Fri 180831 金農決勝から10日/小旋風の数々/半世紀ぶり「秋高旋風」を期待 3708回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 180831 金農決勝から10日/小旋風の数々/半世紀ぶり「秋高旋風」を期待 3708回

 甲子園の決勝から10日が経過、さすがの金足農旋風もようやく一段落というところだろうが、この10日間のうちに、アメリカ誌も「クレージーと呼んでいいほどの快進撃」と激賞、香港紙だって「神奇棒球隊」とこれまた激賞してくれた。

 

 この勢いなら、2018年流行語大賞の有力候補No.1として「金農旋風」が浮上してくるだろうし、「今年の漢字」にも「金」ないし「農」あるいは「旋」や「風」など、金農旋風関連がズラリと並ぶんじゃないか。そのぐらい素晴らしい大旋風だった。

 

 今井がこのブログで「金足農の大旋風を期待する」と書いたのは、まず7月25日、県大会で優勝して11年ぶりの甲子園出場が決まった時であり、次が8月7日、1回戦の鹿児島実業戦に勝利して、2回戦進出が決まった時である。

 

 しかし諸君、金農旋風を今井が予言したのは、何と1992年の河合塾での授業に遡るというのだから、金農ファンぶりはもう普通ではない。1992年以来、2018年に至るまで、4半世紀にわたって金足農のバント戦術を熱く歌いあげてきた。

 

 だからワタクシにとっても、2018年は金足農の年であり、ブログ10年・3652回達成を彩る最大のイベントであった。というか、神様のゴホービであったと信じているぐらいである。

 

 ま、人生の初期18年間を秋田で過ごし、今も純粋な秋田弁を操る稀有な人財だ。人間国宝♡無形文化財「ピュア秋田弁」を自ら任じている強烈な秋田ファンとして、秋田犬でも竿灯祭りでも大曲の花火大会でも、秋田関係の旋風なら何でも構わない。

  (元気なニャゴロワも、夏に少々疲れ気味だ 1)

 

 実は甲子園での秋田旋風、世界の諸君が気づかないだけであって、実は頻繁に起こっている。3年前には秋田商の小旋風が起こり、好投手・成田翔の粘投で龍谷(佐賀)と健大高崎(群馬)を撃破してベスト8に進出、準々決勝で仙台育英に惜敗した。

 

 能代商の小旋風も、ワタクシの記憶に新しい。神村学園(鹿児島)と英明(香川)を撃破してベスト16に進出、如水館(広島)を追い詰めながら、延長12回でサヨナラ負けを喫した。

 

 この時の映像がYouTubeに残っていたら、諸君にもぜひ見ていただきたい。試合最終盤にミラクルが連続する。「1点取られたら終わり」の延長10回裏ランナー2塁から、打球はバックスクリーン直撃の大2塁打。ところがセンターから内野を経由したバックホームで、ランナーを本塁タッチアウトにする。

 

 いやはや、この時の能代商のピッチャーは、最速たった130km/hという保坂君。相手チームの控え投手が投げたスライダーが135km近かったことを考えると、保坂君の健闘がいっそう素晴らしいものに思えた。

 

 むかしむかし「細腕繁盛記」というタイトルの人気ドラマがあったが、まさにあれは保坂くんの細腕繁盛記であって、2018年吉田君の豪腕とはまさに対照的な秋田の公立旋風だった。

(金農旋風の日々、今井ブログのアクセス数も夢のように伸びた)

 

 ま、ベスト8とかベスト16ではまだまだ旋風と言ってもらえないのかもしれないが、1995年と1984年のカナノー旋風に混じって、1989年の秋田経法大付のベスト4なんてのもあった。

 

 私立だけれども、このチームも当時は「全員秋田の中学校出身」という基本は外していなかった。1年生ピッチャー中川君の好投は今も語り草であって、ヒーローというよりアイドルになりかけた大旋風だった。

 

 その中川君が3年生になって、全国でも知名度が上がり、「まあ今年の秋田は経法大付で決まり」という雰囲気だったのが、1991年である。ところがその下馬評を覆して甲子園に出場したのが、我が母校・秋田高校である。

(8月20日、準決勝での金農勝利の後は、2万近いアクセスになった)

 

 ホントは1991年、甲子園に秋田高旋風が巻き起こりかけたのだ。緒戦の京都・北嵯峨高戦を9回裏のサヨナラで破り、勝利の瞬間、NHKのアナウンサーは「昭和40年のベスト4以来、26年ぶりの校歌が聞けます」と絶叫してくれた。

 

 あれから28年が経過。秋田高校の校歌が甲子園に響くことは、とうとう4半世紀にわたって一度もなかった。優勝候補の高知商や天理高校を追い詰めたことはあったが、残念ながら「校歌」というところまでは届かない。

 

26年ぶりの校歌」の後に、28年が過ぎてしまったのである。28年前に校歌を歌ったチームの佐藤幸彦キャプテンが、下の写真一番手前で熱唱している小柄な男子である。やがて成長して秋田高校の監督に就任した。

(1991年の秋田高校勝利の瞬間。NHKの実況アナも「昭和40年のベスト4以来の校歌が聞けます」と叫んでくれた)

 

 28年前の秋田高校は、こうしてベスト16に進出。対戦したのがこの年初優勝を飾った大阪桐蔭だった。1回に3点先取。その後もエース菅原の力投で、9回裏3−1、2アウトまで追い詰めた。あと1アウトでベスト8、しかも優勝候補筆頭の大阪桐蔭を破って、堂々の準々決勝進出というところまできた。

 

 しかし諸君、大阪桐蔭の底力は、すでにこの頃から群を抜いていた。「2点差、あと1人」まできても、どうしても勝ち切れそうにない。「沢村」という選手の2塁打が出て、気がつけばあっという間に同点になった。延長11回まで戦って、「あわやサヨナラ勝ちか?」の一瞬もあったが、結局は3−4で敗れ去った。

 

 ちょうどビデオテープの世界で、VHSがライバル・ベータ方式に決定的に勝利した頃である。今井君のビデオライブラリーも、すべてVHS方式に取り直したころであった。

 

 1991年の秋田 vs 大阪桐蔭の大熱戦を、2018年8月20日深夜、金足農の決勝戦の直前に、ほぼ20年ぶりに眺めてみた。もちろんDVDに録画し直したバージョンである。

 (一時は大きくリード。大番狂わせのムードが高まった)

 

 奢れるものも久しからず。勝ち誇っていたVHSは、東進の授業でも代ゼミの「サテライン」でも主流を占めていたはずであるが、やがてDVDへ、VODへ、いろんな懐かしいものたちを経由して今に至る。中には残念ながら今に至らなかったものもあるが、今はそれに触れている時間の余裕がない。

 

 まあ1991年の秋田高校もベスト16だ、秋田小旋風の仲間に入れていただこう。こうして見ると諸君、昭和40年の秋田高校以降も、秋田旋風、それなりに頻繁に吹き起こっているのだ。

 

 いつの間にか私立全盛の世の中になり、旋風の頻度は低くなったが、今年の金農スーパー大旋風を見るに、まだまだ諦めるのは早いだろう。ワタクシは次のスーパー大旋風を、母校・秋田高校にも期待したいのである。

  (元気なニャゴロワも、夏に少々疲れ気味だ 2)

 

 29年ぶりでも30年ぶりでも31年ぶりでも構わない。まずは一度、テレビの前で校歌を熱唱したい。その熱唱が3回・4回・5回と重なれば、103年前の大正4年、延長13回裏にスルリと逃げていった優勝旗を、同じ秋田高校に持ち帰ることができるじゃないか。

 

 もちろん、吉田君みたいな強烈な才能の持ち主でも、最後は疲労に勝てなかった。すると、あのレベルに近い天才的なピッチャーが2人、どうしても必要だということになっちゃう。そりゃあんまり高望みしすぎかもしれないが、20世紀の地道なバント戦術を磨きに磨けば、攻撃サイドには希望も見えてくるじゃないか。

 

 素晴らしい8月だった。これほど胸の高鳴る日々は、しばらく経験したこともなかった。しかし早いもので、明日から9月が始まる。今は近未来の「秋高旋風」を期待しつつ、今年の高校野球への言及は、この辺で終わりとすることにしたい。

 

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