真夏日に上のタイトルは似合わないと思った。

 額に汗しながら、つれづれなるままにはとは季節が合わないのである。どう考えても秋から冬にかけてこのテーマを書くべきであった。

 まして、大阪の友人から唯一の暑中見舞いまで舞い込み夏はこれから本番である。

 台風12号の余波で九州、四国は記録的な大雨である。

 高知の友人のことも思いやられる。


 第四段である。

 来世のことをしっかりと考え、仏の道を考えることこそ優れた人間が心掛けなければならないことである、と兼好は言っている。

 現在のほとんどの若者が思いもつかないことが鎌倉時代には知識人の必須事項であったのだ。

 あの世にこそ極楽がある、と鎌倉の人びとは思っていた。

 その極楽に行くためには念仏を唱え、質素を心掛けなければならない。

 鎌倉時代は生産力は上がったが、武士、貴族、寺家にほとんどの利益がいき、庶民には利益が行き渡らなかった。

 ということは貧富の差から考えると、いまの世の中に近い状況なのであろう。

 あの世の極楽を強く意識するほど仏教には説得力はない。

 鎌倉時代と比べると、いまは不幸なのかもしれない。

  この暑さは真夏日かと思った。

  しかし、そうではない。日中35度は超えていないと天気予報は高らかに言ってのけていた。

  しかし、わたしの体感は真夏日体感である。

  起きていても昼寝をしていても額に汗が浮かぶ。

  わたしは夏日になってから今日にいたるまで、母親が残してくれたエアコンにスイッチをいれていない。

  扇風機でしのいでいるのである。

  この風を送ってくれる機械はわたしが中学生になったときからの友達である。

  夏が来れば親が贈ってくれた4畳半の出窓に扇風機を設置し、何度かの真夏日を緩和してもらった。

  その体験があるので、わたしは扇風機で毎夏過ごしてこられた。

  しかし、母親が亡くなり、母親のために購入し、母親の部屋で使用していたエアコンをわたしの部屋に設置するように言われた時、わたしは信念を代えた。

  背景には熱中症になるのはシルバーと用事が多いという事実である。

  母親がそのためにわたしにエアコンを遺してくれたと思ったのである。

  しかし、わたしの頭の中はよほどのことがない限りエアコンは使うなと刷り込まれている。

  今日の晩もスイッチはオフのままであろう。

  それにしても真夏日である。

 2001年以来7月になると「浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会」から会報やお知らせが送られてくる。

 2001年にわたしは清里を訪れた。清里はバードウォッチングをしに友人の別荘を借りて行って以来である。

 当時は電車に乗って行ったが、この時は美術館を回るため車にした。わたしは車を所有していない。姉の車を借りたのである。

 清里では美術館以外では、パン工房、チーズ工房、ラッシュの恵泉寮と清里を堪能した。

 2日目が北杜市にある浅川伯教・巧兄弟資料館を訪ね、偲ぶ会に入会手続きをするためであった。

 わたしは、この兄弟が古代朝鮮の時期の発掘保存に貢献していたことを知っていたので、この兄弟の貴重な資料を観て、偲ぶ会に入会するかしないか決めようと思ったのである。

 柳宗悦をとおして、伯教が保存していた朝鮮白磁、青磁は日の目を見る。巧は林業技師として朝鮮で活躍するとともに、古代窯を訪れ、さらに古代朝鮮の膳を収集し、日本に紹介した。

 いまや、江宮隆之さんが1994年に執筆した『白磁の人』の映画まで作られるようになった。

 わたしのもとには毎年6月に偲ぶ会の総会のお知らせが来ていたのだが、足がないので不出席が続いたため、退会してしまった。

 それにもかかわらず、会報が届く。

 再参加を考える今日この頃である。

 わしの住む団地の高齢化率は50パーセントを超えた。

 その団地のバス停を午前11時ごろ通りかかった。

 最近のスーパーは朝割割引券を発行してくれる。

 わたしはその顧客と認定されたようなので120円値引きのチケットを握りしめて買い物に行ったのである。

 その後、100円ショップに行き、買いたい洗濯道具を購入した。

 ここ数か月行っていなかったので、新商品が多くなっており、冷たい店内でのんきに時間を過ごせた。

 そして、ぶらぶらと日傘をさしながら歩き、バス停の前を通り過ぎたところで待合のベンチ二つに、なんと10人のバス待ちのお年寄りが行儀よく座っていた。

 バスの待ち人は合計13人。30代の男性以外はベンチに女性7人、男性3人、ステッキをついだ男性2人。

 午前11時である。

 昼は外食なのか。府中駅に向かうのだから電車に乗る人もいるのだろう。JRも走っていて、それに乗れば、京王線に連絡しているが、乗り換えが結構面倒である。

 バスは団地のすぐ前にある。お年寄りが出かけるときのドアツゥドアとして利用しているのだろう。

 30度を超そうかという日である。

 お年寄りと書いたのはどう考えてもわたしより年長の70代前半の人がほとんどであったからである。

 健在とは健康でそこに存在しているから。あまりのパワーに日常的に外出しているお年寄りに脱帽した。

 自転車に二人の子どもを乗せて走るお母さんがいる。

 ときどきはなんと、スマホを操作している。

 「おい、おい三人の命がかかっているんだぞ」

 と、言いたくなるほどハラハラする時が多い。

 母親はわが街を移動するときにはママチャリが必須なのであろう。

 その必須にスマホが加わっているのである。

 スマホはママの命よりも大切なのであろうか。

 そんな見慣れた情景の中でパパチャリを夏休みなのか見かける。

 スマホを操作しながらなど見たことはない。

 わが子の自分の安全を最優先し、微動だにしない。

 子どもは、すっかりパパを信頼しきっているようにゆったり自転車の揺れに身をゆだねている。

 そんな安心がすれ違うわたしを包み込む。

 たまには、ほのぼのとする情景を見たいと思っていたわたしは幸福感を抱く瞬間であった。

 本書は2003年6月20日に岩波新書として刊行された。

 筆者が44人もいる本はわたしは初対面であった。

 いわば、奈良文化財研究所が総力を挙げて取り組んだ本なのである。

 その熱気がわたしを包み込んだ。

 考古学、建築史学、古代史学、保存科学、造園学など多種多様な専門分野が見事に融け合って、結合しているのだ。

 驚くべき熱意が伝わってくる。

 細くて深い知識がより深く広く奈良を解き明かす。

 新しい視点を提供する年輪年代法、新しい史料の読み方が東大寺、法隆寺、薬師寺を甦らせる。

 新鮮なのである。

 新しい東大寺、法隆寺、薬師寺がわたしの前に現出し、誘うのである。とても魅惑的な世界がわたしを奈良に近づける。

 そこに、西大寺である。

 奈良の手前の近鉄奈良線のこの駅をわたしは数百回も通っているが、通り過ぎる駅だったのである。

 東大寺に対して西大寺などと考えたことは一度もない。

 この本を読んでいて東大寺の歴史に対する理解が深まっていたのだろう、西大寺は東大寺に対する存在なのだと閃いた。

 何と、聖武天皇、光明皇后に対して皇位を継承した女帝が両親に対抗するために発願したのが西大寺であったのだ。

 わたしは6年前に薬師寺から西大寺に下り、平城京あとまで歩いた。

 この時も、西大寺を歩こうなどと思わず、無視した。

 この本を読む気になったのは、高校の同期生との奈良散策である。

 ますます、行きたくなった、おいでやす、平城へ。

 あぁ、奈良県庁に行って庭園跡を見たい、東大寺の校倉も見たい、そして西大寺の東大寺に匹敵する様を見たい。

 奈良、憧れの古の京、思い出のつまっている奈良へ行きたい。

 第三段は、どんな男が物足りるかを書いている。

 人口減少は、結婚しない女、結婚できない男が増加しているからと言われている。

 正社員として仕事にまい進する女と非正規雇用で経済力のない男。

 結婚で結びつくことはない。

 漢詩、和歌、管弦に通じ、有職故実に詳しく、字も上手で、歌もうまく、酒を進められても上手に対応できる。男が学ぶべきものを身に着けていても、恋の道に疎い男はおもしろくないと、断言しているのである。恋の道に疎い男はどうも物足りなく、玉でできた杯の底が抜けているようなものだ。

 霜や露に濡れても特定の女ではない女を探し求めて徘徊し、そういう自分に親や世間の非難を浴びて、安らかに眠れなくとも、そういう男が趣がある。

 そうはいっても、恋にだらしないと思われてはだめである。女が触れ何としても容易に落ちない、そんな男がいい、と言っているのだ。

 ようは、恋に恋する男はだめだといっているのだろう。

 自信を持った装飾系男子が、これから恋の道の達人になってくれればいいと思う。

 西東京の決勝で日大鶴ヶ丘が甲子園に行く。

 体力、気力、技術とも優れた高校生である。

 恋の道の候補生はたくさんいる。

 男女に夢のある社会とは、お互いに見つけがいのある相手がいると言うことではないかと思う。

 昨日も猛暑であった。

 それでも出かけた。

 八王子の花火大会があったからである。

3600発もの打ち上げが見れるのである。

 暑いが行くしかない。

 花火見物の人では多い。

 わたしもその一人であるのだが。

 6万人の人出を見込んでいる。

 午後7時半、約束の場所に到着。

 席取りをしていただいていたので、すぐに着席。

 上がる、「きれいね」「美しい」と賛美の形容詞が飛び交う。

 わたしは、初の打ち上げ花火見物である。

 来てよかったと思う瞬間である。

 午後8時半。仕掛け花火の瞬間である。

 突然、はいと冷えたすいかが差し出された。

 転瞬、手が出てしまった。

 クライマックスの花火を見ながら、冷たいすいか、このすいかは今夏初めての味覚である。

 甘くておいしい。仕掛け花火は見事なものとしか言いようのない形、色どりである。

 こうして、今夏初の花火とすいかにありつけたことに感謝、感謝、感謝。

 

 乱れきった世の中を憂えて書いたのが第二段であろう。

 中国の堯、舜、兼好の考える仁徳、醍醐、村上の御世を偲んでいる。

 華美に走る為政者たちを忌々しく思い、古代の為政者らに想いを馳せるとき、簡素の言葉が胸いっぱいに兼好を抱きしめたのではないか。

 30代で隠居した兼好は、利と金の世間に背を向ける。

 そう言えたのも、兼好は食うには困らない背景があったからであろう。

 それでも、背を向けた兼好は信念の人であった。

 それゆえ、九条殿と順徳院の書きのこした例を引用するだけで自分の思いを記せたのは、兼好に知性が備わっていたからであろう。

 いまの日本も貧富の差は激しくなり、国会議員の報酬、特典は庶民感覚からしても富者の名をほしいままにしている。

 朝廷社会の中から輩出した兼好が、この世の中から出てくるとは思えないが、30代の若者の中から新しいタイプの人間は出てきているであろう。

 嘆くだけではない多くの人間が社会改革に向かう姿に民主主義が生み出した可能性を感じるのはわたしの欲目であろうか。

 第一段は、この世で願わしいものである。

 まず、身分を挙げ、天皇、摂政関白などは畏れ多いとし、自分の身分を考えてか下級貴族には冷淡である。

 僧にも冷淡で名声の維持に囚われると、仏の教えに背く行いが多くなるとして、ひたすら世を捨てている人こそ願わしいとしている。

 つまり、身分に囚われると願わしい生き方は困難になると言っているのであろう。

 そこで、容貌、姿のすぐれていることこそ願わしいと言いながら、学問がないと、卑しい人と接することになり、それらの人々に染められてしまうようになる。

 願わしい人になるには学問の道に励み、漢詩、和歌、管弦に長じ、有職故実を知らなければならないとしている。

 この世とは朝廷の世のことで、そこで願わしいことを挙げているに過ぎない。

 非正規雇用が増えすぎてしまったこの世では、若者が何を目指せばよいのか見えにくくなってしまった。

 外国に行こうとすれば、その国のことばがわからないとどうしようもない。

 日本語を知り、外国語を修得することが、願わしいことなのかと思ってしまった。