昨晩は高校のクラスメートと1年4か月ぶりに会って飲んだ。

 3週間前クラスメートから電話があった。

 これが何と間違え電話であったのだ。

 そんなことなどお構いなしに、近況を言い合い、飲む約束をした。

 これは友人が8月から3週間レストランを休んで旅をすると言ったためである。

 当初、わたしの頭にはもう一人の友人とレストランに行けばいいとの思いがあったのだが、「暑いからレストランはお休み。外で飲みたい」と、自営業ならではのわがままを言ったのである。

 もう一人の友人は年賀状に「今度一杯飲もう」と書いてあったため、こちらから誘おうと思い立ったのである。

 メールで連絡したが返信がない。わたしのメールは無視されていると察し、電話をかけると出てきた。飲む話は相互に断らない。

 この友人も働いているので、昨晩の午後6時に会うことにした。

 居酒屋である。

 突然働いていたころほぼ毎日通っていたことを思い出した。

 家族の心配事、最近の状況を三人が言い合って、政治、経済の話に飛んだりして、気がつけば午後10時を回っていた。

 再会を約して別れた。

 今朝は仕事である。

 なんと午前4時に暑さのため起きてしまった。

 午前9時、自転車で出発。

 荷台にはカバンとタオルを突っ込む。

 暑い。漕ぐ。信号のつど拭う。

 汗びっしょり。熱中症が気になりミネラルウォーターを買う。

 ようやく到着。

 緋援護者は陽気であった。

 元気をもらえた。

 映画を観ようと思ったが、児童生徒は夏休みなので、日を改めることにした。

 しばらくは『徒然草』をなぞりながら考えを羅列してみたい。

 まず、序段である。

 「日暮らし硯にむかひて」と書き続けることを宣言しているが、いまは「終日パソコンにむかいて」となるから、書き続ける意思表示にはならない。

 すると、ブログを書くためにパソコンにむかいて、と説明が多くなる。

 「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば」となると、わたしはかなりほっとできる。

 「心に浮かぶ些末なことをとりとめもなくパソコンに打ち込む」でなんとなく兼好と違いはないと思ってしまうわけである。

 兼好の遠大な計画を想像もできない、愚鈍なわたしがいるのである。

 それだけに「あやしうこそもの狂ほしけれ」と言った兼好の気持ちが伝わってくる。

 正気の沙汰ではないと兼好がいったのは、自分が構想したことをやり遂げることができるのかとの疑問を持っていたに違いない。

 自分なりに解釈して読むことは楽しい。

 藤井さんからの連絡を待っている。

 藤井さんと山下さんとわたしの3人で会おうという約束はしたが、藤井さんに野暮用があり、7月の中旬にならないと日時が定まらないと言うことであったので、それまで待つと言うことにしておいた。

 わたしがご両人との中継をしているため、15日を過ぎたところで藤井さんからの連絡を待っていた。

 3連休までには連絡があるはずと思っていた。

 ない。

 わたしは山下さんの気分を慮って、やはり藤井さんに連絡しようとメールで連絡した。

 他人の都合など考えないで会う約束をすると、いろいろと迷惑をかけるようである。

 ここは、かなり気分が暗くなっている。

 しかし、言い出しっぺのわたしはこの約束を何とか実現しなければならない。

 東京の梅雨明けも近い。

 すっきりとしたいものだが、他人の都合を考えるとなかなかすっきりとした解はないものである。

 まず、わたしが観た映画を本書で紹介した主な映画作品リスト(52)と照合し、挙げたい。

 監督名   作品名   公開年

 小津安二郎『東京物語』1953年

  同     『小早川家の秋』1961年

 黒澤明   『生きる』1952年

  同     『まあだだよ』1993年

 今村昌平  『楢山節考』1983年

 河瀬直美 『杣人物語』1998年

 小泉堯史 『阿弥陀堂だより』2002年   

 松田定次 『水戸黄門 天下の副将軍』1959年

 山田洋次 『男はつらいよ』1969~1995年

 栗山富夫 『釣りバカ日誌』1988~2009年

 蔵方政俊 『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』2011年

 伊丹十三 『お葬式』1984年

 滝田洋二郎『おくりびと』2008年

 13作品を挙げることができた。しかし、老いがいなる発想は出てこなかった。

 本文を読んでみて、次の作品は観ておきたい。

 小川伸介 『ニッポン国古屋敷村』1982年

 是枝裕和 『歩いても 歩いても』2008年 

 中江裕司 『ナビィの恋人』1999年

 相米慎二 『夏の庭 The Friends』1994年

 萩上直子 『トイレット』2010年

 豊田四郎 『恍惚の人』1973年

 新藤兼人 『午後の遺言状』1995年

 欲張らず七作品を挙げておきたい。

 本書は岩波新書新赤版として2014年3月20日に刊行された。

この本は、

 第一章 動く座標軸 老いの理想からリアリズムへ

 第二章 老いの万華鏡 それぞれの意味場

 第三章 「生ー老ー死」をつなぐ 「老いる」の地平へ

 第四章 「昭和」を老いる

 の四章立てで構成されている。

 昭和に多く製作された映画を木下恵介、小津安二郎、黒澤明、今井正の順番で筆者の観点で観ていき、そこから、

 第一に「老いるということは喪失だけではなく、別の何かを得ることでもある」

 第二に「老人ー成人ー青年ー子どもの四世代構造を社会的に意味づけること。老いと死と生の循環性を世代間の継承性の中に位置づけることである」

 第三に「老いの意味、いわば{老いがい}は老いた人びとだけに求められるものではない。それは周りの人びとや日本社会が共同して創り出すことを求められているものである」

 と結論付けている。

 わたしは積極的な「老いがい」の言葉に引かれた。働きがい、生きがいに通じる言葉である。

 少し元気が出てきた。

 

 本書は平成7年9月1日に新潮文庫として刊行された。

 筆者は『火車』で知られているように人間の奥深さを独特の構成の中に表現しつくす作家である。

 全七話の物語で本書は編まれている。

 第一話 片葉の芦

 第二話 送り提灯

 第三話 落葉なしの椎

 第五話 馬鹿囃子

 第六話 足洗い屋敷

 第七話 消えずの行灯

 すべての話には50代で25年の岡っ引き歴を持つ、有能な回向院の茂七が事件解決にあたる。

 その事件によって心が傷ついた被害者にはつねに「早く忘れろ」「この世の中そんなに悪くない」と励ます。

 第一話は幼いころ父親を亡くし、母親も病気で倒れた彦次が寿司店として繁盛していた近江屋のお美津の飯の施しによって救われた。その施しはお美津の父親近江屋籐兵衛に見つかり、

 「お美津がおめえにやっているこの飯は、近江屋では捨てる飯だ。それをもらいに来ているおめえはそこらの犬と同じだ」

 と言われる。

 彦治はこの言葉を生きる力に変えてそば屋に勤め成長した。

 その籐兵衛が殺され、お美津に疑いの目が向けられる。

 彦治には飯のやり取りに使われた「片葉の芦」の思い出がある。

 片葉の芦の思い出は彦治だけのもので、お美津にはない。彦治はどうするのか。

 この躍動感がたまらない宮部みゆきさんの魅力である。

 

 昨日は陽光燦燦であった。

 そんな日はベランダに出る。

 室内が暑いからである。

 昨日は、梅雨寒で使うかもしれないと出しておいたガスストーブを片付けた。

 まだエアコンは使っていない。

 午前10時を過ぎたころ、見慣れない風景が目に入った。

 男子高生が日傘をさして高校に向かっていた。

 先日、わたしは八王子市内をおよそ40分間日傘をさして歩いた。

 わたしと同年代の人間が、一人ぐらいは日傘を愛用しているのではないかと若干の期待を持っていたが、男性は日傘をさしていなかった。

 わずか10秒間のことだったが、その日傘は折り畳み式で、茶系統であった。

 黒のわたしの日傘と違い、おしゃれであった。

 まさか高校生男子が日傘とは意表をつかれた。

 本書は1994年6月8日に筆者が在籍したことのある共同通信社から刊行された。ここに、筆者の弱みがあったのではないか。

 筆者が言うには、飽食に自分を失っていることに危機感を抱き、品食を予想される国の食事情を確かめる旅だったのである。

 その旅費をたぶん共同通信が面倒を見たのではないか。

 予定を立てず筆者は貧食の国を旅する。

 アジア、ヨーロッパ、アフリカ、ロシアと移動にはお金がかかっただろうと想像できる。

 そこのところは筆者は何も言わず、たまにはおいしいものを食べる。

 お金は絶えず持っていたのである。

 まして、ドイツでは刑務所、違う国では修道院と体験希望を出している。つまり取材許可願を出しているのである。

 これはバックに組織が控えてなければならない。

 自分の力で外国を歩き回ったのは、藤原新也さんである。この人は自分の力で『全東洋街道』を歩ききった。

 爽やかさが読後感にはあった。

 辺見さんにもそれはあるが、なぜか爽やかさはなかった。

 貧食を食べたが、その感想、受け止め方がわたしが思っていたほど悲嘆がないのである。

 人間の舌と喉には変わりがなく、食べることには思想、宗教には関係ないと筆者は感じたようなのだが、それは瞬間はそうだが空腹を満たせばどうなるのか。

 なんでこの本が読まれたのか。

 たぶんこんな外国の貧困、争いを食から解き明かそうとした本はなかったのだろう。

 それにしても筆者は優しすぎる。こんな情を持ち続けたら持たないのに、ひょっとすると見せかけなのかもしれない。

 今日も蒸し暑い。

 午前9時前に再生ごみを出し、午前9時から午後12時前までに雑排 

 水管の清掃者が来るのを待ち構える。

 これは年1回都市再生機構が実施するもので、勤めていた時期を

 含め、わたしは毎回この清掃はしてもらうことにしている。

 水と火への備えは個人責任だと思っているからである。

 再生ごみを出しに行くと、高圧洗浄車が待機し、団地の出入り口に

 は清掃に使用する線がきれいに並んでいた。

 午前10時を過ぎたところで、チャイムが鳴った。

 「まず、台所の排水口の清掃をやります。次にお風呂場をやりま

 す。10分以内で済ませます」

 清掃員はきちんと説明してから作業に着手する。

 台所は、市役所に勤めてすぐに排水口のきれいさにびっくりしたこ

 とがある。いつ見てもごみがたまっていることがなかった。

 これを見てから、わたしは台所の排水口にごみをためることはしな

 くなった。

 市役所で学ばせてもらった大きな知恵である。

 「台所は正常です」

 清掃員が報告をしてくれた。

 風呂場は昨日清掃しておいた。

 「お風呂場も正常です」

 清掃終了後に認印を押す。

 また、1年間これまでの使用法で使っていけば、逆流、詰まりはな

 いと言うことである。

 こうして、1年に1度の行事は無事に終了した。

  

 午前中から高校野球夏の予選を観戦中である。

 わたしのテレビでは神奈川、埼玉、東京予選が観戦できる。

 1回戦では、えっ、これで野球をしているのかと思わせる投手が多かった。

 いまや、ちゃんとした投手が登場している。

 明日は、国分寺、国立の都立高校の3回戦があるが、わたしの団地では水道の流しの正装があるので、観に行けない。

 人間の関係を考えると、蒸し暑いと友人どころではなくなる。

 蒸し暑さが思考を中断し、暑さを凌ぐ方法だけしか思い浮かばなくなる。

 そうでないときは、友人のことばかり考える。

 昨日までに3通の手紙を書いた。

 まだ、返信がないが、たぶんつながりを確かめたくて書いたのだろう。

 昔はよく手紙を書いたが、いまやメールばかりである。

 連絡に写真を入れることになれば、手紙になる。

 メールでも添付ができるが、やはり印画紙に印刷された写真は手紙で送りたい。

 ところが、写真は定型の封筒では収まりがつかない。

 たしかに写真が入る定型の封筒はあるが、品がない。

 定型で品のある封筒が普通に売られている時代が来ればいいのに。