知り合いの女性がお茶会に招待してくれた。
たまには抹茶を飲むのもいいかと出かけた。
女性はみなさん着物姿。わたしはノーネクタイにブレザー。
作法は、中学生の時に母に、20年前にオーストラリア女性に教えてもらっただけである。
なにも、覚えてはいない。
着物姿の女性がお点前を頂戴し終わるのをひたすら待ち、最後にいただいた。
茶碗の持ち方、まわし方、飲み方、飲み終えた茶碗の始末の仕方を学ぶために、濃茶を二杯飲む羽目になったが、それだけでは終わらなかった。
突然、1925年生まれの女性は、
「アンクルさん、わたしは疎開できず、東京拘置所近くにあった両親の家を守っていたのよ。銀行勤務しながら。通勤時や夜になると空襲にあったのよ。特に、1945年4月13日夜はB29が325機も来襲して焼夷弾を2千トン落としたの。雨あられに降り注いで、家は焼かれる、どこに逃げればいいかわからない。とっさにコンクリート造りの東京拘置所に逃げ込んだので助かったの。東京にいることができなくなったので両親が孫たちと縁故疎開していた愛知の山奥に蒸気機関車に乗って行ったの。手には焼けただれたバケツをもってね。愛知で会った両親は空襲のことは知っていて、私が突然現れたことを本当に喜んでくれた。それにしてもこんなことを体験した人はほとんどなくなってしまった。戦後68年になる前にあなたに話しておきたかったのよ」
と、今日の目的を話してくれた。
この間、手慣れた作法でわたしの前には3回も茶碗が置かれたので苦いが後味のよい抹茶をいただいた。