赤いニスについて その① | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

今年も暑くなってきました。
ここまでのところ例年に比べればそれほど暑くはないですが、さすがに8月ともなれば覚悟が必要でしょう。

チェロの話も考えていましたが、赤いニスについて考えてみたいと思います。

先週はこのようでした。


次が一週間後です。


実際より赤く写っているかもしれませんがずっと赤くなりました。

このままではかなりどぎつい印象が強いので100年くらいは古くしていきます。

でも新品の楽器ならこのような鮮やかな赤いニスはヴァイオリン製作コンクールなどで主流で色鮮やかさを競っているくらいです。他よりも目立たなければいけないという思いもあるでしょう。

高級店を装う店のショールームは暗めになっていて暖色系の照明をあてれば深みがあるように見えます。ちょっと暗い部屋のほうが楽器は高級感があって見えます。
白昼に持ってくれば本当の色だと気づきます。うちは作業場なのでそのままの色で見えてしまいます。

実際日本の方でお会いして現代の楽器を買った人で鮮やかなオレンジ色の楽器を持っている人は多いです。私はあまりやりません。

自分たちで楽器を作っているので、お店の照明で高級感を出すのではなく、実際のニスで高級感を出せばいいわけです。それが商業と製造業の違いです。

今回は「赤いニス」は注文なので茶色になってはいけません。赤すぎるくらいから初めて、古い感じにして落ち着かせるのが良いでしょう。いつもは最初から古くしていきます。想定している年代が違うからです。1700年頃を想定すれば初めから古くして行かないといけませんが、今回は100年くらい前の感じにしましょう。


このような感じでヴァイオリン製作コンクールの出展楽器を見ればみな赤いニスです。コンクールの「流行」です。流行に敏感な職人は赤やオレンジのニスで塗って、お店は暗い照明で売るというわけです。

色の流行があるのかということですけども、オールド楽器を振り返ってみればアマティなどは琥珀色のようなニスが多くて、アマティ系の楽器はそのようなイメージがあります。できたときはオレンジだったかもしれませんが古くなってそうい見えるということもあるでしょう。私は琥珀色ととらえていますが一般的には黄金色と言われているでしょう。
実際にはこの黄金色はニスの色ではなく木材の色です。古くなると黒ずんで暗くなるので黄色やオレンジのニスが黄金色に見えるのです。補修するときはオレンジのニスを塗れば良いのでニスの色は必ずしも黄金色ではありません。
アマティになるとニスと地肌の色が似ているのでどこが剥げていてどこが残っているかはわかりにくいです。この残っているニスはオレンジ~琥珀色なのです。ニス自体の色なのか木材の地肌の色なのかを混同してはいけません。

一般的にはイタリアの楽器は黄金色だとごちゃ混ぜにして語られてきました。20世紀でも古い時代ほど「黄金色」のオールド楽器が珍重されたようです。20世紀の楽器には琥珀色のものが結構あります。角は丸くしてオールド楽器のようにします。オールド楽器の修理でも角をやすりで丸くしていたようです。このような趣味は私たちにはちょっと古風な感じがします。


ストラディバリも若いときはそのような感じで特に装飾付きのものは有名です。その後もうちょっと赤いニスの楽器もあります。グァルネリ家は琥珀色~オレンジ系です。
赤いニスで有名なのはモンタニアーナのチェロです。モンタニアーナも琥珀色もありますが、イメージするのは赤いものです。亀裂が生じているのが有名です。
G.B.グァダニーニははっきりしたオレンジ色です。ニスがポロポロと剥げているものが多いです。これはニスが堅くて脆い物でしょう。衝撃が加わるとポロっと剥げていくのです。ゴムのようなニスなら消しゴムのようにこすれて薄くなっていきます。
こういうのはコピーを作るのが面白いニスです。

ミラノのテストーレやナポリのガリアーノにはとても黄色いニスがあります。ニスが剥げた所に汚れが付着すると灰色に見えます。このためニスが残っている所のほうが明るく見え、ニスが剥げている所のほうが濃い色に見えるのです。できたころは本当に明るい色で安い値段で売られていたものだと思います。濃い色にするにはニスを多く塗らなくてはいけないからです。

ドイツの南の方やオーストリアでは黒いニスが特徴です。今でははげ落ちていますが、新品のころはピアノのようだったのでしょうか?1900年ころになってもドイツのオールド楽器に見せかけて真っ黒に塗られた量産品があります。スズキバイオリンでもこれに習って黒いものがあったと思います。

全部が黒というわけではありません、特にウィーンではレンガのような独特の赤いニスがあります。土系統の顔料を使っていたんでしょうか?赤土のような赤さです。酸化鉄ですね。

東ドイツのほうは黒いというイメージはありません。イタリアのオールドの様なものもあります。赤いものは印象にありませんが、琥珀色や黄色っぽいものもあります。いわゆる黄金色になっています。

フランスのオールド楽器はあまり見ることがありません。資料の写真で見るとオレンジ色のものを見ます。実際に見たものはニスも剥げていてイタリアの物と区別つきません。そのようなわけで偽造ラベルに変えられていることも多いでしょう。

イギリスは南ドイツに近いものがあります。ミッテンバルトから楽器を買っていたというのもあります。作風は南ドイツに似ているものがあります。

オールド楽器はこのように地域によって特徴がありました。
しかし個人によってもバラバラで、古い楽器ならニスもほとんど剥げ落ちてしまい、汚れて真っ黒になっていることもあって実際にはよくわからないことが多いです。修理によって上から違う色のニスを塗り重ねている場合も多くあります。住宅などでは壁を塗り直すのは普通ですから、昔はそんな修理もしていました。
オールド楽器で19世紀に塗り直したものはすでにモダン楽器のようになっています。


赤いニスで何よりも有名なのはフランスの19世紀のものです。ストラディバリにも赤いニスのものがあったのでそれを理想のニスと考えさらに赤さを増していったのでしょう。19世紀でもとくに前半のものはどの作者もニスが似ているので、ニスを作る工場から皆買っていたのか、決まった材料を使っていたのかなどが考えられます。

赤の染料は茜が代表的です。
茜は水溶性の染料で白い粉末を赤く染めて顔料を得ます。これをオイルニスに混ぜれば赤いニスになるわけです。アルコールニスでは顔料は沈殿してしまいます。振れば混ざらないことは無いかもしれません。

染料というのは液体の溶けるものです。顔料は粉末でニスに混ざっているだけです。砂糖と小麦粉のようなことです。


茜の赤い色素はアリザリンと言って人工的に製造できるようになりました1868年にドイツで発明されています。茜はアリザリン以外にも不純物を含んでいるので紫っぽい色なのに対して、アリザリンは真っ赤です。

このように生産コストの安い人工的な染料が開発されていきました。大量生産ではよく用いられているものです。今でも購入が可能です。


19世紀にフランスの楽器がヨーロッパで優れていると評価されるようになると、それに憧れて他の国でも赤いニスの楽器も作られました。トリノなどはフランス人が来て楽器作りを教えたわけですから当然です。プレッセンダなどは代表的です。グァダニーニ家ではフランス人が代わりに楽器を作っていたこともあるので完全にフランスのニスの楽器があります。
しかし一般的にはイタリアの作者の赤いニスはちょっとフランスのものとは違うようで個人の趣味で赤いものも作られたという程度でしょう。赤い色は色があせやすいものが多いです。初めは赤く塗られていたニスが変色して茶色になってしまうこともあります。私が修理したアンサルド・ポッジはあご当ての下が赤くなっていました。もともとは赤く塗られていたものが光に当たって色が褪せて琥珀色になったのです。20世紀の作者ですからすでにあご当てが普及しています。
イタリアのモダン楽器には琥珀色のものが多くあるように思いますが新品のころは分かりません。


ドイツでも独自に赤いニスのものが作られました。とても柔らかいニスのものがあって100年経ってもまだ固まっていないものがあります。永遠に固まらないわけですが、我々も「柔らかニスのほうが音が良い」と聞いたことがあると思います。このころのドイツの考え方が伝わっているのでしょう。

安価なものでは人工的な染料や樹脂を使ったためいかにも安っぽく、とてもフランスのモダン楽器のようなものではありません。特に戦後の人工染料は色があせやすいものがあります。駒の足の下だけが赤くなっているチェロもあります。

フランスでは真っ赤なニスが「正式」と考えられていたでしょうが、オールド楽器をイメージしたアンティーク塗装も行われ出しました。様々な方法がありますが落ち着いた色合いのものも作られるようになりました。

ドイツの大量生産ではアンティーク塗装が特に好まれて独特な手法が確立されていきました。私が見れば即座に「マルクノイキルヒェン」とわかるものです。

ヨーロッパ各国でも同様です。
今ではいろいろな色のものがあるというのが現状でしょう。

クレモナのヴァイオリン製作学校ではオレンジ色のニスだとイタリア人の職人は言っていました。オレンジなどは割と主流でしょう。ミッテンバルトの学校はもうちょっと赤茶色のような色で軽いアンティーク塗装だそうです。

このあたりがスタンダードでしょうか。
新作楽器のオレンジや赤のニスが一番基本的なものです。
ムラなく均一に塗るのが難しいため、ヴァイオリン製作コンクールではいかに均一に塗るかが評価されるのです。
これについてはスプレーのほうが優れています。スプレーは最も安価な楽器に使われる塗装法です。最も安価な楽器で最も腕の良い職人と同等以上の塗装ができることになります。

このような楽器を見慣れているとオールド楽器のほうが希少で美しく見えます。そこで職人や工場では古い楽器のようなアンティーク塗装をしてきました。イギリスではかなり古い時代に行われいたようです。フランスでも19世紀中ごろには多くなります。J.B.ヴィヨームが特に有名でした。東ドイツで大量生産がおこなわれるようになると「ストラディバリウス」のラベルとともにアンティーク塗装されたものが定番となりました。

これらがあまりにも大量に作られたためアンティーク塗装のほうがありふれたものになり安物の代名詞となりました。我々職人ならアンティーク塗装ではない新品の塗装(フルバーニッシュ)は初めて習う時にするものであり見慣れたものですが、楽器店では高級品に限られます。高級品はオレンジや赤いニスのものでアンティーク塗装の方が安物というイメージになるかもしれません。

実際には必要なノウハウや技術、作業の手間などはアンティーク塗装のほうがはるかに高度なものです。一度に何台もの楽器を塗るなら神経を使うアンティーク塗装は無理でフルバーニッシュにするでしょう。チェロなどもアンティーク塗装は手間がかかりすぎて高度なものは不可能です。

フルバーニッシュが良いのか、アンティーク塗装のほうが良いのかは好みの問題です。そのため自由に好きなものを選べば良いわけです。どちらが上等ということはありません。ただモダン楽器では同じ作者の場合アンティーク塗装の楽器のほうが高い値段になることもよくあります。アンティーク塗装の名人のほうが少ないからです。

フルバーニッシュでもアンティーク塗装でも汚いものは汚いですが、神経質で完璧さを求める人ならフルバーニッシュのほうが良いでしょう。お客さんでもいろいろな好みの人がいます。


私個人としては下手なアンティーク塗装ならフルバーニッシュのほうがましだと考えています。実は私は誰よりもアンティーク塗装が嫌いなので完成度が高くないと許せません。職人は毎日何層もニスを重ね塗りするため同じ楽器をずっと見続けます。そのため単色では飽きてきて物足りなくなってしまいます。オールドの名器がはるかに魅力的に見えチャレンジするのです。

フルバーニッシュが完璧に塗れるようになるまで何年もかかるでしょう。苦労して目標を実現したときに「あれ?スプレーと変わらない」と物足りなくなるのです。フルバーニッシュもまともに塗れない職人のアンティーク塗装は汚いだけです。ましてや金儲けのために古い楽器に見せかけたものはすぐにわかります。木材の無駄です。


さらにきれいな赤いニスは意外と難しいものです。紫っぽくなったり、色が弱すぎればオレンジになってしまいます。完全に赤く塗ってしまうと思っていたのと全然違う感じになってしまいがっかりするものです。

フランスの楽器を見て同じような物を作りたいと思ってもフランスの楽器は100年~200年くらい経っていますからすでにアンティークです。フルバーニッシュとして真っ赤に塗ったものとは違います。

それで私はもし赤いニスにするなら、すべてを均一に赤くするのではなくちょっとでもはげ落ちている部分を作りたいと考えていました。今回はまさにそれです。人間の視覚的な2色(ツートーンカラー)の効果を出したいと考えいてるからです。
フランスの楽器が赤いのに良い感じで見えるのは多少はニスが剥げているからではないかと考えています。

そこに赤いニスという注文があったのでそれを実行するチャンスです。もちろんすべて真っ赤に塗れば100~150年後には勝手にそのようになるので必要はありませんが、生きてる間は見ることができません。いかにわざとらしくなく自然にできるかが重要だと思います。