諸田さんの怨念のこもった書であると感じた。

 この本は2012年5月15日に講談社文庫から発行された。

 諸田さんの描く女性は落ち着いて物事に対処し、人を信頼する。

 本書の主人公は21歳の複雑な環境の中で湯屋の養女になった女性である。

 この物語では、江戸の華、火災にあい、湯屋と養父を失った女性の意思の強固さと知恵で湯屋を再建するまでの物語である。

 湯屋の近くの長屋まで、元通りにし、長屋の所有主であった娘さんまで同時に救う、神業まで見せる。

 天女と周囲から認められている女性、つまり周囲からの期待、願をかなえようとする意思の強さ、運の強さをバックボーンにして、気持ちよく読み進むことができる。

 天女湯は再建し、盗人夫婦、役者崩れの遊び人、島帰りの男と社会の日陰にいる人間を天女おれんは雇う。

 天女湯に集まった人間の共通の目的意識はお上に一泡吹かせるというもの。

 その用意のために天女湯には、隠し部屋まで拵えてある。

 正業としての湯屋、その実態は、と言ったところだが、続編に大きな期待が持てる。

 本書は2008年6月17日にワイド版岩波文庫298として刊行された。

 漱石は1910(明治43)年6月18日、胃潰瘍のため長与胃腸病院に入院、7月31日に退院し、8月6日長与病院長の勧めで修善寺に転地療養する。

 しかし病状が悪化し、「修善寺大患」と後に言われる大吐血を8月24日に味わうことになる。

 10月10日に帰京し、そのまま長与病院に入院し新年を病床で迎えることになる。

 その大患の前後の模様を書き記したのが本書であるから、入院中に書いたのであろう。


 弱った漱石が、弱りながらも目に映じることをあれこれと文章にしたことに、わたしは恐れ入った。

 生きながらえた自分がいる反面、長与病院長の死を知ったり、死と対面したドストエフスキーの心持をおもんぱかったり、画の中にある自然に思いをはせたり、社会学のダイナミック論じたり、見舞客や妻を有難がったり迷惑がったり、3人の娘たちの見舞う状況など、生き抜いた者としての漱石の面目躍如を思うしかない。

 ただ、鏡子夫人、親族、医師、看護師、友人知人など漱石の身近にいた人のご苦労を察して余りある。

 漱石はこの後の余勢を『行人』『私の個人主義』『明暗』などに注ぐ。

 すごい日本人であったと改めて思うしだいである。

 わが街の詩人が29人集まっている詩のワークショップなのだが、前回から違和感があった。

 それでも、申し込んだ以上最後までと、今日も参加した。

 なんと、わたしを入れて20人しか参加していなかった。

 今日も課題作品の評価から始まったが、前回もわたしの前で終わってしまったが、なんと今日もわたしの前で終わってしまった。

 どうも講師の福間健二さんとは相性が悪いのでないかと思わざるを得なかった。

 わたしは、短歌も詩もわかりやすさの中に作者の思想がにじみ出ることを第一義としている。

 ところがねじ曲がり、作者本人もわからないのではないかと言うことば、表現が現代詩ではないかと思わざるを得ない詩がいまを語っているようなのである。

 さらに、今回の連詩にはまいった。

 連句は知っていたが、連詩とは。

 3,4人がひとチームを作り、テーマを決め、ひとりの行数をそろえ3,4回、回していくわけである。

 なんでこのようなことをやらなければならないのか、かなり疑問に思ったが参加するといった以上はやる。

 それにしてもとんでもないワークショップに参加してしまったものだと後悔している。

 

 今日ようやくお知らせのはがきが届いた。

 関西の友人が陶芸の二人展をするのである。

 わたしは友人の陶器が好きである。

 友人作の陶器を二ついただいて大切にしている。

 ひとつは萩焼の色合いを持った小皿、もうひとつは花瓶である。

 友人の人間性がそれら作品ににじみ出ている。

 ご本人曰く「自然柚の焼き締め作品を好む」と言う。

 ようやく、日にちがわかったので、京都の秋を観てから大阪市の会場に行こうと考え、去年宿泊した京都駅前のビジネスホテルを予約しようと、午前中からインターネットのYahooビジネスホテルにアクセスしているのだがつながらない。何度やってもダメなので、真夜中にやることにした。

 早く、行くことを伝えたかったが、友人への連絡は明日になる。

 ぐっすり眠っていたはずである。

 枕元に置いた携帯がメール音を鳴らしていた。

 起きてしまった。

 谷根千を案内した友人からのメールであった。

 寝ぼけて読むよりはすっきり読みたいと思っていたのでいま読んだ。

 数か月会わないと、人間には変化があるものだ、と思った。

 わたしは、健康、体調、心理状況など何の変化も感じていない。

 つまり、父母はもう亡くなっているし、姉とはしょっちゅうあっているのでお互い変化は感じていない。

 ところが友人の親戚に変化があったようである。

 姉上が体調を崩し、叔母上が要介護状態になったというのである。

 親しい人たちが普通の生活を送っていないことがわかると、一時的に混乱する。その状態を確認することにより落ち着いたり、さらに混乱する。

 こうしてメールを送ってきたのだから落ち着いた状態にあるとわたしは判断した。

 というのは、わたしはそろそろ友人からメールが来ると思っていたからである。

 秋になったら地下鉄森下駅から門前仲町、月島まで案内する約束をしていたのである。

 芭蕉の史跡を巡り、泥鰌を食べ、もんじゃ焼きを食べる江戸めぐりである。

 友人の意図は不明だが、わたしは約束は実行する人間である。

 わたしは、返信をいまメールし終えた。

 関東ではたぶん午前9時前後であろう。

 光が差し込んだ。

 周囲を見回せば、自転車置き場が被害を受けていた。

 スタンダップしている自転車は一台もない。

 みごとに横倒し。

 先日、隣の奥さんが雨に濡れたご自分の自転車をいたわるように拭っていた。それを見ていたわたしは、その奥さんの自転車を倒したわたしの自転車を起こしに外に出た。

 自転車は変な機械で、ごちゃごちゃである。

 謎解きをするように絡み付いている個所を引き離しようやく起こした。最後に奥さんの自転車を起こし、台風前の姿に戻した。

 さすがに、人は世間に出てきていない。

 チャンスとばかり、ゆうちょ銀行に行った。

 わたしの前には一人だけ。

 ゆっくり待つ。

 わたしの後ろに二人並んだ。

 予定の額を下ろし、昨日の懸案を解決した。

 こんな緊張感で毎日暮らすことの無意味さを味わいながら人間は生きていくのだろう。

 スーパーも空いていた。

 稼働レジは8つのうちの3つであった。

 昼と夜の食材を買い込み帰宅。

 さあ、午後にはエアコンの取り付けがある。

 母が使っていたエアコンである。

 わたしはエアコンは嫌いなのであるが、母のエアコンであるので再利用しようと考えた。

 母の遺品は母が海外旅行で残した各国の小銭。

 これさえ残しておけば、母が元気に海外を観て回った姿を思い浮かべることができる。

 そういえば、海外旅行用のバッグも姉から押し付けられた。

 母とはシンガポールに行っただけである。

 国内は西は伊豆半島、東は酒田まで案内した。

 姉の車を運転していったのだが、

 「ああ、この車でまさかこんな所まで来ることができるとは思わなかった」

 とつぶやいていた母が懐かしい。

 朝から秋雨がささやくように降っている。

 こんな日は外に出ないと決めていたが、銀行とゆうちょはすいていると思いついた。

 そこで、秋雨が優しく降り注いでいるなか出かけた。

 半袖の露出部分に雨が降りかかる、

 冷たい。

 秋冷がわたしをしゃんとさせる。

 あの暑さでだらけたわたしの心身を蘇らそうとしている。

 こんな瞬間である。

 生きている、とその幸せを感じるのは。


 と、思いながら近くのゆうちょに着いた。

 空いていた。

 しかし、ポケットを確認して絶句した。

 通帳が入っていなかった。

 銀行の通帳しか入っていなかった。

 仕方ないので、銀行に行った。

 一回で用事が済んだところを、何回も繰り返さなければだめになった昨今である。

 明日の明け方から台風26号は関東を襲う。

 身をひそめてやり過ごすしかないのだろう。

 この本は2013年7月10日に文藝春秋から刊行された。

 わたしは「お鳥見女房シリーズ」は登場人物がいい人なので安心して読め、じわりと暖かい気持になれるので好きである。

 諸田さんの書名は、ずばりテーマをまがまがしいタイトルで表現するので、気合負けし手に取れなくなる。

 この「あくじゃれ瓢六」シリーズも悪者の瓢六と受け止めたので手に取れなかったが、「再会」に引かれた。

読んでみて再会の意味が分かった。

 人生50年の江戸時代である。

 2001年に『あくじゃれ』で始まった瓢六は北町奉行所同心、篠崎弥左衛門と再会し、自分の手助けをしてくれと頼まれる。

 2004年瓢六捕物帖以来、瓢六は岡っ引きとして弥左衛門の手下として、頭の回転と度胸で青春時代を生きてきたのである。

 現在の瓢六は自分の生き方に自信を無くし、まして愛する身ごもっていたお袖を大火で亡くし、根なし草の状態であったのである。

 時は水野忠邦が天保の改革と称して、蘭学禁止、語り物禁制、ぜいたく御法度の息苦しい世の中になっていた。

 瓢六は若き日を思い出す。そして、付き合いを回復させる。

 他人のために働くようになるのである。

 諸田さんはけばい作家である。文章まであくたれのゆがんだもので書ききろうとしている。

 この物語は、一つの区切りをつけているが、終わってはいない。

 天保は諸田さんには終わった時代ではないのである。

 この時代観の中で、あくじゃれ瓢六をどう生きながらせるのか、2年後にはわかるのではないかと思う。

 

 わたしはグルっぽの「時代劇を観よう」に入っている。

 そのお知らせに今日は雑談がテーマであることがわかった。

 早速アクセスして、書き込んでしまった。

 先週はyoutubeで毎日、藤田まことさんが演じる『剣客商売』秋山小兵衛をためつすごめつしてしまった。

 町暮らし、風物と江戸を再現し、その江戸で小兵衛が動く。まさに剣客小兵衛の独壇場であった。

 わたしは東映時代劇とともに成長してきたので、東映時代劇がリアルさにシフトし、やくざ映画に変質した時からは時代劇とはおさらばしてきた。

 時代劇とはおさらばしていたが、テレビの初めのころ『てなもんや三度笠』で藤田まことさんと知り合え、その後恐妻家の町同心役の藤田さんを眺めて楽しんでいた。

 そこへ、剣客として藤田さんが現れたわけである。

 そして、その剣客をまた楽しんだわけである。

 里見さん、高橋さん、中村さんなど時代劇を演じたらすごい役者はいるが、残念ながらテレビ、映画の時代劇は人気回復が難しい時代になってしまった。

 時代劇は江戸時代となってしまったが、源平から以降の時代劇を創りあげるような時代が来ることを望んでいる。

 今日の昼ごはんは大好きな友人と一緒した。わたしの街の名店そば屋さんである。

 普通なら、その店のお奨めを食べるのだが、わたしは友人にわたしの原点を知ってもらいたかったので「卵とじそば」を頼んだ。

 友人は休日出勤、わたしは自由人。

 で、久保田の千寿を飲んだ。

 おそば屋さんで、日本酒を飲むは、池波正太郎さんから学んだわけではない。仕事でお付き合いさせていただいた、汽車製造の役員で鉄道友の会の副会長であった高田さんに教えていただいた。

 「アンクルさん、わたしは鉄道友の会の理事会に出席するときに、夕食を摂ってから参加します。ざるそばと熱燗一合。たまらないです」

 その言葉を、いまようやく実践できるようになっているわけである。

 ところが卵とじそばと熱燗一合を頼んだのは友人に、

 「えっ、卵とじそば、珍しいですね」

 と言わせるためである。

 「思い出があってねえ」

 「ぼくは、おばあちゃん子だったんだよ。母親は働いていたので、小学生を終わるまではずっとおばあちゃんについて回っていた。食事や外出はおばあちゃんと一緒だった。4歳のときから、渋谷への買い物、お墓参りはおばあちゃんと一緒。外出のお昼はおそば屋さん。注文はおばあちゃんをまねて、卵とじそば」

 それ以外を頼んだことはない。

 母親に、わたしが中学生の時に言ったことがある。

 「あんたは産みの親、おばあちゃんは育ての親」

 母はショックだっただろう。