本書は1994年6月8日に筆者が在籍したことのある共同通信社から刊行された。ここに、筆者の弱みがあったのではないか。
筆者が言うには、飽食に自分を失っていることに危機感を抱き、品食を予想される国の食事情を確かめる旅だったのである。
その旅費をたぶん共同通信が面倒を見たのではないか。
予定を立てず筆者は貧食の国を旅する。
アジア、ヨーロッパ、アフリカ、ロシアと移動にはお金がかかっただろうと想像できる。
そこのところは筆者は何も言わず、たまにはおいしいものを食べる。
お金は絶えず持っていたのである。
まして、ドイツでは刑務所、違う国では修道院と体験希望を出している。つまり取材許可願を出しているのである。
これはバックに組織が控えてなければならない。
自分の力で外国を歩き回ったのは、藤原新也さんである。この人は自分の力で『全東洋街道』を歩ききった。
爽やかさが読後感にはあった。
辺見さんにもそれはあるが、なぜか爽やかさはなかった。
貧食を食べたが、その感想、受け止め方がわたしが思っていたほど悲嘆がないのである。
人間の舌と喉には変わりがなく、食べることには思想、宗教には関係ないと筆者は感じたようなのだが、それは瞬間はそうだが空腹を満たせばどうなるのか。
なんでこの本が読まれたのか。
たぶんこんな外国の貧困、争いを食から解き明かそうとした本はなかったのだろう。
それにしても筆者は優しすぎる。こんな情を持ち続けたら持たないのに、ひょっとすると見せかけなのかもしれない。