本書は平成26年3月25日に角川ソフィア文庫として刊行された。
原文を通読し、現代文で確認する作業は難儀であった。
この鎌倉前期に鴨長明により編纂された仏教説話集は、一応日蓮宗徒であるわたしに響く内容を持っていた。
鎌倉前期と言えば、京都の王権と鎌倉の王権が決着をつけたころである。
貴賤を問わず、極楽に行くことを望んでいたのだろう。
発心とは仏道に入ることを決めることと、ある。
本書では発心した僧、聖、貴族、民の在り様をこれでもかと、追いかける。
よくこれだけの事例を集めたと長明の執着力には恐れ入るしかない。
ともかく、「南無阿弥陀仏」と朝夕唱え続ければ極楽に行ける。
ただ、臨終を迎えたときの自らが「南無阿弥陀仏」を唱えられるか疑う人間は焼身か入水をしようと志す。
これは地獄にいるよりは難しいと思われる。
平安末から鎌倉前期における人間は極楽浄土に行きつくことを願望していた。
平成に生きるわれわれは、たぶん生きることを楽しむか、毎日を生き切ることに必死であるに違いない。
時代は社会を映す。
わたしは、西方に座し、念仏を唱えながら極楽に行くことはないと考えるが、それでも父母が行っている極楽には行きたいと思う。
彼岸が極楽であるか、地獄であるかを信心しだいであることはどうも納得はできないとはいえ、この年齢にこうした書を読めたことはありがたいことであった。