ドイツの個性的なモダンヴァイオリン、ヨハン・ルーザー その2 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。



まずは去年の秋から作ってきたビオラから。
当初から予定していたスケジュールのとおりに完成したので弦を張ってみました。

弦はピラストロ・オブリガートのセットです。
さっそく弾いてみると思ったほど低音は豊かではなく明るい感じがしました。その代わりに、反応がダイレクトで強さがあります。A線はいつものように柔らかく、ビオラ特有の鼻にかかった音にはなっていません。ヴァイオリンのA線のように素直な音です。

翌日にもう一度試すと、ずっと低音が豊かに深みが出てきました。人が弾いているのを聞いても明らかに暗い音のもので、いつものビオラのようなものとなるでしょう。
ただし、もやっとした柔らかい低音ではなく筋肉質な乾いた音になっていると思います。

弦楽器の音は一長一短で低音のボリューム感が増えれば歯切れの悪い不明瞭な音になるのに対して、ダイレクトな手ごたえ、すっきりした抜けの音になれば量感は減ってしまいます。

暗い音なのににぶい音ではないという点で演奏家には好まれるタイプの音だと思います。

とはいえ、まだできてすぐなのでこれから変わってくるでしょう。というのは新品のビオラはすぐに魂柱がゆるくなってしまうのでかなりきつくしてあります。表板と裏板のつっかえ棒ですから、自由な振動を抑えてしまうのです。

駒は高めにしてあります。低すぎると高くはできないのに対して、高すぎるものは加工して低くすることができるからです。ニスが乾くときに引っ張られてフラットになっていたアーチが戻ってくることもありますし、弦の力でネックが下がってくることもあります。
チェロなどはネックを持つだけで胴体の重さで角度は微妙に動きますから。

楽器が落ちついたところで再び調整が必要です。一年もすれば駒を1~2㎜くらいは低くする必要があるでしょうし、数年でもちょっとずつネックが下がってきます。

なので始めは高すぎるくらいにしてあります。それも音が引き締まっている原因と考えられます。もっとゆったりと楽に音が出るようになるでしょう。

板は十分薄くしてありますから設計ミスということは考えられません。これが厚い板できつく魂柱を入れていればもっとカチコチの楽器になったことでしょう。


基本的には高いアーチの楽器らしい、スカッとした抜けの良い音が魅力になっていると思います。この前はアマティのヴァイオリンの話をしましたが、この楽器は多彩な音になっていると思います。
低音にはちゃんとビオラらしい鼻にかかった傾向があります。しかしA線は柔らかいものです。低音と高音は矛盾するものですが、両立しているのは珍しいと思います。

この辺りは私が作る楽器の音としても、前回のデルジェズのコピーから柔らかいばっかりではなくなってきたところでもあります。何故かはよくわかりません。




楽器選びの時と購入してからでは音の評価も変わってきます。
とくにビオラは比べるものが多く無いので相対的に他の物より優れているかではなくて、絶対的に満足できるかが重要だと思います。そういう意味では気になるようなネガティブな部分は少なくバランスが取れていると思います。

これからが楽しみです。


ヴァイオリン製作の開始


ヨハン・ルーザーのヴァイオリンを修理していましたが、これは終わりました。

それで新しいヴァイオリンを作り始めました。これは勤め先の楽器で、注文などではなく店に置く商品として作るものです(見込み生産)。そのため師匠の求めるものを作ります。目指すのは今回のビオラと同じような物です。
何か特定の名器のコピーというわけではなく、上等な材料を使って高品質な楽器を、オールド楽器のようなスタイルで作ってアンティーク塗装にするというものです。

モデルは私が過去に作った中でも音が印象的だったマントヴァのピエトロI・グァルネリのモデルにします。
自分が作った中でも特に好きなものです。
ピエトロは木材は様々なものを使っていて特に決まりはありません。しかし作風はとても似通っていてアーチはいつも同じように高いものです。
アマティやストラディバリ、デルジェズなどとは違い作風が固まっているタイプの人です。美しさという点でも完成度が高いので師匠も満足です。

高いアーチの楽器を作るには材料は厚みが無いといけないのでとっておきのものを使います。去年のデルジェスのコピーと同じストックの表板を使うので音の点でも有利でしょう。

裏板はオーソドックスな柾目板の2枚甲です。師匠の好みでもあります。私は1枚板ばかりを使いたがります。材料のストックの傾向が全然違います。私は一枚板ばかりです。
ピエトロももちろん同様の板を使ったものがあります。
これもとても古い材料で同じように作ったなら音響的にもメリットがあるでしょう。

夏には完成すると思いますが、普段は忙しくて修理ばかりでなかなか新作の時間が取れないので良い機会です。
ただし、しばらく自宅にこもって熱心に練習していた人たちの楽器も消耗しているでしょうから夏にはメンテナンスの仕事は増えるかもしれません。

作るなら今のうちです。
いつ帰れるようになるかはわかりませんが、日本にも持って帰ることもできるかもしれません。売れずに残っていれば値段は税抜き16000ユーロくらいで輸出することもできると思いますが師匠と相談が必要です。

良い楽器というのは一年や二年の出来事で価値が左右されるようなものではありません。良いものを作りましょう。

魅力的な楽器を作ろうと研究してきた結果が出てきて、一年を通して楽器を作る「ヴァイオリン職人」になってきました。ヴァイオリン製作は学んだけどもしばらく作っていないという名ばかりのヴァイオリン職人は多いですから。



同時にアマティのコピーも私の自由時間を使って作りたいと構想中です。体力を消耗するわけにもいかないので作るのはもう少し先です。特に日本の女性の方のためにやや小さなヴァイオリンを考えています。7/8と4/4の間くらいで弦長が5㎜短く子供用ではないけども、弾きやすいというものです。
アマティについては調べていたので発見がいろいろとありました。


ヨハン・ルーザーのヴァイオイン


さてヨハン・ルーザーのヴァイオリンが仕上がりました。

ペグの穴を埋め直し、新しい指板を付けネックを入れ直しました。ネックは5㎜短かったので付け足したものです。
長くなったのでネックも削り直しが必要です。
これで理想的な状態になりました。

表板は古く見せかけるためか黒く塗られているところがあります。不思議なことベースのニスとは性質が違うものが塗られていてちょっとこすると黒い色が取れてしまいます。半分より右側はちょっと研磨したところです。
これは作者本人がやったのか後の時代の人がやったのかわかりません。
いずれにしてもとてもわざとらしく汚らしいもので安価な量産楽器のように見えます。
ニスの性質が全く違うことから後の時代の人がやったのではないかという気がします。

私が補修してみました。すでに150年近く経っている楽器ですからことさらに古く見せかけなくても味が出ています。
これくらいのほうがモダン楽器という感じがします。

琥珀色のようなモダン楽器らしいものになりました。

これもいわゆるガルネリモデルで大きなf字孔が典型的です。特に左のf字孔が中央に寄っています。これだとバスバーが正しい位置に付けられません。f字孔の穴のところにバスバーが来てしまうからです。ちょっと困ったところです。
黒い色も一部だけ残して落としました。


スクロールはすごくきれいではありませんが、渦巻を専門に作る職人のような感じはしません。


裏の部分の彫り方がかなり変わっています。でもたまにこのようなものがあります。偶然の一致で流派に共通する特徴ではなさそうです。
精密な仕事ではありませんが、コンパスの跡があったり手作り感はあります。


気になる音ですが、弾いてみると意外と「普通」という印象を受けました。見た目には作者の癖があるので音も個性的かと思いましたがそうでもありませんでした。

決して悪いことではなくてこういう時代のものは癖が強かったり耳障りな嫌な音がするものが多いのです。そういう意味ではとてもバランスが良いものだと思います。明るくも暗くもなく、鋭くも柔らかくもないものでちょうど中間です。さすがによくある新しい楽器に比べれば落ち着きもあり、単純に音量があると感じられるでしょう。

値段は50~100万円のゾーンの楽器です。量産楽器からステップアップするのに最適なものです。
優等生的なバランスの良い楽器です。これにイタリアのモダン楽器の作者のラベルを貼ってしまえば気付かないかもしれません。だって決して音が悪くは無いのですから。明るさもあります。巨匠の作品だと刷り込まれてしまえば良い音に聞こえてもおかしくありません。

やはり、フランスの一流の作者のような楽器のほうが作れる人は珍しくて希少です。教科書通りに作られているので一見個性は無いように見えます。しかしヴァイオリン全体で見れば珍しいものです。このような個性のある楽器のほうが平凡なものです。

現代でもフランスの一流の職人のような楽器を作れる人はわずかですから、このようなレベルの楽器はよくあると思います。それでも150年近く経っている分希少だと思います。値段は100万円もしないのですから初心者が次のレベルにステップアップするには非常に良いと思います。弦楽器を知らない人なら50万円でもびっくりするくらい高いですから。150年も前のアンティークのものがあるというだけでも驚きです。

これが作者の名前もわからなければ50万円前後になるのでさらにお得です。名前が分かっているので100万円くらいつけても高すぎると言われることは無いでしょう。

皆さんには個性があるということは分からないかもしれません。それはしっかりとモダンヴァイオリンの基礎を理解していないからです。それはしょうがないです。ヴァイオリン職人でも理解できる人は少ないのですから。

個性について


「個性」については様々な理屈がごちゃごちゃになっていると思います。

大量生産品とハンドメイドの違いを説明するのに、個性という言葉を使ったのかもしれません。量産品は同じものをたくさん作り、分業で部品ごとに違う人が作っています。そのため作者個人のこだわりはありません。

私は、個性があっても無くても十分な品質で音が気にいればそれで良いと考えています。だから大量生産品だからダメということもないと思います。個性があるからと言って大量生産品より劣るような素人が作ったようなものでは意味がありません。


あとは芸術家としての精神論がありますね。

「人の真似をするようなのは志が低い!」とか考える人もいるかもしれません。
弦楽器職人の現場とは全くかけ離れたイメージだと思います。

一つは規格化された道具であること。スパナやねじ回しなどを買うときに「個性が無いのはダメだ!」と言う人がいるでしょうか?個性的なスパナやねじ回しでは大きさや形状がバラバラではネジに合わないのでうまく機能しません。使いやすさも研究され尽くされてどういうものが良いかは業界として定まっています。

道具とはそういうものです。
少なくとも我々職人が工具を買うときに、「個性が無いからダメだ」なんて買い方はしません。質が高く使いやすいものを求めています。優れたものは類似品がたくさん作られます。工具メーカー同士が切磋琢磨して完成度が上がっていくということもできます。
変わった発明品よりも、オーソドックスで質の高いものが欲しいです。テレビショッピングやホームセンターで売るなら、「画期的なアイデア」のほうが良いでしょうけど、プロはそんなものに惹かれません。

音楽家でもプロであるほど能書きよりも実力で選ぶべきです。コレクターなどは特殊な趣味なので自由ですけども、コレクターが求めるように職人たちは個性を重視してきませんでした。職人というのはそういうものです。



弦楽器は1600~1800年くらいまでは製法が定まっていなくて地域や個人、時代によって作風にばらつきがありました。良いものもあれば、まともに機能しないものもあったのです。
それが1800年ころフランスで改良されたものがモダンヴァイオリンとして定められました。ニコラ・リュポーが娘を弟子と結婚させたりするなどして親戚関係によって強い支配構造ができていました。これは「ダイナスティ」と呼ばれます。世襲制による権力支配のことです。ヴィヨームも有名です。

このような独裁支配によって弦楽器の作風も決まったものが理想とされました。若い職人はそのようなものを作れるようになると認められ出世したのです。

民主主義を信条にしている人からすればひどい独裁だと思うかもしれません。私は政治よりも文化のほうが美しいものだと考えているので、結果として非常に高度なものができたことを無視するわけにはいきません。チェロなどは高度に訓練された職人たちが町工場くらいの規模で組織的に働かないとまともに生産はできません。

他の国の職人たちも高度なフランスの楽器に憧れ、みな真似をしました。
ところがフランスほど強固な教育システムを持たない他の国では同じような物は作れませんでした。

多かれ少なかれ自己流でフランス風の楽器を作ったのですが、真似しきれず腕前が十分でない職人も多くて作風はバラバラです。いつしかフランスのモダン楽器が目標だったことさえも無知な職人たちは知らなくなりました。自分たちがやっていることがモノマネだということすら知らないのです。

現代でも同じことです。
「フランスの楽器は個性が無いからいけない」と言うのなら、現代の職人はフランスの楽器とは全く違うものを作るべきです。しかし大概はフランスの作者と同じストラディバリかガルネリモデルです。オリジナルのモデルと言ってもこの考え方から逃れてません。「オリジナルの作品」を集めるとどれもそっくりです。私がアマティのモデルで作ったものの方がよほど変わっています。

一方ヘッドがドクロになっていたり、彫刻がほどこされたり、f字孔がf以外の形をしていたり、コーナーが無い物とか実際には変わったものが作られています。でもこれらが「個性があって素晴らしい」と評価されてはいません。

ヴァイオリン職人は個人や流派によって多少癖があります。同じものを作ろうと思ってもちょっとずつ違います。
私たちが多くの楽器を見ている中で言うとフランスの最高レベルのモダン楽器はとても少ないです。フランスの楽器の出来損ないのようなものは腐るほどあります。

やりつくされて発想は限られているのでどれを見てもどっかで見たような感じがします。ヴァイオリン製作コンクールなどはどれもそっくりです。みなコンクールで受賞した過去の楽器を研究しているからです。いっぽう勉強をしていない職人の作るものも似たような感じになってしまいます。初心者がやりがちなことはある程度決まっています。


もし本当に個性的な楽器を作るなら完全にフランスの影響を受ける前に戻ってやり直す必要があると思います。私はそういう意味でも古い楽器を研究し始めました。しかしそれが面白くなってもう個性などはどうでもよくなりました。結果的に私の楽器は独特の風合いがあります。モデルや形が違っても私の楽器とすぐにわかる雰囲気があります。個性を主張しようとしなくても出てしまうのです。

他の産業ならもっと違う形のものがどんどん作られていくでしょう。それでも「流行」があってどこのメーカーのものかというよりも、どの時代のものかという方が共通性があります。70年代にはみなこんなのだったんだなんてことになるだけです。

つまらない理屈に惑わされて、価値のあるものを見落とさないようにすることの方が大事だと思います。