ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -28ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
お問い合わせはPC版サイトのリンクかアメブロのメッセージから願いします。

こんにちは、ガリッポです。

こんな時でも、楽器は人生にとって必要な物という人もいらっしゃいます。
楽器を買いに来る人も増えてきています。
一方で量産品やケースなどの納入が遅れています。お客さんはいるのに売るものが無いという状態でした。
それでもようやくチェロが大量に入荷したので弾けるようにしなくてはいけません。
来週はそんな仕事も控えています。


まずはミルクールのヴァイオリンの話題から

この前もミルクールの楽器を紹介しました。
これもラベルには1898年と書かれています。作者の名前がついていますがどう見ても工場で作られた量産品です。ニスなどはいわゆるラッカーのようなものです。

木材のランクも低く着色して黒ずんでいます。

スクロールも一流の職人のものとは全く違います。黒い縁取りはフランスのものに多いですがクオリティが違います。

前回のミルクールのものは私も感心しましたが、こちらはよくある安物です。
音は同僚とも話していましたが、私が「凶暴」と言えば皆に同意してもらいました。凶暴なヴァイオリンの音とはあまり聞かない表現かもしれませんが、犬などでも大人しくしていられない凶暴な個体のことをを表現するのと同じです。
細く鋭く金属的な音です。ナイロン弦でも特に柔らかいオブリガートを張ってもスチール弦の様な音です。明るさは暗いです。鋭い音の傾向のもので、ミルクールのものや古い量産品にはよくあります。
音の強さで言えば凶暴なほどです。
修理が終わってどうしようかと話し合うわけですが、こういうのは持ち主に弾いてもらわないとわからないものです。

というのは、持ち主はずっとこの楽器で練習しているのでこの楽器でヴァイオリンの弾き方を身に付けています。そのため第三者とは全く違う音を出す可能性があります。本人が弾いてから調整しなくてはいけません。これはすべての楽器でも言えることです。

実際本人が来店して弾くとだいぶマイルドな音で大変に音を気に入ったようです。それでも凶暴な音はたまに顔を出しますが、耳がそれに慣れているので普段よりは「柔らかい音になった」と感じた事でしょう。

弦楽器というのはそういうもので客観的に評価などできないものです。
同じ産地でも楽器の音はいろいろです。




次の話題です。
音大生やプロの人でもバロック楽器に興味がある人がいます。より専門性を高めるということになると思います。そのためバロック楽器から演奏を習うという人は少ないでしょう。
まずモダン楽器から初めて、さらに専門分野としてバロックの道に踏み込むということです。
古典派などバロックでなくてもまだバロック楽器は使われていましたし、オーケストラでもイベントや指揮者の指示によってガット弦を張って演奏しなくてはいけないというケースもあるでしょう。

扱いにくさや難易度の高さから初心者向きではありません。
もちろんモダンでついた癖を取るのが難しいということはあるでしょうが、基本は共通する部分も大いにあるのでしょう。

先日も小さいときからのお客さんで音大に進んで、バロックヴァイオリンをやろうという方が来ていました。当然ヴァイオリンが必要になります。
候補として借りている南ドイツのオールドヴァイオリンを持ってきました。クロッツ家のラベルがありますが、ざっと見た感じでは大きく外れてはいないでしょう。南ドイツのものであることは十分あり得ると思います。それ以上は詮索しませんでした。

ネックはシュタイナーのように水平に取り付けられているもので、おそらく継ネックして現代にバロックヴァイオリンに戻したものでしょう。普通ヴァイオリンを売っている立場からすると、お客さんは圧倒的にモダンの演奏者のほうが多いので、良さそうな楽器があればモダン仕様に修理します。バロック仕様にするのはモダンとしては今一つだったなどということが疑われます。
あとは現代の考え方が染みついていて、アーチが高いものはモダンとしては通用しないと思い込んでいるのかもしれません。

私が作ったアマティのモデルのバロックヴァイオリンもあったので弾き比べていました。ドイツのオールドのほうが、暗い音でいかにもという感じがします。しかし弾き手の腕前のおかげでそれがバロックヴァイオリンであるということがほとんど分からないくらい滑らかな音を出しています。
遠くで聞けばモダン楽器のような豊かさは無くてこじんまりとしたような響きになるでしょうが、近くでは何の違和感もありません。

たまに試しに安価な量産品で簡易的にバロック仕様にすることがあります。これは本当にひどい音がして止めてしまうでしょう。バロックヴァイオリンはバランスが重要ですべてがマッチしているとうまく機能するのだと思います。
一番良くないのは駒だけをバロック駒にするものです。これは硬すぎます。ガット弦の荒々しさが強く出てしまいます。ましてやナイロンでも荒い音がする楽器では最悪です。

話を戻すとドイツのオールド楽器の演奏を聴いていると厳粛な雰囲気がします。教会などで荘厳な雰囲気の中で演奏すれば重みを感じるでしょう。
私の方はそれよりは明るい音でした。ドイツのほうが細く集中した音なのに対して、私の方は太く豊かな音です。つややかな綺麗な高音で耳障りな音は一切ありません。のびのびと歌っているように聞こえます。それは彼女がそんな気分になっているのか、楽器の性能なのかはわかりません。でも明らかに楽しそうに弾いているのは伝わってきます。私の楽器の方を気に入ったようです。

アマティ型ではありますがアーチはそれほど高くはなく、モダン楽器に近いということも弾きやすさにつながっているのでしょう。今まで使っていたものに近いということです。ネックやストップの長さもモダンで同じで持ち換えがしやすく、ネックも東ドイツのバロックヴァイオリンのように少し斜めにいれています。そのため指板が分厚くならなくて済んでいます。シュタイナーのようなイタリアや南ドイツのスタイルでアーチが高ければ指板とネックを合わせるとものすごく分厚くなります。

ただそれだけではなくてもともと快楽主義的な性格の楽器だと思います。

ドイツのもののほうが禁欲的な感じがします。ロマン的な余計なことをしないのも古楽の演奏では必要な事なんでしょう。
オールドのような音が良いという事であればドイツのものは本当のオールドですから間違いはありません。
今作っているピエトロ・グァルネリのモデルで作ればその中間的なものになるかもしれません。バロックヴァイオリンを作るとしたら最高でしょう。ただし、バロックヴァイオリンはいつ売れるかわからないです。
アーチが高いから窮屈で柔軟性が無いとは言い切れないと思います。歌うような感じは過去に作ったピエトロ・グァルネリのモデルでもありましたから。

イメージは思い込みもあるでしょうが、今回に関して言えば、ドイツのものはドイツの音楽にはより合っていると思います。私のものの方がイタリア音楽向きです。
私個人の音楽の好みとも一致しています。なぜそのような音になるか理由は分かりません。ただし自分が好むような音になって来ているのは個人的には嬉しいことです。楽器製作の考え方でもドイツ的な理屈は嘘っぽくて嫌いです。美しい形が生まれると作っていて楽しいです。

しかし一般的にはクラシックの世界ではイタリア音楽よりもドイツ音楽のほうが人気があるでしょう。バルダザーレ・ガルッピと言われても誰も知らないでしょう。だからプロフェッショナルとしてはあまり自分の好みを強調してもいけません。

でも不思議なことにバッハを弾くのにザクセンのオールド楽器を使うべきだという意見は聞いたことがありません。ネックもザクセン式のバロックヴァイオリンのほうが正しいのかもしれません。しかし不思議なことにお金持ちの演奏者はイタリアの楽器でバッハを弾いています。

単なる権威主義で何もわかっていないというのが実情でしょう。



私の妄想かもしれませんが、こうやってイメージを膨らませて行けるのが古楽器の魅力です。
その人はそんなことは考えていないかもしれません。しかし楽しそうに弾いていたことは私にも伝わってきます。



他にも人それぞれの見方があります。
見習の職人が作っていたヴァイオリンはすでに買い手が決まっています。値段の安さで現実に手が届くハンドメイドの楽器ということです。だから熟練してしまえばもう作れません。
ただしニスについてだけ注文があります。
「赤い色にしてほしい」というものです。

これは結構難しいもので初めて作るヴァイオリンで狙った色に持って行くのは困難です。最初はムラなく均一に塗るのがとても難しくて一旦ムラだらけになってしまいます。それから小さな筆でちょこちょこと手直しをしてムラを目立たなくして行きます。完全になくなることは無く新しく入れた筆の跡がさらにムラになります。だんだんムラが細かくなっていくだけです。それでもマスターすれば肉眼ではわからないほどになります。

こんな事をやっていると気が付いたら当初予定していた色とは全然違うものになっています。すべての工程を把握していて完成に向かって作業を進めていくのは経験者でないと無理です。経験者でも難しいです。ニスは塗り重ねていくと色が変わっていきますが、一回塗っても色の変化がよくわかりません。朝には暗くて色が濃く見えますが、午後には明るく見えます。塗った事よりも違いが大きいです。
色などは慣れの要素が大きくて、同じものばかり見ているとそれが普通に見えてきます。変な方向に行っていてもその時は気付きません。
最近はネット通販などで商品を買うことが多くなったと思いますが、色が違ったなんてことはあるでしょう。確かにその商品を撮影しているのにそうなんです。色というのは微妙なものです。ヴァイオリンなら赤と言っても赤っぽい茶色であって本当に赤ではありません。白木に赤いニスを塗ればピンクに見えます。そういうミスはアマチュアの職人の楽器にあります。300万円以上の値段でヴァイオリンを売っている自称天才のプロ(?)の職人にもありましたけども…。


見習の職人もニス塗自体は習った経験があるようですがどの程度できるかわかりません。しかしこれを塗るだけで完成というニスを先輩が用意しないといけません。自分たちなら試してみて調整しながらニスの色を作っていきます。塗りながら途中で換えていくかもしれませんし、数回塗って見てやり直すかもしれません。
新人にはすでに出来上がっているニスを用意しないといけないので難しいです。

古い楽器でもニスの色は同じ作者でもバラバラであることがあります。本体は0.1mmまでまったく同じに作る人でもニスの色は結構違いがあります。これは色をコントロールするのが難しいからだと思います。ニスの材料をレシピとして完成させるのは難しいです。こんなものかなと配合していると毎回何が出来上がるかわからないのです。同じ材料がいつでも手に入るわけではないし、私などは材料を何年も置いておいたら変色して同じ分量でやっても違う色になっていました。
逆にうちの師匠などはいろいろ配合を変えてもいつも同系の色になります。
ぜんぜん違うタイプの色が作れないのでアンティーク塗装のために私が独自に研究するきっかけにもなりました。

お客さんからこの色にしてくれと注文を受けて作るのは難しいです。


さらにニスの塗り方は、すべて均一に塗るのではなく一部剥げ落ちたような塗り方で「陰影をつける」と言います。しかし完全なアンティーク塗装ではありません。
これは私はほとんど経験がありません。ちゃんとしたアンティーク塗装しかやろうとしたことが無いのです。先輩や師匠もやっていましたがあまりにも不自然なので私は許せなかったのです。

この場合特に問題になるのはニスの色に濃淡をつけるのですが、一般的には塗る回数に差をつけて濃淡を出します。
それをやると赤いニスであれば、多く塗ったところは赤くなり、回数が少ない所はオレンジ色になります。私が気にいらないのはオールド楽器などのニスがはげ落ちた部分の色と全く違うことです。オレンジではないです。
もっと回数が少なければ黄色になります。黄色でもないです。
白木の楽器に黄色を塗ればレモンイエローに見えます。これも黄色すぎます。

そのためいわゆる「黄金色」が必要になります。これは本当に黄金色ではないし、黄色でもありません。光学的には暗い黄色、色素としては茶色を薄くしたものです。赤いニスと薄い茶色のニスが必要になります。2色のニスを塗るというのは初心者には難しいです。


もう一つはアルコールニスにするかオイルニスにするかです。
私は初めにアルコールニスをマスターすべきだと思います。
そちらの方が基本になると思います。アルコールニスが塗れれば同じようにしてオイルニスも塗れます。しかしオイルニスの塗り方でアルコールニスを塗れば大惨事になります。
基本的に塗りやすいのはオイルニス、しかしそれも技が必要でケーキ職人や左官職人みたいな瞬間技のテクニックがいります。
それでうまくいかないとアルコールニスと同じ手間がかかってしまいます。

詳しくは避けますが、アルコールニスを塗るのは「ものすごく」難しくて、オイルニスは「すごく」難しいです。簡単ではありません。


こんな調子ではいつ完成するか分からないので私が担当することになりました。それでも私はどっちかと言うと落ち着いた琥珀色のニスばかりで、鮮やかな赤いニスのスペシャリストではないし、陰影をつけて塗った経験もありません。見習職人のレベルでいいと同意していますから、値段のことも含めて私の普段のような凝ったものにしてはいけません。

普通に考えたら試奏して音が気にいったものを買うのが王道でしょう。
よほど信頼している職人なら任せるということもあるでしょう。
それに対して見習が初めて作ったヴァイオリンで色だけを指定して買うというのはわかりません。でもいろいろな考え方の人がいます。

仕事は難しいですがチャレンジのし甲斐があるでしょう。
アンティーク塗装の経験豊富な私なりの解釈で一般的な物とは一味違うはずです。


ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンは集中力が必要で、いろいろなことを同時には頭が回りません。しかしニス塗前まではほとんどできていますからそれを仕上げたら、見習の楽器のニス塗と量産チェロの仕上げをやらなければいけません。これも結構重要な内容なので紹介したいと思います。







こんにちはガリッポです。

こんな機会なので時間に余裕があって勤め先でも注文などとは関係ないヴァイオリンを作っています。常に在庫が無ければいけないのに、普段は修理の仕事が多すぎるのです。私が一人製作に専念していても他の人が修理の仕事をしてちょうどくらいの仕事の量です。
表板などは紫外線に当てたほうが色が変色してきて良い色になってきます。表面が終っていればのんびりやっても良いわけです。

常連のお客さんももどってきてメンテナンスの仕事もするようになってきました。

常連のヴァイオリン教師の方は生徒に貸し出しできる楽器があるというので修理をうちでしていました。旧東ドイツのザクセンで戦前に作られたものでよくあるものです。形はマジーニのモデルで2重のパフリングが入っている定番のものです。これもフランスで定着したマジーニモデルで実際のマジーニとは全然違うものです。

ニスの匂いを嗅げばこれが間違いなく本物のザクセンの楽器であることが分かります。

ガラクタのように出てきたものを弾けるようにした修理で10万円近くかかっています。先生が来て弾いてみると音が強く出るので「悪くない」と驚いた様子でした。10万円の新品よりは初心者には良い楽器だと思います。

調整する必要があるかということになりました。
そうやって注意深く音を聞いていると本人は高音が鋭いと言っていました。私は全体的に音が濁っていてすっきりしない感じがしました。
高音が鋭いのはこの手の楽器では普通のことでこれくらいの音しか期待できないというものです。先生が使っているのは私の作ったものですから特別柔らかいものです。高級品でも私のように柔らかいものは珍しいです。

それでも魂柱にコツンと打撃を加えるとちょっと緩むのか鋭さが和らいだようです。それ以上求めると泥沼にはまっていくのでそこで終わりにしたのが賢明だったでしょう。

このように安価な古い楽器はパッと弾くと音が出るので「おおっ!」となりますが、注意深く聞いていくと色々不満が出てくるものです。中国製の安い楽器でもこのようなことはあります。

たくさんの楽器の中から選ぶとなるとパッと音が出ないとまず却下されてしまいます。そこが新作楽器の厳しい所です。

一方どんな高価な楽器でも注意深く気にしていけば不満点は出てきます。完璧な楽器など無いのです。高い楽器だから悪いはずは無いと信じ込んでしまえば不満を押し殺せるかもしれません。それにも限界があります。
精神的にあまりにも悲観的だと楽器の良さもわからなくなってしまいます。後は心理学の話です。


他には、ミッテンバルトの戦後のヴァイオリンがあって修理中です。これは売るためのものです。面白いのは見た目がどう見てもチェコのボヘミアの流派のものです。ボヘミアは中級品が多く量産品と高級品の間くらいのものが多く作られました。この楽器もニスはいかにも安っぽい感じはしますが、楽器自体はボヘミアのマイスターのものに近いものです。今でもこれより下手くそな職人はたくさんいます。
なぜボヘミアの楽器にミッテンバルトの作者のラベルがあるかと言えば、おそらく終戦後ドイツ人がチェコから引き揚げてきて西ドイツのヴァイオリンの産地に移住したのでしょう。

表板はぱっくり割れてしまって微妙な修理が必要でした。板の厚みを調べてみると結構薄めでフランスの楽器のようです。ひどければ修理のついでに薄くするなんてことも考えられますが、この楽器では全く必要ありません。50年以上経っていて品質も良く板も薄いとなれば、これは良さそうです。ニスが安っぽいせいで値段も安くなるのでお買い得です。人工樹脂や染料で新しいものが出て来た時期でもあります。当時の人たちは新しいものに期待があったのかもしれません。今ならカーボンやチタンなどの素材が部品などに使われるようにです。

ボヘミアの流派は表板と裏板が同じような厚さのものがよくあります。裏にしては中央がやや薄く、表は全体に厚いものです。古いドイツの楽器にも近いシステムのものがあります。
この楽器はモダンというかフランス的です。
写真が撮れたら紹介しましょう。

重要なのは産地の名前ではなく、楽器そのものだという例です。
ラベルが無かったらボヘミアの楽器とみなされていたでしょう。


ピエトロ・グァルネリのスクロール


ピエトロⅠ・グァルネリのスクロールは父親のアンドレアのものと似ています。合作で作っていたり、ピエトロが代わりに作ることもあったでしょう。そのためかかなり自由な感じがします。自由というのは最初に設計した型に対して完璧に加工するというよりは見た目の感じで何となく作ったような感じがします。近い時期の楽器でもかなり形が違ったりします。
グァルネリ家の中では特別腕の良いピエトロですが、初代のアンドレアの教育を受けたのかスクロールはグァルネリ家の感じがします。弟のジュゼッペはノミで彫った跡をそのまま残して仕上げないことが多いです。ピエトロもそんなに完璧には仕上げていないようですが、ジュゼッペほどそのままということもないでしょう。ジュゼッペよりは仕上がっています。
でもストラディバリ、特に若いころのような丁寧さはありません。

フランチェスコ・ルジェリなどははっきりと特徴があります。ニコラ・アマティでも弟子のルジェリやアンドレア・グァルネリの合作と言われているものがあります。スクロールがルジェリだということはすぐにわかります。それに比べるとアンドレアのスクロールはグズグズです。

グァルネリ家は初代が安上がりの楽器を作っていたせいなのか教育が甘いです。それが個性的な楽器を生み出した所以かもしれません。音に関してはもちろん定評があります。

したがって何をお手本にして作るかによってかなり形が変わってきてしまうのがピエトロのスクロールです。とはいえ何かを元にしないとピエトロではなくなってしまいますから、胴体と同じく1704年のものを作ります。
オールド楽器の場合には摩耗が激しくて原形をとどめていないことも多いのでとても難しいものです。作り手のイマジネーションも重要で、簡単にまねできるものではありません。


材料がはかったようにギリギリです。
スクロールは渦巻きの中心のところが一番幅が広いのでそこさえ厚さがあれば多少欠けていても大丈夫なのですが、わずかに誤差も出ます。

材木として放置されていると色が変わっていて新しく削ったところは真っ白です。こんなに木の色って変わるのです。
だからオールド楽器の色はニスの色じゃなく木の色なんです。

アマティのものは現代のものに比べて幅が狭いです。グァルネリ家でもアマティに近いものです。この材料はピエトロ・グァルネリ用には使えても現代風の楽器には使えません。
木材自体は上等な物です。


私個人ではのこぎりで手作業で切りますが、会社ではバンドソーを使います。ちょうど見習の職人が1か月くらい前に初めてスクロールを作っていたので細いのこぎりの歯がセットされています。それでチョチョイのチョイです。


スクロールは昔はそれだけを作る職人がいてものすごい速さで作っていました。それくらいになると、型などは無くてもフリーハンドで作っていたようです。
西ドイツの職人などはその割には悪くないもので驚きます。

我々はオリジナルから型を起こして、摩耗している部分を補って設計し型の通りに正確に加工するわけです。私はその時機械的に型通りに加工するのではなく、ほんのわずかに見た目で形を整えたり、個性を表現したりします。

こうなると削りすぎると終わりです。
ノーミスで完成まで持って行くのは大変です。慎重になるので時間がかかってしまいます。

スクロールを完成させるのに見習の職人は4週間もかかっていました。私でも7日くらいもかかっています。産業として考えたら時間をかけ過ぎです。その方が完成度が高いので譲れません。
自分でデザインしたものならうっかり削りすぎてしまって設計図と違っても「俺の作風だ!」と偉そうにしてればごまかせますが、元があるとそうはいきません。

グァルネリ家では形がまちまちであるようにこだわりもなくパッパと作っていたはずです。

1704年のものはピエトロにしては最高レベルに美しいものです。モノマネの様に個性を強調してはいけません。行きすぎてはだめだと思います。個性とともにちゃんとしたものを作らなくてはいけません。




渦巻は外から2周目の幅が非常に広いのが特徴です。ノミの刃の跡が残っているのもよくあります。これは平らな平ノミを使うとこのようにガクガクした感じになります。丸ノミを使うと後が残らないです。

ちなみに消しゴムは日本から持って帰るものです。これは質が良いのでお土産で喜ばれます。日本では当たり前のものでも優れたものなのです。お土産としても安くて助かります。
海外に行くときは余計に持って行くと良いかもしれません。

近代のもののように均整の取れたものではありません。むしろこのようなものがアマティ的です。不思議と綺麗だなあという印象を受けます。

右のほうが癖があるのですが、それでも繊細な感じがあります。

ストラディバリやフランスのものならもっと堂々とした感じがするものですが、アマティの感じを残すものです。特徴は2周目の幅広いことです。


なにか失敗したということも無いし、これ以上いじったら寸法を割ってしまいますから完成にしなくてはしょうがありません。

ノーミスでスクロールが作れるなんて大変なことです。
見習の職人はストラディバリのモデルでやっていますが、ストラディバリにはとても見えないものになっています。

でもスクロールではあるのでダメということはありません。
一般的な工業製品でわずかに形が違うなんてことは言われません。
鳩時計で鳥の形が違うなんて文句を言われることはないでしょう。

先輩から仕上げだけはうるさく言われて永遠とやっていました。
私は刃物だけでもちょっと綺麗すぎるくらいで仕上げなんてすぐに終わります。

ノミの跡が残っていますが、これも長年使われていくうちに摩耗して無くなっていくでしょう。ニスを塗るときにニスを研磨していくと無くなっていくはずです。

アマティ派のスクロールが面白いのは非の打ちようのない完璧さではないけども、全く雑ではないということです。一般的な木彫ならこだわりすぎています。
それを昔の職人はフリーハンドで感覚を頼りに作っていたのでばらつきになって面白いです。ストラディバリには近代でも通用する美しいものもあれば、よくあるような平凡なものもあります。
もちろん後の時代の人がストラディバリをお手本にしているわけですから形が似てるのは当たり前です。

オールド楽器ではスクロールが後の時代のものに変えられているものがよくあります。損傷を受けたりして作りなおしたのでしょう。今ならできるだけオリジナルを残すようにしますが、昔はそんなに大事なものだと考えられていなかったのかもしれません。
ペグボックスなどはひどく壊れてしまうと実用的に使えなくなってしまいます。最悪の場合でも今では渦巻のところだけを残して、他の部分を作り直します。全部新しいものに取り換えると価値がガクッと下がってしまいます。

このようにオールド楽器ではスクロールがオリジナルでないものがよくあります。この時に見た目で違いが分かるかと言えば、私は違うなと思うのですが、他の職人もそう思うかはわかりません。
例えば、リカルド・アントニアッジのスクロールがついているニコラ・アマティのチェロがあったように思います。私から見れば全くアマティと違って近代~現代のものに見えます。
ジュゼッペ・グァルネリのチェロにもそのようなイタリアの有名な作者のスクロールがついているものがあったと思います。

見るとすぐにアマティと全く違うことが分かります。
少なくともアントニアッジには同じに見えているのでしょう。職人でさえそうなのだから、営業マンに見分けらえられるかは疑問です。

それだけ近代以降常識があって、アマティに似せたつもりでも近代のマナーになっているのです。

職人も自分の作っているもののほうが正しいと思っているので、アマティと違っても「修正してあげた」くらいに内心思っているのかもしれません。アントニアッジも自分はアマティに並ぶ名工で自分流のスクロールを付ければアマティとの時代を超えた合作となると考えたのかもしれません。

このようなことは弦楽器に限りません。1950年代のクラシックカーを見て素敵だと思う人は多いでしょう。しかし自動車メーカーは絶対にそのようなデザインの車を作りません。今のものの方が優れていると考えているからです。ヴァイオリン職人も同じで、アマティを見て良いなあと思っても、実際に作る段階になると全く違うものを作ります。

技術的な難しさというよりは、「時代」から自由になることが難しいのです。

芸術家は自由、自由と言うけども同じ時代の人は同じような物を作っています。


特に西洋の人は我が強いので自分を押し殺して昔の職人のやり方を受け入れるということは苦手でしょう。このような分野は日本人が得意なのです。もし日本の職人が外国の職人の間で称賛されるとすれば精巧なレプリカを作る人です。

これは修理では重要で、アントニアッジのようなことをしていれば修理としてはうまくないということになります。


こんにちはガリッポです。

板の厚さによって音がどう違うかということには多くの経験があります。オールド楽器のデータを調べたり、目の前にある何でもない楽器でも常に厚さを測っています。自分で作るときに厚みを変えたり修理で板を薄くする改造もしています。

それではっきりわかることは「薄い方が低音が出やすい」ということです。
明らかに言えることはそれくらいです。

しかしこのような単純なことも、当ブログ以外で耳にした人はいるでしょうか?
少なくとも私は製作学校の先生や師匠に教わったり、本などで読んだことはありません。
私とは別の学校で学んだ職人に聞いても誰も知りませんでした。クレモナの学校で学びモラッシィに教わったイタリア人もその一人です。低音の豊かな楽器が作りたいという彼に私は教えてあげました。

薄い方が低音が出やすいということに気づいたのは、実際に薄い板の楽器を作った事によります。古い楽器の厚みのデータを見ると現代よりもはるかに薄いため、同じように作って見たらどうなるか試したことです。試みの最初の楽器で分かったことです。それ以降も同様の結果が得られています。

先週も親しい職人と電話した話をしました。付き合いが長いので板が薄い方が低音が出やすいという考え方を理解しています。彼は修理でも多くの楽器を経験しています。その結果私の考えに同意しています。


作って見れば一発で分かる事なのに、なぜ知られていないのでしょうか?
これは職人特有の考え方にあるでしょう。

一つは楽器の評価に、「鳴る」とか「音量がある」とか音が強いことを良しとする風潮があると思います。新作の場合には寝ぼけたような音がするのが普通です。それに対して刺激的な音を持っていれば強い音に聞こえます。それ以外のことは興味がないのであれば、低音が多いかどうかに興味が無いのです。

もう一つは、「厚めの板厚が正しい」または「板を薄くしてはいけない」というのを正しいと信じていて試すことすらタブーであるということです。これはまじめな職人ほど陥りやすいことかもしれません。

実際に過去に作られた現代の楽器を調べてみるとどの流派でも薄く作られた楽器が散発的にあります。教えに背いて勝手に薄く作る人がいるということです。

私などはそのような楽器があると「これは良いぞ」となります。うちでは低音が豊かな楽器が好まれるからです。


皆さんは「板が薄い楽器」に対してどう思うでしょうか?
おそらく心配になるでしょう。「板が薄い楽器は安易に鳴りやすくしたもので、本物ではない」とか「初めは鳴るけどもそのうち鳴らなくなってしまう」などの理屈は不安の心理が求めるものです。私も職人を始めて数年のころはそのような理屈に惹かれてしまいました。

高級品というのは肉厚で重厚に作られているものです。楽器もがっちりと丈夫に作られているものが高級品だというイメージを持つでしょう。


ここで不思議なのはオールド楽器の板が薄いことです。これに対して「オールド楽器は別」という謎の言い訳が考え出されます。ありとあらゆる理屈で、厚い板が正当化されます。薄い板の楽器を作ろうとする試みすら許さないのです。


私が弦楽器について大切にしている考え方は結果がすべてということです。

安易な方法で鳴って何がいけないのでしょうか?
苦労して結果を得るほうが尊いという倫理観でしょうか?
鳴らない楽器を苦労して鳴らすことが演奏の道なのでしょうか?

少なくとも西洋の人はそんな考え方はしません。鳴らない楽器は売れないのです。


これに対して私は論点が違います。
板が薄い方が鳴るという規則性も見いだせていません。
もちろん極端に厚すぎるものは全然鳴らないということはあります。しかし、薄い楽器とやや厚めの楽器でそのような規則性は見出せません。
むしろ薄い板のほうがおとなしく感じることもよくあります。直接の関係は言えません。

それに対して、響きやすい音域が違うということは言えます。
鳴るか鳴らないかにしか興味が無いなら、厚みが音に与える違いはわかりません。

その人が何に興味を持っているかが音の違いに気づくかどうかになるでしょう。
演奏者は人それぞれいろいろなこだわりがあります。その人が厚い板と薄い板の楽器を試せばその人なりの規則性を見出すかもしれません。他の演奏者は全く気にしない点かもしれません。
しかし実際に厚みを測定して実証している人はほとんどいません。f字孔から見て表板の厚みを見る人もいますが、そこの部分の厚みしかわかりません。


つまり考え方に左右されるということです。
私がこちらでは「暗い音」が好まれるとブログで紹介したことで初めて暗い音の存在を知った人もいるかもしれません。それまでは楽器の音の評価では全く考慮していなかったのです。職人でも同じです。
一度、暗い音を知ってからは魅力に取りつかれた人もいるでしょう。

日本では「こもった音」が嫌われます。しかしこちらではそんな事を言うのを聞いたことが無いです。この楽器はこもっているなと思っても彼らは全然そんなことは気にしません。


よくあるのは血液型で性格を判断するというのがあります。日本で盛んでこちらでは聞いたことはありません。血液型が話題に上ることはありませんが、身近なところで師匠の奥さんは自分の血液型を知りませんでした。

それが日本的なのは几帳面だとか大雑把だとかそれを気にする所です。

もし別の国で同じような物が考案されたら全く違う性格特性を語るようになるでしょう。何型は親切だとか論理的だとか、勇気があるとか違う項目になるかもしれません。人々が人の性格で関心を持っていることが違うからです。

板の厚みの違いが音にどんな違いになって現れるかはその人の関心に左右されるでしょう。

もし鳴る鳴らないで楽器を選ぶなら、少なくとも数十年、できれば50年くらい経っている楽器のほうが有利です。どんな安い楽器でも構いません。1880年くらいに作られたドイツの量産品の最低ランクのものでも新品の高級品より耳元で強い音がします。このような楽器で練習を始めた人なら全然鳴らない新作の高級品を買い替えには選びません。これは私たち職人にとっては都合の悪いことですが事実です。日本の楽器店にとっても同じことでしょう。そこで安価な鳴る楽器を悪く言うためにこもっているとか、本物の鳴り方じゃないなどネガティブなイメージを作り上げるのでしょう。

鳴るか鳴らないかが重要であれば、とにかく試奏して鳴るものを探すべきです。
これが楽器選びの主流なので、私は作者名や国名に関係なく試奏して楽器を選ぶのが正しいと言っているのです。

ただし、力量のある演奏者は何を弾いても力強い音がします。
そうなると楽器選びの次元が変わってきます。
初級者でも個人差があって何を弾いても耳障りな音がする人もいれば、何を弾いても弱い音しか出ない人もいます。子供の方が乱暴に弾いて力強かったりします。

板が薄いと低音が出やすくなるわけ


板の厚みが影響するのは鳴るか鳴らないかではなく響きやすい音域が変わってくるということです。なぜ板が薄いと低音が出やすくなるのでしょうか?

単純に考えると太鼓の皮をイメージして見て下さい。大きな太鼓では皮の中心付近を触るとボヨンボヨンと柔らかい感じがします。小さな太鼓ではピンと張っています。音は空気の振動ですから大きくゆっくりした振動では低音が、細かい速い振動では高い音が発生します。小さな太鼓で張りを弱くすると音が低くなっていきますが張りが弱くなりすぎれば響かなくなってしまいます。

板が薄ければ柔軟性が増すため大きな遅い振動で動けます。一方板が厚ければ硬くなるので細かい振動しかできません。

板の厚みそのものよりは柔軟性が重要でしょう。
コントラバスやチェロのような大きな楽器であれば、板はヴァイオリンよりは厚いですが相対的に強度は落ちて大きな振幅ができるようになります。

しかし、楽器ごとにだいたい大きさは決まっているので、その中では厚みが重要だということです。同じヴァイオリンでも多少の大きさの違いはありますがそれはコントラバスとヴァイオリンほどの大きな違いではないので決定的にはなりません。それよりも板の厚さの方がはるかに影響が大きいと思います。

その他古い楽器を修理するときに表板を開けてみると、古い表板はふにゃふにゃになっています。同じような厚さでも新品ならもっとシャキッとしています。古い楽器のほうが柔らかくなっているのです。このため古い楽器のほうが低音が出やすいのです。

新しい楽器で板が厚ければカチカチで強度が高すぎます。大きな振動はできないためいかにも新作というような明るい音になります。音色を古い楽器に近づけたいなら板は薄くするべきです。

どこまで薄くできるか?

これはとても難しい問題です。
古い楽器を修理することで学ぶことができます。強度が耐えられず変形や割れを起こしているものがあります。
裏板の中心が薄ければ魂柱のところがボコッと出てしまいます。音にも芯の強さが無いこともあります。
ヴァイオリンでは少ないですが、チェロでは薄いと音が弱く張りの無い音になっているものがあります。低音楽器なので厚すぎるのは良くないですが、薄すぎも良くないという難しいものです。古い楽器なら厚めでも低い音が出るのでやはり古いことは有利なのです。

一方で同じように薄く作られている楽器でも表板がひどく陥没しているものと、していないものがあります。薄い板でも陥没しないオールド楽器がうまく作られているものと考えられます。



また低音が出やすくなるということですから低音が出過ぎになっていたら薄すぎるということでもあります。出れば出るほど良いというわけではないでしょう。

過去にはとても薄く作られた楽器もあり壊れていないにしても、音がふわふわしてしっかりしないものもあります。これは薄すぎるということです。

高音から低音までまんべんなくバランスよく出ることを良しとするなら薄すぎてはいけないということになります。

多くの経験の中で「これくらい」というのをつかんでいく必要があるでしょう。私は気になる楽器があれば必ず厚みを測り、自分が作った楽器でも記録を残しています。そうやって限度を知ることができると思います。

薄い方が遠鳴りに有利?

低音の出やすさは好みの範疇に入ります。明るい音や暗い音かは好みによって選ばれるものです。

一方ソリストが使う楽器では自分に強く感じられるものではなく、ホールの後席まで音が届かなくてはいけません。しかし自分の演奏を自分で聞くことはできません。楽器を購入するときには自分の耳に聞こえることが優先されがちです。

遠くまで音が届くという意味で優れた名器は板が薄いものが多いです。オールド楽器、モダン楽器ともにそうです。

オールド楽器では薄い板で作られているものが多くあります。クレモナ派でも1600年代のスタイルのものは特に薄い板のものが多くあります。ドイツなど他のオールド楽器でも同様です。これは不思議ですがそれが常識だったということでしょう。当時は精密に測定する道具もなかったはずですが、それなのにギリギリまで攻めていたというのは驚きです。


今修理中のドイツのオールドビオラの表板ですが、これも1.5㎜のところがあるなどとても薄いです。

現在の楽器製作の手法はだいたい1900年頃に流行したものです。1900年頃の楽器を見ると現在のものとほとんど変わらないものがよくあります。今あるものは100年前にもあるわけですから、そちらの方が鳴りが良いのです。

これに対してオールド楽器は板が薄くてびっくりすることがしばしばです。いつから厚くなるかと言えば19世紀の終わりころからでしょう。1800年頃のフランスのモダン楽器では極限まで薄く作られていますし、ヴィヨームなどでもそうですから19世紀の半ばくらいに修行した人はまだ薄いものを作っていたはずです。ただしフランスの楽器の場合には薄いゾーンが広くなっています。一番薄い所はそこまで薄くありません。

20世紀になってから厚めの板厚が主流になってきたのではないかと思います。1900年頃の流行ということになります。このころ修理されたオールド楽器には厚みを増すために板を張り付けてあるものが多くあります。厚い板厚が良いと信じられるようになったので古い楽器にも厚みを増したのです。しかしずさんな修理が多くうまく張り付いていないで間に隙間のあるものもあります。

現在ではこのような修理はあまりしないでしょう。オリジナルのままで音が良いことを知っているからです。

つまり板が薄いという特徴はオールド楽器とモダン楽器に共通した特徴で現代の楽器とは違うということです。しかし厚めの楽器でも50年以上前のものならよく鳴るようになっていますので音量が無いということはありません。演奏者が自分で試奏して楽器を選ぶなら音が良いと感じることもあるでしょう。

それに対して遠鳴りについて言えば、板が薄い方が私は有利だと考えています。自分たちが作った楽器で比べれば一目瞭然です。
古くなれば厚めでも柔らかくなってくるので悪くないかもしれません。新しい楽器で板が厚ければかなり厳しいでしょう。

このように薄い板の楽器が遠鳴り傾向なら耳元では静かに聞こえることもあるでしょう。このため薄い板の楽器は必ずしも音が強く感じるわけではないということです。厚い板の楽器でも音が強く感じられることはあり得ます。このため耳元での音の強さと厚みは関係が無いということです。

このように「薄い板の楽器は安易に鳴るようにしたもの」とか「初めは鳴るけどそのうち鳴らなくなる」というのが見当違いなのです。

うちのお店では暗い音の楽器が好まれるわけですから、薄い板の楽器を常に求めています。それに対して売りたいと言って持ち込まれる楽器で薄い板の楽器は珍しいです。厚いものが多いです。

厚いものが多く作られる理由は、
➀厚いものが良いという理屈を信じている
➁手抜き

特に安価な楽器では厚い板のものが多いです。これは手抜きです。特に裏板に多いです。木材が堅いため板を薄くしていく作業は骨を折るものです。削って薄くしていく途中で投げ出してしまい厚いまま完成としてしまった楽器が多いです。安価な量産楽器に問題が多いのは板が厚すぎることです。

現在では機械で加工することが多くなったのでこのようなものは減りました。古い量産品では板が厚すぎるものが多く、買い取る価値が無いと思うことは多くあります。機械で作られている現代の量産品はひどい物は少ないですよ。でも開けてみると細部まできちんと作ってあることはありません。

そんな古い量産品でも耳元では強い音がして「やかましい」と感じるほどです。

私は薄い板の楽器が本物で、厚いものは攻め切れていないと考えます。

ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンです


前回作ったときも極力薄くしましたが、今回は裏板が柾目に近い板のため硬さが全然違います。板目板のほうが柔らかく柾目板のほうが堅いのです。

そのため薄くなるまで攻め切れなければ同じような魅力的な音にはならず、平凡なものになってしまうでしょう。

裏板の薄い部分では2.0㎜程度でオールド楽器ではもっと薄いものもありますが、さすがに勇気がありません。中央は4mm以上あり十分でしょう3.5mmくらいあれば大丈夫です。

周辺部分が薄くなっているのがポイントで2.5mm以下です。この辺りは実際のオールド楽器では削り残しがあることもあります。そのため2.5mm程度あってもおかしくありません。しかし今回はギリギリまで攻めます。周辺部分はかなり強度に影響すると思います。木材も硬い材質なのでできるだけ薄くしましょう。

表板は高いアーチであることもあって中心付近はあまり薄くしたくありません。魂柱のあたりは3.0mm以上あります。そこからf字孔の上の丸のあたりが凹みやすいので特に厚くしています。中央は3.0mmを切る程度ですがフランスのモダン楽器なら2.5mm程度ですからそれより厚めです。現在では3.5mmくらいあってもおかしくありません。

その代わり周辺部分をギリギリまで攻めています。後で厚すぎたと後悔したくないからです。

板が薄いことで低音が強いバランスの楽器になることでしょう。また高いアーチであることも音には影響があるはずです。

高いアーチでは響きの余韻が短くなると思います。響きが抑えられる効果があると思うのです。これは抜けが良くダイレクトな音になるので力強く感じる要因になるでしょう。

薄い板の楽器でもフラットなアーチでは明るい音がする場合があります。響きが加わって増幅されているからでしょう。それに対して高いアーチなら明るい響きが抑えられるので、深々とした暗い音になるでしょう。こうなると味わい深い暖かみのある枯れた音になるのです。

板が薄いことでどちらでも遠鳴りはするでしょう。フラットなほうが響きが豊かでより太いボリューム感があると思います。それに対して高いアーチでは締まった音になると思います。やはりソリスト用の楽器としてフラットな楽器の優位性はあると思います。

しかし板が厚いフラットな楽器であれば話は別です。薄い板の高いアーチの楽器に全くかなわないということもあり得ます。このように、アーチの高さは絶対ではないのです。

オールド楽器らしさ


オールド楽器に近い音にするには板を薄くする方が間違いありません。実物も薄いからです。
実際のオールド楽器では厚めでも味のある音が出ることがあり得ます。それは古さによります。
しかし新品で私が作れば確実に明るい新品の様な音になってしまいます。

板が薄いだけなら19世紀のモダン楽器でも同じです。違いはアーチでしょう。

とはいえモダン楽器とオールド楽器に厳密な違いはありません。オールド楽器は作風が様々でバラバラ、個体差が非常に大きいのに対してモダン楽器は一定の作風に定まっています。いろいろあるオールド楽器の作風の中から平らなアーチのものを選んだのです。

よくイタリアの楽器が一流で、フランスの楽器は2流と大雑把なことが言われます。しかし厳密に考えてみるとオールドのイタリアの楽器が一流で、モダン楽器ではフランスのものが一流なのです。少なくとも19世紀のヨーロッパの人たちはそう考えていました。職人たちはみなフランスの楽器を真似たのでした。

1900年頃になるとフランス以外でもモダン楽器が作られるようになり、どの流派も自分たちこそがストラディバリに近いものだと主張し始めます。それらはオールド楽器どころかモダン楽器からも離れていきました。

フランスのモダン楽器のようなものなら、セオリーに従ってその通りに作りさえすれば優れた楽器になります。そのため品質さえ良ければ優れたものになるのです。

それに対して私は、もうちょっと違うものでも大丈夫だと考えています。フランスのモダン楽器のセオリーから離れてもまだ十分な性能の楽器が作れるということです。オールド楽器はもっと多様性があります。音にも個性が出せるわけです。

モダン楽器とオールド楽器に共通する特徴をちゃんと理解することが重要でしょう。


これは実際のニコラ・アマティを測ったものです。私が作っているものよりもさらに薄いです。やはり私には勇気が足りないようです。

これから出てくる力強く豊かな強い低音は弾けばすぐに魅了されてしまうでしょう。新作のような明るい音では全くありません。
しかしアマティはこの薄さで暗い一辺倒ではありません。多彩な音色を持っています。名器たる所以ですね。



オールド楽器の音を決定づける構造はアーチと板の厚さにあるでしょう。
板の厚さだけならモダン楽器でも変わりません。
アーチと板の厚さの両方を備えることでオールド楽器に近いものができるでしょう。




こんにちはガリッポです。

近代以降の弦楽器はフランスで確立したことは以前から説明しています。
現代に修行した職人たちはこの考え方を受け継いでいます。楽器を見て「これは良い」とか「ひどい」と言う時はその基準に従っています。

前回の話のように「良い楽器」であれば音には個体差がありますが、好みにも個人差があるため試奏してみる価値があるでしょう。
一方現代の職人はオークションなどで目を引かないモダン楽器に対抗するのは困難です。よく鳴るうえに値段が安いのですから。

我々は無意識のうちに現代のものの方が優れているという思い込みがあります。職人も自分たちの楽器のほうが優れいてると信じます。しかし、比較試奏してみると戦前のドイツの量産楽器にも叶わないという現実に直面します。ドイツの職人も自分たちが優れていると思っていたのですから我々と同じです。現代の人は自分は特別と思い、その現実を受け入れようとしないでしょう。

現代ではフランスのモダン楽器さえ忘れられつつあります。それがいかに優れたものであったか語られていないとすれば、それが忘れられているということです。

それに対して過去にとらわれずに新しいものを作れば良いと考えられます。しかし私たちは良いとか悪いという基準を刷り込まれているため、過去を見ずに良いと思うものを作るとモダン楽器の呪縛から逃れられません。

一方プロから教育を受けていないアマチュアの職人ならできるかもしれません。しかし、教育を受けなければモダン楽器にも遠く及ばないものなってしまいます。




そこでモダン楽器が確立する以前に立ち返ってやり直そうというのが私の考えです。オールド楽器から学ぶのです。この場合、良いか悪いかを考えてはいけません。良いとか悪いとかではなくそのままをそのまま受け入れるのです。そうするとオールド楽器の世界が見えてきます。モダン楽器の基準で見るとオールド楽器などは大したことが無いと考えてしまいます。

一方で古い楽器は神様のが作った最高のもので何もかもが優れているというわけでもありません。良いとか悪いとかは考えないのです。

厄介なピエトロ・グァルネリのf字孔

ピエトロ・グァルネリのコピーを作るうえで障害となるのはf字孔です。

➀ストップの位置が長すぎる
アマティやストラディバリのヴァイオリンでは現代とほぼ同じですがピエトロ・グァルネリになると3~4㎜f字孔の内側の刻みの位置が下に来ます。そこに駒を立てると弦の振動する長さが長くなります。演奏上障害になるもので、古い楽器なら希少なので我慢して弾くことになりますが、新品でわざわざ弾きにくいものを買うのは止めたほうが良いでしょう。

➁左右の間隔が近すぎる
左右のf字孔の上の丸い部分の間隔が狭すぎます。これはアマティからの伝統です。問題はバスバーがf字孔の穴の下に来てしまいます。これも現代の規格を知らないで作られたものにはたまにあるもので困ったものです。バスバーが駒の足に対して正しい位置に来ないのです。

➂f字孔が細すぎる
これはクレモナのオールド楽器全般的な問題です。今よりも細い魂柱を入れていたので現代の太さの魂柱が入りません。下の丸い所から入れれば入らないことはありませんが、はっきり言ってめんどくさいです。
職人からして見たら、作った人に怒りを覚えるでしょう。

実際のオールド楽器ではf字孔の幅を後の時代の人が広げるために削ってしまい大惨事になっているものがあります。そうしなくても、徐々に太い魂柱になって行ったので何回も交換するたびにf字孔がグリグリと押し広げられていき今では入るようになっているものもあります。摩耗やアーチの変形によって広がっている場合もあります。

モダン楽器でも19世紀のフランスのものは今よりも細いf字孔です。ヴィヨームでもそうです。だから綺麗に見えるというのもあります。

④f字孔が縦になりすぎている
普通f字孔は傾いていてハの字になっています。f字でなくてS字のようになっていると木目に対して逆目になってしまいます。ナイフで加工するのがとても難しいのです。

このように大きな問題があるためそのまま作るわけにはいきません。ピエトロ・グァルネリをコピーの元として断念する理由でもあります。

なぜこのような問題があるのかは本人に聞かないとわかりません。しかしf字孔の問題はデルジェスにもあります。デルジェスの場合には位置がバラバラでストップの位置が定まっていません。とても短い物や長いものがあります。「天才だから計算ずくに違いない」と考えていると現実からかけ離れてしまいます。バラバラなのは数字が決まっていなかったということでしょう。測らずにこの辺だろうと作っていたのではないでしょうか。

デルジェスにストップの位置を教えなかったのは、その上の世代の責任でもあります。何故かアマティの寸法が伝わらなかったということになります。絶対に守るべき数字と考えられていなかったのです。

現代に復刻として作る場合、どうすべきかは悩む問題です。
博物館に収める資料ならともかく、実際に演奏に使用するなら私は修正すべきだと思います。修正はしながらも「らしさ」は失わないようにしなくてはいけないという難しい課題です。

他にもG.B.グァダニーニにもストップの問題があります。アレサンドロ・ガリアーノにもあります。当時はアマティの流派であってもバラバラで守らなくてはいけないものという認識が無かったのでしょう。

位置を決める

f字孔の位置を決めるのは昔の流儀に従えば「適当」ということになります。オールド楽器ではあまり深く考えずにf字孔の位置を決めたケースはよくあります。そのため考えすぎたら現代風になってしまいます。

それでパッと決めてしまえと以前は考えていましたが、今回は何回もやり直しました。それだけ難しい問題だと認識しました。

ストラディバリやデルジェスの一般的なものに比べれば縦になっていますが木目が逆目にならないギリギリのところにしています。写真では横線が駒の中心、つまりストップの位置でf字孔の刻みと少しずれています。どうもオリジナルはf字孔の中心よりも下に刻みがついているようで刻みの位置をずらすことで多少ごまかしがききます。これがf字孔の中心の位置です。
f字孔の中心に駒をもって来るのは、f字孔が切れていることで表板中央の柔軟性が増しているからです。
上の丸の左右の間隔も少し広げています。そうすると下の丸が表板のふちに近くなりすぎます。少しずつ寸法を詰めて妥協の位置を見つけます。

特にピエトロ・グァルネリで難しいのはアーチが高いことです。f字孔は斜面に開けられるため、平面の写真から型を起こすと一致しません。The Stradのポスターには実際の楽器にあてがって魚拓のようにしてとったと思われるf字孔のの形が裏面に印刷されています。それから型を起こせばアーチを同じように作ってあれば誤差は出ないはずです。

しかし明らかに印刷されているf字孔は写真と形が違うのです。実際に古い楽器は変形や摩耗などもあり魚拓のように型を取るのは難しいです。特に右側は摩耗しているため角がどこか分からないのでかなり太めになっていました。

そこで今回はおおよその目安としてフリーハンドでf字孔を開けるしかありません。作図してもそれは無視して目視で形を作らなくてはいけないのです。

これはむしろ当時のやり方に近いでしょう。ストラディバリなどはかなり大雑把な型紙があって、それは目安にしてフリーハンドで加工したようです。
つまりアドリブでやらなくてはいけません。

f字孔はとても難しいもので正確な型があれば、型に忠実に加工する方がはるかに楽です。しかし今回はそれがありません。非常にリスキーです。

できあがり



このような感じになりました。オリジナルの通りではf字孔が細すぎて魂柱が入りません。そのため若干太くしなくてはいけません。それはとても難しいものです。この時点でオリジナルとは違ってしまうからです。また写真と現物を見る時では、目の使い方が違います。写真は一つのレンズで撮影されていますが、人間の目は二つあります。このように高いアーチの楽器では右目で見るのと左目で見るのは大きく違います。それを脳内で合成したりしますが、利き目もあります。

これはカメラのレンズのせいで下の丸い所はかなり歪んで見えます。この程度でもカメラの角度がちょっとずれているせいで右のほうが太く見えます。最終的には望遠レンズで遠くから撮ってみましょうか?


ちょっとアマティっぽくなったような気もします。前回アマティのビオラを作ったので目に癖がついています。ピエトロも若いときはアマティのようなf字孔だったので間違っている方向性ではありません。
アマティともストラディバリとも違う独自のf字孔です。現代の感覚からすると丸い部分の直径が大きすぎます。逆に言えばストラディバリは小さな丸になっているのが特徴です。

難しい条件だったことを考えれば大惨事にならなくてよかったなと思います。
やはりf字孔は弦楽器の顔なので失敗するととても悔やまれます。

アドリブを入れて作ったので特定のオリジナルと全く一緒というわけではありません。しかし、ピエトロもf字孔はそんなに毎回全く同じ形ではありません。なのでそこまでもとになった楽器とまったく一緒にしようとは考えませんでした。


コーナーやパフリングの先端も合格点でしょう。コーナーはアマティに比べるとかなり太いです。ビオラに比べても太いです。

このようにf字孔は斜面に開いています。

ちょっと斜めから見れば丘の向こう側の斜面にあるので見えなくなります。
アーチがかなり高いです。

私のよく知っている職人と連絡を取りました。電話でまず安否を確認すると作っているヴァイオリンの話をしました。たまたま彼が作っていたのはデルジェスのキングヨゼフのモデルで、私が去年作ったものでした。ピエトロ・グァルネリについて話すと、「あれはアーチが高すぎるからダメだ」と言ってしました。私と親しい職人でもこんな様子です。
私は以前にも作って音の評判も良かったのでそのことを話しました。
それくらい現代の常識からかけ離れているのです。

フラットに近いアーチなら、音もモダン楽器や現代の楽器に近いものになります。それは悪いことではありませんが、ありふれているという印象を受けかねません。
私が作るものはそれでも音に特徴はあるし、広いホールで響くことが特徴です。

ただし、音が出た瞬間に「まったく違う」と印象を受けるのは高いアーチの楽器です。好きな人にはたまらないものです。
遠鳴りに優れていても、店頭での試奏ではそこまでは分かりません。没個性の音ではたくさんの楽器の中に埋もれてしまいます。

優れているか劣っているかというのではなくて、「好き」という感情が湧いてくるような音にしたいです。それで言うと前回作ったピエトロ・グァルネリ型のものは私の歴代の楽器でも抜群のものでした。

好き嫌いのはっきり出るような音にしたいと思っています。
そのためにもう一つ重要な板の厚みについては次回です。
こんにちはガリッポです。

これまでの期間に家の整理や掃除をして眠っていた楽器が出てきて価値を見て欲しいという依頼もあります。そういう意味では掘り出し物が出てくる時期です。修理する時間的な余裕もあります。

そんな中悪くないヴァイオリンがあります。

これはラベルなどは無く作者不明ですが、見ればすぐにミルクールのものだとわかります。時代はかなり大雑把に言って1900年頃のものでしょう。オレンジのニスが典型的です。

ミルクールのものとしてはとても安価な量産品ではなく比較的上等な物です。ミルクールのものだと見分ける方法は、パッと見た印象です。フランスのものだと一瞬で分かりますし、一流の職人のものではないこともすぐにわかります。となればミルクールと考えるのが普通でしょう。
しかし量産品としては上等で他の国なら一人前の職人と同等以上のクオリティです。

スクロールは本当にきれいでフランス以外ならハンドメイドの楽器でもこのレベルに達しているものは少ないでしょう。

何よりも印象的なのはその音です。
明らかに音量があってよく鳴ります。典型的な新作の明るい音ではなく、暗く暖かみのありますが、カラッと乾いて抜けが良くこもりなどはありません。モダン楽器らしい鳴り方で太く豊かな音でもあります。高音は特別柔らかいということはありませんが、ひどく耳障りということもありません。弾く人や弾き方によってはどうにでもなるレベルでしょう。
優等生的に優れた音だと思います。

こうなると新作楽器では全く太刀打ちできません。作り方の違いでいかに工夫してもどうにもならないレベルです。
このような名もなきミルクールの楽器でもどんな有名な作者の新作楽器よりも抜きんでています。

値段はざっと50~100万円くらいでしょう。量産楽器としてはかなり高い値段ですが、同じ時代のフランスの一流の職人のものなら300万円くらいはしますからそんなものです。ドイツやチェコの作者なら有名ではないマイスターのものが買える値段です。

ミルクールのものでも工場のラベルがついていれば1万ユーロ(125万円くらい)になるでしょうが、ノーラベルなら100万円くらいが上限でしょう。

イタリアの作者が分かっていて同じ時期のものなら500万円では買えません。この楽器のクオリティはそれ以上です音でも優っていることが多いでしょう。

50~100万円の価格帯の楽器ではとても魅力的だと思いますし、音だけで言えば上のクラスにも対抗できるでしょう。学生やアマチュアにはとても魅力的なものです。作者不明で量産品となればコレクターなどには面白みのない楽器です。

気を付けなくてはいけないフランスの楽器

フランスの楽器で気を付けなくてはいけないのは、ランクです。
これは「量産品の中で上等な物、または無名な作者の楽器」というカテゴリーに属すもので中級品です。安価な量産品をスチューデントヴァイオリンというのに対してこれはオーケストラヴァイオリンと呼ばれるものです。フランスの一流の職人のものならマスターヴァイオリンとなり、ヴィヨームなどはソリストが使っています。ソロヴァイオリンと呼べます。しかしヴィヨーム本人が作っていたのではなく弟子たちを下請けにしていました。下請けの彼らの楽器でもソリストが使えるというわけです。

違いは何かといえば「クオリティ」です。量産品は安さが魅力なので、コストダウンのため急いで作られています。安上がりな手法で作られているために外見はもちろん、開けてみると中はひどい物です。

一方フランスの一流の職人のものは、外観は人間ではこれ以上は不可能と言うほど完璧な美しさで中もきちっと作ってあります。

このような中級品は完璧なほど美しくはありませんが、音響的には全く問題のないレベルで作られています。実際に音が良いのですから間違いありません。他の国の作者なら一人前の職人に匹敵するレベルで、イタリアの作者ならこれより劣るクオリティのものも多いでしょう。

つまり骨董品としての価値はそれほどではないにしても実用品としては十分なものです。

このレベルでチェロがあれば本当に魅力的です。2.5倍ほどの値段になるので最大でも250万円ほどです。一流のフランスの作者なら最低1000万円はしますし、この時期のさほど有名でない作者でも500~1000万円はするのは普通ですからお買い得です。これが15年前なら一流の職人でも1000万円はしませんでした。昔のイメージを持っている人は全く時代が変わっています。それでもイタリアの作者ならヴァイオリンの値段ですから、イタリアの楽器の値段がいかに高すぎるかというわけです。


このようにミルクールの楽器を絶賛すれば欲しいと思う人もいるでしょう。しかし日本で買うのは簡単ではありません。

ヨーロッパの相場でそのまま買えるわけではないからです。


150万円くらいするのは当たり前でしょう。それでも100年以上前の中級品で音も良ければ買って損はありません。問題は安価な量産品を買ってしまうことです。

量産品でもコラン・メザンのものなら相場はヨーロッパでも60~130万円くらいします。最も低いランクのものはプレスだったり仕事もひどく粗いものです。私はプレスの楽器に60万円も出すのは高すぎるように思います。それが日本に来て100万円以上になるとすればバカげています。

量産品でも上級品なら100~150万円でも仕方が無いと思いますが、日本では低級品でその値段だと同僚や同業者に話せばクレイジーだとびっくりします。

プレスの量産品でもラベルがついていればそれを業者はプレスだとは言わないし、数多くの従業員が分業で作ったものでもその作者の作品とほのめかすでしょう。

チェロになるともっと怖いことになります。実際にロックダウン前の駆け込みで修理に持ち込まれました。20世紀初めのミルクールの量産チェロで表板に割れがあり、修理する価値があるかという話になりました。師匠などは量産品だからせいぜい100万円くらいだろうみたいな感じだったので、こんなの日本なら300万円を超えると話して軽く見すぎだと師匠に助言したところです。
私は200万円くらいしてもおかしくないと伝えました。

逆に言えば量産品は量産品とこちらの職人なら考えます。
でも日本で売っているのも商人なら買う方も素人ですから、量産品であることもうやむやにされてしまいます。


この違いはどうやって分かるかと言えばクオリティです。それだけです。
フランスの楽器なら一流の職人のものは間違いなく高いクオリティで作られているので、見た瞬間にすぐにそうだとわかります。それ以上作者名を特定するにはパリなどで鑑定してもらう必要があります。しかし、量産品か一流の職人のものかで迷うことはありません。一流の職人の名前がついていても、その作者の経営する工場や、生産を委託した工場のものです。

これがイタリアの作者ならそうではありません。500万円以上する作者でも並以下の腕前の職人の作ったものはざらにあります。フランスのような選抜制度が無かったからです。

このように日本でミルクールの楽器を買う場合には危険が伴います。職人でなければクオリティの違いは分かりません。音大などを出て楽器店に就職した営業マンなら音楽家からしたら話が合って信頼が厚いでしょう。しかし楽器を見分けるのは素人です。

とはいえ仕入れ値を知っていれば自分も騙されたという理屈は通用しないでしょう。

量産品かハンドメイドか

職人の立場から言わせれば、量産品であるか、ハンドメイドであるかは重要ではありません。重要なのは楽器のクオリティです。

ハンドメイドでも雑に作られていたり、基本を理解していなければ量産品以下の出来栄えのものもたくさんあります。


一方、商人にとっての価値は値段です。

同じような物が大量にあるので、希少性は高くなく値段は高くなりません。これは経済の論理です。コレクターも知名度が高く値段の高いものを有り難がります。本当に目が効くなら無名な良品の良さを分かるのでしょうが、そんな上級者はまれです。趣味というのはほとんどの人は才能も知識もなく下手くそなのです。コレクションの趣味も同じです。


しかし「音の良さ」という機能性を値段が表しているわけでありません。安くて音が良いならむしろ魅力的ですらあります。音楽家にとっての楽器の価値は商人やコレクターとは違います。

品質が十分なもので100年以上経っているのなら新品に比べればよく鳴るようになっています。中級者以下の人が弾いて「音量がある」と感じる点では50~150年くらい前のものが最高ですらあります。フランスのものなら板は薄く作られているので低音がよく出て音色に深みもあります。

適切な値段なら新作楽器などはまともに当たったら太刀打ちできません。



音が良くて物としてもよくできている。それで値段が安いのですから音楽家にとってはお買い得なものです。
量産品に偽造ラベルが貼られたものをプロの演奏家が持っていることはよくあります。プロの演奏家でも音で量産品とは気づかず何十倍もの値段で買っているのです。


私は「ヴァイオリンは個性が無くてはいけない」というようなウンチクに対しては懐疑的です。

弦楽器のことを知らないので、良いものと悪いものの違いを安易に知りたいのです。その時「量産品は作者個人の個性が無いからダメ」という理屈は分かりやすいです。量産品にも品質の差があり、ハンドメイドでも品質の悪いものがあります。
それを見分けるのに比べたら、「量産品はダメ、手作りが良い」と分けるほうが簡単です。このような弦楽器のことを知らない人が好むウンチクを偉そうに言うのは情けないです。

楽器の作り方などはすでに分かっていて、修行して技能と知識を身に付けた職人が手抜きをせずそのように作り、100年もすればよく鳴るようになるのです。

作者が苦労して編み出した秘密の作り方よりも、普通のものが100年経った方が音が良いのです。それが弦楽器です。それが西洋の職業教育です。

実際に量産品ではひどく耳障りな音がしたり、スケールの小さな硬い構造の楽器が多くあります。それは手抜きのためにちゃんと作っていないからです。個性が無いから音が悪いわけではありません。ハンドメイドの楽器でも近代のものはセオリー通りに作られているだけで「自分の音」という境地に達するものではありません。
仮に作者の音があっても、音の評価は意見が分かれます。教師などでも人によって全く好みが違うことは弦楽器店で働いていれば経験します。


もちろん美術工芸品として楽器に魅力を感じる人がいてもおかしくありません。またモダン楽器とは違うタイプのオールド楽器などには一味違う味わいがあります。そのようなものに価値が無いということはありません。

しかし自分が何を求めているか、どれくらいの予算があるかによって楽器の良し悪しは一つの尺度ではないということを知ってこそ「通」と言えるでしょう。

職人は人間であって神様ではありません。職人に神様を求めると「幻想」を売り買いすることになります。
こんにちはガリッポです。

しばらくの間自宅で仕事をしていましたが、また勤め先の工房に戻りました。
従業員数もお客さんの数も他の職業に比べればはるかに少ないので特別リスクが高いということはありません。

通勤は徒歩で通えるので公共交通機関を使う必要はありません。

自宅で仕事をすると全く外に出ない日が多くあり、何も感染予防に気を使わなくても良いのが楽でした。
ただし、通勤でもしないと体がなまってしまいます。

感染を恐れずっと家にこもっていたらすっかり世間の様子が変わっていて「小野田さん、お帰りなさい」なんてことになりかねません。
古いネタですが、私も当時は生まれていません。


ただし職場に復帰したら数日でも、どっと疲れました。なんでなんでしょうか?

機能面では自宅にはブラインドがあり部屋を暗くすることができます。光の明暗を利用して立体感をつかみやすいのです。それが職場だと部屋を暗くすることができません。社長など他の職人は部屋を暗くすることに関心が無く、暗くできるようにと訴えても何も変わっていません。
明るくすることには熱心でも暗くすることには全く興味が無いようです。
そこで窓にボードを置いて多少は暗くすることができましたが、去年改装した最新の職場としてはお粗末な状態です。
このお粗末な状態でずっと行くことでしょう。

このように職人というのは全く人によって感覚が違うものなのです。


このためアーチを仕上げる作業までは自宅で行うことにしていました。

アーチを仕上げる

音にも影響するオールド楽器の大きな特徴の二つはアーチと板の厚さにあると考えています。オールド楽器が手元にあったとき同様なものが現在では作られていないということに気づきます。板の厚みを測って見れば「こんな薄いものはとても作れない」と今の職人はビビってしまいます。アーチも現代とは全く考え方が違います。

それに加えて数百年という年月が化学的にも物理的にも変化を与え独特の音になるわけです。

なぜ同じものが作れないかは、現代の職人が下手だからではなく、現代の楽器製造法のほうが優れていると信じているからです。学ぼうという謙虚な態度が無いからです。

このためどのようにしてオールド時代にアーチが作られていたかは伝わっていません。

私がアーチを作るうえで重要視しているのは段階に合わせて適切な道具を使うことです。よくゴルフクラブに例えます。
はじめは大雑把に形を作り徐々に整えていき最後は綺麗に仕上げます。
この時適切な道具を選ばなくてはいけません。
ノミ→カンナ→スクレーパーというふうに道具を変えていきます。

一打目からパターを使っていればOBの心配はありませんがいつになっても終わりません。荒削りの初めの段階は大雑把に形をつかむことが重要です。

ゴルフと違うのは行きすぎたら戻ることができないことです。そのため粗削りはおっかなびっくりになってしまい、攻め切れないアーチになってしまうのです。

まだ手作りで大量生産品を作っていたころの最も安価なものは初めに板の厚さをアーチの高さに合わせ、周辺部分だけを低くしたアーチのものがあります。厚みを測れるのは一番高い所と周辺の厚みだけで、途中は傾斜しているので位置がずれてしまい値が定まりません。

ハンドメイドの楽器でも最も高い中央と低い周辺、そしてその間が滑らかな傾斜になっていればプロとして認められます。意図的に形を作るというのではなく単になだらかなカーブになっているだけです。これが現代では主流です。

この時デコボコや割れがあれば指摘されます。師匠からはこれではだめだとやり直させられます。欠点は誰にでも目に付きやすく、立体は才能のある人にしか見えないのですが、職人は才能に関係なく年長であれば師匠になることができます。

オールド楽器はこれとは全く違う考え方で作られていて現代の師匠の指摘する欠点がたくさん残っています。
オールド楽器でも特別才能のある人ばかりが作っていたわけではありません。しかし厳しく欠点が指摘されなかったので現在の様な作風ではありませんでした。

昔は幼少の時から修行をして叩き込まれたので、今とは訓練の仕方が違います。


どこまでノミで削ってどこからカンナに移るかはとても難しい問題です。
ノミという道具はどうしても刃の跡が残り小さなくぼみの集合体になってしまいます。この時手元が少しでも狂えば大きな穴が開いてしまい、滑らかに仕上げることができなくなってしまいます。
そこで完成に近づくほど注意深く作業をしなくてはいけなくなってきます。
ノミのラウンドを浅くするほどくぼみが浅くなりますが、同時に削るときの抵抗が大きくなりコントロールが難しくなるのです。
あまりに神経を使って作業をすれば時間が余計にかかりすぎてしまいます。

しかし形が作れていない段階でカンナに移ってしまうと削れる量が少ないので形ができないまま、表面がなだらかになって完成となってしまいます。このような攻め切れていないアーチの楽器はよくあります。現代では欠点の無さしか評価されないのでこれでもプロとして認められます。

メイプルの木材は繊維がうねっているため縦方向に削ると割れてしまいます。そのため先ほどの写真のように横方向に削っていくとうまくいきます。

この時横の断面にはマイナスのカーブ(凹面)とプラスのカーブ(凸面)があります。エッジにはチャネリングという溝がありそこからしばらくはマイナスのカーブになっていて、アーチの頂点でプラスのカーブになっています。
マイナスのカーブを加工するのに適した道具はノミです。ノミではスプーンでカップに入ったアイスをすくように掘り返すからです。
カンナは台の形状がカーブと合わないといけないためフィットしない場所が出てきてしまいやりにくいものです。

一方プラスのカーブはカンナでも問題なく加工できます。一方ノミはすくい上げるように彫りこむのでやりにくいのです。無理してノミだけで仕上げようとすればやはり作業効率という点で不自然になってしまいます。

私がオリジナルのニコラ・アマティを見たときに「簡単に作ってある」という印象を受けました。ざっくりとノミで形を作ってカンナでざっとならしたようです。
現代の楽器のようにカンナを多用してレンズのようなデコボコの無い面にしたわけではありませんでした。表板にはカンナをかけた跡が残っていて十分に仕上げてさえなかったのです。
そのことが手掛かりとなります。

もちろん職人ごとや、作品ごとによって違いがあるので全く同じようにすることが「正解」とは言えません。しかしカンナの動きが残っていたのはラッキーでした。

今回はマイナスのカーブについてはラウンドの浅いノミでかなり仕上げて、それに比べればプラスのカーブはそこまで仕上げないでカンナでならそうという方針でした。それでも形は作り切っていないとカンナで形を作るのは向いていません。カンナは表面をならすための道具でこれを多用するとアーチにキャラクターが無くなってしまうからです。

マイナスのカーブのほうがノミで仕上げられていて、プラスのカーブはデコボコが残っています。それでも形はしっかり作り切っています。


デコボコをカンナでならしていきます。


さらにスクレーパーで仕上げれば滑らかな面になります。
これでアーチが仕上がったわけですが、ここからもう一つ手間をかけます。

さらに周辺のチャネリングを彫りなおすのです。これは昔はパフリングを入れる工程が後にあったのでアーチが仕上がったところにパフリングを入れ周辺を彫ったのです。
このようにあとで溝を彫るとアーチのカーブの流れに不自然な溝ができます。オールド楽器ではよくあるもので、溝が強調されます。ドイツの楽器にははっきり見られる特徴で、クレモナの楽器では作者によるという感じですが、アンドレ・グァルネリはわりとはっきりしています。周辺い深い溝がありこんもりとしたアーチになっているのが特徴です。マントヴァのピエトロやバレストリエリにも受け継がれています。

まずは溝を掘る前です。定規の影のラインを見て下さい。

次は溝を掘ったあと

溝がぐっと深くなりアーチがこんもりとしたように見えます。微妙な違いですがこれでアーチにぐっとアクセントがついてキャラクターが出ます。
現代ではノミで彫った形跡が無いのを良しとするので無味無臭のキャラクターの無いアーチのものが多くなります。

このように深くなった溝には汚れがたまりオールド楽器では黒くなったり、ここだけにオリジナルのニスが残っている場合もあります。それで余計にアクセントがついてアーチの立体が強調されます。

チマチマしたオールド楽器のアーチ




仕上がってしまうと写真ではわかりにくいものです。しかし今回のものはぷっくらと膨らみがあり溝がグッと深くなっています。このようなタイプもクレモナ派には見受けられます。

アーチがどこもかしこもなだらかになっているのではなく、不自然なところがあることでキャラクターが生まれるとも言えるでしょう。これは製造工程に縛られて生じるものです。

現代の工業デザインではどうでしょうか?
デザイナーは紙の上で絵を描きます。その時、定規を使って製図のように描くのではなく、形に制約されないように勢いよくダイナミックなラインを引きます。それによって躍動感を表現します。

オールド楽器はそれらとは違います。昔の工芸品や建築の装飾もそうでしょう。ブロックの中に彫刻を施して装飾にしたりしました。

このようなものはチェロを見るとさらにわかります。ヴァイオリンは小さいのでこのようなアクセントは相対的に大きくなりますが、チェロではそのまま拡大されているわけではありません。つまりダイナミックな造形をしようと思ってやったのではなく作業工程の名残が残ってしまっているのでしょう。このような癖がオールド楽器にははっきりと残っていてこれが音響上もキャラクターになっているのではないかと考えています。現代の場合には癖を残さないことを良しと教育しています。

だから私はオールド楽器の音が良いと言っているわけではありません。見た目にも音にも個性豊かなのがオールド楽器ですから、当たりはずれも大きいと考えています。近代以降の楽器ならどれも優秀で、作者による差はわずかだということです。どこの誰が作ったものに音が良いものがあるのかわかりません。作者の知名度に関係なくたくさんある同じような物の中から試奏して気に入ったものを選ぶしかないのです。

オールド楽器の場合にも個性豊かですから試奏して選ばないといけません。

このような制約によって形が決まっているのがオールド楽器です。特にアマティなどにはそれが見られます。それがストラディバリやデルジェスになるともうちょっと自由にダイナミックに作られるようになります。

オールド楽器のこの制約は時には自由な振動を妨げ窮屈な構造になることがあります。そのため、多少アバウトな仕事をする職人のほうが豊かに鳴るかもしれません。シュタイナーなどはきっちり作っているのでかなり窮屈になっています。
ストラディバリやデルジェスが優れているのはそのような点ではないかとも考えています。

厳格に作られたオールド楽器では、響きを抑えることで、味のある音、歯切れの良い音、またいわゆる室内楽的になっているということです。もう少しアバウトに作ると、豊かでソリスト的な音になるのではないかと考えています。

もともとオールド楽器の基礎があった上で、少しアバウトにゆったり目に作られていてることで味のある美しい音は残しつつも、ソリストが使えるような楽器になっているということです。

近代の楽器ではオールドの基礎が無く形だけストラディバリやデルジェスからとったものです。ただアバウトにしてもまったく違うものです。

まあそれでも、近代の楽器の中ではアバウトに作られたものにも「よく鳴る」物はあるように思います。もちろん精密に作られた楽器でもよく鳴るものがありますから、結局弾いてみないとわからないということです。


このようなオールド楽器のアーチに対して、近代のイタリアの考え方があります。これはジュゼッペ・フィオリーニ以降に見られるもので、ノミで削っていくダイナミックな勢いを残すものです。

最初の写真に戻りますが、このような段階ではノミで削っていく勢いがあります。この勢いを失わないで表面の凸凹を無くせばいいというわけです。

そのようなモダン楽器も見かけますし、私が一緒に働いたイタリア人の職人のものもそうでした。
ミルクールやザクセンの量産品に対して、人が手作りで作っているという感じがします。そのため見ればすぐにハンドメイドのイタリアの楽器だとわかります。
そうなれば商品価値がずっと高くなります。

ただし、オールド楽器とは全く違うものだと思います。オールド楽器はもっとチマチマしていて作業工程の制約に縛られているのです。

さらに作業を進めてチマチマした感じにします。

オールド楽器のアーチの構造は作業の手順にしばられてできたということです。どのようにして作ったのか研究をしているところです。

カンナを多用すればアーチが無味無臭になってしまうということですが、「できるだけカンナは使わないべきか?」と言うと必ずしもそうではなくて、やはり効率的に作業するためには必要な道具です。
今回は作業時間がこれまでになく短くなったと思います。効率がよくなってきたということです。アマティの現物から学んだことでもあります。

だからと言って量産楽器や現代の製法での効率優先とは違いますよ。昔の製造法の常識の中で効果的な作業をするということです。


弦楽器のアーチ


弦楽器のアーチの作りというのはカーブを計算して音が予測できるものではありません。
「結果として」そうなったと考えるのが自然でしょう。

アマティの実物を見て驚くことは300年以上経ってもひどい変形もせず現役で使えるということにあります。板はとても薄いにもかかわらずです。

建築物のように荷重に耐えられるように作られているのです。実際にはフラットなアーチの楽器でも耐久性に劣るということはありません。むしろ高いアーチのほうが変形が大きいです。その中ではアマティは驚異的です。

もっと祖先の楽器のころから弦の力に耐えるために膨らみを持たせることが必要だと考えられていたようです。
ヴィオール族の楽器では表板にアーチがあり、裏板が平らなものもあります。コントラバスにもあります。

表板は膨らみを作らなければいけないというのが常識だったのでしょう。アマティやピエトロ・グァルネリでは表板のほうがアーチが高いようです。

イメージとは反してストラディバリではフラットなアーチのものは多くありません。コピーを作ろうと思ってもモデルが見つかりません。
デルジェスでもフラットなものはそれほど多くはありません。
しかし見た目の印象としてフラットに見えることはあり得ます。それはアーチの膨らみを強調する「癖」が少ないからでしょう。

19世紀にはその特徴を誇張してフラットなモダン楽器が作られ、フラットなほど音量があるという理屈になって今日まで伝わっています。実際に作って弾き比べて見れば、音量にほとんど差が無いことが分かります。

ミルクールではプレスの楽器が作られ特にアーチは平らなものがあります。
これらも音の好みは人によるので決して音が悪いと言えるものではないし、耐久性でも問題ありません。
平らな板を曲げるために裏板の中央の厚みが不足するのが問題ですが、19世紀後半にに作られたものは今でも使用できます。

アーチの高さは耐久性に直結しておらず、迷信かもしれませんが昔の人は膨らんだものを作らなければいけないと信じていたようです。

時代ごとに「常識」があるのです。






こんにちはガリッポです。

ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンを作っていますが次はパフリングです。
パフリングは作者の特徴を表す部分でもあります。

製品のコンセプトによって作り方を変える必要があります。
今回は特定の楽器の複製ではありませんが、「ピエトロ・グァルネリが作りそうなもの」を目指して作ります。
パフリングにもピエトロ・グァルネリの作法が必要です。

そもそもコンセプトなどを考えて楽器を作る職人は珍しいでしょう。
現代の産業であれば商品をどのようなものにするかという構想を立てます。それがユーザーの求めるものかどうか重要です。しかし弦楽器のような伝統産業ではそのようなマーケティングという考え方を理解する職人は少ないでしょう。師匠から教わった「正しい作り方」で楽器を作るのを良しと考えるのが普通です。今では象嵌として埋め込むパフリングは市販されていてそれを使うのが普通です。

パフリングは黒、白、黒の薄い木材を合わせて黒い二重線になっているものです。現代では黒い部分は木材の代わりに人工繊維を使ってあるものも多いです。

オールドの時代には正確な厚さに加工する機械は無かったので手作業で作っていました。そのため作者の特徴が出るのです。
ストラディバリなどは現代のものに比べれば全体として細目で、白い部分が太く黒い部分がとても薄くなっています。そうなるとほんのわずかな厚みの違いでも厚みにばらつきがあるように見えます。
0.2㎜の厚さで0.1㎜ばらつきがあれば半分や1.5倍の厚さになってしまうからです。
したがってかなり均一に作られていても手作業であるからには多少の厚みのむらできます。

それに対してグァルネリ家では黒い部分が厚くばらつきもずっと多いです。

市販品であれば厚みが均一でこのようなばらつきがありません。印象が全く変わってしまいます。

現代の職人として修業すれば厚みが均一である方が「きれい」と考えるでしょう。私の様にオールド楽器を再現することに挑戦したことが無ければこんなことを気にしたこともないでしょう。

市販品は安価な物から高価なものまであります。高価なものは本物の黒檀が使われているのに対して、安価なものは白い木を黒く染めたものや人工繊維を使っています。現代の量産品であれば人工繊維が使われています。
アマティを見ても何が使わているかはよくわかりません。ただし、白い木を染めてあるような灰色っぽい感じではありませんでした。このようなものは近代ではよく使われて、上等なオールドイミテーションのものでも見られます。

黒檀のものなら5000円位でしょうか、人工繊維なら500円もしません。黒檀のものを使えば高級品として通用するでしょう。
一方自分で作ると5万円くらいのコストになります。
5000円で高級品なのに5万円分もコストをかけて自作するべきか悩むところです。楽器を少しでも安くしたいのであれば5万円もかけないでしょう。そのうえ品質が劣って厚みにばらつきがあって「きれいでない」のですから。

私も一瞬悩みましたが、グァルネリ家の特徴を持たせれば雰囲気がぐっと変わってくるでしょう。安価な量産品ではパフリングも量産品ですから見た目に特徴があります。例えば東ドイツの量産品は真ん中の白い部分がとても細く、黒い部分は白い木を染めてあるため色が褪せて灰色に見えます。これでオールド楽器の作者のラベルがついていてアンティーク塗装されていても間違いなくザクセンの量産品だとわかるのです。

高級なパフリングを付ければ量産品には見えないでしょうが、オールド楽器には見えません。このためオールド楽器に見せかけるには「汚いパフリング」を使います。私たちもよく見かける「怪しい楽器」となります。ただほとんどの場合にはそれ以外も品質がひどく悪く単なる粗悪品であることがほとんどです。

本格的にやるにはできるだけ作者の特徴を理解する必要があるでしょう。

薄い黒檀の板を商社が扱っていたので買ってみました。厚めのものを削ってピエトロの0.4㎜ほどにしようと思いました。
カンナで削っていますがとても割れやすくできるだけ薄い削りくずで削らなくてはいけません。そうすると正確に削れ過ぎてしまい厚みにばらつきを作ることができませんでした。ストラディバリのクオリティーになってしまい完全に失敗でした。

ちなみ使っているカンナは1920年代にアメリカで作られたスタンレーのものです。100年前のカンナですが、調整をきちっとすると正確に削れ過ぎてしまいます。イタリア製の古いカンナも見た事があります。底と側面が金属で間を木材で作ってあるものです。100年前のカンナでは近代的すぎるのでしょうか?


そこで異なる方法を考えました。初めに厚めにしておいて表板や裏体の溝をそれよりも細くして、パフリングを削って薄くしながら入れていくという方法です。
白い部分はポプラを使用しました。これはとても柔らかい木で厚く削ることもでき、グニャグニャ柔らかいので適当に厚みにむらを出すことができました。0.6㎜程度です。




1.3㎜程度の間隔で2本の線をナイフで切り込んで溝を掘ります。これにはまるようにパフリングの黒い部分を削りながらハメていくとパフリングの厚さが1.3㎜になるというわけです。この時白い部分の厚みにむらがあり、削っていくのも均等に行かないので黒、白、黒の厚みにばらつきができるというわけです。

昨年のデルジェスのコピーでも同じようなことをやりました。
しかしデルジェスと違ってピエトロは溝自体は綺麗に彫ってあります。デルジェスはナイフの線が脱線していたり、くねくねと曲がっていたりコーナーの合わせ目が雑だったりします。複製を作るときはオリジナルと見比べて同じところを同じように「ミス」しなくてはいけません。そのためデルジェスの汚いパフリングを再現するのは最も手間がかかります。
もちろん本人は慌てて雑にやっていたので短時間でやっていたはずです。

これは天然の才能で汚いパフリングを自然とできる人がいます。普通に考えれば職人としては下手くそだということです。私は初めて作ったときからそれなりにきれいに作っていたのでわざと汚くしないと汚いパフリングにすることができません。

このような汚いパフリングの入った安価な楽器は偽造ラベルが貼られているものがよくあります。汚いパフリングだからと言って高価なオールド楽器とは限りません。

出来上がりです



このサイズの写真では細かいことは分かりませんが、パフリングが入ると裏板全体の形が見えてきます。

このサイズでもきれいな仕事に見えます。

これならわかるでしょうか?
パフリングの継ぎ目がセンターのちょっと右にあります。右側のほうが白い部分が太く、上側の黒い線が細くなっています。このような感じがピエトロのヴァイオリンには見られるのです。

緑の矢印の部分とオレンジの矢印の部分で白い所の幅が違います。
このようなばらつきの事を言っています。

こちらもよく見て下さい。

このようなわずかな差のために5万円分のコストがかかっているわけです。
経営者が銀行出身なら5000円の市販品を使うでしょう。

これが私のこだわりです。

安くて音が良い楽器が求められていることもわかります。そうなれば余計な手間はかけずにシンプルに作ったほうが良いでしょう。しかし安くて音が良い楽器はモダン楽器や中古品にいくらでもあることを当ブログでも紹介しています。
実際にそのようなものが日本で買えるかは疑問点ですが、それは売る人の責任です。

職人の私にできることは凝ったものを作って、それでもイタリアの新作楽器よりは安い値段で販売するということだと思います。


オールド楽器の面白さ


オールド楽器が面白いのは今とは発想が違うということにあります。現在なら高級品は綺麗に作られているもののことです。
ストラディバリやアマティなら手作業でも相当綺麗なパフリングを使っていましたが現在の機械製のものにはかないません。アマティもこの前見た二コラ・アマティはそれほどきれいではありませんでした。これは息子のジローラモ・アマティのものと雰囲気がとても似ています。二コラも年齢が80歳の時ですから無理はありませんが、ジローラモの仕事かもしれません。フランチェスコ・ルジェッリもそんな感じです。

グァルネリ家は初代のアンドレが二コラ・アマティの弟子で二人の息子のピエトロとジュゼッペが「フィリウスアンドレア(アンドレアの息子)」です。ジュゼッペにはさらに息子が二人いてピエトロとジュゼッペです。この2番目のジュゼッペが通称デルジェスと言われているほうです。

この中で職人として腕が良いのが2世代目のピエトロでアマティやストラディバリに匹敵すると言えるでしょう。そのためかマントヴァの宮廷の楽器製作者のなりました。「マントヴァのピエトロ」とも呼ばれます。私が作っているのもこのピエトロをモデルとしています。

どのような方法でグァルネリ家の職人が楽器を作っていたのかはわかりませんが、上記のような方法でやるとうまく再現できます。
ストラディバリやアマティのようにきれいにパフリングを入れようとすれば、パフリングの材料を均一に加工することはもちろん、溝をパフリングの幅にちょうど合うように彫らなくてはいけません。
それに対して今回のやり方は溝の幅にパフリングを合わせて削っていくのです。確かに隙間なく溝に収まりますがこの方法では黒い部分の厚みにむらが出てしまいます。

いずれにしてもアンドレア・グァルネリは厚みにばらつきのあるパフリングの入れ方をしていて、それを息子のピエトロも受け継いだのでした。グァルネリ家ではそれが普通だったというわけです。
腕が良いピエトロでも教わった人が粗い仕事をする人だったのでこのようになってしまったのでしょう。

現在とは発想が違います。

このような取り組みの面白さは発想の違いにあると思います。現代に修行した職人がオールド楽器のようなものを作ろうと思えば発想を変えなくてはいけません。やり方を考えてやって見て上手くいくととても面白いです。

私が外国に行って学ぶということも、日本人とは発想が違う所があって面白いからです。さらに面白いのは昔の人です。現代の常識とは全く違う発想があったのです。

昔話や古代の物語などはとても面白いです。現代の人の発想からかけ離れているからです。天才的なコメディアンがおかしなお話を考えるよりも、発想がはるか彼方を行っています。またそうかと思えば現代の人でも同じだと感じることがあります。

オールド楽器についてよく知ろうとすればするほど、現代の常識は捨てなくてはいけません。名器、高級品、美しさ・・・などの評価は今の人たちが下している評価です。オールド楽器を理解したければそれらを捨てなくはいけません。物の見方や考え方の基礎から見直さなければいけません。


世の中にはこの作品は名作だとかこれは駄作だとかそのような「評価」に関心が高い人がいます。名作か駄作かどちらかに決めないと許せない性分の人です。
品物でもこのメーカーのこの商品に限るというような事を言う人がいます。
作品自体がどうなっているかではなく、どのように評価されているかに関心が強いのです。

それは自由なのですが、物を作る立場の興味とは違います。そこから何を得られるかが重要です。

有名なのはアレクサンダー・フレミングという医師がペニシリンを発見した話です。
ブドウ球菌の培養実験中に不注意で青カビが生えてしまいました。実験は失敗で捨ててしまう所ですが、それに興味を持って調べていくと殺菌効果があることを発見したのです。それが世界最初の抗生物質となりました。

知らないものに対して興味を持つことで何か可能性が見つかるかもしれません。

同じように傑作だ駄作だと決めつけてしまうと可能性の芽を摘んでしまいます。
名作か駄作かを決めずに保留しておき、よく観察してヒントが見つかると「面白い」と感じるのです。面白さのほうが作品の評価よりも勝ります。


なにかそこからヒントが得られ、これまでできなかったことができるようになれば創造性を発揮したことになるでしょう。芸術家の評価は創造性にあるわけですから駄作をバカにするという行為は創造性の欠如と言えるでしょう。

創造性が無い人に限って作品の良し悪しを決めたがるわけですから、彼らの総意である作品の評価にどれだけの価値があるのでしょうか?


ピエトロ・グァルネリほどのビッグネームでも研究している職人はめったにいないでしょう。ストラディバリとデルジェスしか見習うべきものは無いと考えられているからです。
こんにちはガリッポです。

今日はオーバーハングについて話をしましょう。
オーバーハングというのはヴァイオリン族の弦楽器の場合に、表板や裏板が横板に比べて大きめに作られていて張り出している部分のことです。
これがギターなら横板と表、裏板とは一致しています。

なぜこのようになっているかは初めに作った人に聞かなければわかりませんが、結果的に修理のしやすさや、摩耗への耐久性に優れていると言えるでしょう。

コントラバスではオーバーハングが無いものがあり、修理のために表板を開けて再び接着するときにとても苦労します。横板がゆがんでしまいぴったり合わなくなってしまうからです。また摩耗によって横板と一緒に角が削れてしまっているものもあります。バスを横に置いた時直接横板が地面に接触するのでダメージの原因にもなります。

また現代ではヴァイオリンやビオラには肩当を使うことが多く、一般的なものはこの部分にはめ込むことで固定しています。オーバーハングが無ければ肩当がつけられません。

オーバーハングの張り出し部分の大きさはアマティやストラディバリのメディチ家のコレクションのもので~3mmです。とても状態の良いものですが、多くのものではエッジが摩耗して小さくなっているので2mm程度にまでなっているのが普通でしょう。場所によってはそれ以下になっているかもしれません。

これはドイツのオールド楽器ですがこの部分は2.6㎜くらいあります。

19世紀のフランスの楽器で私が調べたものは2.5㎜でした。
現在では2.25mmなどと言います。細かいのは英語圏ではクオーターで寸法を言うことが多いからですが、四捨五入すると2.3㎜です。

我々は師匠から2.3㎜と教わればそれで何も疑わず一生をその寸法で作るのが普通です。その師匠も師匠に教わったのです。

したがって現在なら2.3㎜になっていれば正確な腕前の職人による楽器だということになります。2.5㎜という流派もあるかもしれません。
量産品などはとてもいい加減でまちまちです。アマチュアが作ったものもそうでこれが異常に大きかったりします。
量産品でよくあって困るのはオーバーハングが小さすぎるものです。
横板のほうが大きいと接着が上手くできず、特にあご当ての下などで問題がある楽器があります。すぐにはがれて何度も何度も接着しなおす作業が必要になります。

この場合、横板を短くする修理が必要になります。
下の部分であれ横板のエンドピンのところを短くして詰めるのです。
古くなってエッジが摩耗しすぎた楽器でもこのような修理がされることが多くあります。

オーバーハングが小さすぎると肩当がつきにくかったり、すぐに取れてしまったりする原因になります。また、肩当の固定する部分が横板を傷つけてしまうこともあります。

一方オーバーハングが大きすぎる問題は、見た目に変だということなのですが、ニスを塗ったり、掃除するときには深くてやりにくくなりますし、厳密に言えば表板や裏板の自由に振動する面積を小さくしてしまうでしょう。

現代2.3㎜だとするとそれがなぜその数字なのかについて我々は考えることはありません。私が思うに、現代の新作楽器では多くの場合コーナーなどは丸みを持たせることが多いでしょう。オリジナルのストラディバリやフランスの19世紀の楽器のようにエッジやコーナーは完全に角張ったようには作らず、少し角を丸くするのです。これはアンティーク仕上げの一つです。1900年頃ミラノの流派でこのような手法が見られます。その後流行として広まりました。
オーバーハングが小さめになっていることは使い込まれたオールド楽器のような雰囲気になるというわけです。

しかし我々は師匠からそれが「正解」として教わるのでアンティーク仕上げだということは知りません。そんなところです。
ヴァイオリン製作コンクールのように角ばった「新品」として作るならもうちょっと大きめにすべきだと思います。フランスのように2.5㎜にすれば印象が違います。本当は3㎜近くあったわけですがそんなことは誰も知りません。そこまで行くと素人が作った楽器に見えてしまいます。

前回私が作ったビオラでは2.7㎜くらいありました。これも現代としてはかなり大きめです。これは設計したときは2.5㎜くらいのはずでしたが作ってみたら2.7㎜だったというのが正直のところです。

例えばザクセンの量産品では横板を厚めに作っておいて裏板や表板の大きさに合わせて削って形やオーバーハングを合わせることがあります。分業ですから横板と表板を作っている人が別です。
そのため部分的に横板の厚さが違います。場合によっては穴が開くギリギリの厚さになっているものがあります。外から見てもわかりませんからそれで売ってしまう「使い捨て」の楽器です。
一方厚い横板がそのままついているものもあります。
横板が音に与える影響ははっきりわかりませんが、構造として硬くなりすぎることが考えられます。


このオーバーハングは量産品を作るうえで難しい部分でもあります。横板と表板や裏板の形が合っていないとオーバーハングが均一にならないのです。もちろん型などを使って作るわけですが、横板を曲げるときに誤差が出やすく特にチェロでは誤差も大きくなります。

オーバーハングを均一にする方法があります。初めに横板を作ってそれより一回り大きく表板や裏板を作れば良いのです。その時に2.3とか2.5という数字が出て来るわけです。
この時の問題点は横板を曲げるときに誤差が生じやすいので出来上がる表板や裏板の輪郭の形がゆがんでしまうことです。内枠式の場合、枠と横板に隙間ができるのでちょっと横板がふくらんで大きくなってしまう事があります。うまく曲げても接着時にゆるんでしまう事があります。それに伴って輪郭の形も膨らむのです。特定の楽器の複製を作る場合このような誤差によって同じモデルに見えなくなってしまいます。

それに対してフランスの楽器製作では外枠方式を採用しました。これだと表板や裏板の輪郭は設計図の型によって作り、横板は外枠で作るので横板がゆがんで大きくなりすぎることが無いのです。小さくなりすぎることはあるかもしれませんが、トラブルにはなりません。
これによってフランスの楽器は表と裏板の輪郭の形でとても高い完成度のものもが作れましたので完璧な美しさを備えています。量産にも応用されました。

しかしオールドの時代はもっといい加減なものでした。
そもそもオーバーハングがあることで、横板と表、裏板は一致しなくて良いわけですから。均一でなくてもよかったのです。オールド楽器では摩耗していることもありますが、度重なる修理でもその都度ずれます。オーバーハングが不均一になっているのが普通です。

そのためオールドイミテーションで作る場合はどうでも良いわけです。
私などはそのような感じでいい加減に作ってきました。

ただ毎回どうなるかわからないのではスリルがあります。何回かに一回は失敗するかもしれません。注文制作で失敗したら大変です。そこで今考えているのは内枠式で外枠式に匹敵する品質にする方法です。

外枠式のデメリットは枠を作るのが大変で、違う形のものを作ることが難しくなることです。同じ形のものを作り続けるのに適した方法と言えます。フランスの楽器では完成度の高いストラディバリモデルを毎回全く同じものを作ることができました。アマティなどは毎回形はバラバラですから考え方が全く違います。

「決定版」と言えるような欠点の無い完璧なモデルを作り上げて弟子に受け継がれ同じものをたくさん作るのがフランス流なのに対して、その時のアドリブで何となく作ってしまうのがオールドのイタリア流なのです。イタリアに限らずオールドはみなそうですけども。

現代の職人はフランスほどの完璧さをも持っておらず、かといってアドリブで作るほど創造性がありません。現代のクレモナではそのようなアバウトさを伝統として教えているようですが、単なる手抜きと区別するのは難しいです。


私としてはオールドのイタリアのものも、フランスの19世紀のものも、人類が到達した最高峰だと思うのでそれ以下のものを作って揚々として暮らすわけにはいきません。


前回のデルジェスのコピーで横板の誤差が大きかったのはミドルバウツでした。
そこで今回はここの部分の木枠の厚みを増すものを取り付けました。木枠に対して隙間なく横板を曲げても高さがあるので表板や裏板の接着部分ではずれているのです。
このように高さがいっぱいまであればずれる心配が無いはずです。

外側からプラスチックの板と当て木で押さえつけています。これで外枠と実質的に同じことになります。

隙間なくピッチリ付けます。

出来上がりはこちら、完璧です。


上下の横板は肉厚のプラスチックの板が使えるのでこれで押し付けると事実上外枠と同じになります。

さらにこれを利用してライニングを接着します。

これも外枠と同じ効果です。

その結果オーバーハングがどうなったかと言えば、完全には均一にはなりませんでした。原因は裏板の輪郭を始めの設計通りに加工しようとしても0.1~0.2mmくらいの誤差は出てしまうからというのが一つ。木枠を作るときも同様です。しかし、寸法よりも視認で美しくなっていることやキャラクターが重要です。

もう一つは今回付け足したパーツが完全ではなかったこともあります。初めに木枠を作るときに一緒に加工しないと後から足すのは難しいからです。

それでもアンティーク塗装の楽器としては全く問題ないレベルで、誰が気づくでしょうか?安価な量産品のような大失敗はしていないので十分です。オールド楽器を再現するということで言えば完璧すぎます。新品の楽器としても十分通用するレベルでしょう。

前回ビオラでもこのような取り組みを始めました。今までオーバーハングが2.5㎜になることを想定して作っていたものが2.7㎜になったというのはそちらの方が正確に横板を加工できた結果です。結果的にはオリジナルのアマティとほぼ同じになりました。

普通は多少膨らんでしまうのでそれを見越して木枠を小さめに作ってありました。
これまではアッパーバウツでは誤差が少ないものの、横板の長いロワーバウツではふくらみが大きくなって、オーバーハングも上下で差が出ていました。

オールドイミテーションであれば周辺が摩耗した様子も再現するのでどうでも良いのですが、技術者としては腑に落ちないのです。

多少誤差はありますが、接着するときに古い楽器を修理するのと同様に微調整ができます。本当に古い楽器を修理したようになります。

これからはこれを使うことを前提に設計しなくてはいけません。品質が安定する上に一度当て木を作ってしまえば何度でも使え横板を接着する作業時間も短縮できます。




今回はロワーバウツの横板を一枚のものでやりました。現代ではエンドピンのところを境に2枚の板を張り合わせていることが多いです。継ぎ目がありません。
自分の楽器を見ればほとんどの人は継ぎ目があるでしょう。

オールドの時代にはよく行われていました。しかし修理で短くされたりして切れているものも多くどのように作られたかわからないものも多いです。
アマティやストラディバリなどのクレモナの楽器にも多く、ドイツのオールド楽器ではほとんどの場合一枚のものが使われたようです。
オールド楽器では写真の資料が少ないのでわかりにくいのですが、左右からの写真でグァルネリ家でも杢の向きを見ると続いているように見えるものがほとんどです。

これをやるためには横板の材料にかなり長さが必要になります。

今回用意した材料では長さがギリギリでした。余ったのは1~2mmでした。
逆にちょうどの長さだったのでやりやすかったこともあります。コーナーの曲げる位置が分かりやすいからです。

ミッテンバルトでは近代になってもこの方法が受け継がれていました。ノイナー&ホルンシュタイナーなどのモダン楽器でもひと続きになっています。


今回の取り組みは創作性と品質の高さ、生産性を両立する部分です。音楽家は気にしない所ですが・・・・。
もともとチェロを作るために考えていた方法で、チェロへの応用が最終目的になります。

リアルなコピーを目指す場合は違うやり方で、このくらいだろうと勘に頼ってつじつまを合わせる必要があります。
こんにちはガリッポです。

マントヴァのピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンを作っています。

フリーハンドで削っていきます。
とても硬い材料です。材質の特徴は嫌でも感じ取れます。
最初の板の形からヴァイオリンのアーチの形に作り変えなくてはいけません。

仕上げになれば表面をならす仕事になりますが、最初に形が取れていないとその名残が出ます。

この程度の大雑把さであとは表面をならせばオリジナルのアマティと同じような感じになるでしょう。多少キャラクターは違ってピエトロのほうがこんもりと膨らんでいるはずです。


今度は表板です。まず周辺をどんどん深くして行かないといけません。高い所はそれほど削らなくても良いのですが、周辺をどんどん彫って行かないといけません。
途中の段階ではこのように角ができます。この段階ではドイツのアーチに似ています。シュタイナーなどはこのような工程が名残として残ってしまったのかもしれません。さらにシュタイナーモデルのドイツなどのオールド楽器は特徴を誇張しています。
この期間にもイギリスのオールドチェロが来ていました。これもシュタイナーモデルのもので現代のものと違うことが一瞬で分かります。
イギリスでもドイツのものと似たものが作られていました。チェロのサイズは小さく7/8くらいしかありませんでした。
オールドで理想的なものは非常に希少です。


初心者はこの角を丸くしないといけないと思っています。しかし重要なのは周辺を深く彫ることです。周辺を彫っていないのに角を無くそうとします。そうすると断面が三角のアーチになります。周りがもっと深くなくてはいけないというのはイメージするのが難しいのに対して、角ができているところは目につきます。目に付くところだけ手を付けようとするので三角になってしまいます。

私はニュースなどでも目につく問題にだけに注目してはいけないと知っています。全体としてどうなっているかを知らなくてはいけません。そのような議論などは聞くに値しません。

そうなってくるともう危ないので指導者が見ていて「もうそれくらいにしておけ」と止められます。場合によってはこうやるんだよと手伝って代わりに作ってしまいます。教えるのが一番難しいポイントです。

そのあと小さなカンナでちょこちょこ削っていくのでアーチはいかにも初心者のものになるのです。
三角にならないように消極的になりすぎると台地状になります。これもモダン以降の楽器にはよくあるアーチです。

初心者の時のレベルで一生を終える職人も多いです。この前のヨハン・ルーザーなどもそんな感じです。

初心者のアーチだからと別に音が悪いというわけではありません。職人は作った本数が増えるほど音が良くなっていくわけではありません。初めて作ってもプロの職人のものと変わりません。

営業マンには区別がつきませんので知名度には反映されていません。名工だと言っているのが私からすれば誰でも作れる初心者的な物だったりするのです。
もし音が良くても同じような物はいくらでもあるということです。

角を丸くするとイタリア的なアーチになります。
特に表板はアーチが高く1704年のオリジナルは18ミリ以上あります。フランスの真っ平らなアーチで12㎜、現代のスタンダードで15㎜くらいです。

ただし表板の中央は弦の力で変形しているので元はもっと高かったはずです。18は低めの数字で20㎜くらいはあったのかもしれません。中央以外の部分もこんもりと盛り上がっています。20㎜あればフラットなチェロくらいです。
チェロとは横幅全く違いますから膨らみは大きくなります。

周辺が薄くなると輪郭の形を出すことができるようになります。
ピエトロ・グァルネリは綺麗なカーブをしているのが特徴です。バランスも良く中央のくびれが小さめで窮屈な構造になりにくいので私は特に高く評価しています。

表板です。
このような輪郭の形はとても重要で、もし不正確であれば、それが何のモデルなのかわからなくなってしまいます。
ストラディバリモデルで精度が低ければ何のモデルなのかわからなくなってしまいます。デルジェスのガルネリモデルは大きなf字孔がついていればはっきりわかります。そうなると消去法でストラディバリモデルじゃないかと推測することになりかねません。世の中のヴァイオリンのほとんどがストラドモデルかデルジェスのモデルだからです。

ストラディバリモデルに大きなf字孔がついてしまうともうわからなくなってしまいます。こうなると営業マンくらいなら見分けがつきません。

私の場合にはよりストラディバリモデルの中でも違いを出せるくらい正確に再現する技量が必要になります。アーチは大雑把に感覚で作るのに対して、輪郭の形は非常に精巧に作らなくてはいけません。


輪郭が決まると周辺の溝も正確に彫ることができます。溝から膨らみにつながる部分が特に難しいです。アンドレやピエトロ・グァルネリには特徴があります。トマソ・バレストリエリにも受け継がれています。
かなり高さがあるのではっきり形が見えるでしょう。


仕上げていくと写真ではアーチは見えなくなってしまいます。この段階のほうがキャラクターがはっきり出ています。逆に言えばこの段階でキャラクターを出さないとアーチに個性が出ません。

裏板の方がややアーチは低めです。この前のアマティでもそうでしたが、なぜそうしたかはわかりません。


フリーハンドでアーチを作ってキャラクターができます。やりようによってはシュタイナーのようにもなり、クレモナのようにもなるというわけです。
決してドイツ人だとかイタリア人だとか国籍で決まるわけではありません。
さじ加減一つなのです。

ドイツのオールド楽器でも四角いアーチではないものもたくさんあります。あくまで典型的なものです。一方モンタニアーナなどはドイツ的なアーチです。私が見たものはですが。



アーチはフリーハンドなので感覚だけが頼りです。具体的な寸法ではなく大雑把に形をとらえることが重要です。
0.1㎜にこだわって楽器を作っても意味が無い所です。しっかりとキャラクターを作れば音にもキャラクターができるでしょう。
ただし、法則性は分かりません。理由は分からないけど結果的に音が良いものを選んで自分の作風として行けば良いのです。

そのためにはまず違うものを作ることが重要でしょう。

弦楽器職人の世界はこれとは全く考え方違い、偉い師匠の教えに0.1mmでも外れないようにしようとそういう世界です。
アーチの高さが15mmが正しいと教われば14mmも16mmも失敗作とみなされます。「アーチの高さは15mm」と専門家として正しい知識を持っていると自信を持ち、お客さんにも説明することでしょう。職人は自分の仕事や専門知識に自信を持つことが満足感につながる職業です。そのためその流派では15mm以外のものを作ってはいけないのです。
誰も他の高さでやったことが無く、どんな音になるかは知りません。偉い師匠の教えが常識となり絶対的な自信だけがあります。


私は経験から12mmでも音が良いものができているし20mmでも音が良いものができています。だからアーチの高さは何でも良いと考えています。

一方輪郭の形にはとても神経を使います。ピエトロ・グァルネリも手早くパパっと作ったものではないはずです。
現代の優秀な工作機械でつくられたものでもこのようなレベルのものは無いです。

それについて今回は新しいアイデアを試しています、また次回。
こんにちは、ガリッポです。

ピエトロ・グァルネリのモデルでヴァイオリンを作り始めました。
何も考えずに作るのではなくて楽器を作るときは毎回新しいアイデアを入れたいところです。
今回はオリジナルのアマティを見た事もあって、よりオールドらしい楽器を作ることに燃えています。

まずは木材のチョイスから。

前回作ったピエトロ・グァルネリのコピーでは板目の一枚板を使いました。通常の板とは90度向きが違うものです。モデルにした1704年のものと同じです。しかしピエトロ・グァルネリ自体は様々な木材で作っていて、これでなくてはいけないというものはありません。アマティなどもみなそうです。
ビオラなどはとても数が少ないので。アンドレア・グァルネリのビオラはビオラの中でも最高峰です。しかしそれでも木材は中級以下のクオリティのものを使っています。アンドレア・グァルネリといっても家族経営の町工場ですから、息子のピエトロやジュゼッペの手も入っています。スクロールはジュゼッペ、胴体はピエトロのように見えます。

同じようにアマティでも、ニコラ・アマティの楽器でも息子のジローラモが作ったものがあるようです。有名なイギリスのコレクションでこれまでジローラモ・アマティ作とされていたものが、最近見ると「ジローラモ・アマティの手によるニコラ・アマティ」と書かれていました。
ジローラモが作った本物のニコラ・アマティです。
私が見た晩年のニコラ・アマティも同様かもしれません。

ホンダの自動車も本田宗一郎本人が作ったもの以外ニセモノというわけではありません。普通のことです。

オールド楽器でもこのようなもので、作者の名前と実際に作った人が一致するとは限りません。だからと言ってニセモノかといえばそうではありません。今風に言えばその会社の製品であることには間違いないからです。
このような事があるので弾いてみたり買った楽器を実際に作った人が誰なのかわからないことも多いのです。

このためあまり特定の作者を「天才」とか考えないほうが真実に近づけると思います。


木材のチョイスの話に戻るとピエトロ・グァルネリが使ったものに特別な傾向は無くいろいろなものを使っています。アンドレアはランクの低い木材を多用しているようですが、ピエトロは上等な物も使っています。クレモナから移ってマントヴァの宮廷の楽器製作者になったからかもしれませんが、材料は良いものを使っています。しかし決まったものではなくいろいろなものがあります。同じ時期には同じような木を使ったかもしれませんが、少なくとも資料で見る限りではバラバラです。

コピーなどを作るときはイメージも重要です。有名な楽器と同じような木目にするとか、よく知られているイメージで選ぶこともあります。実際にはレアでも何かのきっかけでイメージが広まることがあります。
またストラディバリやアマティなどのイメージがついている木目の物を避けるということも考えられます。ストラディバリやアマティっぽく見えてしまうからです。

このようなものです。
1703年の楽器にこのような木目のものを使ったものがあります。モデルは1704年ですが見た目は1703年のもののようにします。どちらも同じ形をしていて、おそらく同じ木枠で作られたものでしょう。

ビオラが作れるくらい大きな板でもったいないですが、ヴァイオリン用の板というのは大概ビオラが作れるくらいの大きさがあります。特にビオラ用として売られているものはもっと大きくて必要ないくらい大きいです。

うちの師匠の好みでこのような材料は古いものがたくさんあります。2003年に買ったものですがその時すでに古くなっていたものです。30~40年は経っているでしょう。

柾目板の部類には入るでしょうが、ちょっと斜めで完全な柾目板ではありません。それくらいのほうが杢と呼ばれる横縞模様に変化が出て私は好きです。

ストラディバリのコピーなら杢が太いものを使いたいですし、アマティなら細かいものを使いたいものです。実際にはいろいろな木を使っていますがイメージがあるのでそれらしく見えます。

ピエトロ・グァルネリはあまりイメージが無いので他のイメージの強い作者のものと違えば良いとも考えられます。

単純に杢が深く材料として上等です。音響的には違いは分かりません。縦の木目は年輪なのですが間隔はすごく細かくはありません。しかし最近のルーマニア産などの安いものは間隔の広いものが多く私などは安物だと見抜くことができます。一つは標高が高いと気温が低く木材の成長が遅くなるからです。低い土地では成長が早いので密度が低くなります。

この木材は密度は高く硬い材質です。それは削る作業をすればすぐにわかります。作業が難航しくたびれ方が違うからです。硬い岩盤のところにトンネルを掘るようなものです。

木材は単純に上等な物で、珍しい変わった木目ではありません。イタリアの近代の作者は割と珍しい木目のものを使うことが多くあります。これは整った方で間違いなく上等な物です。

杢の強さは通常左右の合わせ目の中心付近は強く周辺に行くと弱くなるものが多いです。なのでエッジのところの杢が弱いことが多くあります。エッジまで杢が強いといかにも上等な材料という感じがします。この木はエッジどころが端の端まで深い杢が入っています。特にチェロになるとエッジまで杢が深い上等な木材は珍しくなります。

杢が深いと加工は大変です。とても割れやすくなります。削っていてもこの材料が上等な物であることを痛感します。



表板もとても古いストックで、去年デルジェスのコピーを作ったのと同じ時に買ったものです。どれくらい古いのかわかりませんがこちらも30~40年は経っているでしょう。
この材料が珍しいのは割ってある点です。
薪を斧で割るようにのこぎりで切るのではなくて割ってあるのです。割るとまっすぐに割れないのでかなり厚めになっています。これもチェロが作れるくらいの厚みのあるものです。

何が良いかといえば、繊維の向きにそって割れていることです。木材の強度が一番出るのです。バスバーなどは特に重要で必ず割ってある材料を買います。
割ってある表板は材料のロスが多いので贅沢です。最近は売っているところを見た事が無いです。そういう意味でも古いストックに間違いありません。
普通はのこぎりで切ってあるものを使います。ひどい物だと光の反射で左右で色が違って見えます。多少繊維が斜めになっているのはしょうがありません。自然の物なので完全にまっすぐも無理です。

今回作るピエトロ・グァルネリのオリジナルもアーチはとても高いものですから、通常の材木では高さが足りなくなってしまいます。そういう意味でもチェロ用くらいの厚みが必要になります。


木目自体はややイレギュラーなものです。これくらいのほうがクレモナ派のオールド楽器っぽい雰囲気が出ると思います。典型的なのはストラディバリで中央が細かく外に行くにしたがって年輪の間隔が広くなっているものですが、そのようなものを使うとストラディバリっぽくなってしまいます。
アンドレア・グァルネリはやはり上等では無い木材を使うことが多く、ピエトロではもうちょっと上等でこれくらいがあっていると思います。プレッセンダやロッカ、フランスなどの近代の作者は間隔の広い表板を使っているものがよくあります。
ものすごく細かいものを好んで使うのはドイツのミッテンバルトの楽器です。

ストックの中でも整い過ぎているものはストラディバリのコピー用に取っておきます。

表板の場合は、木目で言うと最上級でないちょっとイレギュラーなものが私にとっては重要なものです。他の職人がいらないと手放した安いものを大量に持っています。

この表板は、分厚い塊であるわりには驚くほど軽いものです。去年のデルジェスのコピーでもお客さんに好評だったので期待できます。

もう一つ重要なのは合わせ目の加工です。

今回は自宅でやったので集中してできました。前回のビオラは勤め先でやったのでこのカンナはうまく機能せず別のものでやりました。調整が狂ったのかなと思っていましたが家ではできました。
職場は人がいるので集中力が落ちてしまいます。

職人の仕事はそれくらい繊細なものです。工場で大量生産するのとは全く違います。工場製品は機械の電気カンナを使って木工用ボンドでつけていることでしょう。

削りくずがひと続きになって出れば接着が可能です。ずいぶん前ですがこのようにカンナを調整するのに2か月かかりました。それでも鉄製なのでそれ以降はずっと使えています。木製の場合にはその都度微調整が必要です。

このカンナがあれば接着面を加工する作業は10分くらいのものです。それ以上やっても刃を研ぎ直さなくてはいけなくなってしまいます。

単純に上等な木材です。師匠は左右対称のものを好みます。楽器製作の仕事では左右対称に作るというのは仕事の精度の高さでもあります。加工精度の高い職人は左右2枚を対称に合わせた「ブックマッチ」を好む人も多いでしょう。正統派です。

私は一枚板を好みます。オールドの作者は一枚板を使っていることが多いだけでなく、立体感が見やすいからです。ブックマッチだと杢がVの字、またはヘの字になっているので目の錯覚でアーチの立体感が見にくくなります。

私のストックは一枚板ばかりなので勤め先の仕事でないと経験ができないものです。左右が対称できちっとした印象を受けるでしょう。

そういう意味では、師匠の好みを反映してちょっときちっとした感じの楽器になるでしょう。歳を取ると保守的になって来るので趣味がそうなっていきます。

宮廷の楽器製作者として美しい楽器を作っていたピエトロ・グァルネリとの相性も良いでしょう。当時高いアーチはどちらかと言うと保守的です。1703年のものはこのような木材を使っているのでイメージもばっちりです。


今回のコンセプトはオールド楽器でもデルジェスのような荒々しい作風ではなく、独特の丸みがあって美しい物です。

しかし現代風にしてはいけません

パフリングも白と黒の太さで言えば機械で作られた市販品でちょうど良いものがあります。しかし、ピエトロのものは太さにばらつきがあります。ストラディバリに比べてもばらつきが大きいです。

これも市販品は使わずに自作しようと思います。もちろん誰もそのような違いには気づかないでしょうし、機械で作られたもののほうが加工精度は高いですが、あえて手作りのばらつきを持たせようというわけです。手作りすればパフリングだけで数万円の「作品」になります。

これがデルジェスの場合にはパフリングの仕事が粗く、くねくねとうねっていたりします。デルジェスのコピーではオリジナルと見比べて同じ場所に同じエラーをしなくてはいけません。今回はそこまでは必要ないと思います。適当にばらつきが出ればそれで良いと考えています。

ピエトロはクレモナ派の中でもトップクラスで整った楽器を作っていますが、パフリングには多少グァルネリ家の特徴が出ています。
溝を掘ってパフリングを入れる作業は綺麗ですが、埋め込むパフリング自体がグァルネリ家のクオリティーなのです。

パフリングに手作り感があるとオールドっぽさはぐっと強まるでしょう。でも誰も気づかないでしょう。あくまで雰囲気です。


アーチは高く、板は思い切って薄くすれば音には、普通の物とは全く違う濃い味が出るでしょう。そのうえで見た目も美しいものですが、現代の基準とは違うものです。
特定の楽器のコピーではなくいくつものピエトロの楽器を見ながら感覚をつかむのが目標です。
このような作業はとても重要な訓練になります。

単にコピーであれば何も考えずお手本と同じに加工すれば良いわけですが、作者の癖を自分のものにするということです。オールドの作者は一台一台ばらつきの大きな作者もいます。ピエトロはほとんど同じものを作っています。
スクロールだけは型に忠実にというよりは、フリーハンドの感じがあって全く同じではありません。それはグァルネリ家の仕事の仕方なのかもしれません。アマティ門下でもフランチェスコ・ルジェッリになると独特の形があって、そういうことも面白いです。