突然変異?交雑種? オットマー・ハウスマンのヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

弦楽器の音を外観や作者名、値段などで予想することは不可能です。どんな音がするかは弾いてみないとわからないというのが弦楽器です。

とはいえ我々も楽器を買い取るときには勘を働かせる必要があります。壊れていたり、長年使われていなくて弦も張っていない楽器や、修理が必要で本来の力を出せない状態にある楽器が多いからです。

高くて音が悪い楽器を好んで買うのは日本人くらいのもので、こちらでは安くて音が良い楽器が求められます。楽器を買いに来る人は予備知識も持たずただ単に試奏して楽器を選ぶからです。

したがって安くて音が良い楽器を見分けることが重要になります。
中高生でこのような楽器を使用していれば、さらにランク上の楽器にステップアップするときに「名ばかりの巨匠」に何百万円も出すことはありません。
日本人はピラミッドの頂点ばかりを求め特定の物しか知らないため、それが実際には平凡なもので頂点ではないということに気づかないのです。


今年に入って初めに紹介したホフマン作のスイス製のヴァイオリンがありました。
〈過去記事参照〉
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12573753296.html
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12578557858.html


これはアーチが真っ平らで板が薄いものです。私もパッと見て「これは良さそうだ」と思いました。板の厚みを測ってさらに期待値があがります。
実際に修理を終えてみると力強くよく鳴る楽器で音色にも深みがあります。
この度買い手が決まりました。
こんな時期でもすぐに売れたのですから勘は正しかったです。
こんな時期だからこそ安くて音が良い楽器が求められるのかもしれません。

引き渡す直前にあご当ての調整のために手に取って見ると本当にアーチは真っ平らでごくわずかのふくらみしかありません。板が薄くまっ平らなアーチでもでも変形などは無く強度としては十分であることが分かります。オールド楽器の時代にはこれで十分だということは分かっていなかったのでしょう。どれだけ少ないアーチで楽器が耐えられるかを物語る貴重な例です。
音も良いわけですからフラットなアーチを否定する材料は何もありません。

本当に楽器の機能性だけに突き詰めていくとこのようなヴァイオリンになるのかもしれません。記事のタイトルにも「こんなので十分」と書きましたが、まさにその通りです。物を作る人は余計なことをしてしまうという過ちを犯しやすいです。買う方も余計なことをしてあるものを求めてしまいます。

私も20年くらい職人をやってきてたどりついた境地です。


他にはミルクールのヴァイオリンも紹介しました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12605555099.html


さらに今回同じような価格帯のヴァイオリンを紹介します。

オットマー・ハウスマンのヴァイオリン



直訳すると
『オットマー・ハウスマン、ヴァイオリンメーカー、ミッテンバルト、1947』
と手書きで書いてあります。とてもシンプルです。
ラベルが偽造でなければ1947年にミッテンバルトでオットマー・ハウスマンとい人が作ったということです。

普通はミッテンバルトの作者だと思うでしょう。しかし私はパッと見た瞬間にチェコのボヘミアの流派のものだと思いました。ラベルを見るより先にチェコの楽器があるなと思ったのです。
文献で調べてみるとやはり出生地はチェコのシェーンバッハです。ボヘミアの楽器製作では中心地です。
もともとドイツ人で戦争が終わってチェコから引き揚げて来てミッテンバルトに移住したのでしょう。
文献によるとミッテンバルトで下働きをした後、会社を相続し多くの従業員を抱えて工場を経営したようです。
作者としては量産工場の経営者ですからオークションなどで注目されるような人ではありません。

表側です。いわゆるガルネリモデルであることはすぐにわかりますが、巨大なf字孔はいかにもボヘミアの流派のものです。角は摩耗したように丸くしてあるのもはっきりした特徴です。形は整っていて品質は悪くありません。
文献にもガルネリモデルでニスは「陰影をつけた」と書いてありますので、まさに本の通りです。

シェーンバッハ出身の職人であるという記述とも一致しますからまず本物と考えて良いでしょう。とはいえ特に有名な作者ではありませんから、名前によるプレミアはありません。間違っていても値段は変わりません。

このようなニスの塗り方はボヘミアの楽器ではあまり見ません。どちらかと言うとミッテンバルトの流儀でしょう。ボヘミアの楽器はモダンイタリアの影響が強いのに対して、ミッテンバルトはフランスの影響が強いです。
ボヘミアのものでは角を丸くして琥珀色に塗ったのが典型的です。
それに対してミッテンバルトはフランスですから赤いニスは典型的です。

楽器の作り方は修行時代に身に付いたそのままで、ニスの塗り方はミッテンバルトに来て変わったのかもしれません。それくらい最初に教わった作り方というのが作風に決定的な影響を与えるということです。
ヴァイオリン職人は初めに教わった作り方で生涯を終える人が多いのです。

日本では明治時代などにヴァイオリンを作ろうと思えば、外国から輸入したヴァイオリンを分解して自己流に研究したかもしれません。しかし西洋では完成された作り方を始めに教わるのです。

だから特別な才能や超人的な情熱など無くても初めて作ったヴァイオリンですでにちゃんとしたものができるのです。うちにも職人の見習いがいますが、いきなり売り物になるものです。

この楽器で面白い点は裏板はボヘミアの楽器によくあるような厚さで、中心は3.5㎜程度でそれほど厚くありません。現代の厚めの表板のような厚さです。ボヘミアの楽器には表板と裏板が同じ厚さのものがあります。
このようなボヘミアの楽器にはとても音量があるものがあります。

それに対して表板は全体が2.5mm程度以下と薄くフランスのようです。
裏がボヘミアで表がフランスのような板の厚さということです。
いずれにしても厚すぎるということは無いので期待が持てます。


同時にもう一つハウスマンのヴァイオリンがありました。

これはもう少し後の時代のものです。

ボヘミアの特徴は少なくなっています。板の厚みを測っても現代の楽器のような厚めのものです。おそらく工場で従業員が作ったものでしょう。作者の特徴は希薄になっています。逆に考えれば1947年のものは作者自身が作ったものではないかと思います。
工場製の楽器としては品質も良く、見た目もきれいです。木材の質も良いです。
しかし板が厚くなっていてよくあるような20世紀の楽器です。むしろこの時代には最新の作り方でそれまでの自分の作り方を変えたのかもしれません。

もちろん西ドイツ製で60年代くらいのもので上級品ですからひどい安物ではありません。

ラベルも印刷会社で印刷されたものに変わっています。今で言えばブランドロゴです。

一方1947年の方は指板の質も悪いです。指板の裏側の加工の仕方を見るとボヘミアの作者の特徴があるのでおそらくオリジナルの指板でしょう。指板は消耗品で削りなおしているうちに薄くなってしまうので交換することになります。そのため指板は作者の特徴とは言えませんが、オリジナルのものが残っている場合ははっきりとした特徴になります。一般の人には同じように見えるかもしれませんが指板の加工の仕方は修理経験の豊富な職人が見ると千差万別に見えるのです。量産品と一流の職人の違いを一発で見分けられます。

これは材質が悪いです。真っ黒ではなく明るい色の部分が混ざっています。しかしこれも終戦直後に作られたと考えれば時代を感じないでしょうか?この時期の楽器にはネックなどにも違う木材が使われたり、料理で使うようなナイフを使って作られたりその場にあったもので作られたりしました。職人のたくましさを感じると同時に、食べ物にも困る時代にも音楽を愛した当時の人たちの想いがしのばれます。

ニスも硬いもので人工樹脂のものだと思いますし、f字孔の裏側に垂れた色を見ても色素は人工のものです。贅沢に作られた高級品ではないですが、作者本人が作ったハンドメイドの楽器だと思います。ヴィヨームでも自分で作っていたのは若いころだけですから似たような感じです。

このように弦楽器というのは初めて作ったときに完成された作り方を教わるのですでにプロのものができます。音は人によって違いがあります。意図的に音の違いを生み出したのではなく、教わった作り方で作ったらこんな音になったというわけです。
腕を上げて次第に音が良くなっていくのではなく、いきなりプロの職人の音になるのです。

見た目は何年も続けていくと完成度は上がっていきます。仕事の早さもプロのレベルになって行きます。

だからどこの誰が作った楽器に音が良いものがあるのか全く分からないです。オークションなどで取引されるのは転売してお金になる楽器です。お金の話だけです。
そのため楽器を選ぶのは名前ではなく試奏で選ばなくてはいけないのです。

この楽器は表板がぱっくり割れていた上に、瞬間接着剤のようなもので素人が修理したものでした。プロでもこのような修理をする職人はたくさんいますが・・・。
それをやり直して補強しました。過去にまずい修理がされた楽器では傷口を見えないように仕上げるのは至難の業です。

バスバーをどうしようかということになりました。1947年ですからどうしても交換しなくてはいけないというほど古いものではありません。金儲けを考えるなら手間はできるだけ減らすべきですが、悪くない楽器だとわかっていますから悩むくらいならと交換しました。ディーラーでなくて職人の強みです。

修理完了




高音側のf字孔のから下に向かって割れがあります。修理しましたがきれいにはいきません。割れてから経過したものでは修理が難しくなります。今回は素人の修理がされていたので最悪です。
それでも強度面では問題なく修理しました。

ニスは作られた当初からこのように塗られた「陰影をつける」塗り方です。アンティーク塗装の一種で、傷などはつけられていません。
特に周辺の溝のところが黒く塗られていて締まって見えます。リアリティで言うと縁だけが真っ黒なのはおかしいです。
またニスが剥げたところは黄色い色をしています。この楽器はまず黄色に塗った後で赤いニスを部分的に塗ったのだと思います。

これはエンリコ・ロッカのヴァイオリンで戦前のものです。そんなに古い楽器ではありませんがそれでもニスが剥げている所の色は黒ずんでいます。黄色なのはおかしいです。


再びハウスマンに戻りますが、スクロールはきゃしゃな感じです。多くの場合ボヘミアの楽器はスクロールだけを作る職人のものを付けていることが多いと思います。このスクロールはそれには似ていないようです。決して完成度の高いものではありません。だからこそ自分で作ったかもしれません。ペグボックスの感じからしてもミッテンバルトのものではないようです。

赤いニスの剥がれ方からすると19世紀前半~中ごろのフランスの楽器のようではありますが、それ以外のところは新しい感じがしてリアティのあるアンティーク塗装ではありません。ただし、見た目の雰囲気は悪くなく作者の美意識と考えても良いでしょう。
後の時代のもののように一色で塗るほうが手間はかかりません。

私個人的には中途半端なアンティーク塗装よりもフルバーニッシュで塗ってあったものが古くなったもののほうが好きです。
ニス自体は硬くて薄いものでフランスやドイツのモダン楽器のような分厚いリッチなものではありません。

値段は高級品とまでは言えないので100万円が上限でしょうね。うちでは70万円くらいになると思います。

とんでもなくよく鳴るヴァイオリン


気になる音ですが、弦を張るためにはじいて調弦するだけでもやたらよく鳴ることが分かります。
弾いてみてもとにかくよく鳴ることが実感できます。

鋭い音、輝かしい音、キンキンする音など音色の特徴で音が強く感じることがありますが、それとは全く違ってとにかくよく鳴るのです。強い音の楽器にありがちな高音の鋭さもありません。私がバスバーを変えたことも一役を買っているでしょう。

柔らかい音は弱く感じ、鋭い音は強く感じるものですが、そのような次元ではありません。鳴るというのはこういう事だということをこの楽器で一度体験したほうがいでしょう。

値段は70万円程度ですがどんな新作楽器よりもよく鳴ります。東京で300万円以上で売られていて巨匠だと言われていてもこんなに鳴るものは無いでしょう。もちろん私が作った楽器でも不可能です。

もし10台ヴァイオリンが並んでいても抜きんでていることがはっきりわかるでしょう。それくらいよく鳴る楽器です。

音色自体はオールド楽器のような味のある音ではありません。しかしやかましく耳障りでもありません。
特別な好みが無ければ、たくさんの楽器の中でも「これは鳴る」と目立つものです。

この楽器を持っていたら、次に高価な楽器に買い替えるときに何を弾いても物足りなく感じるでしょう。300万円から1000万円するイタリアの新作やモダン楽器では満足できないでしょう。それこそ19世紀のフランスの楽器くらいでしょうか?

とはいえ一流の演奏者が使う楽器ではないと思います。そのような人たちはどんな楽器でも鳴らしてしまうからです。しかしアマチュアや学生では別次元によく鳴る楽器で音が出やすく助かるでしょう。

開けて修理したわけですが、何か特別な特徴はありませんでした。板が薄くて70年以上経っているということが特徴です。
ニスもラッカーのような硬いものでよく鳴るのですから、「柔らかいニスのほうが振動を妨げないから音が良い」と言う理屈が嘘であることがはっきりします。さすがにスプレーで分厚く塗ったものとは違います。


裏板の厚さがボヘミアスタイルであることも特徴です。現代の表板のような厚さで中央は3.5㎜ほど、3.0㎜くらいの中間の厚みのゾーンが広く、2.5㎜程度の一番薄い所の面積は狭いです。フランスの楽器では中央が4.5~5㎜くらいでそこをのぞくとごっそりと薄くなっているのが特徴です。このためか、この楽器ではフランスの楽器のような深みがありません。しかし低音が弱いということはありません、なぜならやたら鳴るからです。
音色には裏板が重要な役割を果たしているのかもしれません。

表板はフランス風でどこもかしこも2.5㎜程度になっています。表も裏も厚さの差が少ない楽器ということが言えます。
だからと言ってこれと同じ厚さにすれば同じようによく鳴るかはわかりません。

よく聞く「薄い板の楽器は初めは鳴るけど・・・」というのも70年経っても鳴るのですから嘘ですね。少なくとも新作なら生きているうちは大丈夫です。分かっている範囲では言えば400年くらいなら大丈夫ですけど。


同じボヘミアでも有名なマティアス・ハイニケであればもっと大人しいです。他のボヘミアの楽器にはずっとよく鳴るものがあります。

職人の知名度や腕前と音はあまり関係が無いのです。無数にいた無名な職人の楽器でもバカにできません。

作り方の秘密があって音が良いというのではなくて、今回の記事タイトルにもあるように突然変異かもしれません。そしてせっかくよく鳴る楽器を作っていたのに、その後の製品では20世紀の主流派の作り方に変えています。秘訣を分かっていたわけではないようです。


だから弾いてみないと楽器は分からないのです。
とはいえ、品質はまずます良さそうで、板も厚すぎずこの楽器に目を付けていました。まともに作ってさえあれば、第一次審査は合格です。さらに弾いてみてそれ以上の結果になったのが今回です。

究極の腕前の職人である必要はなく、有名でも高価である必要もありません。大体音が良い楽器というのがこんなものだというのが経験で分かってくるものです。見た目は平凡なものです。平凡なものの良さが分かる境地にまで達したと言えるかもしれません。

総合的に見ればまっ平らなアーチのスイス製のホフマンのほうが音色には味があると思います。柔らかい音ではないのでそうなると全く別のものが候補になります。ドイツのオールドヴァイオリンで高いアーチのヴィドハルムも修理中で楽しみです。逆にドイツでは珍しいフラットなブッフシュテッターも低音などは本当に良いです。

ハウスマンのヴァイオリンは「鳴る」という一点に関して言えばずば抜けたものです。現代の職人は同じ路線では対抗できません。