今朝、ワールド・カップ決勝戦がドイツとアルジェンチン、つまりヨーロッパと南米との間で戦われ、ドイツが延長後半にゲッツェがゴール前で胸でトラップし右に流し込んで決勝のゴールを決めた。

 1か月間にわたるワールド・カップは力闘の末終わった。

 日本の3試合、準々決勝の8試合、準決勝の2試合、そして1試合。

 世界一を決めるためにそこにたどり着くための試合を気合を込めて観てきたが、日本との差をひしひしと感じる毎日であった。

 個人のボール技、守備と攻めるときの体力さらに攻守のチーム力に追いつくのに32年はかかるのではないかと思ってしまった。

 ドイツにはそんな世界一のプレーヤーが11人以上いて、最後に途中出場の若手のゲッツェ決めたのである。

 年齢、経験でバランスが取れていると言われたドイツチームは冷静な監督の指導により鮮やかに世界一を獲得した。

 それにしてもサッカー王国ブラジルがネイマールの負傷欠場により、チーム力がガタ落ちになり、準決勝でドイツに、3位決定戦でオランダに完敗してしまった。

 南米、中米、ヨーロッパに伍していける日本チームないしはアジアチームが、わたしが生きているうちにぜひ現出してもらいたい。

 世界一になることはプレーヤーだけでなくその国の人々を歓喜させるのである。

 本書は『小島信夫批評集成』の第8巻として2010年11月10日に刊行された。

 小島信夫は『抱擁家族』で知り、わたしの通学通勤の道にご自宅があった。相性という言葉がある。これは作家と読者との間にもあるのではないかと思っている。ここまで身近な存在であったが、『抱擁家族』は数行読んだだけで読書中断した。

 つまり、読み始めで相性の悪さを感じ止めてしまったのである。

 それから40数年たつが、再挑戦のつもりで本書を手に取ったが、この筆者との相性の悪さは現在も健在であった。

 筆者の意図がまったくわからないまま読み進めたが、次第に腹が立ってきてしまった。

 話題があちらこちらに飛んでしまいついていけない。

 同感できたのは漱石の作品は読んだ時の年齢によって受け止め方が違うというところであった。

 わたしは20代前半のとき漱石を読み、60代になってまた読み直している。

 20代前半のときはすらすら読めた。しかし、60代に読むとなかなか引っ掛かりが多くなりぎこちなくなっている。読みづらい作品になってしまったのである。

 筆者には申し訳ないが、相性の悪さはあるというしかない。

 それでも600ページ超の本書を完読しただけでも何かをわたしの心に残してくれたのではないか。

 台風一過の日である。

 東京は朝からかんかん照り。

 わたしは出かけると決めていたので午前9時過ぎには自宅を出た。

 日傘はカバンに入れた。

 なかなか使用しようとは思わなかった。

 西八王子に着いた。

 陽が強い。

 日傘をカバンから取り出し、さした。

 なんとなく涼しい。

 あちらこちら日傘が目につく。

 女性ばかりであった。

 男はわれ1人。

 紫外線から身を守るためにわれはなす、日傘を。

 そこまでして仕事に行ったのに、目的物はない。

 周囲に聞きに行ってそのものは自分が受け取れない場所にあることが分かった。

 この日、やたら浴衣姿の女性が多かった。

 午前中からである。

 お祭りがあるのであろう。

 女性とは気が早いのである。

 それにしても、夏は人間を急き立てる。

 わたしは夏のせっかちさに従わざるを得ない。

 だけれども、それに従うことが真実から遠ざかるとしたらそれはまずい。

 必要なものは室内に入ってしまった。今日はわたしは手にすることはできなかった。

 本書は2001年10月1日小学館文庫として刊行された。

 なぜ、本書を読んだのかというと、土門拳さんは昭和を代表する写真家であるから、その人の写真を見れば、最近出不精になっているわたしを駆り立ててもらえるのではないかとの思いがあったからである。

 文庫版のため、写真は小さい。しかし名匠の写真は対象を鮮やかに写し取っている。

 対象を吟味し、対象の奥深さが醸す歴史をみごとに掬い取っている。

 なかでも、室生寺の雪を撮る話から写真家の執念、粘りの激烈さを感じた。

 ここまで、古寺の魅力を語ってくれる本はない。

 奈良に行こう、がわたしの高校時代の仲間の合言葉である。

 本書が与えてくれた衝撃は、わたしを大いに刺激してくれた。

 これから、土門さんの本を読み続けたいと思った。

 すごい台風がやってくるようである。

 ぴんとこないのは、わが街は雨も降らず風も吹いていない状況なのであるからである。

 帰宅時間になると強い風雨があるらしい。

 台風で怖い思いはしたことがない。

 5、6歳のころ、自宅の隣をどぶ川が走っていた。

 強い台風が来ると、水があふれ出し、床下浸水になる。

 そこに大きなパンのコネ機を浮かべ、小舟に見立てて遊んでいた記憶がある。

 日本の地理的位置から見て、沖縄、九州は台風の被害が多い。

 わたしが小学5、6年のころ愛知県を襲った伊勢湾台風が大きな被害をもたらした。

 台風の本格的シーズンはこれからだが、心がけだけは持つようにしたい。

 図書カードを使える本屋さんは限られている。

 ちゃんとインターネットで調べていかないと現金払いになるときがある、

 その図書カードをポケットに入れ、インターネットで調べ使えることを確認した本屋さんに行ったのだが、買わなかった。

 買いたい本がなかったのである。

 本屋さんは売りたい本を平積みしたり、あの手この手で工夫している。

 岸惠子、吉永小百合対談集『歩いて行く二人』が現在の重点売りの商品のようで棚に目立つように置かれていたが、わたしは手に取らなかった。

 対談集は本として認めない、わたしは。

岸さんも吉永さんも一人で書いたものであれば、わたし買った。

 図書カードを消費するために、しばらくは本屋さんに通うが、解体本が少なくなっている現在、あるかな。

 台風8号が本土をうかがっている。

 待っているわたしたちは、現実と思えないため、のほほんとしている。

 さあ、今年初めての台風をどう迎いいれるか。

 それにしても風は強いし、雨も多い。

 困った台風である。

 

 

 にもかかわらず、沖縄は厳重警戒。

 にもかかわらず、銀座わしたに。

 店員さんと話をした。

 「台風大丈夫そう」

 「いやあ、被害甚大ですよ。今日の銀座わした着の航空便が届かなかった」

 多分、沖縄産生鮮野菜などの貨物便が離陸できなかったのだろう。

 風速70メートルと予報ではあったが、テレビニュースを見るとその猛々しさは、人間の能力を超えている。

 この台風8号が九州、本州に来るという。

 招かざる客である。

 山間の地で暮らす人々は、地盤が弱っている事を念頭に置いて避難を速めてもらいたい。

 わしたは晴天のこの日、微動だにしないが台風は意地悪である。何回にも分けじわじわと締め上げてくる。

 台風の本格シーズンを迎える前の前座だとしたら恐るべしと思わざるを得ない。

  非常に強い台風8号が沖縄の南にいて、これから沖縄に上陸するようである。

  いま、知人は宮古島で沖縄ライフを楽しんでいるので、猛烈台風のことが気になる。

  だいたい7月の上旬に強い台風など記憶にない。

  気象庁は特別警報を出す可能性を言っている。

  沖縄は台風の通り道であるので、これだけ情報が周知しているので、備えは万全であろう。

  わたしは9月に沖縄に遊んだ時、台風襲来で1日足止めを経験した。

  その台風は、九州、中国、四国、近畿、東海、関東、東北、北海道と縦断していくようである。

  土砂崩れが起こる可能性の高いところにお住いの人が気になる。

  それにしても梅雨台風には上陸してもらいたくないものである。

 熟年とは昨日書いた邦光史郎さんが命名したらしいが、わたしは超熟年になってしまったようである。

 超熟年になると、まずテレビに出るいわゆる美人には何も感じなくなる。外面にはまるで関心がなくなっているのである。

 いまや、パソコンの壁紙として使っているのは、自分が撮ってきた知人の写真である。

 そのお顔を見ていると、ほのぼのとした思いが胸の中を満たす。

 なにがそうなるのか考えた。

 まず、とても優しい女性である。

 その優しさは人間一般に対し、あまねく行き渡っている。

 あの東日本大震災の被災地にもボランティアとして参加している。

 人の意見も真摯に聞く。

 音楽もよく聴く。

 人間に対して深い思い入れがあるのだろう。

 人間と対面していると、その人間を安心させる表情が現れる。

 この柔らかさはなんで表現されるのだろう。

 生きてきた人生、もって生まれた資質からなのだろうか。

 なかなか難しい問題である。

 そこで、「性格美人」という言葉を使えば、何とかこの優しさ、心の在り様が説明できる。

 人間を傷つけない人間こそ性格美人であると考えている。

 

 邦光さんは東京生まれの京都在住30年以上の方である。

 本書は1994年3月15日、徳間文庫として刊行された。

 本書の目次を眺めたら、京都中の道を歩きまわっていることに気がついた。

 作家、歌人である筆者は京都の四季、歴史、習俗などに引かれ、京都を愛してしまったのであろう。

 慈しむがごとく京都をみごとに表現しつくしている。

 この一冊を持てば、京都の旅は一層充実し楽しいものになるだろうと思ったものだ。

 わたしも京都はよく歩いてきたが、在住30年以上の人にはかなわない。知識も、情感も。

 ということで、目次に沿って、わたしが歩いた道、小路を書いて終ることにする。

東山の道

 泉涌寺道、清水坂、八坂道、哲学の道、八瀬・大原道

北山の道

 鷹が峰・衣笠の麓道、

嵯峨野の道

 竹かげの小径・嵯峨野道

鴨川の道

 川の筋道、四条大橋、五条大橋

烏丸通の道

 四条から北大路まで