この本は2013年7月10日に文藝春秋から刊行された。

 わたしは「お鳥見女房シリーズ」は登場人物がいい人なので安心して読め、じわりと暖かい気持になれるので好きである。

 諸田さんの書名は、ずばりテーマをまがまがしいタイトルで表現するので、気合負けし手に取れなくなる。

 この「あくじゃれ瓢六」シリーズも悪者の瓢六と受け止めたので手に取れなかったが、「再会」に引かれた。

読んでみて再会の意味が分かった。

 人生50年の江戸時代である。

 2001年に『あくじゃれ』で始まった瓢六は北町奉行所同心、篠崎弥左衛門と再会し、自分の手助けをしてくれと頼まれる。

 2004年瓢六捕物帖以来、瓢六は岡っ引きとして弥左衛門の手下として、頭の回転と度胸で青春時代を生きてきたのである。

 現在の瓢六は自分の生き方に自信を無くし、まして愛する身ごもっていたお袖を大火で亡くし、根なし草の状態であったのである。

 時は水野忠邦が天保の改革と称して、蘭学禁止、語り物禁制、ぜいたく御法度の息苦しい世の中になっていた。

 瓢六は若き日を思い出す。そして、付き合いを回復させる。

 他人のために働くようになるのである。

 諸田さんはけばい作家である。文章まであくたれのゆがんだもので書ききろうとしている。

 この物語は、一つの区切りをつけているが、終わってはいない。

 天保は諸田さんには終わった時代ではないのである。

 この時代観の中で、あくじゃれ瓢六をどう生きながらせるのか、2年後にはわかるのではないかと思う。