Wed 190814 デンマークから帰国しました/昨年の今頃は…(デンマーク紀行1)3865回
10日ほどポッカリ休みが出来たので、来る日も来る日も猛暑日、来る日も来る日も台風、そういう亜熱帯みたいな東京を脱出し、涼しくて爽やかな北欧でこの半年の疲労を癒してくることにした。せっかくの避暑に出かけるなら、最高気温せいぜいで21℃の北ヨーロッパがいいじゃないか。
ノルウェーのオスロに滞在し、氷雨に震えながらフィヨルドの旅を満喫したのは、一昨年の8月末のことである。残雪と氷河に囲まれてズルズル鼻水をすすりあげる図もあまり感心しないから、今年の避暑はほどほどに、ドイツが高く掲げた聖火の松明みたいな姿のデンマークを選んだ。
ただし実際にデンマークに到着してみると、うーん、どうも食事がワタクシに合わない。だって諸君、どれもこれもマヨネーズ味なのだ。丼の底にパンを敷き、その上からマヨネーズで和えた小エビだのキャベツだのを乗っけて食べる。丼物のゴハンが、パンで代用されたような代物だ。
これを地元では「スモーブロー」と呼び、ワタクシにはどうしてもマヨサラダ丼にしか見えないパン丼を、大事そうに両腕で抱え込んでナイフとフォークで食べる。
マヨネーズとケチャップが天敵であるワタクシとしては、スキをみてはお隣のスウェーデンや北ドイツに逃亡を企てた。コペンハーゲンに8泊して、そのくせスウェーデンへの小旅行2回、北ドイツへの小旅行1回、そういう不思議な滞在になった。
(デンマーク紀行なのに、最初の1枚はドイツ・リューベックの門。その事情については本日の記事を参照のこと)
なお諸君、本日は毎度おなじみの「帰国報告」であって、旅の写真ばかりズラリと並べることになるが、「今井の外国旅行なんかちっとも興味がねーぜ」という読者もいらっしゃるだろう。そういう人たちのために、昨年のちょうど今頃の記事を下に列挙するから、ぜひポチポチして読んでくれたまえ。
昨年夏の日本は、金足農業の大活躍に沸いた。今井ブログのアクセス数が1日2万近くになったのも当然だ。しかし今年の8月15日は、台風10号の接近で高校野球も全て中止。「ちぇっ、野球も中止なの?」と舌打ちなんかしていないで、あの大活躍を追った昨年の記事でも読んでみてくれたまえ。
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Wed 180815 VIVA 金足農/昭和な「商」と「農」の活躍に酔う/収録が続く 3697回
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Wed 180822 小さな大捕手/ダブル菊地君・斎藤君・打川君/10年後のこと 3703回
Thu 180823 夢から醒めて/そっとして/白樺ラーメンも断念/心遣いに感謝 3704回
Fri 180831 金農決勝から10日/小旋風の数々/半世紀ぶり「秋高旋風」を期待 3708回
さてそれでは、ここからデンマークからの帰国報告を始めたい。
第1日:深夜1時の羽田空港から、ANAでウィーンに向かう。ウィーンでオーストリア航空に乗り継ぎ、コペンハーゲン到着、午前9時。空港でバゲージが出てくるまでに1時間近くかかり、クラウンプラザホテル到着、11時。部屋の準備にまだ時間がかかるとのことだったので、コペンハーゲン市内を夕方まで散策した。
(デンマークはユーロ圏ではない。通貨はクローネ、物価は驚くほど高い)
(デンマークの鉄道も完全にキャッシュレス。ブルーに光っている部分にカードをタッチして乗車する)
(デンマーク国鉄の勇姿。この黒ゴムの部分が列車の先頭である。あまりの勇ましさに、ワタクシは「黒ゴム♡ボボン号」と呼ぶことにした)
第2日:コペンハーゲンの基礎と基本を散策する。目抜き通りのストロイエから海の方に続くニューハウンは、とりあえず「北欧のヴェネツィア」と呼んであげていい。
本家本元のヴェネツィアが今や足の踏み場もない大混雑と大混乱に陥っているのに負けないほど、ニューハウンもまた大混雑。満席のお客をかき分けてパン丼を貪るのもイヤだから、さらに30分ほど散策を続けて、五稜郭に似た城郭跡や、田沢湖「辰子姫」にそっくりの「人魚姫」を眺めてくることにした。
(ニューハウン風景。「コペンハーゲンのヴェネツィア」ということになっている)
(お城の堀でお魚を捕獲した直後のアオサギどん。どうやらお魚は旨くなかったらしい。しばらく呆然と立ち尽くしていた)
(人魚姫の像。秋田県田沢湖「辰子姫の像」を彷彿とさせるじゃないか)
第3日:コペンハーゲンから電車で40分ほどのヘルシンオアに小旅行。ヘルシンオアを英語読みすれば「エルシノア」であって、シェイクスピアが「ハムレット」の舞台に選んだお城を訪ねるのが、今回の旅の1つの目的だった。
ハムレットの悲劇はこの城で起こるのだ。芝居冒頭、元国王の亡霊がハムレットに語りかける舞台もここ。終幕でノルウェー王子フォーティンブラスが訪れ、芝居の〆はそのフォーティンブラスの長ゼリフであるが、その舞台もやっぱりここなのだ。
午後、ヘルシンオアから1時間ほど船に乗って、対岸のヘルシンベリに向かう。ヘルシンベリはスウェーデン領であって、言葉ももちろんスウェーデン語である。ただしさすがに「船で1時間」「電車でトンネルをくぐれば40分」の距離では、やっぱりメシもマヨネーズ丼。いやはやどうも胃袋が満足しない。
(ヘルシンオアこと、「ハムレット」の舞台エルシノアを訪れる)
(さすがハムレットの舞台。ヘルシンオアは駅舎も豪華版だ)
(エルシノアの城。ハムレットの悲劇の舞台と考えていい)
(エルシノア城の大広間。ハムレットの大悲劇はここで終わる)
第4日:うまいメシを求めてデンマークを一時脱出、北ドイツのハンブルグに向かう。コペンハーゲンからデンマーク南端の港町までバスで2時間。港でデンマーク国鉄の電車に乗り込むと、電車がそのままフェリーに積み込まれてドイツの港に降ろされる。
船から降りたその電車は、パンブルグまで1時間半の道のりを疾走するのである。うーん、これなら別に電車を船に積み込まなくても、最初からドイツ側で船の乗客を待っていてくれたほうがカンタンだ。ま、不思議な旅情を楽しむことだけはできる。
夕暮れ、ハンブルグの古いビアホールに駆け込み、異様にぬるいビールと膨大な量のハム&ソーセージを胃袋に詰め込んだ。ビールがぬるすぎてお話にならなかったので、宿泊先のマリオットホテルのバーにまたまた駆け込んで、ウィスキーをロックで立て続けに数杯。今井とは、そういうヤツである。
(黒ゴム♡ボボン号、これから列車ごと船に乗り込んでドイツにわたる)
(ハンブルグの古いビアホールでソーセージとハムを貪る)
(ハンブルグ市庁舎。約5年ぶりの訪問だ)
第5日:わざわざデンマークからドイツにやって来たのは、リューベックの町の散策のためである。リューベックは、作家トーマス・マンが深く愛した町であって、「ブッデンブローク家の人々」にも「トニオ・クレーゲル」にも、その詳細な描写がある。
中でもこのどっしりした市門はリューベックの象徴であって、中世から近代にかけて隆盛を極めたハンザ同盟の中心都市にふさわしい。ついでに「酔っ払い悪魔」の像をなでなでし、かつて船員組合の人々が豪華な食事を楽しんだお店で大きなフィレステーキを貪れば、北欧のパン丼に苦しんだ今井の胃袋も、少しは慰められたのである。
(ハンザ同盟主要都市、リューベックのどっしりした市門。トマス・マンも繰り返し描写している)
(大聖堂の塔の上からリューベック市門を望む)
(リューベック名物、酔っ払い悪魔の像)
第6日:第5日の夕暮れはリューベックからハンブルグに戻り、ハンブルグからはヒコーキに乗ってコペンハーゲンに帰った。ところが諸君、翌日のワタクシは再びデンマークを脱出し、海底の長いトンネルをくぐってスウェーデンの2つの街を散策した。
ますルンド。古い教会の中に天文時計があり、人々ははるかな中世の天文時計の音を聞こうと、この教会に集まってくる。
ルンド市民市場の小食堂で昼食。優しいオネーサマにテーブルに導かれたまではよかったが、諸君、ここでも再びパン&マヨネーズ丼に遭遇。ロゼワインとお魚のスープに難を逃れ、向こう側のテーブルで大切そうに同じ魚スープを満喫している小さなバーチャンの姿に涙する。
ルンドから南下して、マルメの街へ。「金獅子の薬局」を眺め、数々の飲食店が大繁盛中の大広場を横切って、城砦跡の公園を散策。コペンハーゲンのホテルに戻って、ホテルのラウンジで遅くまで酒を楽しんだ。
(スウェーデン・ルンドの大聖堂。中世から動き続ける天文時計がある)
(ルンドの市民市場にて。北ヨーロッパ名物「スモーブロー」ことパン丼。この小エビ軍団の下に、大量のマヨネーズとパンが隠れている)
(スウェーデン、マルメの町を訪問する)
第7日:コペンハーゲンから電車で40分ほど、「ロスキレ」の町を訪問する。この日ぐらいから風邪の症状が悪化。咳が止まらない。というか、風邪の症状は7月26日、静岡県沼津での公開授業の最中からかなり厳しく出ていた。
ロスキレは、フィヨルドと大聖堂の町である。「フィヨルド」と言ってもここは内海だから、ノルウェーのフィヨルドの壮大な景観とはまるっきり趣きを異にする。バイキング船の模型が何艘も穏やかな波にゆれて、遠くの大聖堂のとんがり屋根と好対照をなしている。
町の広場のカフェで冷えたビールを楽しんだ後は、「コペンハーゲンに戻って夕食」と決めた。中央駅の駅前に「チボリ公園」という名の大きな遊園地があり、入場料を払えば遊園地内の有名レストランも利用できる。
選んだ店は「グロフテン」。超満員のこの店で、主なデンマーク料理を1皿に山盛りにした「シアタープレート」を注文してみた。ニシンの酢漬け・タラのフライ・小エビの塩ゆで・豚のステーキその他、いま写真で眺めても、うーん、ワタクシはデンマーク料理とは相性がよくないようである。
仕方がないからワインで贅沢をすることにして、去年の5月のイタリア旅行から目いっぱい大好きになった「アマローネ」を1本、1時間ほどで飲み干した。風邪はますますひどくなるけれども、ワインだけは意地でも旨いのである。
(ロスキレ、大聖堂と市庁舎の風景)
(ロスキレ、穏やかなフィヨルドの風景)
(コペンハーゲン。チボリ公園内の名店「グロフテン」で、名物シアタープレートを注文してみた)
第8日:名鉄電車にそっくりなコペンハーゲンの近郊電車に乗って1時間弱、フレデリクスボー城を訪問。16世紀中頃に国王フレデリック2世がこの城を手に入れ、以降何世紀にもわたって改修や増築が行われた。
さすがデンマークは、ハムレットの舞台。かつて北欧を支配した強国である。この城もその強国ぶりを彷彿とさせるのであって、バラの広間・チャペル・大広間ともに、茫然と立ち尽くすほどの豪華な光景が続いた。
(フレデリクスボー城を訪問する)
(フレデリクスボー城内、チャペルの光景)
(フレデリクスボー城内、大広間の光景)
(コペンハーゲン近郊電車の不思議な車内)
第9日:第8日の夕食は、人魚姫の像の近くの「アドミラル・ホテル」のレストランを選択、300グラムのリブステーキをワシワシやりながら、メニューにあった「グリーンピースアイス」というシロモノをめぐって、近くのテーブルの人々とどういうわけか大爆笑が連続した。
これほどステーキを貪っても、風邪は一向によくならない。短い旅は最終日を迎え、まもなくヒコーキでの長旅であるが、それでも最後にもう一度デンマーク料理にチャレンジ。ニューハウンに浮かんでいた小舟の店でデンマーク料理山盛りの「ランチプレート」を注文、再び無残な敗北に終わった。
(第8日、アドミラルホテルのレストランで300グラムのステーキを貪る)
(第9日、ランチはニューハウンの小舟の店で)
(もう1度デンマーク料理にチャレンジ、山盛りマヨネーズにまたまた敗北する)
第10日:普段の旅のスタンダードは15日だから、今回のデンマークはその2/3の長さ。欲求不満はあるけれども、この風邪の強烈さ、デンマーク料理に対する連戦連敗の状況を考えれば、「10日で終わってよかった」の感もある。
帰りのヒコーキはブリュッセル経由。コペンハーゲンの空港でラウンジに入ってみたが、諸君、ワタクシの胃袋は底の底までデンマークの食べ物とケンカしたいらしい。空港ラウンジでの飲食でさえ、何が何でも旨くなくて、結局この旅で一番おいしかったのは、ウィーン到着時に空港内の売店で購入した1個のブレッツェルだったのである。
こうして、久しぶりの成田空港に帰還。風邪の状況は、ますます悪い。咳が止まらず、むかしむかし子供時代に苦しんだ喘息の記憶が蘇るほどだ。
成田からは、鉄道を利用、成田エクスプレスで新宿に帰り、駅の売店でおむすび3個購入してオウチに帰った。咳に激しくむせて、涙をぬぐいながらおむすびを貪ったのが、旅の締めくくりの悲しい思ひ出なのである。
1E(Cd) Rilling:MOZART/REQUIEM
2E(Cd) Jochum & Bavarian Radio:MOZART/THE CORONATION MASS
3E(Cd) Kremer:MOZART/VIOLINKONZERTE Nos. 2& 3
6D(DMv) KNIGHT AND DAY
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