昨日のトリのから揚げは失敗した。

 くすぶっている心に平安を取り戻すには再挑戦しかない。

 失敗の原因は、素材選びに集中力を欠いていたからである。

 午前9時に自宅を出て、スーパーに向かう。

 まず、から揚げ粉の置いてある棚に行く。

 慎重にパッケージの表示を確かめる。

 結果、9割は油用のから揚げ粉が置いてあるのであった。

 インターネットで調べたら、2社から油不要のから揚げ粉が出ているのだが。その2社のから揚げ粉が右隅に仲良く並んでいた。

 「油は使わない」「カロリー30%オフ」「レンジでチンする」「から揚げ粉」。前二つは小さく、後二つが大きく表示されていた。

 今回は間違えずに買えた。

 次はトリ肉のコーナーへ。

 昨日はから揚げ用と書いてあるのを無雑作に取り上げてしまった。

 今回はムネ肉かササミで試そうと考えていたので、しげしげと眺めてから。柔らかそうなササミに手がいった。

 自宅に帰ってから、パッケージの裏に書かれた説明を読んだ。

 難関が二つあった。ポリ袋を用意することと、手早くすることである。

 ポリ袋は肉と粉を合わせるときに使うものであり、手早くは美味しさを保証するものらしい。

 午後12時にビニール袋を用意し、ササミを切り、ビニール袋に入れ、

所定の分量を大匙で測り、粉をビニール袋に入れる。

 多少もむようにして、手早く肉と粉を合わせる。

 素早く、皿にキッチンペーパーを敷いておいた上に間隔を置いて肉を並べる。

 レンジで8分。

 おお、から揚げの色になっているではないか。味は油っぽくなく、から揚げの味になっていた。

 なんせ、何の根拠もなしに2袋買ってきたのである。

 たまには、市販のから揚げを購入するだろうなが完食後の感想であった。

 ここ3、4週間は週に一度はトリのから揚げを食べている。

 というのは買い求めてきた冷凍のトリのから揚げがとてもおいしかったのでしじゅう買うようになった。

 ところで冷凍でも油で揚げているのでカロリーが高いと、昨晩危惧を抱いた。

 そうしたら、頭に油を使わないでおいしく作れるから揚げのテレビコマーシャルが浮かんだ。

 朝方調べたら製粉2社から商品が出ている、

 午前中にスーパーに出かけ、から揚げ粉2袋とから揚げ用トリニクを買って戻ってきた。

 ところが、昼用に作ろうとから揚げ粉のパッケージの取扱説明書を熟読した。

 なんと。油を使う従来のから揚げ粉だったのである。

 気落ちしたが油を使って揚げた。

 トリニクには骨がついていた。

 こうして、生まれて初めてのトリのから揚げづくりは当初の計画通りのものができなかった。

 今度は油のいらないから揚げ粉と骨付きでない鶏肉を購入して、低カロリーのから揚げづくりをしようと決心した。

 

 


上記の写真はいただいたお土産である。
出かけるときに忘れ物が多くなったわたしに、
この中に入れておけばいいのではないかと、
優しい心遣いで買い求めていただいたようである。
優しさの裏付けは、わたしを労わって、色違いを自分用に買い求めてきたと手紙に記されていたことである。
最近、スイカの入った定期剣入れは忘れる、携帯電話など必ず忘れる、腕時計もしかり、そのうえ玄関扉を開けて施錠する段になって鍵を忘れたことに気付く。
この布でできた箱状の中に上記のものを入れておけば、今後はわたしの行動にスムーズさがよみがえるのではないかと思う。

 いまやわたしの買い物道の左右には、夏草が高さを競うように生い茂っている。

 雑草とは言えない、ほれぼれとする存在である。


 夏草や空に向かいて背伸びする


 たまには一句できる。


 自転車で通るときも歩く時も、わが街のさくら通りでは路面が凸凹していることが気になっていた。

 歩道には25センチ角のコンクリートが整然と敷き詰められている。

 そのコンクリートがあちらこちらで凹凸しているのである。

 注意深く見て、気がついた。

 凹凸の激しいところには自動車道に接してさくらの木が植えられている。

 そのさくらの木が植えられている歩道のところだけ凹凸が激しいのである。

 つまり、さくらの根が年々生長しコンクリート面を動かしているのである。

 最近新しく歩道を直しているところではアスファルトを流し込んでいる。

 多少はさくらの木の負担は減るのだろうが、コンクリートやアスファルトは人工物である。

 生長する夏草、老いてもなお生長を止めないさくらの木。

 どこかで人間との共生を望んでいるのではないか、とふと思った。

 ここ2、3日は梅雨寒が続いている。

 今朝も午前7時には目覚めたがなんとなく体がダル重かった。

 「夏バテ」という言葉がある。

 熱中夜が毎日続くと、熱中症の患者が増える。

 これは、水分などを十分に摂取していないからといわれているが、それだけではなしに、夏バテの体調が大きく影響しているのではないかと、今日考えた。

 夏バテは、暑さによることから引き起こされる。

 人間は体温を引き下げることで調節することで調整している。

 それは日中の暑さを冷たいものを飲むとか、エアコンの効いている場所に逃げ込むことでしのいでいる。

 夜中は、エアコン、扇風機のお世話になる。

 いわば、体温調節をせずに無理やり体を冷やしているのである。

 このように体温調整に無理を重ねると体がダル重くなるのではないか。

 シルバーは体温調節がうまくいかない。

 この程度の梅雨寒だが、長く続くと体が冷え切って体温調節の自然回復力が低下し、ダル重くなる。

 つまり「シルバー梅雨バテ」は今後注意が必要になるのではないかと、働かない頭をなぐさめながら、ようやくブログを書き上げた。

 6月28日はほぼ一日中雨であった。

 ブログも書いてしまったので、あとは本しか読むことはない。

 うらめしげに外を見ていたら、突然ある調査をしようと考えた。

 わたしは出かけるとき長時間にわたるときはザック、ちょっとした外出はショルダーバック、近所は手提げ、と無意識に使い分けている。

 そこで、調査をすることにした。

 午後12時45分から13時45分の1時間である。ベランダの扉に椅子を置いて座る。

 1時間は結構長い。人通りがまったくない数分間もあれば、わたしの目の前を十数人群れになって通るのである。

 ひたすら、ショウチャンを付け続けるのである。

 結果は、以下の通りであった。

 ショルダーを下げていた人 217人

 ザックを背負っていた人   178人 

 手提げを下げていた人    33人 

 手ぶらだった人        22人

 わたしの目の前を400人以上が行き過ぎたのである。

 どんな人がと言えば、男女は分けなかったので印象だけだが、ザックは私立高校生がほとんどであった。

 ショルダーは高校生、勤め人以外ならば、女性が多かった。

 手提げは初老の女性、手ぶらはわたしと同じシルバー世代であった。

 ザックには個性がなく、ショルダーには個性があり、おしゃれ、手提げは雨の日には合わない、手ぶらは雨で合っても意味なく出かけるシルバー、と思った。

 雨であっても出かけている人間を見ていると、用事があっていいなあと思ったものである。

 これはヤフーの無料映画で観た。

 2013年2月1日に公開されたというが、知らなかった。残念である。

 主演の有村架純さんの動作・表情に底知れない人間理解能力を感じた。映画館で観たかったと強く思った。

 石川県志賀町にある市民オーケストラを題材にした新任指揮者(リトル・マエストラ)とオーケストラ構成員との触れ合いと成長の物語である。

 リトルというから少年だと思ったが、高校生の少女が、なぜか市民オーケストラの指揮者に迎いいれられる。

 この映画のよさはストーリーの整合性ではない。有村架純と市民オーケストラの指導的立場にある人間との反発、交感である。

 有村さんは、お辞儀、喜怒哀楽を動作、表情で演じる。演じ切る。

その繊細に驚かされた。

 へー、いたんだ、こんな女優がと、感心しながら最後まで一気に観た。

 吉永小百合さんはいまや映画をプロデュースするまでになったが、

わたしが知ったのは1957年1月7日から1959年2月14日まで42回にわたってラジオ東京の赤胴鈴之助の声で千葉さゆり役で出演していたことであった。

 当時はラジオ全盛であったのだ。

 映画のよさは脇を固める俳優がどれだけ配されているかで決まる。

 この映画では誰でもが自分自身の主役を演じられると言うことであるが、有村さんがいい監督と巡り会い彼女の能力が開くことを望みたい。

 それにしても彼女は昨年,NHKの朝のテレビドラマに出ていたことを知った。

 本書は平成25年12月5日に幻冬舎時代小説として刊行された。

 つくづく、女性時代小説家は優しいと思う。

 藤原緋沙子さんもそうなのであるが、澤田さんも血を呼ぶ剣の遣い手は登場させず、人間の人生をテーマとさせている。

 本書は、

 蜩の夜

 世間の鎖

 鴉浄土

 師走駕籠

 陣屋の椿

 木端の神仏

 の六話から構成されている。

 書名は鴉浄土になっているが、木端の神仏が胸に響いた。

 あらすじは、京都近郊の吉田神社近くに神木としてあがめられていた樹齢四、五百年になる樅の木があった。村年寄りはその木を必要とした豪商十四屋に手続きを踏んで売ることにした。その木を切るときに騒動が起こり、たまたま通りかかった公事宿鯉屋の居候、田村菊太郎の働きで、彦七という村民が足にけがをするだけで済んだ。

 彦七は、そのとき樅の木の木端だけでも自分の手元に返してくれと頼み、菊太郎は段取りをつけてやった。

 さて、五年後彦七は自ら木端で彫った阿弥陀仏と大黒天を持って鯉屋を訪れる。

 阿弥陀仏は菊太郎に手渡し、十四屋には大黒天を彫ったので渡したい、ついては菊太郎に同道を願いたい、と訪問の目的を告げる。

 足にけがまでさせられながら、その原因となった十四屋の商売繁盛を願って大黒天を彫った彦七。

 彦七は恨みを残さず、木端をきちんと届けてくれた十四屋にもお返しをする。

 人間は恨みに凝り固まれば成長は止まる。彦七も十四屋も成長しながら変化したのである。

 この筆者の人間洞察力には思わずうれしくなった。

 

 本日は曇りだが、昨日のような不安定さはない。

 いまは洗濯機のスイッチを入れたところである。

 規則正しい洗いの音が耳に小気味よく響く。

 昨日は午後2時半ごろから雨が降ってきた。

 最初の30分ぐらいは小刻みに少量の雨を降らせ、早く雨宿りの場所に行けと言っているようであった。

 その後、強く降ったり、弱く降ったりを繰り返していた。

 出際だったのでこんな雨のリズムを思い出す。

 昨日は夕刻から友人の6歳になった娘さんの誕生祝いを回転寿司で開くことになっていたのである。

 その回転寿司に近いセブンイレブンが待ち合わせ場所である。

 寿司店に着く。

 まずい。

 6歳少女の肩にはかわいいポシェットがかけれれている。

 クリスマスプレゼントはポシェットと財布である。

 過日会ったときは、「おじさん、これであとでお茶を買うの」とポケットから千円札と小銭を出して見せてくれた。

 これには驚いた。わたしは小学生までに親から頂戴していたのは20円。これで駄菓子を買っていたのである。

 時代は変わり、ペットボトルを自動販売機で買う時代になり、120円以上持っていないと買えなくなった。

 少女と言えども千円札は持っている時代になったのである。

 このとき、お財布とポシェットと常識大好き人間のわたしは思ったのだろう。

 そこで、銀座の博品館まで出かけ、探してきたのがキティちゃんのロゴが入っているポシェットと財布であった。

 ところが車の中で先日の誕生祝いにリカチャン人形を祖父母からいただいたという話を聞いた。

 えっ、キティちゃんとリカチャンか。キティちゃんになんとなく勝ち目無し。

 こんなつきあいができのも、幼い子らとの交流があるからである。

 子らは日々成長している。体も大きくなる一方であり、好みも多様になる。

 これらに対応できるようにするには、情報を正確に収集することである。

 まず好きになったら、名前、誕生日、血液型、電話番号の情報を集め、それ以後、趣味、好み、いろいろな体の部位のサイズ、価値観、人生観などを知ることにより、スムーズに交流が進むことになる。

 幼い子から学べることはいっぱいある。

 雨が降りそうだったので、さっき自転車で出かけた。

 行先は市役所。以前の職場があるところである。

 目的は市民税と都民税の納付である。

 納付書はしっかり保存しておいたのだが、いちいち納付しに行くのが面倒になってきたので口座振り込みにしてもらう必要書類をなくしてしまっていた。

 納付書と一緒に保管していたのだが、最近探したが見つからない。

 こんなことが最近多いのである。

 とはいえ、納付を終えて前の職場に赴いた。

 予想外のところに会いたい人がいた。

 説明は受けていたがとんでもなく福祉総合受付に近いところにいたのである。

 ロビーでしばらく話をした。

 すると、知った顔が次々とロビーを横切って行く。

 市役所の人間は礼儀正しい。

 「元気そうで何よりです」と7、8人の知人と挨拶できた。

 税金納付しか市役所には用事がない。

 ひょっとすると、必要書類は破棄したのではないかと思う。

 市役所に行く用事をつくりたかったのかもしれない。