ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -29ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。

楽器作りは時間を忘れてしまいます。すぐに一週間が過ぎてしまいました。
およそ工業製品を作っていると思えないような作業です。

ピエトロ・グァルネリはとても美しい楽器を作った人でビジネスライクでは同じような物を作ることはできません。ストラディバリと同じ時代に楽器を作っていましたが、ストラディバリの影響はなくアマティの弟子の父親アンドレアが基礎となっているでしょう。アンドレアは仕事は綺麗ではなくグァルネリ家らしいものですが、ピエトロだけは完成度の高いものを作っていました。

現代の工業製品とは全く発想が違います。
そのため何年経っても価値が落ちません。これも現代の発想と違うからこそです。


弦楽器を作るのがほかの職人の作るものと違って面白いのは、手の込んだ高価な品を飾っておく、箱に入れて大事にしまっておくものではないことです。道具として使用できること、それも音楽という芸術を生み出すための道具という所にあると思います。

逆に言えば高級品はそれを使用して効能が優れているということではなく、品物自体に価値があり、それを持っていることに喜びを感じえるものだと言えるでしょう。もちろん道具としての機能性に優れたものもあります。全く使用しない高級品もあります。

腕時計などは高級品でなくても、時間は変わりません。高級時計を買えば一日が25時間になるならぜひ欲しい所ですが、そういうわけにもいきません。時間を知るという機能なら電波時計のほうが優れています。
そこで高級時計の価値を信じている人とそうでない人の論争が起きます。

高価な時計をしていると立派な人物だと認められるとか、自分が立派な人物になったと自信を持てるという言い方がされます。またそれに対して、値段やブランドが大事で品物の良し悪しが分かっていないと批判を受けます。

よく考えてみると高級品は本来の意味でそれ自体に価値があって何かに役に立つということは2次的なものだと思います。今の人たちに売るためには何か効能があるということを口説き文句にしているのでしょう。買う方も無駄遣いといううしろめたさを感じていて正当化するためにウンチクが必要です。


伝統的に高級品を売ってきた側としては、名前が有名で値段が高い・・・誰もが高級品だと知っているということが、高級品では重要でしょう。一方現代の消費者のほうは、値段が高いのだから何かが優れているはずだと思い込んでいます。これがギャップになっていて、トラブルの原因になります。

高級品は熟練した職人が作っているので品質が良く、丈夫だというイメージがあるかもしれません。もちろん粗悪品に比べればそうでしょう。しかし、扱いはデリケートで手入れや保管方法を間違えればダメになってしまうようなものも高級品の特徴です。工事現場で使用するような道具のほうが丈夫なのです。ダンプトラックは丈夫で強力なエンジン出力、大きく値段も高価ですが、高級車とはみなされないでしょう。
私は小さいころダンプカーが好きでおもちゃで遊んだものです。高級車などは興味がありませんでした。高級車が分かるのはもうちょっと大きくなってからでしょう。
プロのコントラバス奏者でもなんでコントラバスを弾いているか聞けば、子供の頃デカくてカッコイイと思ったからと言う人がいます。コントラバスの低音は大人になっても魅力的です。


私はお金持ちの家に育ったわけでもないし、両親も無駄遣いをするような派手な生活をする人ではありません。父親はエンジニアで家族はみな理系です。
高級品とは縁のない暮らしをしてきました。しかし、両親はひどく安いものは買いたがらなくて、必要なものはちゃんとしたものを買う感じでした。
実家で30年くらい前に買ったナショナル(現パナソニック)の電子レンジは今でも使えます。当時の日本製品は品質が良かったです。
学生時代には老舗の紳士服店でスーツをしつらえるように言われました。一般の学生よりは高いものを着ていたのでしょう。


中高生の頃「なんでも鑑定団」という番組が始まってとても興味を持って見ていました。BSでやってたイギリスのアンティーク鑑定の番組も好きでした。

もちろん私は高価な品物を所有することに興味があったわけではなくて、職人が作るものに興味があったわけです。お金持ちになることに興味があるならビジネスに夢中になるかもしれません。アメリカの昔の起業家などは子供のころから大人相手に商売していたなんて話もあります。

しかし現実的には自分が物を作る才能があるということも自覚していなかったので、学校の成績で入れる文系の大学に入りました。就職しなくてはいけなくなってもまったくピンと来なくて就職活動に出遅れてしまいました。それで調べていたら弦楽器を作る仕事があるということを知ってこれは面白そうだと思ったわけです。

日本の伝統工芸の職人などは、「時代に合わないから売れないだろうなあ」と感じていました。それに対して弦楽器は実用的な機能があるので、技術を開発すれば良いものができるんじゃないかと考えていました。ストラディバリという存在を知って、どうやって音が良い楽器を作ったのか興味がありました。

むしろ音の方に興味がありました。
修行を始めると、きれいに正確に加工することが求められました。それももちろん面白くて、今でも産業として考えると「きれいすぎる」物を作ってしまいます。今の工房に入ってすぐに職人の仕事というのは「博士の仕事ではない」と言われました。博士の仕事というのは研究者が論文を作るように間違いのない完璧さが求められるという意味です。

それでもどうしても完璧に仕事がしたかったから、いつしか許されて「こいつはそういうやつだ」と師匠からは扱われるようになりました。適材適所で仕事を割り振れば良いわけです。

今また新人に教育していると、そういう事を教えられたのに無視して違うことをやっていたのに気づきます。多くの人は根気が続かなくて、完璧さを求めるのをすぐにギブアップしてしまいます。

自分でも完璧主義では仕事にならないし、オールドの作者もそうでもないので、間違った考えだとは頭ではわかります。それで思いっきり雑な仕事をするとお客さんに出せないものになって失敗になってしまうのです。今でも難しい問題です。


このように腕の良い職人の作るものは品質が完璧だと特徴づけられるでしょう。しかし、一方で非常に正確に大量生産できる機械が開発されたらどうでしょう。弦楽器は難しいですが、一般的な工業製品ではあることです。機械で作ったもののほうが完璧なのです。例えば手打ちうどんなどもそうです。

そうなると今度は「手作りの味」と言い出します。

それを許すと下手な職人の作るものでも、素人が作ったものでも良いことになります。


食べ物などで、高級食材で「柔らかくておいしい」という事があります。一方で「歯ごたえがあっておいしい」というのもあります。何が理想かという決まりはないのです。


職人として生きていると、やはり高級品というのは希少性だと思うのです。




私の勤め先の初代の職人は主に戦後から1970年くらいまでヴァイオリンを作る仕事をしていました。今でも修理や、弾く人がいないからと売却のために持ち込まれることが多くあります。ものすごくたくさんの数を作っていました。

戦後の経済復興で需要が増大したのに職人が少なく供給が不足していたのでしょう。それなりに有名だったこともあって次々と注文が入ったそうです。私が就職したころにはそんなにどんどん注文が入るような状況ではありませんでしたが、それでも常に楽器を作っていました。

それがいつしかお客さんは古い楽器を求めるように変わってきました。それで新しく楽器を作るよりも修理の仕事が多くなりました。

復興期には「作れば売れる」という時代があったようです。先代の社長の80年代でもヤマハの電子オルガンなどを大量に音楽学校に納入するなど羽振りが良かったそうです。トヨタのハイエースを持っていて活躍したようです。ハイエースはその後売却したら買った値段よりも高く売れたなんて言っています。そんなこともあって日本人に絶対的な信頼があってひいきしてくれているのです。


私たちが職人を目指すころには楽器を作ればどんどん売れるような時代ではありません。どうやって楽器が売れるようになるか考えなくてはいけません。

昔は音を試すこともなく注文が入っていたのに、今は試奏して音が良い楽器を選ぶようになりました。そのため音量が得られやすい古い楽器が好まれるようになってきたのです。今売れるためには音が良くないといけません。

20年前と今でも変わっています。うちの工房も老舗のネームバリューで売るのは難しくなってきました。


私が日本で修行を始めたころは、「クレモナの巨匠」がもてはやされていました。買った人の話ではろくに試奏もさせてもらえず、巨匠のものだから良いに決まっているということで買ったそうです。
それが今になって音があまり好きじゃないと相談を受けました。


高級品を買うというのは「有名で高価な品物」を所有することが目的のものだったようです。憧れの名品を手に入れるのが目的なのです。
今の消費者はそうではない考えを持っています。音の良さが評価されて値段が高くなっていると思い込んでいます。高い楽器を買ったのに音が良くないという不満が私に寄せられます。しかしそうではないのです。消費者が変化しているのに売り手が昔のままです。それを話すと「そんな昔の商売をしているのか?」と驚かれました。



うちのところでは完全に弦楽器が道具とみなされるようになってきました。お店に良い楽器は無いかと来るわけですが、いくつか用意すれば、楽器を見ることも説明も聞くこともなくさっそく弾き始めます。日本でまだ20年前の商売が続いていると聞くと時間が止まっているなと思います。

もちろん一定の割合で高級品を所有することに喜びを感じる人はいるでしょう。完全に過去のものとして無視することはできません。特に日本の高級品のビジネスではこの客層を重視した経営をせざるを得ないのでしょう。



そのように時代は変化しているわけですが、教育などは最も変化の遅いものです。我々が楽器製作を学ぶ時には何十年も前の考え方で教わります。師匠の師匠、それまた師匠くらいの時代の考え方を学ぶのです。

最初に基礎を学ぶことは悪いことではありません。しかし、それで作っても自動的に売れた時代ではなくなっています。そのため師匠や先輩の考えと対立することになるのです。



今の私たちは初めから「機械などの製品は性能が良いものほど高価」と知っています。昔の高級品とは考え方が違います。今の人は昔の高級品の考え方を知らないのです。私も技術者なのでそうでした。


よくビジネスの手法で「モノを売るな」ということが言われ聞いたことがあります。ものを売らずに何を売るのかと言えばいろいろありますが例えば「体験を売れ」などと言います。私は物を作る人間なので「モノを売るな」と言われると腑に落ちません。

それで説明を読んでみるとこれからの時代は物を所有すること自体が目的ではなく、それを使用して得られる事が重要だというのです。そのため考え方をこれまでとは変えなくてはいけないのだそうです。

「ええ?」そんなの当り前じゃないかと驚きました。
読んでみると昔はそうではなかったそうなのです。それでうちの会社でも昔はそうだったんだなと歴史を学ぶとわかります。

今なら70歳くらい以上、盛んに言われたのが10年くらい前だとすれば当時の60歳前後の経営者なら、「これまで…これから」ということでビジネスの教えになりますが、私の世代なら「これまで」を知りません。消費者のほうがさらに先を行っているでしょう。



私は初めから音の違いを作り出す技術に興味がありました。師匠に教わった方法で作った楽器の音が気にいらなかったので、研究をしてきました。

ピエトロ・グァルネリなどは現代の楽器とは見るからに違います。それくらい違うものを作らないと音にはっきりとした違いが出ないということが分かってきました。
職人というのは0.2㎜違えばものすごく大きな違いのように感じるものです。魂柱の直径は6.2㎜と比べて6.3㎜だとかなり太いなと感じます。お客さんに、「こんな太い魂柱ではダメです。交換が必要です。」と言ってしまう職人もいるのです。

でもそのような違いは音にははっきりした影響は確認できず、もっとはるかに違うものを作らないと傾向をつかむことができません。創意工夫したつもりでもあまり意味が無いことが多いのかもしれません。職人は自分のこだわりを語ります。話を聞くと音が良い楽器の作り方の秘訣を知っているように聞こえます。細かい違いにこだわっているほど精通しているという誤解があります。

私はそういう事に疑念を持つのは、もっとぜんぜん違うものを作った事があるからです。また今回も同じような違いが出るのか面白いものです。もちろん前回のピエトロ・グァルネリのコピーの音が印象的だったからです。何度でも作れれば技術として確立したことになります。


現代にユーザーに求められる高級品は、売る側、作る側の考えよりも先に行っています。私は皆さんに教えるようなことは無いです。
そうではなくて、我々が時代遅れの考え方をしていることを訴えています。お店の人は分かっていないのです。


今、高級品に求められているものは、名品を所有するというだけで終わりではありません。それなら金庫に入れておくべきです。

一方完全に道具としか考えない人にはもう少し、職人の生み出す物の価値を分かってもらいたいという思いもあります。日本人はまだ、そのような感覚を持っているようです。



















こんにちはガリッポです。

こちらでは何となく感染の恐怖感は薄れてきて次第に関心が経済に移ってきています。日本では感染拡大時期とスピードを遅らせることに成功したのでまだまだ先になると思います、でもその分被害も制限も少なく済んで、回復も早いでしょうからもうひと我慢です。

弦楽器は製作したり、仕入れたりしても何年先に売れるかわからないようなそんな産業です。明日売れるのか10年先なのか20年先なのかもわからないものです。それは営業マンの努力で楽器を売るのではなく、演奏者との運命の出会いがあって楽器が売れるからです。したがってかつてのリーマンショックでもそんなに影響を肌で感じることはありませんでした。

「安くて音が良い物」を重点的に揃える師匠の方針も秘訣だと思います。


私自身はインドア派ですからそんなに生活が変わっている感じでも何かを我慢しているわけでもありません。
仕事は家で続けていて、いつものように自炊しています。


それでもウィルスが身近に迫ってきて最悪な事態も想定して準備をしなくてはいけません。そうなると気分はいつものようにはいきません。一日中感染者の数字やニュースを見ても事態はその日のうちには変わりません。
世の中は生きていくのに最低限必要な物に重点が置かれていきます。楽器などは無くても生死には影響しません。自分のやってきたことにそこまで価値が無いかとも考えてしまいます。

ヴァイオリン作りを始めましたが、運動不足もあるのか力が湧いてこなくて、長時間の作業が応えました。でも、だんだん元気が出てきました。私にとっては楽器作りが元気の素なんだなと実感しています。

私にとっては今の生活は楽器製作に没頭しやすく充実しています。
何かを我慢するようなことはありません。



しばらく楽器の個性について考えてきましたが、音響面で明らかな差になるためにはよほど作りに違いが無いといけないのだということを改めて感じました。

作者ごとに癖などがあってもそれは些細なことで音には差が無いレベルかもしれません。規則性を見出すのは困難です。同じように作ってもなぜか音が微妙に違うという、そのような感じです。そのためどこの誰が作ったものがどんな音がするのかわからないのです。弾いてみるしかありません。



西洋の人は日本人よりも我が強くて自分を押し殺して何かを学ぶということは難しいです。お手本通りにきちっとしたものを作れる西洋の職人は少ないです。現在の職人の楽器を写真で見ていれば形が整っているのはアジア人です。ヨーロッパの人たちはかなり独特な楽器を作っている人が多いです。

だからと言って個性的な人が多いかと言うと、私は予想よりも常識人が多いと思います。私が外国に行こうと思った理由も、日本の同調圧力に合わなかったからでしょう。しかしこっちに来ても私ほど変わった人はあまりいません。
ワールドクラスの変人なのでしょうか?

西洋の人たちは一見個性的なように見えても根本的には常識人です。
もしかしたら日本人のほうが一見個性が無いように見えて、とんでもない変人が潜んでいるのかもしれません。

楽器も一見個性的に見えても、根本的な楽器の作りは常識的で音も「普通」というのが現代の楽器製作でしょう。


私はまたピエトロⅠ・グァルネリのコピーを作りはじめましたが、もう当たり前のようです。しかしとんでもなくおかしなものを作っています。

最大の特徴はこんもりと膨らんだアーチにあります。見習の職人に教えている一方で全然違うものを作っています。「正しいアーチの高さ」からあまりにも逸脱していて見るからにぷっくりと膨らんでいます。正しい作り方ではないと現代では考えられています。つまり音が悪いので作ってはいけないと考えられています。


このような膨らんだアーチのものを作るのは現代では常識からぶっ飛んでいます。
膨らんだアーチの楽器ばかり作っているのは頭がおかしいです。

私は中高生の頃も、不良などには全く憧れることが無くわが道を生きてきましたが、みな同じ格好をしていた不良の同級生たちもそろそろ更生して立派な常識人になっていることでしょう。私のようなマイペースな人の方がタチが悪いです。

うちの師匠も若いころはかなりの遊び人で社長の息子ということもあってやんちゃしていたことでしょう。
それがもう50代半ばでとても保守的な事を言うようになっています。楽器製作の趣味も90年代に働いていた抜群に腕のいい日本人の影響を強く受けていてきちっとしたものを好みます。
弟子に作らせるとしたら普通はストラディバリモデルをきちんと作らせます。

私は古い楽器の面白さにはまってしまって常識外れの楽器を作りたいわけです。
師匠はコロナウィルスが流行する前から私がヴァイオリンを作ることを考えていました。去年のデルジェスのコピーが注文主に拒否されても在庫になるので良いと考えていたくらいです。

修理の仕事が終わったので、なにを作るか話し合わなくてはいけません。
私が「ピエトログァルネリのモデルが音響的にも一番おもしろい」と言ったところ、即座にOKしてくれました。自分の店で売る楽器にはうるさいですから、他人にはわからない師弟の信頼関係があります。

師匠としては、何かの楽器の忠実な複製ではなく、良い楽器を作ってアンティーク塗装にしようという考えでした。私はどちらの仕事も面白いです。
できるだけ忠実に作ろうという試みはオールドの作者から多くのことを学ぶことができます。そうすると実は昔の人は割と適当に作っていたことを知ります。
毎回きっちり同じものを作っていたわけではありません。そのためある楽器の寸法を経典のように信じることは作者本人がやっていたこととは全く違うのです。

職人として同じレベルになるためには、感覚的に作れなくてはいけません。
でもその時代に修行した職人のように完全に感覚的に作るのは難しいです。そういう意味では補助輪を外して独り立ち始めるような仕事になります。

つまり具体的に何かと一緒ということではなく、ピエトロ・グァルネリやその弟子、他のクレモナ派の一人のような楽器を作るということです。それが身についているということです。名器をコンピュータでスキャンして3Dのデータとして工作機械で加工しても、同じ能力は身に付きません。
これまでも何度も作ってきたことで練習はできています。さらにアマティの実物を見た事でより細かいところで「これくらいなんだ」ということが分かりました。

アマティは80歳くらいの時の楽器でしたが、この調子で行けば私が80歳になったころには同じような物ができるかもしれません。

まあまあ、そういう意味でとてもモチベーションも高い仕事ができるようになっています。ここまで来るのは簡単なことではありませんでした。
私は自分の時間で楽器を作って、それをお店でもお客さんにも試してもらって評判が良かったので師匠もビジネスとしても成立するということが分かってきたわけです。
お客さんのほうが先に良さが分かったのかもしれませんが、師匠もお客さんの声に敏感で柔軟性がある人です。厳格な師匠なら破門されていました。

そうやってケンカすることなく改革を行いました。


それくらいおかしな楽器を作っています。
でもよく考えてみると実際に魅力的な音がするオールドの名器をおかしな楽器と考えいてる現代の楽器製作の常識のほうがおかしいのです。


ピエトロ・グァルネリのコピーは出来上がって自分で弾いても思わず笑みがこぼれるような魅力的な音でした。作っていてもアーチの膨らみに思わず笑みが出ます。
丸くてぷっくりしているのも作っているのが面白いです。ピエトロがずっとそればかり作っていたのは面白かったからでしょうか?
まあ、いつもそれを作っていればそれが普通になるだけです。感覚で作っていましたから。

なぜオールド楽器がそのように作られていたかは本人に聞かないとわかりません。しかしアマティは楽器の耐久性を考えていたのでしょう。それは近代になってもっと少ないふくらみでも耐えられるということが分かっています。

フラットな楽器を作るために最適な製造法がこの200年の間に確立してきたことでしょう。その中で近代のイタリアの楽器は「手作り感」を出して量産品との違いをアピールしています。例えば、フィオリーニやサッコーニのことです。一緒に働いたこともあるイタリア人の楽器にもそれは現れていました。

でもそれは近代の楽器作りを応用して作られたように思います。そのような事もまた詳しく語っていきたいと思います。


アマティとピエトロ・グァルネリのモデルや構造の違いが音にどんな違いになるかは興味深いです。アマティのコピーも作りたいです。これまではアマティはビオラばかりで、ヴァイオリンはバロックヴァイオリンを3本作りました。
バロックヴァイオリンでも音のキャラクターはあります。
ずいぶん前なのでまた作ってみたいです。

興味は尽きません。










こんにちはガリッポです。



まずは去年の秋から作ってきたビオラから。
当初から予定していたスケジュールのとおりに完成したので弦を張ってみました。

弦はピラストロ・オブリガートのセットです。
さっそく弾いてみると思ったほど低音は豊かではなく明るい感じがしました。その代わりに、反応がダイレクトで強さがあります。A線はいつものように柔らかく、ビオラ特有の鼻にかかった音にはなっていません。ヴァイオリンのA線のように素直な音です。

翌日にもう一度試すと、ずっと低音が豊かに深みが出てきました。人が弾いているのを聞いても明らかに暗い音のもので、いつものビオラのようなものとなるでしょう。
ただし、もやっとした柔らかい低音ではなく筋肉質な乾いた音になっていると思います。

弦楽器の音は一長一短で低音のボリューム感が増えれば歯切れの悪い不明瞭な音になるのに対して、ダイレクトな手ごたえ、すっきりした抜けの音になれば量感は減ってしまいます。

暗い音なのににぶい音ではないという点で演奏家には好まれるタイプの音だと思います。

とはいえ、まだできてすぐなのでこれから変わってくるでしょう。というのは新品のビオラはすぐに魂柱がゆるくなってしまうのでかなりきつくしてあります。表板と裏板のつっかえ棒ですから、自由な振動を抑えてしまうのです。

駒は高めにしてあります。低すぎると高くはできないのに対して、高すぎるものは加工して低くすることができるからです。ニスが乾くときに引っ張られてフラットになっていたアーチが戻ってくることもありますし、弦の力でネックが下がってくることもあります。
チェロなどはネックを持つだけで胴体の重さで角度は微妙に動きますから。

楽器が落ちついたところで再び調整が必要です。一年もすれば駒を1~2㎜くらいは低くする必要があるでしょうし、数年でもちょっとずつネックが下がってきます。

なので始めは高すぎるくらいにしてあります。それも音が引き締まっている原因と考えられます。もっとゆったりと楽に音が出るようになるでしょう。

板は十分薄くしてありますから設計ミスということは考えられません。これが厚い板できつく魂柱を入れていればもっとカチコチの楽器になったことでしょう。


基本的には高いアーチの楽器らしい、スカッとした抜けの良い音が魅力になっていると思います。この前はアマティのヴァイオリンの話をしましたが、この楽器は多彩な音になっていると思います。
低音にはちゃんとビオラらしい鼻にかかった傾向があります。しかしA線は柔らかいものです。低音と高音は矛盾するものですが、両立しているのは珍しいと思います。

この辺りは私が作る楽器の音としても、前回のデルジェズのコピーから柔らかいばっかりではなくなってきたところでもあります。何故かはよくわかりません。




楽器選びの時と購入してからでは音の評価も変わってきます。
とくにビオラは比べるものが多く無いので相対的に他の物より優れているかではなくて、絶対的に満足できるかが重要だと思います。そういう意味では気になるようなネガティブな部分は少なくバランスが取れていると思います。

これからが楽しみです。


ヴァイオリン製作の開始


ヨハン・ルーザーのヴァイオリンを修理していましたが、これは終わりました。

それで新しいヴァイオリンを作り始めました。これは勤め先の楽器で、注文などではなく店に置く商品として作るものです(見込み生産)。そのため師匠の求めるものを作ります。目指すのは今回のビオラと同じような物です。
何か特定の名器のコピーというわけではなく、上等な材料を使って高品質な楽器を、オールド楽器のようなスタイルで作ってアンティーク塗装にするというものです。

モデルは私が過去に作った中でも音が印象的だったマントヴァのピエトロI・グァルネリのモデルにします。
自分が作った中でも特に好きなものです。
ピエトロは木材は様々なものを使っていて特に決まりはありません。しかし作風はとても似通っていてアーチはいつも同じように高いものです。
アマティやストラディバリ、デルジェズなどとは違い作風が固まっているタイプの人です。美しさという点でも完成度が高いので師匠も満足です。

高いアーチの楽器を作るには材料は厚みが無いといけないのでとっておきのものを使います。去年のデルジェスのコピーと同じストックの表板を使うので音の点でも有利でしょう。

裏板はオーソドックスな柾目板の2枚甲です。師匠の好みでもあります。私は1枚板ばかりを使いたがります。材料のストックの傾向が全然違います。私は一枚板ばかりです。
ピエトロももちろん同様の板を使ったものがあります。
これもとても古い材料で同じように作ったなら音響的にもメリットがあるでしょう。

夏には完成すると思いますが、普段は忙しくて修理ばかりでなかなか新作の時間が取れないので良い機会です。
ただし、しばらく自宅にこもって熱心に練習していた人たちの楽器も消耗しているでしょうから夏にはメンテナンスの仕事は増えるかもしれません。

作るなら今のうちです。
いつ帰れるようになるかはわかりませんが、日本にも持って帰ることもできるかもしれません。売れずに残っていれば値段は税抜き16000ユーロくらいで輸出することもできると思いますが師匠と相談が必要です。

良い楽器というのは一年や二年の出来事で価値が左右されるようなものではありません。良いものを作りましょう。

魅力的な楽器を作ろうと研究してきた結果が出てきて、一年を通して楽器を作る「ヴァイオリン職人」になってきました。ヴァイオリン製作は学んだけどもしばらく作っていないという名ばかりのヴァイオリン職人は多いですから。



同時にアマティのコピーも私の自由時間を使って作りたいと構想中です。体力を消耗するわけにもいかないので作るのはもう少し先です。特に日本の女性の方のためにやや小さなヴァイオリンを考えています。7/8と4/4の間くらいで弦長が5㎜短く子供用ではないけども、弾きやすいというものです。
アマティについては調べていたので発見がいろいろとありました。


ヨハン・ルーザーのヴァイオイン


さてヨハン・ルーザーのヴァイオリンが仕上がりました。

ペグの穴を埋め直し、新しい指板を付けネックを入れ直しました。ネックは5㎜短かったので付け足したものです。
長くなったのでネックも削り直しが必要です。
これで理想的な状態になりました。

表板は古く見せかけるためか黒く塗られているところがあります。不思議なことベースのニスとは性質が違うものが塗られていてちょっとこすると黒い色が取れてしまいます。半分より右側はちょっと研磨したところです。
これは作者本人がやったのか後の時代の人がやったのかわかりません。
いずれにしてもとてもわざとらしく汚らしいもので安価な量産楽器のように見えます。
ニスの性質が全く違うことから後の時代の人がやったのではないかという気がします。

私が補修してみました。すでに150年近く経っている楽器ですからことさらに古く見せかけなくても味が出ています。
これくらいのほうがモダン楽器という感じがします。

琥珀色のようなモダン楽器らしいものになりました。

これもいわゆるガルネリモデルで大きなf字孔が典型的です。特に左のf字孔が中央に寄っています。これだとバスバーが正しい位置に付けられません。f字孔の穴のところにバスバーが来てしまうからです。ちょっと困ったところです。
黒い色も一部だけ残して落としました。


スクロールはすごくきれいではありませんが、渦巻を専門に作る職人のような感じはしません。


裏の部分の彫り方がかなり変わっています。でもたまにこのようなものがあります。偶然の一致で流派に共通する特徴ではなさそうです。
精密な仕事ではありませんが、コンパスの跡があったり手作り感はあります。


気になる音ですが、弾いてみると意外と「普通」という印象を受けました。見た目には作者の癖があるので音も個性的かと思いましたがそうでもありませんでした。

決して悪いことではなくてこういう時代のものは癖が強かったり耳障りな嫌な音がするものが多いのです。そういう意味ではとてもバランスが良いものだと思います。明るくも暗くもなく、鋭くも柔らかくもないものでちょうど中間です。さすがによくある新しい楽器に比べれば落ち着きもあり、単純に音量があると感じられるでしょう。

値段は50~100万円のゾーンの楽器です。量産楽器からステップアップするのに最適なものです。
優等生的なバランスの良い楽器です。これにイタリアのモダン楽器の作者のラベルを貼ってしまえば気付かないかもしれません。だって決して音が悪くは無いのですから。明るさもあります。巨匠の作品だと刷り込まれてしまえば良い音に聞こえてもおかしくありません。

やはり、フランスの一流の作者のような楽器のほうが作れる人は珍しくて希少です。教科書通りに作られているので一見個性は無いように見えます。しかしヴァイオリン全体で見れば珍しいものです。このような個性のある楽器のほうが平凡なものです。

現代でもフランスの一流の職人のような楽器を作れる人はわずかですから、このようなレベルの楽器はよくあると思います。それでも150年近く経っている分希少だと思います。値段は100万円もしないのですから初心者が次のレベルにステップアップするには非常に良いと思います。弦楽器を知らない人なら50万円でもびっくりするくらい高いですから。150年も前のアンティークのものがあるというだけでも驚きです。

これが作者の名前もわからなければ50万円前後になるのでさらにお得です。名前が分かっているので100万円くらいつけても高すぎると言われることは無いでしょう。

皆さんには個性があるということは分からないかもしれません。それはしっかりとモダンヴァイオリンの基礎を理解していないからです。それはしょうがないです。ヴァイオリン職人でも理解できる人は少ないのですから。

個性について


「個性」については様々な理屈がごちゃごちゃになっていると思います。

大量生産品とハンドメイドの違いを説明するのに、個性という言葉を使ったのかもしれません。量産品は同じものをたくさん作り、分業で部品ごとに違う人が作っています。そのため作者個人のこだわりはありません。

私は、個性があっても無くても十分な品質で音が気にいればそれで良いと考えています。だから大量生産品だからダメということもないと思います。個性があるからと言って大量生産品より劣るような素人が作ったようなものでは意味がありません。


あとは芸術家としての精神論がありますね。

「人の真似をするようなのは志が低い!」とか考える人もいるかもしれません。
弦楽器職人の現場とは全くかけ離れたイメージだと思います。

一つは規格化された道具であること。スパナやねじ回しなどを買うときに「個性が無いのはダメだ!」と言う人がいるでしょうか?個性的なスパナやねじ回しでは大きさや形状がバラバラではネジに合わないのでうまく機能しません。使いやすさも研究され尽くされてどういうものが良いかは業界として定まっています。

道具とはそういうものです。
少なくとも我々職人が工具を買うときに、「個性が無いからダメだ」なんて買い方はしません。質が高く使いやすいものを求めています。優れたものは類似品がたくさん作られます。工具メーカー同士が切磋琢磨して完成度が上がっていくということもできます。
変わった発明品よりも、オーソドックスで質の高いものが欲しいです。テレビショッピングやホームセンターで売るなら、「画期的なアイデア」のほうが良いでしょうけど、プロはそんなものに惹かれません。

音楽家でもプロであるほど能書きよりも実力で選ぶべきです。コレクターなどは特殊な趣味なので自由ですけども、コレクターが求めるように職人たちは個性を重視してきませんでした。職人というのはそういうものです。



弦楽器は1600~1800年くらいまでは製法が定まっていなくて地域や個人、時代によって作風にばらつきがありました。良いものもあれば、まともに機能しないものもあったのです。
それが1800年ころフランスで改良されたものがモダンヴァイオリンとして定められました。ニコラ・リュポーが娘を弟子と結婚させたりするなどして親戚関係によって強い支配構造ができていました。これは「ダイナスティ」と呼ばれます。世襲制による権力支配のことです。ヴィヨームも有名です。

このような独裁支配によって弦楽器の作風も決まったものが理想とされました。若い職人はそのようなものを作れるようになると認められ出世したのです。

民主主義を信条にしている人からすればひどい独裁だと思うかもしれません。私は政治よりも文化のほうが美しいものだと考えているので、結果として非常に高度なものができたことを無視するわけにはいきません。チェロなどは高度に訓練された職人たちが町工場くらいの規模で組織的に働かないとまともに生産はできません。

他の国の職人たちも高度なフランスの楽器に憧れ、みな真似をしました。
ところがフランスほど強固な教育システムを持たない他の国では同じような物は作れませんでした。

多かれ少なかれ自己流でフランス風の楽器を作ったのですが、真似しきれず腕前が十分でない職人も多くて作風はバラバラです。いつしかフランスのモダン楽器が目標だったことさえも無知な職人たちは知らなくなりました。自分たちがやっていることがモノマネだということすら知らないのです。

現代でも同じことです。
「フランスの楽器は個性が無いからいけない」と言うのなら、現代の職人はフランスの楽器とは全く違うものを作るべきです。しかし大概はフランスの作者と同じストラディバリかガルネリモデルです。オリジナルのモデルと言ってもこの考え方から逃れてません。「オリジナルの作品」を集めるとどれもそっくりです。私がアマティのモデルで作ったものの方がよほど変わっています。

一方ヘッドがドクロになっていたり、彫刻がほどこされたり、f字孔がf以外の形をしていたり、コーナーが無い物とか実際には変わったものが作られています。でもこれらが「個性があって素晴らしい」と評価されてはいません。

ヴァイオリン職人は個人や流派によって多少癖があります。同じものを作ろうと思ってもちょっとずつ違います。
私たちが多くの楽器を見ている中で言うとフランスの最高レベルのモダン楽器はとても少ないです。フランスの楽器の出来損ないのようなものは腐るほどあります。

やりつくされて発想は限られているのでどれを見てもどっかで見たような感じがします。ヴァイオリン製作コンクールなどはどれもそっくりです。みなコンクールで受賞した過去の楽器を研究しているからです。いっぽう勉強をしていない職人の作るものも似たような感じになってしまいます。初心者がやりがちなことはある程度決まっています。


もし本当に個性的な楽器を作るなら完全にフランスの影響を受ける前に戻ってやり直す必要があると思います。私はそういう意味でも古い楽器を研究し始めました。しかしそれが面白くなってもう個性などはどうでもよくなりました。結果的に私の楽器は独特の風合いがあります。モデルや形が違っても私の楽器とすぐにわかる雰囲気があります。個性を主張しようとしなくても出てしまうのです。

他の産業ならもっと違う形のものがどんどん作られていくでしょう。それでも「流行」があってどこのメーカーのものかというよりも、どの時代のものかという方が共通性があります。70年代にはみなこんなのだったんだなんてことになるだけです。

つまらない理屈に惑わされて、価値のあるものを見落とさないようにすることの方が大事だと思います。


















こんにちはガリッポです。

この前から取り上げているヨハン・ルーザーについて調べてみましたが、ほとんど何もわかりませんでした。スイス製のヴァイオリンとして紹介したホフマンも同じヴュルツブルクの出身です。ホフマンの師匠は別の人でつながりはわかりません。他のヴュルツブルクの作者についても楽器の写真などは無く作風のつながりもわかりません。
ニスについてはホフマンもルーザーも似ています。柔らかい質のものです。形もガルネリモデルで大きなf字孔がついています。

ヴュルツブルクの他の職人も何人もいるようですが、写真などもありませんし、文献によると他のドイツ各地で修行したりして移動するのが普通だったようです。

このような地元の職人だけが知っているような流派というのはどこの街にもあるということです。それらは国際的には全く知られておらず、オークションなどで珍重されることはありません。

知らない人はすでに世の中にあるヴァイオリンの作者はすべてわかっていて作者や音の評価が定まって値段に表されていると思い込んでいます。

しかし実際には知られていない職人が圧倒的に多く、ほんの一握りの作者だけが有名になり注目が集まって値段が高くなっています。

知られていないからと言って音が悪いということは無く楽器は弾いてみないとわからないものです。




ニコラ・アマティの修理が終わりました。

自分でも弾いてみました。
私程度の初心者以下の人でも違いが分かるかと疑問がありますが、弾いてみれば枯れた味のある音だとすぐにわかります。必ずしも甘く柔らかい音ではありません。それだけ弾いているとヴァイオリンはこんな音のするものだろうと思います。

しかし他のものと比べるとなかなかそんな音のものは無いです。私が10年前に作ったヴァイオリンと比べるとG線は明らかに鳴り方が違います。私のものでも新作の中では低音が強い方です。しかしアマティはもっと低音が暗く深みがあり、それでいてにぶくこもったものではありません。パワフルです。A線だけガット弦だったのでよくわかりませんが、私の楽器よりも小型なのにもかかわらず、ずっと大きな楽器のように全体が鳴っているように感じます。
いろいろな響きの音があって、新作のような単調な音色とは全く違います。手元での強さや空間全体に広がる響き方など、様々な音が立体的に混ざって聞こえます。楽器から音が出ているというよりは、音の中に自分がいるような感じがすると言えば大げさでしょうか?

いろいろな音が一度に鳴っているような感じで、相反するような要素が共存しているように思いました。

私の楽器も300年以上すればそうなるでしょうが、比べれば単調な音に聞こえます。しかしながら他の新作に比べればすごく悪いということはありません。
私の中では最近に作ったデルジェスのコピーやピエトロ・グァルネリのコピーならずっとG線が強いのでもうちょっと近いとは思います。それでも音はすっきり整いすぎているでしょう。

というわけで、アマティがどんな音かと言われれば「いろいろな音がする」としか言いようがありません。私個人的には好きな音ですし、目標とするものです。どの程度再現できるかは難しい部分もあります。

しかし一般的な新作楽器では全く似ても似つかない音で自分は天才だとうぬぼれている職人は多いですから、方向性と言う意味では私のほうが近いはずですし、目標も定まっています。


私は、楽器の音を決める要素として「古さ」と「個性」があると考えています。もともと持っている音があって、それが古くなってさらに有利になると考えています。

職人の中には古い楽器の音が良いというのは思い込みで新作のほうが音が良いと言う人もいます。自分はオールドの作者よりも精巧に加工しているのでとか、完璧な設計法を知っているのでとか、音が良くなる秘密を発見したのでとかいろいろな事を言って自分の楽器のほうが優れているのに、音楽家は試そうともしないと文句を言っている人もいます。

私は高価な楽器の音が良いというのは全て嘘だとは考えていません。それどころか古くなると有利になって行くと考えています。しかし古さだけが絶対ではなくよほど癖が強かったり、十分な耐久性を持っていなければ古さによる改善も追いつきません。そのため「ひどくない」ことが重要です。


板の厚みを調べてみました。

このようにとても薄いです。
オールドのクレモナの楽器には多いものですから典型的なものです。乾燥によって木材が縮んだり、修理によって削られたりしたこともあるでしょう。しかし結果としてこの厚さで今の音が出ていることには間違いありません。

私が作るよりも板が薄いです。私の楽器も一般的なものに比べれば低音が強いですが、これはもっと薄くて低音ももっと強いです。

しかし裏板の魂柱が来る中央のところは厚く作られています。

アーチの高さは表が16.5㎜くらいです。現在は14~16㎜くらいが普通でしょうか?フランスの初期のモダン楽器なら12~13㎜くらいです。そう考えるとやや高いアーチのように思えますが、現在のちょっと高めくらいですから、びっくりするほどではありません。

とはいえ、弦の力でつぶされているので新品の状態なら17~18㎜くらいはあったでしょう。そうなるとさすがに現在よりは高いことになります。ただし、ストラディバリと比べると全く変わりはありません。特にアマティとストラディバリの間に技術革新などは無いと私は考えています。
裏板は16㎜くらいです。魂柱で押されて高くなっているとすれば現在の普通くらいです。


ここ最近作ったヴァイオリンやビオラでは私の中でも特に板を薄くしたものでした。しかし実際のアマティはそれよりもさらに薄いものでした。

私でもビビりすぎなのです。
現代の楽器職人はるかに厚い板が主流で、厚い方が音が良いくらいに教わります。実際に弾いてみればオールド楽器とは全く違う音になります。


板を薄くすれば低音に深みが出て力強くなることはわかっています。そのように作ることは可能です。本当に良いオールド楽器はそれだけではなくていろいろな音を持っていると思います。一つの要素だけなら新作でもあるかなと思います。相反するような要素を併せ持っているのがオールドの名器でしょう。

お金さえあれば自分でもアマティを弾きたいくらいですが、それは無理なので自分で一生懸命作りましょう。

またアマティのコピーを作りたくなってきました。


イタリアの文化で面白いのは、よく相反する要素が共存している状態を「結婚」に例えます。私は結婚していないのでわかりませんが、離婚が難しいカトリックの社会では性格が不一致でもやって行かなくてはいけませんでした。それが結婚というものだというわけです。
イタリアの文化というのはすっきりと整理整頓されているのではなくて、雑多なものが一緒にあるように思います。楽器の音もまさにそうでした。

ドイツのオールド楽器も味があって魅力的な音はしますが、もう一つ音に統一感があるように思いますし、フランスのモダン楽器もそうです。

個人的にはオールドのイタリアの楽器の大ファンです。モダン楽器で見事な演奏をする人もいます。あくまで個人的な趣味であって、弦楽器の専門家としては自分の好みを押し付けるわけにはいきません。
自分の作る楽器ではそれを再現できるように研究しています。


一方今修理しているルーザーは150年近く経っているというメリットがあり、個性もあります。この個性が音に良い方に出れば面白いんじゃないかと考えています。というのはミディアムくらいのアーチで、ストラディバリとは似ても似つかないものですが、表板を持って軽く曲げてみるととても硬いのです。これは高いアーチの楽器と似た特徴です。高いアーチではないのに高いアーチのような強度が出ているアーチなのです。これが作者の癖であるし、個性なのです。

個性的なモダン楽器も突然変異的な面白さがあります。私は個性があるから良いとは考えていません。その個性が魅力的な音の根源になっているかが重要だと思います。それは弾いてみないとわからないので、音で楽器を選んで後で作者の個性を知って愛着を深めれば良いと考えています。

音が好きだからその楽器が好きになるというのが本来の順番でしょう。それはオールドの名器も同じです。


ニコラ・アマティはびっくりするほど板が薄く、それで350年経っても現役というのがすごいです。表板に割れは何か所もありますが、致命的な損傷になっていません。変形がひどい残念なオールド楽器は結構あります。駒の足のところも深く陥没してませんでした。

それでも魂柱を交換する作業はとても難しかったです。4回チャレンジして成功しました。通常は駒の足の近くに魂柱を立てるわけですが、楽器のセンターのところは空間が広いです。徐々に短くしながら外側に動かして接地面を削って合わせて行けばぴったりにできますが、古い楽器では変形して魂柱のところの表板と裏板の間隔が広くなっています。長さを調整できる範囲がとても狭いのです。

それでもドイツのオール楽器よりは優しいほうです。あれは原理的に不可能です。台形型のアーチが変形し魂柱の立つところが一番空間が広いので、だんだん短くして行って入った瞬間に接地面が合っていなくてはいけないのです。
そこを何とかするのが我々の仕事ですが…。


アマティのすごさは「丈夫さ」と言えるかもしれません。
オールドの名器の秘密は意外と単純なことかもしれません。「薄い板で強度を保つ」とそれだけのことです。

全くヴァイオリンなどに縁が無い人たちが工房にやってきて質問を受けることがあります。ヴァイオリンというのはたった数ミリの厚さで20kgを超える弦の力に300年も耐えられると説明します。そうすると「ふーん」くらいの感じで聞き流しますが、こんなことが重要です。

我々職人も「高級品」にとらわれ過ぎて基本的なことを忘れているようです。オールド楽器はそんなことを教えてくれます。


こんにちはガリッポです。

また一週間無事に過ごすことができました。
先週は日中も10℃以下、夜は氷点下になっていましたが、急に20℃を超えてきました。それだけでも体調を崩しそうですがいつになく健康です。

キリスト教の国ではイースターです。イースターはクリマスと並ぶ祝日です。
日本で言えば盆と正月です。
こんなに暗いイースターは初めてです。本来なら家族や親族が集まってお祝いするのですが今年は移動は禁止されています。

天気も良くなり事態も落ち着きの兆しが見えて油断している人も多いかもしれません。2月終わりの謝肉祭の休暇から感染が拡大したことからすると、家族を危険にさらすようなことはしてほしくないですが・・・。


ただ今修理中のヴァイオリンです。

カタカナでどうやって表すかわかりませんが、ヨハン・ルーザーで良いでしょうか?
ドイツのヴュルツブルクの楽器職人と書いてあります。1875年製とのことです。
裏板の合わせ目の補強も独特なやり方です。

サインもあります。インクで書かれたのが1875年のもの。鉛筆で1982年と書かれているのは修理した人の物です。木工用ボンドを使ったひどい修理がこの時でしょう。誇らしげにサインをしているのですから、自信過剰な職人です。下手な人ほど自分をアピールするものです。


ライニングのブロックとの接合部分が独特です。

見えないところに手間をかけているので安物を高く売ろうという考えではないでしょう。接着部分には隙間が無く品質は高いです。


安物の楽器というのは外は綺麗でも、中が汚いものです。その意味ではこの楽器は中まで丁寧に作ってあります。
割れは接着しなおし木片で補強しました。バスバーも交換しました。

ネックは長さが足りなかったのでつぎ足しました。この面は小口と言って接着が難しい面です。加工が難しいからです。
カンナをうまく調整してあることが重要です。

カンナの調子が悪ければ何度やっても面が加工できません。一発で決めないと切れ味が落ちてきてしまいます。

5㎜付け足すだけですがこのようにできるだけ大きな塊で接着してからのこぎりで切るのがコツです。
接着剤のにかわを塗ると水分で部材がぐにゃぐにゃに変形してしまうからです。

このような修理はストラディバリのメシアやパガニーニの使ったデルジェス「イル・カノーネ」にもほどこされています。どちらもヴィヨームの手を経ています。職人は正確な仕事ができる必要があります。

一般的な木工では接手と言ってかみ合うように立体的に加工しますが、それは抜けなくするためでヴァイオリン職人の技術があれば全く違う加工の仕方ができます。一般的な木工ではこのような精度の高い接着面はできないのです。



この作者について調べても、名前は出ていますが詳しいことはあまり記述がありません。誰の弟子だとか生まれた年も全く分かりません。

この前に紹介したスイスのヨゼフ・ホフマンも同じ地域の出身だったと思います。関係性ははっきりわかりませんが、近いものがあるのかもしれません。ニスの質も似ています。


このような楽器があったとき、まず疑うのは大量生産品ではないかということです。
ヴァイオリン職人ではなく楽器職人と書いてあるので、楽器店かもしれません。そうなると楽器を買ってきて自分のラベルを貼って売ったという可能性もあります。
弓などもよくあって、楽器店やヴァイオリン職人の名前の焼き印が押されていても、マルクノイキルヒェンの弓職人の物だったりします。ニュルンベルガーなど一流の職人もやっていました。


ドイツでモダン楽器の大量生産が始まって量が多くなるのが1890年くらいからです。時期としてはちょっと前なのです。
中もきれいに作られていて、ニスは柔らかいものです。

こうなると大量生産品ではない可能性が高くなります。とはいえオークションで珍重されるようなものではないので高くても100万円くらいでしょう。偽造ラベルを作られるほどの知名度ではないのでおそらく本物でしょう。プレミアが無いので、もしニセモノでも値段は変わりません。

ドイツのマイスターのモダン楽器はどれもそっくりだと言ってきましたが、それよりもちょと前の時代に修行したのかもしれません。フランス風のモダン楽器の製法が伝わるまでは、ドイツ各地で自己流でフランス風の楽器を作っていました。そのような感じがします。

これらの楽器は見た目ではフランスの楽器や教科書通りに作られたドイツの楽器のようにほれぼれとするような美しさはありません。
しかし音響的には優れたものもあり、プロのオーケストラ奏者などが使っていることがあります。

そういう意味ではちゃんと修理をして見ないとわからないというわけです。

100年くらい経っている楽器は音が強くなっているものが多く150年もすれば音色に深みも出てきます。それで新作よりも安い値段なのですから、可能性があります。
中高生がこのような楽器で練習していれば、値段が高いだけのヴァイオリンを間違って買ってしまうことは無いでしょう。大したことが無いとすぐにわかってしまうからです。

そういう意味でこのようなヴァイオリンはとても重要だと思います。
「世界一」の前に普通のものを知るべきだと思います。手抜きではなく普通に作ってあって150年もすればヴァイオリンというものは優れたものになります。


私の個人的な感想ですが、この職人の腕前はごく平均的と感じます。
現代でもこれくらいの腕前の職人はたくさんいて立派にプロとしてやっています。フランスの一流の職人が完璧すぎるのです。
現代でもフランスの楽器製作は忘れられてきています。はるかに劣るもので満足している職人が多いです。

イタリアでもこれくらいの腕前の職人はたくさんいて同じ時代なら500万~1000万円くらいするものです。

イタリアのモダン楽器や現代の一人前の職人と変わらないものが、それよりも安く150年近く経っているのですから十分注目に値するものです。


初心者が量産楽器から本格的なハンドメイドの楽器に買い替えるときに、このような楽器は適したものだと思います。
日本では音大受験を控える親御さんの心理に付け込んで高い楽器を買わされます。
少なくとも海外留学したいなら役に立たないセオリーです。

この作者では表板や裏板の合わせ目がしっかり接着されていて技術は高い職人です。粗悪品でないのは間違いありません。変わった部分も修理で直せる範囲内です。

このようなモダンヴァイオリンの修理では傷みはそんなに激しくなく、高い品質で作られた楽器であれば厄介なことはありません。それでも単純に作業時間がかかります。量産品ならもっと痛みがひどく、作られたときにすでに欠陥がいくつもあります。直していたらきりがなく楽器の価値を修理代が超えてしまいます。
今は時間があるのでちょうど良いです。

このように知られていない作者は無数に存在し、公平な評価などはされていません。名前や値段ではなく、作りを見て悪くなさそうなら修理して音を試してみないとわかりません。弦楽器とはこのようなものです。






こんにちは、ガリッポです。

救急車のサイレンを聞くと怖くなります。
身近に差し迫っていることを感じます。
これからの1~2週間が山場だと思って対策に気を引き締めていきたいと思います。

今週も1週間なにもなくブログを更新できることに幸せに感じます。

仕事は家に持ち帰って続けています。
去年の今頃は勤め先の工房の改装のために家で仕事をしていましたが、予行演習になりました。




今行っているのはモダンヴァイオリンの修理です。
1875年にドイツで作られたもので、モダン楽器の大量生産がドイツで始まるころのものです。それ以前にも都市にはヴァイオリン職人がいてフランス流のモダン楽器を作っていました。

直接フランスに行って修行したような人もいれば、自己流でフランス風の楽器を作った人もいます。そのため作風にはかなりばらつきがあります。
これはイタリアでも同じことで、トリノやボローニャのようにフランス人がやってきた地域もあれば、独学のようにヴァイオリンを作った人もいます。

今回修理しているのもかなり個性的なものです。

フランスの楽器に近い物であれば、それが優れたモダンヴァイオリンではないかと察しがつくので私などは「これは良さそうだ」と考えるわけですが、そうでないものが音が悪いかと言えばケースバイケースです。フランスの楽器からかけ離れたものでも音が良い可能性は十分にあります。

結局は「弾いてみないとわからない」という当たり前の結論に行き着きます。


もう一つはミラノの流派のモダン楽器もあります。これは状態が悪くて修理するか迷うものです。作風から言ってもイタリアのモダン楽器であることは十分あり得ます。そうなれば値段はすぐに500万円とかになります。そう考えると費用をかけて修理する価値はあります。しかし誰も欲しいという人がいなければ無駄になります。こちらでは試奏して音が気にいったということで楽器を買うからです。「日本向け」だなんて冗談も言います。

ミラノの楽器もイタリアの楽器に共通する特徴というのがあるかと言われれば、特にないです。アーチはフラットでミルクールやマルクノイキルヒェンの楽器と違う所はありません。この前は別のイタリアのモダンヴァイオリンがあってこれもかなり個性的なものでした。アーチはミラノの物とは全く違うものです。アンティーク塗装であることも他の国と変わりませんでした。音は悪くなく暗くて味のある音でした。値段からすると高すぎるようには思いますが悪い楽器ではありません。

つまりはフランスの楽器製作が基本としてあって、それに忠実に作ると教科書通りの楽器になり、それからかけ離れていくと「個性的な」楽器となるのです。

不真面目な職人や、学ぶ機会が無かった人は結果として個性的な楽器を作ったわけです。イタリアに限らずどこの国にもあります。また個性的な楽器にはある程度共通性があるように思います。つまり基本をしっかり勉強していないと「〇〇になりがち」ということがあります。そのため個性的な楽器同士には類似性があるわけです。なりがちのパターンは一つではなくていくつもあります。

個性的な特徴があったときに「同じような物を見た事がある」と思うことがよくあります。しかし実際には同じ流派ということは無く、偶然の一致であることがよくあります。

このようなことは偽造ラベルが貼られる余地にもなります。よくわからない楽器があったときに、それに似たイタリアの楽器を探して偽造ラベルを貼るのです。いったん名前がついてしまうと、欲に駆られて本などで調べると「似ているので本物かもしれない」と思ってしまいます。

もともとのラベルがはがされてしまうともうわからなくなってしまいます。鑑定士に出しても消去法で「〇〇の流派ではない」としかわからなくなります。

したがってフランスの一流の職人の楽器に近い物であれば間違いなく優れたものだとすぐにわかります。音には個体差があるのですが、人によって好みもあるので気に入る人もいるでしょう。私がフランス風の楽器を高く評価するのはこのためです。

個性的な楽器もどんな音がするかは弾いてみないとわかりません。必ず悪いとは言えません。しかし、個性的な楽器と無知な素人が作った楽器と見分けられるかと言えば難しいです。

このヴァイオリンも1875年に作られたもので、フランスのものにそっくりとは言えません。その意味では個性的です。私の印象ではやや近視眼的な見方で、つまり近くで見るとよくできていて、ざっくりと形をとらえる造形力は無いように思います。その結果音がどうなるかは予測は不可能です。
細かいところができているので粗雑だという感じはしません。150年くらい経っていて名前は記録には残っていますが、特にオークションで高値が付くようなものではありません。

バスバーを交換しました。もともとついていたものはおそらくオリジナルでしょうが、さすがに古いのと、位置がおかしいし、形状も変わったものでした。
それ以外はひび割れが多少ある程度で簡単に修理できる範囲内でした。

過去に行われた修理が良いものではなかったのが残念です。接着剤には木工用ボンドが使われていてペグの穴も角を面取りしてあったため、ブッシングで穴を埋めるには相当太いものを入れる必要がありました。それでも完全にはいきませんでした。
もう一つ困った点は、ネックの長さが短すぎる点です。1~2mmなら指板の位置でごまかしようがありますが、さすがに5㎜くらい違うので無理があります。木材を継ぎ足して入れ直す修理が必要です。

下のブロックにはライニングが埋め込まれています。このようなものは見た事がありません。
この職人がどうやって修業したのかわかりませんが、かなり自己流の感じがあります。
ネックの長さが短かったり、バスバーも見た事のないようなものだったりと、音響や演奏上重要な部分でも個性的になります。基本を理解したうえで工夫していくというよりは、基本をきちんと学んでいないことの方が多いでしょう。


もし個性的な楽器が良いとするなら、ヴァイオリン職人は修行や勉強をする必要はありません。素人が見よう見まねで作ったほうが個性的なものができます。
実際に現代の絵画教室では、「自由に好きなようにやりなさい」と何も教えない先生もいます。しかしそのような作品展を見ると「自由にやりなさいと教わった人の作風」に見えます。子供や中高生が描いた絵のように見えるのです。絵具の性質や重ね塗りの効果などを学んでいないからです。

そういう意味では没個性になってしまいます。


それともう一つは個性を評価するのは難しいです。
優れた個性なのか、平凡な才能なのか、邪道な悪趣味なのかどうやって見分けるのかわかりません。
裏板の彫刻がほどこされたり、ヘッドに渦巻ではなくドクロが彫られていたりするものもあります。それらの楽器がオークションで競り合いになったというのは聞いたことがありません。

確かドクロがついているのはチェコの作者だったと思います。欲しいという人はいるかもしれません。しかし、客観的に「これは素晴らしい」と評価するのは難しいでしょう。ひとたびそのような評価が下されれば、他の人もドクロのヘッドを作るでしょうし、ドクロでは面白くないと違うものを彫るでしょう。

少なくともこれまではそのような楽器は評価されてきませんでした。


私個人の考えとしては、音が気にいって楽器を買ってその作者の特徴を後で知って愛着を深めるというのが一番良いと思います。


趣味としては「コーヒー通」みたいなことがあります。
産地の銘柄の違うコーヒーを試して、味の違いを知ってブルマンがどうだとか言うわけです。同じようなウンチクを言うことが弦楽器でできるかと言うと私でも無理です。
このような「通」という考え方は私よりは上の世代の人たちの考え方のようです。ジャズや落語もそうですし、クラシック音楽なんてまさにそれです。
日本でも急速に大学進学率が上がり、インテリの仲間入りをしようという意欲が強かったのかもしれません。

私の世代でも、私のように外国に行って勉強しようという人は特殊なのかもしれませんが、もっと広い視点で見て、あまりウンチクを決めつけないほうがより正しく理解できると考えます。


最近はどうなんでしょう?
「マニア」という言い方をします。むしろ変態みたいな変わった趣向を誇示する人がいます。誰も注目しないようなことを熱烈に愛好してアピールするのです。
これは物を作る側からするとちょっとズルいなと思います。すでにあるものを自分が発見したかのように言い出すという点で。


楽器の特徴を言葉で表現することがまず無理です。
それは見た目もそうだし、音についてもそうです。

個性的な楽器だと言ってもどのような個性なのかを記述することができません。
それがもっともらしいウンチクとして言うこともできないし、変態的な愛好をするほどの特徴がつかめないのです。


現代ではマーケティングという考え方が商品の製造では基本になっています。
しかし昔はそのようなものが無くて戦前までは、上流階級にみなが従うという考え方でした。上流階級と下層階級でも同じものを持っているわけですが、上流階級の人が持っているものは綺麗なもので、下層階級の人が持っているものは粗雑なものだったというだけでした。

弦楽器の世界は今でもそのような教えが我々の師匠の師匠くらいの世代では主流でした。クラシック音楽の分野ですからまさに上流階級の文化です。

今はクラシック音楽の愛好家も演奏を楽しむ人も、階級は関係ありません。自由に楽しもうと思っても、それに対応していません。


一方今の日本は消費不況が長くなり、商品を作れば売れるという時代でなくなって久しいです。商品を作るときはアイデアを練りに練ってこしらえます。
若い女性がターゲットであればコーヒーでも甘くて苦みを抑えたものにするでしょう。ダイエットに低脂肪や低カロリーにするかもしれません。お店やパッケージをおしゃれにしたり呼び名ひとつで売れ行きが大きく変わったりもします。

しかし昔はそうではありませんでした。

私が昔のものに魅力を感じるのは、あまり考えずに作ってある点です。
もちろん何も考えていないわけではありませんが、人々の反応を予測して批判を受けないように、何手も先を読むような発想は最近は強くなっているように思います。ネットの時代なら意見や感想がどんどん出てきます。批判に対して答えようとすると、アンチはまた別の言いがかりをつけて来るだけです。もともとのユーザーの好みからも外れて行ってしまう危険があります。


弦楽器に限らず日常での商品の選び方はいろいろあるでしょうが2つを考えてみます。
➀同じ価格帯でいくつもの会社の製品を比較し条件の気に入ったものを選ぶ
➁ひいきなメーカーやブランドが決まっていてその中で選ぶ

最も論理的なのは①の方法でしょう。高い買い物ならすぐに決めずに複数の業者を回ってから決めるのは当然です。ある製品がヒットすれば、他の企業もそれに対抗する商品を作ってきます。マイナーなメーカーの製品の魅力も熟知しているのがマニアと言えるでしょう。日本でこのような考え方をするのは一部のマニアだけですが、ヨーロッパでは基本的な考え方です。実力があれば物が売れるというわけですし、価格に対してもシビアです。道具として使えるかどうかが問われるのです。

➁の場合には具体的な製品の特長が語られることは少ないです。持っている人のイメージの話ばかりになります。値段は高い方がステータスも高くなるので高すぎるという批判は生じません。


基本的には①の方法が合理的です。しかし、そのメーカーが独自の価値基準で物を作っていた場合、比較優位性という外の尺度で測られると不利になってしまいます。単に点数を付けて優れているというのではなくて、考え方まで理解する必要があると思います。美的な要素であれば「美学」です。
購入する製品を探している人はいかに優れた製品であっても自分の美学に合わなければそれは無視しても良いです。一方確固たる美学を持っていない人なら①の方法で選べば良いです。

もしメーカーが独自の「美学」を持っていて、自分の美学と一致するなら➁の選択方法となるでしょう。これが本当の意味で好きなメーカーということになると思います。


趣味とするなら道具として機能するのはもちろんですが「美学」が重要だと思います。弦楽器の業界で職人たちはこれについてとても無頓着でした。綺麗か汚いか、高いか安いか、音が大きいか小さいかしか判断基準が無かったのです。

我々の間では「スタイル」という言い方があります。ただ師匠から教わったスタイルで作っている人が多いです。自分の流派以外のスタイルがあることも知らずに作っていて、第三者から見てスタイルと言うだけです。
そのスタイルも何が好きで何が嫌いか判断するのは難しいでしょう。角が丸くなっているとか尖っているとか、溝の彫り方が深いとか浅いとかいう事にどんな感想を持てばいいのか私でも分かりません。

意図して自分のスタイルを確立しようということはあまりありません。量産メーカーでこのメーカーはこういうコンセプトで作っているなんてありません。したがって現状で楽器を選ぶなら①の方法で選ぶのが正しいと思います。


私はいろいろなものを作った経験から、より魅力的に感じるものを残して来ています。それが美学となるでしょう。「オールドスタイル」というのが私の美学です。演奏者の方も確固たる美学を持っている人は少ないですから共感する人も多くはないでしょう。しかし私が作れる量を考えれば十分でしょう。
女性の方に気に入ってもらえることが多くあります。ウンチクが好きでない人にも伝わってこそだと思います。

だから私は「オールド楽器を忠実に再現したから音が良い」なんてことは言いません。それは単なる言葉のウンチクにすぎません。本当に魅力的な音が出るかが重要だと思います。





こんにちはガリッポです。

ヴァイオリン職人の修行を始めてから20年ほどになりますが、神経を使う仕事でいつもフラフラでやってきました。それだけ面白かったからなのですが、今は免疫力が落ちるとまずいので久々に睡眠をしっかりとるようにしています。




指板がつきました。
光沢も抑えて塗りたて感は無くなっています。


裏板の着色も適度なもので、これが全く染めていなければ物足りないものになったでしょう。しかしながら染みのようなわざとらしさはありません。最近の量産楽器は人工染料で染めてあるのでいかにも染めた感じがします。古い時代のドイツの量産品は今日では手に入らない特殊な薬品で染めてあるので独特の雰囲気があります。

ペグにはシンプルな黒檀のものを取り付けました。

オイルニスの材料の亜麻仁油は紫外線を受けると酸素と結合して固まる性質があります。さらに粘土を調整するために溶剤としてテレピン油を使っています。これは針葉樹の樹液から油の成分を蒸留したものです。残った固形物がコロホニウムでいわゆる松脂です。

テレピン油は揮発性なので蒸発するのに時間がかかります。
アルコールニスのエタノールよりも時間がかかるようです。

アルコールニスは大半がエタノールのなので乾くと層が薄くなります。何年か経つとぺっちゃんこになります。そのため多くの回数を塗らなくてはいけません。アルコールニスは塗りながら、これまで塗ってきた層を同時に溶かしていくので塗るのがとても難しいです。何度も筆や刷毛でなぞると塗ったものが溶けてしまい大惨事になってしまいます。垂れたりしてもアルコールが多く含まれているので溶かしてしまいます。
私なら最低20回は塗らなくてはいけませんが、オイルニスを使うようになってから10年以上塗っていないので塗れるかわかりません。あまりの難しさに二度と塗りたいとは思いません。しかしきれいに塗ればオイルニスと見た目に違いはありません。きれいに塗るのは難しくて刷毛の跡が帯状に残っていればアルコールニスか、ラッカーのニスです。ラッカーもシンナーのような溶剤を使った揮発性のニスなので同じような性質です。そのため安価な量産品はスプレーで塗ってあります。スプレーで塗った雰囲気があれば安価なものと査定されます。

オイルニスにも油性の溶剤を使った揮発性のものがあり、これもアルコールニスやラッカーと同じような性質があります。これが一番乾くのが遅い物でしょう。
オイルニスでも古代エジプト以来の伝統的なものは油が酸化することで固まります。

私は伝統的なものと揮発性のものを混ぜて使っています。それぞれにメリットとデメリットがあるからです。10回も塗ればアルコールニスよりも分厚い「リッチなニス」になります。

ドイツのモダン楽器によくある柔らかいオイルニスはおそらく揮発性の物でしょう。硬い樹脂を溶剤に溶かすには特殊な技術が必要で、とても柔らかい樹脂を使ったのでしょう。100年経った今でも柔らかいものがあります。樹脂の成分が柔らかいので乾いても柔らかいのです。ケースの跡がついてしまったりベトベトして汚れが付着したりします。

このようにニスにとって重要なのは楽器を保護する役割を果たすことです。
ニスは薄い方が音が良いと言う人もいますが、すぐにこすれてニスが剥げてしまいます。メンテナンスは厄介です。そのようなニスを塗る職人は自分でメンテナンスをしてほしいものです。

特にアンティーク塗装のように濃い色の場合にはニスの厚みが十分にないとすぐにこすれて色が薄くなってしまいます。ニスを塗る作業にはじっくりと時間をかける必要があるのです。作業を手早くし見栄えが良いだけで自分を天才だとアピールする職人の多いこと…。ものとしての最低限の品質を確保しなくては売り物になりません。
実際アマティを見てもわずかに残ったオリジナルのニスには厚みがちゃんとあります。クレモナ派のオールド楽器のニスはそのようなぺったんこなニスとは違うと思います。



私のニスも乾くと若干薄くなっていきます。一年くらいするとニスが痩せて表板は年輪の木目のところが沈んでいきます。木目の表情が出てきます。すでにちょっと出てきています。アマティもコレクションになっていたものはニスが痩せて年輪のラインが沈んでいます。しかし演奏に使われているものはニスが全部剥げ落ちて後の時代の人がニスを塗って磨き上げているので表面は平らになっていることが多いです。


またオイルニスは酸化して固まるときに縮みます。引っ張る力で表板のアーチが低くなるほどです。ニスを塗る前に高さを合わせた指板が合わなくなるのでヴァイオリンでも1~2mmは駒を高くしなくてはいけなくなります。それも数か月から1年くらいで戻っていくので今度は駒が高くなりすぎます。そのため新しい楽器は点検が必要です。同時に魂柱もゆるくなります。これも交換が必要になります。

というわけで弦を張るのは4月下旬の予定です。
一時的に試してみることはあるかもしれません。

アルコールニスのような揮発性のニスで乾いていないと駒のところがぐにゃっとつぶれ、駒が引っ張られてずれるのでブルドーザーのようにかき出されてしまいます。オイルニスの場合には粘性があるので駒が張り付いてしまいます。無理にはがそうとすれば木材まで持って行かれてしまいます。
そのため職人としては慎重になるのです。

修理でも特に問題になる部分でラッカーの様な量産品でない限り駒の下のところは損傷を受けやすいのです。私は特殊な配合のアルコールニスを開発して十分な硬さでべとつきのないものができました。それでも乾くのに1週間は欲しい所です。このようにニスのメンテナンスには時間がかかるのでその日のうちに持って帰ろうなどというのは無理です。


ニスは塗ってから徐々に乾燥していき、指で触って指紋がつかないようであればかなり硬くなっています。これはニスの硬さとも関係があります。硬い材質の樹脂でできているニスならわずかな時間で指紋がつかなくなりますが、柔らかいものならずっと指紋がつきます。これを乾燥が早いとか遅いと言いますが、本当の意味で乾燥する時間は樹脂の硬さでは変わりません。一般には十分な硬さになるまでの時間を言っているのです。硬いニスもさらに時間が経てばもっと硬くなります。


修理には普通アルコールニスを使います。
修理でも理屈の上では20回以上塗らないと厚みが十分になりません。実際には小さな面積であれば塗りムラはできにくいので一回を厚めに塗ることができます。前に塗った層が完全に乾いてなくても塗ることもできます。

アルコールニスは乾いたところで刷毛の跡を研磨して滑らかにしなくてはいけません。アルコールニスは最後の層を塗ったときにアルコールが浸透していき下まで柔らかくなります。ちゃんと研磨できるまでには2日は必要です。

実際の修理ではこれを2~3日で何とかしなくてはいけません。
修理用に違う配合のニスを作るのです。


オイルニスは層ごとに乾燥していきます。下の層が乾かないうちに上を塗ってしまうと半生のままになって乾燥が遅くなります。一方まだべとついているくらいのほうが次に塗った層がくっつきやすいです。カラカラに乾いたところに塗ればはがれやすくなるということです。オイルニスは層ごとに剥がれることがあります。
オイルニスでも紫外線を24時間ライトで照射しても研磨できるには2日くらいかかります。

ニスの乾燥は初めは急激に進み、だんだんゆっくりになって行きます。アルコールニスにしてもオイルニスにしても半年から数年かけて徐々に乾燥が進んで行きます。その後も乾燥は続き、場合によってはひび割れしたり風化してボロボロになることもあります。私はできてから1か月くらいで実用十分な硬さになることを目指しています。
チェロなどでは何年かケースの跡がついて毎年のように直していたのが、つかなくなったりしました。

音についても少なからず影響があるようです。
楽器が古くなることで音が良くなることにニスも関係してくるでしょう。



去年の10月からビオラの制作に没頭してようやく区切れがやってきました。
勤め先の工房ではかつては楽器の制作と修理を半々くらいでやるつもりでしたが、次々とお客さんが来て修理ばかりになって行きました。レンタルの楽器をたくさん貸しているので売り上げが無くても浪費さえしなければやって行けるはずです。
この機会を利用して師匠も新作ヴァイオリンを作ろうと考えています。作るのは私ですが。
ゆっくりアイデアを考えていきましょう。


また見習いの職人が練習のために作っているヴァイオリンも割安なので買い手がついています。ニスについては注文が難しいので私が担当することになるでしょう。

➀魅力的な楽器を作ること、➁品質を安定させること、➂効率的に作業すること、この優先順位を守って続けていれば必ず欲しい人はいるはずです。大儲けしようとしたり、銀行出身の人なら違うことを考えるでしょうが、これが職人の頑固さです。












こんにちはガリッポです。

細心の注意を払いつつ、いつも通り働いています。

ニコラ・アマティのヴァイオリンについて前回書きました。私が見たアマティのヴァイオリンですが、さらに調べてみるとニコラ・アマティの晩年のものであることがわかりました。年齢を計算すると80歳になるはずです。
そう考えるとアマティ兄弟と一緒にやっていた若いころと作風が違ってもおかしくありません。

仕上げの完璧さはないとはいえ80歳と考えると驚異的です。板は私でもびっくりするほど薄く350年ほど持っているのですから設計が素晴らしいです。表板は2mmくらいしかないのに弦の力に耐えられるのですから弦楽器というもののすごさを思い知ります。前回はお城の話をしましたがそれが高級品であるかというよりも、2mmの厚さで350年経ってもびくともしないというのがすごいです。もちろん割れが無いわけではありません。中は修理で木片をたくさん貼り付け補強されています。そのような作業の過程で多少は削られているとは思います。それでも壊れないのですから。
裏板はちゃんと中央は厚く作ってあります。これもどうして思いついたのか謎です。フランスのモダン楽器でも同様になっています。そのことを最初のヴァイオリン職人の家族が分かっていたというのが驚きです。この点については最初に作られた時点で完成しているのです。

「濃い音」がするのも木材が古くなり枯れているだけでなく板の薄さも関係しているでしょう。私でもそこまで薄くは作りませんから。音色で考えればとても暗い音です。

このようなアマティなどのオールド楽器の音に比べてストラディバリやデルジェスは倍音の響きが豊かで明るいかもしれません。音が明るいから良いということはこのケースでは言えるでしょう。最も暗い部類の楽器と比べてストラディバリが明るいと言っているだけです。明るいほど良いということではありません。



もうひとつ面白いのはニコラ・アマティのヴァイオリンは資料はたくさんあります。どれも同じものがありません。でもキャラクターははっきりアマティの晩年のもので少しずつ似ているところと違う所があります。サイズは最も大きいものでした。現在でも4/4として通用するサイズです。大きさによって値段には大きく差が出ますからニコラ・アマティの中でも高価なものだと思います。1億円ほどの値段になるでしょう。

ニコラ・アマティのヴァイオリンは同じように見えても時期に関係なくモデルはいくつもあって寸法はかなり違います。中にはデルジェスのようなモデルもあります。同じ木枠でもコーナーやf字孔をデルジェスにすればデルジェスが作れそうです。

とてもばらつきがあるのも特徴でしょう。f字孔もみな違います。おそらくフリーハンドで作っていたのでしょう。そういう意味でもとても創造性があると思います。こうじゃなくてはいけないと決まっているのではなく、だいたいの感じで作っていたのでしょう。「だいたいの感じ」というのは難しくてつかみにくいものです。

このような創造性は弟子にも受け継がれてクレモナ派の一派を形成したことでしょう。現在の工業デザイナーのように「斬新なデザインにしてやろう」というのではなくて大体の感じで作っているうちになんとなくその人の形が出来上がっていくようです。ストラディバリの若いころと黄金期のf字孔を比べても基本的には同じです。なんとなく丸が小さくなってスマートになって行くようです。でもデザイン画を描いてやってるような感じではなくて作っていくうちにちょっとずつ変わっていったようです。

今回見たアマティに話を戻すと、息子のジローラ・モアマティのものに類似点が多くあります。80歳ですから当時30歳くらいの息子が手伝ったかもしれません。完全にジローラモが作ったかもしれません。また最晩年の作風をジローラモが受け継いだとも考えられます。いずれにしても親父に反発して違う路線を目指すなどということは無かったようです。

ストラディバリやデルジェズには発明のような技術革新は無いと考えています。
創造性はアマティ家にも備わっていて作風が変化していくのが普通だったのでしょう。このような創造性は教えるのが難しく、すぐにクレモナ派が途絶えてしまった原因でもあるかもしれません。



次はアジャスターの話です。

このE線アジャスターはヒルのものです。

こちらはウィットナーのものですが、右がヒルタイプです。日本でも高価な楽器を持っている人はヒルタイプを付けている人がよくいます。うちでは左のタイプを標準装備にしています。大きめに作られていて可動範囲が大きく扱いに神経を使わなくて済むからです。

このようにテールピースに多少の改造を加える必要がありました。この場合アジャスターが弦をまたぐ黒檀の部分にぶつかって稼働範囲が制限されてしまいます。

改造しなければ使い物にならなかったでしょう。ウィットナーのものならそこまで問題ないかもしれませんが、通常のものならずぼらな人でも無理がありません。

アジャスターは弦が伸びて来るのに伴ってネジがどんどん入っていきます。可動範囲の限界に来るとそれ以上動かなくなるのでネジをいっぱいまで戻してペグで調弦をし直す必要があります。
ヒルタイプならマメにそれをする必要があるというわけです。

弦の長さもそろって収まりは良いですが。こっちでは細かいことにこだわる人が少ないので神経質な日本人が好むものかもしれません。

E線にボールエンドとループエンドというのがあるのはこのためで、ヒルタイプにはループエンドという先端が輪っかになっているものを使います。大きい方のアジャスターにはボールエンドという球がついているものを使います。弦を購入するときは注意が必要です。
ボールを取り外してループエンドとして使えるものもあります。




ビオラも最後のニスを塗りました。

塗りたてなのでテカテカになっていますがいわゆる黄金色になりました。黄色のニスを塗った新作楽器とは違います。



ディティールでは表板に汚れが残っている感じがうまくいったと思います。今回新しいやり方を試してうまくいきました。

スクロールも汚れがいかにも描いてあるという感じではなく自然に仕上がったと思います。



光の反射の少ない角度で撮影しました。

このようになるとどのモデルかにかかわらずいかにも私の作った楽器という感じになります。オールド楽器らしさとともに見ていて心が和むような心地よさがあると思います。単に汚いだけなら神経を逆なでるものです。

わざとらしくならないように根気よく作業を続けました。駒より上の部分は松脂が多く付着するため他の部分よりも掃除されて逆に明るくなっているのです。これはケースバイケースでべとつく松脂に汚れがついて同じ部分が真っ黒になっていることもあります。ヴィヨームによくあって同じ手法はマネされました。

ザクセンの量産品なら汚れの付け方もわざとらしいものです。これくらい控えめが良いでしょう。

全体としてみると古びたような塗装ではありますが、楽器は傷んでいるところはなくアンティーク塗装で21世紀に作られた上質な楽器でニセモノをだまして売ろうというものではありません。

私が作る楽器特有の雰囲気があるのでこれは「作風」と呼んで良いでしょう。アンティーク塗装でも人によってやり方違うので同じようなものは見た事無いです。モノマネは邪道だと作られた新品らしい楽器のほうがどれもそっくりです。

ニスは塗りたてで光沢がありすぎるので少し落ち着かせます。光沢は表面が滑らかなためにそう見えます。すりガラスと同じで細かい傷で覆われると曇って見えるのです。艶消しになりすぎないように適度な加減にします。

実際のオールド楽器は表面に無数の小さなへこみや傷があります。普通の新作のように表面をつるつるに仕上げてしまうと新品のように見えます。これは修理でもよくあって、本当のオールド楽器に保護用のニスを塗るとアンティーク塗装のコピーのように見えることがあります。それもいつかはへこみや傷に覆われることになります。

私はニスの表面に細かな凹凸を付けることでいかにも新作という感じを避けるようにしています。本当に使われていた楽器のへこみとは違いますが、パッと見たときの印象に違いが出ます。アルコールニスでは刷毛の跡が残ってしまい完全に研磨しなくてはいけないのでこのようなことは不可能です。オイルニスの粘性を利用したテクニックです。

革製品に例えるとエナメルのようなつやつやのものがあります。これは革にニスを吹き付けたもので同じです。それに対してシボ革というのは革のぶつぶつがあります。そこまでいかなくても天然の皮膚の細かな皺(しわ)があることで革らしく見えます。つるつるならビニールかと思うでしょう。人造レザーではいかにこれを再現するかに苦心してきたはずです。

同様にニスの表面もつるつるでは新作のように見えてしまいます。スプレーで塗った楽器のようでもあります。

古い楽器でも修理ではつやつやになるように表面を磨き上げますが、一番つやがあるのはスプレーで硬いニスを分厚く塗ったものです。これをスーパーニコという液状の磨き粉で磨くとピカピカになります。
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートなどを見ると専属の職人がその日のために入念に磨き上げたことが分かります。しかし天然のニスなら使っているうちに光沢もなくなってきて定期的に手入れが必要となるのが普通です。

新品の場合にはつやがあると第一印象で新しく見えすぎるので私はわざと光沢を抑えます。数年後に手入れするときはピカピカに磨きます。それからは古い楽器と同様のケアを行います。ニスの表面の凹凸は磨くほどなくなっていきますが同時にへこみや傷など使い込んだ感じがついてくることでしょう。





こんにちはガリッポです。

ニコラ・アマティのヴァイオリンを見る機会がありました。
野球選手などは長嶋さんに会うと緊張してカチコチになってしまうことですが、私にとってはそれに近い出来事です。

最初はまず偽物が多いのでどうせまた…なんて気持ちでいると、どうやらちゃんとしたルートで入手しているようです。鑑定士もおなじみの名前です。

手に取って見た最初の感想は「簡単に作ってあるな」という印象を受けました。自分もコピーを作っているのでそう思うのでしょう。要するに思ったほど精巧ではなくそんなに美しくなるように神経を使ったようでもないのです。
「あれ?」という感じがします。
こういうのはよくあることで、この前はマテオ・ゴフリラーのヴァイオリンがあってあれはひどかったです。お世辞にも美しいとは言えないものでした。値段で考える人なら「素晴らしい」と思うでしょうが。

こうなると混乱します。それで資料などを見るとはるかに美しく作られているものがあります。一番美しいものをその作者の楽器として認識しているので実物がそれとは違うことがよくあるのです。美しいのは特別なものなのか、弟子が作ったのか、詳細は分かりませんが、よくあることです。

私もベストを尽くしても完全にはならないので、それくらいのクオリティかなと思って作るのですが、整い過ぎてしまいます。


ニスなどはほとんどオリジナルが残っていなくて、あとの時代に薄い色のニスを保護のために全面に塗ってあるようです。だから1600年代の楽器にしては新しく見えます。古すぎて汚れすら残っていないというのでしょうか。
コレクションとして保存され長年使われずに眠っていたような楽器は、ニスも残っているし、汚れも残っています。そのようなものが博物館に入って印刷物になるのです。
実際使われている楽器はオールドでもモダン楽器のようなニスが塗られていたりすることがあります。

とはいえ離れて見ると新品のような明るいオレンジではなく、昼間でもやはり灰色っぽく見えます。

アーチは表板は結構高さがありました。裏はそれほどでもありません。サイズは353㎜ほどでアマティの大型と言われるものです。現代のヴァイオリンに近い大きさです。小型のものは7/8くらいでかなり小さいものがあります。

音についてはアマチュアの人が弾くと、暗くて鋭い音がしました。乾いた枯れた味のある音で鋭く強い音がしました。よく高いアーチの楽器は音が柔らかいというイメージを持つ人がいますが、そうではありません。これは以前シュタイナーについて書きました。

やや窮屈で音が細く、その分強いという感じがします。

今度はプロの人が弾くと、自分もアマティ風のオールド楽器を使っている人です。さっきとは全く音が違って豊かに柔らかい音が響いていました。

何がアマティの音なのかよくわかりません。


これがもうちょっとストラディバリやデルジェスのようにゆったりした構造なら、もっと豊かに響くと思うのです。スケールが大きくソリスト的な演奏が可能となるでしょう。でも音が弱いかと言うとそうでもないです。かといってびっくりするほど巨大な音がするわけでもありません。このようなオールド楽器の中では力強さも音量もあるし、極端に窮屈なことはありません。

じゃあそう考えて理想的に作られた新作がどうかと言えば、別に普通の音になるだけです。シュタイナーの時にも考えましたが、ちょっとルーズくらいで良いのかなと思います。

私が作るものはもう少し「薄い」感じがすると思います。あそこまで濃い音ではないと思います。存在感が薄いというか迫力に欠けるというか。でもそれは値段と時代が違いますから。別の新作に比べればはるかに近いと思います。



普段高級品だの安物だのを見分けているわけですが、伝説的なものを見ると、その高級品とは全く違うものです。

私はイタリアの高級品とか芸術とか工芸品にとても強い憧れがありました。それもヴァイオリンを作りたいと思った動機の一つです。しかし実際に見てみるとそんなでもないのです。絵画などであれば素朴なところも好きです。

ヴァイオリンでも多くのイタリアのオールド楽器は、そんなに精巧に作られているわけでもないし、美しくなるように注意を払っていないです。仕事が荒いことで知られている作者なら、それがその作者らしさということで見てて楽しくなるわけですが、アマティでは理解に苦しみます。

じゃあ安物と何が違うのか?

何も違わないとしか言いようがないです。



ここで変な屁理屈をウンチクとして覚えないほうが良いでしょう。
別に弦楽器に高級品なんてものは無いんじゃないか?そう考えるべきだと思います。

だから私はひどい粗悪品でなければなんでも良いと言っているし、中級品で十分だと考えています。20年職人をやってきて思うのは中級品で十分ということです。近代の基準で高級品を作ってしまうとアマティやストラディバリを通り越してしまうのです。

二つ楽器があったときに、どちらが高級でどちらが安物かと考える必要が無くて、どちらの作者が偉大かどうかとかそんなことは考えること自体が全く実態とはかけ離れた机上の空論、言葉の中の世界だと思います。


以前に愛知県の犬山城を訪れたことがあって、戦後コンクリートで作られた城と違って昔の人が手作業で作った感じがします。どれだけがオリジナルなのかは知りませんが、柱や梁は木の曲がった幹をそのまま使っていたりします。今なら工場で製材して規格化された材木が使われますが、当時はあった木材を使って作ったのです。鍬(くわ)のような刃物の手斧(ちょうな)ではつった様な削り跡があって、それは城を作ったそれだけです。高級城を作ろうとしたわけではありませんが、多くの城が壊されてしまったため今となっては希少なのですごいものと思って観光客が訪れます。



そのため、ことさらに高級品であることを強調しなくても良いと思うのです。特別な物でなくただ作ってあるだけです。ヴァイオリンを作れる職人はたくさんいます。どうしても優劣をつけたくなってしまいます。実はヴァイオリンというものが手作業で作られているという時点ですでに貴重なものなのです。それ以上というのは本来は無いのです。消費者のニーズがあって、売るほうもお金儲けしたいので関係のない価値体系が出来上がっていくのでしょう。

現代の社会は消費によって成り立っているので、「売れるため」に企業は努力し消費者もそれが当たり前になっています。私には物を作るということからすれば余計なことに見えます。


高級品を有り難がるのは少なくともヴァイオリンに関しては余計な行為でしょう。金額が価値を表しているとは到底思えないのです。


よく大金持ちが高級品を買うと、良さもわからないのに成り金趣味だと批判されます。本当に良さが分かるというのはなんでしょうね?私は経験を積むほどどんどんわからなくなっていきます。良し悪しなどは空想の産物なんじゃないかと思うようになってきます。
 

そうは言っても職人は高級品を作りたい人はいるでしょう。それもまたその人の作風です。

私も考えは決まっていなくていつもその時に見たものに影響されてしまって、あっちに行ったりこっちに行ったりしています。

ただ作っただけというのが究極なんだろうなとは思います。


私も職業として働いているので、どうしても楽器があったときに「これはいくらだ?」と答えなくてはいけなくなります。私はいつも「難しいなあ」と思います。お金から自由な存在であれば値段なんて決める必要はありません。


作ってる側からすれば、高級品とは安物との違いを強調したものという面があります。伝説的な名器を手にするとそれとは全く違うことに驚きます。後の人たちが勝手に持ち上げだけで、自分の作りたいように普通に作っていただけでしょう。安物との違いを強調する必要もなかったのです。

その違いが分かるのは相当目が良くないといけませんが。




一週間前と変わっていないようですが
エッジを摩耗したように丸くして色を付けてあるのです。

落ち着いてきました。



エッジを削りなおして灰色っぽくなるように染めてあります。使い込んでいると汚れてくるところです。

これ以上やっても真っ黒になってしまうのでもうやめましょう。表面に細かい筆をたくさん入れてあります。これを研磨するともうちょっとぼやけて明るくなります。

ハンドメイドのアンティーク塗装の楽器によくある問題は少しこするとすぐに色が薄くなって真っ白になってしまうものです。濃い色のニスが塗ってあるので少しこすれるとすぐに剥げてしまうのです。現代に流行している手法によくある問題です。フルバーニッシュの通常の新作楽器の場合には、薄色のニスを厚く塗ってあります。濃い色のものだとムラになってしまうからです。薄いものを何層も重ねることでニスに厚みができています。それでも明るい色のものが多いですから、ニスは薄い色のものを厚く塗ってあるのです。こういうものは耐久性があってこすれても色が薄くなりにくいです。

ニスは色の成分と厚みの成分からできています。それを溶剤で薄めて塗るわけですが、溶剤が蒸発するとニスの成分だけが残ります。その時厚みの成分が少ないと厚みの薄いニスになってしまいます。層が薄くなりすぎるとこすれるだけですぐに剥げてしまうのです。

さらに保護するために厚くクリアーニスを塗ります。同時に多少色味を調整します。






















こんにちはガリッポです。


アメリカ風のパンケイクを焼いてみました。うまくできたらちょっとうれしいものです。


さて前回学生さんがヴァイオリンを探している話をしましたが、決まったようです。ホフマン作のスイス製ヴァイオリンについて尋ねるととても良いと言っていましたが、もっと良いのがあったそうです。

私が作ったヴァイオリンでした。
2005年にニコラ・リュポーのコピーを作りました。それを常連のコレクターの方が買いましたが、自身が弾くチェロを除いて整理するということでチャンスが回ってきました。他にもオールド楽器や弓など良いものばかり買っています。

過去に紹介しています。下の方に写真が出てます。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-11889024154.html

リュポーはフランスのモダンヴァイオリンを代表する作者でトップの地位にいた人でもあります。実物のリュポーをしばらくの間ヴァイオリン教授が預けていたのでコピーを作っていたのです。
アーチはとても平らで板も極限まで薄くなっています。

学生の彼がそれをいたく気に入ったようでした。私は板が薄いほど低音が強くなると言ってきていますが、リュポーのコピーは極端に低音が強い暗い音ではなくニュートラルくらいです。なぜそうなるかは厳密にはわかりません。しかし一般的な新作に比べれば暗い音で傾向から外れてるということもありません。

チェロ奏者のコレクターの方が持っていましたからほとんど弾かれていませんでした。近々お城で演奏するということで微調整をしましたが、音がかなり変わって驚いたそうですが、良い方の驚きだったそうです。
特に広い所で弾くと私が作ったものの中でも最も豊かに響くものだと思います。

彼が弾くととてもバランスが良くて、ソリスト的な傾向の演奏にはもってこいだと思います。


私は高いアーチの楽器も作りますが、ものすごくフラットな楽器も作りました。私は高いアーチの信奉者ではなく、フラットな楽器が演奏者によってはぴったり合う人もいます。だから私はいつも「ひどくなければ何でも良い」と言っているのです。

薄い板の楽器ですが15年経っても壊れるような様子はまったくありません。「そのうち鳴らなくなる」なんてこともありません。そりゃそうですよ、オリジナルのリュポーが200年経ってもソリストに愛用されているのですから。

弦は初めはピラストロのエヴァピラッチを張っていました。所有者の人が同社のオブリガートに変えていましたが、またエヴァピラッチに変えました。弾く人と楽器の性格に合った弦だと思います。それ以降も新製品は出ていますが、定番になるような傑作はあまりないですね。人によっては…楽器によっては…みたいなことが多いです。



私もヴァイオリン職人の修行を始めて20年ほどになります。始めようと思った時には親に職人は10~20年はかかるというので心配はしていたようです。15年前にリュポーのコピーを作っていますからはじめて5年でソリスト用のヴァイオリンが作れていたわけです。その後進歩しているのかと言われれば、進歩はしていないでしょう。変化はしているけども進歩はしていないと思います。

課題はビギナーでも簡単に弾きこなせる楽器ということになります。それは難しいです。ニスの材質も変えてきて多少は小手先の発音などは改善していると思います。

15年前に作った楽器のスクロールとかf字孔とかを見ると、未熟だなとは思いますし、ニスも頑張ってはいるけども今のほうが完成度は高いでしょう。逆に輪郭の形とかパフリングとか加工の正確さや綺麗さが求められるものはすでに文句ないレベルにありました。ストラディバリでも若いときのほうが細かい目で見るとよくできていますから、ヴァイオリン製作に熱中していれば若い時ほど一心不乱に取り組むものです。そうでない人のほうが多いので、まじめに修行しろというのが決まり文句です。


私がフランスの楽器を高く評価するのはこのような経験もあります。それ以上に現代の楽器製作のルーツだからです。弦楽器に関して今の我々の常識のほとんどが19世紀のフランスで定着したものです。ストラディバリを最高のヴァイオリンと考えるのも当時の考え方です。

弦楽器づくりを始めると最初のうちは工具をうまく使えるようになることが何より重要なことです。楽器の演奏でも基礎をしっかり身に着けることが重要なのと同じです。

今勤め先の工房に見習の職人がいて、f字孔の型を作らなくてはいけないということになりました。

こういうものです。

私はf字孔はとても下手くそでここ5年くらいでようやくミスもなくできるようになってきたように思います。失敗しやすい所が分かってきた所で早く加工するなんてのは無理です。
普通はヴァイオリン製作学校や、師匠の型を借りて型の通りに正確に、きれいに仕上げることが課題です。昔は代々型が受け継がれてきたり、自分でデザインしたりしたものですが、最近は印刷物で名器の写真から型を作ったりできるようになりました。
ともかく与えられた型に対して正確にきれいに加工するのが課題です。

というのはヴァイオリンの表板は針葉樹で、年輪が木目になっています。硬い所と柔らかい所が交互になっているのでナイフで加工するのはとても難しいのです。

今ではストラディバリの実物大の写真が印刷物として入手できますからこれで型を作れば良いわけです。見習の職人が以前習っていたところで作ったものは正確さにかけ美しさも理解していませんでした。

ストラディバリの写真をたくさん見せて、みな形が違うということを教えました。ストラディバリは上下の丸い所の穴の位置を決めると、表板の裏側に簡単な型紙でおおよその目安を描くと、ほとんどフリーハンドで作っていたからだと説明しました。これはとても難しくて何百台と作って行かないとできないものです。昔は小学校を出るくらいの歳になれば修行を始めたものですから訓練のレベルが違います。

型は正確であるほど楽なのです。


平面の写真から型を起こすと後で立体の表板の面に型をあてがうと大きく歪みが生じます。The Stradのポスターには実物のストラディバリの表板に紙などをあてがって型を取った図面が出ていることがあります。どのようにやったかはわかりませんが、子供のころ10円玉など硬貨を紙の下に置いて鉛筆でこすって写したことがあると思います。それに近い方法でしょう。

これなら立体に当てがっても誤差が少なくなるはずです。
しかしそれを見るとかなりいびつなのです。型を正確に取るのが難しく印刷するまでの段階でも誤差が出たのでしょう。そこで見た目で多少のモディファイする必要があると言いました。


こんなところまでこだわっているのはコピーを作っている私くらいでしょう。普通は写真から起こした型をそのまま使ってf字孔を開けているはずです。そうすると若干細くとがったようになります。ストラディバリのf字孔の穴が狭くて今の魂柱が入らないのでf字孔の中央を広めにしなくてはいけません、それで余計に尖ってしまうのです。
現代の楽器ではよく見るもので、現代的な作風と言えますし、うまくできている人のものは美しいものです。しかしコピーとなると形が変わってしまうので、私はf字孔をナイフで切るときに型から脱線して目視で形を調整しています。多少フリーハンドに近いです。

しかし初めてヴァイオリンを作る時点では現代風の作風できれいにできていれば十分すぎます。プロの中でもうまい方のレベルだからです。今の段階では工具が使えることに集中するべきです。


オリジナルのストラディバリはアドリブで作っているので、完成度はそんなに高くないことを示しました。それに対してヴィヨームの写真を見せると、より完璧であることが分かります。もしヴァイオリン製作コンクールに出すならストラディバリそのままコピーを作るよりもヴィヨームのコピーを作ったほうが成績は良いでしょう。このためヴィヨームとストラディバリでは印象がかなり違います。

ヴィヨームはストラディバリをそのままコピーしたのではなく、完璧になるようにモディファイしたのです。これが職人ごとに異なる「ストラディバリモデル」というものです。ただしヴィヨームもf字孔の幅は狭くて5.5㎜くらいしかなく現代の魂柱の直径は6㎜なので入りません。もっと太くしたくて6.2とか6.3とかを入れる人もいます。バロックからモダン楽器に進化する過程で太くなってきたのです。

私は太い方が安定して倒れにくいので特に初心者用の楽器ではできるだけ太いものを入れたいです。自分で作る楽器ではf字孔を太くしたくないので最低の6㎜でできれば良いなと思います。


このように現代ではf字孔に限らずストラディバリをそのままコピーするのではなくてモディファイしてより完璧にするのが基本的な考え方です。これはフランスの19世紀の考え方に由来します。

このような基本を知らない職人もたくさんいます。ストラディバリをより完璧にするというフランスの考え方ですが、ストラディバリくらい不完全なものでも作るのは至難のわざです。単に「ヴァイオリンを作る」というのなら、ヴァイオリンっぽいものを作れば良いわけです。見よう見まねの独学でやるとそんな感じのものになります。一流の職人は「ヴァイオリンを作る」というレベルではなく「ストラディバリをさらに完璧にする」というレベルでやっています。

それに対して私はさらに完璧にすると別物になってしまうので、それを止めようと業界の常識をひっくり返しているのです。




もちろん自分でデザインしても良いです。オリジナルのモデルを作った事もあるし、アマティのビオラのf字孔は自分でデザインしました。




だったら初めからヴィヨームのf字孔の写真から型を起こすのも良いと話しました。
結局本人の希望でポスターの裏面にある実物からとったと思われる正確性の怪しい図面をモディファイすることにしました。

はじめは鉛筆で線も描くこともうまくできませんでした。目で見ても形が分からずにどこをどうモディファイしたらいいか全くわからない様子でした。それでも一日やっていたら見違えるほどきれいになりました。私は線一本分ぐらついてるとは思いますが、実際にその精度で加工するのは至難の業なので型としては十分だと思いました。一日でそれだけ目が良くなるのだから驚きです。前に習っていたところでは全く身についていなかったのです。教えた人も見えていないのでしょう。

私も今の私のような人に教わらなかったので最初の何年間では無理だったです。


その時にオリジナルのストラディバリの写真を見ながらモディファイすると形がいびつなところがあるのです。そこでヴィヨームの写真と比べるといかにヴィヨームのほうが形が整っているかわかります。

つまり現代楽器製作を学ぶならはじめはヴィヨームのようなものを目指すべきなのです。プロの職人でも95%は無理ですから。ヒル&サンズのストラディバリのコピーでも怪しいものです。

私は初心者に教えるのは向いていないかもしれません。プロの職人でも9割以上が無理なことを要求しているのですから。きれいなものを作る楽しさが分かったらいいなと思います。
このためフランスの楽器のようにきれいに作られたものは一発でそれがラベルを偽造しただけの安物と見分けがつくのです。弓でもそうで、弾き心地などの機能性ではその必要はありませんが、一流の職人の弓はきれいなラインで加工されています。そうするとすぐに数万円の安物と違うことが分かります。ヴァイオリンでも弓でも上等な物と安物はきれいに正確に加工されていることで見分けられます。一人前の職人になりたければそれができるようにならなくてはいけません。

今は、口がうまければテレビなどに取り上げられて楽器が売れます。そうやって素人が見よう見まねで作ったような楽器を高い値段で売っている営業のうまい職人が繁盛しています。
しかし、そういう楽器が中古市場に流れると値段は安いものです。素人が作った楽器としか扱われません。

これがストラディバリやデルジェスのような上の上に行くとそうでもないのです。しかし初めの段階ではプロの職人として通用するものを作らなくてはいけません。


フランスの楽器製作がいかに重要かというのはこういう事です。
音響面でも研究されていて特にソリスト向きの楽器として優れています。



このように私も多少進歩していますが、演奏家にとっては興味のない世界の話です。15年前に作ったヴァイオリンの音の良さで満足してもらえました。




もう一つ進歩しているのはニスです。これはいまだに進化の途中です。前回の終盤くらいに思いついた方法を今回は初めからやっています。

私もアンティーク塗装は面白い点もありますが、たいへんなのでやらなくて済むならやらないほうが楽です。ストラディバリもアンティーク塗装で作っていないのですからやらなくても良いことです。
ムラなく均一にニスを塗るのが苦手なのでアンティーク塗装に逃げる人が多くいます。そのため汚いだけのアンティーク塗装のものがたくさんあります。私はそのようなものを作るのは嫌なので均一に塗るよりもはるかに緊張を強いられることになります。

石の中から化石を取り出す仕事があります。ちょっとずつ石を削るなりして化石を出して来るわけですが、半日仕事しても進展はわずかでしょう。アンティーク塗装もそれに近いかもしれません。本来なら数百年かかる所をやるわけですから気の遠くなる作業です。
私はそのような作業が好きなので、化石を取り出す仕事も向いているかもしれません。しかし給料をだれが払うんだとなると難しいこともありそうです。

黙って細かい作業に集中してお昼ご飯を食べて休憩してまた夕方まで。良いですね。そんな暮らしは最高です。

私のような変わった楽器職人の場合にはそれは理想ですが、実際には時間をかけるほどお客さんに請求する金額が高くなってしまうので早くやらなくてはいけません。また別の用のお客さんもひっきりなしにやってきて、仕事の途中で急ぎの仕事をしなくてはいけなくなります。職場にはおしゃべりな人がやってきては集中を妨げます。西洋には日本人とはケタ違いにおしゃべりな人がいて次から次とやってきます。すぐに工房がパーティーになってしまいます。

私は早く仕事をするのが向いていないので手間暇かけてそれなりの値段の楽器を作っていきたいと考えるようになってきました。そんなに高い楽器は買えないという人もいるので心苦しいですが。また日本の同業者から見れば「そんなに高い値段?」と非難されるでしょう。しかしクオリティと手間暇がかかっていることが分かれば、納得してもらえるでしょう。日本人の楽器の値段が安すぎるのです。それでも楽器商が天才だの巨匠だのと言ってるような物よりは安くなるはずです。私は高いから音が良いわけではないと訴えていきます。音だけを求めるなら他の楽器に良いものがありますよと宣伝していきます。

アンティーク塗装は化石を取り出すような地道な作業です。
初めのうちは訳が分からなくて、今でも訳が分かりませんが何とか予定したクオリティまで持ってこれるようになってきました。合理的に作業するというのはまだまだ無理です。最初に作業工程の予定を立てるのですが、翌日には変更が必要になります。大雑把な予定通りには来ています。


アマティ兄弟の楽器はストラディバリやデルジェズとは違って400年くらい経っているので古いのです。同じくらい古いシュタイナーも修理しましたが、表板などはニスがほとんど残っておらずフレンチポリッシュという手法で表面の木材が向き出ているところにコーティングを施しました。それから何年も経っていますがコーティングは持っています。これは刷毛でニスを塗るのではなく、布に染み込ませて磨きながら塗っていくものです。家具の修理でも行われ、コントラバスなどはよくやります。
ニスは全くと言っていいほど残っていませんが、薄いコーティングを施すだけでオールド楽器特有の色になりました。木材が古くなった色とむき出しになった木材に付着した汚れの色でしょう。また傷やアーチの深いくぼみの部分には汚れがたまっています。

シュタイナーと比べるとまだまだ新しい感じがするのでしっかり汚さなくてはいけません。さらに汚れを取ると下から表情が出てきます。ニスが乾いたら細かい磨き粉で研磨します。削れ過ぎたところを直せば終わりです。修理でも古い楽器は汚れを掃除すると過去に塗られた補修ニスも一緒に取れてしまい補修も必ず必要になります。

写真は塗りたくったところなので乾いたら研磨して少し明るくなります。下に塗ってあるニスは表面に凹凸をつけてあるので削るとくぼみに塗られたところだけが残って細かい点のようになります。肉眼で見えるほどの色の差はないのでやってあることには気づかないでしょう。それでもベタ塗りをしたような新品らしさは避けられるでしょう。

先週との変化はほんの少しですが、古い楽器のようになってきているでしょう。


音についてはすでに完成していても見た目は改善の余地があります。アンティーク塗装の完成度は今なお進歩の途中にあります。しかしわざとらしい物さえ作らなければ楽器が歳を重ねて行くほどそれらしくなっていきます。新しい手法を導入するならテストは必要です。私はさんざん工場製の白木の楽器で練習してきました。ビオラはちょっと大きいのでヴァイオリンに比べるとごまかしがききにくいですね。

音楽家にとっては見た目は重要ではないでしょう。
他にも良い楽器はあると思います。

私も作れる楽器の数も限られていますし、どうせなら自分の能力が生かせるものを作るほうが良いのでしょう。
高いアーチの楽器も近代では作れる人は少なく作られた数も少ないです。

フラットなアーチや新品のような塗装も苦手では全くありません。フランスのような楽器が今日では作られなくなってきています。過去について知らないために、自分を天才だと信じている自信過剰な職人も多いです。
19世紀にフランスの職人たちが限界まで楽器製作の技術を高めた事が忘れ去られています。モダン楽器の再現も重要性が増してきました。

とはいえ実際にモダン楽器はそんなに高くない値段でもありますからオールド楽器の再現に力を使って行くことでしょう。