ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -29ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。

近代以降の弦楽器はフランスで確立したことは以前から説明しています。
現代に修行した職人たちはこの考え方を受け継いでいます。楽器を見て「これは良い」とか「ひどい」と言う時はその基準に従っています。

前回の話のように「良い楽器」であれば音には個体差がありますが、好みにも個人差があるため試奏してみる価値があるでしょう。
一方現代の職人はオークションなどで目を引かないモダン楽器に対抗するのは困難です。よく鳴るうえに値段が安いのですから。

我々は無意識のうちに現代のものの方が優れているという思い込みがあります。職人も自分たちの楽器のほうが優れいてると信じます。しかし、比較試奏してみると戦前のドイツの量産楽器にも叶わないという現実に直面します。ドイツの職人も自分たちが優れていると思っていたのですから我々と同じです。現代の人は自分は特別と思い、その現実を受け入れようとしないでしょう。

現代ではフランスのモダン楽器さえ忘れられつつあります。それがいかに優れたものであったか語られていないとすれば、それが忘れられているということです。

それに対して過去にとらわれずに新しいものを作れば良いと考えられます。しかし私たちは良いとか悪いという基準を刷り込まれているため、過去を見ずに良いと思うものを作るとモダン楽器の呪縛から逃れられません。

一方プロから教育を受けていないアマチュアの職人ならできるかもしれません。しかし、教育を受けなければモダン楽器にも遠く及ばないものなってしまいます。




そこでモダン楽器が確立する以前に立ち返ってやり直そうというのが私の考えです。オールド楽器から学ぶのです。この場合、良いか悪いかを考えてはいけません。良いとか悪いとかではなくそのままをそのまま受け入れるのです。そうするとオールド楽器の世界が見えてきます。モダン楽器の基準で見るとオールド楽器などは大したことが無いと考えてしまいます。

一方で古い楽器は神様のが作った最高のもので何もかもが優れているというわけでもありません。良いとか悪いとかは考えないのです。

厄介なピエトロ・グァルネリのf字孔

ピエトロ・グァルネリのコピーを作るうえで障害となるのはf字孔です。

➀ストップの位置が長すぎる
アマティやストラディバリのヴァイオリンでは現代とほぼ同じですがピエトロ・グァルネリになると3~4㎜f字孔の内側の刻みの位置が下に来ます。そこに駒を立てると弦の振動する長さが長くなります。演奏上障害になるもので、古い楽器なら希少なので我慢して弾くことになりますが、新品でわざわざ弾きにくいものを買うのは止めたほうが良いでしょう。

➁左右の間隔が近すぎる
左右のf字孔の上の丸い部分の間隔が狭すぎます。これはアマティからの伝統です。問題はバスバーがf字孔の穴の下に来てしまいます。これも現代の規格を知らないで作られたものにはたまにあるもので困ったものです。バスバーが駒の足に対して正しい位置に来ないのです。

➂f字孔が細すぎる
これはクレモナのオールド楽器全般的な問題です。今よりも細い魂柱を入れていたので現代の太さの魂柱が入りません。下の丸い所から入れれば入らないことはありませんが、はっきり言ってめんどくさいです。
職人からして見たら、作った人に怒りを覚えるでしょう。

実際のオールド楽器ではf字孔の幅を後の時代の人が広げるために削ってしまい大惨事になっているものがあります。そうしなくても、徐々に太い魂柱になって行ったので何回も交換するたびにf字孔がグリグリと押し広げられていき今では入るようになっているものもあります。摩耗やアーチの変形によって広がっている場合もあります。

モダン楽器でも19世紀のフランスのものは今よりも細いf字孔です。ヴィヨームでもそうです。だから綺麗に見えるというのもあります。

④f字孔が縦になりすぎている
普通f字孔は傾いていてハの字になっています。f字でなくてS字のようになっていると木目に対して逆目になってしまいます。ナイフで加工するのがとても難しいのです。

このように大きな問題があるためそのまま作るわけにはいきません。ピエトロ・グァルネリをコピーの元として断念する理由でもあります。

なぜこのような問題があるのかは本人に聞かないとわかりません。しかしf字孔の問題はデルジェスにもあります。デルジェスの場合には位置がバラバラでストップの位置が定まっていません。とても短い物や長いものがあります。「天才だから計算ずくに違いない」と考えていると現実からかけ離れてしまいます。バラバラなのは数字が決まっていなかったということでしょう。測らずにこの辺だろうと作っていたのではないでしょうか。

デルジェスにストップの位置を教えなかったのは、その上の世代の責任でもあります。何故かアマティの寸法が伝わらなかったということになります。絶対に守るべき数字と考えられていなかったのです。

現代に復刻として作る場合、どうすべきかは悩む問題です。
博物館に収める資料ならともかく、実際に演奏に使用するなら私は修正すべきだと思います。修正はしながらも「らしさ」は失わないようにしなくてはいけないという難しい課題です。

他にもG.B.グァダニーニにもストップの問題があります。アレサンドロ・ガリアーノにもあります。当時はアマティの流派であってもバラバラで守らなくてはいけないものという認識が無かったのでしょう。

位置を決める

f字孔の位置を決めるのは昔の流儀に従えば「適当」ということになります。オールド楽器ではあまり深く考えずにf字孔の位置を決めたケースはよくあります。そのため考えすぎたら現代風になってしまいます。

それでパッと決めてしまえと以前は考えていましたが、今回は何回もやり直しました。それだけ難しい問題だと認識しました。

ストラディバリやデルジェスの一般的なものに比べれば縦になっていますが木目が逆目にならないギリギリのところにしています。写真では横線が駒の中心、つまりストップの位置でf字孔の刻みと少しずれています。どうもオリジナルはf字孔の中心よりも下に刻みがついているようで刻みの位置をずらすことで多少ごまかしがききます。これがf字孔の中心の位置です。
f字孔の中心に駒をもって来るのは、f字孔が切れていることで表板中央の柔軟性が増しているからです。
上の丸の左右の間隔も少し広げています。そうすると下の丸が表板のふちに近くなりすぎます。少しずつ寸法を詰めて妥協の位置を見つけます。

特にピエトロ・グァルネリで難しいのはアーチが高いことです。f字孔は斜面に開けられるため、平面の写真から型を起こすと一致しません。The Stradのポスターには実際の楽器にあてがって魚拓のようにしてとったと思われるf字孔のの形が裏面に印刷されています。それから型を起こせばアーチを同じように作ってあれば誤差は出ないはずです。

しかし明らかに印刷されているf字孔は写真と形が違うのです。実際に古い楽器は変形や摩耗などもあり魚拓のように型を取るのは難しいです。特に右側は摩耗しているため角がどこか分からないのでかなり太めになっていました。

そこで今回はおおよその目安としてフリーハンドでf字孔を開けるしかありません。作図してもそれは無視して目視で形を作らなくてはいけないのです。

これはむしろ当時のやり方に近いでしょう。ストラディバリなどはかなり大雑把な型紙があって、それは目安にしてフリーハンドで加工したようです。
つまりアドリブでやらなくてはいけません。

f字孔はとても難しいもので正確な型があれば、型に忠実に加工する方がはるかに楽です。しかし今回はそれがありません。非常にリスキーです。

できあがり



このような感じになりました。オリジナルの通りではf字孔が細すぎて魂柱が入りません。そのため若干太くしなくてはいけません。それはとても難しいものです。この時点でオリジナルとは違ってしまうからです。また写真と現物を見る時では、目の使い方が違います。写真は一つのレンズで撮影されていますが、人間の目は二つあります。このように高いアーチの楽器では右目で見るのと左目で見るのは大きく違います。それを脳内で合成したりしますが、利き目もあります。

これはカメラのレンズのせいで下の丸い所はかなり歪んで見えます。この程度でもカメラの角度がちょっとずれているせいで右のほうが太く見えます。最終的には望遠レンズで遠くから撮ってみましょうか?


ちょっとアマティっぽくなったような気もします。前回アマティのビオラを作ったので目に癖がついています。ピエトロも若いときはアマティのようなf字孔だったので間違っている方向性ではありません。
アマティともストラディバリとも違う独自のf字孔です。現代の感覚からすると丸い部分の直径が大きすぎます。逆に言えばストラディバリは小さな丸になっているのが特徴です。

難しい条件だったことを考えれば大惨事にならなくてよかったなと思います。
やはりf字孔は弦楽器の顔なので失敗するととても悔やまれます。

アドリブを入れて作ったので特定のオリジナルと全く一緒というわけではありません。しかし、ピエトロもf字孔はそんなに毎回全く同じ形ではありません。なのでそこまでもとになった楽器とまったく一緒にしようとは考えませんでした。


コーナーやパフリングの先端も合格点でしょう。コーナーはアマティに比べるとかなり太いです。ビオラに比べても太いです。

このようにf字孔は斜面に開いています。

ちょっと斜めから見れば丘の向こう側の斜面にあるので見えなくなります。
アーチがかなり高いです。

私のよく知っている職人と連絡を取りました。電話でまず安否を確認すると作っているヴァイオリンの話をしました。たまたま彼が作っていたのはデルジェスのキングヨゼフのモデルで、私が去年作ったものでした。ピエトロ・グァルネリについて話すと、「あれはアーチが高すぎるからダメだ」と言ってしました。私と親しい職人でもこんな様子です。
私は以前にも作って音の評判も良かったのでそのことを話しました。
それくらい現代の常識からかけ離れているのです。

フラットに近いアーチなら、音もモダン楽器や現代の楽器に近いものになります。それは悪いことではありませんが、ありふれているという印象を受けかねません。
私が作るものはそれでも音に特徴はあるし、広いホールで響くことが特徴です。

ただし、音が出た瞬間に「まったく違う」と印象を受けるのは高いアーチの楽器です。好きな人にはたまらないものです。
遠鳴りに優れていても、店頭での試奏ではそこまでは分かりません。没個性の音ではたくさんの楽器の中に埋もれてしまいます。

優れているか劣っているかというのではなくて、「好き」という感情が湧いてくるような音にしたいです。それで言うと前回作ったピエトロ・グァルネリ型のものは私の歴代の楽器でも抜群のものでした。

好き嫌いのはっきり出るような音にしたいと思っています。
そのためにもう一つ重要な板の厚みについては次回です。
こんにちはガリッポです。

これまでの期間に家の整理や掃除をして眠っていた楽器が出てきて価値を見て欲しいという依頼もあります。そういう意味では掘り出し物が出てくる時期です。修理する時間的な余裕もあります。

そんな中悪くないヴァイオリンがあります。

これはラベルなどは無く作者不明ですが、見ればすぐにミルクールのものだとわかります。時代はかなり大雑把に言って1900年頃のものでしょう。オレンジのニスが典型的です。

ミルクールのものとしてはとても安価な量産品ではなく比較的上等な物です。ミルクールのものだと見分ける方法は、パッと見た印象です。フランスのものだと一瞬で分かりますし、一流の職人のものではないこともすぐにわかります。となればミルクールと考えるのが普通でしょう。
しかし量産品としては上等で他の国なら一人前の職人と同等以上のクオリティです。

スクロールは本当にきれいでフランス以外ならハンドメイドの楽器でもこのレベルに達しているものは少ないでしょう。

何よりも印象的なのはその音です。
明らかに音量があってよく鳴ります。典型的な新作の明るい音ではなく、暗く暖かみのありますが、カラッと乾いて抜けが良くこもりなどはありません。モダン楽器らしい鳴り方で太く豊かな音でもあります。高音は特別柔らかいということはありませんが、ひどく耳障りということもありません。弾く人や弾き方によってはどうにでもなるレベルでしょう。
優等生的に優れた音だと思います。

こうなると新作楽器では全く太刀打ちできません。作り方の違いでいかに工夫してもどうにもならないレベルです。
このような名もなきミルクールの楽器でもどんな有名な作者の新作楽器よりも抜きんでています。

値段はざっと50~100万円くらいでしょう。量産楽器としてはかなり高い値段ですが、同じ時代のフランスの一流の職人のものなら300万円くらいはしますからそんなものです。ドイツやチェコの作者なら有名ではないマイスターのものが買える値段です。

ミルクールのものでも工場のラベルがついていれば1万ユーロ(125万円くらい)になるでしょうが、ノーラベルなら100万円くらいが上限でしょう。

イタリアの作者が分かっていて同じ時期のものなら500万円では買えません。この楽器のクオリティはそれ以上です音でも優っていることが多いでしょう。

50~100万円の価格帯の楽器ではとても魅力的だと思いますし、音だけで言えば上のクラスにも対抗できるでしょう。学生やアマチュアにはとても魅力的なものです。作者不明で量産品となればコレクターなどには面白みのない楽器です。

気を付けなくてはいけないフランスの楽器

フランスの楽器で気を付けなくてはいけないのは、ランクです。
これは「量産品の中で上等な物、または無名な作者の楽器」というカテゴリーに属すもので中級品です。安価な量産品をスチューデントヴァイオリンというのに対してこれはオーケストラヴァイオリンと呼ばれるものです。フランスの一流の職人のものならマスターヴァイオリンとなり、ヴィヨームなどはソリストが使っています。ソロヴァイオリンと呼べます。しかしヴィヨーム本人が作っていたのではなく弟子たちを下請けにしていました。下請けの彼らの楽器でもソリストが使えるというわけです。

違いは何かといえば「クオリティ」です。量産品は安さが魅力なので、コストダウンのため急いで作られています。安上がりな手法で作られているために外見はもちろん、開けてみると中はひどい物です。

一方フランスの一流の職人のものは、外観は人間ではこれ以上は不可能と言うほど完璧な美しさで中もきちっと作ってあります。

このような中級品は完璧なほど美しくはありませんが、音響的には全く問題のないレベルで作られています。実際に音が良いのですから間違いありません。他の国の作者なら一人前の職人に匹敵するレベルで、イタリアの作者ならこれより劣るクオリティのものも多いでしょう。

つまり骨董品としての価値はそれほどではないにしても実用品としては十分なものです。

このレベルでチェロがあれば本当に魅力的です。2.5倍ほどの値段になるので最大でも250万円ほどです。一流のフランスの作者なら最低1000万円はしますし、この時期のさほど有名でない作者でも500~1000万円はするのは普通ですからお買い得です。これが15年前なら一流の職人でも1000万円はしませんでした。昔のイメージを持っている人は全く時代が変わっています。それでもイタリアの作者ならヴァイオリンの値段ですから、イタリアの楽器の値段がいかに高すぎるかというわけです。


このようにミルクールの楽器を絶賛すれば欲しいと思う人もいるでしょう。しかし日本で買うのは簡単ではありません。

ヨーロッパの相場でそのまま買えるわけではないからです。


150万円くらいするのは当たり前でしょう。それでも100年以上前の中級品で音も良ければ買って損はありません。問題は安価な量産品を買ってしまうことです。

量産品でもコラン・メザンのものなら相場はヨーロッパでも60~130万円くらいします。最も低いランクのものはプレスだったり仕事もひどく粗いものです。私はプレスの楽器に60万円も出すのは高すぎるように思います。それが日本に来て100万円以上になるとすればバカげています。

量産品でも上級品なら100~150万円でも仕方が無いと思いますが、日本では低級品でその値段だと同僚や同業者に話せばクレイジーだとびっくりします。

プレスの量産品でもラベルがついていればそれを業者はプレスだとは言わないし、数多くの従業員が分業で作ったものでもその作者の作品とほのめかすでしょう。

チェロになるともっと怖いことになります。実際にロックダウン前の駆け込みで修理に持ち込まれました。20世紀初めのミルクールの量産チェロで表板に割れがあり、修理する価値があるかという話になりました。師匠などは量産品だからせいぜい100万円くらいだろうみたいな感じだったので、こんなの日本なら300万円を超えると話して軽く見すぎだと師匠に助言したところです。
私は200万円くらいしてもおかしくないと伝えました。

逆に言えば量産品は量産品とこちらの職人なら考えます。
でも日本で売っているのも商人なら買う方も素人ですから、量産品であることもうやむやにされてしまいます。


この違いはどうやって分かるかと言えばクオリティです。それだけです。
フランスの楽器なら一流の職人のものは間違いなく高いクオリティで作られているので、見た瞬間にすぐにそうだとわかります。それ以上作者名を特定するにはパリなどで鑑定してもらう必要があります。しかし、量産品か一流の職人のものかで迷うことはありません。一流の職人の名前がついていても、その作者の経営する工場や、生産を委託した工場のものです。

これがイタリアの作者ならそうではありません。500万円以上する作者でも並以下の腕前の職人の作ったものはざらにあります。フランスのような選抜制度が無かったからです。

このように日本でミルクールの楽器を買う場合には危険が伴います。職人でなければクオリティの違いは分かりません。音大などを出て楽器店に就職した営業マンなら音楽家からしたら話が合って信頼が厚いでしょう。しかし楽器を見分けるのは素人です。

とはいえ仕入れ値を知っていれば自分も騙されたという理屈は通用しないでしょう。

量産品かハンドメイドか

職人の立場から言わせれば、量産品であるか、ハンドメイドであるかは重要ではありません。重要なのは楽器のクオリティです。

ハンドメイドでも雑に作られていたり、基本を理解していなければ量産品以下の出来栄えのものもたくさんあります。


一方、商人にとっての価値は値段です。

同じような物が大量にあるので、希少性は高くなく値段は高くなりません。これは経済の論理です。コレクターも知名度が高く値段の高いものを有り難がります。本当に目が効くなら無名な良品の良さを分かるのでしょうが、そんな上級者はまれです。趣味というのはほとんどの人は才能も知識もなく下手くそなのです。コレクションの趣味も同じです。


しかし「音の良さ」という機能性を値段が表しているわけでありません。安くて音が良いならむしろ魅力的ですらあります。音楽家にとっての楽器の価値は商人やコレクターとは違います。

品質が十分なもので100年以上経っているのなら新品に比べればよく鳴るようになっています。中級者以下の人が弾いて「音量がある」と感じる点では50~150年くらい前のものが最高ですらあります。フランスのものなら板は薄く作られているので低音がよく出て音色に深みもあります。

適切な値段なら新作楽器などはまともに当たったら太刀打ちできません。



音が良くて物としてもよくできている。それで値段が安いのですから音楽家にとってはお買い得なものです。
量産品に偽造ラベルが貼られたものをプロの演奏家が持っていることはよくあります。プロの演奏家でも音で量産品とは気づかず何十倍もの値段で買っているのです。


私は「ヴァイオリンは個性が無くてはいけない」というようなウンチクに対しては懐疑的です。

弦楽器のことを知らないので、良いものと悪いものの違いを安易に知りたいのです。その時「量産品は作者個人の個性が無いからダメ」という理屈は分かりやすいです。量産品にも品質の差があり、ハンドメイドでも品質の悪いものがあります。
それを見分けるのに比べたら、「量産品はダメ、手作りが良い」と分けるほうが簡単です。このような弦楽器のことを知らない人が好むウンチクを偉そうに言うのは情けないです。

楽器の作り方などはすでに分かっていて、修行して技能と知識を身に付けた職人が手抜きをせずそのように作り、100年もすればよく鳴るようになるのです。

作者が苦労して編み出した秘密の作り方よりも、普通のものが100年経った方が音が良いのです。それが弦楽器です。それが西洋の職業教育です。

実際に量産品ではひどく耳障りな音がしたり、スケールの小さな硬い構造の楽器が多くあります。それは手抜きのためにちゃんと作っていないからです。個性が無いから音が悪いわけではありません。ハンドメイドの楽器でも近代のものはセオリー通りに作られているだけで「自分の音」という境地に達するものではありません。
仮に作者の音があっても、音の評価は意見が分かれます。教師などでも人によって全く好みが違うことは弦楽器店で働いていれば経験します。


もちろん美術工芸品として楽器に魅力を感じる人がいてもおかしくありません。またモダン楽器とは違うタイプのオールド楽器などには一味違う味わいがあります。そのようなものに価値が無いということはありません。

しかし自分が何を求めているか、どれくらいの予算があるかによって楽器の良し悪しは一つの尺度ではないということを知ってこそ「通」と言えるでしょう。

職人は人間であって神様ではありません。職人に神様を求めると「幻想」を売り買いすることになります。
こんにちはガリッポです。

しばらくの間自宅で仕事をしていましたが、また勤め先の工房に戻りました。
従業員数もお客さんの数も他の職業に比べればはるかに少ないので特別リスクが高いということはありません。

通勤は徒歩で通えるので公共交通機関を使う必要はありません。

自宅で仕事をすると全く外に出ない日が多くあり、何も感染予防に気を使わなくても良いのが楽でした。
ただし、通勤でもしないと体がなまってしまいます。

感染を恐れずっと家にこもっていたらすっかり世間の様子が変わっていて「小野田さん、お帰りなさい」なんてことになりかねません。
古いネタですが、私も当時は生まれていません。


ただし職場に復帰したら数日でも、どっと疲れました。なんでなんでしょうか?

機能面では自宅にはブラインドがあり部屋を暗くすることができます。光の明暗を利用して立体感をつかみやすいのです。それが職場だと部屋を暗くすることができません。社長など他の職人は部屋を暗くすることに関心が無く、暗くできるようにと訴えても何も変わっていません。
明るくすることには熱心でも暗くすることには全く興味が無いようです。
そこで窓にボードを置いて多少は暗くすることができましたが、去年改装した最新の職場としてはお粗末な状態です。
このお粗末な状態でずっと行くことでしょう。

このように職人というのは全く人によって感覚が違うものなのです。


このためアーチを仕上げる作業までは自宅で行うことにしていました。

アーチを仕上げる

音にも影響するオールド楽器の大きな特徴の二つはアーチと板の厚さにあると考えています。オールド楽器が手元にあったとき同様なものが現在では作られていないということに気づきます。板の厚みを測って見れば「こんな薄いものはとても作れない」と今の職人はビビってしまいます。アーチも現代とは全く考え方が違います。

それに加えて数百年という年月が化学的にも物理的にも変化を与え独特の音になるわけです。

なぜ同じものが作れないかは、現代の職人が下手だからではなく、現代の楽器製造法のほうが優れていると信じているからです。学ぼうという謙虚な態度が無いからです。

このためどのようにしてオールド時代にアーチが作られていたかは伝わっていません。

私がアーチを作るうえで重要視しているのは段階に合わせて適切な道具を使うことです。よくゴルフクラブに例えます。
はじめは大雑把に形を作り徐々に整えていき最後は綺麗に仕上げます。
この時適切な道具を選ばなくてはいけません。
ノミ→カンナ→スクレーパーというふうに道具を変えていきます。

一打目からパターを使っていればOBの心配はありませんがいつになっても終わりません。荒削りの初めの段階は大雑把に形をつかむことが重要です。

ゴルフと違うのは行きすぎたら戻ることができないことです。そのため粗削りはおっかなびっくりになってしまい、攻め切れないアーチになってしまうのです。

まだ手作りで大量生産品を作っていたころの最も安価なものは初めに板の厚さをアーチの高さに合わせ、周辺部分だけを低くしたアーチのものがあります。厚みを測れるのは一番高い所と周辺の厚みだけで、途中は傾斜しているので位置がずれてしまい値が定まりません。

ハンドメイドの楽器でも最も高い中央と低い周辺、そしてその間が滑らかな傾斜になっていればプロとして認められます。意図的に形を作るというのではなく単になだらかなカーブになっているだけです。これが現代では主流です。

この時デコボコや割れがあれば指摘されます。師匠からはこれではだめだとやり直させられます。欠点は誰にでも目に付きやすく、立体は才能のある人にしか見えないのですが、職人は才能に関係なく年長であれば師匠になることができます。

オールド楽器はこれとは全く違う考え方で作られていて現代の師匠の指摘する欠点がたくさん残っています。
オールド楽器でも特別才能のある人ばかりが作っていたわけではありません。しかし厳しく欠点が指摘されなかったので現在の様な作風ではありませんでした。

昔は幼少の時から修行をして叩き込まれたので、今とは訓練の仕方が違います。


どこまでノミで削ってどこからカンナに移るかはとても難しい問題です。
ノミという道具はどうしても刃の跡が残り小さなくぼみの集合体になってしまいます。この時手元が少しでも狂えば大きな穴が開いてしまい、滑らかに仕上げることができなくなってしまいます。
そこで完成に近づくほど注意深く作業をしなくてはいけなくなってきます。
ノミのラウンドを浅くするほどくぼみが浅くなりますが、同時に削るときの抵抗が大きくなりコントロールが難しくなるのです。
あまりに神経を使って作業をすれば時間が余計にかかりすぎてしまいます。

しかし形が作れていない段階でカンナに移ってしまうと削れる量が少ないので形ができないまま、表面がなだらかになって完成となってしまいます。このような攻め切れていないアーチの楽器はよくあります。現代では欠点の無さしか評価されないのでこれでもプロとして認められます。

メイプルの木材は繊維がうねっているため縦方向に削ると割れてしまいます。そのため先ほどの写真のように横方向に削っていくとうまくいきます。

この時横の断面にはマイナスのカーブ(凹面)とプラスのカーブ(凸面)があります。エッジにはチャネリングという溝がありそこからしばらくはマイナスのカーブになっていて、アーチの頂点でプラスのカーブになっています。
マイナスのカーブを加工するのに適した道具はノミです。ノミではスプーンでカップに入ったアイスをすくように掘り返すからです。
カンナは台の形状がカーブと合わないといけないためフィットしない場所が出てきてしまいやりにくいものです。

一方プラスのカーブはカンナでも問題なく加工できます。一方ノミはすくい上げるように彫りこむのでやりにくいのです。無理してノミだけで仕上げようとすればやはり作業効率という点で不自然になってしまいます。

私がオリジナルのニコラ・アマティを見たときに「簡単に作ってある」という印象を受けました。ざっくりとノミで形を作ってカンナでざっとならしたようです。
現代の楽器のようにカンナを多用してレンズのようなデコボコの無い面にしたわけではありませんでした。表板にはカンナをかけた跡が残っていて十分に仕上げてさえなかったのです。
そのことが手掛かりとなります。

もちろん職人ごとや、作品ごとによって違いがあるので全く同じようにすることが「正解」とは言えません。しかしカンナの動きが残っていたのはラッキーでした。

今回はマイナスのカーブについてはラウンドの浅いノミでかなり仕上げて、それに比べればプラスのカーブはそこまで仕上げないでカンナでならそうという方針でした。それでも形は作り切っていないとカンナで形を作るのは向いていません。カンナは表面をならすための道具でこれを多用するとアーチにキャラクターが無くなってしまうからです。

マイナスのカーブのほうがノミで仕上げられていて、プラスのカーブはデコボコが残っています。それでも形はしっかり作り切っています。


デコボコをカンナでならしていきます。


さらにスクレーパーで仕上げれば滑らかな面になります。
これでアーチが仕上がったわけですが、ここからもう一つ手間をかけます。

さらに周辺のチャネリングを彫りなおすのです。これは昔はパフリングを入れる工程が後にあったのでアーチが仕上がったところにパフリングを入れ周辺を彫ったのです。
このようにあとで溝を彫るとアーチのカーブの流れに不自然な溝ができます。オールド楽器ではよくあるもので、溝が強調されます。ドイツの楽器にははっきり見られる特徴で、クレモナの楽器では作者によるという感じですが、アンドレ・グァルネリはわりとはっきりしています。周辺い深い溝がありこんもりとしたアーチになっているのが特徴です。マントヴァのピエトロやバレストリエリにも受け継がれています。

まずは溝を掘る前です。定規の影のラインを見て下さい。

次は溝を掘ったあと

溝がぐっと深くなりアーチがこんもりとしたように見えます。微妙な違いですがこれでアーチにぐっとアクセントがついてキャラクターが出ます。
現代ではノミで彫った形跡が無いのを良しとするので無味無臭のキャラクターの無いアーチのものが多くなります。

このように深くなった溝には汚れがたまりオールド楽器では黒くなったり、ここだけにオリジナルのニスが残っている場合もあります。それで余計にアクセントがついてアーチの立体が強調されます。

チマチマしたオールド楽器のアーチ




仕上がってしまうと写真ではわかりにくいものです。しかし今回のものはぷっくらと膨らみがあり溝がグッと深くなっています。このようなタイプもクレモナ派には見受けられます。

アーチがどこもかしこもなだらかになっているのではなく、不自然なところがあることでキャラクターが生まれるとも言えるでしょう。これは製造工程に縛られて生じるものです。

現代の工業デザインではどうでしょうか?
デザイナーは紙の上で絵を描きます。その時、定規を使って製図のように描くのではなく、形に制約されないように勢いよくダイナミックなラインを引きます。それによって躍動感を表現します。

オールド楽器はそれらとは違います。昔の工芸品や建築の装飾もそうでしょう。ブロックの中に彫刻を施して装飾にしたりしました。

このようなものはチェロを見るとさらにわかります。ヴァイオリンは小さいのでこのようなアクセントは相対的に大きくなりますが、チェロではそのまま拡大されているわけではありません。つまりダイナミックな造形をしようと思ってやったのではなく作業工程の名残が残ってしまっているのでしょう。このような癖がオールド楽器にははっきりと残っていてこれが音響上もキャラクターになっているのではないかと考えています。現代の場合には癖を残さないことを良しと教育しています。

だから私はオールド楽器の音が良いと言っているわけではありません。見た目にも音にも個性豊かなのがオールド楽器ですから、当たりはずれも大きいと考えています。近代以降の楽器ならどれも優秀で、作者による差はわずかだということです。どこの誰が作ったものに音が良いものがあるのかわかりません。作者の知名度に関係なくたくさんある同じような物の中から試奏して気に入ったものを選ぶしかないのです。

オールド楽器の場合にも個性豊かですから試奏して選ばないといけません。

このような制約によって形が決まっているのがオールド楽器です。特にアマティなどにはそれが見られます。それがストラディバリやデルジェスになるともうちょっと自由にダイナミックに作られるようになります。

オールド楽器のこの制約は時には自由な振動を妨げ窮屈な構造になることがあります。そのため、多少アバウトな仕事をする職人のほうが豊かに鳴るかもしれません。シュタイナーなどはきっちり作っているのでかなり窮屈になっています。
ストラディバリやデルジェスが優れているのはそのような点ではないかとも考えています。

厳格に作られたオールド楽器では、響きを抑えることで、味のある音、歯切れの良い音、またいわゆる室内楽的になっているということです。もう少しアバウトに作ると、豊かでソリスト的な音になるのではないかと考えています。

もともとオールド楽器の基礎があった上で、少しアバウトにゆったり目に作られていてることで味のある美しい音は残しつつも、ソリストが使えるような楽器になっているということです。

近代の楽器ではオールドの基礎が無く形だけストラディバリやデルジェスからとったものです。ただアバウトにしてもまったく違うものです。

まあそれでも、近代の楽器の中ではアバウトに作られたものにも「よく鳴る」物はあるように思います。もちろん精密に作られた楽器でもよく鳴るものがありますから、結局弾いてみないとわからないということです。


このようなオールド楽器のアーチに対して、近代のイタリアの考え方があります。これはジュゼッペ・フィオリーニ以降に見られるもので、ノミで削っていくダイナミックな勢いを残すものです。

最初の写真に戻りますが、このような段階ではノミで削っていく勢いがあります。この勢いを失わないで表面の凸凹を無くせばいいというわけです。

そのようなモダン楽器も見かけますし、私が一緒に働いたイタリア人の職人のものもそうでした。
ミルクールやザクセンの量産品に対して、人が手作りで作っているという感じがします。そのため見ればすぐにハンドメイドのイタリアの楽器だとわかります。
そうなれば商品価値がずっと高くなります。

ただし、オールド楽器とは全く違うものだと思います。オールド楽器はもっとチマチマしていて作業工程の制約に縛られているのです。

さらに作業を進めてチマチマした感じにします。

オールド楽器のアーチの構造は作業の手順にしばられてできたということです。どのようにして作ったのか研究をしているところです。

カンナを多用すればアーチが無味無臭になってしまうということですが、「できるだけカンナは使わないべきか?」と言うと必ずしもそうではなくて、やはり効率的に作業するためには必要な道具です。
今回は作業時間がこれまでになく短くなったと思います。効率がよくなってきたということです。アマティの現物から学んだことでもあります。

だからと言って量産楽器や現代の製法での効率優先とは違いますよ。昔の製造法の常識の中で効果的な作業をするということです。


弦楽器のアーチ


弦楽器のアーチの作りというのはカーブを計算して音が予測できるものではありません。
「結果として」そうなったと考えるのが自然でしょう。

アマティの実物を見て驚くことは300年以上経ってもひどい変形もせず現役で使えるということにあります。板はとても薄いにもかかわらずです。

建築物のように荷重に耐えられるように作られているのです。実際にはフラットなアーチの楽器でも耐久性に劣るということはありません。むしろ高いアーチのほうが変形が大きいです。その中ではアマティは驚異的です。

もっと祖先の楽器のころから弦の力に耐えるために膨らみを持たせることが必要だと考えられていたようです。
ヴィオール族の楽器では表板にアーチがあり、裏板が平らなものもあります。コントラバスにもあります。

表板は膨らみを作らなければいけないというのが常識だったのでしょう。アマティやピエトロ・グァルネリでは表板のほうがアーチが高いようです。

イメージとは反してストラディバリではフラットなアーチのものは多くありません。コピーを作ろうと思ってもモデルが見つかりません。
デルジェスでもフラットなものはそれほど多くはありません。
しかし見た目の印象としてフラットに見えることはあり得ます。それはアーチの膨らみを強調する「癖」が少ないからでしょう。

19世紀にはその特徴を誇張してフラットなモダン楽器が作られ、フラットなほど音量があるという理屈になって今日まで伝わっています。実際に作って弾き比べて見れば、音量にほとんど差が無いことが分かります。

ミルクールではプレスの楽器が作られ特にアーチは平らなものがあります。
これらも音の好みは人によるので決して音が悪いと言えるものではないし、耐久性でも問題ありません。
平らな板を曲げるために裏板の中央の厚みが不足するのが問題ですが、19世紀後半にに作られたものは今でも使用できます。

アーチの高さは耐久性に直結しておらず、迷信かもしれませんが昔の人は膨らんだものを作らなければいけないと信じていたようです。

時代ごとに「常識」があるのです。






こんにちはガリッポです。

ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンを作っていますが次はパフリングです。
パフリングは作者の特徴を表す部分でもあります。

製品のコンセプトによって作り方を変える必要があります。
今回は特定の楽器の複製ではありませんが、「ピエトロ・グァルネリが作りそうなもの」を目指して作ります。
パフリングにもピエトロ・グァルネリの作法が必要です。

そもそもコンセプトなどを考えて楽器を作る職人は珍しいでしょう。
現代の産業であれば商品をどのようなものにするかという構想を立てます。それがユーザーの求めるものかどうか重要です。しかし弦楽器のような伝統産業ではそのようなマーケティングという考え方を理解する職人は少ないでしょう。師匠から教わった「正しい作り方」で楽器を作るのを良しと考えるのが普通です。今では象嵌として埋め込むパフリングは市販されていてそれを使うのが普通です。

パフリングは黒、白、黒の薄い木材を合わせて黒い二重線になっているものです。現代では黒い部分は木材の代わりに人工繊維を使ってあるものも多いです。

オールドの時代には正確な厚さに加工する機械は無かったので手作業で作っていました。そのため作者の特徴が出るのです。
ストラディバリなどは現代のものに比べれば全体として細目で、白い部分が太く黒い部分がとても薄くなっています。そうなるとほんのわずかな厚みの違いでも厚みにばらつきがあるように見えます。
0.2㎜の厚さで0.1㎜ばらつきがあれば半分や1.5倍の厚さになってしまうからです。
したがってかなり均一に作られていても手作業であるからには多少の厚みのむらできます。

それに対してグァルネリ家では黒い部分が厚くばらつきもずっと多いです。

市販品であれば厚みが均一でこのようなばらつきがありません。印象が全く変わってしまいます。

現代の職人として修業すれば厚みが均一である方が「きれい」と考えるでしょう。私の様にオールド楽器を再現することに挑戦したことが無ければこんなことを気にしたこともないでしょう。

市販品は安価な物から高価なものまであります。高価なものは本物の黒檀が使われているのに対して、安価なものは白い木を黒く染めたものや人工繊維を使っています。現代の量産品であれば人工繊維が使われています。
アマティを見ても何が使わているかはよくわかりません。ただし、白い木を染めてあるような灰色っぽい感じではありませんでした。このようなものは近代ではよく使われて、上等なオールドイミテーションのものでも見られます。

黒檀のものなら5000円位でしょうか、人工繊維なら500円もしません。黒檀のものを使えば高級品として通用するでしょう。
一方自分で作ると5万円くらいのコストになります。
5000円で高級品なのに5万円分もコストをかけて自作するべきか悩むところです。楽器を少しでも安くしたいのであれば5万円もかけないでしょう。そのうえ品質が劣って厚みにばらつきがあって「きれいでない」のですから。

私も一瞬悩みましたが、グァルネリ家の特徴を持たせれば雰囲気がぐっと変わってくるでしょう。安価な量産品ではパフリングも量産品ですから見た目に特徴があります。例えば東ドイツの量産品は真ん中の白い部分がとても細く、黒い部分は白い木を染めてあるため色が褪せて灰色に見えます。これでオールド楽器の作者のラベルがついていてアンティーク塗装されていても間違いなくザクセンの量産品だとわかるのです。

高級なパフリングを付ければ量産品には見えないでしょうが、オールド楽器には見えません。このためオールド楽器に見せかけるには「汚いパフリング」を使います。私たちもよく見かける「怪しい楽器」となります。ただほとんどの場合にはそれ以外も品質がひどく悪く単なる粗悪品であることがほとんどです。

本格的にやるにはできるだけ作者の特徴を理解する必要があるでしょう。

薄い黒檀の板を商社が扱っていたので買ってみました。厚めのものを削ってピエトロの0.4㎜ほどにしようと思いました。
カンナで削っていますがとても割れやすくできるだけ薄い削りくずで削らなくてはいけません。そうすると正確に削れ過ぎてしまい厚みにばらつきを作ることができませんでした。ストラディバリのクオリティーになってしまい完全に失敗でした。

ちなみ使っているカンナは1920年代にアメリカで作られたスタンレーのものです。100年前のカンナですが、調整をきちっとすると正確に削れ過ぎてしまいます。イタリア製の古いカンナも見た事があります。底と側面が金属で間を木材で作ってあるものです。100年前のカンナでは近代的すぎるのでしょうか?


そこで異なる方法を考えました。初めに厚めにしておいて表板や裏体の溝をそれよりも細くして、パフリングを削って薄くしながら入れていくという方法です。
白い部分はポプラを使用しました。これはとても柔らかい木で厚く削ることもでき、グニャグニャ柔らかいので適当に厚みにむらを出すことができました。0.6㎜程度です。




1.3㎜程度の間隔で2本の線をナイフで切り込んで溝を掘ります。これにはまるようにパフリングの黒い部分を削りながらハメていくとパフリングの厚さが1.3㎜になるというわけです。この時白い部分の厚みにむらがあり、削っていくのも均等に行かないので黒、白、黒の厚みにばらつきができるというわけです。

昨年のデルジェスのコピーでも同じようなことをやりました。
しかしデルジェスと違ってピエトロは溝自体は綺麗に彫ってあります。デルジェスはナイフの線が脱線していたり、くねくねと曲がっていたりコーナーの合わせ目が雑だったりします。複製を作るときはオリジナルと見比べて同じところを同じように「ミス」しなくてはいけません。そのためデルジェスの汚いパフリングを再現するのは最も手間がかかります。
もちろん本人は慌てて雑にやっていたので短時間でやっていたはずです。

これは天然の才能で汚いパフリングを自然とできる人がいます。普通に考えれば職人としては下手くそだということです。私は初めて作ったときからそれなりにきれいに作っていたのでわざと汚くしないと汚いパフリングにすることができません。

このような汚いパフリングの入った安価な楽器は偽造ラベルが貼られているものがよくあります。汚いパフリングだからと言って高価なオールド楽器とは限りません。

出来上がりです



このサイズの写真では細かいことは分かりませんが、パフリングが入ると裏板全体の形が見えてきます。

このサイズでもきれいな仕事に見えます。

これならわかるでしょうか?
パフリングの継ぎ目がセンターのちょっと右にあります。右側のほうが白い部分が太く、上側の黒い線が細くなっています。このような感じがピエトロのヴァイオリンには見られるのです。

緑の矢印の部分とオレンジの矢印の部分で白い所の幅が違います。
このようなばらつきの事を言っています。

こちらもよく見て下さい。

このようなわずかな差のために5万円分のコストがかかっているわけです。
経営者が銀行出身なら5000円の市販品を使うでしょう。

これが私のこだわりです。

安くて音が良い楽器が求められていることもわかります。そうなれば余計な手間はかけずにシンプルに作ったほうが良いでしょう。しかし安くて音が良い楽器はモダン楽器や中古品にいくらでもあることを当ブログでも紹介しています。
実際にそのようなものが日本で買えるかは疑問点ですが、それは売る人の責任です。

職人の私にできることは凝ったものを作って、それでもイタリアの新作楽器よりは安い値段で販売するということだと思います。


オールド楽器の面白さ


オールド楽器が面白いのは今とは発想が違うということにあります。現在なら高級品は綺麗に作られているもののことです。
ストラディバリやアマティなら手作業でも相当綺麗なパフリングを使っていましたが現在の機械製のものにはかないません。アマティもこの前見た二コラ・アマティはそれほどきれいではありませんでした。これは息子のジローラモ・アマティのものと雰囲気がとても似ています。二コラも年齢が80歳の時ですから無理はありませんが、ジローラモの仕事かもしれません。フランチェスコ・ルジェッリもそんな感じです。

グァルネリ家は初代のアンドレが二コラ・アマティの弟子で二人の息子のピエトロとジュゼッペが「フィリウスアンドレア(アンドレアの息子)」です。ジュゼッペにはさらに息子が二人いてピエトロとジュゼッペです。この2番目のジュゼッペが通称デルジェスと言われているほうです。

この中で職人として腕が良いのが2世代目のピエトロでアマティやストラディバリに匹敵すると言えるでしょう。そのためかマントヴァの宮廷の楽器製作者のなりました。「マントヴァのピエトロ」とも呼ばれます。私が作っているのもこのピエトロをモデルとしています。

どのような方法でグァルネリ家の職人が楽器を作っていたのかはわかりませんが、上記のような方法でやるとうまく再現できます。
ストラディバリやアマティのようにきれいにパフリングを入れようとすれば、パフリングの材料を均一に加工することはもちろん、溝をパフリングの幅にちょうど合うように彫らなくてはいけません。
それに対して今回のやり方は溝の幅にパフリングを合わせて削っていくのです。確かに隙間なく溝に収まりますがこの方法では黒い部分の厚みにむらが出てしまいます。

いずれにしてもアンドレア・グァルネリは厚みにばらつきのあるパフリングの入れ方をしていて、それを息子のピエトロも受け継いだのでした。グァルネリ家ではそれが普通だったというわけです。
腕が良いピエトロでも教わった人が粗い仕事をする人だったのでこのようになってしまったのでしょう。

現在とは発想が違います。

このような取り組みの面白さは発想の違いにあると思います。現代に修行した職人がオールド楽器のようなものを作ろうと思えば発想を変えなくてはいけません。やり方を考えてやって見て上手くいくととても面白いです。

私が外国に行って学ぶということも、日本人とは発想が違う所があって面白いからです。さらに面白いのは昔の人です。現代の常識とは全く違う発想があったのです。

昔話や古代の物語などはとても面白いです。現代の人の発想からかけ離れているからです。天才的なコメディアンがおかしなお話を考えるよりも、発想がはるか彼方を行っています。またそうかと思えば現代の人でも同じだと感じることがあります。

オールド楽器についてよく知ろうとすればするほど、現代の常識は捨てなくてはいけません。名器、高級品、美しさ・・・などの評価は今の人たちが下している評価です。オールド楽器を理解したければそれらを捨てなくはいけません。物の見方や考え方の基礎から見直さなければいけません。


世の中にはこの作品は名作だとかこれは駄作だとかそのような「評価」に関心が高い人がいます。名作か駄作かどちらかに決めないと許せない性分の人です。
品物でもこのメーカーのこの商品に限るというような事を言う人がいます。
作品自体がどうなっているかではなく、どのように評価されているかに関心が強いのです。

それは自由なのですが、物を作る立場の興味とは違います。そこから何を得られるかが重要です。

有名なのはアレクサンダー・フレミングという医師がペニシリンを発見した話です。
ブドウ球菌の培養実験中に不注意で青カビが生えてしまいました。実験は失敗で捨ててしまう所ですが、それに興味を持って調べていくと殺菌効果があることを発見したのです。それが世界最初の抗生物質となりました。

知らないものに対して興味を持つことで何か可能性が見つかるかもしれません。

同じように傑作だ駄作だと決めつけてしまうと可能性の芽を摘んでしまいます。
名作か駄作かを決めずに保留しておき、よく観察してヒントが見つかると「面白い」と感じるのです。面白さのほうが作品の評価よりも勝ります。


なにかそこからヒントが得られ、これまでできなかったことができるようになれば創造性を発揮したことになるでしょう。芸術家の評価は創造性にあるわけですから駄作をバカにするという行為は創造性の欠如と言えるでしょう。

創造性が無い人に限って作品の良し悪しを決めたがるわけですから、彼らの総意である作品の評価にどれだけの価値があるのでしょうか?


ピエトロ・グァルネリほどのビッグネームでも研究している職人はめったにいないでしょう。ストラディバリとデルジェスしか見習うべきものは無いと考えられているからです。
こんにちはガリッポです。

今日はオーバーハングについて話をしましょう。
オーバーハングというのはヴァイオリン族の弦楽器の場合に、表板や裏板が横板に比べて大きめに作られていて張り出している部分のことです。
これがギターなら横板と表、裏板とは一致しています。

なぜこのようになっているかは初めに作った人に聞かなければわかりませんが、結果的に修理のしやすさや、摩耗への耐久性に優れていると言えるでしょう。

コントラバスではオーバーハングが無いものがあり、修理のために表板を開けて再び接着するときにとても苦労します。横板がゆがんでしまいぴったり合わなくなってしまうからです。また摩耗によって横板と一緒に角が削れてしまっているものもあります。バスを横に置いた時直接横板が地面に接触するのでダメージの原因にもなります。

また現代ではヴァイオリンやビオラには肩当を使うことが多く、一般的なものはこの部分にはめ込むことで固定しています。オーバーハングが無ければ肩当がつけられません。

オーバーハングの張り出し部分の大きさはアマティやストラディバリのメディチ家のコレクションのもので~3mmです。とても状態の良いものですが、多くのものではエッジが摩耗して小さくなっているので2mm程度にまでなっているのが普通でしょう。場所によってはそれ以下になっているかもしれません。

これはドイツのオールド楽器ですがこの部分は2.6㎜くらいあります。

19世紀のフランスの楽器で私が調べたものは2.5㎜でした。
現在では2.25mmなどと言います。細かいのは英語圏ではクオーターで寸法を言うことが多いからですが、四捨五入すると2.3㎜です。

我々は師匠から2.3㎜と教わればそれで何も疑わず一生をその寸法で作るのが普通です。その師匠も師匠に教わったのです。

したがって現在なら2.3㎜になっていれば正確な腕前の職人による楽器だということになります。2.5㎜という流派もあるかもしれません。
量産品などはとてもいい加減でまちまちです。アマチュアが作ったものもそうでこれが異常に大きかったりします。
量産品でよくあって困るのはオーバーハングが小さすぎるものです。
横板のほうが大きいと接着が上手くできず、特にあご当ての下などで問題がある楽器があります。すぐにはがれて何度も何度も接着しなおす作業が必要になります。

この場合、横板を短くする修理が必要になります。
下の部分であれ横板のエンドピンのところを短くして詰めるのです。
古くなってエッジが摩耗しすぎた楽器でもこのような修理がされることが多くあります。

オーバーハングが小さすぎると肩当がつきにくかったり、すぐに取れてしまったりする原因になります。また、肩当の固定する部分が横板を傷つけてしまうこともあります。

一方オーバーハングが大きすぎる問題は、見た目に変だということなのですが、ニスを塗ったり、掃除するときには深くてやりにくくなりますし、厳密に言えば表板や裏板の自由に振動する面積を小さくしてしまうでしょう。

現代2.3㎜だとするとそれがなぜその数字なのかについて我々は考えることはありません。私が思うに、現代の新作楽器では多くの場合コーナーなどは丸みを持たせることが多いでしょう。オリジナルのストラディバリやフランスの19世紀の楽器のようにエッジやコーナーは完全に角張ったようには作らず、少し角を丸くするのです。これはアンティーク仕上げの一つです。1900年頃ミラノの流派でこのような手法が見られます。その後流行として広まりました。
オーバーハングが小さめになっていることは使い込まれたオールド楽器のような雰囲気になるというわけです。

しかし我々は師匠からそれが「正解」として教わるのでアンティーク仕上げだということは知りません。そんなところです。
ヴァイオリン製作コンクールのように角ばった「新品」として作るならもうちょっと大きめにすべきだと思います。フランスのように2.5㎜にすれば印象が違います。本当は3㎜近くあったわけですがそんなことは誰も知りません。そこまで行くと素人が作った楽器に見えてしまいます。

前回私が作ったビオラでは2.7㎜くらいありました。これも現代としてはかなり大きめです。これは設計したときは2.5㎜くらいのはずでしたが作ってみたら2.7㎜だったというのが正直のところです。

例えばザクセンの量産品では横板を厚めに作っておいて裏板や表板の大きさに合わせて削って形やオーバーハングを合わせることがあります。分業ですから横板と表板を作っている人が別です。
そのため部分的に横板の厚さが違います。場合によっては穴が開くギリギリの厚さになっているものがあります。外から見てもわかりませんからそれで売ってしまう「使い捨て」の楽器です。
一方厚い横板がそのままついているものもあります。
横板が音に与える影響ははっきりわかりませんが、構造として硬くなりすぎることが考えられます。


このオーバーハングは量産品を作るうえで難しい部分でもあります。横板と表板や裏板の形が合っていないとオーバーハングが均一にならないのです。もちろん型などを使って作るわけですが、横板を曲げるときに誤差が出やすく特にチェロでは誤差も大きくなります。

オーバーハングを均一にする方法があります。初めに横板を作ってそれより一回り大きく表板や裏板を作れば良いのです。その時に2.3とか2.5という数字が出て来るわけです。
この時の問題点は横板を曲げるときに誤差が生じやすいので出来上がる表板や裏板の輪郭の形がゆがんでしまうことです。内枠式の場合、枠と横板に隙間ができるのでちょっと横板がふくらんで大きくなってしまう事があります。うまく曲げても接着時にゆるんでしまう事があります。それに伴って輪郭の形も膨らむのです。特定の楽器の複製を作る場合このような誤差によって同じモデルに見えなくなってしまいます。

それに対してフランスの楽器製作では外枠方式を採用しました。これだと表板や裏板の輪郭は設計図の型によって作り、横板は外枠で作るので横板がゆがんで大きくなりすぎることが無いのです。小さくなりすぎることはあるかもしれませんが、トラブルにはなりません。
これによってフランスの楽器は表と裏板の輪郭の形でとても高い完成度のものもが作れましたので完璧な美しさを備えています。量産にも応用されました。

しかしオールドの時代はもっといい加減なものでした。
そもそもオーバーハングがあることで、横板と表、裏板は一致しなくて良いわけですから。均一でなくてもよかったのです。オールド楽器では摩耗していることもありますが、度重なる修理でもその都度ずれます。オーバーハングが不均一になっているのが普通です。

そのためオールドイミテーションで作る場合はどうでも良いわけです。
私などはそのような感じでいい加減に作ってきました。

ただ毎回どうなるかわからないのではスリルがあります。何回かに一回は失敗するかもしれません。注文制作で失敗したら大変です。そこで今考えているのは内枠式で外枠式に匹敵する品質にする方法です。

外枠式のデメリットは枠を作るのが大変で、違う形のものを作ることが難しくなることです。同じ形のものを作り続けるのに適した方法と言えます。フランスの楽器では完成度の高いストラディバリモデルを毎回全く同じものを作ることができました。アマティなどは毎回形はバラバラですから考え方が全く違います。

「決定版」と言えるような欠点の無い完璧なモデルを作り上げて弟子に受け継がれ同じものをたくさん作るのがフランス流なのに対して、その時のアドリブで何となく作ってしまうのがオールドのイタリア流なのです。イタリアに限らずオールドはみなそうですけども。

現代の職人はフランスほどの完璧さをも持っておらず、かといってアドリブで作るほど創造性がありません。現代のクレモナではそのようなアバウトさを伝統として教えているようですが、単なる手抜きと区別するのは難しいです。


私としてはオールドのイタリアのものも、フランスの19世紀のものも、人類が到達した最高峰だと思うのでそれ以下のものを作って揚々として暮らすわけにはいきません。


前回のデルジェスのコピーで横板の誤差が大きかったのはミドルバウツでした。
そこで今回はここの部分の木枠の厚みを増すものを取り付けました。木枠に対して隙間なく横板を曲げても高さがあるので表板や裏板の接着部分ではずれているのです。
このように高さがいっぱいまであればずれる心配が無いはずです。

外側からプラスチックの板と当て木で押さえつけています。これで外枠と実質的に同じことになります。

隙間なくピッチリ付けます。

出来上がりはこちら、完璧です。


上下の横板は肉厚のプラスチックの板が使えるのでこれで押し付けると事実上外枠と同じになります。

さらにこれを利用してライニングを接着します。

これも外枠と同じ効果です。

その結果オーバーハングがどうなったかと言えば、完全には均一にはなりませんでした。原因は裏板の輪郭を始めの設計通りに加工しようとしても0.1~0.2mmくらいの誤差は出てしまうからというのが一つ。木枠を作るときも同様です。しかし、寸法よりも視認で美しくなっていることやキャラクターが重要です。

もう一つは今回付け足したパーツが完全ではなかったこともあります。初めに木枠を作るときに一緒に加工しないと後から足すのは難しいからです。

それでもアンティーク塗装の楽器としては全く問題ないレベルで、誰が気づくでしょうか?安価な量産品のような大失敗はしていないので十分です。オールド楽器を再現するということで言えば完璧すぎます。新品の楽器としても十分通用するレベルでしょう。

前回ビオラでもこのような取り組みを始めました。今までオーバーハングが2.5㎜になることを想定して作っていたものが2.7㎜になったというのはそちらの方が正確に横板を加工できた結果です。結果的にはオリジナルのアマティとほぼ同じになりました。

普通は多少膨らんでしまうのでそれを見越して木枠を小さめに作ってありました。
これまではアッパーバウツでは誤差が少ないものの、横板の長いロワーバウツではふくらみが大きくなって、オーバーハングも上下で差が出ていました。

オールドイミテーションであれば周辺が摩耗した様子も再現するのでどうでも良いのですが、技術者としては腑に落ちないのです。

多少誤差はありますが、接着するときに古い楽器を修理するのと同様に微調整ができます。本当に古い楽器を修理したようになります。

これからはこれを使うことを前提に設計しなくてはいけません。品質が安定する上に一度当て木を作ってしまえば何度でも使え横板を接着する作業時間も短縮できます。




今回はロワーバウツの横板を一枚のものでやりました。現代ではエンドピンのところを境に2枚の板を張り合わせていることが多いです。継ぎ目がありません。
自分の楽器を見ればほとんどの人は継ぎ目があるでしょう。

オールドの時代にはよく行われていました。しかし修理で短くされたりして切れているものも多くどのように作られたかわからないものも多いです。
アマティやストラディバリなどのクレモナの楽器にも多く、ドイツのオールド楽器ではほとんどの場合一枚のものが使われたようです。
オールド楽器では写真の資料が少ないのでわかりにくいのですが、左右からの写真でグァルネリ家でも杢の向きを見ると続いているように見えるものがほとんどです。

これをやるためには横板の材料にかなり長さが必要になります。

今回用意した材料では長さがギリギリでした。余ったのは1~2mmでした。
逆にちょうどの長さだったのでやりやすかったこともあります。コーナーの曲げる位置が分かりやすいからです。

ミッテンバルトでは近代になってもこの方法が受け継がれていました。ノイナー&ホルンシュタイナーなどのモダン楽器でもひと続きになっています。


今回の取り組みは創作性と品質の高さ、生産性を両立する部分です。音楽家は気にしない所ですが・・・・。
もともとチェロを作るために考えていた方法で、チェロへの応用が最終目的になります。

リアルなコピーを目指す場合は違うやり方で、このくらいだろうと勘に頼ってつじつまを合わせる必要があります。
こんにちはガリッポです。

マントヴァのピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンを作っています。

フリーハンドで削っていきます。
とても硬い材料です。材質の特徴は嫌でも感じ取れます。
最初の板の形からヴァイオリンのアーチの形に作り変えなくてはいけません。

仕上げになれば表面をならす仕事になりますが、最初に形が取れていないとその名残が出ます。

この程度の大雑把さであとは表面をならせばオリジナルのアマティと同じような感じになるでしょう。多少キャラクターは違ってピエトロのほうがこんもりと膨らんでいるはずです。


今度は表板です。まず周辺をどんどん深くして行かないといけません。高い所はそれほど削らなくても良いのですが、周辺をどんどん彫って行かないといけません。
途中の段階ではこのように角ができます。この段階ではドイツのアーチに似ています。シュタイナーなどはこのような工程が名残として残ってしまったのかもしれません。さらにシュタイナーモデルのドイツなどのオールド楽器は特徴を誇張しています。
この期間にもイギリスのオールドチェロが来ていました。これもシュタイナーモデルのもので現代のものと違うことが一瞬で分かります。
イギリスでもドイツのものと似たものが作られていました。チェロのサイズは小さく7/8くらいしかありませんでした。
オールドで理想的なものは非常に希少です。


初心者はこの角を丸くしないといけないと思っています。しかし重要なのは周辺を深く彫ることです。周辺を彫っていないのに角を無くそうとします。そうすると断面が三角のアーチになります。周りがもっと深くなくてはいけないというのはイメージするのが難しいのに対して、角ができているところは目につきます。目に付くところだけ手を付けようとするので三角になってしまいます。

私はニュースなどでも目につく問題にだけに注目してはいけないと知っています。全体としてどうなっているかを知らなくてはいけません。そのような議論などは聞くに値しません。

そうなってくるともう危ないので指導者が見ていて「もうそれくらいにしておけ」と止められます。場合によってはこうやるんだよと手伝って代わりに作ってしまいます。教えるのが一番難しいポイントです。

そのあと小さなカンナでちょこちょこ削っていくのでアーチはいかにも初心者のものになるのです。
三角にならないように消極的になりすぎると台地状になります。これもモダン以降の楽器にはよくあるアーチです。

初心者の時のレベルで一生を終える職人も多いです。この前のヨハン・ルーザーなどもそんな感じです。

初心者のアーチだからと別に音が悪いというわけではありません。職人は作った本数が増えるほど音が良くなっていくわけではありません。初めて作ってもプロの職人のものと変わりません。

営業マンには区別がつきませんので知名度には反映されていません。名工だと言っているのが私からすれば誰でも作れる初心者的な物だったりするのです。
もし音が良くても同じような物はいくらでもあるということです。

角を丸くするとイタリア的なアーチになります。
特に表板はアーチが高く1704年のオリジナルは18ミリ以上あります。フランスの真っ平らなアーチで12㎜、現代のスタンダードで15㎜くらいです。

ただし表板の中央は弦の力で変形しているので元はもっと高かったはずです。18は低めの数字で20㎜くらいはあったのかもしれません。中央以外の部分もこんもりと盛り上がっています。20㎜あればフラットなチェロくらいです。
チェロとは横幅全く違いますから膨らみは大きくなります。

周辺が薄くなると輪郭の形を出すことができるようになります。
ピエトロ・グァルネリは綺麗なカーブをしているのが特徴です。バランスも良く中央のくびれが小さめで窮屈な構造になりにくいので私は特に高く評価しています。

表板です。
このような輪郭の形はとても重要で、もし不正確であれば、それが何のモデルなのかわからなくなってしまいます。
ストラディバリモデルで精度が低ければ何のモデルなのかわからなくなってしまいます。デルジェスのガルネリモデルは大きなf字孔がついていればはっきりわかります。そうなると消去法でストラディバリモデルじゃないかと推測することになりかねません。世の中のヴァイオリンのほとんどがストラドモデルかデルジェスのモデルだからです。

ストラディバリモデルに大きなf字孔がついてしまうともうわからなくなってしまいます。こうなると営業マンくらいなら見分けがつきません。

私の場合にはよりストラディバリモデルの中でも違いを出せるくらい正確に再現する技量が必要になります。アーチは大雑把に感覚で作るのに対して、輪郭の形は非常に精巧に作らなくてはいけません。


輪郭が決まると周辺の溝も正確に彫ることができます。溝から膨らみにつながる部分が特に難しいです。アンドレやピエトロ・グァルネリには特徴があります。トマソ・バレストリエリにも受け継がれています。
かなり高さがあるのではっきり形が見えるでしょう。


仕上げていくと写真ではアーチは見えなくなってしまいます。この段階のほうがキャラクターがはっきり出ています。逆に言えばこの段階でキャラクターを出さないとアーチに個性が出ません。

裏板の方がややアーチは低めです。この前のアマティでもそうでしたが、なぜそうしたかはわかりません。


フリーハンドでアーチを作ってキャラクターができます。やりようによってはシュタイナーのようにもなり、クレモナのようにもなるというわけです。
決してドイツ人だとかイタリア人だとか国籍で決まるわけではありません。
さじ加減一つなのです。

ドイツのオールド楽器でも四角いアーチではないものもたくさんあります。あくまで典型的なものです。一方モンタニアーナなどはドイツ的なアーチです。私が見たものはですが。



アーチはフリーハンドなので感覚だけが頼りです。具体的な寸法ではなく大雑把に形をとらえることが重要です。
0.1㎜にこだわって楽器を作っても意味が無い所です。しっかりとキャラクターを作れば音にもキャラクターができるでしょう。
ただし、法則性は分かりません。理由は分からないけど結果的に音が良いものを選んで自分の作風として行けば良いのです。

そのためにはまず違うものを作ることが重要でしょう。

弦楽器職人の世界はこれとは全く考え方違い、偉い師匠の教えに0.1mmでも外れないようにしようとそういう世界です。
アーチの高さが15mmが正しいと教われば14mmも16mmも失敗作とみなされます。「アーチの高さは15mm」と専門家として正しい知識を持っていると自信を持ち、お客さんにも説明することでしょう。職人は自分の仕事や専門知識に自信を持つことが満足感につながる職業です。そのためその流派では15mm以外のものを作ってはいけないのです。
誰も他の高さでやったことが無く、どんな音になるかは知りません。偉い師匠の教えが常識となり絶対的な自信だけがあります。


私は経験から12mmでも音が良いものができているし20mmでも音が良いものができています。だからアーチの高さは何でも良いと考えています。

一方輪郭の形にはとても神経を使います。ピエトロ・グァルネリも手早くパパっと作ったものではないはずです。
現代の優秀な工作機械でつくられたものでもこのようなレベルのものは無いです。

それについて今回は新しいアイデアを試しています、また次回。
こんにちは、ガリッポです。

ピエトロ・グァルネリのモデルでヴァイオリンを作り始めました。
何も考えずに作るのではなくて楽器を作るときは毎回新しいアイデアを入れたいところです。
今回はオリジナルのアマティを見た事もあって、よりオールドらしい楽器を作ることに燃えています。

まずは木材のチョイスから。

前回作ったピエトロ・グァルネリのコピーでは板目の一枚板を使いました。通常の板とは90度向きが違うものです。モデルにした1704年のものと同じです。しかしピエトロ・グァルネリ自体は様々な木材で作っていて、これでなくてはいけないというものはありません。アマティなどもみなそうです。
ビオラなどはとても数が少ないので。アンドレア・グァルネリのビオラはビオラの中でも最高峰です。しかしそれでも木材は中級以下のクオリティのものを使っています。アンドレア・グァルネリといっても家族経営の町工場ですから、息子のピエトロやジュゼッペの手も入っています。スクロールはジュゼッペ、胴体はピエトロのように見えます。

同じようにアマティでも、ニコラ・アマティの楽器でも息子のジローラモが作ったものがあるようです。有名なイギリスのコレクションでこれまでジローラモ・アマティ作とされていたものが、最近見ると「ジローラモ・アマティの手によるニコラ・アマティ」と書かれていました。
ジローラモが作った本物のニコラ・アマティです。
私が見た晩年のニコラ・アマティも同様かもしれません。

ホンダの自動車も本田宗一郎本人が作ったもの以外ニセモノというわけではありません。普通のことです。

オールド楽器でもこのようなもので、作者の名前と実際に作った人が一致するとは限りません。だからと言ってニセモノかといえばそうではありません。今風に言えばその会社の製品であることには間違いないからです。
このような事があるので弾いてみたり買った楽器を実際に作った人が誰なのかわからないことも多いのです。

このためあまり特定の作者を「天才」とか考えないほうが真実に近づけると思います。


木材のチョイスの話に戻るとピエトロ・グァルネリが使ったものに特別な傾向は無くいろいろなものを使っています。アンドレアはランクの低い木材を多用しているようですが、ピエトロは上等な物も使っています。クレモナから移ってマントヴァの宮廷の楽器製作者になったからかもしれませんが、材料は良いものを使っています。しかし決まったものではなくいろいろなものがあります。同じ時期には同じような木を使ったかもしれませんが、少なくとも資料で見る限りではバラバラです。

コピーなどを作るときはイメージも重要です。有名な楽器と同じような木目にするとか、よく知られているイメージで選ぶこともあります。実際にはレアでも何かのきっかけでイメージが広まることがあります。
またストラディバリやアマティなどのイメージがついている木目の物を避けるということも考えられます。ストラディバリやアマティっぽく見えてしまうからです。

このようなものです。
1703年の楽器にこのような木目のものを使ったものがあります。モデルは1704年ですが見た目は1703年のもののようにします。どちらも同じ形をしていて、おそらく同じ木枠で作られたものでしょう。

ビオラが作れるくらい大きな板でもったいないですが、ヴァイオリン用の板というのは大概ビオラが作れるくらいの大きさがあります。特にビオラ用として売られているものはもっと大きくて必要ないくらい大きいです。

うちの師匠の好みでこのような材料は古いものがたくさんあります。2003年に買ったものですがその時すでに古くなっていたものです。30~40年は経っているでしょう。

柾目板の部類には入るでしょうが、ちょっと斜めで完全な柾目板ではありません。それくらいのほうが杢と呼ばれる横縞模様に変化が出て私は好きです。

ストラディバリのコピーなら杢が太いものを使いたいですし、アマティなら細かいものを使いたいものです。実際にはいろいろな木を使っていますがイメージがあるのでそれらしく見えます。

ピエトロ・グァルネリはあまりイメージが無いので他のイメージの強い作者のものと違えば良いとも考えられます。

単純に杢が深く材料として上等です。音響的には違いは分かりません。縦の木目は年輪なのですが間隔はすごく細かくはありません。しかし最近のルーマニア産などの安いものは間隔の広いものが多く私などは安物だと見抜くことができます。一つは標高が高いと気温が低く木材の成長が遅くなるからです。低い土地では成長が早いので密度が低くなります。

この木材は密度は高く硬い材質です。それは削る作業をすればすぐにわかります。作業が難航しくたびれ方が違うからです。硬い岩盤のところにトンネルを掘るようなものです。

木材は単純に上等な物で、珍しい変わった木目ではありません。イタリアの近代の作者は割と珍しい木目のものを使うことが多くあります。これは整った方で間違いなく上等な物です。

杢の強さは通常左右の合わせ目の中心付近は強く周辺に行くと弱くなるものが多いです。なのでエッジのところの杢が弱いことが多くあります。エッジまで杢が強いといかにも上等な材料という感じがします。この木はエッジどころが端の端まで深い杢が入っています。特にチェロになるとエッジまで杢が深い上等な木材は珍しくなります。

杢が深いと加工は大変です。とても割れやすくなります。削っていてもこの材料が上等な物であることを痛感します。



表板もとても古いストックで、去年デルジェスのコピーを作ったのと同じ時に買ったものです。どれくらい古いのかわかりませんがこちらも30~40年は経っているでしょう。
この材料が珍しいのは割ってある点です。
薪を斧で割るようにのこぎりで切るのではなくて割ってあるのです。割るとまっすぐに割れないのでかなり厚めになっています。これもチェロが作れるくらいの厚みのあるものです。

何が良いかといえば、繊維の向きにそって割れていることです。木材の強度が一番出るのです。バスバーなどは特に重要で必ず割ってある材料を買います。
割ってある表板は材料のロスが多いので贅沢です。最近は売っているところを見た事が無いです。そういう意味でも古いストックに間違いありません。
普通はのこぎりで切ってあるものを使います。ひどい物だと光の反射で左右で色が違って見えます。多少繊維が斜めになっているのはしょうがありません。自然の物なので完全にまっすぐも無理です。

今回作るピエトロ・グァルネリのオリジナルもアーチはとても高いものですから、通常の材木では高さが足りなくなってしまいます。そういう意味でもチェロ用くらいの厚みが必要になります。


木目自体はややイレギュラーなものです。これくらいのほうがクレモナ派のオールド楽器っぽい雰囲気が出ると思います。典型的なのはストラディバリで中央が細かく外に行くにしたがって年輪の間隔が広くなっているものですが、そのようなものを使うとストラディバリっぽくなってしまいます。
アンドレア・グァルネリはやはり上等では無い木材を使うことが多く、ピエトロではもうちょっと上等でこれくらいがあっていると思います。プレッセンダやロッカ、フランスなどの近代の作者は間隔の広い表板を使っているものがよくあります。
ものすごく細かいものを好んで使うのはドイツのミッテンバルトの楽器です。

ストックの中でも整い過ぎているものはストラディバリのコピー用に取っておきます。

表板の場合は、木目で言うと最上級でないちょっとイレギュラーなものが私にとっては重要なものです。他の職人がいらないと手放した安いものを大量に持っています。

この表板は、分厚い塊であるわりには驚くほど軽いものです。去年のデルジェスのコピーでもお客さんに好評だったので期待できます。

もう一つ重要なのは合わせ目の加工です。

今回は自宅でやったので集中してできました。前回のビオラは勤め先でやったのでこのカンナはうまく機能せず別のものでやりました。調整が狂ったのかなと思っていましたが家ではできました。
職場は人がいるので集中力が落ちてしまいます。

職人の仕事はそれくらい繊細なものです。工場で大量生産するのとは全く違います。工場製品は機械の電気カンナを使って木工用ボンドでつけていることでしょう。

削りくずがひと続きになって出れば接着が可能です。ずいぶん前ですがこのようにカンナを調整するのに2か月かかりました。それでも鉄製なのでそれ以降はずっと使えています。木製の場合にはその都度微調整が必要です。

このカンナがあれば接着面を加工する作業は10分くらいのものです。それ以上やっても刃を研ぎ直さなくてはいけなくなってしまいます。

単純に上等な木材です。師匠は左右対称のものを好みます。楽器製作の仕事では左右対称に作るというのは仕事の精度の高さでもあります。加工精度の高い職人は左右2枚を対称に合わせた「ブックマッチ」を好む人も多いでしょう。正統派です。

私は一枚板を好みます。オールドの作者は一枚板を使っていることが多いだけでなく、立体感が見やすいからです。ブックマッチだと杢がVの字、またはヘの字になっているので目の錯覚でアーチの立体感が見にくくなります。

私のストックは一枚板ばかりなので勤め先の仕事でないと経験ができないものです。左右が対称できちっとした印象を受けるでしょう。

そういう意味では、師匠の好みを反映してちょっときちっとした感じの楽器になるでしょう。歳を取ると保守的になって来るので趣味がそうなっていきます。

宮廷の楽器製作者として美しい楽器を作っていたピエトロ・グァルネリとの相性も良いでしょう。当時高いアーチはどちらかと言うと保守的です。1703年のものはこのような木材を使っているのでイメージもばっちりです。


今回のコンセプトはオールド楽器でもデルジェスのような荒々しい作風ではなく、独特の丸みがあって美しい物です。

しかし現代風にしてはいけません

パフリングも白と黒の太さで言えば機械で作られた市販品でちょうど良いものがあります。しかし、ピエトロのものは太さにばらつきがあります。ストラディバリに比べてもばらつきが大きいです。

これも市販品は使わずに自作しようと思います。もちろん誰もそのような違いには気づかないでしょうし、機械で作られたもののほうが加工精度は高いですが、あえて手作りのばらつきを持たせようというわけです。手作りすればパフリングだけで数万円の「作品」になります。

これがデルジェスの場合にはパフリングの仕事が粗く、くねくねとうねっていたりします。デルジェスのコピーではオリジナルと見比べて同じ場所に同じエラーをしなくてはいけません。今回はそこまでは必要ないと思います。適当にばらつきが出ればそれで良いと考えています。

ピエトロはクレモナ派の中でもトップクラスで整った楽器を作っていますが、パフリングには多少グァルネリ家の特徴が出ています。
溝を掘ってパフリングを入れる作業は綺麗ですが、埋め込むパフリング自体がグァルネリ家のクオリティーなのです。

パフリングに手作り感があるとオールドっぽさはぐっと強まるでしょう。でも誰も気づかないでしょう。あくまで雰囲気です。


アーチは高く、板は思い切って薄くすれば音には、普通の物とは全く違う濃い味が出るでしょう。そのうえで見た目も美しいものですが、現代の基準とは違うものです。
特定の楽器のコピーではなくいくつものピエトロの楽器を見ながら感覚をつかむのが目標です。
このような作業はとても重要な訓練になります。

単にコピーであれば何も考えずお手本と同じに加工すれば良いわけですが、作者の癖を自分のものにするということです。オールドの作者は一台一台ばらつきの大きな作者もいます。ピエトロはほとんど同じものを作っています。
スクロールだけは型に忠実にというよりは、フリーハンドの感じがあって全く同じではありません。それはグァルネリ家の仕事の仕方なのかもしれません。アマティ門下でもフランチェスコ・ルジェッリになると独特の形があって、そういうことも面白いです。
こんにちはガリッポです。

楽器作りは時間を忘れてしまいます。すぐに一週間が過ぎてしまいました。
およそ工業製品を作っていると思えないような作業です。

ピエトロ・グァルネリはとても美しい楽器を作った人でビジネスライクでは同じような物を作ることはできません。ストラディバリと同じ時代に楽器を作っていましたが、ストラディバリの影響はなくアマティの弟子の父親アンドレアが基礎となっているでしょう。アンドレアは仕事は綺麗ではなくグァルネリ家らしいものですが、ピエトロだけは完成度の高いものを作っていました。

現代の工業製品とは全く発想が違います。
そのため何年経っても価値が落ちません。これも現代の発想と違うからこそです。


弦楽器を作るのがほかの職人の作るものと違って面白いのは、手の込んだ高価な品を飾っておく、箱に入れて大事にしまっておくものではないことです。道具として使用できること、それも音楽という芸術を生み出すための道具という所にあると思います。

逆に言えば高級品はそれを使用して効能が優れているということではなく、品物自体に価値があり、それを持っていることに喜びを感じえるものだと言えるでしょう。もちろん道具としての機能性に優れたものもあります。全く使用しない高級品もあります。

腕時計などは高級品でなくても、時間は変わりません。高級時計を買えば一日が25時間になるならぜひ欲しい所ですが、そういうわけにもいきません。時間を知るという機能なら電波時計のほうが優れています。
そこで高級時計の価値を信じている人とそうでない人の論争が起きます。

高価な時計をしていると立派な人物だと認められるとか、自分が立派な人物になったと自信を持てるという言い方がされます。またそれに対して、値段やブランドが大事で品物の良し悪しが分かっていないと批判を受けます。

よく考えてみると高級品は本来の意味でそれ自体に価値があって何かに役に立つということは2次的なものだと思います。今の人たちに売るためには何か効能があるということを口説き文句にしているのでしょう。買う方も無駄遣いといううしろめたさを感じていて正当化するためにウンチクが必要です。


伝統的に高級品を売ってきた側としては、名前が有名で値段が高い・・・誰もが高級品だと知っているということが、高級品では重要でしょう。一方現代の消費者のほうは、値段が高いのだから何かが優れているはずだと思い込んでいます。これがギャップになっていて、トラブルの原因になります。

高級品は熟練した職人が作っているので品質が良く、丈夫だというイメージがあるかもしれません。もちろん粗悪品に比べればそうでしょう。しかし、扱いはデリケートで手入れや保管方法を間違えればダメになってしまうようなものも高級品の特徴です。工事現場で使用するような道具のほうが丈夫なのです。ダンプトラックは丈夫で強力なエンジン出力、大きく値段も高価ですが、高級車とはみなされないでしょう。
私は小さいころダンプカーが好きでおもちゃで遊んだものです。高級車などは興味がありませんでした。高級車が分かるのはもうちょっと大きくなってからでしょう。
プロのコントラバス奏者でもなんでコントラバスを弾いているか聞けば、子供の頃デカくてカッコイイと思ったからと言う人がいます。コントラバスの低音は大人になっても魅力的です。


私はお金持ちの家に育ったわけでもないし、両親も無駄遣いをするような派手な生活をする人ではありません。父親はエンジニアで家族はみな理系です。
高級品とは縁のない暮らしをしてきました。しかし、両親はひどく安いものは買いたがらなくて、必要なものはちゃんとしたものを買う感じでした。
実家で30年くらい前に買ったナショナル(現パナソニック)の電子レンジは今でも使えます。当時の日本製品は品質が良かったです。
学生時代には老舗の紳士服店でスーツをしつらえるように言われました。一般の学生よりは高いものを着ていたのでしょう。


中高生の頃「なんでも鑑定団」という番組が始まってとても興味を持って見ていました。BSでやってたイギリスのアンティーク鑑定の番組も好きでした。

もちろん私は高価な品物を所有することに興味があったわけではなくて、職人が作るものに興味があったわけです。お金持ちになることに興味があるならビジネスに夢中になるかもしれません。アメリカの昔の起業家などは子供のころから大人相手に商売していたなんて話もあります。

しかし現実的には自分が物を作る才能があるということも自覚していなかったので、学校の成績で入れる文系の大学に入りました。就職しなくてはいけなくなってもまったくピンと来なくて就職活動に出遅れてしまいました。それで調べていたら弦楽器を作る仕事があるということを知ってこれは面白そうだと思ったわけです。

日本の伝統工芸の職人などは、「時代に合わないから売れないだろうなあ」と感じていました。それに対して弦楽器は実用的な機能があるので、技術を開発すれば良いものができるんじゃないかと考えていました。ストラディバリという存在を知って、どうやって音が良い楽器を作ったのか興味がありました。

むしろ音の方に興味がありました。
修行を始めると、きれいに正確に加工することが求められました。それももちろん面白くて、今でも産業として考えると「きれいすぎる」物を作ってしまいます。今の工房に入ってすぐに職人の仕事というのは「博士の仕事ではない」と言われました。博士の仕事というのは研究者が論文を作るように間違いのない完璧さが求められるという意味です。

それでもどうしても完璧に仕事がしたかったから、いつしか許されて「こいつはそういうやつだ」と師匠からは扱われるようになりました。適材適所で仕事を割り振れば良いわけです。

今また新人に教育していると、そういう事を教えられたのに無視して違うことをやっていたのに気づきます。多くの人は根気が続かなくて、完璧さを求めるのをすぐにギブアップしてしまいます。

自分でも完璧主義では仕事にならないし、オールドの作者もそうでもないので、間違った考えだとは頭ではわかります。それで思いっきり雑な仕事をするとお客さんに出せないものになって失敗になってしまうのです。今でも難しい問題です。


このように腕の良い職人の作るものは品質が完璧だと特徴づけられるでしょう。しかし、一方で非常に正確に大量生産できる機械が開発されたらどうでしょう。弦楽器は難しいですが、一般的な工業製品ではあることです。機械で作ったもののほうが完璧なのです。例えば手打ちうどんなどもそうです。

そうなると今度は「手作りの味」と言い出します。

それを許すと下手な職人の作るものでも、素人が作ったものでも良いことになります。


食べ物などで、高級食材で「柔らかくておいしい」という事があります。一方で「歯ごたえがあっておいしい」というのもあります。何が理想かという決まりはないのです。


職人として生きていると、やはり高級品というのは希少性だと思うのです。




私の勤め先の初代の職人は主に戦後から1970年くらいまでヴァイオリンを作る仕事をしていました。今でも修理や、弾く人がいないからと売却のために持ち込まれることが多くあります。ものすごくたくさんの数を作っていました。

戦後の経済復興で需要が増大したのに職人が少なく供給が不足していたのでしょう。それなりに有名だったこともあって次々と注文が入ったそうです。私が就職したころにはそんなにどんどん注文が入るような状況ではありませんでしたが、それでも常に楽器を作っていました。

それがいつしかお客さんは古い楽器を求めるように変わってきました。それで新しく楽器を作るよりも修理の仕事が多くなりました。

復興期には「作れば売れる」という時代があったようです。先代の社長の80年代でもヤマハの電子オルガンなどを大量に音楽学校に納入するなど羽振りが良かったそうです。トヨタのハイエースを持っていて活躍したようです。ハイエースはその後売却したら買った値段よりも高く売れたなんて言っています。そんなこともあって日本人に絶対的な信頼があってひいきしてくれているのです。


私たちが職人を目指すころには楽器を作ればどんどん売れるような時代ではありません。どうやって楽器が売れるようになるか考えなくてはいけません。

昔は音を試すこともなく注文が入っていたのに、今は試奏して音が良い楽器を選ぶようになりました。そのため音量が得られやすい古い楽器が好まれるようになってきたのです。今売れるためには音が良くないといけません。

20年前と今でも変わっています。うちの工房も老舗のネームバリューで売るのは難しくなってきました。


私が日本で修行を始めたころは、「クレモナの巨匠」がもてはやされていました。買った人の話ではろくに試奏もさせてもらえず、巨匠のものだから良いに決まっているということで買ったそうです。
それが今になって音があまり好きじゃないと相談を受けました。


高級品を買うというのは「有名で高価な品物」を所有することが目的のものだったようです。憧れの名品を手に入れるのが目的なのです。
今の消費者はそうではない考えを持っています。音の良さが評価されて値段が高くなっていると思い込んでいます。高い楽器を買ったのに音が良くないという不満が私に寄せられます。しかしそうではないのです。消費者が変化しているのに売り手が昔のままです。それを話すと「そんな昔の商売をしているのか?」と驚かれました。



うちのところでは完全に弦楽器が道具とみなされるようになってきました。お店に良い楽器は無いかと来るわけですが、いくつか用意すれば、楽器を見ることも説明も聞くこともなくさっそく弾き始めます。日本でまだ20年前の商売が続いていると聞くと時間が止まっているなと思います。

もちろん一定の割合で高級品を所有することに喜びを感じる人はいるでしょう。完全に過去のものとして無視することはできません。特に日本の高級品のビジネスではこの客層を重視した経営をせざるを得ないのでしょう。



そのように時代は変化しているわけですが、教育などは最も変化の遅いものです。我々が楽器製作を学ぶ時には何十年も前の考え方で教わります。師匠の師匠、それまた師匠くらいの時代の考え方を学ぶのです。

最初に基礎を学ぶことは悪いことではありません。しかし、それで作っても自動的に売れた時代ではなくなっています。そのため師匠や先輩の考えと対立することになるのです。



今の私たちは初めから「機械などの製品は性能が良いものほど高価」と知っています。昔の高級品とは考え方が違います。今の人は昔の高級品の考え方を知らないのです。私も技術者なのでそうでした。


よくビジネスの手法で「モノを売るな」ということが言われ聞いたことがあります。ものを売らずに何を売るのかと言えばいろいろありますが例えば「体験を売れ」などと言います。私は物を作る人間なので「モノを売るな」と言われると腑に落ちません。

それで説明を読んでみるとこれからの時代は物を所有すること自体が目的ではなく、それを使用して得られる事が重要だというのです。そのため考え方をこれまでとは変えなくてはいけないのだそうです。

「ええ?」そんなの当り前じゃないかと驚きました。
読んでみると昔はそうではなかったそうなのです。それでうちの会社でも昔はそうだったんだなと歴史を学ぶとわかります。

今なら70歳くらい以上、盛んに言われたのが10年くらい前だとすれば当時の60歳前後の経営者なら、「これまで…これから」ということでビジネスの教えになりますが、私の世代なら「これまで」を知りません。消費者のほうがさらに先を行っているでしょう。



私は初めから音の違いを作り出す技術に興味がありました。師匠に教わった方法で作った楽器の音が気にいらなかったので、研究をしてきました。

ピエトロ・グァルネリなどは現代の楽器とは見るからに違います。それくらい違うものを作らないと音にはっきりとした違いが出ないということが分かってきました。
職人というのは0.2㎜違えばものすごく大きな違いのように感じるものです。魂柱の直径は6.2㎜と比べて6.3㎜だとかなり太いなと感じます。お客さんに、「こんな太い魂柱ではダメです。交換が必要です。」と言ってしまう職人もいるのです。

でもそのような違いは音にははっきりした影響は確認できず、もっとはるかに違うものを作らないと傾向をつかむことができません。創意工夫したつもりでもあまり意味が無いことが多いのかもしれません。職人は自分のこだわりを語ります。話を聞くと音が良い楽器の作り方の秘訣を知っているように聞こえます。細かい違いにこだわっているほど精通しているという誤解があります。

私はそういう事に疑念を持つのは、もっとぜんぜん違うものを作った事があるからです。また今回も同じような違いが出るのか面白いものです。もちろん前回のピエトロ・グァルネリのコピーの音が印象的だったからです。何度でも作れれば技術として確立したことになります。


現代にユーザーに求められる高級品は、売る側、作る側の考えよりも先に行っています。私は皆さんに教えるようなことは無いです。
そうではなくて、我々が時代遅れの考え方をしていることを訴えています。お店の人は分かっていないのです。


今、高級品に求められているものは、名品を所有するというだけで終わりではありません。それなら金庫に入れておくべきです。

一方完全に道具としか考えない人にはもう少し、職人の生み出す物の価値を分かってもらいたいという思いもあります。日本人はまだ、そのような感覚を持っているようです。



















こんにちはガリッポです。

こちらでは何となく感染の恐怖感は薄れてきて次第に関心が経済に移ってきています。日本では感染拡大時期とスピードを遅らせることに成功したのでまだまだ先になると思います、でもその分被害も制限も少なく済んで、回復も早いでしょうからもうひと我慢です。

弦楽器は製作したり、仕入れたりしても何年先に売れるかわからないようなそんな産業です。明日売れるのか10年先なのか20年先なのかもわからないものです。それは営業マンの努力で楽器を売るのではなく、演奏者との運命の出会いがあって楽器が売れるからです。したがってかつてのリーマンショックでもそんなに影響を肌で感じることはありませんでした。

「安くて音が良い物」を重点的に揃える師匠の方針も秘訣だと思います。


私自身はインドア派ですからそんなに生活が変わっている感じでも何かを我慢しているわけでもありません。
仕事は家で続けていて、いつものように自炊しています。


それでもウィルスが身近に迫ってきて最悪な事態も想定して準備をしなくてはいけません。そうなると気分はいつものようにはいきません。一日中感染者の数字やニュースを見ても事態はその日のうちには変わりません。
世の中は生きていくのに最低限必要な物に重点が置かれていきます。楽器などは無くても生死には影響しません。自分のやってきたことにそこまで価値が無いかとも考えてしまいます。

ヴァイオリン作りを始めましたが、運動不足もあるのか力が湧いてこなくて、長時間の作業が応えました。でも、だんだん元気が出てきました。私にとっては楽器作りが元気の素なんだなと実感しています。

私にとっては今の生活は楽器製作に没頭しやすく充実しています。
何かを我慢するようなことはありません。



しばらく楽器の個性について考えてきましたが、音響面で明らかな差になるためにはよほど作りに違いが無いといけないのだということを改めて感じました。

作者ごとに癖などがあってもそれは些細なことで音には差が無いレベルかもしれません。規則性を見出すのは困難です。同じように作ってもなぜか音が微妙に違うという、そのような感じです。そのためどこの誰が作ったものがどんな音がするのかわからないのです。弾いてみるしかありません。



西洋の人は日本人よりも我が強くて自分を押し殺して何かを学ぶということは難しいです。お手本通りにきちっとしたものを作れる西洋の職人は少ないです。現在の職人の楽器を写真で見ていれば形が整っているのはアジア人です。ヨーロッパの人たちはかなり独特な楽器を作っている人が多いです。

だからと言って個性的な人が多いかと言うと、私は予想よりも常識人が多いと思います。私が外国に行こうと思った理由も、日本の同調圧力に合わなかったからでしょう。しかしこっちに来ても私ほど変わった人はあまりいません。
ワールドクラスの変人なのでしょうか?

西洋の人たちは一見個性的なように見えても根本的には常識人です。
もしかしたら日本人のほうが一見個性が無いように見えて、とんでもない変人が潜んでいるのかもしれません。

楽器も一見個性的に見えても、根本的な楽器の作りは常識的で音も「普通」というのが現代の楽器製作でしょう。


私はまたピエトロⅠ・グァルネリのコピーを作りはじめましたが、もう当たり前のようです。しかしとんでもなくおかしなものを作っています。

最大の特徴はこんもりと膨らんだアーチにあります。見習の職人に教えている一方で全然違うものを作っています。「正しいアーチの高さ」からあまりにも逸脱していて見るからにぷっくりと膨らんでいます。正しい作り方ではないと現代では考えられています。つまり音が悪いので作ってはいけないと考えられています。


このような膨らんだアーチのものを作るのは現代では常識からぶっ飛んでいます。
膨らんだアーチの楽器ばかり作っているのは頭がおかしいです。

私は中高生の頃も、不良などには全く憧れることが無くわが道を生きてきましたが、みな同じ格好をしていた不良の同級生たちもそろそろ更生して立派な常識人になっていることでしょう。私のようなマイペースな人の方がタチが悪いです。

うちの師匠も若いころはかなりの遊び人で社長の息子ということもあってやんちゃしていたことでしょう。
それがもう50代半ばでとても保守的な事を言うようになっています。楽器製作の趣味も90年代に働いていた抜群に腕のいい日本人の影響を強く受けていてきちっとしたものを好みます。
弟子に作らせるとしたら普通はストラディバリモデルをきちんと作らせます。

私は古い楽器の面白さにはまってしまって常識外れの楽器を作りたいわけです。
師匠はコロナウィルスが流行する前から私がヴァイオリンを作ることを考えていました。去年のデルジェスのコピーが注文主に拒否されても在庫になるので良いと考えていたくらいです。

修理の仕事が終わったので、なにを作るか話し合わなくてはいけません。
私が「ピエトログァルネリのモデルが音響的にも一番おもしろい」と言ったところ、即座にOKしてくれました。自分の店で売る楽器にはうるさいですから、他人にはわからない師弟の信頼関係があります。

師匠としては、何かの楽器の忠実な複製ではなく、良い楽器を作ってアンティーク塗装にしようという考えでした。私はどちらの仕事も面白いです。
できるだけ忠実に作ろうという試みはオールドの作者から多くのことを学ぶことができます。そうすると実は昔の人は割と適当に作っていたことを知ります。
毎回きっちり同じものを作っていたわけではありません。そのためある楽器の寸法を経典のように信じることは作者本人がやっていたこととは全く違うのです。

職人として同じレベルになるためには、感覚的に作れなくてはいけません。
でもその時代に修行した職人のように完全に感覚的に作るのは難しいです。そういう意味では補助輪を外して独り立ち始めるような仕事になります。

つまり具体的に何かと一緒ということではなく、ピエトロ・グァルネリやその弟子、他のクレモナ派の一人のような楽器を作るということです。それが身についているということです。名器をコンピュータでスキャンして3Dのデータとして工作機械で加工しても、同じ能力は身に付きません。
これまでも何度も作ってきたことで練習はできています。さらにアマティの実物を見た事でより細かいところで「これくらいなんだ」ということが分かりました。

アマティは80歳くらいの時の楽器でしたが、この調子で行けば私が80歳になったころには同じような物ができるかもしれません。

まあまあ、そういう意味でとてもモチベーションも高い仕事ができるようになっています。ここまで来るのは簡単なことではありませんでした。
私は自分の時間で楽器を作って、それをお店でもお客さんにも試してもらって評判が良かったので師匠もビジネスとしても成立するということが分かってきたわけです。
お客さんのほうが先に良さが分かったのかもしれませんが、師匠もお客さんの声に敏感で柔軟性がある人です。厳格な師匠なら破門されていました。

そうやってケンカすることなく改革を行いました。


それくらいおかしな楽器を作っています。
でもよく考えてみると実際に魅力的な音がするオールドの名器をおかしな楽器と考えいてる現代の楽器製作の常識のほうがおかしいのです。


ピエトロ・グァルネリのコピーは出来上がって自分で弾いても思わず笑みがこぼれるような魅力的な音でした。作っていてもアーチの膨らみに思わず笑みが出ます。
丸くてぷっくりしているのも作っているのが面白いです。ピエトロがずっとそればかり作っていたのは面白かったからでしょうか?
まあ、いつもそれを作っていればそれが普通になるだけです。感覚で作っていましたから。

なぜオールド楽器がそのように作られていたかは本人に聞かないとわかりません。しかしアマティは楽器の耐久性を考えていたのでしょう。それは近代になってもっと少ないふくらみでも耐えられるということが分かっています。

フラットな楽器を作るために最適な製造法がこの200年の間に確立してきたことでしょう。その中で近代のイタリアの楽器は「手作り感」を出して量産品との違いをアピールしています。例えば、フィオリーニやサッコーニのことです。一緒に働いたこともあるイタリア人の楽器にもそれは現れていました。

でもそれは近代の楽器作りを応用して作られたように思います。そのような事もまた詳しく語っていきたいと思います。


アマティとピエトロ・グァルネリのモデルや構造の違いが音にどんな違いになるかは興味深いです。アマティのコピーも作りたいです。これまではアマティはビオラばかりで、ヴァイオリンはバロックヴァイオリンを3本作りました。
バロックヴァイオリンでも音のキャラクターはあります。
ずいぶん前なのでまた作ってみたいです。

興味は尽きません。










こんにちはガリッポです。



まずは去年の秋から作ってきたビオラから。
当初から予定していたスケジュールのとおりに完成したので弦を張ってみました。

弦はピラストロ・オブリガートのセットです。
さっそく弾いてみると思ったほど低音は豊かではなく明るい感じがしました。その代わりに、反応がダイレクトで強さがあります。A線はいつものように柔らかく、ビオラ特有の鼻にかかった音にはなっていません。ヴァイオリンのA線のように素直な音です。

翌日にもう一度試すと、ずっと低音が豊かに深みが出てきました。人が弾いているのを聞いても明らかに暗い音のもので、いつものビオラのようなものとなるでしょう。
ただし、もやっとした柔らかい低音ではなく筋肉質な乾いた音になっていると思います。

弦楽器の音は一長一短で低音のボリューム感が増えれば歯切れの悪い不明瞭な音になるのに対して、ダイレクトな手ごたえ、すっきりした抜けの音になれば量感は減ってしまいます。

暗い音なのににぶい音ではないという点で演奏家には好まれるタイプの音だと思います。

とはいえ、まだできてすぐなのでこれから変わってくるでしょう。というのは新品のビオラはすぐに魂柱がゆるくなってしまうのでかなりきつくしてあります。表板と裏板のつっかえ棒ですから、自由な振動を抑えてしまうのです。

駒は高めにしてあります。低すぎると高くはできないのに対して、高すぎるものは加工して低くすることができるからです。ニスが乾くときに引っ張られてフラットになっていたアーチが戻ってくることもありますし、弦の力でネックが下がってくることもあります。
チェロなどはネックを持つだけで胴体の重さで角度は微妙に動きますから。

楽器が落ちついたところで再び調整が必要です。一年もすれば駒を1~2㎜くらいは低くする必要があるでしょうし、数年でもちょっとずつネックが下がってきます。

なので始めは高すぎるくらいにしてあります。それも音が引き締まっている原因と考えられます。もっとゆったりと楽に音が出るようになるでしょう。

板は十分薄くしてありますから設計ミスということは考えられません。これが厚い板できつく魂柱を入れていればもっとカチコチの楽器になったことでしょう。


基本的には高いアーチの楽器らしい、スカッとした抜けの良い音が魅力になっていると思います。この前はアマティのヴァイオリンの話をしましたが、この楽器は多彩な音になっていると思います。
低音にはちゃんとビオラらしい鼻にかかった傾向があります。しかしA線は柔らかいものです。低音と高音は矛盾するものですが、両立しているのは珍しいと思います。

この辺りは私が作る楽器の音としても、前回のデルジェズのコピーから柔らかいばっかりではなくなってきたところでもあります。何故かはよくわかりません。




楽器選びの時と購入してからでは音の評価も変わってきます。
とくにビオラは比べるものが多く無いので相対的に他の物より優れているかではなくて、絶対的に満足できるかが重要だと思います。そういう意味では気になるようなネガティブな部分は少なくバランスが取れていると思います。

これからが楽しみです。


ヴァイオリン製作の開始


ヨハン・ルーザーのヴァイオリンを修理していましたが、これは終わりました。

それで新しいヴァイオリンを作り始めました。これは勤め先の楽器で、注文などではなく店に置く商品として作るものです(見込み生産)。そのため師匠の求めるものを作ります。目指すのは今回のビオラと同じような物です。
何か特定の名器のコピーというわけではなく、上等な材料を使って高品質な楽器を、オールド楽器のようなスタイルで作ってアンティーク塗装にするというものです。

モデルは私が過去に作った中でも音が印象的だったマントヴァのピエトロI・グァルネリのモデルにします。
自分が作った中でも特に好きなものです。
ピエトロは木材は様々なものを使っていて特に決まりはありません。しかし作風はとても似通っていてアーチはいつも同じように高いものです。
アマティやストラディバリ、デルジェズなどとは違い作風が固まっているタイプの人です。美しさという点でも完成度が高いので師匠も満足です。

高いアーチの楽器を作るには材料は厚みが無いといけないのでとっておきのものを使います。去年のデルジェスのコピーと同じストックの表板を使うので音の点でも有利でしょう。

裏板はオーソドックスな柾目板の2枚甲です。師匠の好みでもあります。私は1枚板ばかりを使いたがります。材料のストックの傾向が全然違います。私は一枚板ばかりです。
ピエトロももちろん同様の板を使ったものがあります。
これもとても古い材料で同じように作ったなら音響的にもメリットがあるでしょう。

夏には完成すると思いますが、普段は忙しくて修理ばかりでなかなか新作の時間が取れないので良い機会です。
ただし、しばらく自宅にこもって熱心に練習していた人たちの楽器も消耗しているでしょうから夏にはメンテナンスの仕事は増えるかもしれません。

作るなら今のうちです。
いつ帰れるようになるかはわかりませんが、日本にも持って帰ることもできるかもしれません。売れずに残っていれば値段は税抜き16000ユーロくらいで輸出することもできると思いますが師匠と相談が必要です。

良い楽器というのは一年や二年の出来事で価値が左右されるようなものではありません。良いものを作りましょう。

魅力的な楽器を作ろうと研究してきた結果が出てきて、一年を通して楽器を作る「ヴァイオリン職人」になってきました。ヴァイオリン製作は学んだけどもしばらく作っていないという名ばかりのヴァイオリン職人は多いですから。



同時にアマティのコピーも私の自由時間を使って作りたいと構想中です。体力を消耗するわけにもいかないので作るのはもう少し先です。特に日本の女性の方のためにやや小さなヴァイオリンを考えています。7/8と4/4の間くらいで弦長が5㎜短く子供用ではないけども、弾きやすいというものです。
アマティについては調べていたので発見がいろいろとありました。


ヨハン・ルーザーのヴァイオイン


さてヨハン・ルーザーのヴァイオリンが仕上がりました。

ペグの穴を埋め直し、新しい指板を付けネックを入れ直しました。ネックは5㎜短かったので付け足したものです。
長くなったのでネックも削り直しが必要です。
これで理想的な状態になりました。

表板は古く見せかけるためか黒く塗られているところがあります。不思議なことベースのニスとは性質が違うものが塗られていてちょっとこすると黒い色が取れてしまいます。半分より右側はちょっと研磨したところです。
これは作者本人がやったのか後の時代の人がやったのかわかりません。
いずれにしてもとてもわざとらしく汚らしいもので安価な量産楽器のように見えます。
ニスの性質が全く違うことから後の時代の人がやったのではないかという気がします。

私が補修してみました。すでに150年近く経っている楽器ですからことさらに古く見せかけなくても味が出ています。
これくらいのほうがモダン楽器という感じがします。

琥珀色のようなモダン楽器らしいものになりました。

これもいわゆるガルネリモデルで大きなf字孔が典型的です。特に左のf字孔が中央に寄っています。これだとバスバーが正しい位置に付けられません。f字孔の穴のところにバスバーが来てしまうからです。ちょっと困ったところです。
黒い色も一部だけ残して落としました。


スクロールはすごくきれいではありませんが、渦巻を専門に作る職人のような感じはしません。


裏の部分の彫り方がかなり変わっています。でもたまにこのようなものがあります。偶然の一致で流派に共通する特徴ではなさそうです。
精密な仕事ではありませんが、コンパスの跡があったり手作り感はあります。


気になる音ですが、弾いてみると意外と「普通」という印象を受けました。見た目には作者の癖があるので音も個性的かと思いましたがそうでもありませんでした。

決して悪いことではなくてこういう時代のものは癖が強かったり耳障りな嫌な音がするものが多いのです。そういう意味ではとてもバランスが良いものだと思います。明るくも暗くもなく、鋭くも柔らかくもないものでちょうど中間です。さすがによくある新しい楽器に比べれば落ち着きもあり、単純に音量があると感じられるでしょう。

値段は50~100万円のゾーンの楽器です。量産楽器からステップアップするのに最適なものです。
優等生的なバランスの良い楽器です。これにイタリアのモダン楽器の作者のラベルを貼ってしまえば気付かないかもしれません。だって決して音が悪くは無いのですから。明るさもあります。巨匠の作品だと刷り込まれてしまえば良い音に聞こえてもおかしくありません。

やはり、フランスの一流の作者のような楽器のほうが作れる人は珍しくて希少です。教科書通りに作られているので一見個性は無いように見えます。しかしヴァイオリン全体で見れば珍しいものです。このような個性のある楽器のほうが平凡なものです。

現代でもフランスの一流の職人のような楽器を作れる人はわずかですから、このようなレベルの楽器はよくあると思います。それでも150年近く経っている分希少だと思います。値段は100万円もしないのですから初心者が次のレベルにステップアップするには非常に良いと思います。弦楽器を知らない人なら50万円でもびっくりするくらい高いですから。150年も前のアンティークのものがあるというだけでも驚きです。

これが作者の名前もわからなければ50万円前後になるのでさらにお得です。名前が分かっているので100万円くらいつけても高すぎると言われることは無いでしょう。

皆さんには個性があるということは分からないかもしれません。それはしっかりとモダンヴァイオリンの基礎を理解していないからです。それはしょうがないです。ヴァイオリン職人でも理解できる人は少ないのですから。

個性について


「個性」については様々な理屈がごちゃごちゃになっていると思います。

大量生産品とハンドメイドの違いを説明するのに、個性という言葉を使ったのかもしれません。量産品は同じものをたくさん作り、分業で部品ごとに違う人が作っています。そのため作者個人のこだわりはありません。

私は、個性があっても無くても十分な品質で音が気にいればそれで良いと考えています。だから大量生産品だからダメということもないと思います。個性があるからと言って大量生産品より劣るような素人が作ったようなものでは意味がありません。


あとは芸術家としての精神論がありますね。

「人の真似をするようなのは志が低い!」とか考える人もいるかもしれません。
弦楽器職人の現場とは全くかけ離れたイメージだと思います。

一つは規格化された道具であること。スパナやねじ回しなどを買うときに「個性が無いのはダメだ!」と言う人がいるでしょうか?個性的なスパナやねじ回しでは大きさや形状がバラバラではネジに合わないのでうまく機能しません。使いやすさも研究され尽くされてどういうものが良いかは業界として定まっています。

道具とはそういうものです。
少なくとも我々職人が工具を買うときに、「個性が無いからダメだ」なんて買い方はしません。質が高く使いやすいものを求めています。優れたものは類似品がたくさん作られます。工具メーカー同士が切磋琢磨して完成度が上がっていくということもできます。
変わった発明品よりも、オーソドックスで質の高いものが欲しいです。テレビショッピングやホームセンターで売るなら、「画期的なアイデア」のほうが良いでしょうけど、プロはそんなものに惹かれません。

音楽家でもプロであるほど能書きよりも実力で選ぶべきです。コレクターなどは特殊な趣味なので自由ですけども、コレクターが求めるように職人たちは個性を重視してきませんでした。職人というのはそういうものです。



弦楽器は1600~1800年くらいまでは製法が定まっていなくて地域や個人、時代によって作風にばらつきがありました。良いものもあれば、まともに機能しないものもあったのです。
それが1800年ころフランスで改良されたものがモダンヴァイオリンとして定められました。ニコラ・リュポーが娘を弟子と結婚させたりするなどして親戚関係によって強い支配構造ができていました。これは「ダイナスティ」と呼ばれます。世襲制による権力支配のことです。ヴィヨームも有名です。

このような独裁支配によって弦楽器の作風も決まったものが理想とされました。若い職人はそのようなものを作れるようになると認められ出世したのです。

民主主義を信条にしている人からすればひどい独裁だと思うかもしれません。私は政治よりも文化のほうが美しいものだと考えているので、結果として非常に高度なものができたことを無視するわけにはいきません。チェロなどは高度に訓練された職人たちが町工場くらいの規模で組織的に働かないとまともに生産はできません。

他の国の職人たちも高度なフランスの楽器に憧れ、みな真似をしました。
ところがフランスほど強固な教育システムを持たない他の国では同じような物は作れませんでした。

多かれ少なかれ自己流でフランス風の楽器を作ったのですが、真似しきれず腕前が十分でない職人も多くて作風はバラバラです。いつしかフランスのモダン楽器が目標だったことさえも無知な職人たちは知らなくなりました。自分たちがやっていることがモノマネだということすら知らないのです。

現代でも同じことです。
「フランスの楽器は個性が無いからいけない」と言うのなら、現代の職人はフランスの楽器とは全く違うものを作るべきです。しかし大概はフランスの作者と同じストラディバリかガルネリモデルです。オリジナルのモデルと言ってもこの考え方から逃れてません。「オリジナルの作品」を集めるとどれもそっくりです。私がアマティのモデルで作ったものの方がよほど変わっています。

一方ヘッドがドクロになっていたり、彫刻がほどこされたり、f字孔がf以外の形をしていたり、コーナーが無い物とか実際には変わったものが作られています。でもこれらが「個性があって素晴らしい」と評価されてはいません。

ヴァイオリン職人は個人や流派によって多少癖があります。同じものを作ろうと思ってもちょっとずつ違います。
私たちが多くの楽器を見ている中で言うとフランスの最高レベルのモダン楽器はとても少ないです。フランスの楽器の出来損ないのようなものは腐るほどあります。

やりつくされて発想は限られているのでどれを見てもどっかで見たような感じがします。ヴァイオリン製作コンクールなどはどれもそっくりです。みなコンクールで受賞した過去の楽器を研究しているからです。いっぽう勉強をしていない職人の作るものも似たような感じになってしまいます。初心者がやりがちなことはある程度決まっています。


もし本当に個性的な楽器を作るなら完全にフランスの影響を受ける前に戻ってやり直す必要があると思います。私はそういう意味でも古い楽器を研究し始めました。しかしそれが面白くなってもう個性などはどうでもよくなりました。結果的に私の楽器は独特の風合いがあります。モデルや形が違っても私の楽器とすぐにわかる雰囲気があります。個性を主張しようとしなくても出てしまうのです。

他の産業ならもっと違う形のものがどんどん作られていくでしょう。それでも「流行」があってどこのメーカーのものかというよりも、どの時代のものかという方が共通性があります。70年代にはみなこんなのだったんだなんてことになるだけです。

つまらない理屈に惑わされて、価値のあるものを見落とさないようにすることの方が大事だと思います。