職人の目線でスクロールについて | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

こんな機会なので時間に余裕があって勤め先でも注文などとは関係ないヴァイオリンを作っています。常に在庫が無ければいけないのに、普段は修理の仕事が多すぎるのです。私が一人製作に専念していても他の人が修理の仕事をしてちょうどくらいの仕事の量です。
表板などは紫外線に当てたほうが色が変色してきて良い色になってきます。表面が終っていればのんびりやっても良いわけです。

常連のお客さんももどってきてメンテナンスの仕事もするようになってきました。

常連のヴァイオリン教師の方は生徒に貸し出しできる楽器があるというので修理をうちでしていました。旧東ドイツのザクセンで戦前に作られたものでよくあるものです。形はマジーニのモデルで2重のパフリングが入っている定番のものです。これもフランスで定着したマジーニモデルで実際のマジーニとは全然違うものです。

ニスの匂いを嗅げばこれが間違いなく本物のザクセンの楽器であることが分かります。

ガラクタのように出てきたものを弾けるようにした修理で10万円近くかかっています。先生が来て弾いてみると音が強く出るので「悪くない」と驚いた様子でした。10万円の新品よりは初心者には良い楽器だと思います。

調整する必要があるかということになりました。
そうやって注意深く音を聞いていると本人は高音が鋭いと言っていました。私は全体的に音が濁っていてすっきりしない感じがしました。
高音が鋭いのはこの手の楽器では普通のことでこれくらいの音しか期待できないというものです。先生が使っているのは私の作ったものですから特別柔らかいものです。高級品でも私のように柔らかいものは珍しいです。

それでも魂柱にコツンと打撃を加えるとちょっと緩むのか鋭さが和らいだようです。それ以上求めると泥沼にはまっていくのでそこで終わりにしたのが賢明だったでしょう。

このように安価な古い楽器はパッと弾くと音が出るので「おおっ!」となりますが、注意深く聞いていくと色々不満が出てくるものです。中国製の安い楽器でもこのようなことはあります。

たくさんの楽器の中から選ぶとなるとパッと音が出ないとまず却下されてしまいます。そこが新作楽器の厳しい所です。

一方どんな高価な楽器でも注意深く気にしていけば不満点は出てきます。完璧な楽器など無いのです。高い楽器だから悪いはずは無いと信じ込んでしまえば不満を押し殺せるかもしれません。それにも限界があります。
精神的にあまりにも悲観的だと楽器の良さもわからなくなってしまいます。後は心理学の話です。


他には、ミッテンバルトの戦後のヴァイオリンがあって修理中です。これは売るためのものです。面白いのは見た目がどう見てもチェコのボヘミアの流派のものです。ボヘミアは中級品が多く量産品と高級品の間くらいのものが多く作られました。この楽器もニスはいかにも安っぽい感じはしますが、楽器自体はボヘミアのマイスターのものに近いものです。今でもこれより下手くそな職人はたくさんいます。
なぜボヘミアの楽器にミッテンバルトの作者のラベルがあるかと言えば、おそらく終戦後ドイツ人がチェコから引き揚げてきて西ドイツのヴァイオリンの産地に移住したのでしょう。

表板はぱっくり割れてしまって微妙な修理が必要でした。板の厚みを調べてみると結構薄めでフランスの楽器のようです。ひどければ修理のついでに薄くするなんてことも考えられますが、この楽器では全く必要ありません。50年以上経っていて品質も良く板も薄いとなれば、これは良さそうです。ニスが安っぽいせいで値段も安くなるのでお買い得です。人工樹脂や染料で新しいものが出て来た時期でもあります。当時の人たちは新しいものに期待があったのかもしれません。今ならカーボンやチタンなどの素材が部品などに使われるようにです。

ボヘミアの流派は表板と裏板が同じような厚さのものがよくあります。裏にしては中央がやや薄く、表は全体に厚いものです。古いドイツの楽器にも近いシステムのものがあります。
この楽器はモダンというかフランス的です。
写真が撮れたら紹介しましょう。

重要なのは産地の名前ではなく、楽器そのものだという例です。
ラベルが無かったらボヘミアの楽器とみなされていたでしょう。


ピエトロ・グァルネリのスクロール


ピエトロⅠ・グァルネリのスクロールは父親のアンドレアのものと似ています。合作で作っていたり、ピエトロが代わりに作ることもあったでしょう。そのためかかなり自由な感じがします。自由というのは最初に設計した型に対して完璧に加工するというよりは見た目の感じで何となく作ったような感じがします。近い時期の楽器でもかなり形が違ったりします。
グァルネリ家の中では特別腕の良いピエトロですが、初代のアンドレアの教育を受けたのかスクロールはグァルネリ家の感じがします。弟のジュゼッペはノミで彫った跡をそのまま残して仕上げないことが多いです。ピエトロもそんなに完璧には仕上げていないようですが、ジュゼッペほどそのままということもないでしょう。ジュゼッペよりは仕上がっています。
でもストラディバリ、特に若いころのような丁寧さはありません。

フランチェスコ・ルジェリなどははっきりと特徴があります。ニコラ・アマティでも弟子のルジェリやアンドレア・グァルネリの合作と言われているものがあります。スクロールがルジェリだということはすぐにわかります。それに比べるとアンドレアのスクロールはグズグズです。

グァルネリ家は初代が安上がりの楽器を作っていたせいなのか教育が甘いです。それが個性的な楽器を生み出した所以かもしれません。音に関してはもちろん定評があります。

したがって何をお手本にして作るかによってかなり形が変わってきてしまうのがピエトロのスクロールです。とはいえ何かを元にしないとピエトロではなくなってしまいますから、胴体と同じく1704年のものを作ります。
オールド楽器の場合には摩耗が激しくて原形をとどめていないことも多いのでとても難しいものです。作り手のイマジネーションも重要で、簡単にまねできるものではありません。


材料がはかったようにギリギリです。
スクロールは渦巻きの中心のところが一番幅が広いのでそこさえ厚さがあれば多少欠けていても大丈夫なのですが、わずかに誤差も出ます。

材木として放置されていると色が変わっていて新しく削ったところは真っ白です。こんなに木の色って変わるのです。
だからオールド楽器の色はニスの色じゃなく木の色なんです。

アマティのものは現代のものに比べて幅が狭いです。グァルネリ家でもアマティに近いものです。この材料はピエトロ・グァルネリ用には使えても現代風の楽器には使えません。
木材自体は上等な物です。


私個人ではのこぎりで手作業で切りますが、会社ではバンドソーを使います。ちょうど見習の職人が1か月くらい前に初めてスクロールを作っていたので細いのこぎりの歯がセットされています。それでチョチョイのチョイです。


スクロールは昔はそれだけを作る職人がいてものすごい速さで作っていました。それくらいになると、型などは無くてもフリーハンドで作っていたようです。
西ドイツの職人などはその割には悪くないもので驚きます。

我々はオリジナルから型を起こして、摩耗している部分を補って設計し型の通りに正確に加工するわけです。私はその時機械的に型通りに加工するのではなく、ほんのわずかに見た目で形を整えたり、個性を表現したりします。

こうなると削りすぎると終わりです。
ノーミスで完成まで持って行くのは大変です。慎重になるので時間がかかってしまいます。

スクロールを完成させるのに見習の職人は4週間もかかっていました。私でも7日くらいもかかっています。産業として考えたら時間をかけ過ぎです。その方が完成度が高いので譲れません。
自分でデザインしたものならうっかり削りすぎてしまって設計図と違っても「俺の作風だ!」と偉そうにしてればごまかせますが、元があるとそうはいきません。

グァルネリ家では形がまちまちであるようにこだわりもなくパッパと作っていたはずです。

1704年のものはピエトロにしては最高レベルに美しいものです。モノマネの様に個性を強調してはいけません。行きすぎてはだめだと思います。個性とともにちゃんとしたものを作らなくてはいけません。




渦巻は外から2周目の幅が非常に広いのが特徴です。ノミの刃の跡が残っているのもよくあります。これは平らな平ノミを使うとこのようにガクガクした感じになります。丸ノミを使うと後が残らないです。

ちなみに消しゴムは日本から持って帰るものです。これは質が良いのでお土産で喜ばれます。日本では当たり前のものでも優れたものなのです。お土産としても安くて助かります。
海外に行くときは余計に持って行くと良いかもしれません。

近代のもののように均整の取れたものではありません。むしろこのようなものがアマティ的です。不思議と綺麗だなあという印象を受けます。

右のほうが癖があるのですが、それでも繊細な感じがあります。

ストラディバリやフランスのものならもっと堂々とした感じがするものですが、アマティの感じを残すものです。特徴は2周目の幅広いことです。


なにか失敗したということも無いし、これ以上いじったら寸法を割ってしまいますから完成にしなくてはしょうがありません。

ノーミスでスクロールが作れるなんて大変なことです。
見習の職人はストラディバリのモデルでやっていますが、ストラディバリにはとても見えないものになっています。

でもスクロールではあるのでダメということはありません。
一般的な工業製品でわずかに形が違うなんてことは言われません。
鳩時計で鳥の形が違うなんて文句を言われることはないでしょう。

先輩から仕上げだけはうるさく言われて永遠とやっていました。
私は刃物だけでもちょっと綺麗すぎるくらいで仕上げなんてすぐに終わります。

ノミの跡が残っていますが、これも長年使われていくうちに摩耗して無くなっていくでしょう。ニスを塗るときにニスを研磨していくと無くなっていくはずです。

アマティ派のスクロールが面白いのは非の打ちようのない完璧さではないけども、全く雑ではないということです。一般的な木彫ならこだわりすぎています。
それを昔の職人はフリーハンドで感覚を頼りに作っていたのでばらつきになって面白いです。ストラディバリには近代でも通用する美しいものもあれば、よくあるような平凡なものもあります。
もちろん後の時代の人がストラディバリをお手本にしているわけですから形が似てるのは当たり前です。

オールド楽器ではスクロールが後の時代のものに変えられているものがよくあります。損傷を受けたりして作りなおしたのでしょう。今ならできるだけオリジナルを残すようにしますが、昔はそんなに大事なものだと考えられていなかったのかもしれません。
ペグボックスなどはひどく壊れてしまうと実用的に使えなくなってしまいます。最悪の場合でも今では渦巻のところだけを残して、他の部分を作り直します。全部新しいものに取り換えると価値がガクッと下がってしまいます。

このようにオールド楽器ではスクロールがオリジナルでないものがよくあります。この時に見た目で違いが分かるかと言えば、私は違うなと思うのですが、他の職人もそう思うかはわかりません。
例えば、リカルド・アントニアッジのスクロールがついているニコラ・アマティのチェロがあったように思います。私から見れば全くアマティと違って近代~現代のものに見えます。
ジュゼッペ・グァルネリのチェロにもそのようなイタリアの有名な作者のスクロールがついているものがあったと思います。

見るとすぐにアマティと全く違うことが分かります。
少なくともアントニアッジには同じに見えているのでしょう。職人でさえそうなのだから、営業マンに見分けらえられるかは疑問です。

それだけ近代以降常識があって、アマティに似せたつもりでも近代のマナーになっているのです。

職人も自分の作っているもののほうが正しいと思っているので、アマティと違っても「修正してあげた」くらいに内心思っているのかもしれません。アントニアッジも自分はアマティに並ぶ名工で自分流のスクロールを付ければアマティとの時代を超えた合作となると考えたのかもしれません。

このようなことは弦楽器に限りません。1950年代のクラシックカーを見て素敵だと思う人は多いでしょう。しかし自動車メーカーは絶対にそのようなデザインの車を作りません。今のものの方が優れていると考えているからです。ヴァイオリン職人も同じで、アマティを見て良いなあと思っても、実際に作る段階になると全く違うものを作ります。

技術的な難しさというよりは、「時代」から自由になることが難しいのです。

芸術家は自由、自由と言うけども同じ時代の人は同じような物を作っています。


特に西洋の人は我が強いので自分を押し殺して昔の職人のやり方を受け入れるということは苦手でしょう。このような分野は日本人が得意なのです。もし日本の職人が外国の職人の間で称賛されるとすれば精巧なレプリカを作る人です。

これは修理では重要で、アントニアッジのようなことをしていれば修理としてはうまくないということになります。