ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -28ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
お問い合わせはPC版サイトのリンクかアメブロのメッセージから願いします。

こんにちはガリッポです。

ヴァイオリンに赤ニスを塗っていましたができあがりました。見習の職人が作った白木のヴァイオリンにお客さんの注文で私がニスを塗ったものです。注文通りのニスを塗るのは初めてでは難しすぎるからです。

ニス塗りにも難航していましたがそれ以上にカメラの調整に苦労しました。赤の強さにカメラが異常な反応を示してしまいました。
感想は「赤いなあ」としか言いようがないものです。
もっと19世紀の楽器のように古びたようにすれば雰囲気が出るのでしょうが今回の仕事の依頼では予算オーバーになってしまいます。
それでも見習いが作ったヴァイオリンにしてはプロ級の仕上がりになっていると思います。

希望通りなのかわかりませんが色は間違いな赤く、きれいに塗れています。

横板も手が触れる部分は赤いニスが剥げたようになっています。
私としてはもう少しニスが剥げている様子を模した部分は少ない面積のほうが好みですが、それでは「陰影をつけた」ニスの塗り方であることに気づかなくなってしまいます。
これ以上剥げている部分の面積を大きくすると、よくあるもののようで嘘くさくなりすぎるので私は嫌です。

スクロールも赤く塗ってありますが、とてもストラディバリモデルとは思えない独特なものです。縁を黒くしてフランス風などには決してできないクオリティです。個性的なものなどは腕前が十分でなければ誰にでもできます。


裏板が一番赤い色にあっているようです。表板は黒檀の指板や付属部品などで赤と黒の色の組み合わせ効果が表れるかもしれません。
同僚もかつて赤いニスに挑戦したことがあってひどい物になったそうで、それに比べたら良い出来だと言っていました。フルバーニッシュで消防車のようなものになったそうです。
昼間ならちょっと明るい感じがしますが、舞台のような暗い所ではこれくらいの色のほうがはっきりと出るのではないかと思います。



したがって8割型普通の新作のフルバーニッシュと同じようなニスの塗り方になりました。苦労したのはずっとやってなかったからです。アンティーク塗装用に開発したニスは色もさることながら、様々なアンティーク塗装の効果がやりやすいような性質になっていました。フルバーニッシュにするなら色だけでなく配合も変えなくてはいけません。

これならアンティーク塗装のほうが早くできるのではないかと思うほどです。それだけアンティーク塗装の練習ができて来たようです。

赤いヴァイオリンが終ったので今度は連続してピエトロ・グァルネリ型のニスを塗っていきます。これは下地に透明なニスを塗っただけです。まず違うのは木材の質です。さらに木材には着色を施しています。そのためこの時点でも黄金色に見えます。
赤い方は初心者なので白木のまま着色しませんでした。着色はとても難しいもので、一度失敗したら脱色はできません。接着剤のにかわなどが染み込んでいるといくらふき取ってもそこだけ色がつかなくなったりします。したがって着色するなら製造中から着色を考えなくてはいけません。
私は10年以上研究していますから、この通りに見事に色がついています。しかし量産楽器のように色がきつすぎて染みにはなっていません。
戦前のドイツの楽器は薬品を使って染めていて、灰色っぽいものも多くあります。最近のものは合成染料を直に染み込ませてあるのでインクのように染まっています。

白木の楽器にニスを塗っていくとなかなか色が濃くなっていきません。このような下地で始めればもっと深みのある赤になったでしょう。フランスの楽器も着色してあってそれが古くなっているので尚更です。
表板は着色しにくいものです。場所によってステインを吸い込む量が違うからでひどく汚くなってしまいます。
やらないほうがましです。
その代わり汚れがついている様子を再現することで一気に古く濃い色にすることができます。そのあたりはこれからです。

10年以上にやりやすいように教わった作り方を変えているので、初心者の作ったものにニスを塗るのは苦労します。

トータルで20年近くやっていますから多少は見習が作るものよりも良くなければいけません。
これからニスを塗るという段階ですが、すでに研究の成果は出ていると思います。アーチはとても高くて立体で見るとさらに違って見えます。すでにこのヴァイオリンに興味があるという方います。肝心なのは音なのですが、すでに人を引き付ける魅力があることは間違いありません。前に作ったときの音が印象的だったので、むしろそのために選んだモデルです。そのうえ見た目でも美しいということです。師匠もとても気に入っているようです。

このヴァイオリンは新型コロナのロックダウンの時期に作ってきたものです。後の時代の人が2020年作というラベルを見たらひどい年にもヴァイオリンが作られていたことを何と思うでしょうか?
完成させないことには売り物なりませんから他の仕事が増えても投げ出してはその何か月かが無意味な仕事になってしまいます。全力で完成させましょう。

表板もひと夏太陽光や紫外線ライトにあてていたので少し色が変わっています。それ以上に表板は古く見せるテクニックが発揮できますから大丈夫です。

赤いニス

楽器以前に色自体に好き嫌いがあります。赤い色が好きなら弦楽器も赤い色にしたいということもあるでしょう。情熱的なイメージもあります。
今回ももう少し上等な木材を使えば印象は違ったでしょうし、下地の着色とのコンビネーションも含めて新作としての赤いニスを研究して行ったりアンティーク塗装にしても面白いでしょう。

一方でひどい物もよくあります。一歩間違えばどぎつい醜いものになってしまいます。大惨事にならなかっただけでも良かったと思います。
フルバーニッシュに近いニスでは毎日作業で見ていると実感が分からなくなってきます。皆さんはパッと画像を見たので新鮮な印象を受けたと思います。
きれいな赤いニスと思われたのでしょうか?

やってる方は分からなくなってきます。アンティーク塗装でも塗っていると眼が冴えすぎてだんだんよくわからなくなってきて出来上がったころには「ん?」という感じになります。これ以上やったら真っ黒になってしまうから仕方なくやめるというような感じです。
ニスを塗る作業は満足感や達成感が得られないものです。
何年かしてメンテナンスなどのために楽器が戻ってきたときに良かったなとわかるものです。

フルバーニッシュはもっと満足感が得られません。物足りない気持ちが強くなってアンティーク塗装を研究していく動機になりました。

その結果私独自の表現ができるようになってきました。ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンでも発揮していきましょう。
こんにちはガリッポです。

自宅で過ごす時間が多くなったので楽器が売れているというニュースもありますが、うちでは専門店ということもあって新たに始めるというのは見かけません。お子さんがサイズアップのために楽器を交換するケースが多いです。

前々回、ボヘミア出身のハウスマンがミッテンバルトで作ったヴァイオリンを紹介しました。一組目の試奏でさっそく選ばれて試奏用に貸し出しました。日本風に言えば「商談中」というわけです。明らかに他の楽器よりよく鳴るので不思議ではありません。
3/4から4/4に移行するために楽器を買おうということですが、初めて使う4/4のヴァイオリンがあの楽器というのはレベルが高いです。掘り出し物です。才能もあるようで良い道具を与えようという親御さんの熱意が正しい方向に向かっている例です。





特にここのところビオラを買いに来る人が多くいます。
20年前はビオラを買いに来る人は一年に一人くらいだったと師匠は言っていますが、一日で3人も来る日がありました。どうもビオラブームみたいです。
お子さんがビオラから始めることもあって、ヴァイオリンくらいのサイズのビオラもレンタルで求められています。

中にはベテランの人もいて、私の作ったビオラを弾いて、どうも制作を依頼してくれそうです。来年分のビオラ製造となりそうです。他の職人のところも多く訪れたそうですが、気に入ってくれたようです。
身長は見たところ185㎝くらいでしょうか、サイズも大型で新しい設計が必要になります。

毎年ビオラを作らなくてはいけません。



他には2006年にクレモナの学校でヴァイオリン製作を勉強していた学生を見習として教えていた時期があって、その時に作らせたヴァイオリンをその後販売しました。ハンドメイドの楽器としては割安で使っている人がいるのですが、音のことで相談を受けました。

何年か前にも調整はしているのですが、音が鋭くなってきたと言うのです。
10年以上使ってきて音が変化してくるのは当然あり得ます。

新作の楽器がどう変化していくかの興味深い例です。

弾いてみると前回紹介したギュッターのヴァイオリンと似たような傾向のものです。さらに50年経てばあのような感じになることは想像できます。
うちの楽器は作られてすぐはそんなに力強い音ではありません。それが鋭い音になって来ているのでそれが変化です。

お客さんは当初のようなマイルドな音を希望されていたので、魂柱の調整で少し穏やかにして終わりました。しかし、根本的に問題を解決するために駒と魂柱を交換すれば作られた当初の音に近づくでしょう。しかし、全く同じではなく当時よりも音がよく出るようになっているはずです。

音の個性

現代では同じような設計で楽器が作られているので同じような系統の音のものが多くあります。それに対して私が作る楽器は柔らかいきめ細やかな音がします。何故かはわかりません。
先ほどのビオラでも、他の職人のものはもっと鋭い音だったと言っています。私は一般的な職人が作るものよりも柔らかい音であることは知っていますから、そうだろうなと思いました。


うちでも古い楽器を修理したり、量産楽器を購入したり、お客さんの楽器を調整することがあります。音がすごく鋭くて耳障りということは多いです。我々としては鋭すぎる音の楽器があるときは「これはもう少し柔らかくできないか」と調整を試みるのです。

とくに鋭い音が多いのは安価な量産楽器や50~100年くらい経っているものです。そのため戦前の量産品などはたいてい音が鋭いものです。

鋭い音が良いのか柔らかい音が良いのかは個人の好みの問題で自由です。
もし鋭い音の楽器が好みなら少ない予算でも手に入るというだけです。
中級者以上でも偽造ラベルが付いた安価な楽器を騙されて愛用している人もいますし、生徒などには薦めることあるでしょう。


今回の例からしても楽器が作られてから年月が経過すると音が鋭くなっていくことは十分考えられます。経験的にも100年くらい前のものに鋭い音のものが多くあります。一方200年以上経ったものでは耳障りなものは少ないと思います。オールド楽器には特に柔らかい音のものもあります。ただし作りに個体差が大きいので音にも個体差が大きく刺激的な音のするものもあります。

なぜ安価な楽器が鋭い音がするのかはよくわかりません。
鋭い音は強く感じるので、パッと弾いた瞬間に「意外と悪くない」と思うこともしばしばです。しかし音の鋭さを気にしだすと何をどうやっても柔らかくはなりません。それで楽器の限界を露呈することになるのです。

安価な楽器と高級品の違いは、「雑に作られていること」です。となれば雑に作られていれば音が鋭くなると考えるかもしれません。しかし、丁寧に作られた楽器でも鋭い音のものはあります。この説は否定されます。技術者としては理由は分からないとしか言えません。


しかし私のことをよく知っている人なら、職人の性格と音を結び付けるかもしれません。穏やかでナイーブな大人しい優しい性格と言えるでしょう。一方我が強くガサツで自分勝手な強引な人の楽器なら鋭い音になるような気がします。経験則でそのようなことはあるような気もします。しかしこれは科学的には説明できません。

ただしその人の仕事に違いが生じるなら、音にも違いがあるかもしれません。
この場合は、会話などを通じて感じる性格とは少し違うでしょう。木材と向き合って作業するときの性格です。明るくて気が利いて感じが良い人が仕事をすると、意外と雑で強引だったりします。不愛想で気難しい方が丁寧な仕事をすることがよくあります。いわゆる職人気質です。

これは私が以前描いた絵です。絵にはその人の感性が現れるでしょう。用紙の大きさは42㎝の紙を二枚張り合わせたので縦は84㎝です。木炭で描いたものです。鉛筆ならもっと繊細な感じになるでしょうが、木炭でもかなり繊細な方でしょう。イタリアのバロック彫刻を写しているので力強いべきですが、ボッティチェリのようです。
木炭デッサンなら一般的にはもっと汚らしいものです。私はそれが許せません。

ただし、バロック美術と言えどもイタリアのこの時代の美術は全体的に「優美」なものです。美術だけでなく音楽も何もかもが優美な時代です。ラファエロとミケランジェロを比べれば、ラファエロが優美でミケランジェロは力強いでしょう。しかしミケランジェロでも現代などの全く違う絵と比べれば優美なものです。

不思議なことに私の感性が音になって表れているようなのです。絵の感じと音の感じに共通点があるのです。もっと荒々しい絵なら、もっと迫力があって感じられます。私の絵はそうではありません。でもすぐに飽きるような単調なものでもないでしょう。


美しい楽器を作る人はみな子供のころクラスでは絵がうまいと言われたような人たちです。どんな絵に興味があるかは人それぞれで漫画のキャラクターをうまく描く人もいます。
しかし弦楽器作りでは絵などは描けなくても作業を順番にこなせば作ることができます。楽器を習っていて演奏ではプロにはなれないと楽器職人になった人が多く全くそのような才能の無い人もプロの職人として仕事をしています。むしろ音楽家と話が合うので粗末な仕事ぶりでも信頼は厚いです。音楽家の方にもセンスが無いと美しさが分からないわけです。そもそも音にしか興味がありません。

そのため楽器は美しい必要はないのです。


全く違う造形感覚を持った人が同じようにプロの職人として楽器を作っているわけです。その結果として出てくる音が違ったとしてもおかしくありません。
繊細な感性の人には気になる点も、そうでない人は全く気にならずに完成としてしまうということです。

これについてバスバーの取り付けなどははっきりしていてバスバーの材料を削って表板の面に合うように加工します。この時にバスバーの曲面と表板の内側の面がぴったり合っていれば力が均等に伝わるはずです。面が合っていないのに「できた」と判断して無理やり接着すれば表板にストレスがかかることになります。
実際新品の安価な楽器でもバスバーを交換すれば音が柔らかくなります。弓がちょっと触れただけでギャーと音が出ていたのが、じんわりと音が出るようになった経験があります。

これがバスバーだけではなくアーチのような立体造形などありとあらゆるところに作用するということです。


同じように現代のセオリー通り楽器を作っても人によって音が違ってきます。ストラディバリモデルでもガルネリモデルでもその違いよりも、ずっと大きな違いになります。同じ人が作ったらストラディバリモデルでもガルネリモデルでも似たような音になるということです。

私は現代風に作ろうが、モダン風に作ろうが、オールド風に作ろうがいずれも柔らかい音がします。

どのような造形センスの違いがどんな音の違いになるかは法則性を見出すのは難しいでしょう。そこはブラックボックスとして考える必要があります。

このため私は「癖」と考えています。
作者の癖によって楽器の音には個性が出ると考えるべきで、その癖は自分ではコントロールすることができないので意図的に音を作り出すことは困難だと申し上げているわけです。このためどこの誰の作ったものに、自分の好みとあうものが存在するかはわかりません。「世界的に評価の高い巨匠」などという考え方が全く弦楽器の現実からかけ離れたファンタジー(空想)の世界の話だと我々は感じるのです。


統計的な偏差などはあるでしょう。平均的な職人がセオリー通り作れば音は似てくるということですし、同じような音の楽器が多くなるということです。
全く作り方が関係ないということでもありません。


また優秀な弟子だけ選抜されて師匠の厳格な指導の下で作られたものは見た目もそっくりなら音もかなり近いでしょう。お手本通り作れない職人たちなら音の個性もバラバラになってくるはずです。ただし、お手本通り作れる方が特殊な人たちで、お手本通り作れないほうが凡人なので同じような物はたくさんあることになります。

量産メーカーでも機械で作られている最近のものは全く同じ音ではないが、そのメーカーの傾向というのはあります。チェロは量産楽器がほとんどですからチェロ教師から評判の良いメーカーのチェロが定まってきます。それがそのお店で売っているチェロというわけです。同じメーカーなら音の個体差はかなりありますが、全く逆の傾向ということはありません。一定の方向に絞られていますが試奏して選ばなくて履けません。

チェロの場合もやはり安いチェロほど耳障りで鋭い音のものが多くなります。一方でチェロの弦はスチールなので安い弦ほど耳障りな音がします。安いチェロほど何万円もする高級な弦が必要になるというのですから困った事態です。
量産チェロの場合には柔らかい音のもののほうがうちでは評判が良いため、いつも同じメーカーから仕入れています。
そのあたりはその地域のユーザーの好みを反映していれば商売が繁盛します。

鋭い音の量産チェロと柔らかい音のもので作りの違いを調べてもよくわかりません。決まった法則性は見出せません。

自己満足のための高級品

高級品というのは人々を魅了するとともによこしまな欲望も駆り立ててきたものです。

日本でもバブル時代までなら、世界の一流品を手に入れ自慢できるとなれば、人々を惹きつけたものです。当時のビジネスの手法は、これを持っていると一流の人物だと人から一目置かれたり、異性にモテたりすると宣伝するものでした。そのような洗脳の広告手法はかつては機能していました。今の人たちはそのようなものはすぐに見抜いてしまいケチがつけられてしまいます。実用的な物や機能的なものが求められる傾向が強まっているでしょう。

このような宣伝文句やウンチクを聞かされるほど、逆に「別に人からどう思われようとかまわないから安いもので十分だ」という考えを強めていくでしょう。私も本気で音楽をやりたければ楽器は名前ではなく実力で選ぶべきだと考えています。


高級品や美しいものを作れる人というのは職人の中でも限られた才能を持った人だけです。職人でも全く違いが分からない人が多いから粗雑なものがたくさん作られてきたのです。
それでも機能的には必ずしも悪いというわけではありません。最低限機能するポイントさえ押さえていて音が好みに合っていれば道具としては良いのです。



誰にでも分かるものが良いものなら、クラシック音楽よりもヒット曲のほうが優れているはずです。ランキングの順番が音楽のすばらしさの順番でしょうか?

やはり分かる人にだけわかるものというのがあると思います。
高級品を持っていてもほとんど誰にも気づかれないのが本来でしょう。誰にでも分かるようなのは大げさにしたものです。大げさにしたものは成金趣味というものです。しかし弦楽器職人の世界は幸いにもそこまでビジネス化が進んでいません。今時高級品といえども何から何まで手作りで作られているものは少ないです。
たまに分かる人に会うと意気投合です。高級品とはそんなものです。

「ストラディバリはフラットなアーチを発明して音量を増大させた」と信じられています。19世紀の人たちの解釈が今に続いているもので事実ではありません。
調べてみるとストラディバリはなんの発明もしておらず、他のクレモナの作者と異なる「癖」を持っています。それがストラディバリの音なのです。

このように業界で正しいとされる知識もまったく信用できません。
だからこそ自分で良さが分からないと、わけのわからない「言葉」にとらわれてしまいます。
多くの日本人は自分などにはわかるはずがないから、世界の専門家が絶賛しているものを求めます。しかし実際にはそんな人はいませんし、専門家同士でも意見が分かれ客観的に評価できるようなものではないのです。

自分だけに良さが分かるものに囲まれていることが幸せでしょう。
自分が満足するために高級品を買うということです。
そのような幸福な人をお客さんにたくさん見ています。

私なら高級品を買おうか買わないか迷った時には自分が心の底から満足できるかということを考えます。そうすればおのずと答えが出てくるでしょう。

100%理解できるようでは面白くなくて、全力で取り組んで分かりかけているくらいが一番面白いものです。それが私にとっての弦楽器です。














































こんにちはガリッポです。



新学期は9月からなので新しい楽器でレッスンを受けようとお客さんも多くなっています。夏休みを利用したメンテナンスとともに、売るための楽器を用意しなくてはいけません。

前回、スイス製のホフマンという作者のヴァイオリンの買い手が決まったという話でしたが、それまで使っていた楽器を下取りとしました。


これは、マルクノイキルヒェンのオスカー・ギュッターのヴァイオリンです。
パッと見てもきれいな楽器でマルクノイキルヒェンの楽器の多くとは違い品質の高いものです。

すぐにガルネリモデルだとわかりますが、形は整っていて粗悪品とは全く違います。ニスもラッカーのようなものではなく高級感があります。

オスカー・ギュッターは1887年に生まれ1982年に亡くなっています。東西ドイツが統一されたのが1990年なので戦後は東ドイツの職人ということになります。

この作者は一流のドイツモダン作者、シュツットガルトのゲルトナーのところで修行しています。
マルクノイキルヒェンの外の世界を知っている職人ということができます。

この楽器は焼き印だけが押されていてラベルはついていません。そのため作られた年代が分かりません。本に出ているものでは1947年のものとそっくりです。そちらはストラドモデルなので完全に同じではありませんが雰囲気がよく似ています。そのため1950年頃のものではないかと予想されます。60~70年代になるとかなり高齢なので50年頃と考えるほうが自然でしょう。60~70年代でも50年くらい経っていますから鳴るようになっているはずです。
2歳年下の同じ苗字の別のギュッターもゲルトナーのところで修行しています。兄弟なのか従弟(いとこ)なのかわかりませんが協力していたすれば生産能力が増大します。

今の時代でもこれだけのクオリティのものが作れる職人の割合は決して多くありません。私たちはマイスターの資格には興味がありません、楽器の質がマイスター作と呼ぶにふさわしいかどうかが重要です。資格だけ持っている下手くそなマイスターは多いです。

ザクセンの楽器のパフリングには白い木を黒く染めたものが使われていることが多いです。これはイタリアでも使われていますが、特にザクセン特有なのは黒の部分が太くて白い部分が細いものです。黒い部分も色が褪せていて灰色になっています。
この楽器は全くそれとは違い真っ黒なものです。おそらく黒檀でしょう。大量生産費ではなくマイスター作と呼べるクオリティの楽器です。

戦後の楽器ということで国としては東ドイツの製品ということになります。ソビエトや中国では工業製品の質が悪く発展しなかったことでも有名ですが、東ドイツの弦楽器の製造では必ずしもそうではないようです。特にマルクノイキルヒェンの弓の評価は高く、フランスで修行して技術を持ち帰り良質な弓が製造されました。お客さんのプロの演奏者でも愛用者は多いです。フランスじゃなくてはダメと言う人はむしろアマチュアです。
東ドイツになった後も、弓は密かに西ドイツに密輸されていたそうです。

現代の教科書通りのヴァイオリン

楽器を見て私は、現代の楽器製作の教科書通りだと思いました。

スクロールも現代のものです。写真はちょっとボケていますがまるみもきれいで角がちょっと丸くなっています。イタリアのモダン楽器にも多いです。
量産品のものとは違い一人前の職人として認められるレベルです。

マルクノイキルヒェンの作者なので自分で楽器を売るよりは楽器を卸していたはずです。そうなると安く買いたたかれてしまうのでかなりの速さで作ったはずです。その割には合格点の出来だと思います。これはボヘミアの職人もそうですし、現代のクレモナの作者でも同じことです。
かなりの数を作っていたせいか、安定感があります。とても手慣れていて探り探り作っている感じがしません。その方がハンドメイドっぽいですが、この楽器では欠点が少なく仕上がっています。これは現代の楽器製作では良しとされるものです。ヴァイオリン製作コンクールでは欠点のないものを皆が目指しています。
作り手の癖のようなものが現れていません。
その辺はイタリアの現代の楽器のほうが癖が強いものが多いでしょう。

これはお手本通りにちゃんと作ることができるということです。お手本のように作ることができないのを「個性がある」と称賛するなら下手くそな職人のほうが優れていることになります。

板の厚みを調べるといわゆる「グラデーション理論」で作られていることがわかります。表板や裏板の中央が厚く周辺に行くにしたがって薄くなるというものです。
これが規則的に行われているということは加工がきわめて正確であるということが言えます。安価な量産品では厚みにむらがあります。これも戦後の楽器の特徴でしょう。

前回のハウスマンも後の時代の楽器として紹介したものは同様になっていました。西ドイツのミッテンバルトと東ドイツのマルクノイキルヒェンで同じような考え方で楽器が作られていたというのが面白いです。

19世紀のフランスの楽器であれば表板はすべて同じ厚さで作られているのが代表的です。すべて薄いので全体としても薄くなります。
それに比べるとグラデーション理論では表板はずっと厚くなります。

裏板でもフランスのものは中央が厚く、それ以外はごっそりと薄く作られているのに対して、グラデーション理論では中心から周辺に行くにしたがって徐々に薄くしていくので中間の厚みの部分が広くなって全体としても厚めになります。

現代の職人も初めにこのようなものを教わります。理屈が出来上がっているので説得力があり、新人にも教えやすいものです。「なんとなく勘で作れ」と言われてもわけがわかりません。

現代の職人でもこの考え方を信じている人は少なくなく、薄い板の楽器を作ってはいけないと教えられています。
職人の工房を訪ねて、「薄い板の楽器はどうですか?」と聞いてみれば、私の意見とは違って「厚い板の楽器が本物だ、薄いものは最初は鳴るけどそのうち鳴らなくなる」という答えが返ってくることが多いでしょう。
20世紀後半からはこのように信じられているからです。

総じて見ていかにも20世紀後半の楽器ということが言えます。その中ではこの楽器はかなり古いものです。戦前の楽器製作と少し作風が変わってきているようです。

持ち主の人が買い換えたのも戦前の作風のホフマンのものです。こちらの方がフランスのモダン楽器の影響が濃いものでした。それがワンランク上の楽器として買い替えたということになります。

20世紀の職人たちはそれまでより進歩したのでしょうか?後退したのでしょうか?
判定は未来の人にゆだねられることになります。

気になる音


修理は状態が良いのでほとんど必要がありません。通常のメンテナンスのようなものです。魂柱、駒、ペグ、テールピース、弦、あご当てなど付属部品をすべて交換しニスを補修すれば完了でした。

出来上がって弾いてみるとすごくよく鳴ります。ただし音の質自体は現代の楽器のようです。オールド楽器の様な音ではありません。

教科書通り作られた現代の楽器は我々職人ならみな最初に作るおなじみのもので珍しいものではありません。一般の人にとっては量産楽器から始める人が多く、ハンドメイドの楽器は高級品として珍しいものと感じるでしょう。東京ならクレモナのものが200万円以上で売られていますが、我々にとってはよくあるものです。
この楽器もそれとよく似たような音のものです。私も日本に帰るとクレモナの現代の楽器を持っている人に会います。それと同じような音の楽器です。

ただし、これはとてもよく鳴ります。80年代のクレモナの楽器でもよく弾き込んだものはよく鳴りますが、それ以上です。ずっと古いからです。そういう意味では新作のクレモナの楽器よりはワンランク上の音と考えられるでしょう。しかし遠鳴りするものではありません。

値段はマルクノイキルヒェンが大量生産の産地というイメージの悪さで1万ユーロ(約125万円)を超えるのはなかなか難しいでしょう。この作者も特に有名ではありませんし、戦前の作者でも1万ユーロは壁で上がつかえています。
マルクノイキルヒェンのマイスターなら50~60万円くらいという見方もあります。しかしドイツのマイスターのヴァイオリンとして見れば安すぎるので100万円程度の値段でも高すぎるということは無いでしょう。

その値段でも現代の立派な楽器と同じような音ではるかによく鳴るのです。

それでも持ち主の人は不満に思い、フランスのモダン楽器の名残を残すホフマンに買い換えました。それも150万円もしません。

このような楽器は日本では売っていないでしょうが、もし売るなら最低150万円はするでしょう。そうでなければ業者には旨味がありません。150万円で売れる要素がこの楽器にはあるかということを考えるでしょう。何らかの形でイタリアの作者の影響があるとか、何か宣伝文句になるような要素が無いと仕入れることは無いでしょう。日本の商売人は「聞こえの良さ」を何よりも大事にするからです。ゲルトナーではだれも知らないのでネームバリューにはプラスになりません。値段は無知な人によって決まると考えることができます。
音が良いとかそういうことではないです。むしろ音が良かったらもっと高価な楽器が売れなくなってしまいます。

現代の名工ともてはやされたような職人と同じような戦後の主流派の作風でその中では最も古い方なためよく鳴るようになっています。値段は新作より安いのですから、同じような作風の新作を買うのは全く意味がありません。
現代の職人が修理ばかりの仕事をしているのには訳があります。

テレビやユーチューブなどで現代のヴァイオリン職人が取材されたときに、ウンチクを語った後出来上がった自慢の楽器を弾くのですが、その時の音に似ています。テレビのクルーは音楽録音の専門家ではありませんし、機材も貧弱ですから独特の音になります。それでも現代のヴァイオリンの音というのが分かります。
このヴァイオリンもいかにもそんな感じの音です。その中でははるかによく鳴る楽器です。

現代の楽器の音が悪いと私が言ってるわけではありません。そのような音が良いのなら同じような物はたくさんあり、その中でこれなら安くてよく鳴る優れたものだということです。

学生のステップアップとしても妥当なものです。粗悪品ではないちゃんとした楽器で練習して来てモダン楽器に買い替えたのですから。

趣味となれば別の楽しみ方もあるでしょう。





こんにちはガリッポです。

弦楽器の音を外観や作者名、値段などで予想することは不可能です。どんな音がするかは弾いてみないとわからないというのが弦楽器です。

とはいえ我々も楽器を買い取るときには勘を働かせる必要があります。壊れていたり、長年使われていなくて弦も張っていない楽器や、修理が必要で本来の力を出せない状態にある楽器が多いからです。

高くて音が悪い楽器を好んで買うのは日本人くらいのもので、こちらでは安くて音が良い楽器が求められます。楽器を買いに来る人は予備知識も持たずただ単に試奏して楽器を選ぶからです。

したがって安くて音が良い楽器を見分けることが重要になります。
中高生でこのような楽器を使用していれば、さらにランク上の楽器にステップアップするときに「名ばかりの巨匠」に何百万円も出すことはありません。
日本人はピラミッドの頂点ばかりを求め特定の物しか知らないため、それが実際には平凡なもので頂点ではないということに気づかないのです。


今年に入って初めに紹介したホフマン作のスイス製のヴァイオリンがありました。
〈過去記事参照〉
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12573753296.html
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12578557858.html


これはアーチが真っ平らで板が薄いものです。私もパッと見て「これは良さそうだ」と思いました。板の厚みを測ってさらに期待値があがります。
実際に修理を終えてみると力強くよく鳴る楽器で音色にも深みがあります。
この度買い手が決まりました。
こんな時期でもすぐに売れたのですから勘は正しかったです。
こんな時期だからこそ安くて音が良い楽器が求められるのかもしれません。

引き渡す直前にあご当ての調整のために手に取って見ると本当にアーチは真っ平らでごくわずかのふくらみしかありません。板が薄くまっ平らなアーチでもでも変形などは無く強度としては十分であることが分かります。オールド楽器の時代にはこれで十分だということは分かっていなかったのでしょう。どれだけ少ないアーチで楽器が耐えられるかを物語る貴重な例です。
音も良いわけですからフラットなアーチを否定する材料は何もありません。

本当に楽器の機能性だけに突き詰めていくとこのようなヴァイオリンになるのかもしれません。記事のタイトルにも「こんなので十分」と書きましたが、まさにその通りです。物を作る人は余計なことをしてしまうという過ちを犯しやすいです。買う方も余計なことをしてあるものを求めてしまいます。

私も20年くらい職人をやってきてたどりついた境地です。


他にはミルクールのヴァイオリンも紹介しました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12605555099.html


さらに今回同じような価格帯のヴァイオリンを紹介します。

オットマー・ハウスマンのヴァイオリン



直訳すると
『オットマー・ハウスマン、ヴァイオリンメーカー、ミッテンバルト、1947』
と手書きで書いてあります。とてもシンプルです。
ラベルが偽造でなければ1947年にミッテンバルトでオットマー・ハウスマンとい人が作ったということです。

普通はミッテンバルトの作者だと思うでしょう。しかし私はパッと見た瞬間にチェコのボヘミアの流派のものだと思いました。ラベルを見るより先にチェコの楽器があるなと思ったのです。
文献で調べてみるとやはり出生地はチェコのシェーンバッハです。ボヘミアの楽器製作では中心地です。
もともとドイツ人で戦争が終わってチェコから引き揚げて来てミッテンバルトに移住したのでしょう。
文献によるとミッテンバルトで下働きをした後、会社を相続し多くの従業員を抱えて工場を経営したようです。
作者としては量産工場の経営者ですからオークションなどで注目されるような人ではありません。

表側です。いわゆるガルネリモデルであることはすぐにわかりますが、巨大なf字孔はいかにもボヘミアの流派のものです。角は摩耗したように丸くしてあるのもはっきりした特徴です。形は整っていて品質は悪くありません。
文献にもガルネリモデルでニスは「陰影をつけた」と書いてありますので、まさに本の通りです。

シェーンバッハ出身の職人であるという記述とも一致しますからまず本物と考えて良いでしょう。とはいえ特に有名な作者ではありませんから、名前によるプレミアはありません。間違っていても値段は変わりません。

このようなニスの塗り方はボヘミアの楽器ではあまり見ません。どちらかと言うとミッテンバルトの流儀でしょう。ボヘミアの楽器はモダンイタリアの影響が強いのに対して、ミッテンバルトはフランスの影響が強いです。
ボヘミアのものでは角を丸くして琥珀色に塗ったのが典型的です。
それに対してミッテンバルトはフランスですから赤いニスは典型的です。

楽器の作り方は修行時代に身に付いたそのままで、ニスの塗り方はミッテンバルトに来て変わったのかもしれません。それくらい最初に教わった作り方というのが作風に決定的な影響を与えるということです。
ヴァイオリン職人は初めに教わった作り方で生涯を終える人が多いのです。

日本では明治時代などにヴァイオリンを作ろうと思えば、外国から輸入したヴァイオリンを分解して自己流に研究したかもしれません。しかし西洋では完成された作り方を始めに教わるのです。

だから特別な才能や超人的な情熱など無くても初めて作ったヴァイオリンですでにちゃんとしたものができるのです。うちにも職人の見習いがいますが、いきなり売り物になるものです。

この楽器で面白い点は裏板はボヘミアの楽器によくあるような厚さで、中心は3.5㎜程度でそれほど厚くありません。現代の厚めの表板のような厚さです。ボヘミアの楽器には表板と裏板が同じ厚さのものがあります。
このようなボヘミアの楽器にはとても音量があるものがあります。

それに対して表板は全体が2.5mm程度以下と薄くフランスのようです。
裏がボヘミアで表がフランスのような板の厚さということです。
いずれにしても厚すぎるということは無いので期待が持てます。


同時にもう一つハウスマンのヴァイオリンがありました。

これはもう少し後の時代のものです。

ボヘミアの特徴は少なくなっています。板の厚みを測っても現代の楽器のような厚めのものです。おそらく工場で従業員が作ったものでしょう。作者の特徴は希薄になっています。逆に考えれば1947年のものは作者自身が作ったものではないかと思います。
工場製の楽器としては品質も良く、見た目もきれいです。木材の質も良いです。
しかし板が厚くなっていてよくあるような20世紀の楽器です。むしろこの時代には最新の作り方でそれまでの自分の作り方を変えたのかもしれません。

もちろん西ドイツ製で60年代くらいのもので上級品ですからひどい安物ではありません。

ラベルも印刷会社で印刷されたものに変わっています。今で言えばブランドロゴです。

一方1947年の方は指板の質も悪いです。指板の裏側の加工の仕方を見るとボヘミアの作者の特徴があるのでおそらくオリジナルの指板でしょう。指板は消耗品で削りなおしているうちに薄くなってしまうので交換することになります。そのため指板は作者の特徴とは言えませんが、オリジナルのものが残っている場合ははっきりとした特徴になります。一般の人には同じように見えるかもしれませんが指板の加工の仕方は修理経験の豊富な職人が見ると千差万別に見えるのです。量産品と一流の職人の違いを一発で見分けられます。

これは材質が悪いです。真っ黒ではなく明るい色の部分が混ざっています。しかしこれも終戦直後に作られたと考えれば時代を感じないでしょうか?この時期の楽器にはネックなどにも違う木材が使われたり、料理で使うようなナイフを使って作られたりその場にあったもので作られたりしました。職人のたくましさを感じると同時に、食べ物にも困る時代にも音楽を愛した当時の人たちの想いがしのばれます。

ニスも硬いもので人工樹脂のものだと思いますし、f字孔の裏側に垂れた色を見ても色素は人工のものです。贅沢に作られた高級品ではないですが、作者本人が作ったハンドメイドの楽器だと思います。ヴィヨームでも自分で作っていたのは若いころだけですから似たような感じです。

このように弦楽器というのは初めて作ったときに完成された作り方を教わるのですでにプロのものができます。音は人によって違いがあります。意図的に音の違いを生み出したのではなく、教わった作り方で作ったらこんな音になったというわけです。
腕を上げて次第に音が良くなっていくのではなく、いきなりプロの職人の音になるのです。

見た目は何年も続けていくと完成度は上がっていきます。仕事の早さもプロのレベルになって行きます。

だからどこの誰が作った楽器に音が良いものがあるのか全く分からないです。オークションなどで取引されるのは転売してお金になる楽器です。お金の話だけです。
そのため楽器を選ぶのは名前ではなく試奏で選ばなくてはいけないのです。

この楽器は表板がぱっくり割れていた上に、瞬間接着剤のようなもので素人が修理したものでした。プロでもこのような修理をする職人はたくさんいますが・・・。
それをやり直して補強しました。過去にまずい修理がされた楽器では傷口を見えないように仕上げるのは至難の業です。

バスバーをどうしようかということになりました。1947年ですからどうしても交換しなくてはいけないというほど古いものではありません。金儲けを考えるなら手間はできるだけ減らすべきですが、悪くない楽器だとわかっていますから悩むくらいならと交換しました。ディーラーでなくて職人の強みです。

修理完了




高音側のf字孔のから下に向かって割れがあります。修理しましたがきれいにはいきません。割れてから経過したものでは修理が難しくなります。今回は素人の修理がされていたので最悪です。
それでも強度面では問題なく修理しました。

ニスは作られた当初からこのように塗られた「陰影をつける」塗り方です。アンティーク塗装の一種で、傷などはつけられていません。
特に周辺の溝のところが黒く塗られていて締まって見えます。リアリティで言うと縁だけが真っ黒なのはおかしいです。
またニスが剥げたところは黄色い色をしています。この楽器はまず黄色に塗った後で赤いニスを部分的に塗ったのだと思います。

これはエンリコ・ロッカのヴァイオリンで戦前のものです。そんなに古い楽器ではありませんがそれでもニスが剥げている所の色は黒ずんでいます。黄色なのはおかしいです。


再びハウスマンに戻りますが、スクロールはきゃしゃな感じです。多くの場合ボヘミアの楽器はスクロールだけを作る職人のものを付けていることが多いと思います。このスクロールはそれには似ていないようです。決して完成度の高いものではありません。だからこそ自分で作ったかもしれません。ペグボックスの感じからしてもミッテンバルトのものではないようです。

赤いニスの剥がれ方からすると19世紀前半~中ごろのフランスの楽器のようではありますが、それ以外のところは新しい感じがしてリアティのあるアンティーク塗装ではありません。ただし、見た目の雰囲気は悪くなく作者の美意識と考えても良いでしょう。
後の時代のもののように一色で塗るほうが手間はかかりません。

私個人的には中途半端なアンティーク塗装よりもフルバーニッシュで塗ってあったものが古くなったもののほうが好きです。
ニス自体は硬くて薄いものでフランスやドイツのモダン楽器のような分厚いリッチなものではありません。

値段は高級品とまでは言えないので100万円が上限でしょうね。うちでは70万円くらいになると思います。

とんでもなくよく鳴るヴァイオリン


気になる音ですが、弦を張るためにはじいて調弦するだけでもやたらよく鳴ることが分かります。
弾いてみてもとにかくよく鳴ることが実感できます。

鋭い音、輝かしい音、キンキンする音など音色の特徴で音が強く感じることがありますが、それとは全く違ってとにかくよく鳴るのです。強い音の楽器にありがちな高音の鋭さもありません。私がバスバーを変えたことも一役を買っているでしょう。

柔らかい音は弱く感じ、鋭い音は強く感じるものですが、そのような次元ではありません。鳴るというのはこういう事だということをこの楽器で一度体験したほうがいでしょう。

値段は70万円程度ですがどんな新作楽器よりもよく鳴ります。東京で300万円以上で売られていて巨匠だと言われていてもこんなに鳴るものは無いでしょう。もちろん私が作った楽器でも不可能です。

もし10台ヴァイオリンが並んでいても抜きんでていることがはっきりわかるでしょう。それくらいよく鳴る楽器です。

音色自体はオールド楽器のような味のある音ではありません。しかしやかましく耳障りでもありません。
特別な好みが無ければ、たくさんの楽器の中でも「これは鳴る」と目立つものです。

この楽器を持っていたら、次に高価な楽器に買い替えるときに何を弾いても物足りなく感じるでしょう。300万円から1000万円するイタリアの新作やモダン楽器では満足できないでしょう。それこそ19世紀のフランスの楽器くらいでしょうか?

とはいえ一流の演奏者が使う楽器ではないと思います。そのような人たちはどんな楽器でも鳴らしてしまうからです。しかしアマチュアや学生では別次元によく鳴る楽器で音が出やすく助かるでしょう。

開けて修理したわけですが、何か特別な特徴はありませんでした。板が薄くて70年以上経っているということが特徴です。
ニスもラッカーのような硬いものでよく鳴るのですから、「柔らかいニスのほうが振動を妨げないから音が良い」と言う理屈が嘘であることがはっきりします。さすがにスプレーで分厚く塗ったものとは違います。


裏板の厚さがボヘミアスタイルであることも特徴です。現代の表板のような厚さで中央は3.5㎜ほど、3.0㎜くらいの中間の厚みのゾーンが広く、2.5㎜程度の一番薄い所の面積は狭いです。フランスの楽器では中央が4.5~5㎜くらいでそこをのぞくとごっそりと薄くなっているのが特徴です。このためか、この楽器ではフランスの楽器のような深みがありません。しかし低音が弱いということはありません、なぜならやたら鳴るからです。
音色には裏板が重要な役割を果たしているのかもしれません。

表板はフランス風でどこもかしこも2.5㎜程度になっています。表も裏も厚さの差が少ない楽器ということが言えます。
だからと言ってこれと同じ厚さにすれば同じようによく鳴るかはわかりません。

よく聞く「薄い板の楽器は初めは鳴るけど・・・」というのも70年経っても鳴るのですから嘘ですね。少なくとも新作なら生きているうちは大丈夫です。分かっている範囲では言えば400年くらいなら大丈夫ですけど。


同じボヘミアでも有名なマティアス・ハイニケであればもっと大人しいです。他のボヘミアの楽器にはずっとよく鳴るものがあります。

職人の知名度や腕前と音はあまり関係が無いのです。無数にいた無名な職人の楽器でもバカにできません。

作り方の秘密があって音が良いというのではなくて、今回の記事タイトルにもあるように突然変異かもしれません。そしてせっかくよく鳴る楽器を作っていたのに、その後の製品では20世紀の主流派の作り方に変えています。秘訣を分かっていたわけではないようです。


だから弾いてみないと楽器は分からないのです。
とはいえ、品質はまずます良さそうで、板も厚すぎずこの楽器に目を付けていました。まともに作ってさえあれば、第一次審査は合格です。さらに弾いてみてそれ以上の結果になったのが今回です。

究極の腕前の職人である必要はなく、有名でも高価である必要もありません。大体音が良い楽器というのがこんなものだというのが経験で分かってくるものです。見た目は平凡なものです。平凡なものの良さが分かる境地にまで達したと言えるかもしれません。

総合的に見ればまっ平らなアーチのスイス製のホフマンのほうが音色には味があると思います。柔らかい音ではないのでそうなると全く別のものが候補になります。ドイツのオールドヴァイオリンで高いアーチのヴィドハルムも修理中で楽しみです。逆にドイツでは珍しいフラットなブッフシュテッターも低音などは本当に良いです。

ハウスマンのヴァイオリンは「鳴る」という一点に関して言えばずば抜けたものです。現代の職人は同じ路線では対抗できません。

こんにちはガリッポです。

私のところも観光客が増えてきました。
よく写真を撮らせてほしいと工房を訪ねてくる旅行客がいます。古い街なので伝統的な職人の工房を見つければたたずまい自体が素敵なものに見えるのでしょうか?
こちらは単に仕事をするための工房ですが、それ自体が何か素敵な物のようです。

そのような「素敵さ」を消費者は求めているのかもしれません。
私もそのようなイメージを作り上げてアピールするべきです。


しかし、実際に仕事をしていると素敵だということでは済みません。
作られた楽器の9割以上は単にお金のためだけに作られたもので、世の中の他のものと変わりません。

先日も高齢なお客さんが古いヴァイオリンを持ってきて修理をしてくれというのです。私たちが見ると安価なザクセンの量産品で駒の位置を意味するストップの位置が20㎝ありました。通常は19.5㎝で規格として決まっています。弾けるようにして売ろうと考えているなら他にもっとましな楽器がいくらでもあるため真っ先に売れることは無いでしょう。

それでも修理には5~10万円くらいかかります。師匠は修理する価値が無いと伝えてもまったく理解してくれません。修理することになり私に渡されたわけですが、駒をどこに立てたらいいかわかりません。作られたように20㎝のところに持ってくればとても弾きにくいヴァイオリンになりますし、f字孔を無視して19.5㎝に持ってくれば見た目のバランスが明かにおかしくなります。理屈で考えればf字孔が切れていることで表板の中央が柔軟になっているのでその真ん中に駒が来るのが安定した形です。
とにかく直してくれというわけですから、間を取って19.75cmのところに駒を立て、好きな位置にずらして使ってくださいとしかやりようがありません。
楽器の質からしても細かいことを気にしても音質に影響するようなレベルではないでしょう。駒の位置は「表板と弦の間のどこか」というくらいに緩く考える必要があります。

実は楽器というのはだいたいそのようなもので何千年も人類は「音楽」をやってきたのです。我々がミリ単位で仕事をしているほうがおかしいのです。ほかにはシリアの民族楽器でリュートのようなものが持ち込まれました。持ち主はペグの具合が悪いのでYoutubeを見てジャムとベビーパウダーをペグに塗れば良いというのを知って真似したそうです。砂糖でべたべたになりカビが生え、固まってしまい無理に動かしてペグが折れてしまいました。我々ならコンポジションという専用のものがありますからそれを使います。せっけんやチョークを使う伝統的な方法もあります。
その楽器を見た音楽教師の方が、自分の持っているトルコの民族楽器を持ってきてやはり具合が悪いというのです。大きさに合うような工具が無いと言って断りましたが、もともと専用の工具などは使わず精巧に加工されていないのが原因です。しかし、人類の歴史上では楽器というのはそのような物なんでしょう。


ザクセンのヴァイオリンに話を戻せば、なぜこのようなヴァイオリンが作られたのか不思議です。アマチュアの素人が作ったならこのようなこともあるでしょう。しかし明らかに専門の業者によって作られた「プロの仕事」です。多くの人たちが分業で仕事を担当していました。製造以外の仕事も含め多くの人がかかわっていたはずです。しかしそのプロフェッショナル集団の一人も、ストップの位置がおかしいということに気づかなかったのです。

なぜ20㎝にしたのでしょうか?19.5では半端なので20㎝のほうがキリが良いと考えたのでしょうか?

職人たちが寄ってたかって作ったのがこれです。
職人の仕事がそんなに素敵なものではなく、単なる汚れる肉体労働でその町ではそれしか仕事が無いからお金のために働いていたはずです。イタリアのモダン楽器でも他に仕事が無かったからヴァイオリンを作ればアメリカなどに輸出できたというのもあります。

他にも弦楽器の商社が来て新品の量産楽器や弓を持ってきました。それとともにオールドのドイツの楽器もどうかと見せてくれました。おそらくいろいろな工房に出入りしているので売ってほしいと頼まれたか何かでしょう。

見ると確かに少なくとも200年くらいは経っている本物のオールド楽器でした。作りなども悪くはありません。音は良いかもしれません。
ひどい粗悪品ではないとはいえ、美しいものを作ろうという気概が全く感じられません。手先が器用だとかクリエイティブな才能や美的センスなどは全くない人が職人の仕事をやっていました。
単にお金のために作っていただけに見えます。
昔は農業をやりながら冬の農閑期に楽器を作ったりしていました。雪の時期の副業であって、人生をかけたようなものではありません。

このようなものはイタリアのオールド楽器にもよくあります。数千万円の値段がついています。


私も職人の魅力をアピールすべきところなのに、いかにそれが幻想であるかを語ることに文字数を費やしてしまいます。「勘違いするな、職人なんてものはろくなものじゃない」と必死にアピールしています。

しかしそれこそが職人の魅力だと思います。
これがテレビや雑誌、楽器店の営業マンなら「上辺の素敵さ」を見せて現実は隠すものです。ヴァイオリンでも「見た目は悪くないのに表板を開けるとひどい」ものが多くあります。職人でなければ見ることができません。

メディアや営業マンなら何よりも営業成績が求められます。いかに人々の気を引いて販売成績を伸ばすかに興味が行かざるを得ません。それに対して職人はその品物がどんなものなのかを知っています。その飾り気のなさこそが職人の魅力だと思うのです。

素敵さは作り出すのではなく、醸し出されるものでしょう。職人の場合にはその「実直さ」が素敵さだと私は思います。

失われて行く職人の世界


そのうえで、反省すべきこともあるでしょう。
大きな企業は都会的な先進的なイメージを作るのがうまくて、職人などは苦手とするところです。伝統も惰性で続けているだけなら古くて田舎臭いものになってしまいます。

カーボン製のヴァイオリンもあります。見た目はいかにもカーボンという編み目が交差したものです。弾いてみると思ったよりもヴァイオリンらしい音でした。
ただしちょっと攻撃的すぎると思います。優しく優雅で美しい音ではありません。それが現代の美意識かもしれません。
カーボンのヴァイオリンは作られた数が少ないのでもっとたくさんの業者が異なる設計で作れば中にはずっと音が良いものもできるでしょう。そのような可能性は感じるものでした。

テニスのラケットも昔は木製でしたが、今木製のものを使う人はいないでしょう。スポーツ用品では勝敗に左右するため、伝統的なものなどはすぐに使われなくなってしまいます。ヴァイオリン演奏でも音の大きさを競う大会などがあれば木製などは誰も使わなくなるでしょう。

試したカーボンのヴァイオリンは安価なもので10万円もしないものだと思います。そのため作りはかなり雑でした。持ってみてもカーボンとは思えないほど重いもので余計な部材が多く使われているでしょう。

これは木材はとても軽くて強度に優れた素材ということが言えます。

カーボンのヴァイオリンは強度が高すぎると思います。強度についてはオーバースペックです。厚みを変えようにも薄く削ったりすることはできません。それだけ硬いなら魂柱も必要ないのではないかと思います。だとすれば魂柱でつながっている裏板も必要ないかもしれません。弦の張力は木製とは全く違うものでも耐えられるかもしれません。新素材のハイテク弦もカーボン用に開発されていく必要があるでしょう。

もしカーボンに素材が変わるなら楽器の形もまるっきり変わってしまうでしょう。
ただ単に木材に置き換えるには性質の違いが大きすぎると思います。こうなればデザインも伝統的なヴァイオリンの形にする必要はありません。工業デザイナーのような人たちが未来的な流行のデザインを作り出せば良いでしょう。
これをやれば普通は売れるはずです。木製のヴァイオリンは劣った過去のものとなり「カーボンのヴァイオリンがストラディバリを超えた」と人々は考えるようになるのです。かつてチェンバロがピアノに変わったような革命です。大金持ちになりたいならぜひこのアイデアを実現してください。


もし失敗する可能性があるとすれば、ヴァイオリンの愛好家がこのようなものを好まない場合です。それはヴァイオリンという楽器がクラシック音楽の中心的な存在であるということでしょう。クラシック音楽とヴァイオリンは切っても切れない関係にあります。他のジャンルの演奏者なら気楽にハイテクヴァイオリンに移行するでしょう。大手メーカーならそこをターゲットに製品開発をするはずです。
クラシック音楽は「古典」であるということが独特です。古典はいつの時代にも失われない価値を持ったものです。人間の本質はあまり変わらないからです。ただし時代によって古典が尊ばれるときもあれば、軽んじられる時もあります。
また当時は最新の音楽であって、古典ではなかったということも言えます。それに対して現代の作曲家がそれよりも魅力的な作品を作れるかということでもあります。古典が勝ち続ければヴァイオリンも古典的なものが好まれるはずです。

古いものの魅力


私個人は古いものの面白さに取り憑かれた一人です。

さっきも言ったようにカーボンの「未来のヴァイオリン」は想像できます。後は実現するだけです。それに対して過去のものは発想が我々とはかけ離れています。最近は「アマビエ」というものが話題になっているようですが、あの絵を見てもびっくりします。一目見ただけで強烈な印象を与えます。今になっていろいろなイラストやグッズが作られているようですが、オリジナルの絵を超える破壊力のあるものはありません。新しいキャラクターを作ろうと思って、あのような絵を狙って描くのは現代のイラストレーターには無理でしょう。

10年~20年でも人々の感覚はどんどん変わっていきます。古いものはそれだけ面白くなっていくわけです。

現代のヴァイオリンの製造法も、数十年前では「最新のもの」と考えられていました。現代の名工などと扱われる人たちの考え方です。オールド楽器とは全く違うのはこのためです。しかしよく調べてみると100年くらい前にはすでに考え方が出来上がっていることが分かりました。100年も前のもので最新ではないのです。かといって300年前から伝統を受け継いでいるのではありません。

思い起こせば、明治時代以降日本人にとっては日本のものは古いもの、西洋のものは新しいもので、それを学ぶことは最新のことだと考えられてきました。クラシック音楽も西洋の進んだ文化と考えられてきました。同様に西洋に渡ってヴァイオリン製造法を学び日本に作り方をもたらすのは最新だったのです。

それが今では考え方が逆になっていることさえあるでしょう。ヨーロッパの宮殿や教会を訪れたとき圧倒されるのはその新しさではなく古さなのですから。

日本で「職人」と言うと伝統工芸などをイメージすることが多いでしょう。しかし西洋の職人の技術を学んだ日本人も少なくありません。この分野は日本の伝統文化を重んじる保守手的な人にも、最新の文化を求める革新的な人にも当てはまらないのでマイナーな扱いです。「日本=古い」「西洋=新しい」という発想はもうやめましょう。
外国のもので、昔のものとなると発想がさらに違います。それがとても面白いです。

古いものが持っているインパクトを現代にアピールしていくのが私の仕事なのでしょう。西洋の人たちが忘れていることに価値を見出すのも我々なのです。













こんにちはガリッポです。

今年も暑くなってきました。
ここまでのところ例年に比べればそれほど暑くはないですが、さすがに8月ともなれば覚悟が必要でしょう。

チェロの話も考えていましたが、赤いニスについて考えてみたいと思います。

先週はこのようでした。


次が一週間後です。


実際より赤く写っているかもしれませんがずっと赤くなりました。

このままではかなりどぎつい印象が強いので100年くらいは古くしていきます。

でも新品の楽器ならこのような鮮やかな赤いニスはヴァイオリン製作コンクールなどで主流で色鮮やかさを競っているくらいです。他よりも目立たなければいけないという思いもあるでしょう。

高級店を装う店のショールームは暗めになっていて暖色系の照明をあてれば深みがあるように見えます。ちょっと暗い部屋のほうが楽器は高級感があって見えます。
白昼に持ってくれば本当の色だと気づきます。うちは作業場なのでそのままの色で見えてしまいます。

実際日本の方でお会いして現代の楽器を買った人で鮮やかなオレンジ色の楽器を持っている人は多いです。私はあまりやりません。

自分たちで楽器を作っているので、お店の照明で高級感を出すのではなく、実際のニスで高級感を出せばいいわけです。それが商業と製造業の違いです。

今回は「赤いニス」は注文なので茶色になってはいけません。赤すぎるくらいから初めて、古い感じにして落ち着かせるのが良いでしょう。いつもは最初から古くしていきます。想定している年代が違うからです。1700年頃を想定すれば初めから古くして行かないといけませんが、今回は100年くらい前の感じにしましょう。


このような感じでヴァイオリン製作コンクールの出展楽器を見ればみな赤いニスです。コンクールの「流行」です。流行に敏感な職人は赤やオレンジのニスで塗って、お店は暗い照明で売るというわけです。

色の流行があるのかということですけども、オールド楽器を振り返ってみればアマティなどは琥珀色のようなニスが多くて、アマティ系の楽器はそのようなイメージがあります。できたときはオレンジだったかもしれませんが古くなってそうい見えるということもあるでしょう。私は琥珀色ととらえていますが一般的には黄金色と言われているでしょう。
実際にはこの黄金色はニスの色ではなく木材の色です。古くなると黒ずんで暗くなるので黄色やオレンジのニスが黄金色に見えるのです。補修するときはオレンジのニスを塗れば良いのでニスの色は必ずしも黄金色ではありません。
アマティになるとニスと地肌の色が似ているのでどこが剥げていてどこが残っているかはわかりにくいです。この残っているニスはオレンジ~琥珀色なのです。ニス自体の色なのか木材の地肌の色なのかを混同してはいけません。

一般的にはイタリアの楽器は黄金色だとごちゃ混ぜにして語られてきました。20世紀でも古い時代ほど「黄金色」のオールド楽器が珍重されたようです。20世紀の楽器には琥珀色のものが結構あります。角は丸くしてオールド楽器のようにします。オールド楽器の修理でも角をやすりで丸くしていたようです。このような趣味は私たちにはちょっと古風な感じがします。


ストラディバリも若いときはそのような感じで特に装飾付きのものは有名です。その後もうちょっと赤いニスの楽器もあります。グァルネリ家は琥珀色~オレンジ系です。
赤いニスで有名なのはモンタニアーナのチェロです。モンタニアーナも琥珀色もありますが、イメージするのは赤いものです。亀裂が生じているのが有名です。
G.B.グァダニーニははっきりしたオレンジ色です。ニスがポロポロと剥げているものが多いです。これはニスが堅くて脆い物でしょう。衝撃が加わるとポロっと剥げていくのです。ゴムのようなニスなら消しゴムのようにこすれて薄くなっていきます。
こういうのはコピーを作るのが面白いニスです。

ミラノのテストーレやナポリのガリアーノにはとても黄色いニスがあります。ニスが剥げた所に汚れが付着すると灰色に見えます。このためニスが残っている所のほうが明るく見え、ニスが剥げている所のほうが濃い色に見えるのです。できたころは本当に明るい色で安い値段で売られていたものだと思います。濃い色にするにはニスを多く塗らなくてはいけないからです。

ドイツの南の方やオーストリアでは黒いニスが特徴です。今でははげ落ちていますが、新品のころはピアノのようだったのでしょうか?1900年ころになってもドイツのオールド楽器に見せかけて真っ黒に塗られた量産品があります。スズキバイオリンでもこれに習って黒いものがあったと思います。

全部が黒というわけではありません、特にウィーンではレンガのような独特の赤いニスがあります。土系統の顔料を使っていたんでしょうか?赤土のような赤さです。酸化鉄ですね。

東ドイツのほうは黒いというイメージはありません。イタリアのオールドの様なものもあります。赤いものは印象にありませんが、琥珀色や黄色っぽいものもあります。いわゆる黄金色になっています。

フランスのオールド楽器はあまり見ることがありません。資料の写真で見るとオレンジ色のものを見ます。実際に見たものはニスも剥げていてイタリアの物と区別つきません。そのようなわけで偽造ラベルに変えられていることも多いでしょう。

イギリスは南ドイツに近いものがあります。ミッテンバルトから楽器を買っていたというのもあります。作風は南ドイツに似ているものがあります。

オールド楽器はこのように地域によって特徴がありました。
しかし個人によってもバラバラで、古い楽器ならニスもほとんど剥げ落ちてしまい、汚れて真っ黒になっていることもあって実際にはよくわからないことが多いです。修理によって上から違う色のニスを塗り重ねている場合も多くあります。住宅などでは壁を塗り直すのは普通ですから、昔はそんな修理もしていました。
オールド楽器で19世紀に塗り直したものはすでにモダン楽器のようになっています。


赤いニスで何よりも有名なのはフランスの19世紀のものです。ストラディバリにも赤いニスのものがあったのでそれを理想のニスと考えさらに赤さを増していったのでしょう。19世紀でもとくに前半のものはどの作者もニスが似ているので、ニスを作る工場から皆買っていたのか、決まった材料を使っていたのかなどが考えられます。

赤の染料は茜が代表的です。
茜は水溶性の染料で白い粉末を赤く染めて顔料を得ます。これをオイルニスに混ぜれば赤いニスになるわけです。アルコールニスでは顔料は沈殿してしまいます。振れば混ざらないことは無いかもしれません。

染料というのは液体の溶けるものです。顔料は粉末でニスに混ざっているだけです。砂糖と小麦粉のようなことです。


茜の赤い色素はアリザリンと言って人工的に製造できるようになりました1868年にドイツで発明されています。茜はアリザリン以外にも不純物を含んでいるので紫っぽい色なのに対して、アリザリンは真っ赤です。

このように生産コストの安い人工的な染料が開発されていきました。大量生産ではよく用いられているものです。今でも購入が可能です。


19世紀にフランスの楽器がヨーロッパで優れていると評価されるようになると、それに憧れて他の国でも赤いニスの楽器も作られました。トリノなどはフランス人が来て楽器作りを教えたわけですから当然です。プレッセンダなどは代表的です。グァダニーニ家ではフランス人が代わりに楽器を作っていたこともあるので完全にフランスのニスの楽器があります。
しかし一般的にはイタリアの作者の赤いニスはちょっとフランスのものとは違うようで個人の趣味で赤いものも作られたという程度でしょう。赤い色は色があせやすいものが多いです。初めは赤く塗られていたニスが変色して茶色になってしまうこともあります。私が修理したアンサルド・ポッジはあご当ての下が赤くなっていました。もともとは赤く塗られていたものが光に当たって色が褪せて琥珀色になったのです。20世紀の作者ですからすでにあご当てが普及しています。
イタリアのモダン楽器には琥珀色のものが多くあるように思いますが新品のころは分かりません。


ドイツでも独自に赤いニスのものが作られました。とても柔らかいニスのものがあって100年経ってもまだ固まっていないものがあります。永遠に固まらないわけですが、我々も「柔らかニスのほうが音が良い」と聞いたことがあると思います。このころのドイツの考え方が伝わっているのでしょう。

安価なものでは人工的な染料や樹脂を使ったためいかにも安っぽく、とてもフランスのモダン楽器のようなものではありません。特に戦後の人工染料は色があせやすいものがあります。駒の足の下だけが赤くなっているチェロもあります。

フランスでは真っ赤なニスが「正式」と考えられていたでしょうが、オールド楽器をイメージしたアンティーク塗装も行われ出しました。様々な方法がありますが落ち着いた色合いのものも作られるようになりました。

ドイツの大量生産ではアンティーク塗装が特に好まれて独特な手法が確立されていきました。私が見れば即座に「マルクノイキルヒェン」とわかるものです。

ヨーロッパ各国でも同様です。
今ではいろいろな色のものがあるというのが現状でしょう。

クレモナのヴァイオリン製作学校ではオレンジ色のニスだとイタリア人の職人は言っていました。オレンジなどは割と主流でしょう。ミッテンバルトの学校はもうちょっと赤茶色のような色で軽いアンティーク塗装だそうです。

このあたりがスタンダードでしょうか。
新作楽器のオレンジや赤のニスが一番基本的なものです。
ムラなく均一に塗るのが難しいため、ヴァイオリン製作コンクールではいかに均一に塗るかが評価されるのです。
これについてはスプレーのほうが優れています。スプレーは最も安価な楽器に使われる塗装法です。最も安価な楽器で最も腕の良い職人と同等以上の塗装ができることになります。

このような楽器を見慣れているとオールド楽器のほうが希少で美しく見えます。そこで職人や工場では古い楽器のようなアンティーク塗装をしてきました。イギリスではかなり古い時代に行われいたようです。フランスでも19世紀中ごろには多くなります。J.B.ヴィヨームが特に有名でした。東ドイツで大量生産がおこなわれるようになると「ストラディバリウス」のラベルとともにアンティーク塗装されたものが定番となりました。

これらがあまりにも大量に作られたためアンティーク塗装のほうがありふれたものになり安物の代名詞となりました。我々職人ならアンティーク塗装ではない新品の塗装(フルバーニッシュ)は初めて習う時にするものであり見慣れたものですが、楽器店では高級品に限られます。高級品はオレンジや赤いニスのものでアンティーク塗装の方が安物というイメージになるかもしれません。

実際には必要なノウハウや技術、作業の手間などはアンティーク塗装のほうがはるかに高度なものです。一度に何台もの楽器を塗るなら神経を使うアンティーク塗装は無理でフルバーニッシュにするでしょう。チェロなどもアンティーク塗装は手間がかかりすぎて高度なものは不可能です。

フルバーニッシュが良いのか、アンティーク塗装のほうが良いのかは好みの問題です。そのため自由に好きなものを選べば良いわけです。どちらが上等ということはありません。ただモダン楽器では同じ作者の場合アンティーク塗装の楽器のほうが高い値段になることもよくあります。アンティーク塗装の名人のほうが少ないからです。

フルバーニッシュでもアンティーク塗装でも汚いものは汚いですが、神経質で完璧さを求める人ならフルバーニッシュのほうが良いでしょう。お客さんでもいろいろな好みの人がいます。


私個人としては下手なアンティーク塗装ならフルバーニッシュのほうがましだと考えています。実は私は誰よりもアンティーク塗装が嫌いなので完成度が高くないと許せません。職人は毎日何層もニスを重ね塗りするため同じ楽器をずっと見続けます。そのため単色では飽きてきて物足りなくなってしまいます。オールドの名器がはるかに魅力的に見えチャレンジするのです。

フルバーニッシュが完璧に塗れるようになるまで何年もかかるでしょう。苦労して目標を実現したときに「あれ?スプレーと変わらない」と物足りなくなるのです。フルバーニッシュもまともに塗れない職人のアンティーク塗装は汚いだけです。ましてや金儲けのために古い楽器に見せかけたものはすぐにわかります。木材の無駄です。


さらにきれいな赤いニスは意外と難しいものです。紫っぽくなったり、色が弱すぎればオレンジになってしまいます。完全に赤く塗ってしまうと思っていたのと全然違う感じになってしまいがっかりするものです。

フランスの楽器を見て同じような物を作りたいと思ってもフランスの楽器は100年~200年くらい経っていますからすでにアンティークです。フルバーニッシュとして真っ赤に塗ったものとは違います。

それで私はもし赤いニスにするなら、すべてを均一に赤くするのではなくちょっとでもはげ落ちている部分を作りたいと考えていました。今回はまさにそれです。人間の視覚的な2色(ツートーンカラー)の効果を出したいと考えいてるからです。
フランスの楽器が赤いのに良い感じで見えるのは多少はニスが剥げているからではないかと考えています。

そこに赤いニスという注文があったのでそれを実行するチャンスです。もちろんすべて真っ赤に塗れば100~150年後には勝手にそのようになるので必要はありませんが、生きてる間は見ることができません。いかにわざとらしくなく自然にできるかが重要だと思います。


こんにちはガリッポです。

市営劇場は長期間休みでしたが、例年通り夏休みにメンテナンスをしている人たちの楽器も入ってきています。修理代は国立のオーケストラに比べて気前が良いとは言えませんが一応予算はあります。手続きはめんどくさいものの費用として認められます。こちらも納税者としては気を使って大掛かりな修理は避けるのですが、簡単なメンテナンスで済ませているといずれは必要になります。指板が薄くなっていてそろそろ限界に近いです。指板交換をすれば同時に駒の交換も必要になります。

そのビオラです。


ニューヨークで現代に作られたものです。ラベルには作者の名前とともにG・グランチーノのモデルと書かれています。

ニューヨークの職人の楽器と聞けばどんなイメージをお持ちでしょうか?私はほとんど何も知りませんが、ニューヨークという場所が世界でももっとも繁栄した国の中心都市であることは誰もが知っていることでしょう。世界一の都です。

首都はワシントンDCですから首都ではなく、もともと移民が船でやってきて自由の女神に迎え入れられた場所です。今でもアメリカの人からすれば外国人の住む都市というイメージかもしれません。

音楽家も例外ではなく、名だたる有名な音楽家が活動し、弦楽器の分野でもジュリアード音楽院などはとても有名です。したがって世界中から才能ある音楽家や、名器が集まる場所ということだというイメージがあります。

世界最高の音楽家と名器の集まるニューヨークで作られた楽器であれば世界一の職人のものと言えるでしょうか?

この楽器は20年近くずっとメンテナンスをしています。ニスがとにかくオレンジで目が痛くなります。しかし20年でいくらかましにはなってきました。

もともとアンティーク塗装がされたものですが鮮やかなオレンジ色のため全く古い楽器には見えません。

グランチーノのモデルらしいですが、元のものは分かりません。形から見るとランドルフィのヴァイオリンもこんな形です。上と下が極端に平らになっていてアマティのような繊細な丸みは無く、上下をぶった切りにした感じです。

フランスのストラディバリモデルのようなモダン楽器のクオリティはありません。かといってオールド楽器の感じもまったくありません。しっかりした教育を受けていない人が何とか作ったという感じがします。

ニスはオレンジ色でアンティーク塗装をやる人が苦心して作り出す黄金色とは全く違います。正統派のモダン楽器のクオリティは無く、オールド楽器の複製としてもまったく違います。

板の厚みは厚めで音も明るいいかにも現代の物という感じがします。胴体は巨大でネックは短いものがついています。巨大にもかかわらず低音に深みが無く明るい音がします。


もしニューヨークの職人だからオールド楽器に精通していると考えるのなら完全な思い違いです。普通のものすらちゃんと作れない人がグランチーノというちょっとマイナーな名前を出すことで何か「通」ぶっているように感じます。

私ならこのようなニスの色なら大失敗として恥ずかしくて消してしまいたい過去となるでしょう。


私はまずプロフェッショナルとしてはスタンダードなものを美しく早く作れることでプロとして認められるべきだと思います。研究や工夫をするのはそれからでしょう。

実際にあったことです。
ヴァイオリン製作を数年学んだくらいの職人がどこかの博物館で古い楽器を研究して作ったとプレゼンテーションしていました。一般の人はそこら辺にある楽器よりも優れているように思うでしょう。

我々が見れば、単なる下手くそな未熟な職人でオリジナルとは似ても似つかないし、おそらくスタンダードなものもちゃんと作れる腕ではないでしょう。

「博物館で見た」というだけで良い楽器が作れるなら、だれでもストラディバリを作ることができます。

修行にかかる時間よりも旅行にかかる時間のほうがはるかに短くて済みます。

こんな事がまかり通るのが今の時代です。プロとして通用する腕が無く、博物館で見たというだけではただの趣味です。プロではありません。
でも口がうまければ通用する時代です。


このビオラの所有者のプロの演奏者の方は、私がこの前作ったビオラを試してとても気に入ったそうです。30年弾き込んだんビオラに対して、出来立てほやほやのビオラですからどれだけ潜在能力があるかというわけです。
胴体のサイズはずっと小さいのにですよ。



オレンジのニスの楽器のメンテナンスも目には優しくはありませんが、徐々に古くなっているのでもう新品の時のように直すのは無理で、過去の修復の跡も無数にできて古びた感じとして残そうとしています。何年か前からはそのような修理の方針です。



次の話題です。
見習が作ったヴァイオリンを購入したいという人で赤いニスにしてほしいという依頼があります。

もっとひどいことになっています。
5回ニスを塗ったところですが強烈な色です。

とはいえ見習が作ったわりには悪くないでしょ?
教えれば誰にでもヴァイオリンは作れるのです。

これはオイルニスなので当たり前のように塗れていますが、これがアルコールニスならハケの跡が線になって残ってしまうので今頃はしま模様かまだら模様の楽器になっています。
それを直すだけで余計に1週間はかかってしまいます。オイルニスの良い所はその必要が無い所です。ムラが無いわけではありませんが、自然で目に馴染むものです。

アルコールニスの成分のほとんどはアルコールで蒸発して無くなってしまうので塗る回数も相当多くしなくてはいけません。


私はいつもは木材を着色します。

今作っているピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンでこんな感じです。
乾いているので明るく見えますがニスが入ればずっと暗い色になります。

白木に赤いニスを塗ればピンクになります。着色はとても難しくて新人が失敗すると大惨事なので無着色で白木のままにしました。
私も白木のままの楽器を10年以上塗ったことが無いので驚くような色になっています。
光はニスを通過し木材のところで反射し再びニスを通過して我々の目に届きます。この時ニスはフィルターのように特定の色を通過させるのでその色に見えるわけです。木材は反射板ですから新しい木では光が強く反射して明るい色になります。古い木材や濃く着色されていれば反社の光が弱くなりずっと色が濃く、暗く見えます。同じニスでも150年経った楽器であればずっと暗い色に見えるはずです。さらにフランスでも木材の着色は研究されていてとても強く着色されていることも少なくありません。これはストラディバリでもやっていたことだと思います。

19世紀のフランスの楽器ならすでに150年くらい経っていますから、汚れもついているし、木材も変色しています。
フランスの楽器も新品のころはすごく鮮やかな赤やオレンジだったことでしょう。

まだまだニスの層が薄いため光を多く通してしまい明るく見えすぎます。あと3~4回くらい塗ればおそらく真っ赤っかになると思います。

「陰影をつける」という塗り方で全面を均一に塗るのではなくて、ニスが剥げ置ている様子を再現したりするものです。
このような手法は19世紀にも盛んにおこなわれました。フランスのものなどは特徴があり、すぐにフランスのアンティーク塗装だとわかります。自然とそうなったものとは見分けがつきます。

これはイタリアでもドイツでも同じことです。
19世紀終わりくらいからドイツのマイスターも盛んに赤いニスで陰影をつけたニスの塗り方をしました。
私が見れば作った当時にわざとそうしたことは分かります。実際に使っていてニスが剥げるのとは違うからです。

やり方に独特の特徴があるためにドイツのモダン楽器だとわかるわけです。なぜそうなるかといえば、実際の古い楽器を観察して塗り方を身に付けるのではなく、塗り方を師匠に教わるからです。だから実際の古い楽器とはかけ離れたものになります。

漫画やアニメに近いでしょう。実際に人間を観察して人の描き方を身に付けるのではなく、過去の漫画の絵をまねして書き方を身に付けるのです。だから実際の人間とはかけ離れているのです。それと同じことです。もちろんたくさんの絵を短時間で描かなくてはいけないので簡略化されたのが漫画の絵です。



今回私がやっているのはフランスの1850年頃のものをモデルにしています。均一に塗られたものが今になってニスが落ち始めている様子です。
体が触れるところのニスが剥げ始めている様子です。7~80%はオリジナルのニスが残っている様子です。

一般的にアンティーク塗装でやるときはもっと50%くらいニスが剥げている様子にすることが多いです。しかしこれをやると他の部分も全体的に古くしないとおかしいです。今回の依頼ではそこまで凝ったアンティーク塗装ができません。

ニスが50%剥げているのに新品のような塗装は私が大嫌いなものです。

後でもう少し落ち着かせますが、今回のものはニスがちょっと剥げているだけなのでニスが残っている部分がまだまだ新しい感じでもおかしくありません。

多くの場合アンティーク塗装ではその楽器がどのくらい年月を立ったものなのかを想定しておらず古さの年代がめちゃくちゃです。

最初のビオラでもグランチーノの1700年頃ならあんなオレンジではダメです。
オリジナルのニスはオレンジでも良いですがそれは半分以下の面積しか残っていないのが普通です。それ以外のところは木の地肌の色である黄金色にしなくてはいけません。すべてオレンジなら100年以内の楽器です。そこに黒い傷をつけています。数十年使った楽器では傷は黒くなりません。楽器全体に汚れが付くと傷のところだけに残って黒くなるのです。表現している年代がバラバラです。

一方私が今やっているのも強烈なオレンジです。もっと赤くなりますが、これはモダン楽器を再現するものです。
そのため鮮やかなニスで良いわけです。
19世紀終わりくらいの感じをイメージしています。

しかしながら依頼内容はアンティーク塗装とはしていません。コストがかかりすぎるからです。
19世紀終わりの楽器のように古くは見えないでしょう。しかしちょっとニスが剥げている部分があることで視覚効果が生まれます。


それを目指すのが今回の塗装です。
どうなるか楽しみです。


さっきも出ましたが、ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンの続きです。

バスバーなどは特に変わったことはできません。アーチが高いので形状はだいぶ違います。上下の端と中央の高さがほとんど同じくらいです。

中も古びたようにします。f字孔からのぞいて真っ白ならおかしいです。

胴体ができるとアーチの膨らみが違って見えます。

クレモナ派のオールド楽器という感じがします。

ネックの取り付けはとても難しいものです。
高いアーチの楽器の場合、モダンのネックはうまくつけることができません。

アーチが高いので駒の高さを標準にすればネックの角度がすごく斜めになってしまいます。
ネックが斜めになると表板を駒が押し付ける力が強くなります。弓矢を射るときに大きく引っ張ったほうが強い力で弓を射ることができるのと同じです。
力が強くなりすぎれば表板を押し付け自由な振動を妨げます。ふわっとした豊かな響きはなくなり締まった音になるはずです。表板の変形のリスクも高まります。

もしミディアムアーチの楽器と同じにするには写真のオレンジに塗った部分をアーチが高い分だけ高くしなくてはいけません。サドルも同様です。
この楽器では標準よりも4mmくらい高いですから9.5mmくらいになります。それは見るからに高すぎます。

高いアーチの楽器は私の経験上ネックが下がりやすいと思います。ネックが下がるというのは弦に引っ張られて角度が狂うことです。緑のラインが水平に近づいていきます。そうなると弦と指板との距離(弦高)が広くなって演奏しにくなります。
駒を低く削れば弦高は正しくなりますが、駒にかかる力が弱くなり音が弱くなってしまいます。

アーチが高い分多少駒が低くてもいいのではないかと思います。
でもネックが下がりやすいわけですからはじめは高めの駒にしておく方が良いでしょう。
駒の幅は普通は42mmですが、これを40mmくらいにすると見た目ではそんなに駒が低く見えなくなります。縦横比が変わるからです。42mmというのも徐々に広がっていて一昔前は41.5mmでした。その前は41mmだったはずです。
この手の楽器なら40mmくらいでも良いかもしれません。それに合わせてバスバーの位置も考えておかなくてはいけません。アマティなどは左右f字孔の間隔が狭いのでどのみちバスバーの位置が内側に来てしまいます。幅の狭い駒で良いわけです。

標準よりは斜めに入れたほうが弦の引っ張りに対抗することができるのでネックは下がりにくくなるでしょう。

どうやっても「間違い」になってしまうのが高いアーチの楽器のネックです。
物事の優先順位を考えなくてはいけません。表板は陥没しないようにアーチを作っておくのも重要です。

指板などが付くとヴァイオリンらしくなります。
f字孔はさっきの見習の作ったストラディバリモデルに比べて丸いところが大きいです。
ピエトロ・グァルネリ独特の感じは出ていると思います。オリジナルと配置や穴の太さが違いますが十分キャラクターは出ていて美しさもあると思います。

最初のビオラに比べてもいかに調和がとれているかです。
イタリアの楽器が美しいということはこのタイプの楽器に限れば本当にそうだと思います。ドイツのオールドはここまでバランスが取れていません。

近代のほうが完璧かもしれませんが独特の美しさがあるように思います。近代の弦楽器製作ではストラディバリとデルジェスだけが正しいヴァイオリンと考えられていて、いかに他のものが無視されているかです。
ストラディバリやデルジェスに次ぐ第三のモデルとして私はピエトロ・グァルネリが有力です。
アマティも調べてみるとばらつきが結構あって中には音響的にも有利そうなものがあるかもしれません。

ビオラについてはアマティのモデルでたくさん作っています。他にもっと良いものが見つかりません。

このような楽器は近代の常識ではとても理解できないものです。形だけピエトロ・グァルネリやアマティにしてもまったくの別物になってしまいます。ストラディバリやデルジェスもそうですが…。


f字孔は楽器の顔になる部分です。失敗したら大変です。コーナーもパフリングの先端も良いでしょう。

エッジやコーナーは後で丸くします。丸くするのがもったいないくらい綺麗にできていますが…。

スクロールは大きく見ればアマティのような雰囲気があり、アンドレア・グァルネリの癖も加わっているように見えます。

見習の職人のものは「これがストラディバリ?」と首をかしげたくなるようになってしまいました。どちらかと言うとテストーレなどのミラノ派のように見えます。
グランチーノももともとはアマティのようなものを作ったはずですが、テストーレになると形がかなり変わって独特なものになっています。
これは個性を出そうとして自分のスタイルを追求したというよりは、うちの見習の職人のようにそうなってしまったことでしょう。彼らが個性的なものを作ったのは別に天才ではなく、単にアマティのようなものをきちっと作れなかっただけと考えるのが普通でしょう。現代の職人でも未熟なら同じような物ができます。アマティやストラディバリはやはり造形センスが飛びぬけていて並の人がやればテストーレのようになるということです。楽器は特別才能が無くても作ることができます。テストーレも味のある音がしています。

私はお手本の通りに作ってしまうのでテストーレのコピーとしてしか作ることができません。

未熟な職人の楽器がオールド楽器に似ていることがあって、古いものならこのようなものも偽造ラベルが貼られるものです。ラベルが貼られてしまうとそう見えてしまう人もいるでしょう。「興味深いヴァイオリン」と言われるものです。
何が興味深いのでしょうか?

多くの場合はスタイルがアマティ派のものとは違います。
ただ職人の才能としては変わらないのです。


後で摩耗したように角を丸くしていくのでもうちょっと雰囲気が出るでしょう。
どうせぐずぐずになるのできっちり作らなくても良いのですが、しかし初めから丸くするからと適当に作るとわかるものです。

次回は赤いヴァイオリンがどうなったかとチェロの話をしたいと思います。
こんにちは、ガリッポです。

こんな時でも、楽器は人生にとって必要な物という人もいらっしゃいます。
楽器を買いに来る人も増えてきています。
一方で量産品やケースなどの納入が遅れています。お客さんはいるのに売るものが無いという状態でした。
それでもようやくチェロが大量に入荷したので弾けるようにしなくてはいけません。
来週はそんな仕事も控えています。


まずはミルクールのヴァイオリンの話題から

この前もミルクールの楽器を紹介しました。
これもラベルには1898年と書かれています。作者の名前がついていますがどう見ても工場で作られた量産品です。ニスなどはいわゆるラッカーのようなものです。

木材のランクも低く着色して黒ずんでいます。

スクロールも一流の職人のものとは全く違います。黒い縁取りはフランスのものに多いですがクオリティが違います。

前回のミルクールのものは私も感心しましたが、こちらはよくある安物です。
音は同僚とも話していましたが、私が「凶暴」と言えば皆に同意してもらいました。凶暴なヴァイオリンの音とはあまり聞かない表現かもしれませんが、犬などでも大人しくしていられない凶暴な個体のことをを表現するのと同じです。
細く鋭く金属的な音です。ナイロン弦でも特に柔らかいオブリガートを張ってもスチール弦の様な音です。明るさは暗いです。鋭い音の傾向のもので、ミルクールのものや古い量産品にはよくあります。
音の強さで言えば凶暴なほどです。
修理が終わってどうしようかと話し合うわけですが、こういうのは持ち主に弾いてもらわないとわからないものです。

というのは、持ち主はずっとこの楽器で練習しているのでこの楽器でヴァイオリンの弾き方を身に付けています。そのため第三者とは全く違う音を出す可能性があります。本人が弾いてから調整しなくてはいけません。これはすべての楽器でも言えることです。

実際本人が来店して弾くとだいぶマイルドな音で大変に音を気に入ったようです。それでも凶暴な音はたまに顔を出しますが、耳がそれに慣れているので普段よりは「柔らかい音になった」と感じた事でしょう。

弦楽器というのはそういうもので客観的に評価などできないものです。
同じ産地でも楽器の音はいろいろです。




次の話題です。
音大生やプロの人でもバロック楽器に興味がある人がいます。より専門性を高めるということになると思います。そのためバロック楽器から演奏を習うという人は少ないでしょう。
まずモダン楽器から初めて、さらに専門分野としてバロックの道に踏み込むということです。
古典派などバロックでなくてもまだバロック楽器は使われていましたし、オーケストラでもイベントや指揮者の指示によってガット弦を張って演奏しなくてはいけないというケースもあるでしょう。

扱いにくさや難易度の高さから初心者向きではありません。
もちろんモダンでついた癖を取るのが難しいということはあるでしょうが、基本は共通する部分も大いにあるのでしょう。

先日も小さいときからのお客さんで音大に進んで、バロックヴァイオリンをやろうという方が来ていました。当然ヴァイオリンが必要になります。
候補として借りている南ドイツのオールドヴァイオリンを持ってきました。クロッツ家のラベルがありますが、ざっと見た感じでは大きく外れてはいないでしょう。南ドイツのものであることは十分あり得ると思います。それ以上は詮索しませんでした。

ネックはシュタイナーのように水平に取り付けられているもので、おそらく継ネックして現代にバロックヴァイオリンに戻したものでしょう。普通ヴァイオリンを売っている立場からすると、お客さんは圧倒的にモダンの演奏者のほうが多いので、良さそうな楽器があればモダン仕様に修理します。バロック仕様にするのはモダンとしては今一つだったなどということが疑われます。
あとは現代の考え方が染みついていて、アーチが高いものはモダンとしては通用しないと思い込んでいるのかもしれません。

私が作ったアマティのモデルのバロックヴァイオリンもあったので弾き比べていました。ドイツのオールドのほうが、暗い音でいかにもという感じがします。しかし弾き手の腕前のおかげでそれがバロックヴァイオリンであるということがほとんど分からないくらい滑らかな音を出しています。
遠くで聞けばモダン楽器のような豊かさは無くてこじんまりとしたような響きになるでしょうが、近くでは何の違和感もありません。

たまに試しに安価な量産品で簡易的にバロック仕様にすることがあります。これは本当にひどい音がして止めてしまうでしょう。バロックヴァイオリンはバランスが重要ですべてがマッチしているとうまく機能するのだと思います。
一番良くないのは駒だけをバロック駒にするものです。これは硬すぎます。ガット弦の荒々しさが強く出てしまいます。ましてやナイロンでも荒い音がする楽器では最悪です。

話を戻すとドイツのオールド楽器の演奏を聴いていると厳粛な雰囲気がします。教会などで荘厳な雰囲気の中で演奏すれば重みを感じるでしょう。
私の方はそれよりは明るい音でした。ドイツのほうが細く集中した音なのに対して、私の方は太く豊かな音です。つややかな綺麗な高音で耳障りな音は一切ありません。のびのびと歌っているように聞こえます。それは彼女がそんな気分になっているのか、楽器の性能なのかはわかりません。でも明らかに楽しそうに弾いているのは伝わってきます。私の楽器の方を気に入ったようです。

アマティ型ではありますがアーチはそれほど高くはなく、モダン楽器に近いということも弾きやすさにつながっているのでしょう。今まで使っていたものに近いということです。ネックやストップの長さもモダンで同じで持ち換えがしやすく、ネックも東ドイツのバロックヴァイオリンのように少し斜めにいれています。そのため指板が分厚くならなくて済んでいます。シュタイナーのようなイタリアや南ドイツのスタイルでアーチが高ければ指板とネックを合わせるとものすごく分厚くなります。

ただそれだけではなくてもともと快楽主義的な性格の楽器だと思います。

ドイツのもののほうが禁欲的な感じがします。ロマン的な余計なことをしないのも古楽の演奏では必要な事なんでしょう。
オールドのような音が良いという事であればドイツのものは本当のオールドですから間違いはありません。
今作っているピエトロ・グァルネリのモデルで作ればその中間的なものになるかもしれません。バロックヴァイオリンを作るとしたら最高でしょう。ただし、バロックヴァイオリンはいつ売れるかわからないです。
アーチが高いから窮屈で柔軟性が無いとは言い切れないと思います。歌うような感じは過去に作ったピエトロ・グァルネリのモデルでもありましたから。

イメージは思い込みもあるでしょうが、今回に関して言えば、ドイツのものはドイツの音楽にはより合っていると思います。私のものの方がイタリア音楽向きです。
私個人の音楽の好みとも一致しています。なぜそのような音になるか理由は分かりません。ただし自分が好むような音になって来ているのは個人的には嬉しいことです。楽器製作の考え方でもドイツ的な理屈は嘘っぽくて嫌いです。美しい形が生まれると作っていて楽しいです。

しかし一般的にはクラシックの世界ではイタリア音楽よりもドイツ音楽のほうが人気があるでしょう。バルダザーレ・ガルッピと言われても誰も知らないでしょう。だからプロフェッショナルとしてはあまり自分の好みを強調してもいけません。

でも不思議なことにバッハを弾くのにザクセンのオールド楽器を使うべきだという意見は聞いたことがありません。ネックもザクセン式のバロックヴァイオリンのほうが正しいのかもしれません。しかし不思議なことにお金持ちの演奏者はイタリアの楽器でバッハを弾いています。

単なる権威主義で何もわかっていないというのが実情でしょう。



私の妄想かもしれませんが、こうやってイメージを膨らませて行けるのが古楽器の魅力です。
その人はそんなことは考えていないかもしれません。しかし楽しそうに弾いていたことは私にも伝わってきます。



他にも人それぞれの見方があります。
見習の職人が作っていたヴァイオリンはすでに買い手が決まっています。値段の安さで現実に手が届くハンドメイドの楽器ということです。だから熟練してしまえばもう作れません。
ただしニスについてだけ注文があります。
「赤い色にしてほしい」というものです。

これは結構難しいもので初めて作るヴァイオリンで狙った色に持って行くのは困難です。最初はムラなく均一に塗るのがとても難しくて一旦ムラだらけになってしまいます。それから小さな筆でちょこちょこと手直しをしてムラを目立たなくして行きます。完全になくなることは無く新しく入れた筆の跡がさらにムラになります。だんだんムラが細かくなっていくだけです。それでもマスターすれば肉眼ではわからないほどになります。

こんな事をやっていると気が付いたら当初予定していた色とは全然違うものになっています。すべての工程を把握していて完成に向かって作業を進めていくのは経験者でないと無理です。経験者でも難しいです。ニスは塗り重ねていくと色が変わっていきますが、一回塗っても色の変化がよくわかりません。朝には暗くて色が濃く見えますが、午後には明るく見えます。塗った事よりも違いが大きいです。
色などは慣れの要素が大きくて、同じものばかり見ているとそれが普通に見えてきます。変な方向に行っていてもその時は気付きません。
最近はネット通販などで商品を買うことが多くなったと思いますが、色が違ったなんてことはあるでしょう。確かにその商品を撮影しているのにそうなんです。色というのは微妙なものです。ヴァイオリンなら赤と言っても赤っぽい茶色であって本当に赤ではありません。白木に赤いニスを塗ればピンクに見えます。そういうミスはアマチュアの職人の楽器にあります。300万円以上の値段でヴァイオリンを売っている自称天才のプロ(?)の職人にもありましたけども…。


見習の職人もニス塗自体は習った経験があるようですがどの程度できるかわかりません。しかしこれを塗るだけで完成というニスを先輩が用意しないといけません。自分たちなら試してみて調整しながらニスの色を作っていきます。塗りながら途中で換えていくかもしれませんし、数回塗って見てやり直すかもしれません。
新人にはすでに出来上がっているニスを用意しないといけないので難しいです。

古い楽器でもニスの色は同じ作者でもバラバラであることがあります。本体は0.1mmまでまったく同じに作る人でもニスの色は結構違いがあります。これは色をコントロールするのが難しいからだと思います。ニスの材料をレシピとして完成させるのは難しいです。こんなものかなと配合していると毎回何が出来上がるかわからないのです。同じ材料がいつでも手に入るわけではないし、私などは材料を何年も置いておいたら変色して同じ分量でやっても違う色になっていました。
逆にうちの師匠などはいろいろ配合を変えてもいつも同系の色になります。
ぜんぜん違うタイプの色が作れないのでアンティーク塗装のために私が独自に研究するきっかけにもなりました。

お客さんからこの色にしてくれと注文を受けて作るのは難しいです。


さらにニスの塗り方は、すべて均一に塗るのではなく一部剥げ落ちたような塗り方で「陰影をつける」と言います。しかし完全なアンティーク塗装ではありません。
これは私はほとんど経験がありません。ちゃんとしたアンティーク塗装しかやろうとしたことが無いのです。先輩や師匠もやっていましたがあまりにも不自然なので私は許せなかったのです。

この場合特に問題になるのはニスの色に濃淡をつけるのですが、一般的には塗る回数に差をつけて濃淡を出します。
それをやると赤いニスであれば、多く塗ったところは赤くなり、回数が少ない所はオレンジ色になります。私が気にいらないのはオールド楽器などのニスがはげ落ちた部分の色と全く違うことです。オレンジではないです。
もっと回数が少なければ黄色になります。黄色でもないです。
白木の楽器に黄色を塗ればレモンイエローに見えます。これも黄色すぎます。

そのためいわゆる「黄金色」が必要になります。これは本当に黄金色ではないし、黄色でもありません。光学的には暗い黄色、色素としては茶色を薄くしたものです。赤いニスと薄い茶色のニスが必要になります。2色のニスを塗るというのは初心者には難しいです。


もう一つはアルコールニスにするかオイルニスにするかです。
私は初めにアルコールニスをマスターすべきだと思います。
そちらの方が基本になると思います。アルコールニスが塗れれば同じようにしてオイルニスも塗れます。しかしオイルニスの塗り方でアルコールニスを塗れば大惨事になります。
基本的に塗りやすいのはオイルニス、しかしそれも技が必要でケーキ職人や左官職人みたいな瞬間技のテクニックがいります。
それでうまくいかないとアルコールニスと同じ手間がかかってしまいます。

詳しくは避けますが、アルコールニスを塗るのは「ものすごく」難しくて、オイルニスは「すごく」難しいです。簡単ではありません。


こんな調子ではいつ完成するか分からないので私が担当することになりました。それでも私はどっちかと言うと落ち着いた琥珀色のニスばかりで、鮮やかな赤いニスのスペシャリストではないし、陰影をつけて塗った経験もありません。見習職人のレベルでいいと同意していますから、値段のことも含めて私の普段のような凝ったものにしてはいけません。

普通に考えたら試奏して音が気にいったものを買うのが王道でしょう。
よほど信頼している職人なら任せるということもあるでしょう。
それに対して見習が初めて作ったヴァイオリンで色だけを指定して買うというのはわかりません。でもいろいろな考え方の人がいます。

仕事は難しいですがチャレンジのし甲斐があるでしょう。
アンティーク塗装の経験豊富な私なりの解釈で一般的な物とは一味違うはずです。


ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンは集中力が必要で、いろいろなことを同時には頭が回りません。しかしニス塗前まではほとんどできていますからそれを仕上げたら、見習の楽器のニス塗と量産チェロの仕上げをやらなければいけません。これも結構重要な内容なので紹介したいと思います。







こんにちはガリッポです。

こんな機会なので時間に余裕があって勤め先でも注文などとは関係ないヴァイオリンを作っています。常に在庫が無ければいけないのに、普段は修理の仕事が多すぎるのです。私が一人製作に専念していても他の人が修理の仕事をしてちょうどくらいの仕事の量です。
表板などは紫外線に当てたほうが色が変色してきて良い色になってきます。表面が終っていればのんびりやっても良いわけです。

常連のお客さんももどってきてメンテナンスの仕事もするようになってきました。

常連のヴァイオリン教師の方は生徒に貸し出しできる楽器があるというので修理をうちでしていました。旧東ドイツのザクセンで戦前に作られたものでよくあるものです。形はマジーニのモデルで2重のパフリングが入っている定番のものです。これもフランスで定着したマジーニモデルで実際のマジーニとは全然違うものです。

ニスの匂いを嗅げばこれが間違いなく本物のザクセンの楽器であることが分かります。

ガラクタのように出てきたものを弾けるようにした修理で10万円近くかかっています。先生が来て弾いてみると音が強く出るので「悪くない」と驚いた様子でした。10万円の新品よりは初心者には良い楽器だと思います。

調整する必要があるかということになりました。
そうやって注意深く音を聞いていると本人は高音が鋭いと言っていました。私は全体的に音が濁っていてすっきりしない感じがしました。
高音が鋭いのはこの手の楽器では普通のことでこれくらいの音しか期待できないというものです。先生が使っているのは私の作ったものですから特別柔らかいものです。高級品でも私のように柔らかいものは珍しいです。

それでも魂柱にコツンと打撃を加えるとちょっと緩むのか鋭さが和らいだようです。それ以上求めると泥沼にはまっていくのでそこで終わりにしたのが賢明だったでしょう。

このように安価な古い楽器はパッと弾くと音が出るので「おおっ!」となりますが、注意深く聞いていくと色々不満が出てくるものです。中国製の安い楽器でもこのようなことはあります。

たくさんの楽器の中から選ぶとなるとパッと音が出ないとまず却下されてしまいます。そこが新作楽器の厳しい所です。

一方どんな高価な楽器でも注意深く気にしていけば不満点は出てきます。完璧な楽器など無いのです。高い楽器だから悪いはずは無いと信じ込んでしまえば不満を押し殺せるかもしれません。それにも限界があります。
精神的にあまりにも悲観的だと楽器の良さもわからなくなってしまいます。後は心理学の話です。


他には、ミッテンバルトの戦後のヴァイオリンがあって修理中です。これは売るためのものです。面白いのは見た目がどう見てもチェコのボヘミアの流派のものです。ボヘミアは中級品が多く量産品と高級品の間くらいのものが多く作られました。この楽器もニスはいかにも安っぽい感じはしますが、楽器自体はボヘミアのマイスターのものに近いものです。今でもこれより下手くそな職人はたくさんいます。
なぜボヘミアの楽器にミッテンバルトの作者のラベルがあるかと言えば、おそらく終戦後ドイツ人がチェコから引き揚げてきて西ドイツのヴァイオリンの産地に移住したのでしょう。

表板はぱっくり割れてしまって微妙な修理が必要でした。板の厚みを調べてみると結構薄めでフランスの楽器のようです。ひどければ修理のついでに薄くするなんてことも考えられますが、この楽器では全く必要ありません。50年以上経っていて品質も良く板も薄いとなれば、これは良さそうです。ニスが安っぽいせいで値段も安くなるのでお買い得です。人工樹脂や染料で新しいものが出て来た時期でもあります。当時の人たちは新しいものに期待があったのかもしれません。今ならカーボンやチタンなどの素材が部品などに使われるようにです。

ボヘミアの流派は表板と裏板が同じような厚さのものがよくあります。裏にしては中央がやや薄く、表は全体に厚いものです。古いドイツの楽器にも近いシステムのものがあります。
この楽器はモダンというかフランス的です。
写真が撮れたら紹介しましょう。

重要なのは産地の名前ではなく、楽器そのものだという例です。
ラベルが無かったらボヘミアの楽器とみなされていたでしょう。


ピエトロ・グァルネリのスクロール


ピエトロⅠ・グァルネリのスクロールは父親のアンドレアのものと似ています。合作で作っていたり、ピエトロが代わりに作ることもあったでしょう。そのためかかなり自由な感じがします。自由というのは最初に設計した型に対して完璧に加工するというよりは見た目の感じで何となく作ったような感じがします。近い時期の楽器でもかなり形が違ったりします。
グァルネリ家の中では特別腕の良いピエトロですが、初代のアンドレアの教育を受けたのかスクロールはグァルネリ家の感じがします。弟のジュゼッペはノミで彫った跡をそのまま残して仕上げないことが多いです。ピエトロもそんなに完璧には仕上げていないようですが、ジュゼッペほどそのままということもないでしょう。ジュゼッペよりは仕上がっています。
でもストラディバリ、特に若いころのような丁寧さはありません。

フランチェスコ・ルジェリなどははっきりと特徴があります。ニコラ・アマティでも弟子のルジェリやアンドレア・グァルネリの合作と言われているものがあります。スクロールがルジェリだということはすぐにわかります。それに比べるとアンドレアのスクロールはグズグズです。

グァルネリ家は初代が安上がりの楽器を作っていたせいなのか教育が甘いです。それが個性的な楽器を生み出した所以かもしれません。音に関してはもちろん定評があります。

したがって何をお手本にして作るかによってかなり形が変わってきてしまうのがピエトロのスクロールです。とはいえ何かを元にしないとピエトロではなくなってしまいますから、胴体と同じく1704年のものを作ります。
オールド楽器の場合には摩耗が激しくて原形をとどめていないことも多いのでとても難しいものです。作り手のイマジネーションも重要で、簡単にまねできるものではありません。


材料がはかったようにギリギリです。
スクロールは渦巻きの中心のところが一番幅が広いのでそこさえ厚さがあれば多少欠けていても大丈夫なのですが、わずかに誤差も出ます。

材木として放置されていると色が変わっていて新しく削ったところは真っ白です。こんなに木の色って変わるのです。
だからオールド楽器の色はニスの色じゃなく木の色なんです。

アマティのものは現代のものに比べて幅が狭いです。グァルネリ家でもアマティに近いものです。この材料はピエトロ・グァルネリ用には使えても現代風の楽器には使えません。
木材自体は上等な物です。


私個人ではのこぎりで手作業で切りますが、会社ではバンドソーを使います。ちょうど見習の職人が1か月くらい前に初めてスクロールを作っていたので細いのこぎりの歯がセットされています。それでチョチョイのチョイです。


スクロールは昔はそれだけを作る職人がいてものすごい速さで作っていました。それくらいになると、型などは無くてもフリーハンドで作っていたようです。
西ドイツの職人などはその割には悪くないもので驚きます。

我々はオリジナルから型を起こして、摩耗している部分を補って設計し型の通りに正確に加工するわけです。私はその時機械的に型通りに加工するのではなく、ほんのわずかに見た目で形を整えたり、個性を表現したりします。

こうなると削りすぎると終わりです。
ノーミスで完成まで持って行くのは大変です。慎重になるので時間がかかってしまいます。

スクロールを完成させるのに見習の職人は4週間もかかっていました。私でも7日くらいもかかっています。産業として考えたら時間をかけ過ぎです。その方が完成度が高いので譲れません。
自分でデザインしたものならうっかり削りすぎてしまって設計図と違っても「俺の作風だ!」と偉そうにしてればごまかせますが、元があるとそうはいきません。

グァルネリ家では形がまちまちであるようにこだわりもなくパッパと作っていたはずです。

1704年のものはピエトロにしては最高レベルに美しいものです。モノマネの様に個性を強調してはいけません。行きすぎてはだめだと思います。個性とともにちゃんとしたものを作らなくてはいけません。




渦巻は外から2周目の幅が非常に広いのが特徴です。ノミの刃の跡が残っているのもよくあります。これは平らな平ノミを使うとこのようにガクガクした感じになります。丸ノミを使うと後が残らないです。

ちなみに消しゴムは日本から持って帰るものです。これは質が良いのでお土産で喜ばれます。日本では当たり前のものでも優れたものなのです。お土産としても安くて助かります。
海外に行くときは余計に持って行くと良いかもしれません。

近代のもののように均整の取れたものではありません。むしろこのようなものがアマティ的です。不思議と綺麗だなあという印象を受けます。

右のほうが癖があるのですが、それでも繊細な感じがあります。

ストラディバリやフランスのものならもっと堂々とした感じがするものですが、アマティの感じを残すものです。特徴は2周目の幅広いことです。


なにか失敗したということも無いし、これ以上いじったら寸法を割ってしまいますから完成にしなくてはしょうがありません。

ノーミスでスクロールが作れるなんて大変なことです。
見習の職人はストラディバリのモデルでやっていますが、ストラディバリにはとても見えないものになっています。

でもスクロールではあるのでダメということはありません。
一般的な工業製品でわずかに形が違うなんてことは言われません。
鳩時計で鳥の形が違うなんて文句を言われることはないでしょう。

先輩から仕上げだけはうるさく言われて永遠とやっていました。
私は刃物だけでもちょっと綺麗すぎるくらいで仕上げなんてすぐに終わります。

ノミの跡が残っていますが、これも長年使われていくうちに摩耗して無くなっていくでしょう。ニスを塗るときにニスを研磨していくと無くなっていくはずです。

アマティ派のスクロールが面白いのは非の打ちようのない完璧さではないけども、全く雑ではないということです。一般的な木彫ならこだわりすぎています。
それを昔の職人はフリーハンドで感覚を頼りに作っていたのでばらつきになって面白いです。ストラディバリには近代でも通用する美しいものもあれば、よくあるような平凡なものもあります。
もちろん後の時代の人がストラディバリをお手本にしているわけですから形が似てるのは当たり前です。

オールド楽器ではスクロールが後の時代のものに変えられているものがよくあります。損傷を受けたりして作りなおしたのでしょう。今ならできるだけオリジナルを残すようにしますが、昔はそんなに大事なものだと考えられていなかったのかもしれません。
ペグボックスなどはひどく壊れてしまうと実用的に使えなくなってしまいます。最悪の場合でも今では渦巻のところだけを残して、他の部分を作り直します。全部新しいものに取り換えると価値がガクッと下がってしまいます。

このようにオールド楽器ではスクロールがオリジナルでないものがよくあります。この時に見た目で違いが分かるかと言えば、私は違うなと思うのですが、他の職人もそう思うかはわかりません。
例えば、リカルド・アントニアッジのスクロールがついているニコラ・アマティのチェロがあったように思います。私から見れば全くアマティと違って近代~現代のものに見えます。
ジュゼッペ・グァルネリのチェロにもそのようなイタリアの有名な作者のスクロールがついているものがあったと思います。

見るとすぐにアマティと全く違うことが分かります。
少なくともアントニアッジには同じに見えているのでしょう。職人でさえそうなのだから、営業マンに見分けらえられるかは疑問です。

それだけ近代以降常識があって、アマティに似せたつもりでも近代のマナーになっているのです。

職人も自分の作っているもののほうが正しいと思っているので、アマティと違っても「修正してあげた」くらいに内心思っているのかもしれません。アントニアッジも自分はアマティに並ぶ名工で自分流のスクロールを付ければアマティとの時代を超えた合作となると考えたのかもしれません。

このようなことは弦楽器に限りません。1950年代のクラシックカーを見て素敵だと思う人は多いでしょう。しかし自動車メーカーは絶対にそのようなデザインの車を作りません。今のものの方が優れていると考えているからです。ヴァイオリン職人も同じで、アマティを見て良いなあと思っても、実際に作る段階になると全く違うものを作ります。

技術的な難しさというよりは、「時代」から自由になることが難しいのです。

芸術家は自由、自由と言うけども同じ時代の人は同じような物を作っています。


特に西洋の人は我が強いので自分を押し殺して昔の職人のやり方を受け入れるということは苦手でしょう。このような分野は日本人が得意なのです。もし日本の職人が外国の職人の間で称賛されるとすれば精巧なレプリカを作る人です。

これは修理では重要で、アントニアッジのようなことをしていれば修理としてはうまくないということになります。


こんにちはガリッポです。

板の厚さによって音がどう違うかということには多くの経験があります。オールド楽器のデータを調べたり、目の前にある何でもない楽器でも常に厚さを測っています。自分で作るときに厚みを変えたり修理で板を薄くする改造もしています。

それではっきりわかることは「薄い方が低音が出やすい」ということです。
明らかに言えることはそれくらいです。

しかしこのような単純なことも、当ブログ以外で耳にした人はいるでしょうか?
少なくとも私は製作学校の先生や師匠に教わったり、本などで読んだことはありません。
私とは別の学校で学んだ職人に聞いても誰も知りませんでした。クレモナの学校で学びモラッシィに教わったイタリア人もその一人です。低音の豊かな楽器が作りたいという彼に私は教えてあげました。

薄い方が低音が出やすいということに気づいたのは、実際に薄い板の楽器を作った事によります。古い楽器の厚みのデータを見ると現代よりもはるかに薄いため、同じように作って見たらどうなるか試したことです。試みの最初の楽器で分かったことです。それ以降も同様の結果が得られています。

先週も親しい職人と電話した話をしました。付き合いが長いので板が薄い方が低音が出やすいという考え方を理解しています。彼は修理でも多くの楽器を経験しています。その結果私の考えに同意しています。


作って見れば一発で分かる事なのに、なぜ知られていないのでしょうか?
これは職人特有の考え方にあるでしょう。

一つは楽器の評価に、「鳴る」とか「音量がある」とか音が強いことを良しとする風潮があると思います。新作の場合には寝ぼけたような音がするのが普通です。それに対して刺激的な音を持っていれば強い音に聞こえます。それ以外のことは興味がないのであれば、低音が多いかどうかに興味が無いのです。

もう一つは、「厚めの板厚が正しい」または「板を薄くしてはいけない」というのを正しいと信じていて試すことすらタブーであるということです。これはまじめな職人ほど陥りやすいことかもしれません。

実際に過去に作られた現代の楽器を調べてみるとどの流派でも薄く作られた楽器が散発的にあります。教えに背いて勝手に薄く作る人がいるということです。

私などはそのような楽器があると「これは良いぞ」となります。うちでは低音が豊かな楽器が好まれるからです。


皆さんは「板が薄い楽器」に対してどう思うでしょうか?
おそらく心配になるでしょう。「板が薄い楽器は安易に鳴りやすくしたもので、本物ではない」とか「初めは鳴るけどもそのうち鳴らなくなってしまう」などの理屈は不安の心理が求めるものです。私も職人を始めて数年のころはそのような理屈に惹かれてしまいました。

高級品というのは肉厚で重厚に作られているものです。楽器もがっちりと丈夫に作られているものが高級品だというイメージを持つでしょう。


ここで不思議なのはオールド楽器の板が薄いことです。これに対して「オールド楽器は別」という謎の言い訳が考え出されます。ありとあらゆる理屈で、厚い板が正当化されます。薄い板の楽器を作ろうとする試みすら許さないのです。


私が弦楽器について大切にしている考え方は結果がすべてということです。

安易な方法で鳴って何がいけないのでしょうか?
苦労して結果を得るほうが尊いという倫理観でしょうか?
鳴らない楽器を苦労して鳴らすことが演奏の道なのでしょうか?

少なくとも西洋の人はそんな考え方はしません。鳴らない楽器は売れないのです。


これに対して私は論点が違います。
板が薄い方が鳴るという規則性も見いだせていません。
もちろん極端に厚すぎるものは全然鳴らないということはあります。しかし、薄い楽器とやや厚めの楽器でそのような規則性は見出せません。
むしろ薄い板のほうがおとなしく感じることもよくあります。直接の関係は言えません。

それに対して、響きやすい音域が違うということは言えます。
鳴るか鳴らないかにしか興味が無いなら、厚みが音に与える違いはわかりません。

その人が何に興味を持っているかが音の違いに気づくかどうかになるでしょう。
演奏者は人それぞれいろいろなこだわりがあります。その人が厚い板と薄い板の楽器を試せばその人なりの規則性を見出すかもしれません。他の演奏者は全く気にしない点かもしれません。
しかし実際に厚みを測定して実証している人はほとんどいません。f字孔から見て表板の厚みを見る人もいますが、そこの部分の厚みしかわかりません。


つまり考え方に左右されるということです。
私がこちらでは「暗い音」が好まれるとブログで紹介したことで初めて暗い音の存在を知った人もいるかもしれません。それまでは楽器の音の評価では全く考慮していなかったのです。職人でも同じです。
一度、暗い音を知ってからは魅力に取りつかれた人もいるでしょう。

日本では「こもった音」が嫌われます。しかしこちらではそんな事を言うのを聞いたことが無いです。この楽器はこもっているなと思っても彼らは全然そんなことは気にしません。


よくあるのは血液型で性格を判断するというのがあります。日本で盛んでこちらでは聞いたことはありません。血液型が話題に上ることはありませんが、身近なところで師匠の奥さんは自分の血液型を知りませんでした。

それが日本的なのは几帳面だとか大雑把だとかそれを気にする所です。

もし別の国で同じような物が考案されたら全く違う性格特性を語るようになるでしょう。何型は親切だとか論理的だとか、勇気があるとか違う項目になるかもしれません。人々が人の性格で関心を持っていることが違うからです。

板の厚みの違いが音にどんな違いになって現れるかはその人の関心に左右されるでしょう。

もし鳴る鳴らないで楽器を選ぶなら、少なくとも数十年、できれば50年くらい経っている楽器のほうが有利です。どんな安い楽器でも構いません。1880年くらいに作られたドイツの量産品の最低ランクのものでも新品の高級品より耳元で強い音がします。このような楽器で練習を始めた人なら全然鳴らない新作の高級品を買い替えには選びません。これは私たち職人にとっては都合の悪いことですが事実です。日本の楽器店にとっても同じことでしょう。そこで安価な鳴る楽器を悪く言うためにこもっているとか、本物の鳴り方じゃないなどネガティブなイメージを作り上げるのでしょう。

鳴るか鳴らないかが重要であれば、とにかく試奏して鳴るものを探すべきです。
これが楽器選びの主流なので、私は作者名や国名に関係なく試奏して楽器を選ぶのが正しいと言っているのです。

ただし、力量のある演奏者は何を弾いても力強い音がします。
そうなると楽器選びの次元が変わってきます。
初級者でも個人差があって何を弾いても耳障りな音がする人もいれば、何を弾いても弱い音しか出ない人もいます。子供の方が乱暴に弾いて力強かったりします。

板が薄いと低音が出やすくなるわけ


板の厚みが影響するのは鳴るか鳴らないかではなく響きやすい音域が変わってくるということです。なぜ板が薄いと低音が出やすくなるのでしょうか?

単純に考えると太鼓の皮をイメージして見て下さい。大きな太鼓では皮の中心付近を触るとボヨンボヨンと柔らかい感じがします。小さな太鼓ではピンと張っています。音は空気の振動ですから大きくゆっくりした振動では低音が、細かい速い振動では高い音が発生します。小さな太鼓で張りを弱くすると音が低くなっていきますが張りが弱くなりすぎれば響かなくなってしまいます。

板が薄ければ柔軟性が増すため大きな遅い振動で動けます。一方板が厚ければ硬くなるので細かい振動しかできません。

板の厚みそのものよりは柔軟性が重要でしょう。
コントラバスやチェロのような大きな楽器であれば、板はヴァイオリンよりは厚いですが相対的に強度は落ちて大きな振幅ができるようになります。

しかし、楽器ごとにだいたい大きさは決まっているので、その中では厚みが重要だということです。同じヴァイオリンでも多少の大きさの違いはありますがそれはコントラバスとヴァイオリンほどの大きな違いではないので決定的にはなりません。それよりも板の厚さの方がはるかに影響が大きいと思います。

その他古い楽器を修理するときに表板を開けてみると、古い表板はふにゃふにゃになっています。同じような厚さでも新品ならもっとシャキッとしています。古い楽器のほうが柔らかくなっているのです。このため古い楽器のほうが低音が出やすいのです。

新しい楽器で板が厚ければカチカチで強度が高すぎます。大きな振動はできないためいかにも新作というような明るい音になります。音色を古い楽器に近づけたいなら板は薄くするべきです。

どこまで薄くできるか?

これはとても難しい問題です。
古い楽器を修理することで学ぶことができます。強度が耐えられず変形や割れを起こしているものがあります。
裏板の中心が薄ければ魂柱のところがボコッと出てしまいます。音にも芯の強さが無いこともあります。
ヴァイオリンでは少ないですが、チェロでは薄いと音が弱く張りの無い音になっているものがあります。低音楽器なので厚すぎるのは良くないですが、薄すぎも良くないという難しいものです。古い楽器なら厚めでも低い音が出るのでやはり古いことは有利なのです。

一方で同じように薄く作られている楽器でも表板がひどく陥没しているものと、していないものがあります。薄い板でも陥没しないオールド楽器がうまく作られているものと考えられます。



また低音が出やすくなるということですから低音が出過ぎになっていたら薄すぎるということでもあります。出れば出るほど良いというわけではないでしょう。

過去にはとても薄く作られた楽器もあり壊れていないにしても、音がふわふわしてしっかりしないものもあります。これは薄すぎるということです。

高音から低音までまんべんなくバランスよく出ることを良しとするなら薄すぎてはいけないということになります。

多くの経験の中で「これくらい」というのをつかんでいく必要があるでしょう。私は気になる楽器があれば必ず厚みを測り、自分が作った楽器でも記録を残しています。そうやって限度を知ることができると思います。

薄い方が遠鳴りに有利?

低音の出やすさは好みの範疇に入ります。明るい音や暗い音かは好みによって選ばれるものです。

一方ソリストが使う楽器では自分に強く感じられるものではなく、ホールの後席まで音が届かなくてはいけません。しかし自分の演奏を自分で聞くことはできません。楽器を購入するときには自分の耳に聞こえることが優先されがちです。

遠くまで音が届くという意味で優れた名器は板が薄いものが多いです。オールド楽器、モダン楽器ともにそうです。

オールド楽器では薄い板で作られているものが多くあります。クレモナ派でも1600年代のスタイルのものは特に薄い板のものが多くあります。ドイツなど他のオールド楽器でも同様です。これは不思議ですがそれが常識だったということでしょう。当時は精密に測定する道具もなかったはずですが、それなのにギリギリまで攻めていたというのは驚きです。


今修理中のドイツのオールドビオラの表板ですが、これも1.5㎜のところがあるなどとても薄いです。

現在の楽器製作の手法はだいたい1900年頃に流行したものです。1900年頃の楽器を見ると現在のものとほとんど変わらないものがよくあります。今あるものは100年前にもあるわけですから、そちらの方が鳴りが良いのです。

これに対してオールド楽器は板が薄くてびっくりすることがしばしばです。いつから厚くなるかと言えば19世紀の終わりころからでしょう。1800年頃のフランスのモダン楽器では極限まで薄く作られていますし、ヴィヨームなどでもそうですから19世紀の半ばくらいに修行した人はまだ薄いものを作っていたはずです。ただしフランスの楽器の場合には薄いゾーンが広くなっています。一番薄い所はそこまで薄くありません。

20世紀になってから厚めの板厚が主流になってきたのではないかと思います。1900年頃の流行ということになります。このころ修理されたオールド楽器には厚みを増すために板を張り付けてあるものが多くあります。厚い板厚が良いと信じられるようになったので古い楽器にも厚みを増したのです。しかしずさんな修理が多くうまく張り付いていないで間に隙間のあるものもあります。

現在ではこのような修理はあまりしないでしょう。オリジナルのままで音が良いことを知っているからです。

つまり板が薄いという特徴はオールド楽器とモダン楽器に共通した特徴で現代の楽器とは違うということです。しかし厚めの楽器でも50年以上前のものならよく鳴るようになっていますので音量が無いということはありません。演奏者が自分で試奏して楽器を選ぶなら音が良いと感じることもあるでしょう。

それに対して遠鳴りについて言えば、板が薄い方が私は有利だと考えています。自分たちが作った楽器で比べれば一目瞭然です。
古くなれば厚めでも柔らかくなってくるので悪くないかもしれません。新しい楽器で板が厚ければかなり厳しいでしょう。

このように薄い板の楽器が遠鳴り傾向なら耳元では静かに聞こえることもあるでしょう。このため薄い板の楽器は必ずしも音が強く感じるわけではないということです。厚い板の楽器でも音が強く感じられることはあり得ます。このため耳元での音の強さと厚みは関係が無いということです。

このように「薄い板の楽器は安易に鳴るようにしたもの」とか「初めは鳴るけどそのうち鳴らなくなる」というのが見当違いなのです。

うちのお店では暗い音の楽器が好まれるわけですから、薄い板の楽器を常に求めています。それに対して売りたいと言って持ち込まれる楽器で薄い板の楽器は珍しいです。厚いものが多いです。

厚いものが多く作られる理由は、
➀厚いものが良いという理屈を信じている
➁手抜き

特に安価な楽器では厚い板のものが多いです。これは手抜きです。特に裏板に多いです。木材が堅いため板を薄くしていく作業は骨を折るものです。削って薄くしていく途中で投げ出してしまい厚いまま完成としてしまった楽器が多いです。安価な量産楽器に問題が多いのは板が厚すぎることです。

現在では機械で加工することが多くなったのでこのようなものは減りました。古い量産品では板が厚すぎるものが多く、買い取る価値が無いと思うことは多くあります。機械で作られている現代の量産品はひどい物は少ないですよ。でも開けてみると細部まできちんと作ってあることはありません。

そんな古い量産品でも耳元では強い音がして「やかましい」と感じるほどです。

私は薄い板の楽器が本物で、厚いものは攻め切れていないと考えます。

ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンです


前回作ったときも極力薄くしましたが、今回は裏板が柾目に近い板のため硬さが全然違います。板目板のほうが柔らかく柾目板のほうが堅いのです。

そのため薄くなるまで攻め切れなければ同じような魅力的な音にはならず、平凡なものになってしまうでしょう。

裏板の薄い部分では2.0㎜程度でオールド楽器ではもっと薄いものもありますが、さすがに勇気がありません。中央は4mm以上あり十分でしょう3.5mmくらいあれば大丈夫です。

周辺部分が薄くなっているのがポイントで2.5mm以下です。この辺りは実際のオールド楽器では削り残しがあることもあります。そのため2.5mm程度あってもおかしくありません。しかし今回はギリギリまで攻めます。周辺部分はかなり強度に影響すると思います。木材も硬い材質なのでできるだけ薄くしましょう。

表板は高いアーチであることもあって中心付近はあまり薄くしたくありません。魂柱のあたりは3.0mm以上あります。そこからf字孔の上の丸のあたりが凹みやすいので特に厚くしています。中央は3.0mmを切る程度ですがフランスのモダン楽器なら2.5mm程度ですからそれより厚めです。現在では3.5mmくらいあってもおかしくありません。

その代わり周辺部分をギリギリまで攻めています。後で厚すぎたと後悔したくないからです。

板が薄いことで低音が強いバランスの楽器になることでしょう。また高いアーチであることも音には影響があるはずです。

高いアーチでは響きの余韻が短くなると思います。響きが抑えられる効果があると思うのです。これは抜けが良くダイレクトな音になるので力強く感じる要因になるでしょう。

薄い板の楽器でもフラットなアーチでは明るい音がする場合があります。響きが加わって増幅されているからでしょう。それに対して高いアーチなら明るい響きが抑えられるので、深々とした暗い音になるでしょう。こうなると味わい深い暖かみのある枯れた音になるのです。

板が薄いことでどちらでも遠鳴りはするでしょう。フラットなほうが響きが豊かでより太いボリューム感があると思います。それに対して高いアーチでは締まった音になると思います。やはりソリスト用の楽器としてフラットな楽器の優位性はあると思います。

しかし板が厚いフラットな楽器であれば話は別です。薄い板の高いアーチの楽器に全くかなわないということもあり得ます。このように、アーチの高さは絶対ではないのです。

オールド楽器らしさ


オールド楽器に近い音にするには板を薄くする方が間違いありません。実物も薄いからです。
実際のオールド楽器では厚めでも味のある音が出ることがあり得ます。それは古さによります。
しかし新品で私が作れば確実に明るい新品の様な音になってしまいます。

板が薄いだけなら19世紀のモダン楽器でも同じです。違いはアーチでしょう。

とはいえモダン楽器とオールド楽器に厳密な違いはありません。オールド楽器は作風が様々でバラバラ、個体差が非常に大きいのに対してモダン楽器は一定の作風に定まっています。いろいろあるオールド楽器の作風の中から平らなアーチのものを選んだのです。

よくイタリアの楽器が一流で、フランスの楽器は2流と大雑把なことが言われます。しかし厳密に考えてみるとオールドのイタリアの楽器が一流で、モダン楽器ではフランスのものが一流なのです。少なくとも19世紀のヨーロッパの人たちはそう考えていました。職人たちはみなフランスの楽器を真似たのでした。

1900年頃になるとフランス以外でもモダン楽器が作られるようになり、どの流派も自分たちこそがストラディバリに近いものだと主張し始めます。それらはオールド楽器どころかモダン楽器からも離れていきました。

フランスのモダン楽器のようなものなら、セオリーに従ってその通りに作りさえすれば優れた楽器になります。そのため品質さえ良ければ優れたものになるのです。

それに対して私は、もうちょっと違うものでも大丈夫だと考えています。フランスのモダン楽器のセオリーから離れてもまだ十分な性能の楽器が作れるということです。オールド楽器はもっと多様性があります。音にも個性が出せるわけです。

モダン楽器とオールド楽器に共通する特徴をちゃんと理解することが重要でしょう。


これは実際のニコラ・アマティを測ったものです。私が作っているものよりもさらに薄いです。やはり私には勇気が足りないようです。

これから出てくる力強く豊かな強い低音は弾けばすぐに魅了されてしまうでしょう。新作のような明るい音では全くありません。
しかしアマティはこの薄さで暗い一辺倒ではありません。多彩な音色を持っています。名器たる所以ですね。



オールド楽器の音を決定づける構造はアーチと板の厚さにあるでしょう。
板の厚さだけならモダン楽器でも変わりません。
アーチと板の厚さの両方を備えることでオールド楽器に近いものができるでしょう。