ニコラ・アマティの板の厚み | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

この前から取り上げているヨハン・ルーザーについて調べてみましたが、ほとんど何もわかりませんでした。スイス製のヴァイオリンとして紹介したホフマンも同じヴュルツブルクの出身です。ホフマンの師匠は別の人でつながりはわかりません。他のヴュルツブルクの作者についても楽器の写真などは無く作風のつながりもわかりません。
ニスについてはホフマンもルーザーも似ています。柔らかい質のものです。形もガルネリモデルで大きなf字孔がついています。

ヴュルツブルクの他の職人も何人もいるようですが、写真などもありませんし、文献によると他のドイツ各地で修行したりして移動するのが普通だったようです。

このような地元の職人だけが知っているような流派というのはどこの街にもあるということです。それらは国際的には全く知られておらず、オークションなどで珍重されることはありません。

知らない人はすでに世の中にあるヴァイオリンの作者はすべてわかっていて作者や音の評価が定まって値段に表されていると思い込んでいます。

しかし実際には知られていない職人が圧倒的に多く、ほんの一握りの作者だけが有名になり注目が集まって値段が高くなっています。

知られていないからと言って音が悪いということは無く楽器は弾いてみないとわからないものです。




ニコラ・アマティの修理が終わりました。

自分でも弾いてみました。
私程度の初心者以下の人でも違いが分かるかと疑問がありますが、弾いてみれば枯れた味のある音だとすぐにわかります。必ずしも甘く柔らかい音ではありません。それだけ弾いているとヴァイオリンはこんな音のするものだろうと思います。

しかし他のものと比べるとなかなかそんな音のものは無いです。私が10年前に作ったヴァイオリンと比べるとG線は明らかに鳴り方が違います。私のものでも新作の中では低音が強い方です。しかしアマティはもっと低音が暗く深みがあり、それでいてにぶくこもったものではありません。パワフルです。A線だけガット弦だったのでよくわかりませんが、私の楽器よりも小型なのにもかかわらず、ずっと大きな楽器のように全体が鳴っているように感じます。
いろいろな響きの音があって、新作のような単調な音色とは全く違います。手元での強さや空間全体に広がる響き方など、様々な音が立体的に混ざって聞こえます。楽器から音が出ているというよりは、音の中に自分がいるような感じがすると言えば大げさでしょうか?

いろいろな音が一度に鳴っているような感じで、相反するような要素が共存しているように思いました。

私の楽器も300年以上すればそうなるでしょうが、比べれば単調な音に聞こえます。しかしながら他の新作に比べればすごく悪いということはありません。
私の中では最近に作ったデルジェスのコピーやピエトロ・グァルネリのコピーならずっとG線が強いのでもうちょっと近いとは思います。それでも音はすっきり整いすぎているでしょう。

というわけで、アマティがどんな音かと言われれば「いろいろな音がする」としか言いようがありません。私個人的には好きな音ですし、目標とするものです。どの程度再現できるかは難しい部分もあります。

しかし一般的な新作楽器では全く似ても似つかない音で自分は天才だとうぬぼれている職人は多いですから、方向性と言う意味では私のほうが近いはずですし、目標も定まっています。


私は、楽器の音を決める要素として「古さ」と「個性」があると考えています。もともと持っている音があって、それが古くなってさらに有利になると考えています。

職人の中には古い楽器の音が良いというのは思い込みで新作のほうが音が良いと言う人もいます。自分はオールドの作者よりも精巧に加工しているのでとか、完璧な設計法を知っているのでとか、音が良くなる秘密を発見したのでとかいろいろな事を言って自分の楽器のほうが優れているのに、音楽家は試そうともしないと文句を言っている人もいます。

私は高価な楽器の音が良いというのは全て嘘だとは考えていません。それどころか古くなると有利になって行くと考えています。しかし古さだけが絶対ではなくよほど癖が強かったり、十分な耐久性を持っていなければ古さによる改善も追いつきません。そのため「ひどくない」ことが重要です。


板の厚みを調べてみました。

このようにとても薄いです。
オールドのクレモナの楽器には多いものですから典型的なものです。乾燥によって木材が縮んだり、修理によって削られたりしたこともあるでしょう。しかし結果としてこの厚さで今の音が出ていることには間違いありません。

私が作るよりも板が薄いです。私の楽器も一般的なものに比べれば低音が強いですが、これはもっと薄くて低音ももっと強いです。

しかし裏板の魂柱が来る中央のところは厚く作られています。

アーチの高さは表が16.5㎜くらいです。現在は14~16㎜くらいが普通でしょうか?フランスの初期のモダン楽器なら12~13㎜くらいです。そう考えるとやや高いアーチのように思えますが、現在のちょっと高めくらいですから、びっくりするほどではありません。

とはいえ、弦の力でつぶされているので新品の状態なら17~18㎜くらいはあったでしょう。そうなるとさすがに現在よりは高いことになります。ただし、ストラディバリと比べると全く変わりはありません。特にアマティとストラディバリの間に技術革新などは無いと私は考えています。
裏板は16㎜くらいです。魂柱で押されて高くなっているとすれば現在の普通くらいです。


ここ最近作ったヴァイオリンやビオラでは私の中でも特に板を薄くしたものでした。しかし実際のアマティはそれよりもさらに薄いものでした。

私でもビビりすぎなのです。
現代の楽器職人はるかに厚い板が主流で、厚い方が音が良いくらいに教わります。実際に弾いてみればオールド楽器とは全く違う音になります。


板を薄くすれば低音に深みが出て力強くなることはわかっています。そのように作ることは可能です。本当に良いオールド楽器はそれだけではなくていろいろな音を持っていると思います。一つの要素だけなら新作でもあるかなと思います。相反するような要素を併せ持っているのがオールドの名器でしょう。

お金さえあれば自分でもアマティを弾きたいくらいですが、それは無理なので自分で一生懸命作りましょう。

またアマティのコピーを作りたくなってきました。


イタリアの文化で面白いのは、よく相反する要素が共存している状態を「結婚」に例えます。私は結婚していないのでわかりませんが、離婚が難しいカトリックの社会では性格が不一致でもやって行かなくてはいけませんでした。それが結婚というものだというわけです。
イタリアの文化というのはすっきりと整理整頓されているのではなくて、雑多なものが一緒にあるように思います。楽器の音もまさにそうでした。

ドイツのオールド楽器も味があって魅力的な音はしますが、もう一つ音に統一感があるように思いますし、フランスのモダン楽器もそうです。

個人的にはオールドのイタリアの楽器の大ファンです。モダン楽器で見事な演奏をする人もいます。あくまで個人的な趣味であって、弦楽器の専門家としては自分の好みを押し付けるわけにはいきません。
自分の作る楽器ではそれを再現できるように研究しています。


一方今修理しているルーザーは150年近く経っているというメリットがあり、個性もあります。この個性が音に良い方に出れば面白いんじゃないかと考えています。というのはミディアムくらいのアーチで、ストラディバリとは似ても似つかないものですが、表板を持って軽く曲げてみるととても硬いのです。これは高いアーチの楽器と似た特徴です。高いアーチではないのに高いアーチのような強度が出ているアーチなのです。これが作者の癖であるし、個性なのです。

個性的なモダン楽器も突然変異的な面白さがあります。私は個性があるから良いとは考えていません。その個性が魅力的な音の根源になっているかが重要だと思います。それは弾いてみないとわからないので、音で楽器を選んで後で作者の個性を知って愛着を深めれば良いと考えています。

音が好きだからその楽器が好きになるというのが本来の順番でしょう。それはオールドの名器も同じです。


ニコラ・アマティはびっくりするほど板が薄く、それで350年経っても現役というのがすごいです。表板に割れは何か所もありますが、致命的な損傷になっていません。変形がひどい残念なオールド楽器は結構あります。駒の足のところも深く陥没してませんでした。

それでも魂柱を交換する作業はとても難しかったです。4回チャレンジして成功しました。通常は駒の足の近くに魂柱を立てるわけですが、楽器のセンターのところは空間が広いです。徐々に短くしながら外側に動かして接地面を削って合わせて行けばぴったりにできますが、古い楽器では変形して魂柱のところの表板と裏板の間隔が広くなっています。長さを調整できる範囲がとても狭いのです。

それでもドイツのオール楽器よりは優しいほうです。あれは原理的に不可能です。台形型のアーチが変形し魂柱の立つところが一番空間が広いので、だんだん短くして行って入った瞬間に接地面が合っていなくてはいけないのです。
そこを何とかするのが我々の仕事ですが…。


アマティのすごさは「丈夫さ」と言えるかもしれません。
オールドの名器の秘密は意外と単純なことかもしれません。「薄い板で強度を保つ」とそれだけのことです。

全くヴァイオリンなどに縁が無い人たちが工房にやってきて質問を受けることがあります。ヴァイオリンというのはたった数ミリの厚さで20kgを超える弦の力に300年も耐えられると説明します。そうすると「ふーん」くらいの感じで聞き流しますが、こんなことが重要です。

我々職人も「高級品」にとらわれ過ぎて基本的なことを忘れているようです。オールド楽器はそんなことを教えてくれます。