平日に銀座に行ってきた。

 信号を待たなければならない平日は歩きづらい。

 今日感じたことは、平日には美人が少ないと感じたことだ。

 銀座の土日は服装、歩く姿、足元、そして顔に何とも言えない気品を感じる女性が多い。

 その雰囲気を感じたかったが、ない。

 あったのは活気あふれる銀座であった。

 また、沖縄ショップワシタを訪ね、ハラダで買い物をした。

 明るいうちに自宅に戻り、午後5時半にはお寿司で日本酒と楽しんでいた。

 メールがあり、ひとり親からいま近くまで来ていると連絡があった。

 晩飯をガストで食べようと返信した、

 わたしは、5歳になるその人の娘が5日前の運動会でがんばったことを知っていた。

 ハラダのラスクはそのご褒美である。

 わたしはハイボール、その他は晩飯。

 よく食べ、よく飲んだ。

 みな、愉しそうにしていたのが思い出に残る。

 話の流れでスマホ購入になった。

 子どもたちが楽しそうにスマホをいじる。

 わたしは「あまりさわらせないほうがいい」と言っておいた。

 明日は出勤の親と昼飯を一緒することにした。

 なんとなく、仕事日になってしまった。

 まず、送られてきた請求書の金額を振り込むためにゆうちょ銀行に向かう。

 キャッシュディスペンサーは人っ子一人いない。

 こんなとき、自分の幸運を喜ぶ。

 並ぶことが嫌いだからである。

 並んでいる飲食店には時間をずらしていくことにしている。

 ゆうちょ銀行のキャッシュディスペンサーは、振込の手続きと通帳の記入が同時にできない。振込後に通帳記入をするため時間がかかるのである。人がいないのは、わたしには好都合なのである。

 さて、自宅に帰り、請求書を袋に戻そうとして中を改めると、まだやることがあった。

 福祉サービス第三者評価機関からの利用者家族アンケートに記入する仕事があったのである。

 わずか合わせて、40分ばかりの仕事量であった。

 たまには仕事をやることはいいことである。

 仕事年齢はこれからさらに伸びることになるだろうと予感する。30代の女性には「あんたらは70まで働くんだ」と言っている。

 姉の家の建て替えで困った事態が生じた。

 今の家は門柱があり、両扉がついていた。

 姉の家は、すべてバリアフリーのわたしのコンセプトで室内、外部とも生活をするうえで、姉にストレスを与えないという考え方で設計した。

 ところが、ご近所に10月15日から解体工事を始めると挨拶に行ったときに、お隣さんから予期しない苦情が出て、経緯築会社、施主の姉が応対しても拉致が開けなくなってしまった。

 そこで、今日は姉の誠意を感じてもらおうと、弟のわたしがあいさつに出向いた。

 わたしは45年前からお隣に対しては好意を抱いていた。

 その好意のみがわたしのお隣に対する誠意だと考え、話し合うことにしていた。

 新築の家の扉は、車の出入りを考えて、門扉を取り払い、車の出入りをしやすいようにした。

 お隣は門をそのまま残してほしいと言っているのである。

 その意味がわたしはいまいちわからなかったので、そのことを聞き、相手の気持ちを理解したうえで当方の結論を説明させてもらった。

 理解しあえ、設計通りの工事を了解してもらった。

 人間がその地に住むと言うことは、その地の人間関係の維持が大きな要素を占める。

 人間関係を壊さないようにと考えたわたしの願いはかなったようである。

 秋の晴天の一日であった。

 「みをつくし料理帖」シリーズの第一弾が『八朔の雪』であり、2009年5月18日に角川春樹事務所のハルキ文庫から刊行された。

 そのシリーズの第7弾が『夏天の虹』で、2012年3月18日に刊行されている。

 時代小説家と言われている方は、山本周五郎、池波正太郎、吉川英治、柴田鎌三郎、藤沢周平、とおられるが、わたしは好き嫌いはあるが、ほとんど読んでしまった。

 それで今年から、生きている時代小説家の作品を読むようにしてきた。

風野真知雄、岳真也、佐々木祐一さんなどが目に入り、高田郁さんも目立った。

 そこで読んだのが2冊であった。

 あっという間に読了した。

 

 澪さんという料理人が自分の夢を実現するために、つる家という料理屋で創造料理を案出し、料理人として成長する姿を描いている。澪さんが支えようとする人間がいるのだが、かえってその人間に澪さんが支えられる。人間は支えたり、支えられたりしながら生きるという高田さんの考え方が鮮明になる展開は心地いい。

 シリーズ名が語っているように、大阪の名料亭で料理人の修業をしていた澪さんは舌と鼻に優れた能力を持ち、素直で向上心の強い女性である。その料亭が火事で主などを失い、澪さんは御寮さんと呼ばれる料亭の女将さん芳と江戸に出てくる。名料亭の江戸店があったからである。しかし、その江戸店も消失していた。

 さあ、澪さんはどうなるのか。

 江戸っ子の特徴を随所に出しながら、高田さんは縦横自由に書き進める。

 涙なしには読めない、いい作風の時代小説に巡り合えたと思っている。

 

 本日は歩くと汗ばむ日和であった。

 雨は降りそうもなく、穏やかに一日を過ごせそうであったが、そうはならないのではないかとの予感があったので、気重に出かけた。

 姉の新築にはいろいろあったが、今日は工事確認合意書の締結日である。

 これを合意しなければ次には進まない。

 わたしは、もういいのではないかと思っていたが、今日陪席しなければいけないと思っていた。

 相変わらず、姉は長い。

 弟のわたしはくどくはない。

 即断即決が好きなのだが、姉をよく知っているため、姉が納得するまでは付き合おうと思っていた。

 午前10時半から始まった打ち合わせは、午後4時までかかった。

 それでも姉のペースを尊重したわたしをわたしは褒めてやった。

 しかし、新築にはご近所さんへの心配りも大切になる。

 外部工事は弟のわたしが決めたと姉は御近所さんに公言している。

 ある問題が起こり、わたしはご近所さんに説明しなければならない。

 本日それをしようと出かけたが、午後3時を過ぎたとき、わたしは今日はもうだめだと姉に言った。

 明後日話に行くことにした。

 それにしても、ご近所さんとの付き合いは大変であるが、生涯を共にしようとした場合、どこまで妥協できるのかも心に抱いておかなければならないのだろう。

 わたしの付き合いで、最も古いのは高校の新聞部の仲間二人である。

 昨年、70歳になったら奈良を訪れようと約束した。

 高校の修学旅行が奈良2泊、京都2泊であり、二人とは一緒した。嵐山で二人はわたしのレインコート姿を見て、「あっ、着ている、着ている」と珍しいような視線をわたしに投げかけ、ささやいているのが聞こえた。

 わたしが関西のメーカーに勤めて2年後に、天理にいた。

 仲間のうちの一人が奈良を訪れたので、丸一日奈良を一緒した。

 わたしは、どこをどう歩いたか記憶が不鮮明なのだが、仲間はよく覚えていて、いろいろ話を聞かせてくれる。

 わたしが記憶しているのは、仲間が日吉館に泊まったこと、借景が素晴らしい日本庭園のある寺で話をしたことである。

 その仲間が、はがきをくれた。

 「町田甲一さんの『大和古寺巡歴』を贈ろうと考えたが絶版でした」と。

 わたしは、和辻哲郎さんの『古寺巡礼』で飛鳥大和が好きになった。

 少しは、飛鳥奈良のことを勉強しておこうとはがきを受け取って考えた。

 仲間は

 

 雨がしとしと、地に降り注いでいる。

 出かける身には、おうおうという感じである。

 つまり、雨の日は出かけたくないのである。

 しかし、本日は「詩のワークショップ」の予定があるので、雨を口実に不参加を決め込むわけにはいかない。

 自転車なら10分弱なのだが、歩くと25分はかかる。

 歩くことをためらわないわたしだが、寄る年波には、が本音である。

 さて、どうしたらいいか。

 秋は、長雨の季節であるが、出かけなければならない日に長雨は困る。

 秋晴れがいいのである。

 しかし、知り合いが増えているので、その人らに会いに行くという目的があるため、雨に負けず、わたしは玄関の扉を開けるだろう。

 今週日曜日にテコンドーパフォーマンスを一緒させてもらった友人からメールをもらった。

 そういえば、わたしはお礼メールをしていなかったので、あわててメールを出した。

 友人メールでよかったのは、わたしが持参したハラダのラスクがどうなっていたのかに、きちんと結論を書いてくれていたことである。

「並ばなければ買えないラスクをいただき、感謝。おいしくいただいている」と。

 最近は、ものわすれが激しいのではないかと危惧している。

 買い替えた携帯電話のメール機能も、入力の文字確定の時間が早すぎて、まともに入力できないでいる。

 スピードはわたしにとっては大敵になりつつある。

穏やかに秋とともに過ごしている。

穏やか過ぎて、昼を食べることを忘れ、洗濯機が働き終わったのに   4時間そのままにしておいた。

 それもこれも、詩のワークショップの課題を作り終えた気のゆるみが原因と思っている。

 下の詩らしいものが、わたしの2作目になる詩である。

 ワードで書いたものをコピーしたのだが、文字が大きくならない。

魔性の秋

秋の風は冷たい

秋の雨も冷たい

やさしい秋の日差し

猛々しい秋の台風

秋の女性は物憂い

物憂い女性は細身の美人

冷たい、やさしい、猛々しい、物憂い

秋がわたしを包み込む

わたしは秋から逃れたくて

オーストラリアに行きたくなった

 

 本書は1987年10月10日に2冊同時に文春文庫から刊行された。

藤沢周平さんは1997年1月26日にお亡くなりになっているので、10年前の作品になる。しかし、『海鳴り』は1984年に単行本として出版されているので、10年前というのは間違いかもしれない。

 3年後に文庫になるは、この時期から本の寿命を延ばすための出版社の戦略であったのであろう。

 藤沢さんの作品は、映画、テレビに登場する。さわやかな剣客、その剣客を慕う美人と藤沢作品を彩る工夫が随所にちりばめられている。

 『海鳴り』は、2008年劇団民藝によって上演されている。

 見逃したのは残念である。


 本書のテーマは不倫である。

 中堅の紙問屋の経営者である新兵衛46歳と同じ紙問屋仲間の丸子屋の女房おこうがある事件をきっかけに、深く愛しあうようになる。

 自らの遊びで女房から冷たくされ、二十歳を超えてもなお岡場所に出入りする息子と家庭の冷ややかに居場所を見つけられない新兵衛。

 一方のおこうも亭主の冷たさに打ちのめされていた。

 紙問屋の寄り合いでおこうは酔いつぶれ、帰路職人たちにちょっかいを出される。通りかかった新兵衛がこれを助け、水茶屋に連れ込む。

 この事件の発端が、倒産しかかっている紙問屋からの脅迫に発展し、二人を結び付けていく。

 おこうは、新兵衛に「駆け落ちをしましょう」と言う。

 このとき、新兵衛にも、おこうにもお互いを必要とする覚悟ができていた。

 藤沢さんは新兵衛とおこうの心と肉体の触れ合いを見事な筆遣いで描いている。

 人間は今が一番重要である。

 今、愛する人がいるのならば、その人とともに生きることを、藤沢さんは強く思ってくれているのかもしれない。

 わたしは、藤沢さんの『山桜』が好きである。

 男と女の出会いと結びつきは、運命で決められているのであることを。