さんがプイッと向こうを向いてしまったりしたら、客として情けない。とりあえず中間の「ほどほど」に決めてしまった。

 

「うーん、やっぱり一番濃厚な『あじわい』にするんだった」と、10秒後にはもう悔しくてたまらなくなったが、ラーメン屋で2番目にカッコ悪いのは、いったん通ってしまった注文を変更することである。店員さんに「チッ」と舌打ちでもされたらたまらない。

 

 そこで諸君、ワタクシは「悔しいよ」「悔しいよ」と心で呟きつつ、「ほどほど」を貪った。隣では明らかにこの店の常連であるスタッフの1人が、いかにも旨そうに「あじわい」をすすっている。

 

 いや、もちろん「ほどほど」も旨いのだ。しかし「あじわい」、何としてもあの時はあれが欲しかった。もちろん「もう1杯、今度は『あじわい』をください」と言うことも可能だ。しかしすでに3次会まで祝勝会を重ねたあとだ。胃袋が言うことをきかなかった。

(バーリにて。アドリア海岸のマンマたちが、ひたすらパスタを作っていく 3)

 

 あれ以来、同じ札幌の加盟校さんでは必ず11月末に今井の大公開授業があって、毎年50人ずつ参加者が増加する。昨年はとうとう800名規模に迫った。感謝、感謝、また感謝である。

 

 しかし「一幻」には、なかなか行けずじまいになっている。さすがに札幌だから、例えば生姜塩ラーメン「信月」その他さまざまな選択肢があって、まさか今井が超濃厚「あじわい」に手ぐすね引いているだなんて、誰も思いもよらないのだ。

 

 今年はこんなコロナ禍の真っただ中だ。「3密」はダメなんだから、「今年は1000人規模にまで行っちゃうかな」と期待していた札幌の仕事が、果たして可能かどうか分からない。

 

 ワタクシは「3回に分けて」、いや「4回に分けて」でも構わない。何らかの作戦、かつ万全の対策を講じて、すでに長い伝統になった11月末の札幌講演を実現させたい。もちろん「一幻のあじわい」も、仕事の前日のジンギスカンも、どうしても継続していきたいのである。

(バーリにて。アドリア海岸のマンマたちが、ひたすらパスタを作っていく 4)

 

 さて、何故まだ6月なのに半年も先のことを書いているのかといえば、今井はどうしても今日「ホドホドが苦手」という話をしておきたかったのである。

 

 中学生の頃だったか、高校生になってからだったか、友人のうちでも特に親しかった男が「今井にないものって、『限度』だよな」とシミジミ呟いたことがあった。

 

 あれから幾星霜、確かにその通り、今井には常に限度がなく、「このぐらいでヤメておくか?」という発想がなく、もんじゃ焼きの土手よろしく、限度は簡単に決壊して中身がドロドロ溢れ出し、「ホドホド」「限度」の決定的欠如を思い知らされるのである。

 

 もちろん、それを恥じるとか反省するとかいう美徳もない。生牡蠣40個を1時間で一気食いして、「やめとけば?」と自ら諌めつつ、気がつけば「もう10個食べちゃお♡」と嬉しさに身をよじって注文している。

 

 ステーキでも天ぷらでも、もちろんお酒でもワインでも、今井堤防は実にカンタンに決壊するので、物騒この上ない。あの時ススキノのカウンターで「ほどほど」と口走ったのが、今も信じられない気持ちだ。

(出来たオレッキエッテは、その場ですぐに袋につめて販売する)

 

 そういうのはもちろん勉強でも同じであって、火がつくのにはマコトに長い時間がかかるが、いったん火がつくとそれを止めるのが困難を極める。「今日はこのぐらいにしておきなさい」みたいな中途半端なことを言われても、その種のアドバイスを全て無視して突っ走る。

 

 話が「旅」と言ふことになっても、この15年、やっぱり限度なんかほぼ無視の状態。2005年から2019年までで、のべ約1000日を海外で過ごし、「世界200都市を訪問」だなんてのは、日々の仕事を持つ身として、常軌を逸しているというか、要するに常識の範囲を逸脱している。

(バーリ、マンマたちがオレッキエッテを作っていたあたり。「治安は?」とか心配しなくても、大迫力のマンマたちがいるから安心だ)

 

 そういうワタクシにとって、毎年7月下旬に参加してきた東進・河口湖合宿ほどピッタリな世界は珍しいほどだった。前々回の記事で「今年は自宅か通塾形式で『東進的・単独合宿を敢行したら?』と書いたが、どうだい、やってみないかい?

 

 ワタクシが提案する時間割は、前々回の記事を参照のこと。1日につき12時間でも15時間でも、自宅または塾の自習室にこもって、1週間で1講座1年分 → 20コマを完習してしまう企画だ。

 

 若い頃の今井君なら、この種の提案には思い切りノリノリで参加した。「わかった気になってるだけだ」「消化不良になるぞ」「少しずつじっくり進むのが一番だ」とか、その手のヌルいアドバイスを全て振り切って、限度なし、限界なし、突き進めるところまで突き進んだ。

(南イタリアのオジサンたちは、昼間から魚市場でビールの飲み放題だ)

 

「その結果が、今のオマエかい?」と失笑&冷笑されれば一言もないが、でも諸君、高1でも高2でも、高3でも浪人生でも、学部生でもシューカツ生でも大学院生でも、今年の春から初夏にかけて、タヅナを締められすぎて「もう我慢の限界だ」「地平線まで何時間でも走りぬきたい」という熱い思いに駆られていないか?

 

 その熱情、そのまま閉じ込めておくのは、ココロにもカラダにも決してよろしくない。がんじがらめのタヅナなんか振りほどいて、115時間、激しく突っ走ろうじゃないか。

(名店「オステリア・デッレ・トラーヴィ」。1階部分が店舗。入店にはかなりの覚悟が必要だ)

 

 参考までに、河口湖合宿にどれほど今井がのめり込んでいたか、ある年の合宿に関するブログ記事を、読みやすいようにいくつか貼り付けておく。最近はいろいろ常識的な意見もあってだいぶ大人しくなってはいたが、ホンの7〜8年前ぐらいまでは、「限界突破」を合言葉になかなか激しい合宿が続いていたのである。

 

Tue 120703 東進河口湖合宿が始まる 往路の生徒たち 往路の講師たち ついに開講式

Wed 120704 合宿第1日 クラス開講式 昔とは見違えるほど優秀になった気がする

Thu 120705 更新1500回へ、カウントダウン8 河口湖合宿2日目 みんな音読に夢中

Sat 120707 3日目、合宿はますます盛り上がる 講師の空き時間(カウントダウン6)

Sun 120708 小さな戦闘にも一分の隙も許さない 合宿4日目の感激(カウントダウン5)

Tue 120710 いよいよ合宿最終日 午前5時まで個別学習が続く(カウントダウン3)

Thu 120712 ついに1499回 河口湖合宿を締めくくる 祝杯とコンサートと肉ワシワシ

 

(名店「オステリア・デッレ・トラーヴィ」。覚悟して入ってしまえば、もう学食感覚だ 1)

 

 さて、サブタイトルに「旅行記」を名乗る以上、せめて写真の説明文ぐらい付け加えておかなければならない。アドリア海岸2週間の旅の6日目になって、ようやくワタクシは滞在先バーリの町を散策することにした。

 

 前日、マテーラからバーリに帰る列車は、夏の荒野の真ん中で突然の激しい雷雨に襲われた。幸いバーリに到着する頃には雨は小止みになっていたが、まだ遠くで稲妻が頻繁に光っていた。この雨で、夏と秋の空気が急に入れ替わったようである。

(名店「オステリア・デッレ・トラーヴィ」。覚悟して入ってしまえば、もう学食感覚だ 2)

 

 翌日は、日曜日。昔のイタリアやスペインでは、日曜祭日には列車やバスの運転本数が極端に少なくなり、下手をすれば「出かけた先から帰ってこられない」という事態も起こった。アドリア海岸の交通機関は、今もなおそういう運行形態が残っている。だからむしろ「自重してバーリにとどまった」というほうが正確だ。

 

 快晴の日曜日、南イタリアのジーチャン集団は日陰のテーブルにたくさんの酒瓶を並べ、ビール飲み放題で怠けている。この町で人気のビールは、「モレッティ」よりもむしろ「PERONI」のようである。

 

 一方、マンマたちは日向に大きなテーブルを出して、日がな一日パスタを作る。オレッキエッテである。Orecchietteとは、その耳たぶの形が語源であるが、食感もまた耳たぶ風だ。

 

 丸く棒状に伸ばしたパスタ生地を親指サイズにちぎって丸め、年季の入ったマンマの親指でグッと圧力をかける。それを晩夏のお日さまの光に当てて乾燥させれば、耳たぶの形の小型パスタが出来上がる。

    (取り放題の前菜。おいしゅーございました)

 

 早速それを食べに、近所の名店を訪ねることにする。と言っても諸君、ご存じの通り、ワタクシは決して「高級店でないとムカつく」というタイプの人間ではないから、高級店好みの人は、マネして同じ店を訪ねたりしないほうがいい。

 

 1906年創業、Osteria delle Travi(オステリア・デッレ・トラーヴィ)。プーリア州は「前菜は食べ放題です」という店が多く、ビュッフェ形式の前菜でお腹はほぼパンパンになってしまうが、それでも何しろ「限度なし」「限界突破」がワタクシの生き方。オレッキエッテももちろん注文した。

    (オレッキエッテ。おいしゅーございました)

 

 そして、もちろんデザートはスイカ。この辺から「スイカ、スイカ、ひたすらスイカ」の日々が本格化した。スーパーでスイカを買ってホテルで貪るのも日常化し、レストランで「デザートは?」と尋ねられると、瞬時に「アングリア!!」と叫ぶようになった。アングリア、要するにスイカである。

 

 諸君、こうなるともう限度なんかみんな無視だ。シドニーではひたすらチキンの丸焼き。広島でもマルセイユでも「真夏でも生牡蠣」。そしてアドリア海岸のサトイモ大将は、お顔が緑と黒のシマシマにかわるほど、ただひたすらにスイカ。スイカ戦隊シマシマジャーと化して、南イタリアを闊歩し続けるのである。

      (スイカを食べまくる日々が始まった)

 

1E(Cd) Four PlayFOUR PLAY

2E(Cd) Deni HinesIMAGINATION

5D(DMv) FAMILY BUISINESS

8D(DMv) THIRD PERSON

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