自己満足のための高級品 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

自宅で過ごす時間が多くなったので楽器が売れているというニュースもありますが、うちでは専門店ということもあって新たに始めるというのは見かけません。お子さんがサイズアップのために楽器を交換するケースが多いです。

前々回、ボヘミア出身のハウスマンがミッテンバルトで作ったヴァイオリンを紹介しました。一組目の試奏でさっそく選ばれて試奏用に貸し出しました。日本風に言えば「商談中」というわけです。明らかに他の楽器よりよく鳴るので不思議ではありません。
3/4から4/4に移行するために楽器を買おうということですが、初めて使う4/4のヴァイオリンがあの楽器というのはレベルが高いです。掘り出し物です。才能もあるようで良い道具を与えようという親御さんの熱意が正しい方向に向かっている例です。





特にここのところビオラを買いに来る人が多くいます。
20年前はビオラを買いに来る人は一年に一人くらいだったと師匠は言っていますが、一日で3人も来る日がありました。どうもビオラブームみたいです。
お子さんがビオラから始めることもあって、ヴァイオリンくらいのサイズのビオラもレンタルで求められています。

中にはベテランの人もいて、私の作ったビオラを弾いて、どうも制作を依頼してくれそうです。来年分のビオラ製造となりそうです。他の職人のところも多く訪れたそうですが、気に入ってくれたようです。
身長は見たところ185㎝くらいでしょうか、サイズも大型で新しい設計が必要になります。

毎年ビオラを作らなくてはいけません。



他には2006年にクレモナの学校でヴァイオリン製作を勉強していた学生を見習として教えていた時期があって、その時に作らせたヴァイオリンをその後販売しました。ハンドメイドの楽器としては割安で使っている人がいるのですが、音のことで相談を受けました。

何年か前にも調整はしているのですが、音が鋭くなってきたと言うのです。
10年以上使ってきて音が変化してくるのは当然あり得ます。

新作の楽器がどう変化していくかの興味深い例です。

弾いてみると前回紹介したギュッターのヴァイオリンと似たような傾向のものです。さらに50年経てばあのような感じになることは想像できます。
うちの楽器は作られてすぐはそんなに力強い音ではありません。それが鋭い音になって来ているのでそれが変化です。

お客さんは当初のようなマイルドな音を希望されていたので、魂柱の調整で少し穏やかにして終わりました。しかし、根本的に問題を解決するために駒と魂柱を交換すれば作られた当初の音に近づくでしょう。しかし、全く同じではなく当時よりも音がよく出るようになっているはずです。

音の個性

現代では同じような設計で楽器が作られているので同じような系統の音のものが多くあります。それに対して私が作る楽器は柔らかいきめ細やかな音がします。何故かはわかりません。
先ほどのビオラでも、他の職人のものはもっと鋭い音だったと言っています。私は一般的な職人が作るものよりも柔らかい音であることは知っていますから、そうだろうなと思いました。


うちでも古い楽器を修理したり、量産楽器を購入したり、お客さんの楽器を調整することがあります。音がすごく鋭くて耳障りということは多いです。我々としては鋭すぎる音の楽器があるときは「これはもう少し柔らかくできないか」と調整を試みるのです。

とくに鋭い音が多いのは安価な量産楽器や50~100年くらい経っているものです。そのため戦前の量産品などはたいてい音が鋭いものです。

鋭い音が良いのか柔らかい音が良いのかは個人の好みの問題で自由です。
もし鋭い音の楽器が好みなら少ない予算でも手に入るというだけです。
中級者以上でも偽造ラベルが付いた安価な楽器を騙されて愛用している人もいますし、生徒などには薦めることあるでしょう。


今回の例からしても楽器が作られてから年月が経過すると音が鋭くなっていくことは十分考えられます。経験的にも100年くらい前のものに鋭い音のものが多くあります。一方200年以上経ったものでは耳障りなものは少ないと思います。オールド楽器には特に柔らかい音のものもあります。ただし作りに個体差が大きいので音にも個体差が大きく刺激的な音のするものもあります。

なぜ安価な楽器が鋭い音がするのかはよくわかりません。
鋭い音は強く感じるので、パッと弾いた瞬間に「意外と悪くない」と思うこともしばしばです。しかし音の鋭さを気にしだすと何をどうやっても柔らかくはなりません。それで楽器の限界を露呈することになるのです。

安価な楽器と高級品の違いは、「雑に作られていること」です。となれば雑に作られていれば音が鋭くなると考えるかもしれません。しかし、丁寧に作られた楽器でも鋭い音のものはあります。この説は否定されます。技術者としては理由は分からないとしか言えません。


しかし私のことをよく知っている人なら、職人の性格と音を結び付けるかもしれません。穏やかでナイーブな大人しい優しい性格と言えるでしょう。一方我が強くガサツで自分勝手な強引な人の楽器なら鋭い音になるような気がします。経験則でそのようなことはあるような気もします。しかしこれは科学的には説明できません。

ただしその人の仕事に違いが生じるなら、音にも違いがあるかもしれません。
この場合は、会話などを通じて感じる性格とは少し違うでしょう。木材と向き合って作業するときの性格です。明るくて気が利いて感じが良い人が仕事をすると、意外と雑で強引だったりします。不愛想で気難しい方が丁寧な仕事をすることがよくあります。いわゆる職人気質です。

これは私が以前描いた絵です。絵にはその人の感性が現れるでしょう。用紙の大きさは42㎝の紙を二枚張り合わせたので縦は84㎝です。木炭で描いたものです。鉛筆ならもっと繊細な感じになるでしょうが、木炭でもかなり繊細な方でしょう。イタリアのバロック彫刻を写しているので力強いべきですが、ボッティチェリのようです。
木炭デッサンなら一般的にはもっと汚らしいものです。私はそれが許せません。

ただし、バロック美術と言えどもイタリアのこの時代の美術は全体的に「優美」なものです。美術だけでなく音楽も何もかもが優美な時代です。ラファエロとミケランジェロを比べれば、ラファエロが優美でミケランジェロは力強いでしょう。しかしミケランジェロでも現代などの全く違う絵と比べれば優美なものです。

不思議なことに私の感性が音になって表れているようなのです。絵の感じと音の感じに共通点があるのです。もっと荒々しい絵なら、もっと迫力があって感じられます。私の絵はそうではありません。でもすぐに飽きるような単調なものでもないでしょう。


美しい楽器を作る人はみな子供のころクラスでは絵がうまいと言われたような人たちです。どんな絵に興味があるかは人それぞれで漫画のキャラクターをうまく描く人もいます。
しかし弦楽器作りでは絵などは描けなくても作業を順番にこなせば作ることができます。楽器を習っていて演奏ではプロにはなれないと楽器職人になった人が多く全くそのような才能の無い人もプロの職人として仕事をしています。むしろ音楽家と話が合うので粗末な仕事ぶりでも信頼は厚いです。音楽家の方にもセンスが無いと美しさが分からないわけです。そもそも音にしか興味がありません。

そのため楽器は美しい必要はないのです。


全く違う造形感覚を持った人が同じようにプロの職人として楽器を作っているわけです。その結果として出てくる音が違ったとしてもおかしくありません。
繊細な感性の人には気になる点も、そうでない人は全く気にならずに完成としてしまうということです。

これについてバスバーの取り付けなどははっきりしていてバスバーの材料を削って表板の面に合うように加工します。この時にバスバーの曲面と表板の内側の面がぴったり合っていれば力が均等に伝わるはずです。面が合っていないのに「できた」と判断して無理やり接着すれば表板にストレスがかかることになります。
実際新品の安価な楽器でもバスバーを交換すれば音が柔らかくなります。弓がちょっと触れただけでギャーと音が出ていたのが、じんわりと音が出るようになった経験があります。

これがバスバーだけではなくアーチのような立体造形などありとあらゆるところに作用するということです。


同じように現代のセオリー通り楽器を作っても人によって音が違ってきます。ストラディバリモデルでもガルネリモデルでもその違いよりも、ずっと大きな違いになります。同じ人が作ったらストラディバリモデルでもガルネリモデルでも似たような音になるということです。

私は現代風に作ろうが、モダン風に作ろうが、オールド風に作ろうがいずれも柔らかい音がします。

どのような造形センスの違いがどんな音の違いになるかは法則性を見出すのは難しいでしょう。そこはブラックボックスとして考える必要があります。

このため私は「癖」と考えています。
作者の癖によって楽器の音には個性が出ると考えるべきで、その癖は自分ではコントロールすることができないので意図的に音を作り出すことは困難だと申し上げているわけです。このためどこの誰の作ったものに、自分の好みとあうものが存在するかはわかりません。「世界的に評価の高い巨匠」などという考え方が全く弦楽器の現実からかけ離れたファンタジー(空想)の世界の話だと我々は感じるのです。


統計的な偏差などはあるでしょう。平均的な職人がセオリー通り作れば音は似てくるということですし、同じような音の楽器が多くなるということです。
全く作り方が関係ないということでもありません。


また優秀な弟子だけ選抜されて師匠の厳格な指導の下で作られたものは見た目もそっくりなら音もかなり近いでしょう。お手本通り作れない職人たちなら音の個性もバラバラになってくるはずです。ただし、お手本通り作れる方が特殊な人たちで、お手本通り作れないほうが凡人なので同じような物はたくさんあることになります。

量産メーカーでも機械で作られている最近のものは全く同じ音ではないが、そのメーカーの傾向というのはあります。チェロは量産楽器がほとんどですからチェロ教師から評判の良いメーカーのチェロが定まってきます。それがそのお店で売っているチェロというわけです。同じメーカーなら音の個体差はかなりありますが、全く逆の傾向ということはありません。一定の方向に絞られていますが試奏して選ばなくて履けません。

チェロの場合もやはり安いチェロほど耳障りで鋭い音のものが多くなります。一方でチェロの弦はスチールなので安い弦ほど耳障りな音がします。安いチェロほど何万円もする高級な弦が必要になるというのですから困った事態です。
量産チェロの場合には柔らかい音のもののほうがうちでは評判が良いため、いつも同じメーカーから仕入れています。
そのあたりはその地域のユーザーの好みを反映していれば商売が繁盛します。

鋭い音の量産チェロと柔らかい音のもので作りの違いを調べてもよくわかりません。決まった法則性は見出せません。

自己満足のための高級品

高級品というのは人々を魅了するとともによこしまな欲望も駆り立ててきたものです。

日本でもバブル時代までなら、世界の一流品を手に入れ自慢できるとなれば、人々を惹きつけたものです。当時のビジネスの手法は、これを持っていると一流の人物だと人から一目置かれたり、異性にモテたりすると宣伝するものでした。そのような洗脳の広告手法はかつては機能していました。今の人たちはそのようなものはすぐに見抜いてしまいケチがつけられてしまいます。実用的な物や機能的なものが求められる傾向が強まっているでしょう。

このような宣伝文句やウンチクを聞かされるほど、逆に「別に人からどう思われようとかまわないから安いもので十分だ」という考えを強めていくでしょう。私も本気で音楽をやりたければ楽器は名前ではなく実力で選ぶべきだと考えています。


高級品や美しいものを作れる人というのは職人の中でも限られた才能を持った人だけです。職人でも全く違いが分からない人が多いから粗雑なものがたくさん作られてきたのです。
それでも機能的には必ずしも悪いというわけではありません。最低限機能するポイントさえ押さえていて音が好みに合っていれば道具としては良いのです。



誰にでも分かるものが良いものなら、クラシック音楽よりもヒット曲のほうが優れているはずです。ランキングの順番が音楽のすばらしさの順番でしょうか?

やはり分かる人にだけわかるものというのがあると思います。
高級品を持っていてもほとんど誰にも気づかれないのが本来でしょう。誰にでも分かるようなのは大げさにしたものです。大げさにしたものは成金趣味というものです。しかし弦楽器職人の世界は幸いにもそこまでビジネス化が進んでいません。今時高級品といえども何から何まで手作りで作られているものは少ないです。
たまに分かる人に会うと意気投合です。高級品とはそんなものです。

「ストラディバリはフラットなアーチを発明して音量を増大させた」と信じられています。19世紀の人たちの解釈が今に続いているもので事実ではありません。
調べてみるとストラディバリはなんの発明もしておらず、他のクレモナの作者と異なる「癖」を持っています。それがストラディバリの音なのです。

このように業界で正しいとされる知識もまったく信用できません。
だからこそ自分で良さが分からないと、わけのわからない「言葉」にとらわれてしまいます。
多くの日本人は自分などにはわかるはずがないから、世界の専門家が絶賛しているものを求めます。しかし実際にはそんな人はいませんし、専門家同士でも意見が分かれ客観的に評価できるようなものではないのです。

自分だけに良さが分かるものに囲まれていることが幸せでしょう。
自分が満足するために高級品を買うということです。
そのような幸福な人をお客さんにたくさん見ています。

私なら高級品を買おうか買わないか迷った時には自分が心の底から満足できるかということを考えます。そうすればおのずと答えが出てくるでしょう。

100%理解できるようでは面白くなくて、全力で取り組んで分かりかけているくらいが一番面白いものです。それが私にとっての弦楽器です。