Wed 180822 小さな大捕手/ダブル菊地君・斎藤君・打川君/10年後のこと 3703回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 180822 小さな大捕手/ダブル菊地君・斎藤君・打川君/10年後のこと 3703回

 昭和の高校野球には、しばしば「小さな大投手」が出現した。今井君よりもずっと年上の人たちであるが、わが町秋田では、秋田商・今川敬三投手が「小さな大投手」と呼ばれた。1955年のことである。

 

 そりゃさすがの今井君だって、この世に生まれ出るより遥か昔のことだ。今川投手のピッチングは、写真でしか見られない。アンダーハンドから繰り出す速球と変化球を武器に、春センバツ準決勝まで進んだ。完投して最小投球記録を達成。たった74球で勝っちゃったんだそうな。

 

 1971年、福島県を代表する進学校・磐城高校が甲子園で準優勝した。ここにも小さな大投手がいたのである。田村隆寿、身長165cm。もともとキャッチャーだったが、どういうわけかエースに抜擢された。

 

 第53回大会というのだから、半世紀も昔のことになるのだが、初戦から田村投手が完封劇を連発する。日大一高、1−0、4安打。静岡学園高、3−0、5安打。奈良・郡山高、4−0、8安打。何と27イニング無失点で決勝に進んだ。

 

 決勝の相手は、神奈川の桐蔭高校。緊迫した試合は、0−0のまま7回まで進み、田村投手は34イニング目にとうとう1点を失う。そのまま試合は1−0。「東北勢初の優勝旗」「優勝旗、初の白河越え」の夢が、3たび絶たれた瞬間であった。

 (カナノー敗戦に、ニャゴの目にも熱い涙が浮かんでいた)

 

 まだ「1県1校」ではない時代だった。甲子園に出場するのにも、最後に他県の代表校との決戦に勝たなければならなかった。千葉と茨城が戦って「東関東代表」。群馬と栃木が戦って「北関東代表」。甲子園出場は、今よりずっとハードルが高かった。

 

 徳島と高知で「南四国代表」、香川と愛媛で「北四国代表」。京都と滋賀で「京滋」、和歌山と奈良で「紀和」、三重と岐阜で「三岐」。さすがのMac君でも変換不可能な略称が続出する。

 

 北北海道からは留萌高校。鹿児島から玉龍高校。おお、懐かしい。他に目立つのは、高崎商・深谷商・銚子商・高岡商・県岐阜商・須坂商・岡山東商。公立「商」の全盛期はまだ続いていた。

 

 宮崎からは「都城農」が出場している。2018年の金足農旋風は、この年の都城農からすでに始まっていたのかもしれない。岩手からは県立花巻北高校。21世紀の今井君が毎年お仕事で出かける花巻北も、「5年ぶり3回目の出場」となっている。秋田も「秋田市立」。公立と私立が入れ替わる境目の時代だった。

 

 優勝した神奈川の桐蔭にも「小さな大投手」がいた。アンダーハンドからマコトに丁寧に変化球を投げ込んで、なかなか点をとらせない。準決勝以外の4試合をすべて0封。大塚投手の浮き上がってくるボールを連打するのは不可能と言われた。

(ずっと野球に熱中して過ごした。素晴らしい夏の2週間だった。NHKテレビより) 

 

 さて皆さま、我が金足農を熱く応援してくださって、ホントにありがとうございました。一昨日あたりからテレビも新聞もネットも、金足農の大ブーム。優勝した大阪桐蔭の監督さんでさえ、この金農ブームに少なからずヤキモキされていたご様子だ。

 

 こんなふうに書くと「オメーは関係者かよ?」と叱られそうだが、まあ許してくれたまえ。1984年と1995年の金足農旋風を、河合塾・駿台・代ゼミ・東進と、約25年にわたって語り続けてきた地味なカタリベだ。今井のハナシで金農の存在を知った人も少なくないはずだ。

 

「少なくない」どころか、「すげーたくさんいらっしゃる」んじゃないか。河&駿については、生授業だけの時代だから合計数千人ぐらいとしても、当時全盛の代ゼミではサテラインで語りまくったし、東進でも映像授業で目いっぱい語り尽くした。

 

 すると諸君、現在20歳代・30歳代の人々のうち十数万人、いやおそらく数十万の人々が、今井のトークで金足農の存在を知ってくれたはずなのである。

 (2週間、ずっとニャゴといっしょに野球に熱中していた)

 

 1回戦(鹿児島実)・2回戦(大垣日大)・3回戦(横浜)・準々決勝(近江)・準決勝(日大三)・決勝、マコトに夢のような2週間だったが、我がブログのアクセス数も驚嘆すべき数字を連発した。カナノーの活躍を見て「そういえば今井さん、今も活躍してんのかな?」と思い出してくれたにちがいない。ありがたいことである。

 

 決勝戦については、ワタクシごときシロートが発言できることではない。試合前から吉田君の表情を見守っていたが、何となくしょんぼりしていて、準々決勝9回裏のイタズラで元気な雰囲気が翳っていた。

 

 よほど疲労していたにちがいない。タラレバ論に入るわけでもないし、決して台風の接近をプラスに捉えるのではないけれども、「19号&20号の台風ブラザーズ接近が、あと2日早かったら」「雨で2日順延していたら」と、ホンの少しだけ甲子園の過密日程が悔しいのである。

 

 さて、冒頭に「小さな大投手」について書いたのは、特に印象に残ったカナノーの選手たちについて、今日のうちに書いておきたかったからである。テレビでも新聞でも吉田君はすっかりスーパーヒーローになっているから、ここではダブル菊地君と、高橋君&打川君の4人について、今井なりの感動を書き記しておきたい。

(8月20日、準決勝で勝利の日、ブログのアクセス数も驚異的な数字になった)

 

 まず何と言っても、キャッチャーの菊地リョータ君である。秋田県大会を通じて1517球、甲子園だけでも881球、あの剛速球と鋭い変化球をミットで受け続けた。その集中力は驚嘆に値する。

 

 打席での自信みなぎる表情も、我々はぜひ記憶にとどめるべきだ。というか、次号の週刊朝日やAERAは、カナノー旋風の真実を記憶に残すためにも、打席の菊地君を表紙に掲載すべきなんじゃないか。

 

 金農の野球を「高校野球のお手本」と評価したエラいオジサマはネットでずいぶん叱られているらしいが、あそこは「原点を見る思いだった」と表現するべきだった。もしも「お手本」とするなら、リョータ君の熱誠ぶりと真剣な自信溢れるプレーぶりだったと信じる。

 

 バーチャル高校野球の「1試合まるごと動画」が消されないうちに、ぜひ準々決勝9回裏のリョータ君の打席を見直してくれたまえ。1点リードされてノーアウト1塁2塁。逆転満塁2ランスクイズばかりがクローズアップされるが、全てはあの打席で四球を選んだリョータ君の誠実さから始まった。

 

 今井君としては彼を「小さな大捕手」と呼んであげたいのである。すでに昨日の敗戦後、彼は「これからの吉田には、もっと優秀な捕手がつくでしょう」と述べている。この謙虚さ、今井君なんかは熱い涙が温泉の源泉掛け流しよろしく噴き出して、今これを書きながらデスクに泣き崩れてしまった。

 

 剛球投手と組むキャッチャーは、ほぼ例外なく巨漢として描かれるのである。「タッチ」のキャプテンだって、星飛雄馬の伴宙太だって、みんな豪快な巨漢なのである。それに比べて我が小さな大捕手君の繊細さとクレバーさ、絶賛に値する。

 

 スクイズで2塁から一気に生還した菊地ヒューゴ君や、そのスクイズバントを見事に決めちゃった斎藤君については、専門のメディアのみなさんが思う存分お書きになっていただきたい。この2選手の地味に叩き上げたプロフェッショナルぶりを書かないとすれば、ライターさんとして失格なんじゃあーりませんか?

 

 横浜高校戦で逆転3ランホームランをバックスクリーンにたたきこんだ高橋君については、まさに「6番打者の原点」「6番打者のあるべき姿」であって、6番は常に「意外性」で勝負しなきゃいけない。

 

 スカッと三振、スカッとホームラン。「下位打線ね」と思って少しでも油断すると、いきなり先頭バッターの6番がクリーンヒットしてムードが一気に盛り上がる。準々決勝の9回裏、大逆転のシナリオも高橋君が作った。2塁牽制で危うくアウトなんてのも、6番打者の原点かもしれない。

 

 1番菅原君、2番佐々木君、5番大友君は、これからもいろんなところで選手として活躍が続くだろう。大学か、社会人か、それは分からない。地元秋田から10年前に全国社会人野球で優勝した「にかほTDK」もある。これからの大活躍を期待する。

(8月21日、決勝で敗れた後も、まだ驚異の数字が続いている)

 

 最後に、準優勝したチームの4番をはりつづけた打川君について、特にその健闘を讃えたい。まだ中3にして「スターの座を吉田君に譲ろう」と決意したのは、まさに男の中の男だと思う。彼も大学か社会人で活躍を続けるはずだ。

 

 緊張しすぎに見えることもあったが、「意地でも打ってやる」という勝気な側面が素晴らしい。12点・12安打、大スターが打ちのめされた直後のマウンドに、この夏初めて上がる勇気は、これまた絶賛されていい。3回1失点、最後の夏のマウンド3回、心あたたまる誠実な投球だった。

 

 9人の選手の中からは、素晴らしい指導者がたくさん出ると思う。準決勝と決勝では、スクイズのサインが相手チームに見抜かれていたように感じたが、リョータ君もヒューゴ君も斎藤君も、10年後に指導者としてチームを導き、今回手の届かなかった最後の一勝を勝ち取って欲しい。

 

 マスメディア的には「燃え尽きた」「感動した」「勇気をもらった」ということになり、あとはスーパーアイドルを追っかけて「金足もうで」というか「秋田もうで」というか、そういう騒ぎが当分のあいだ続きそうだ。

 

 しかし諸君、これからせめて10年、彼ら9人の大活躍を忘れないでいていただきたい。10年後に監督として甲子園に姿を現した時、「ヒューゴだ」「リョータだ」「サイトーだ」「ウチカワだ」と、ポンと膝を叩けるぐらいでいてほしい。その時もうパパやママになっていたら、コドモに2018年のことを語って聞かせてあげてほしい。

 

 かくいう今井君も、まだまだ金足農のカタリベを続けなきゃいかん。ついては、伝説の名物講座「C組」、新規に収録し直すのだ。1984年と1995年の大活躍を「実は2018年より30年も遡ることになるが」という注釈付きで語らなければならないことになった。

 

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