NHKを見ていたらかこさとしさんがいまも健在なのを知った。

 絵本作家としていまも創作活動をしているという。

 うれしい便りである。


 今日は珍しく女性観である。

 わたしは、ほぼ毎日散歩をしている。

 女性の自分勝手にはあきれているのである。

 まず、歩いていると女性は決して道を譲らない。

 つまり、わたしより若くても自分の歩いている歩線を譲らずに対向しているわたしが譲らざるを得ないのである。

 自転車をママチャリで疾走する女性がいる。

 おいここは歩道をとつぶやいても、聞く耳持たず。

 何を急いで、とわたしは言うが、そんなつぶやきなど無視

 おかあさんである。

 たまには、幼い子供を乗せて疾駆する。

 わたしの知り合いでつれあいを病で失った方がいる。

 「アンクルさん、わたしは横断歩道で黄色になったとき決して渡らないの。子どもがいるでしょ」

 決して忘れることができない言葉である。

 それが自分とわが子の命を顧みず突っ走る。

 次は車の運転者である。

 まず、脇道から幹線道路に出ようとするときである。

 幹線道路にしか注意がいっていない。

 歩道を歩く人など眼中にないのである。

 この自分勝手な運転は女性だけである。

 わたしは女性には注意を念頭に歩いている。

 いま、サイクリングから帰って来た。

 いい風が吹き、曇りだったのでシルバーサイクリング日和であった。

 まして、この公園にはシルバー料金がある。

 ふれあい広場から花木園にかけての道にアジサイロードの名前が付けられているので、今年は家の近所のアジサイは見ていたが、見甲斐があるはずと行ってみた。

 鎌倉まで行かなくても、アジサイを楽しめるが感想。

 日本庭園ではスイレン、ハナショウブが咲いていた。

 アジサイはわたしの好きな花である。

 それは一輪で見ても、たくさんで見ても花びらと色に深みがあり、飽きないのである。

 

 夜明け前から雨が降り続いている。

 梅雨寒の一日になるであろう。

 今日は高校は休みである。

 それでも部活動に勤しむ高校生が午前8時を過ぎると学校に向かう。

 そのうち、傘をさしている高校生とフードつきのジャケットを着た高校生が二人で学校に向かう姿を目撃した。

 なんと、傘をさしている生徒はフードをかぶった生徒に傘をさしかけていないのである。

 駅で会ったのだろう。すると5分は立っている。あと3分はこのままであろう。

 少なくても傘を持たないクラスメート、クラブメートがいたら傘に入れと言っていた。わたしのころだったら。

 さしかけるとか、入れよとかのコミュニケーションができない関係をわたしは怖くなった。

 自分だけ良ければいい。

 仲間外れになる恐れがないなら。

 この風景は恐るべき人間疎外のものであった。

 いま、この高校はクラス別にやる体育祭のパフォーマンスを公園で練習している。

 仲間同士のつながりやきずなを強める訓練をしているのだが、雨の日のいたわりの実践こそ必要なのではないかとため息をついだ。

 午後になると高校生を見ることはない。

 働いているのは宅配便と自転車でチラシを郵便ポストに配布する人だけである。

 その郵便ポストにチラシを入れている人間である。

 なんと、自転車のままで郵便ポストの前まで乗り入れるのである。

 ポストは8つある。1分もかけずに投函して、バックで素早く出て、次に向かう。

 見事な技術だが、住人の降り口を塞いでいるのである。

 これはよくない。郵便配達の担当者はこのようなことはしない。

 今日の雨の観察は見たくないものを見てしまったようである。

 本書は平成26年3月25日に角川ソフィア文庫として刊行された。

 原文を通読し、現代文で確認する作業は難儀であった。

 この鎌倉前期に鴨長明により編纂された仏教説話集は、一応日蓮宗徒であるわたしに響く内容を持っていた。

 鎌倉前期と言えば、京都の王権と鎌倉の王権が決着をつけたころである。

 貴賤を問わず、極楽に行くことを望んでいたのだろう。

 発心とは仏道に入ることを決めることと、ある。

 本書では発心した僧、聖、貴族、民の在り様をこれでもかと、追いかける。

 よくこれだけの事例を集めたと長明の執着力には恐れ入るしかない。

 ともかく、「南無阿弥陀仏」と朝夕唱え続ければ極楽に行ける。

 ただ、臨終を迎えたときの自らが「南無阿弥陀仏」を唱えられるか疑う人間は焼身か入水をしようと志す。

 これは地獄にいるよりは難しいと思われる。

 平安末から鎌倉前期における人間は極楽浄土に行きつくことを願望していた。

 平成に生きるわれわれは、たぶん生きることを楽しむか、毎日を生き切ることに必死であるに違いない。

 時代は社会を映す。

 わたしは、西方に座し、念仏を唱えながら極楽に行くことはないと考えるが、それでも父母が行っている極楽には行きたいと思う。

 彼岸が極楽であるか、地獄であるかを信心しだいであることはどうも納得はできないとはいえ、この年齢にこうした書を読めたことはありがたいことであった。

 あと10日間がたつと、6月が終わってしまう。

 半年が過ぎ去ってしまうのだ。

 早い、早すぎる。

 最近、夏はどちらにが挨拶になっているが、わたしには予定も計画もない。

 日傘はあるが、ここ数年の暑い夏に立ち向かい長期の外出は思いつかないのである。混む夏は避け、9月からの行動が習慣になっているのである。

 ただ、手紙とメールを待っているわたしに気付いた。

 大阪の友人が今年の2月の手紙に「近いうちに東北旅行をします。帰りは東京に寄りますので会いましょう」と書いてあった。

 近いうちとは2、3か月後と受けとったわたしは4、5、6月は手紙を待っていたのである。梅雨時の旅行はない、と思いながら。

 さて、メールのなのだが。

 昨年12月に通信教育の会社に見事に合格した友人のことである。

 わたしは、年賀状だけは律儀に印刷して出している。

 その友人は必ず返信はしてくれていたが、今年は返信なしであった。

 それが6月も終わりかけているのにメール連絡すらない。

 忘れたころの連絡がその友人の特長であるためあまり気にもしていなかったが、かなり長期間の相互不在である。

 いずれにしろ、わたしが電話をすればいいのだが、電話はどうも好きではないのである。

 ワールドカップで日本代表は苦戦を強いられている。

 寝不足だけが体に残り、清涼感はない。

 予選最終のコロンビアは最強である。

 しかし、日本には起死回生という言葉があるからテレビ観戦応援はするだろう。

 4か月ぶりに映画館に行った。

 わたしの好きな俳優が軒並み出演していたからである。

 松山ケンイチ、蒼井優、豊川悦司、小林薫、壇ふみ、井川比佐志、石橋蓮司さん以上七人である。

 松山、蒼井両氏を盛り立てる五氏の演技は申し分のないモノであったが、わたしは青春の感性を笑顔で演技している松山、蒼井両氏には若手実力派俳優と言うよりも、名優の範疇に入ったのではないかと思わせる演技力を観させてもらった。

 舞台は立山。山小屋菫小屋と民宿を経営している父親は遭難した登山者を救うために自らの命を投げ出してしまう。

 金融ディーラーをしていた息子は、躊躇なしに山小屋を継ぐ。

 継いだ直後に起こるさまざまな出会いで息子は成長し、伴侶まで得るところまでが映画のお話である。

 映画の主題はと問われれば、わたしは「触れ愛」と答えたい。

 小林薫が幼い日の松山ケンイチをビンたする、豊川悦司と松山ケンイチが手を握り合う、小林薫が蒼井優を背負う、松山と蒼井が手をつなぎ合うは「触れ愛」が目に見える情景である。

 この直接見る人間に訴えかける映画こそ多くの人が観るべきだと思う。本日のわたしと同時に観賞した人は62人であった。

 

 この本は『動物学科空手道部1年高田トモ!』『動物学科空手道部2年高田トモ!』の続刊として2014年4月13日に双葉文庫から刊行された。

 トモ、と愛称で呼ばれる少女の成長物語である。

 高校生が読むと大変役に立つであろう小説であろう。

 入学時のトモは、女を看板に生きている自由な姉に反発を抱き、女を捨てる覚悟をして空手を始める。

 トモは学園生活でいろいろな現実と出合い、人間関係を形成する過程で目の前の課題を解決しながら成長する。

 大学3年になると部活動では幹部になり、所属する実験室での当番も多忙を極める。

 さらに、動物園実習、動物病院実習がトモの将来に大きな影響を与える。

 トモが望んだ飼育員、獣医師、動物看護師、実習生との話し合いがその原因になる。

 恋人栄くんとも意地を張らずに話し合う必要性を感じさせる。

 それにしても、大学とは何かを思わざるを得ない。

 通算6年以上かかる医師、獣医師や専門職を養成するならば職業技術を中心に教えればいい。

 しかし、最近の大学はインターン制度とか、就職率95%とかで人気を競っているように思う。

 社会にあった人間を養成するのもいいが、自由な生き方を探求するだけの知性を有した人間を養成する場であってほしいと思う。

 この本は作者がいろいろな想いを込めた小説になっていたと思った。

 現在、鴨長明の『発心集』を読み進めている。

 原文を読んでみると、なんとなくこんなことを言っている、とわかる。

 俗世と厭世のように、世俗を嫌い世に隠れ住むことを長明は讃える。

 わたしも、このような考え方は嫌いではない。

 しかし、俗世間にどっぷりつかって生きているわたしはこの俗世間が好きであるため、とことん俗世を嫌えないのである。

 厭世を志す職業は僧侶である。

 平安から鎌倉の僧侶は、権力と結びつき、自らの社会的地位を上げるために自宗派の僧侶、他宗派の僧侶と争ってきたのであろう。

 時によっては世俗の人間がする以上の権謀術策を弄したのではないか。

 そのため、玄敏は厭世をせざるを得なくなったのであろう。

 わたしは団塊の世代であり、仲間が多い。その仲間とさまざまなシーンで足の引っ張り合いなどはしたことはないし、穏やかに暮らしてきた。

 俗世はそんなに捨てたものではないのである。

 自らの価値観に従いながら、自らを高めていくしかない。

 本を読み、仲間と話し、優れた人の話を聞く。

 この繰り返しの中に充実を感じられれば、俗世も悪くないと思う。

 曇っていたが、日傘を手に買い物に出かけた。

 前を歩く二人連れの女性は日傘をさしていた。

 わたしもおもむろに日傘をさす。

 いいですよ、日陰を道連れにするのは。とても涼しいと思ったのは束の間。

 Tシャツとショートパンツのわたしの首のあたりが暑くなる。

 首のあたりを日傘で覆うようにしようとしたが、風が吹いているためうまくいかない。

 やはり、前目に日傘をさすしかない。

 ぶらぶら歩くのだが、日傘をさしている人はいない。

 雲の多い日は女性でも日傘を持たないのだろうと思った。

 40人ほどとすれちがったが、一人として日傘使用はいなかった。

 こうなると、UVカットのためにも日傘をさしつづける。

 ユニクロの店員さんに「いい日傘をお持ちですね」と言われた。

 帰路も日傘をさしながら帰ったが、自宅近くで日傘をさした女性とすれ違った時は無性にうれしくなってしまった。

 知り合いの女性がお茶会に招待してくれた。

 たまには抹茶を飲むのもいいかと出かけた。

 女性はみなさん着物姿。わたしはノーネクタイにブレザー。

 作法は、中学生の時に母に、20年前にオーストラリア女性に教えてもらっただけである。

 なにも、覚えてはいない。

 着物姿の女性がお点前を頂戴し終わるのをひたすら待ち、最後にいただいた。

 茶碗の持ち方、まわし方、飲み方、飲み終えた茶碗の始末の仕方を学ぶために、濃茶を二杯飲む羽目になったが、それだけでは終わらなかった。

 突然、1925年生まれの女性は、

 「アンクルさん、わたしは疎開できず、東京拘置所近くにあった両親の家を守っていたのよ。銀行勤務しながら。通勤時や夜になると空襲にあったのよ。特に、1945年4月13日夜はB29が325機も来襲して焼夷弾を2千トン落としたの。雨あられに降り注いで、家は焼かれる、どこに逃げればいいかわからない。とっさにコンクリート造りの東京拘置所に逃げ込んだので助かったの。東京にいることができなくなったので両親が孫たちと縁故疎開していた愛知の山奥に蒸気機関車に乗って行ったの。手には焼けただれたバケツをもってね。愛知で会った両親は空襲のことは知っていて、私が突然現れたことを本当に喜んでくれた。それにしてもこんなことを体験した人はほとんどなくなってしまった。戦後68年になる前にあなたに話しておきたかったのよ」

 と、今日の目的を話してくれた。

 この間、手慣れた作法でわたしの前には3回も茶碗が置かれたので苦いが後味のよい抹茶をいただいた。