楽器製作は元気の素 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

こちらでは何となく感染の恐怖感は薄れてきて次第に関心が経済に移ってきています。日本では感染拡大時期とスピードを遅らせることに成功したのでまだまだ先になると思います、でもその分被害も制限も少なく済んで、回復も早いでしょうからもうひと我慢です。

弦楽器は製作したり、仕入れたりしても何年先に売れるかわからないようなそんな産業です。明日売れるのか10年先なのか20年先なのかもわからないものです。それは営業マンの努力で楽器を売るのではなく、演奏者との運命の出会いがあって楽器が売れるからです。したがってかつてのリーマンショックでもそんなに影響を肌で感じることはありませんでした。

「安くて音が良い物」を重点的に揃える師匠の方針も秘訣だと思います。


私自身はインドア派ですからそんなに生活が変わっている感じでも何かを我慢しているわけでもありません。
仕事は家で続けていて、いつものように自炊しています。


それでもウィルスが身近に迫ってきて最悪な事態も想定して準備をしなくてはいけません。そうなると気分はいつものようにはいきません。一日中感染者の数字やニュースを見ても事態はその日のうちには変わりません。
世の中は生きていくのに最低限必要な物に重点が置かれていきます。楽器などは無くても生死には影響しません。自分のやってきたことにそこまで価値が無いかとも考えてしまいます。

ヴァイオリン作りを始めましたが、運動不足もあるのか力が湧いてこなくて、長時間の作業が応えました。でも、だんだん元気が出てきました。私にとっては楽器作りが元気の素なんだなと実感しています。

私にとっては今の生活は楽器製作に没頭しやすく充実しています。
何かを我慢するようなことはありません。



しばらく楽器の個性について考えてきましたが、音響面で明らかな差になるためにはよほど作りに違いが無いといけないのだということを改めて感じました。

作者ごとに癖などがあってもそれは些細なことで音には差が無いレベルかもしれません。規則性を見出すのは困難です。同じように作ってもなぜか音が微妙に違うという、そのような感じです。そのためどこの誰が作ったものがどんな音がするのかわからないのです。弾いてみるしかありません。



西洋の人は日本人よりも我が強くて自分を押し殺して何かを学ぶということは難しいです。お手本通りにきちっとしたものを作れる西洋の職人は少ないです。現在の職人の楽器を写真で見ていれば形が整っているのはアジア人です。ヨーロッパの人たちはかなり独特な楽器を作っている人が多いです。

だからと言って個性的な人が多いかと言うと、私は予想よりも常識人が多いと思います。私が外国に行こうと思った理由も、日本の同調圧力に合わなかったからでしょう。しかしこっちに来ても私ほど変わった人はあまりいません。
ワールドクラスの変人なのでしょうか?

西洋の人たちは一見個性的なように見えても根本的には常識人です。
もしかしたら日本人のほうが一見個性が無いように見えて、とんでもない変人が潜んでいるのかもしれません。

楽器も一見個性的に見えても、根本的な楽器の作りは常識的で音も「普通」というのが現代の楽器製作でしょう。


私はまたピエトロⅠ・グァルネリのコピーを作りはじめましたが、もう当たり前のようです。しかしとんでもなくおかしなものを作っています。

最大の特徴はこんもりと膨らんだアーチにあります。見習の職人に教えている一方で全然違うものを作っています。「正しいアーチの高さ」からあまりにも逸脱していて見るからにぷっくりと膨らんでいます。正しい作り方ではないと現代では考えられています。つまり音が悪いので作ってはいけないと考えられています。


このような膨らんだアーチのものを作るのは現代では常識からぶっ飛んでいます。
膨らんだアーチの楽器ばかり作っているのは頭がおかしいです。

私は中高生の頃も、不良などには全く憧れることが無くわが道を生きてきましたが、みな同じ格好をしていた不良の同級生たちもそろそろ更生して立派な常識人になっていることでしょう。私のようなマイペースな人の方がタチが悪いです。

うちの師匠も若いころはかなりの遊び人で社長の息子ということもあってやんちゃしていたことでしょう。
それがもう50代半ばでとても保守的な事を言うようになっています。楽器製作の趣味も90年代に働いていた抜群に腕のいい日本人の影響を強く受けていてきちっとしたものを好みます。
弟子に作らせるとしたら普通はストラディバリモデルをきちんと作らせます。

私は古い楽器の面白さにはまってしまって常識外れの楽器を作りたいわけです。
師匠はコロナウィルスが流行する前から私がヴァイオリンを作ることを考えていました。去年のデルジェスのコピーが注文主に拒否されても在庫になるので良いと考えていたくらいです。

修理の仕事が終わったので、なにを作るか話し合わなくてはいけません。
私が「ピエトログァルネリのモデルが音響的にも一番おもしろい」と言ったところ、即座にOKしてくれました。自分の店で売る楽器にはうるさいですから、他人にはわからない師弟の信頼関係があります。

師匠としては、何かの楽器の忠実な複製ではなく、良い楽器を作ってアンティーク塗装にしようという考えでした。私はどちらの仕事も面白いです。
できるだけ忠実に作ろうという試みはオールドの作者から多くのことを学ぶことができます。そうすると実は昔の人は割と適当に作っていたことを知ります。
毎回きっちり同じものを作っていたわけではありません。そのためある楽器の寸法を経典のように信じることは作者本人がやっていたこととは全く違うのです。

職人として同じレベルになるためには、感覚的に作れなくてはいけません。
でもその時代に修行した職人のように完全に感覚的に作るのは難しいです。そういう意味では補助輪を外して独り立ち始めるような仕事になります。

つまり具体的に何かと一緒ということではなく、ピエトロ・グァルネリやその弟子、他のクレモナ派の一人のような楽器を作るということです。それが身についているということです。名器をコンピュータでスキャンして3Dのデータとして工作機械で加工しても、同じ能力は身に付きません。
これまでも何度も作ってきたことで練習はできています。さらにアマティの実物を見た事でより細かいところで「これくらいなんだ」ということが分かりました。

アマティは80歳くらいの時の楽器でしたが、この調子で行けば私が80歳になったころには同じような物ができるかもしれません。

まあまあ、そういう意味でとてもモチベーションも高い仕事ができるようになっています。ここまで来るのは簡単なことではありませんでした。
私は自分の時間で楽器を作って、それをお店でもお客さんにも試してもらって評判が良かったので師匠もビジネスとしても成立するということが分かってきたわけです。
お客さんのほうが先に良さが分かったのかもしれませんが、師匠もお客さんの声に敏感で柔軟性がある人です。厳格な師匠なら破門されていました。

そうやってケンカすることなく改革を行いました。


それくらいおかしな楽器を作っています。
でもよく考えてみると実際に魅力的な音がするオールドの名器をおかしな楽器と考えいてる現代の楽器製作の常識のほうがおかしいのです。


ピエトロ・グァルネリのコピーは出来上がって自分で弾いても思わず笑みがこぼれるような魅力的な音でした。作っていてもアーチの膨らみに思わず笑みが出ます。
丸くてぷっくりしているのも作っているのが面白いです。ピエトロがずっとそればかり作っていたのは面白かったからでしょうか?
まあ、いつもそれを作っていればそれが普通になるだけです。感覚で作っていましたから。

なぜオールド楽器がそのように作られていたかは本人に聞かないとわかりません。しかしアマティは楽器の耐久性を考えていたのでしょう。それは近代になってもっと少ないふくらみでも耐えられるということが分かっています。

フラットな楽器を作るために最適な製造法がこの200年の間に確立してきたことでしょう。その中で近代のイタリアの楽器は「手作り感」を出して量産品との違いをアピールしています。例えば、フィオリーニやサッコーニのことです。一緒に働いたこともあるイタリア人の楽器にもそれは現れていました。

でもそれは近代の楽器作りを応用して作られたように思います。そのような事もまた詳しく語っていきたいと思います。


アマティとピエトロ・グァルネリのモデルや構造の違いが音にどんな違いになるかは興味深いです。アマティのコピーも作りたいです。これまではアマティはビオラばかりで、ヴァイオリンはバロックヴァイオリンを3本作りました。
バロックヴァイオリンでも音のキャラクターはあります。
ずいぶん前なのでまた作ってみたいです。

興味は尽きません。