ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -23ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
お問い合わせはPC版サイトのリンクかアメブロのメッセージから願いします。

こんにちはガリッポです。

過去数か月の記事でも弦楽器の実際についてお聞かせすることができたと思います。漠然としたイメージだったものが具体的な理解に変われば良いなと思います。

商業というのは荒唐無稽なイメージで成り立っていて、イメージを売買していると言っても良いかもしれません。しかし技術者から見るとイメージは全く実際とはかけ離れています。イメージにあったものしか売り物にならないので日本には輸入されません。クラシック音楽の歴史の浅い国ですから輸入されないと初めからあるということはありません。
野菜や果物を見ればお店にはきれいな形のものが並んでいます。自分で野菜を育てるといろいろな形のものができます。それらは売り物になりません。特に日本は厳しくヨーロッパに来たら驚くでしょう。不揃いの野菜や果物が店に並んでいるものです。それは基準が緩いのであって、それでも規格外は売り物になりません。そのようなものに特に厳しいのは日本人です。つまり外国ではそうではないということです。
弦楽器もイメージに合ったものだけが輸入されてきました。しかし実際にはもっと複雑なのです。ドイツのモダン楽器のほうがフランスの大量生産品よりも一流のフランスの楽器に近いという話もしました。オールド楽器の風情を残すナポリの楽器がミルクールのものと音が似ているという話もしました。こうなるとめちゃくちゃです。
一方で適当に作ってあるオールド楽器に別次元で音が良いものがあるとも話しました。科学的に考えればそれは単なる客観的な事実です。職人は適当に作りなぜか知らないけど良い音の楽器になったのです。
我々の常識からすれば、天才的な才能を持った人が研究を重ね努力の末に音が良い楽器の作り方を編み出すと思い込んでいるかもしれません。天才によって計算され尽くして一台一台渾身の力で作られたものが名器だと思い込んでいるかもしれません。
しかし、それはわれわれの勝手な希望でしかありません。適当に作ってあるかどうかは物事を客観視できる職人ならわかります。我々はオールドの名器を見てニヤニヤと笑っています。そんなオールド楽器のおもしろさもわかってもらえると良いなと思います。


逆もまたそうです。
海外では『Superdry 極度乾燥(しなさい)』というファッションブランドが有名になりました。イギリスの企業の製品でこのようなロゴがプリントされていれば日本人は不思議に思うものです。日本人がイメージする英国紳士淑女の服装と全く違うだけではなく日本語に違和感があるからです。

公表されないので分析するしかないのですが、当然日本の有名なビールの銘柄が元になっているはずです。寿司屋に行けばちょっと凝ったところなら日本のビールも置いているかもしれません。なんとなく日本に良いイメージを持っているくらいの人が知りえる知識です。
日本語のロゴがついていると読めないけども、向こうの人にとっては日本っぽいですね。それでスーパードライを直訳して極度乾燥と訳したのでしょう。平仮名もあったほうが日本語っぽいですから(しなさい)も加えたのかもしれません。現在では「極度乾燥」のみになっています。

これに対してエドウィンのような日本企業が進出するのは難しいです。エドウィンは海外向けの製品ではロゴがカタカナで「エドウィン」と書いてあるものがあります。面白いのはセーターで中国で作っているんでしょうけども編み機のフォントの問題か「エドウィソ」に見えるのです。そうなると日本製品に見せかけた偽物のようですが、これがエドウィンの正式な製品です。
サイズや体形が違うので日本で売っている者とは全く異なるラインナップになっているようです。ヨーロッパのスタッフが企画して中国で作らせて誰もカタカナが分からないのでしょう。

イギリス人がなんとなく日本の雰囲気を感じるくらいがちょうど良いのでしょう。スーパードライのビールをどこかで見たことがあるくらいの感じですね。そのように外国のことはあまり知らないからこそ勝手にイメージすることができます。

それに対して健闘しているのはアシックスでしょう。多くの人が日本の企業とは知らずに愛用しています。特に競技用として愛用していたという話も聞きます。
語源は公表されていませんがアシが日本語で足の意味だと教えると驚いています。これはイメージというよりも製品の質で勝負していると思います。


いずれにしても外国製品に対するイメージというのはそんなものです。知っているか知らないかのギリギリくらいが良いのでしょう。かつてはストラディバリのラベルが貼られることが多かったです。これは何も知らない初心者がなんとなく聞いたことがある名前なのでついていると良さそうな気がするからです。
ロッカとかポッジとかファニョッラとかちょっとかじったくらいの人が目にする名前です。それくらいが一番もてはやされるのです。そこでシュバイツァーとかホモルカとかゲルトナーとか言っても知ってる人が少なすぎます。素人がどっかで見たことがある、聞いたことがあるくらいのレベルがちょうど良いのでしょう。無知な人がもてはやしているものの値段が上がるのです。しかしそれは浅い知識で弦楽器というのはそういう物ではないということをブログでは紹介しています。



職人の間では日本の砥石が有名です。日本の砥石は品質が良いと有名です。
特に有名なのは「キング」という名称の松永トイシの製品です。世界中のヴァイオリン職人が使っていることでしょう。
赤茶色のもので日本でも有名なものでホームセンターには必ず売っていますが、今では他社に優れた製品が出ているので見劣りするようになりました。キングの砥石は柔らくて刃を研いでいるとそこが凹んできてしまいます。それに対して最近の製品は硬くて面が狂いにくいです。それでいて研磨力が高くよく削れます。今ではキングの砥石は砥石が削れるばかりで刃が研げないという印象です。それでも昔は優れたものだったのでしょう。

今日本で有名なのはシャプトンの刃の黒幕というものです。これははるかに硬く面が狂いにくい上に水に漬けなくても良いのですぐに使えて便利なものです。ヨーロッパでも扱っている業者がありますがマニアしか知らないでしょう。
私にとっては硬度の高い刃物が研ぎにくいです。すぐに目詰まりしてしまいます。
特に西洋の現代の刃物はそんなものが多いですし、日本の刃物でも鋼と軟鉄を張り合わせてあるものでは軟鉄の方ばかりが削れてしまいます。それで私はシグマパワーのセレクトⅡを使っています。これはジョリジョリと刃が削れるのが分かります。刃の黒幕も平面維持性が高いのでノミやカンナの刃の裏側を平らにするのに使っています。スクレーパーも良い角ができるので切れ味が増します。包丁も良いです。1000番で人間の食べる程度の硬さのものならスパスパ切れます。

日本ではどんどん新しい製品が出ていますがすべて試すのは難しいです。師匠や先輩は未だにキングのものを使っています。私からすると砥石が削れるだけのものですが、年配の人は慣れ親しんだものを変えるのは難しいようです。使い勝手というよりも知識として「これが最高」と昔に学んだものを変える気が無いのです。見習を卒業した後輩に勧めればすぐに新しい製品の良さを分かってもらえます。先輩の考えを変えさせるのは難しいです。

外国のイメージというのはそうやって固定しやすいです。いまだに日本にはサムライや忍者がいてちょんまげ頭でいると思っているようです。そんな格好をして観光ガイドをしていれば外国人の人気者になれるでしょう。


同じようなことはヴァイオリン弦ではドミナントがあります。こちらではもう使っている人はほとんどいない過去の製品というものですが、日本ではいまだに使っている人が多くいるようです。楽器店でヴァイオリンを買うと初めに張ってあるものです。E線にはゴールドブラカットが定番でした。
初心者の人に言うとドミナントはオーストリアのトマスティクというメーカーの製品です。正しくは「トマスティクのドミナント」というわけです。トマスティクはウィーンやミュンヘンではシェアが高いのですが、世界ではトマスティクよりもドミナントのほうが有名です。トマスティクから新製品が出ました。『Dominant PRO』というものです。
他社やチェロやビオラも合わせるといくつも弦の新製品が出ています。とてもじゃないけどもすべて試すこともできません。

皆さんから使った経験を募集したいと思ったりもします。というのは、個人の工房が仕入れる弦の値段が、大手のオンラインショップとは全然違うのです。とてもじゃないけども価格で対抗できません。そのためちょっと詳しい人はみなネットで弦を買っているでしょう。もちろんうちで買えば、いくつかの弦を試奏して買うこともできますし、貼り換えも楽器の点検もしますし、時間さえあれば楽器のクリーニングも無料でしたりします。そのタイミングで工房を訪れるのは良いのですが、いかんせん値段が違い過ぎます。

一方オンラインショップにはメーカーの宣伝文句が書いてあるだけで何がどんな音なのかわからないものです。アマゾンなどのレビューではユーザーがどんなレベルの人でどんな楽器を使っているかも全く分かりません。工具などは素人が絶賛していても私のレベルでは全く使えないものだったりするので参考になりません。

弦は難しいですよ。人や楽器によって違和感を感じたり、何の問題もなく弾きこなせる人もいたりいろいろですから。
お気に入りの弦の投票とかしましょうか?


E線のゴールドブラカットの方はレンツナーというドイツのメーカーの製品でした。それが今はオプティマという社名に変わっています。
パッケージにもオプティマと書いてあります。張力の違うバージョンがあり特にガット弦のころには強い張力のものを張ってガット弦の弱さを補ったのでしょう。E線の張力は他の3本の弦にも影響があります。輝かしい音を求めて強い張力のE線を求めた考え方があります。張力にもこだわった人だと未だに「ベストチョイス」という考えを持ち続けている人も多いかもしれません。先生の影響もあるでしょう。

今では他の3本も強くなっているのでE線はむしろ柔らかい音にすることができます。うちではピラストロのNo.1を薦めると多くの人が受け入れています。原理的にヴァイオリンは高音が鋭くなりやすいので理屈にはかなっています。もう一つはカプランのソリューションというものです。カプランは今はダダリオのブランドになっています。

だいたい試奏して「良く鳴る」楽器を買うと高音が鋭すぎるものです。その時は気にならなくても使い込んでいくうちに「耳障り」という欠点が気になってくるものです。中古楽器を譲り受けたり安価なものを買えば耳障りなものが多いです。基本的に鋭い音のものの方が多いと考えて良いと思います。良く鳴ると思って喜んで買ったものでも私たちからすれば平凡なものです。柔らかい音のほうが希少です。鋭すぎる音の楽器を持っているとE線の開発に依存することになります。


どの弦を選んで良いのか知る手段が無いですね。ヴァイオリン職人も医者が処方箋を出すように「この弦を使いなさい」と紙切れを渡すだけで診断料が得られるなら良いですね。しかし職人は特権的な仕事ではありません。
プロのテスターのような職業もありません。客観的に楽器や弦などの製品をテストしてレポートするプロです。自分の主観ではいけません。ブログを見ている熱心な方で腕に自信があればそういうことを始めても良いかもしれません。私も多少は協力しますよ。でも演奏家の人は人によって言うことが違うので「※個人の感想です」を超えられません。実現すれば第一人者です。


とても難しいのは音を評価基準を作って客観的に記述することです。そして一つ一つそのような音になる原理を解明していく必要があります。ということは今はそんなことはできていないのでただ試奏して気に入ったものを選ぶ以外には方法がないということです。

















こんにちはガリッポです。

うちではミルクールの量産品もザクセンの量産品と別に変らないという扱いをしているので特別にミルクールの楽器を集めたりはしていません。お客さんは試奏して音の気に入った楽器を選ぶだけですが、量産品はどこの国のものでも量産品という認識でした。

普通は古い楽器の相場では量産品は考えません。ハンドメイドで作者名が知られていると相場で値段が決まるのです。量産品は誰が作ったかわからないし、手抜きのために品質が悪いのが当たり前です。

だから楽器の価値を見る時はまずそれが量産品なのかハンドメイドのものなのかを見分けるのが重要となります。これさえも一般の人には難しいものです。つまり楽器の良し悪しなどは一般の人にはわからないということです。だからウンチクを語るのはバカらしいのです。名前を伏せたら量産品かどうかも分からないそのレベルなのにどうして作者を「天才」かどうかわかるのでしょうか?

私たちでもグレーゾーンの楽器がありどちらかわからないものがよくあります。
職人の間でも意見が分かれることがあります。決して簡単なことではありません。ハンドメイドだと思っていて修理のために表板開けて初めて量産品だとわかることもあります。

うちの師匠などはそんな認識でいますからミルクールの量産品があってもザクセンのものと変わらないような値段で売ってしまいます。職人だから品質で楽器の格が分かってしまうので「フランス製」だとしてもただの安物だということが分かるからです。安上がりなものを前にして「これは見事な仕事です」なんて気持ちにはなりません。

日本での値段はそれよりもずっと高いもので場合によっては何倍もすることもあるでしょう。
うちが安すぎるので考えを改めないといけません。

19世紀のミルクールの量産ヴァイオリンの相場は50~120万円位と思っておけば良いでしょう。プレスのような本当に安上がりなものが50万円もするとなるとばからしくなります。相場としてはそんなものです。職人の感覚では高すぎるものです。

コロナの期間にお客さんの仕事が少なかったので修理されずに眠っていた様なミルクールの楽器を多く修理しましたし、先日も価値を見て欲しいと持ち込まれました。

一つ目はミルクールのビオラで、楽器をパッと見た瞬間はただの粗い仕事のひどい楽器です。しかしよく見ると形がフランスのものでオークションのカタログなどに出ている形をしています。フランスの楽器の本は一流の職人のものばかりなのでミルクールのものとは違います。オークションではやり取りがあります。品質はただの粗悪な楽器ですがミルクールのいくつもある形のうちの一つです。そうなると最低でも50万円くらいになりますから買うのはバカバカしい物でした。
もう一つはパッと見た瞬間にシュタイナー型のザクセンのものかと思うようなアーチで色も真っ黒なものでした。ラベルを見るとミルクールのメーカーなどが詳しく書いてありスクロールなどを見てもフランスのものだとわかりました。ぱっと見ではザクセンのものと変わらない楽器であるということです。一流のフランスの作者とは似ても似つかないものでした。
ザクセンでもシュタイナー型の量産品は特に安物で、本当のシュタイナーやオールド時代のシュタイナー型のものとは全く似ても似つかないものです。10万円も付けるのは難しいです。それと変わらないものです。

他にプレスの楽器もいくつかうちで修理しました。平らな板を曲げてアーチを作ってあるので伸びています。それが乾燥して縮んでくるので割れが出てくるのです。表板を開けるとグニヤグニャで割れている所に木片を張り付け補強するという物でした。無理やり修理してこんなんで大丈夫かなと思っても出来上がって弾いてみると結構いい音がしたりするものです。安物であることは間違いありませんが、音が悪いということはありません。

私もこの前からミルクールのものを修理していました。見た目は悪くないけども中身がひどいという量産楽器の典型でした。以前もちょっと紹介しました。

表板にチェロより厚い所がありました。
一流の楽器なら2.5mmくらいですから全く共通点がありません。リュポーやヴィヨームが気に入ったからと言って代わりに選んでも全く意味が無いということです。この前のドイツのヴァイデマンのほうがよほど一流のものに近いです。

この楽器の場合には修理するかどうか迷いました。すでに過去に修理されていて付属品を交換し弦を張れば演奏できる状態にすぐにできるからです。最低限の仕事で売りに出せるわけですから効率が良いですね。
これでも100年以上は経っていますから新品の量産品よりは音も良いかもしれません。そうなれば十分に競争力があります。

もう一つの考えとしては外見は良くて板が厚すぎるということは改造すれば理想的になるということです。さっきの値段の話で50~120万円とすれば、修理しなければ50万円に近い値段で修理すればずっと高い値段で売れるというわけです。これが中国のヴァイオリンを改造しても評価額は変わりません。

私のように特殊な器具で板の厚みを測る業者は珍しいです。
一般的に値段は外見で決めるので厚みを薄くする改造しても評価額は変わりません。中国の20万円のヴァイオリンを改造しても20万円ですからだれもやりません。
ザクセンの戦前のもので外見が立派なら40万円位にはなるかもしれません。ガラクタとしてただ同然で入手できるならやる価値はあると思います。しかし状態が悪く多くの修理が必要なものはやめた方が良いでしょう。ただ同然で買ったものを40万円で売るとボッタくりと思うかもしれませんが、修理の技術料がかかっています。お客さんの楽器の修理と違いいつ換金できるかわからないのでギリギリでは厳しいです。

今回のものは外見は良いので70~80万円くらいは付けられます、しかし中身がひどく音が悪ければその値段で競争力が無く売れません。売れなければ付属部品を交換した分だけ赤字です。
競争力のある価格帯となると過去の修理も汚いのでせいぜい40~50万円になってしまうのです。

このような量産品は上等なものに比べてそもそも品質が悪いので壊れやすく扱いも雑で状態が悪いものが多いです。さらに過去に行われた修理がひどいことが多いです。かつては本当に安い値段でしたから修理も安上がりに行われました。

このヴァイオリンも過去の修理がひどくて「修理済み」ではありますがリサイクルショップや総合楽器店で売るレベルのものです。職人が経営する専門店で「修理済みとして」売れるような状態ではありません。リサイクルショップやギター屋なら現状引き渡しで35万円、買った後で職人のところに持って行って修理してもらうというそんなところです。それでひどい楽器を買ってしまったことに気づくわけです。

修理されているのに私の基準からすると修理していないのと同じかそれ以下です。
職人によって修理のレベルが全く違います。ネットオークションなら修理済みと書いても詐欺にはなりませんが。

修理に必要な能力

前回はヴァイオリンを製造して生きていくために、修理は副業だという話をしました。仕事の量として新作楽器を作ることよりも修理の依頼のほうが多いからです。特にヨーロッパでは古い楽器が好まれ、また物置などから古い楽器が出てくることが多いので、知り合いに譲ったりすることも多いです。
新作楽器は名前の有名な特定の人に集中するのに対して修理で有名になることはそんなにありません。

プロの演奏者になれない人が教師になったりするように、新作で売れない人が修理人になっていくというわけです。

しかし修理というのはやってみるとそんなに甘いものではありません。「新作を作るには十分な腕が無いから修理をやる」というのは無理があります。

修理で必要な能力は正確性です。新作楽器なら「これが俺の作風だ!」と言い張れば何でも良いのですが、修理の場合には正確な加工が必要になります。腕は新作より正確でないといけません。損傷個所をくりぬいて新しい木材を埋め込む修理があります。接着面がぴったりでないといけません。より細かく精密な作業が必要で雑な人は修理には向いていません。

また失われた部分を新しい木材で復元します。つまりオリジナルと同じものを作れないといけないのです。
逆に言えば楽器の大半が損傷を受けても表板を作り直す、スクロールを作り直すなどのようなことができればどんな楽器でも直すことができるのです。しかし実際には修理代が高くなりますし、価値も下がってしまうので経済的な理由でできないことが多いです。ただ修理を極めようとすれば必要なことです。表板を新しくしたらニスも古びたようにしないとおかしいです。できるだけ元のものとそっくりでないといけません。新作を作るよりも難しいのです。

現実には新作を作るには腕が十分でないため修理の仕事をしている職人が多いです。そのように修理された楽器の修理をやり直すのは壊れてすぐのものよりも難しいです。

教会のフレスコ画を素人が修復してひどいことになったニュースがありましたね。現代の画家なら自分の画風だと言い張れば良いですが、修復では許されません。


表板を開けたが最後・・・


私はこのまま弦を張って終わりにするか、修理を始めるか大いに悩みました。開けてしまったら最後、何から何まで修理しないといけなくなるからです。開けたままでほったらかしにすれば全く売ることができません。


おそらく過去にネックの根元が大破したのでしょう。横板などにも損傷があります。ボタンも損傷していました。よく見ないとわからないほどでしたがパフリングの厚みギリギリまでくりぬいて新しく木材を入れます。

ただただ正確さだけが求められる仕事です。

上部のブロックごと大破したのでしょう。横板の一部が切り取られていましたが、あまりにも汚い修理だったのでやり直すことにしました。切れている部分を付け足すのです。
同時にブロックも交換します。
反対側も割れがありかつての修理では段差ができたまま接着されていました。

思ったよりもうまくいきました。正確な仕事だけです。木材を選ぶ時も量産楽器なのでそこまで神経を使いませんが違和感が無いものを選ぶと良いです。勤め先は古い会社なので古い材料の切れッぱしが倉庫に眠っています。新しい木では色が違い過ぎます。

ライニングも継ぎ足します。

おそらくネックの根元に加わった衝撃が裏板にまで達したようです。裏板の割れ傷も段差が付いた状態で接着されていました。センターの合わせ目も開いていたので付け直しました。横板の割れも裏側から木片で補強しています。

今度は下のブロック


下側も同様にブロック交換です。こちらも割れていて汚い修理がされていました。
横板のエンドピンの穴も埋めました。

このようなブロック交換の修理は意外と難しくて新作の時とは違い枠も何もないのに表板の形と一致しないといけません。ただ交換しただけでは表板の輪郭の形と合わなくなってしまいます。現物合わせで確認するのが難しいです。

作業の順序は前後しますが裏板の厚みも変えます。ハンドメイドの楽器の場合には作者のオリジナリティを尊重するために改造はしませんが、量産楽器なら可能です、量産楽器のほうが音が良くなる可能性があります。交換前のブロックは割れていて何かを張り付けていますが汚いもので。

中央はすでに薄かったので残して上と下の部分を削っています。全体的に3.5mmくらいでした。中央が3.5mmならよくある厚さです。それを除いて2.5㎜くらいになるようにしました。
交換前の下のブロックが見えます。

裏板の中央の厚さはストラディバリやフランスの一流の作者を見ていると4~5mmの間くらいですが、過去に作られたヴァイオリンでは3.5mmくらいのものはたくさんありますし強度が不足して変形するなんてことはありません。それで音量があって強い音がすることもあります。2.5mmくらいだとさすがに弱いと思います。変形したり音に強さが無かったりします。3.0mm程度だとグレーゾーンです。ダメとまでは言えません。薄くなるほどわずかな差がが大きく強度に影響します。


ラベルは見えにくくなっていますが「CHARLES JACQUOT」と書いてあるはずです。この作者は19世紀のフランスの一人前の職人で値段は最大500万円近くするものです。しかしどう見てもミルクールの量産品でこの作者の評価額はこの楽器には関係ありません。
本などで作者の楽器を調べてもストラディバリモデルならみな似ていますので量産品でも似ています。本を見ても意味がありません。
一流のフランスの職人の楽器はとても高いクオリティで作られていてこの楽器はそのクオリティが無いので本などを見なくても一瞬で量産品だとわかります。

ミルクールの量産品となるとこの作者の作風とは関係ないと考えた方が良いです。当時のミルクールでは同じ「メーカー名」を異なる製造者が使っていたりします。その作者が工場を経営し設計をして品質を管理していたとは考えない方が良いと思います。可能性が無いとは言えませんがずさんなものです。

そのような考え方は戦後のブーベンロイトの時代にならないと通用しないと思います。それまでは地場産業として家々で内職で部品が作られ、工場で組み立てられ集められて有力な職人の名前で売られただけです。有名な量産メーカーになるほど生産量や従業員も多く管理も行き届きません。

だからこの作者の作風や評価について語ることは全く意味がありません。我々としては「何かしら名前がついていると売りやすい」と考えているだけです。これが全く何もラベルがついていなかったり、ストラディバリウスと貼ってあるとガクッと値段が落ちます。

これを日本の楽器店ならウンチクをベラベラと喋るのですが、そんなのはどうでも良いです。楽器のクオリティと音が重要です。

ミルクールの楽器はどれも似たり寄ったりで、名前さえついていれば良いというそれくらいのものです。


それに対して営業マンがこの楽器を売ろうとする場合、誰々の弟子で・・・・と作者の素性を説明するでしょう。でもそれは500万円する自分の作品のことであって、この量産品とは全く関係がありません。そしてこの楽器がそれとは別の量産品であるということを言うでしょうか?

営業マンはこれが量産品であるとさえ言わないと思います。
フランスの一流品は100~200万円では買えませんが、それを知らない人は100万円もすれば高級品と思うでしょう。しかしただのひどい品質の量産品です。勝手に高級品だと勘違いしている人にわざわざ知らせることは無いですから。



要するに大事なのは作者名でも値段でもなく楽器の質と音です。ウンチクは聞き流せばいいです。

板を薄くしてバスバーを交換しました。板を薄くするときにバスバーが邪魔になるので古いものは削り落としました。
割れ傷は木片で補強しました。ぱっくり割れていますが魂柱のところには達していません。これが魂柱のところまで行くと修理が厄介ですので念入りに補強しました。駒の足の真下の補強が来るのは変な感じがしますが、こんなのは意外と影響が無いものです。深く考えない方が良いです。

厄介だったのが過去の修理でf字孔の外側の割れを直したものでした。段差が付いたまま接着し裏から板を張り付けていましたがそれもひどい物でした。私が完全にやりおしました。私が初めからやるならこんなやりにくい方法はしませんがやってみるときれいにできるものです。


コーナーの修理もやり直しました。すでに修理されていたのにやり直しです。全くプロのレベルではありませんでした。エッジもパフリングとの間に隙間がありひどい物でした。過去の修理でつけられた木材は木目が全く違うし、エッジの形も他の部分と合わないものでした。段差もあって一か所もまともに修理で着ているところがありませんでした。
木片をちょっとくっつけるくらいできそうなものですが、わざとずらしてくっつけているのではないかと言うほどです。

ペグの穴埋めには茶色のよくわからない木が使われています。柔らかいので穴埋めには向いていないでしょう。さらにペグボックスと段差がありましたので削りました。Aペグの穴のところには当て木がしてありましたが木目の向きが間違っていて材料も柔らかい木でした。柔らかい木では補強の意味がありませんのでやり直しました。ペグボックスと同じカエデにしました。
ニスの補修も下手くそで色もひどかったです。見るからに痛々しい物でした。

この当て木の形もやりにくいものですが、他の穴に干渉するので形を変えるわけにもいきません。そのまま付け替えました。

色が違うので新しい木を他の部分と同じにするのは難しいです。

私が修理すれば量産楽器でもこれくらいにはなります。

板の厚みを変える作業は割と簡単です。新作をやっている経験が必要で修理だけやっていると経験が不足します。

パーツができたら組み立て

それぞれのパーツの修理が終わると組み立てです。表板を付けてネックを取り付けます。この辺りはルーティーンの仕事です。
ニスの補修も大変な仕事です。新しく加工したところはすべて白くなっていますから。

見た目は悪くないでしょう。これで中がひどかったのが信じられないくらいです。エッジやコーナーなど新しく取り付けた部分も違和感なくなっていると思います。

コーナーの修理は数をこなしているのでルーティーンです。これはとても難しいものです。

新しく付け足した横板はこんな感じです。ここは使っているうちにニスが剥げたり汚れたりするところなのでこの程度で良いでしょう。継ぎ目は全く見えないほどになっていますのでつぎ足してあることは分からないでしょう。
こんなにうまくいくとは私も思いませんでした。
良い修理とはやってあることが気づかれないものです。

この楽器はアンティーク塗装ではなく自然と古くなったものです。しかし下地は緑色に着色されています。このため深みがあるように見えます。
一見してミルクールのものだとすぐにわかるものです。コーナーは細めでフランスの特徴ではありませんが全体の雰囲気でミルクールだとわかります。


アーチは平凡なフラットなものです。ストラドモデルでアーチが平ら、板が薄い、それが100年も経っていれば単純によく鳴ることでしょう。なにも難しいことは要りません。

スクロールはフランスの一流のものとは違いますが量産品としては綺麗な方だと思います。
この前のナポリのものと比べて見ましょう。

こちらが800万円のヴァイオリンのものです。もう、やめてあげましょう。

反対側です。

正面も量産品にしてはピシッとした印象がありますし、指板よりもペグボックス全体の幅が広いのもフランス的です。ドイツやチェコの量産品なら指板の幅とペグボックスの幅が一緒です。

フランスの一流の職人のものとは全然違います。ドイツのヴァイデマンのほうが似ていました。

パッと見て量産品としては綺麗な方だと思います。フランスの量産品もひどいものもありますし、プレスなのにものすごくきれいなスクロールのものがあります。ネックだけ取り外そうかと思うほどです。別々の人が作っていたので胴体とクオリティが合っていないこともあります。
スクロールは音には関係がありませんが私はきれいなものがついているとテンションが上がります。

気になる音は?


音の予測は難しいです。この前は柔らかい音のミルクールのものがあったのでどうなるかはわからないものです。板は薄くしたので低音側が強いバランスの暗い音になるはずです。

実際に弾いてみると予想通り暗い音で発音が良く、力を入れなくても勝手に音が出る感じがします。発音が良く鳴るということです。
音はやや尖ったものです。すごく耳障りというほどでは無いですが明らかに鋭い傾向の音です、これは好みの問題ですごく柔らかい音が良いという人には合っていませんが力強さを優先する人には好まれるかもしれません。
この前のデラ・コルテの時にも暗くてよく鳴る鋭い音と言っていましたが、これもその系統です。その時にそのような音はミルクールのものにもあると言っていました。まさにそれです。
デラ・コルテは800万円、これは80万円くらいのものでしょう。それで音が似ています。全く同じということはありません。全く同じ音のヴァイオリンは無いですから。
感じから言ってガン&ベルナーデルにも近いと思います。300万円以上しますからこれがいかにコストパフォーマンスが良いかというわけです。

おさらいすると音は暗くて鋭めの力強い音です。これはうちでは学生さんなどによく売れるタイプの音です。フランスのものはもちろんドイツのモダン楽器で150~200万円くらいのものにあります。それに比べて80万円位なら割安です。当然それは量産楽器だからです。しかし実力はよくできたモダン楽器に近いものがあります。音大の教授もフランスの楽器を使っている人が多いのでそれに近いものなら使い勝手も似ています。200万円くらいのモダン楽器が買えないならこれでもレッスンを受けられるでしょう。

新作楽器にとっては厳しすぎる強敵です。特にフランス風に作ったら勝ち目がありません。
でも音の鋭さに特徴があり好き嫌いは分かれます。
私の作るものはとても柔らかい音がしますから全く違う方向です。音というのは好みが大きいのです。

量産楽器で80万円というのは高すぎると考えるのが普通です。ハンドメイドの楽器も視野に入ってくる値段です。しかしこの楽器は音については十分に競争力があると思います。見た目も並の職人くらいは十分にあります。ハンドメイドの楽器は作者ごとに癖が強く改造するわけにもいきません。このクラスで同じような音のものを探すのは難しいでしょう。

ミルクールだからというよりも私が修理・改造したことが重要です。同じようなものを探しても売っているとは限りません。

この楽器では過去に多くの個所の修理が行われていましたがたった一か所も合格レベルの場所が無くすべてやり直すか手直しが必要でした。一つも合格レベルの仕事をしなかったのはある意味凄いです。それくらい雑な職人はいます。修理は新作よりも正確で丁寧な仕事が必要です。デラ・コルテが修理をしたら同じようなひどいことになったでしょう。実際にイタリアの修理のレベルが低いらしくイタリア人に修理を教えていたこともあります。


いかにもミルクールの量産品という感じのものですから何のステータスもありません。量産品に100万円以上出すのは職人としては考えられません。東京で100~200万円位で売られていると普通の人は高級品と思ってしまうでしょう。しかし本当のフランスの名品はそんな値段では買えません。ただの量産品です。今回のものも板の厚みはひどいものでした、改造したから何とかなったようなものです。
こんにちはガリッポです。

緑が美しい季節です。

私がヨーロッパでヴァイオリン職人をやって暮らしていると言えば、好きなことをやって気楽なもんだと思われているかもしれません。それなりに大変なことはたくさんあります。

基本的に、芸術家や音楽家、俳優などと同じで学校を出て仕事についてすぐに月給がもらえるような仕事ではありません。
ヴァイオリン製作学校を出たとしてもなにも仕事ができないので給料を払えば「給料泥棒」になってしまいます。他の仕事でもそうでしょうが、道具が使えるようになるまでに年数がかかります。まず道具を持つことができないといけません。素人は見てれば持ち方ができていないのがすぐにわかります。それは筋肉がついて神経系が制御できるようにならないといけないのでやり方を教わるという次元ではできません。職人の仕事は何でもそうで教わっただけではできなくて、訓練が必要です。

道具が持てないと道具の手入れができません。砥石に一定の角度で刃物を当てないといけません。使いにくい道具ではベテランでも難しいのに初心者はもっと難しいです。

上記の職業ならアルバイトしながら仕事がもらえるようになるまで食いつなぐというのがあります。ヴァイオリン職人の場合に一般的な副業は「修理」です。
ヴァイオリンを作ってそれが売れるようになるのは音楽家が「売れる」のと同じことです。生活のための副業に全く違う仕事をすることもあり得ますが、修理なら同時に刃物を使う訓練ができ、楽器やユーザーへの理解も深まります。違う職業で副業をしていたら5年かかる修行が10年かかってしまいます。
ヴァイオリン業界は市場規模が小さいので大きな会社で分業で仕事を専門化することができません。何から何まで自分でやらないといけないのです。10年でもまだまだ学ぶことがあります。副業なんてやってたらいつまで経っても習得できません。

日本には職人の世界に歴史があります。
はじめは住み込みで雑用をしながらというもので、寝食は保証されました。現在では親方の家に住んでなんていうのは現代の会社制度に合いません。
自分で暮らすとなると家賃と食費が必要です。初めは全く利益をもたらせないのでそんな人を雇っている余裕はありません。
「最低賃金」というものがあり、利益が上げられないからと言ってものすごく安い賃金で雇用契約を結ぶことができません。

一方弟子にとっては今お金をもらえることよりも、いかに学ぶことができるかが重要です。寝食以上の給料なんて求めているようでは良い職人にはなれないでしょう。
これは一般の社会の人とは全く考え方が違う所です。

就職先を探す時に一番重要なのは、いかに勉強できるかということです。
一般的には大きな有名な会社を選ぶでしょうが、志を持った職人は全く違う選び方をします。それでも弟子に師匠を選ぶのはとても難しいことです。何故かというと師匠の何がすごいのか未熟者にわかるはずが無いからです。何よりもチャンスが少ないです。そういう意味ではかなり運に左右されます。

現実的には従業員として雇用契約を結ばない「無給の弟子」という関係があります。単にヴァイオリン職人の仕事を教えてもらうという関係です。教えてもらうためには人柄が認められるだけでなく授業料として労働を提供する必要があります。
師匠は給料は払えないので食べ物をごちそうしたり、お小遣いとしてポケットマネーを与えたりするというわけです。

こんなのは労働者として不当だと考えるならヴァイオリン職人はあきらめた方が良いかもしれません。


ヨーロッパではそれぞれの地域でいろいろなシステムがあったはずです。ギルドのような同業者組合があって労働組合の元になりました。
私は20年くらい前にかなり安い給料から始めました。とても生活できませんが副業をするためのビザが無いので多少は親の世話になっていました。留学よりははるかにましではありました。
どちらにしても難しい作業に集中して慣れない外国での暮らしは疲れ果ててしまいます。副業なんてやっている力はありませんし、言葉が不自由で職人以外の仕事は私にはできないです。それができるなら職人なんてやらなくても良いですよ。これしか生きていく方法が無いと必死になってやっていました。

それがいつしか自分で暮らせるようになりました。いまだに節約癖がついていて金銭感覚が庶民的でブログで書いてある楽器の値段も日本で売られているものとは全く違うでしょう。

左翼の政党などは最低賃金の上昇を訴えて選挙に出ています。現在は私の時よりもずっと上がっています。物の値段、家賃、エネルギーなどの費用もはるかに上がっています。2002年にユーロが導入されてから20年で物の値段は2倍になっていると考えています。もちろん中国製の安ものに変えることで安くはできますが、同じヴァイオリンの値段なら2002年の2倍の値段で考えています。

そうなると未熟な職人に月給を払うことができずパートタイムで雇用して副業を持つという例もあります。知り合いにそのような後輩もいますが、職人の仕事は身についていませんでした。

仕事ができるようになるまで誰がその費用を持つのか問題です。最低賃金を上げることによってそれが難しくなるというのは皮肉です。すでに仕事についている人は給料が上がる人もいるでしょうが、これからの人はその機会さえ難しくなります。
ファストフード店で働く人には良いかもしれませんが、選挙ではだれも職人の世界なんて考えていないですから。

音楽家の人ならわかってくれるかもしれません。音大を出てすぐに初任給がもらえるなんてことはなかなか無いですから。


普通の人生を生きたければ今ならオンラインの楽器店などに就職して搬入と搬出の倉庫管理の作業をすればいいです。
日本で楽器店に就職する場合はリペアマンか営業です。営業は音大から来る人もいるでしょう。リペアマンの場合は先輩が重要です。師匠と同じことです。大きなお店では右から左に大量の楽器を販売するため最低限の修理しかしません。立派そうな専門店でも私くらいの能力を持った先輩に恵まれるのさえも難しいでしょう。自分で作ったわけでもないのに店で高価な楽器を扱っていてなんか偉くなった気になって威張っている「先輩」もいるようです。そんな人は皆さんも心当たりがあるでしょう。
それでも学校を出てすぐ就職は難しく、何年か無給の弟子をやってスキルを身に着けてからようやく働けるようになるというものです。専門店では営業出身の社長は職人に尊敬の念が無くヴァイオリンを製造して生きていくのをあきらめさせるでしょう。副業のはずの修理が生業になってしまいます。決して悪い人生とは言えませんが。

見習の作ったヴァイオリン

私はそうやって見習の子の人生を考えてあげているのですが、当の本人は訳が分かっていないようです。私が考えすぎなのでしょうか?何も考えないのは仏教では善しとされることなので私よりも立派な人格者なのかもしれません。

本人さえ望めば仕事に関してはいくらでも教えてあげるのに・・・。

お金が足りなくて変な副業をするくらいなら、日本の人にヴァイオリンを買ってあげて欲しいと思うのですが皆さんどうでしょうか?

この前見習が作っていたものです。ニスを塗っていないので変ですがこんな感じです。

思った通りに行かなかった部分が多くありましたが、こうやって見れば立派なものです。

スクロールも赤いニスで塗った一台目に比べるとずっとよくなりました。



いちいち苦労していましたが丁寧な仕事で何とか様になりました。


アーチは本当に難しいものです。エッジに向かってエレガントなカーブと表面の滑らかな仕上げは苦労したところです。

まじめにやればこんなヴァイオリンは作れるのです。これで天才でも何でもない見習の作ったものです。高価な楽器を有り難がっている人には、どれくらいが凡人なのか分かってもらいたいですね。

これはニコラ・リュポーのモデルで胴体が36㎝を超えるものです。それでも特別大きいというほどではないでしょう。日本向けなら小型のモデルを考えた方が良いかもしれません。

時間や体力の問題もありますしやるかやらないか決めるのは本人です。もし関係ない副業をするくらいなら私が設計から関わって少なくとも実用と音響には問題のないレベルのものを作れないかと思います。
私が作るものは凝りに凝ったもので値段を安くするのは難しいです。値段は半人前で音は一人前のものができたらいいなと思います。ビオラももってこいです。

もちろんこのヴァイオリンもニスを仕上げて弾けるようにしなくてはいけません。アイデアは何も考えていませんが、ニスの塗り方を覚えるためにフルバーニッシュでむらなく均等に塗る練習が必要です。新品らしい綺麗さのものが目標です。
こんにちはガリッポです。

ワクチン接種が進んで徐々に生活が元に戻ってきています。コンサートマスターの方も来店して少人数の観客で演奏会を再開するように準備しているそうです。これまでの期間は録音に力を入れてたそうなので、音楽鑑賞ファンは期待して良いと思います。

我々が作業している間アレサンドロ・ガリアーノをずっと弾いていましたがこの前のデラ・コルテとは全く違う音です。ガリアーノも適当に作ってあるものです。そういうものが音が良いヴァイオリンの本質を表していると思います。


一方、ヴァイデマンのヴァイオリンも決まりました。良い楽器は売れるのが早いです。それでも200万円は普通に考えたら大金です。フランスの楽器作りの基礎を持ち文句なく作られたマイスタークオリティのもので、130年前のものが200万円くらい、これがまともなヴァイオリンの値段です。学生さんが使うには適度なものです。若々しい力強い演奏をしていました。


ヴァイオリン作りを学ぶと最初は全く訳が分かりません。決められた通りに作るのがとても難しくて1台作るのに1年もかかってしまいました。初心者の作ったものなんて数十万円くらいのものですからそれが年の売り上げと考えるとゾッとしたものです。とてもヴァイオリン職人なんかじゃ食っていけないと思いました。

この時は音のことなんて全く分かりません。
師匠や先生に与えられた寸法の通りに正確に作れば音が良くなると信じるしかありませんでした。

よくイメージするのが表板や裏体を削りだす時に、チョコチョコと小さなカンナで削っては、トントンと叩いて音を聞くあれです。
ちょっと削ったくらいでは音の違いが少なすぎてよくわかりません。

それに対して私は新旧様々なヴァイオリンの音を聞いて厚さを測って頭の中に数字で厚みのイメージができています。これはとても地道な作業です。
また壊れた楽器や長年手入れされていない楽器でも、修理する価値があるか、売り物になるかを判断する上での「勘」にもなっています。

板の厚みは数字でこのブログでもいつも表示しています。アーチなどのそれ以外の部分はもっと立体造形の感覚的なものです。

そうやって感覚ができてくると、意外と「理想」という決まったものがあるのではなく、わりと幅があることが分かります。最初に習った時の様に決められた寸法に正確に作る必要はないです。ストラディバリの形からちょっとでも外れたら音が悪くなるとかそういう物ではありません。
また演奏者も音の好みが結構バラバラで決まった音でなくても良いことが分かります。

そうやって私も良いヴァイオリンというのがなんとなくわかるようになってきました。それでも音は弾いてみないとわかりません。音のキャラクターはどっちに転んでもそれが好きだという人に出会えれば良いのです。

粗悪品ではなく作りがしっかりしたものなら、ほとんどのものはいつかは売れます。不思議とうちで売れないものに、ドヴォルザーク家のヴァイオリンがあります。フランスの楽器作りの影響を受けたモダンヴァイオリンで見た目は美しいです。これは板が厚めのものです。やはり板が厚いのはうちでは厳しいです。

それから、ハンス・エドラーのヴァイオリンも売れません。
ジュゼッペ・フィオリーニの弟子で兄弟弟子のアンサルド・ポッジとそっくりな楽器ですが売れません。特に技術的に悪い所は見当たりません。音が新作とあまり変わらないからかもしれません。

どちらの楽器もモダン楽器らしい音というよりは現代のものに近い音です。
現代の楽器製作のルーツになっているようなものです。
新作は新作で買う人はいるのです。ところがモダン楽器を探している人で新作みたいな音は好まれないのでしょうか。

あとは先輩の作った板の厚すぎるビオラも売れませんし、私が実験のために厚めに作ったストラディバリモデルのヴァイオリンも売れません。どちらも明るい音がするもので好みの問題とは言えうちでは売れません。

変わった形のヴァイオリン



こんなヴァイオリンがありました。


よく商売人は「個性」という言葉を巧みに利用します。下手くそな作者のものを「個性的なヴァイオリン」ということができる魔法の言葉です。
フランスの楽器は完璧な美しさで作られていますが、一流の作者はどれもそっくりで個性が無いといえます。それに対してイタリアの作者は個性があるので価値が高いと言います。
それならこのヴァイオリンはもっと価値が高いでしょう。個性に価値があるというのならイタリアのモダンヴァイオリンよりもはるかに個性的ですから1000万円以上しなくてはいけません。
1000万円以上で飛ぶように売れるなら私も何か作りましょうか?

このヴァイオリンはアイルランドの民族音楽を弾く人が使っているものです。クラシックの名門オーケストラではこのようなものを使っている人は見たことがありません。

作者は誰かわかりませんが、私が見た感じでは、現代のヴァイオリン製作の教育を受けた人が作ったのがすぐにわかります。かたちこそ変わっていても仕事のタッチが現代的なのです。ニスも現代のアルコールニスです。現在手に入る材料だとこんなオレンジ色になりやすいです。

表板はフランスのモダン楽器の様に全体が等しく薄く作られていて、裏板はやや厚めです。

どんな音がするかと弾いてみると意外と普通のヴァイオリンの音がします。それも新作楽器によくあるような音です。特徴としては表板が薄い分だけやや暗めで極端に明るいことはありません。明るいのと暗いのの中間くらいでしょう。音の質は鋭くてキーンときつい音がします。これも現代の楽器には少なくありません。

かなり変わった見た目にもかかわらず音は、よくあるような新作楽器のようなものです。

見た目の印象としてはかなり違って見えますが楽器の構造はあまり変わらないということでしょう。
ストラディバリモデルやガルネリモデルだからどうだということは言えないということでもあります。こんなに形が違ってもまともな音がするわけですから。

それに対して板の厚みから予想する通りの音域ごとのバランスになっていました。

何よりも仕事の雰囲気が現代的であることが、現代のヴァイオリンのような音になった一つの要因でしょう。もちろん新しいということもありますが、新品でも現代の楽器とは思えないような音もありますから。

弦楽器の本質は表面的な違いでは無くて大雑把にとらえないといけないと思います。時代や流派による仕事のタッチや個人の癖のほうがはるかに影響が大きいと言えると思います。

ストラディバリだろうがガルネリだろうがどのモデルで作っても同じ人が現代風に作ったものなら、似たような音になるということです。全くヴァイオリンの形をしていなくても良いのです。


ヴァイオリンの形

今回はヘッドの角(つの)が折れてしまって、それを接着しました。しかし修理法が分かりません。角を接着する方法は習っていません。くっつけただけですからまた衝撃が加われば取れてしまうかもしれません。
修理の請求書にも「角の接着」と聞いたことのないような言葉が記載されました。
角は弱いですね。新しいデザインは問題点があるのかもしれません。最近は自動車でも燃費を良くするために空気抵抗を減らすデザインにしています。うちの師匠の車は高速道路で小石か何かが当たってフロントガラスにひびが入る故障を何度も繰り返しています。同じ車で4度目と言っていました。そのまま走行するのは危険です。
昔の車とはフロントガラスに当たる空気の流れが変わったのかもしれません。
新しいデザインにはそのような危険もあります。

かといってヴァイオリンもそんなに実用本位でデザインされていません。500年くらい前にできていますから今の人とは考え方が違います。
安い価格帯のものはもう少しシンプルなものでも良いように思います。でもそうなるといかにも「安物」という感じがしてしまいます。どれだけ安いヴァイオリンでもヴァイオリンの形をしています。これがクラシック音楽の世界なんでしょう。


ヴァイオリン製作も初めは各部分の細かい寸法から教わります。しかし細かいことばかりに気を取られて全体像を理解していない人がいます。まだ新しいものでも弦の力に耐えられなくて表板が陥没してしまっているものがあります。
楽器を全体的にとらえるようになるにはたくさん楽器を作る経験が必要です。

初心者に教えるのが一番難しい部分です。頭の中にイメージする感じで作るということですから、イメージが無いとできません。
寸法を測れるポイントだけ決められたように作って測れない所はあやふやになっています。自分では完璧に作っているつもりでも測れない部分が留守になっています。

逆に言えば基本的なことができていれば細かいことは音には関係が無いということです。それがヴァイオリンの本質です。それが分かっているのが優れた職人でしょう。

形が決まっているものは、商品の違いは品質でしか差が出せません。男性用のスーツや紳士靴は形が決まっているので品質でしか差が出せません。高価なスーツと安物のスーツで格の違いが表現されます。政治家の方々、大企業の重役の方々は立派なスーツを着ています。上質なものがイコールでカッコよく見えるかは知りません。

これがカジュアルになると全く違う価値観に変わります。実用的で快適、リラックスして気を使わないことが気分の良さを演出するもので相手にもフランクな印象を与えます。

クラシック音楽はスーツのような戦前の上流階級の文化ですので、今回のようなカジュアルなヴィオリンは主流ではありません。

オールドの時代はそれほど形が定まっていませんでした。貴族の時代のほうが創造的で、市民の上流階級のほうが画一的なのかもしれません。

ガリアーノもそうですが、オールド楽器は面白いものです。イタリアの場合には美しいものを作った人は限らています。ほとんどは適当に作られています。昔は大量生産の安いものが無かったのでイタリアの職人たちは安上がりなものを作っていたのもあります。そんなものにも音の良いものがあったりして面白いです。
イタリア以外でもオールドの時代はそうです。シュタイナー型と言われるドイツのものでも結構みな形が違います。画一的ではありませんでした。

そういうオールドの作者も「巨匠」などと形容するのは実際からはかけ離れているように思います。作り方が確立していなかっただけです。

一方現代ではストラディバリモデルがあまりにも基礎になりすぎています。もちろん音が悪いというわけじゃありませんが、他の可能性がもっとあると思います。

しかし楽器を買う人、特に学生さんやその親御さんならよくできたストラディバリなどのモデルのモダン楽器を頭で考えてバカにしない方が良いと思います。個性はありませんが「使える道具」を手にすることを重視した方が良いと思います。オールドが高価すぎるので現実的に考えなくてはいけません。

私たちが日常的に使っている道具も洗練されて同じような形に落ち着いているわけです。常識外れのお箸やフォークでは使いにくくてしょうがありません。私が職人として使う道具は変わったものである必要はなく、デザインも創造的なものである必要はありません。
オーソドックスなもので使いやすい形状をしていて実用的な質を備えているものが良いです。

一方、安価なオールド楽器もあります。オールドは個性的ですが当たりはずれも大きいのでそれこそしっかり試奏が必要です。
楽しみとして音楽をやりたい人なら全く問題ありません。100万円もしないオールドヴァイオリンは修理すると結構売れていきます。趣味性が高いと言えます。


ヴァイオリンの良し悪しが分かるということは具体的な知識や細かいことでは無くて大雑把に捉えることができるということでしょう。作者の詳細や値段、品質など表面的なものではなくざっくりと本質を見抜くことです。

一般の人には無理なので試奏して音で選ぶ方が良いと思います。
それから職人に見てもらえば、特徴を教えてくれるでしょう。そうやって愛着を深めて弾き続けれていればさらに鳴って来るでしょう。

逆に楽器の特徴から好きな作者を選ぶのは難しいです。
私でも何を意図して作られたのかわからないことが多いです。職人の場合には記録がほとんど残っておらず、人間性を知りうる手段がありません。イメージを持つことすらできません。

あとは、同じ作者でも楽器の形や雰囲気がバラバラの人が多いです。そりゃ何十年もやっていれば毎回全く同じということは無いですが、いつも同じ形の人もいるし、バラバラの人もいます。形は同じでもニスの色が違ったりします。
たまたま自分が知っている楽器をその作者の特徴だと思っているだけかもしれません。作者の方は気まぐれで適当に作っていただけかもしれません。

間違ったイメージによる弊害の方がはるかに大きいでしょう。

私がアマティを美しいと言っても、私はコピーとしてしか同じ形のものを作れません。私が理想を追求し自由にデザインしてアマティと同じものに行き着くとは思えません。

私が美しいと思う感覚と完全に一致しているわけではないからです。本音を言うとアマティには「変だなあ」と思う部分もたくさんあるんです。アマティのおもしろい所はカーブには非常にこだわりを持っていて夢中になりすぎて全体のバランスは不自然だったりするのです。本人は不自然さに気づいていなかったでしょうから、すでに気付いてしまっている私には同じ物を創造することはできません。
ストラディバリはそれが自然に感じられます。そのことは音にも影響があるでしょう。

シュタイナーもこだわりが強すぎる所があります。
もうちょっと適当に作っている方が音響的に有利なのかもしれません。

ストラディバリは長年たくさんヴァイオリンを作って行った中で、こだわりが取れて自然なものができるようになっていったように見えます。

一方で現代の我々はあまりにもストラディバリを基本とし過ぎたせいで他のものが不自然に見えるのかもしれません。少なくともストラディバリを知ってしまうとアマティのようなものはデザインできないのです。

とはいえその差はわずかで一般の人には見分けられません。
基本的にはヴァイオリンはみな同じ形で、我々には知りえない様々な事情によってその人の特徴ができています。同じものだからこそわずかな違いが表れるのです。

変わった形のヴァイオリンはそんなことを考えさせます。














こんにちはガリッポです。

私も20年くらい働いていますから日々いろいろなことを目の当たりにしています。私も最初に思っていたイメージは実際とはかけ離れていたことがたくさんあります。10年くらいでも多くの発見がありました。
私のできる経験は限られていますが、それでも勤め先は幅広くいろいろな業務を行っているので広く浅く知ることもできます。自分の楽器作りではディープな研究もやっています。

これが偉い師匠の工房なら、師匠の考え方に染まってしまって現実が見えなくなるかもしれませんし、日本のように営業出身の経営者の弦楽器店なら「お金になる楽器」の考え方に染まってしまうかもしれません。

幸いバランスよく経験することができています。最高の環境ではないでしょうが、職人の中ではとても恵まれている方だと思います。


お客さんは個性的でいろいろな人がいます。音楽家は私たち技術者とは頭の仕組みが違うんじゃないかと思うこともしばしばです。才能豊かな人ほど「天然」というような人は珍しくないです。いちいち驚いていたらやってられません。

その中で特に音楽家は音に興味が強くて、それ以外のことは全く訳が分かっていないのが普通です。それでも自身の楽器について幸運な人と不運な人がいます。

品質の違いは一般の人にははっきり言って分からないです。
職人から見て見事な楽器を持っている人でも、見分けはついていません。
たまたまそういう物を買っただけで、わかって買ったわけではないのです。
見事な楽器を持っていて、工房内にある粗悪品の楽器を見ても「これは、美しい楽器だ」ととんちんかんなことを言っています。

職人として修業する中で目を鍛えていく訓練をしていないと、何十年弦楽器を見ても見えないです。私たちからすれば弦楽器店の営業マンや経営者でもぜんぜん分かっていないと思います。だから品ぞろえのセンスが私たちとは違うのです。
職人の修行をしない限り、品質は分からないので分かろうとしない方が良いと思います。

「品質」という言い方をするのは「美しさ」とはまた違うからです。
美しいというのは心で感じるものなので客観的には言えません。それに対して品質はまだ規則性があります。接着面は段差や隙間ないこと、表面にデコボコやゆがみが無いこと、標準化された寸法通りであること、ニスはムラなく均一に塗られていることなど職人の間では多くの人が共有できます。
このようなものを英語では「クリーン」な仕事と言います。日本語ではきれいと言えるでしょう。整理整頓ができて掃除が行き届いている状態のようなことです。
これに対して「ビューティフル」と言うはずですが、商人が好んで使う言葉で値段の高さと混同されて使われます。英語で語られるものは商人目線で胡散臭いものが多いです。


それでも品質を全く理解していない職人は多いです。まともな教育を受けていなかったり、厳しい修行に耐えられなかったりします。職人の半分くらいは理解できるでしょうか?・・・・ひどい仕事の楽器が多いことからすれば半分なんてとてもじゃないかもしれません。せいぜい2~3割くらいかな?
それに対して「美しさ」を理解できる人はずっと少ないです。
ストラディバリやアマティを見ると品質は完璧ではありません。しかし美しいのです。これは何なんだろうというのが私がずっと取り組んでいることです。私個人の趣味というもので客観的には言えません。


うちの見習の職人でも子供のころからヴァイオリンを習っていて、何年も修行しています。私に教わるまでは品質も美しさも何も見えていなかったです。一つ一つの作業工程で始めたときは私が説明してもちんぷんかんぷんだったのが、終わりになると「美しい!」と感動しています。自分が作ったもので感動するのは楽しいことです。アマティがなぜ美しい楽器を作ったかは本人に聞かないとわからないでしょうが、作業の中で美しさが生まれると楽しいのです。フランスの楽器もオールド楽器の美しさを研究してさらに品質を高めています。生産国に関わらず美しさを分かっている人かどうか私にはわかります。
私は理屈っぽい人間かもしれませんが、複製作りを通して美しさを生み出す喜びをアマティに教わっているのです。感情表現はしませんがだれよりも感動しているようです。普通の職業は給料をもらって喜びを感じるかもしれませんが職人は全く違う喜びがあります。腕の良い職人を雇うなら報酬体系は全く変えないといけません。
しかし、見習がそこに行くまでは簡単ではなく悪戦苦闘して私の言っていることの意味が分かるのです。一般の人がいくらよく見ているつもりでも、私たちからすればそれは視界に入っているというくらいです。


このため私が作ったものの品質の良さをお客さんが分からないのは当たり前のことです。そのことを何も気にしません。すでに楽しんだのですから。

私は好きなもを作りたいです。お客さんにすべてわかってもらえるとは思っていません。それでもハートに訴えかけるものが無いとは思いません。
逆に言えば究極的な目標は職人同士で評価されるだけでなくて、一般の人にも伝わればもっと良いと思います。意外にもマニアのような男性よりも何も詳しくない女性の方が「まあ、美しい!」と分かったりします。私の楽器の愛好者には女性も少なくありません。特にマニアでも何でもないです。何かを感じるみたいです。

だから「俺はものの風雅というものが分かるんだ」とプライドは持たない方が良いと思います。私からするとそういう空気を出している人はその時点でダメだなと思います。センスが悪いなあという変なものを買ってしまいます。失礼な言い方ですが、「ただのおばさん」の方がセンスがあると感じることがあります。

私はそういうのはとっくに卒業しています。古い名器をたくさん見ているとそういう物では無いんです。頭で考えるのはやめて素直に感じて欲しいのです。


職人の方も「良いものは職人にしかわからない」と一般の人を無視するのは良くないと思います。こういうことを内輪でやっているから音が良くない楽器ができるのです。私が反省していることです。


私はこのブログでは、こういうものが良い楽器ですよとか、音が良いというのはこういうことですよとは言っていません。バラバラないろいろなものを紹介しています。日本では珍しいであろう物も紹介しています。日本でよく売られているものは紹介する意味はありません。こんなものもあるし、こんなものもあると条件を絞っていないで広げています。

それで何が良い楽器なのか、良い音なのかは自分で判断して欲しいです。
答えは教えません。答えを教えられたら面白くないでしょう。
お前はそういうけどちっとも良いとは思わないと意見が合わないのは日常茶飯事です。
自分の作った楽器にどの弦を張ろうかと悩むわけです。悩んで選んだ弦を「この弦は私は好きではない」と言われるのはいつものことです。
だからもう悩むのはやめてオブリガートを張っています。オブリガートはヨーロッパでは最も一般的な高級弦だからです。


私自身も答えは決めていません。だから何十年やっても面白いのです。
何事も入門時に学ぶ知識というのは確固たるものに見えるものです。初心者を対象にする先生は非常に自信に満ちています。それはあまり知らないからです。多くのことを知りすぎると自信が無くなって初心者に教えるのは難しくなります。初心者向けの知識を学んだばかりの人が先生に向いているのです。その先生はそこで成長が止まっています。

日本でも弦楽器の知識を得るのは難しいです。あまり言いたくはありませんが『サラサーテ』という雑誌は見ない方が良いと思います。間違ったことばかり書いてあるとは言いませんが、あれを初心者が見たら完全に勘違いしています。出版社の人も悪気があるとは思いません。単に知らないのです。読めば読むほど弦楽器の理解から遠のいていくでしょう。

変な予備知識を持つよりも何も知らないで、作者名を伏せて試奏して楽器を選ぶ方がよほどましです。こちらのお客さんはほとんどそうです。ウンチクは日本特有のものです。日本人はものすごくウンチクを気にします。




さて、コロナもちょっと落ち着いてきて、お客さんが急に増えています。
この前のチェロの話ですが、結局お客さんは西ドイツの80年代のチェロを選びました。一番安いものを選んだのですが、うちの師匠は高いものを買うように仕向けたりは一切していませんでした。
日本企業のように営業に努力をしてないだけだと思います。
広告や営業に努力しすぎると消費者が損することになります。ヨーロッパの人はやる気が無いだけです。


それから前回ヴァイデマンのヴァイオリンの修理が終わったことを書きましたが、さっそく試奏に駆り出されました。

うちの工房内ではさらに前に紹介したチェコのクリーシュが好評で、私も非常に感心しました。
ところが若い学生さんに貸したところ、ヴァイデマンの方を絶賛していました。クリーシュの方はもう一つだそうです。
クリーシュはとてもよく鳴って高音も柔らかいので我々の好みですが、学生さんは違う好みを持っていました。ヴァイデマンをちゃんと鳴らすことができたようですし、エヴァピラッチゴールドの弦も機能したようです。

私たちの同僚の間でも意見は分かれることもありますし、今回のように一致してもお客さんは全然違ったりします。別のお客さんならまた違うものです。

だから我々がその楽器の音をどう思うかなんてのは大事ではないのです。
ブログで私の感想を書いてもしょうがないのですけども・・・。音響的な意味で特徴を言っているだけです。


もう一つは相当経済水準の低い国の出身の人なのでしょう、25~70万円くらいでヴァイオリンを探している人がお店に来ました。演奏を聴いたら驚いたものです。CDや演奏会でお馴染みのヴァイオリンの名曲をたどたどしさなどは一切なく次々と弾いていくのです。25万円のヴァイオリンを弾くような人では無いです。
そのレベルのヴァイオリンでも自分が祖国で使っていたものよりはずっと良いのでしょう。
結局この前紹介したドイツのオールドヴァイオリンも最終選考に残っていました。弾ける人が弾けばあんなマルクノイキルヒェンの楽器でもオールド楽器ならではの良さが引き出せるのでしょう。
アーチもぷっくらと膨らんでいて、オールド楽器らしいものです。スクロールがオリジナルでないために値段も安めなので対象になったというわけです。
世界中から集まって来るのでこういうことがあります。

私は何となく良さそうだと思うものを紹介してますから勘もそんなに外れていないのです。壊れていたり弦も張っていない状態で楽器の作りを見て判断しています。
感覚的なものなので一般の人はただ楽器を弾いて音が気に入ったものを選ぶしかないです。私でも音は弾くまでわかりませんから。ただし音のキャラクターがどっちに転んでも好きな人がいるかもしれないので楽器の基本的な作りが良ければ良いのです。


良い楽器や悪い楽器の条件を定めるのは難しいです。今回もまさにそんな楽器です。

アルフォンソ・デッラ・コルテのヴァイオリン


ついこの前、ヨーロッパではオールドの時代から各地に伝わっていた作風が、フランス風のモダンヴァイオリンにとってかわられたという話をしたばかりです。

しかし、そうでないものもあるんです。
何かを言うと必ず例外があるもので、最初に基本的な知識を知ることで例外というものが理解できると思います。


これは今回紹介するのはナポリで作られたヴァイオリンです。

はじめに説明すると、19世紀にフランスでモダン楽器の製法が確立してヨーロッパ中に広まりましたが、時間差があります。なかなか伝わらなかったところもあるのです。それが今回のナポリです。

ナポリはガリアーノ家がオールドの時代から続き一派を形成していました。
初期のものはアマティの影響が強いものでした。品質は様々で低品質なものも多くありました。音は必ずしも品質と一致せず、適当に作ってあるのに音が良いものもあるし、室内楽的なものもあります。

バロック時代にはナポリ自体はスペインの支配下にあって領主によって歌が好まれ、オペラ・ブッファが発達したところです。古典派の音楽の先駆けにもなりました。ジョバンニ・バティスタ・ペルゴレージのシンフォニアなどを聞けばバロックと古典派の間の作風のように思います。

音楽が盛んな場所では楽器の需要もあるはずですが、ガリアーノ家などが需要に応えるために安上がりのものを量産していたようです。
中にはとても美しいものもありアマティの影響がはっきりと表れています。ストラディバリに似てると思うようなものもあります。そのためかつてはストラディバリの弟子と言われていましたが、アマティの特徴のほうが強いように思います。商人は何でもストラディバリの弟子にしてしまいます。
実際には適当に作られたようなガリアーノが多いです。当時は安い値段で売られていたスチューデントヴァイオリンでしょう。
ドイツ出身の職人もガリアーノ工房で働いており、南ドイツの雰囲気のスクロールがついているものがあります。私は最初ニセモノかと思いましたが、背景を知れば納得です。


さて今回のヴァイオリンです。

アルフォンソ・デッラ・コルテが1882年にナポリで作ったヴァイオリンです。ヴァイオリンの世界では「新しい」ものです。生年没年は諸説あってよくわかりません。1800年代の前半に生まれて1800年代の終わりに亡くなったようです。このヴァイオリンは亡くなる時期に近いものです。生まれた年が分からないのでどれだけ歳をとっていたのかはわかりません。

写真ではわかりにくい部分もありますが、平面の写真でも形が完璧に整っていないのは分かります。


楽器をパッと見た瞬間にフランス風のモダン楽器とは全く違うという印象を受けます。アーチはボコボコで上下も左右も非対称です。


スクロールは素朴なものでアマティやストラディバリの繊細な美しさは無く無神経に作られています。

渦巻の全面の溝は奥まで彫られていません。これは安価な量産品に見られる特徴です。

ここも隅まできちっと彫っておらずザクセンの大量生産品の特徴と同じです。

f字孔やコーナー、パフリングなども完璧に整っているとは言えません。うちの新人でももっと整っています。


f字孔もアマティやストラディバリではこんなことはありません。コーナーのパフリングのラインも合わせ目もアバウトで品質が高いとは言えません。

横板と裏板の形が合っていないです。オーバーハングと言われる裏板のはみ出している部分がバラバラです。コーナーは全然合っていないです。

形もいびつで左右は非対称、アッパーバウツの一番広い所からコーナーに向かっていく輪郭のS字のカーブが滑らかで自然なカーブになっていません。コーナーも無造作です。

一見してとても無造作に作られているヴァイオリンだということが分かります。モダン楽器の時代にはフランスで品質が高い楽器が理想とされました。その考え方が全く輸入されていないようです。

とても武骨で素朴な楽器です。神経の細やかさや仕事の丁寧さは全く感じません。美しいものを作りたいという気持ちが無いようです。「ただヴァイオリンを作っただけ」のようです。

表板のアーチはガリアーノ家の面影を感じるものでボコッと盛り上がり横から見ると上が平らになっています。これはガリアーノでも問題で駒のところが陥没しやすいのです。1882年のヴァイオリンにしてはくたびれて見えます。仕事の粗さでそう見えます。きちっと作られているとこの位の時代のものなら新品のようにピシッとして見えます。

モダン楽器で良しとされた「クリーンさ」が無いのです。考え方が輸入されなかったのでしょう。当時のヨーロッパではモダン楽器のほうが先進的な進んだオシャレなものだと考えられていたはずです。それに比べるとこれは田舎臭い素朴な楽器です。
それをイタリアらしいと表現することもできますが、素朴な楽器はどこの国でもあります。まともに修行してないとそうなります。

この楽器が珍しいのはガリアーノ家のナポリの「名残がある」点です。「伝統を受け継いでいる」という表現は難しいと思います。やはりオールド楽器と同じものだという感じはしません。惰性で何となく続いてきたという感じがします。だから「名残がある」と言いたいと思います。このようなものは珍しくはっきりした特徴があるので「本物のデラ・コルテ」と鑑定されるものです。

しかしアマティやストラディバリ、初期のガリアーノの本当に美しい楽器とは全く違います。ガリアーノでも特に品質の悪いものに似ています。

ガリアーノは品質の悪いものでも音は良いものがあります。さすがにオールドヴァイオリンというものでよくあるようなモダン楽器や現代の楽器とは全く別のものです。適当に作ってあるのにモダン楽器とは別の次元の音の楽器があります。

そういう楽器を目の当たりにすると品質なんてどうでも良いということを知ることができます。

適当に作ってあるけども、アマティの基礎があるのが初期のガリアーノ家の楽器です。それがだんだんアマティの基礎が薄くなっていきます。これなどはアマティの雰囲気は残っていません。

寸法と値段

例によって寸法や板の厚みを測ってみました。

厚みは仕事の粗さがばらつきに現れています。しかし全体としては薄めに作られています。このため私は適当に作ってあるけど音には問題のないレベルだと思います。
横幅も極端に窮屈ではなくアーチもやや高めではありますが、オールドのガリアーノなどに比べればそれほど高くもありません。

横板の厚みはこの楽器では薄すぎて測定できませんでした。0.8mmくらいでしょう。

弾く前の時点で音については全く予想ができません。でも特に著しく悪い所はないので良い音がしてもおかしくないなと思います。こういう雑に作られた楽器には鳴りっぷりの良いものがありますし、持ち主もヴァイオリン教師でよく弾き込んでいるので鳴ったとしてもおかしくありません。

お値段は現在の相場が最高で800万円くらいです。800万円で品質は並以下です。どんな音がするのでしょうか?

気になる音は?


今回は指板を削り直し、ニスの手入れをして磨き上げただけです。メンテナンスが終って音を出し見ます。

とても強い音でよく鳴ります。ヴァイオリン教師の方が長年使っているものなのでそれは納得です。ガサガサしたような嫌な感じではないけども相当鋭い高音を持っています。キーンと突き刺さるような音です。
板の薄さからくるように低音が強いバランスの暗い暖色系の音です。高音は細くて耳に突き刺さります。

よく鳴るという点では音が良いといえます。しかしこのような音はフランスのモダン楽器でもあるし、ミルクールのものでもあります。鳴らないよりは鳴る方が良いですが、「鳴るだけ」の楽器に800万円はどうかと思います。
フランスの楽器のように品質が良く丁寧に作られたものでも、このように粗雑に作られたものでも似たような音がすることがあります。だから品質は音と関係ないと言っています。

鋭くて鳴る楽器はどの流派のモダン楽器にもありますが、この楽器はキャラクターが特に極端です。大胆な作風がそうさせているのかなんて考えたりもします。
ガサツな人が作ったら荒々しい音になって、繊細な人が作ったらきめ細かい音になるのでしょうか?わかりません。
本人をよく知らないと性格が分かりません。荒い楽器を作る人は人格はむしろ明るくて感じの良い人かもしれません。つまり気難しい職人タイプでは無くて普通の人なのです。楽器は音楽のための道具だと当たり前の理解をしているのです。これが職人タイプはそれ以上のものを作ろうという頭のおかしな人たちです。


ガリアーノはイタリアのオールドの中ではわりとよくあるもので私もいくつか知っています。それとは全然違う音です。何の類似点も感じません。見た目にガリアーノの様な雰囲気は残っているのですが音には特別な共通点が無いですね。

それどころか「イタリアの音」というのも私にはわかりません。似たような音のものは他の国のものにもいくらでもありますし、他のイタリアの楽器はそれぞれ違う音がします。

800万円という値段

適当に作られた楽器ですが、だまそうという意図は感じません。量産品なら外はきれいに作ってあるのに中は汚いものです。これは外も汚いですから。

この楽器はモダン以降に適当に作ってあるものとは雰囲気が違います。そのようなものはオールド楽器の偽造ラベルが貼られてインチキ臭い楽器として出回っています。それを見ても一瞬で私はオールド楽器では無いとわかります。基礎が違うからです。
それに対してこの楽器はモダン楽器の基礎が入っていないので独特な雰囲気があります。しかしアマティの時代の雰囲気とはまた違います。「名残がある」と私は考えています。

そういうはっきりした特徴があるので鑑定士も本物と言えるのです。

問題は値段です。800万円でこの音だと私は他にもっとあるんじゃないかと思います。この前のオランダのヤコブスのヴァイオリンなら本当のオールド楽器です。やかましいだけのモダン楽器とは全然音が違います。
150万円もしないクリンゲンタールのホプフでももっとオールドらしい音がします。

800万円の予算で弾き比べてこの楽器を選べるのかと疑問に思います。

なぜこんなことになってしまうか一つは、値上がりがあります。
1990年代の前半なら200~300万円くらいでした。そのくらいの値段なら新作楽器よりもはるかによく鳴るこの楽器は優れたものと言えたかもしれません。オールドの雰囲気を受け継ぐイタリアの楽器というイメージを含めてもそれくらいの値段なら納得できるでしょう。
これが800万円にもなってしまうとさすがに「800万円でこの程度の音?」となってしまいます。これは作者には罪はありません。100年以上後の話ですから。
ただ本人は素朴な楽器を作っていただけです。美しいものを作ろうという意図は全く感じません。ただヴァイオリンを作っていただけです。

持ち主はずっと前から持っていてうちで修理をした15年前に保険を申請してそのままでした。当時の評価額は380万円ほどでした。これでは何かあったときに十分補償されないので保険の評価額を倍にしないといけません。
本人はそんなに値上がりしていることを知りませんでした。自分では400万円弱のヴァイオリンを持っていると思っていて、今回800万円のヴァイオリンだと知ることになったのです。

15年間で値段が倍になりましたが音は倍良くなったでしょうか?すでに100年以上経っている楽器ですから劇的に音が良くなるはずはないです。これは金融危機以降、投機対象になったからです。特にイタリアのモダン楽器は値上がりが著しいものです。他の国のオールド、モダン楽器は値上がりがゆっくりだったり、全く上がっていなかったりします。そのためこのようなヴァイオリンに追い抜かれたこともあるでしょう。

値段なんていうものは楽器の価値を正しく評価しているとは考えない方が良いです。

建築物でも南欧の田舎の納屋みたいな無骨なものは雰囲気があって良いです。この楽器もそんな感じです。ただ武骨で素朴な田舎風のものに800万円は笑ってしまいます。

値段、品質、音それぞれが滅茶苦茶な楽器でした。でも実際にイタリアのオールド楽器には美しく作ろうなんて気が一切ない適当に作られた楽器でも音がモダンとは別次元の楽器があります。そういう物を目の当たりにすれば考え方を変えないといけません。

それができる職人も少ないのは事実です。だから本当のオールド楽器のようなものは作れないのです。


私がなぜ美しいものを作るかと言えばそれは楽しいからです。特に高いアーチの楽器を作るのは楽しいです。作っていてニコニコしています。でも需要としてはモダン楽器のようなフラットなものもあります。学生さんには演奏を勉強するためのヴィオリンとして良いと思います。
それを後輩に押し付けて自分は楽しい仕事をしようというわけです。ひどいパワハラです。

まあ実際オールド楽器のようなものはとても難しいので初心者には無理です。だから教科書通りのモダン楽器を作るのは今の段階で良い訓練だと思います。実際に教科書通りに作られたモダン楽器がちゃんと良い音がしますからお手本として正しいです。それがもっと滅茶苦茶なオールド楽器に音が良いものあって学んだ理論なんて全部否定されるのです。

これが弦楽器のおもしろい所です。

こんにちはガリッポです。

音が良いとか悪いと口で言っても共通理解を得るのは難しいものです。
私が音が良いと言う時はどれくらいのことを言っているのかを説明しましょう。

お客さんがやってきて気に入ったものを買うというのが商店では普通でしょう。
弦楽器も同じです。
そうなるとたった一人その楽器を気に入る人が現れれば良いわけです。それ以上欲しい人がいても二つと同じものはありません。

一人でも気に入る人が現れれば「音が良い」のです。
たった一人と思うかもしれませんが、その一人が大切なお客さんではないでしょうか?
一人でも数ある楽器の中から選ばれるのは簡単ではありません。独りよがりの楽器作りをしていたら通用しません。

そりゃお店の効率を重視するなら同じ製品を大量に仕入れて、お客さんには自分で選ぶ自由を与えない方が良いでしょう。それで不満を持っている人が多くいるのです。


お客さんの楽器選びを見ていると、人によってかなり違うことが分かります。
お客さんの方はそんなことは分からないと思います。自分はまっとうなものを選んでいると思っています。

まず人によって試奏で弾く曲が全然違います。
たまたまその曲を練習しているからというのもあるでしょうが、楽器がこう鳴ってほしいというこだわりがそこにはあります。

まず基本的には「鳴る」ということです。
10本ヴァイオリンを並べて中によく鳴る楽器があれば「おおおお!これは良いなあ」と普通は思います。そのようなものが選ばれるのは普通でしょう。

それに対して「美しさ」は主観的なものです。人によってはすごく感じるし、人によっては気にも留めないというものです。素晴らしい音楽が流れていても、感動する人もいれば、聞き流している人もいます、それと同じです。
音が大きければ聞き流す人は少なくなるでしょうが、やかましいとは紙一重です。


これならおそらく買う人がいずれ現れるだろうと思えば「音が良い」と考えます。とりあえず鳴りさえすればその時点で音が良い楽器と言えます。


私自身が100%気に入っているかどうかで言っていません。音が良いと言っても私自身が気に入っているとは限りません。「こんな音の楽器があるよ、試してみては?」というだけです。試してみれば自分の好みでないということはあり得ます。嘘つきやがってと思わないでください。

それに対して、鳴ればいいってもんじゃないという人もいるでしょうし、どんな楽器でも鳴らしてしまう人もいます。そうなると全く違う楽器が選ばれます。そのようなものも結果として演奏者の感性とマッチすれば良い音が出ます。

また学生さんが基本から楽器演奏を勉強したいとなれば、あまり偏ったものや気難しいものはお薦めしません。一方趣味でそんなに上達するつもりもないけど楽しみたいというのであれば、楽器自体がすでに美しい音を持っているものなら美しさを堪能できますし不快感が少ないと思います。

全てを兼ね備えたものが欲しいと思えばとても難しいでしょう。そのような最高なものが欲しいなら少なくとも1億円は工面してください。
現実には皆予算には限界があって、その中でいかに良い楽器が買えるかが重要になると思います。お金なんていくらかかっても良いという人は世界の高級店に行ってください。それでも実際に音が良い楽器はすでに演奏者が手放さないので買えるかはわかりません。


読者の方にはいろいろな経験をされてきた人がいるでしょう。
特に理解が難しいのは理系的な発想の人です。
弦楽器は現代の科学技術とは異なる時代の考え方で作られました。私はどちらかというと料理や、食品加工、つまり食文化に近いように思います。
よく「こんにゃくなんてどうやって思いついたんだ?」と言われますがそんな感じです。

また頭からすっぽり抜けているのは商業です。
あるメーカーの製品が高性能にできているのは、技術者の情熱の詰まった技術力だと思うかもしれません。しかし、大手企業に比べて知名度や営業力が劣るとなかなか売れません。高性能なものならマニアックな理系趣味の人たちが認めてくれるわけです。メーカーのポリシーだとかそういう問題ではなく高性能でないと誰も買ってくれないということです。
マニアたちがこれは良い製品だと絶賛しているのに、実際の販売数は僅かだったりします。一般の人は何とも思っていないからです。オーバースペックと言われることがあります。そのような性能は実用上は要らないのです。

商品は買う人の好みに合ったものじゃないと売れません。
それがマーケティングの概念です。

また時代というのもあるでしょう。
私はバブルの時代は小学生で僅かに記憶にあるだけです。中高生の多感の時期は「不況」「不況」と言われて育ってきました。ものが余って売れなくなりました。

物が不足している時代は作れば作るほど売れていくわけです。今ではお客さんは自分が主体で気に入るかどうかで選ばれます。気に入らなければ買わないというわけです。そのような考え方が染みつくと、高級品になるとより自分の好みに合っているかが厳しく評価されるでしょう。かつては高級品というだけであこがれの対象だったはずです。「一流品」と信じられていれば自分の好みなんて考えなかったのです。様々なウンチクが語られ、自分では精通して物の良し悪しが分かるつもりだったのでしょうが、通を気取ること自体が何者かに踊らされています。ウンチクなんかよりも自分が好きかどうかが重要なのです。

これがバブルと前と後で著しく変化した部分だと思います。
つまり「消費者が選んだものが良いもの」というわけです。

日本ではアパレル業が不況だと言ってバブルのころに繁栄した企業が倒産したりしています。これに対してユニクロが一人勝ちなのですが、このような考え方の逆転があると思います。業績が悪化している企業は未だに上から目線でやっています。
東京都心の一部の人の感覚に日本中の人が憧れていると思い上がっていて、そんなのはどうでもよくて暮らしやすければいいと考えている多くの人は見えていません。

消費者が選んだものが良いものというと疑問を持つ人もいるでしょう。マクドナルドのハンバーガーが世界一おいしい食べ物かという反論です。多数決を言っているのではなくてあなたが好きなものが良いものです。

このとき問題は、「素人の自分なんかには選べない」と自信が持てないことです。専門家に「これは良いものだ」と言ってもらいたいのです。
でもそれをやっているといくらお金があっても足りません。業者はどんどん高いものを薦めてくるでしょう。特にヨーロッパでは相手を信用したら負けです。
企業の不祥事で「信頼を失った」なんて日本のニュースを見れば、「信用なんてしてはダメだよ」と海外に住んでいると思います。


職人として言えることは、品質が高いものは作るのに時間がかかるので生産コストが高くなる事、そのため高級品だということです。作業時間を短縮する方法で作ってあるものは高級品ではありません。値段は品質が高い物の方が高く、品質の悪いものは安くなります。もちろん短時間で高品質なものを作れれば、その能力で多く収入が得られるのは当然です。ヘタクソで製造に時間がかかったものを高級品とは言えません。

職人としては品質が高いものを「これは良いものです」と言うことができます。しかし音については品質には比例しません。音に関係のない部分にコストがかかっているからでもあります。
それ以前に音の仕組みは解明されておらず弾いてみないとわかりません。音が良いか悪いかの専門家ではないのです(自分の意見はあるでしょうが)。
しかし安物を高級品の値段で売っていればすぐに気付きます。それについてはおかしいと指摘します。普通の才能の人が作ったものを「天才」と言って売っていればおかしいと指摘します。


一方、戦前くらいまでの作者であれば取引相場というものがあります。これはオークションなどの結果に基づいて決まっているのであって、音を測って値段を付けているわけではありません。音の量り売りはありません。
知名度がとても大きく影響します。しかし弦楽器というのは新しい発明品ではないので特定の人だけが作れるものではありません。特定の人のものだけがずば抜けて優れているとは考えない方が良いでしょう。どこの誰が作ったものに音が良いものがあるかはわからず、調べられてもいません。あらゆる作者の楽器をくまなく調べて格付けをしている国際機関はありません。知られていない作者にも音が良い楽器がある可能性があり、値段はずっと安いのです。そのようなものを当ブログでは好んで紹介しています。
古い時代になれば流派によって作風も大きく違いますし、個人差も大きいですが、近代以降はどれも似たようなものばかりですから、ますます分かりません。


マーケティングについてイメージしやすいのはアイス屋さんです。
アイス屋さんに行くとたいてい10~20種類くらいはありますかね?
でも売れるのはほとんどがバニラ、チョコ、イチゴ味です。

もし和服を着て銀髪オールバックで中国風のペンネームを名乗る人が「アイスはバニラに限る!それ以外は邪道だ!」と言っていたら「アイスなんて好きなものを食べればいいだろう」と皆さんは思うでしょう。ヴァイオリンも全く同じです。

今まで一度もアイスクリームを食べたことが無い人がいて迷っていたら「とりあえずバニラ味を食べてみたらどうですか?」と薦めるでしょう。しかしバニラ以外は邪道だとは考えていません。「またバニラ味か」と飽きてしまったら他のものも食べれば良いです。

お店としてはそんな客の要望にもこたえるようにいろいろな種類ものを取り揃えています。「バニラ一本で勝負するのが志が高い店だ!」と考えているのなら好きにしてください。
多くの種類の中から好きなものを選んだというプロセスも満足感につながります。
店としては仮にバニラ、チョコ、イチゴ味ばかりしか売れなくても店頭には揃えておく必要があります。
アイスマニアならすべての味を試した上でで結論付けるかもしれません。それが精通したということで「アイスはバニラに限る」とそれ以外を食べたことがないのは詳しい人とは言えません。

そういう権威主義の頑固な石頭に対して、若い世代は反感を持ちます。これに対抗するため〇〇産の最高級の材料を用い、独特な食感を作り上げるために長年苦労して編み出した方法で作られたこれのほうがおいしい・・・・というのがウンチク重視のバブル時代です。権威主義に対抗するために強い理屈が必要だったのでしょう。
今はそんな必要もなく自分がおいしいと思えば何でも良いと考える人がようやく市民権を得ようとしているのではないでしょうか。

ちなみにヨーロッパに来てバニラアイスの味が日本と全然違うことに驚きました。
最初は違和感が強くて嫌でした。しかし慣れてくると今度は日本のものが物足りなく感じます。こちらのほうがはるかにバニラの風味が強いものです。バニラは植物の豆の部分です。
乳製品はさすがにヨーロッパのものはおいしく感じます。砂糖と乳脂肪分がたっぷり入っておいしいのは当たり前です。それに強いバニラの風味もあっておいしく感じます。しかし毎日食べていると体がおかしくなってしまうでしょう。かき氷のほうが本当に暑いときはさっぱりしています。

これは慣れの問題で最初は変だったのが慣れたらそれがおいしく感じるわけですから不思議なものです。
楽器の音をどう感じるかも経験が作用するのは間違いないでしょう。日本では歴史が浅いので量産品も新品のものが多いはずです。ヨーロッパでは物置から出てきた古い楽器を修理して使うことが多いです。ミルクールでは19世紀後半、マルクノイキルヒェンでは戦前にものすごくたくさんの楽器が作られました。そのようなものに慣れていると新しい楽器には違和感を感じるでしょう。日本ではその逆に新しい楽器が普通なら古い楽器の音はくすんで感じるかもしれません。

ビオラは古いものを入手するのが難しいです、作られた数が少なくサイズがしっくりこないからです。ある人は新作のビオラを使っていて、カルテットで他のメンバーが古い楽器を使っているので自分だけ浮いてしまうと私が作ったビオラに買い換えました。日本なら逆のことになるかもしれません。人間はやはり周囲には影響されるものです。お店に入ればお店の空気に飲まれてしまいます。
住宅も日本の家屋は伝統的に音を吸い込むようにできています。ヨーロッパではとてもよく響きます。人々に染み付いた感覚も違うことでしょう。

純粋に音だけで選んでも日本とヨーロッパで違うものが選ばれるのは当然です。それをとやかく言うつもりはありません。逆に言うと「世界最高の音」なんてのは無いのです。「世界的に評価が高い作者」の楽器が東京に売っていたとします。ヨーロッパの田舎の人たちは試しに弾いても全く興味を持たないかもしれません。そもそも世界的に評価が高い作者のものが何で優先的に東京にあるのか不思議です。東京の業者しか買っていないと考えたほうが自然でしょう。


こんな話をブログではずっとしてきています。ユーモアなども混ぜて皮肉たっぷりにやっていますから、頭が固いと意味が分からないかもしれません。そのあたりも諸刃の剣です。弦楽器についてよく理解するには頭を柔らかくしてほしいと思います。

その結果好きな音の楽器を選んだなら何を選んでも文句はありません。


リヒャルト・ヴァイデマンのヴァイオリン


以前紹介したヴァイデマンのヴァイオリンの修理が終わりました。

傷んでいたコーナーを直して付属部品を交換しニスを補修したのが主な内容です。

ニスはほとんど色が無いようなものですが、木材自体が古くなっているので黄金色になっています。ニスの黒っぽい所は掃除したら取れて行きました。そのためアンティーク塗装としてつけられた汚れではなく天然の汚れのようです。しかしf字孔の周辺やエッジやコーナーの溝には汚れが取れきれずに残っています。人が人為的に描いたのとは違う自然なグラデーションがあります。私はダビンチのモナリザに見られる陰影の手法(スフマート)で描いたりしますが、他人の楽器ではほとんど見たことがありません。
100年くらい経った楽器では全体的にはきれいなので独特の雰囲気になります。フルバーニッシュで明るい色のニスでも顕著です。
これを描くのではなくて、汚れを付けては研磨して自然に再現できないか研究していますが、もう一つうまくいきません。やはり意図的に描くしかないようです。

裏板などのカエデ部分はステインの着色もあるでしょうが、黒くなりすぎずほど良い感じです。


ニス自体にはほとんど色がありません。
クリアーのニスがもともと塗ってあって場所によっては剥げて地肌がむき出しになっているところがあったので無色のニスで補っただけで済みました。簡単な方です。過去の修理ではオレンジのニスが塗られていて失敗しているところがあります。オレンジが強い、つまり赤すぎるというのはよくある失敗です。

アーチは全体的にモダン楽器らしいフラットめのものですが、特に駒のところが頂点に高くなっていて、それ以外のところは真っ平らになっています。フランスのモダン楽器でも見られる特徴で、ストラディバリとは違います。ストラディバリは上が平らになっています。

裏板も同様です。つまり裏と表が同じようなアーチになっているということです。これもフランス的です。

他の部分は以前紹介した記事を参照してください。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12670550990.html


板の厚みは裏板を見てみるとはっきりフランス的な特徴があります。中央だけが厚くなっていてそれ以外がごっそり薄くなっています。
表板は中央のf字孔の間は厚みがあります。フランスの楽器はどこも同じくらいの厚さになっているのが典型です。
それでもグラデーションと言うようなものではなく真ん中だけが厚くて他は同じような厚さになっています。

モダン楽器としては教科書通りのものと言えるでしょう。

お値段は?

値段はオークションなどによって相場が決まるという話でした。しかしこの作者も本で調べてもさほど有名ではなく生年没年が書いてあるだけだったりします。もうちょっと詳しい本でも記述はわずかで師匠の名前が出ていますが、その人も有名ではありません。
ドイツのヴァイオリン製作者協会が出したモダン楽器の本には楽器が出ています。最新の知見ではドイツのモダン作者を代表する作品ということでしょう。そちらは後の時代のオレンジ色のフルバーニッシュでいかにもドイツのモダン楽器という感じのものです。

いかにしてフランス風の作風を学んだのかもわかりません。またフランスの楽器に似せようという感じでもなく、基礎としてフランスの楽器製作があるという感じがします。

作者が(まだ)有名ではないため、値段の相場は出ていません。有名ではありませんが職人が見れば立派なモダン楽器であることは一目瞭然です。1886年製ということで19世紀のものとなるとよくあるドイツのモダン楽器よりもちょっと古いです。そのため貴重なものです。

値段を付けるのは難しいものです。商品としてオークションで特に注目されるタイプではありませんが、品物自体はよくできています。音響的な構造でもモダン楽器の基本どおりのものです。

このような楽器が知られていないのは勉強不足の人が多いということですね。
というよりもヴァイオリンというのはそういう物なんです。特定の人にしか作れないものではないのです。ちゃんと修行すれば十分なものができます。でも知られているのはそのうちごくわずかで人気が集中してバカバカしい値段になっています。何らかの関連のある作者なら粗悪なものでも値段が上がっています。

オークションのような市場原理で値段を付ければ100万円にも満たないかもしれません。でもこれはおかしいです。
現代の作者はそれよりも高い値段です。130年以上前に作られた見事な楽器が100万円もしないのなら、現代の職人はそれよりもずっと安い値段で売らないといけません。単純に音の出やすさなどでは全くかなわないからです。

したがって200万円くらいの値段を付けても高すぎるということは無いと思います。作者の名前がはっきりしていてドイツの一流のモダン作者の一人ということですから当たり前です。

オークションで買い手がつかなくても、店頭では十分可能性があると思います。オークションに参加する人と、演奏するために楽器を買う人は趣向が違うからです。

それでも東京のクレイジーな楽器相場に比べれば安いでしょう。

気になる音は?


師匠のチョイスでエヴァ・ピラッチ・ゴールドを張ったのですがこれがしっくりきません。そのためよくわからないです。

でもやはり豊かでボリューム感があります。音量があると感じるものです。自分で弾くと新作は線が細くてはっきりしたように聞こえますが、あたり一面が音で満たされるような感じがあります。
離れて聞いてもモダン楽器らしい堂々としたスケール感のある音がします。
「腹から声が出ている」という感じがします。今までそんな表現をしたことがありませんがこの楽器でも、一流のモダン楽器でもこの前見習が作った楽器でも、そんな表現が当てはまることに気づきました。板の薄さによるところがあるでしょう。
このため低音は深みがあり、中音域でも響きがあってバランスは整っていると思います。高音はやはり鋭さはあります。モダン楽器ではよくあるものです。好みの問題です。

ごくまともなモダン楽器だと思います。見た目も黄金色なら音も新作によくあるような明るい音とは違い、渋い味もあると思います。極端に癖も強くなくビックリするような個性的なものではありません。

ピラストロ社でもオブリガートやエヴァピラッチのころは新技術がはっきりと成果を上げていたようですが、最近は頭打ちのように思います。エヴァピラッチゴールドはオールド楽器で元気が無いようなものには合うのかもしれません。
チェロの弦はとても優秀なだけに残念です。

このように弦一つでも微妙なことになってしまうので、大雑把に全体的に見て潜在能力を把握しないといけません。細かいセッティングは使う人が詰めていく必要があります。

大雑把にとらえればまっとうで優秀なモダン楽器だと思います。
200万円という値段を考えれば間違いなく買って損が無いものです。しかし音はあくまで好みですから好きじゃないという人は買うべきではありません。
基本的な能力は備えていると思いますので、候補として十分良い楽器だとお薦めできると思います。

音大で学ぶような人は、このようなものをいくつか試奏して気に入ったものを選ぶというのがうちでは普通です。そういう立派な楽器です。

こんにちはガリッポです。

まずはチェロの試奏の様子から。
250万円くらいまでの予算でチェロを探す親子が来ました。すでにうちで販売した量産品を使って腕を磨いていてさらにもっと良い楽器を求めていました。

ドイツの戦後のマイスターのハンドメイドのものが3本、ミルクールの量産品が一本、西ドイツの80年代の量産品が一本、戦前のマルクノイキルヒェンのものが一本の6本が候補となりました。

まず最初に脱落したのがマイスターのハンドメイドのチェロ三本です。チェロ製作がとても難しいというのは作るだけでも、ものすごい労力がいるため音まではなかなか完成度が上がらないのです。それなら大量に作られたものの中から音が良いものを選んだ方が良いというのが現実です。かつては「マイスター作」というだけで売れたのですが今は音が良くないと売れません。

チェロは真剣に作ると時間がかかりすぎて貧困になってしまいますが、時間を短縮するためにちょっとした手抜きがあると全く売れもしないのですから困ったものです。戦後の楽器製作ではモダン楽器のノウハウが失われたというのもあると思います。私が再三指摘してきたことです。


量産品の三本は甲乙つけがたいものでした。ミルクールのものは金属的で鋭い音があります。ただし、今回のお客さんはあまり金属的な嫌な音は出ていませんでした。そのため十分使えるなという印象を受けました。ミルクールの中でも中級品くらいは十分あるでしょう。決してひどい安物ではありません。日本で買ったら300万円台では買えないかもしれません。

80年代のものはミッテンバルトのものですが、前に紹介したブーベンロイトのヴァイオリンと似たような感じのものです。板は薄めに作られて30年以上経っているのでとてもよく鳴ります。今回の中でも最も元気の良いものです。

最後のマルクノイキルヒェンのものは木材などは上等なものでわざとらしいイミテーションもなく黄金色の雰囲気の良いものです。私がフルレストアをしたもので板を薄くしました。

ミッテンバルトのものは現代の良いチェロという感じの音がします。この音ならハンドメイドの新作チェロでもめったにないと思います。板が薄いので低音から豊かな響きがあります。薄くても音が弱いことはなくかと言って高音でも鋭い音がするわけでもありません。とても優等生的に優れていると思います。もし古いものを知らなければ素晴らしい音です。他に新作しか店に無ければ抜群に良いと考えられるものです。

これに対してミルクールとマルクノイキルヒェンのものは憂いのある渋い枯れた音がします。ミルクールの方はバスバーを交換すればもうちょっと金属的な鋭さも和らぎ鈍さのある低音もシャキッとするでしょうが、売りに出している人がそんなことは理解していませんから残念なものです。
マルクノイキルヒェンのものは私が板を薄くし過ぎたかと後悔するほど低音が充実したもので高い方は控えめです。マルクノイキルヒェンの多くの楽器にあるような鋭い音ではなくだいぶマイルドです。しかし私が作るようなものに比べれば強さもあります。総合的には優秀なものだと思います。今回のお客さんは高音部でも豊かな音を出していましたのでネガティブな要素は目立っていません。

いずれにしても今回のお客さんはそれぞれの楽器の欠点があまり出ない様子でした。それだけに大いに悩んでいるようでした。


最終的にはミルクールのものは落選し、ミッテンバルトとマルクノイキルヒェンのものが選ばれました。
元気よく強い音がするのが80年代のもの、渋く枯れた音色で部屋いっぱいに音が響くのがマルクノイキルヒェンのものです。
私はフルレストアして理想的に改造したはずなのでマルクノイキルヒェンのものが良いと考えてしまいますが、実力は弾く人が決めます。どちらが選ばれるのでしょうか?


普通はハンドメイドの楽器のほうが格上だと考えられていますが、実際に音を出してみるとこんなものです。ミルクールも「フランスだから」なんてことも通用しません。私が改造したものももっと抜群に優れていて欲しいのものですがそこまでではありません。好き嫌いの範疇は超えられません。


あとは番外でドイツの戦前のハンドメイドの楽器も弾きました。音ははるかに柔らかく豊かで芳醇な音がします。低音にも豊かさや深みがあります。300万円を超えてしまうので予算オーバーです。ただそれが格上の楽器だからそうなのかと言えば、私が修理したのでわかっていますが、表板の材質がものすごい柔らかい物でした。表板を開けた後、放っておけば勝手に歪んできてしまうようなふにゃふにゃのものでした。作りが良いとか作者の狙いだとかというよりも、材質がふにゃふにゃなので柔らかく豊かな音となって、低音も出やすくなったのでしょう。たまたまじゃないかと思いますね。
新しいうちは音はずっと弱かったかもしれません。柔らかな豊かな音に強さが加わったのでしょうね。

このあたりは弾いてみないと全く分からない要素です。

私が作っても柔らかいだけで物足りないものか、新品みたいな音になるかどっちかでしょうね。何十年も弾けばミッテンバルトの様になるでしょうけども。

板を薄くしたマルクノイキルヒェンのものはちょっと柔らかくなりすぎた感じはあります。しかしそれでも板が厚すぎる戦後のマイスターのものよりははるかにましです。

見習が作るヴァイオリン

前から話しておりますがうちの職人の見習いがヴァイオリンを作らなくてはいけない課題があって、初めから相談を受けたのですが、個人的な思い入れの強い楽器を作るよりも客観的なものをぜひ作ってもらいたいと思いました。

我々職人では、客観的に俯瞰して物事を見れる人が本当に少ないのです。

皆さんも熱心な方ほど職人と同じで細かい所に意識が行き過ぎてどうでもいいことばかり考えているのです。何も知らないほうがましだと警告しています。

プロフェッショナルとして「分かっている」というのは客観視できることが大事だと思います。それが分かっていれば見習の職人はプロとして認められるのです。

修行の初めの段階は何もかも分かっていません。0.1㎜単位で指定された寸法に加工するので悪戦苦闘です。なぜその寸法になったのかなんてわからないですがそれだけで一生懸命です。教えている師匠の方も実は自分の師匠からそう教わっただけで意味は分かっていません。

だから細かいことが分かっているだけでは不十分なのです。


普通は現代ではポスターや本に出ているストラディバリの写真などを元に型を起こしてストラディバリを作った気になっているのですが、怪しいものです。
もっと前の世代では上質な印刷物は無く、工房ごとに代々伝わるストラディバリモデルがあったり、師匠が自分でデザインしたモデルがあったりしました。このため同じ流派の楽器はすぐにわかったのでした。流派ごとのストラディバリモデルというわけです。
私にはどの流派のストラディバリモデルかが重要なのですが、文献などでモダンの作者について書いてあるのは「クレモナの巨匠(ストラディバリのこと)をお手本にした・・・」と書いてあります。まあモダン楽器はたいがいみんなそうなんですよ。
でも楽器を買おうかと考えている人は作者の名前を本で調べてそう書いてあると、「ストラディバリをお手本にしたんだな」と思って安心して買うということはあるでしょう。他の作者のところは読まないので。

今なら写真を元に型を起こすわけですが、ストラディバリで型を起こすと摩耗が激しくて原形がよくわかりません。私なら想像で復元しますが、見習の職人には無理です。メシアと呼ばれる1716年のものに限れば新品同様の姿をしています。しかしこれがそんなに完璧では無いのです。今となっては別に大したものには見えません。ストラディバリが美しく迫力を持って見えるのは古くなって風格が増しているからです。アンティーク塗装にしないと無理なんです。

ストラディバリはアドリブに満ちていてフリーハンドでちょちょっと作っているのですごいのですけども、完璧さという点ではそうでもないのです。
それで代わりにフランスのストラディバリモデルを薦めました。二コラ・リュポーやヴィヨームなどが代表的ですが、いろいろ写真を見て本人がリュポーを気に入った様なのでそれで作ることにしました。

イタリアのモダンの作者でも見事なものはあります。しかしこちらでは職人の間でも誰も興味がありません。オールドは注目されますが、モダンはさっぱりです。プロとして認められるためには誰も興味が無いのでは意味がありません。
イタリアのモダンの作者も完成度が高い人ほどフランスの影響を受けていますからフランスのもので良いでしょう。

私としては、形をフランスのものにするだけでなくモダン楽器の基礎を理解してもらいたいと考えていました。それは音響的な部分です。

フランスの楽器のようなものを見事に作ればよほど狭い世界の住人でなければ、見習にしては良い楽器だと認められるでしょう。客観的な経験を積んだ職人ならみな分かるのです。

モダンヴァイオリンが一世を風靡したわけ


モダンヴァイオリンは1900年ごろにフランスで成立してそれまで欧州各地に伝わっていたオールドの伝統はすべて断ち切られ、フランス風のモダンヴァイオリンが導入されました。今日では「ヴァイオリン」というものはフランス風のヴァイオリンのことです。職人も演奏者もそれがフランス風のものだと知らずに手に触れているわけです。

なぜそこまでフランス風のヴァイオリンが普及したかと言えば、時代の変化に対応したからです。

耳にタコができるほど聞かされている話でしょうが、フランス革命によって音楽が王侯貴族の私的なものから、広く大衆に開かれたものに変わった。貴族の宮殿内で演奏されたいたものが、大きなコンサートホールで演奏されるようになったというものです。作曲の進化とも呼応しています。オーケストラの編成が大きくなり優美で貴族的なものから、壮大なスケールの大きなものに変わりました。

それに伴い楽器も改良がなされました。鍵盤楽器ではチェンバロからピアノに進化したのです。同じことがヴァイオリンの世界でも求められたのは当然です。

モダンヴァイオリンでは広いホールで響き渡る音量が求められ改良されました。オールド楽器の中で特定もの、つまりストラディバリが最高のヴァイオリンと考えられ、その特徴をさらに発展させたのです。

同時に演奏技術も変わっていきました。このためロマン派以降の演奏法を勉強するにはモダンヴァイオリンが必要なのです。

このような大きな時代の流れを認めないわけにはいきません。これがあくまでメインストリームなのです。


今日ではこんな基本的なことも忘れられています。皆さん理解しているでしょうか?

モダンヴァイオリンの仕組み

モダン楽器も時代によって変化しています。バロック時代とは求められるものが変わったのは間違いありません。

初期のモダンヴァイオリンはとても斜めにネックが取り付けられました。ネックの長さもバロック時代にはバラバラだったのが長めのものに統一されました。
弦の張力増大に伴ってバスバーは大型化され駒は柔軟性を持ったものになりました。
フランスでは1900年代に入ってもこのタイプのものが作られていました。ドイツの大量生産は1800年代の終わりころから始まりますが、すでに現代と同じネックになっていました。根元を高くすることで角度は水平に近づきました。そのためバロックと角度自体はあまり変わりません。しかしバロックヴァイオリンでは指板が胴体の方に近づくほど分厚くなっていく仕組みでロマン派時代の演奏には対応できないものです。あご当ても使用されるようになりました。
20世紀になるとスチール弦やガットに金属を巻いた巻玄が作られました。現在では化学繊維で作られた弦が一般的です。肩当も使用されるようになりました。

フランスのモダンヴァイオリンでは一般に
①幅の広いモデル
②平らなアーチ
➂薄い板厚
が大きな特徴です。
幅の広いモデルは当然ストラディバリを元にしたものですが、オールドの多くの楽器は幅の狭いモデルで、アマティも小型のモデルがありそれを受け継いだ作者も多くありました。また見よう見まねで設計すると自然と幅が狭くなってしまうものです。形や寸法が定められていなかったオールドの時代には幅の狭いものが多かったのです。

アーチはぷっくりと膨らんでいるのがオールド楽器の特徴でもともとそうやって作るのが普通だと考えられていたようです。

薄い板厚についてはオールドの時代から変わらないかオールドのほうがもっと薄かったとも言えます。
フランスのモダン楽器はより効果的に強度が必要な部分だけを厚くしそれ以外をごっそりと薄くするものでした。フランス以外のモダン楽器でも優れたものを調べていくと多くがこのようになっています。

逆に言ってしまえば、幅の広いモデルでアーチが平らで板が薄ければとりあえず優れた楽器ができるというわけです。何も難しいことはありません。名工による最高傑作である必要もないのです。

こんな事も現代の職人は勉強不足で知りません。忘れられています。私のブログ以外で教わることはないでしょう。理解している人がいないのです。

モダン楽器の音


直接演奏家を相手に仕事をしていれば優れたモダン楽器が実用品として重宝されている現実を目の当たりにします。これが楽器店に卸すばかりでお客さんと接触がなければわからないことです。接触していてもわからない人は多いですが…。
それは客観的に物事を理解できないのです。

学生さんならはじめは大量生産品から初めて本格的な楽器にステップアップをします。その時ロマン派以降の演奏技術を勉強するためにはもっと優れた楽器が必要になります。これを見つけるのは簡単ではありません。

よくある過ちは、名前や値段につられて楽器を買ってしまうものです。高い楽器を買ったのに全く使い物にならないケースがよくあります。さらによくあるのはいわゆる偽物です。本当に多いです。
ニセモノだから音が悪いというわけではありません、ニセモノのほうが音が良いかもしれませんがバカ高い買い物です。

試奏して音が良い楽器を選ばないといけませんが、これは大変なものです。3/4のサイズからいきなり何百万円もするような楽器を選ぶのは無理です。どれを弾いてもスケールが大きな感じがするでしょう。選ぶのは酷です。
しかしかと言って全く楽器が無ければ練習もできなければレッスンも受けられません。とりあえず何か実用的なものが必要なのです。

この時に上等なモダン楽器を見分けることができればお客さんのニーズに応えることができます。我々はそのようなものを知らないといけないのです。
このような客観的な事実を理解できる人がプロとして生き残っていけるでしょう。時代が変わっているのですから師匠の言っていたウンチクなんて忘れられるかです。

プロの演奏家でも同じです。芸術を追求すればするほどお金とは縁が無くなっていくでしょう。やはり安くて音が良い楽器が求められています。
演奏者が音の良い楽器を聞き分けられるのならずっと少ない予算でも良い楽器を見つけられる事でしょう。作者不明の何の変哲もない、木材も低ランクのモダン楽器を使っているプロの人はちょくちょくいます。1000万円するものと100万円もしないものを両方持っていて仕事では100万円もしないものを使っていたりするものです。メンテナンスの時に指板のすり減り方を見ればどちらを愛用しているかわかります。


さて見習のヴァイオリン製作も弦を張って演奏できるようにするまでが課題です。ニスは含まれず白木のままです。

私は必ずニスを塗ってから弦を張るので白木で弦を張ったことはありません。どんな変化があるかは興味深いですがとりあえず音が出せるようになりました。

見習の楽器は幅の広いモデルで、アーチは平ら、板は薄くなっています。私がフランスのモダン楽器のおおよその寸法を指定して作らせました。しかし実際にはその寸法を下回って薄くなってしまいました。私は寸法を決めると正確に加工してしまいます。しかし薄すぎるほうが音では楽しみです。失敗を恐れて厚すぎると得てして音が良くないのは経験済みです。後でとても後悔します。
いっぽう大胆な作風の人の楽器が音が良いのは何となく経験があります。だから決められた寸法を下回っても私は怒ることもせず「板を薄くする天然の才能があるな」と感心したものです。

白木の楽器を弾いてみると本当に見事な音でした。とても見習の職人のレベルではありません。本当に上等なモダン楽器の様に分厚くて太いスケールの大きな音がします。この楽器ならロマン派の演奏法を学ぶにはもってこいです。細かい所ではニスが塗ってないので不自然なところもありますが、堂々たるものです。分厚い低音はもちろんあります。さらにほかの音もバランスが良く力強さもありながら耳障りな鋭さは感じません。とても優等生な楽器だと思います。
本人もこんなもので練習していればもっとうまくなったのではないかというものです。

取りあえずレッスンを受けるのにヴァイオリンが必要という学生さんにはぜひお薦めしたいものです。私の作るものよりもお薦めです。

作った本人は私が言うようにしただけで意味は分かっていませんでした。こうなることを考えて作り方を教えていたことを話すと驚いていました。


更に他の職人に見せると「素晴らしい」と見た目も絶賛してもらいました。私の狙い通りでフランスの一流の職人のものを目標にすればそれから何段階か落ちてもまだ上等なものです。見習としては驚くほど美しいものです、これ以上完璧なら自分で作っていないんじゃないかと疑われるでしょう。

美しく見えるコツも伝授しました。

大事なのは客観性

うちの見習の子も特別才能があるとは思いません。しかし幸運にも多少は客観性を持った人に教わったからです。職人は思い込みが激しい人が多いですから、変な人に当たると大変です。

私はこのブログを通して言いたいことは、音は理屈じゃないということです。

その偏見をなくすために幅広い知識をお伝えしています。こんないろいろな楽器があるけども音は弾いてみないとわからないよというブログです。

知識というのは偏見をなくして頭を空っぽにするために使ってください。どうかご理解ください。

<追記>
見習の作ったヴァイオリンを音大卒のヴァイオリン奏者の方に試してもらいました。古いヴァイオリンのようだとおっしゃったそうです。現代のヴァイオリンもよく知っていて音が全然違うので驚いたそうです。楽しんでずっと弾いていたそうです。
ヴァイオリンとして文句なく「機能する」とのことです。

プロとしてヴァイオリンを作る場合は自己満足では無くて道具としてちゃんと機能することが大事です。4弦はバランスよく癖もなく、そのうえで音に暖かみも柔らかさもあって心地よさまであるのです。
完成したら日本に持って行けると良いですね。


こんにちはガリッポです。

この前紹介したオランダのオールドヴァイオリンの修理が完了しました。

アムステルダムでヘンドリック・ヤコブスの作品として1692年に作られたものです。実際には弟子のピーター・ロムボウツが作ったのかもしれません。いずれにしてもヘンドリック・ヤコブスの本物と言えます。

私も白黒写真でしか見たことがありませんでした。決して暗い色の地肌ではありません。もちろん新品の無着色に比べればずっと暗い色です。モデルはアマティ型です。

コーナーも長くはありませんが細くアマティ的です。パフリングは例の「クジラのひげ」です。

f字孔はややシュタイナー的になっているようにも見えます。資料を見ると同時代のオランダのヴァイオリンでももっとアマティ的なものがあります。これがシュタイナーの影響なのか、自然発生的なものなのかわかりません。シュタイナーもアマティのような楽器を作ろうとして独自の癖が加わったものです。
ヤコブスももう少し古い時期のもののほうがアマティっぽいf字孔でコーナーも長くなっています。そのあたりの変化がロムボウツが作ったのではないかという所以でしょう。

アーチはオールド楽器らしく高めではありますがこの前のフランスのモダン楽器のクサンのように高くはありません。オールドっぽさを強調するために高くし過ぎたのかもしれません。
アマティもそうですがアーチはそれほど高くないものが多くあります。驚くのは1600年代の楽器なのに陥没が起きていません。これはアマティの時もトーマス・スミスのオールドチェロでもそうでした。

裏板も同様ですがドイツ的なものとは全く違います。中央が高くなっています。

アーチの横の断面は三角に近いものです。

ネックは渦巻きのところだけがオリジナルでペグボックスから下は後の時代に付け足されたものです。
アマティともドイツのものとも違う独特なものです。




オランダやフランドルについては名だたる芸術家を輩出していますし、機会があったら勉強してみたいものです。
イタリア出身のヴァイオリン奏者、ピエトロ・アントニオ・ロカテッリもアムステルダムで生涯を終えています。ロカテッリと言えばヴァイオリン系のバロックファンには有名ですが・・。

板の厚みと寸法



横幅はとても広く取られています、ストラディバリと同じくらいです。

板の厚みはとりあえず「薄い」です。オールド楽器ではいつものことです。裏板も2mm以下のところがかなりあります。中央は厚みがあることが変形を防いできたのでしょうか?
裏板は魂柱のところに割れがあるので過去の修理によって板が貼り合わせてあります。

ドイツのオールドヴァイオリン


これはオールドヴァイオリンであることは間違いありません。基本的にはシュタイナー型と言われるドイツの楽器ですが一つ一つをよく見ると個性があります。

モダン楽器とは全く違いますが、仕事は丁寧で繊細さがあります。当時としてもすごい安物ではなく上等な方だったはずです。

おそらくこれはマルクノイキルヒェン派の1700年代中頃のものでしょう。
文献で調べるとノイキルヒェンのヨハン・ゴットフリード・ハムのものによく似ています。裏板の下に二つの黒い木釘が打ち込まれていますがこれもそっくりです。
色はこれも黄金色をしています。古くなればなんでも黄金色になり、クレモナの特権ではありません。オリジナルのニスは残っておらず周辺のオレンジ色のところも後の時代に塗られたものでしょう。

おそらくスクロールはオリジナルではありません。ハムのスクロールにははっきりした特徴があるだけにこれで判別が難しくなりました。
スクロールがオリジナルでないことで価値もガタ落ちです。
ハムのヴァイオリンは40~150万円ほどです。
私は鑑定士ではないので似ているなと思っているだけで何の効力もありません。

作者不明のマルクノイキルヒェン派のオールドヴァイオリンでは完品でも100万円が限界でしょう。スクロールもオリジナルでないため尚更です。今回はフルレストアは避けました。


マルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンの値段は大概25万円から120万円くらいです。これはこの世のヴァイオリンの相場と同じです。ヴァイオリンというものは普通それくらいの値段がするものです。つまり全くプレミアがありません。
マルクノイキルヒェンは1860年頃から近代的な大量生産が始まると驚くべき数の弦楽器が作られました。町中が地場産業として組織化されアメリカにも店舗を持つなど近代産業でした。
安価な楽器を作るため様々な手抜きの手法が行われました。
このためマルクノイキルヒェンのヴァイオリンは安物というイメージがついてしまいました。しかし一流の職人によるモダン楽器は見事なもので、オールド楽器も1600年代から伝統があります。バッハの仕事仲間の音楽家もこのような楽器を使っていたかもしれません。

アーチにはドイツ系の特徴がはっきりあります。アーチは高いだけでなく指板やテールピースが接触しそうになっています。台地のように上が平らになっています。

台地状になっていて周囲が崖のようになっています。

イギリスのトーマス・スミスのチェロもこのような感じでした。

気になる音は


まずはヤコブスから。
これは言葉で表現するのがとてもむずかしいです。いつも難しいので大雑把な傾向として明るい音だの暗い音だの、鋭い音だの柔らかい音だの言っています。しかし実際には自分で体験しないとわかりません。
それにしても何とも言いようがありません。
それでも何かを言うなら乾いた明るい音と言えるでしょう。
私は板の厚さが薄いと暗い音になるという話をしてきました。この楽器は明るい音がします。
私がこれまで言ってきたことは嘘ですね。いよいよ何一つ法則性が語れなくなってしまいました。

そう思ってみると全く深みのある音がしないわけではありません。しかし響きが豊かであるために暗い音が前面には出てきません。ベースは暗い音なのでしょうが豊かな響きが加わって明るくなっています。このようなものは「オールド楽器の中の明るい音」と言えると思います。
新作楽器の明るさとは意味が違うようです。
このオランダの楽器はアマティよりも明るい音で、反応がよく音が外に外に出てこようとします。軽く音が出てきます。力まかせに音を出すようなものではありません。

例えば一流の演奏者がストラディバリやデルジェス、ベルゴンツィやグァダニーニといったそうそうたる楽器を弾いた中でストラディバリが明るい音がして一番良かったということがあるとします。だからと言って新作楽器の明るい音とは全く意味が違います。それは単に言葉が同じというだけです。明るい音が良い音と独り歩きすると意味が全く違ってきます。

ものすごく薄い板の楽器なのに、響きが加わって明るい音になっているようです。厚い板で明るい音がするのとは違います。板が厚いものは低音が出ないだけのもので、もっと単調な音です。低音もあるのにそれ以上に明るい響きが加わっているようです。

私のストラディバリやニコラ・リュポーのコピーでは板が薄いのにそこまで暗い音にはなりません。響きが加わります。薄い板なのに明るい響きもある楽器と言えるでしょう。数百年後はかなり良い線を行くんではないでしょうか?

このような感じ方は私個人のものです。したがって弾いた人や聞いた人によって全く違うことを考えるでしょう。


900万円くらいの値段なら他のものとは全く違う音という点で面白い楽器です。ホールなどでどんな鳴り方をするかは未知数です。ただものすごく柔らかい音がするわけではありません。響きの豊かさに包まれて鋭さは目立ちませんがものすごく柔らかくはありません。


次はドイツのものです。
こちらははっきりとした暗い音のものです。いかにもオールド楽器らしい渋い味のある音で、やや細めの音でしょう。これもけっして悪くはありません。ただヤコブスとは全く音が違います。外に外に音が出てくる感じではなく、引き締まったような綺麗な音です。柔らかさもありクリアーで澄んだ美しさもあります。
滑らかできれいな音はモダン以降の楽器では珍しいものです。
100万円以下のヴァイオリンでこのようなものは珍しいでしょう。
「室内楽的な」という性格が出ているとは思いますが、単に音量が無いとか音が細いとかではなくて、本当に音色に魅力のあるものだと思います。
やかましいものは他にもたくさんありますからこの価格帯では貴重なものです。
見た目も繊細で音も見た目通りです。

言葉にできない


ヤコブスはとても言葉では表せない独特の音のヴァイオリンでした。
これからも注目していきたいです。

良い意味での「明るい音」というのが体験できました。同時に言葉が独り歩きする怖さも感じました。

アマティよりも明るい音の楽器がオランダで作られたというのも面白いですね。

マルクノイキルヒェン派(フォクトランド)のヴァイオリンでも以前紹介したホプフになればもうちょっとアーチもフラットで室内楽には限定されない楽器もあり得ます。いずれも音は柔らかくモダン以降の楽器ではめったにない物でした。キャラクターの違いははっきりとあります。

オールド楽器とモダン楽器のどちらが優れているかは私は言えません。「やっぱりオールド楽器は良い」と思っていても、教科書通りのモダン楽器がスケールの大きなダイナミックな演奏を可能にすることを目の当たりにすればすぐに考えは変わってしまいます。
そんなに値段の高くないものを多くの中高生には使ってもらいたいです。良質なモダン楽器やそれと同様に作られた新作楽器ではダイナミックでスケールの大きな演奏を身につけることができるでしょう。そのような楽器がちゃんと弾けるようになってから楽器探しをすると、実力のない楽器を選ぶことはないでしょう。それを超える楽器はそう簡単に表れません。これが安価な量産品から急に500万円~1000万円のモダン楽器を買おうとすれば量産楽器と変わらないものが弾きやすいはずです。値上がりなどもあるでしょうが若い大事な時期を実力を伴わない楽器で過ごすのはもったいないです。

明るい音や暗い音というのも好みの問題で、今回のような「オールドの明るい音」は響きに厚みがあり音色は多彩で良いと思います。それが最高だと思っていると「ビオラのような」暗い音の楽器も低音を弾いた時には快感でこっちが最高だと思ってしまいます。私は自分で楽器を買う立場にないので無責任なものですが、販売する側としては異なる魅力を持ったものを店頭に置くことが重要だと思います。

すべてを併せ持つものは無いというのがアコースティックの世界です。
こんにちはガリッポです。

私はいろいろなヴァイオリンを紹介することで、法則性は分からないので試奏して音を気に入ったものを選ぶべきだと説明しています。
興味の強い人は良い楽器を見分ける規則があるのかと期待してしまうかもしません。私もそのようなものを目指して研究をしてきました。

研究すればするほどそれを言うのは不可能であることが分かります。

同じ楽器でも弾く人によって音が違います。どの音がその楽器の音なのかわかりません。同じ人が弾いている音を聞いても感想は人それぞれです。長年一緒に働いている同僚でも意見が分かれます。親しい職人の中でもそうなのですが、演奏家になるとまた違う価値観を持っています。先生も人によってバラバラです。


日本ではそれがまず、値段に音の良さが伴っているという勘違いが多いということを、無名の作者の安い楽器でも音が良い楽器を紹介して正そうとしてきました。

その時に技術的なことに触れて、それが単なる商業上の幻想であることを説明しようとしました。作りに何も悪い所が無い楽器であれば作者が無名でも弾いてみたら音が良いかもしれません。こうなっていると音が良いというのではなく、何の問題もなく作られているのだから音が良い可能性があるということです。
一方高い値段の楽器でも安価な量産品と作りが変わらないなら音も変わらないかもしれません。そのことも紹介してきました。

他にも様々な思い込みがあります。
偉い有名な職人のものが音が良いとは限らないということもその一つ。人間の社会で偉くなることと物理現象としての音に関係が無いからです。

道徳的なこともあるでしょう。一生懸命やっていれば音が良くなるはずだというのも思い込みです。物理現象とは関係ありません。

同じ門下の職人でも音は微妙に違います。
師匠から見れば腕が良く優秀でお気に入りの弟子も、ずるくて怠け者の弟子もいるでしょう。これが音になると全く別の話です。ずるくて怠け者の楽器の音のほうが多くの演奏者に好まれるかもしれません。師匠の楽器よりもです。

真に科学的に考えるなら、人間の社会での人格の評価や地位、道徳や倫理と音は関係が無いという事実を認めるべきです。

多くの人はこのようなことを理解できません。偉い師匠の教えが現実にユーザーの求める音からかけ離れていたとしてもその事実も認められません。


また、商取引で重要視されるのは「国」という意識です。これもまた物理現象としての音とは関係がありません。

規則で同じ国では全く同じように楽器を作らなくてはいけないと決まりが無い限り、同じ国でも様々なものが作られます。
職人は下手であるほど品質が不安定で決められたものとは違うものができます。
下手な職人を排除することは民主主義の国家では難しいでしょう。政治の話であり、職人が集まって話し合いで決めたとすれば平均的な職人の考えることが優勢になるでしょう。空気を読んでその作風を探りあっているのが現代の楽器製作です。

不まじめな職人のほうが多いのは、他の人間の職業と同じです。民主主義では多数派が勝ちます。そうなるとどこの国のものでもどんな音がするかはわからないです。

私の様に製造国と国籍が違う場合もあります。どっちなんでしょうか?
弦楽器業界では高く売れるほうにしてきました。純粋に商業上の理由です。


さらに言うと決められた作風で作ったら誰が作っても同じ音になるかというとそれもまた違います。


このように「規則性が分からない」というのが長年やっているほどわかってくることで、それが弦楽器の面白さだと思います。技術者の視点でもひどくなければなんでもいいとしか言えません。


それでも統一感があったのは19世紀のフランスです。民主主義ではなくニコラ・リュポーの独裁体制だったから決められた作風の楽器が作られ優秀な職人が選抜されました。他の国の楽器はバラバラなのに19世紀のフランスの楽器だけが国の特徴を言うことができるというわけです。独裁者の個人的な趣味趣向が流派を決めると言っても良いでしょう。リュポーのヴァイオリンもソリストに愛用されていますから必ずしも悪いものではありませんでした。むしろ、世界中の職人がフランスの楽器を真似るほどあこがれの対象だったのです。

私は政治なんかには興味がありませんから、純粋に楽器に興味があるだけです。独裁体制でないとできないものがあるということです。したがって今では同じことはできません。
だから19世紀のフランスを除けば国によって作風が決まっていることが無いと言えるのです。


そのフランスでさえ、作風にはばらつきがあります。
はじめにミルクールでヴァイオリン製作を学んだうち、優秀な職人はパリの一流の職人の下で一流のフランスの楽器製作を学んだのでしょう。
というのはミルクールの楽器はかなりばらつきがあって統一感が無いのです。
見た目は大量生産品というのは同じようなものがたくさんあるので見てすぐに「ミルクールのものだな」というのは分かります。
でも音響的に重要な楽器の作りに統一感がありません。
ミルクールでの教育はアバウトだったのかもしれません。

もう一つ考えられるのはミルクールでも一流の職人が決まった作風を教えて、腕が良くまじめな職人は教えの通りに作ったけども、不真面目な職人はそれから外れたものを作ったというものです。

とても安価な製品では手抜きのためにちゃんと作られていないのかもしれません。一方で外見は立派なに作られているミルクールの楽器でも中がひどいのはあります。こういう楽器は改造するベースに適しています。修理の職人の技量が問われます。


はっきりしたことは分かりませんが、ミルクールの楽器にフランスの楽器の特徴を求めてはいけないということは言えます。
ミルクールの楽器は作風も音もバラバラだと考えた方が良いでしょう。ドイツの量産品との違いは最盛期の時期が違うのでミルクールのもののほうが古いというくらいです。音については弾き比べて好きなものを選ぶしかありません。

これはミルクールのヴァイオリンです。外見は中級品くらいのクオリティがありますが、板が厚すぎます。フランスの一流品なら2.5mmくらいのところが4.8mmもあります。チェロよりも厚いです。これならドイツの量産品と見ため以外変わりません。その見た目も一般人には違いが分かりません。


ミルクールの楽器は値段が高くなってきているのですが幻想を持つべきではありません。一方一人前の職人でも典型的なフランスの楽器から外れるものがあります。典型的なフランスの楽器は案外限られているのかもしれません。今回はそんなものの紹介です。

フランスのモダンヴァイオリン?


この前鑑定士に楽器を見てもらった話をしました。その中でピエトロ・グァルネリのラベルが付いたものの話をしました。詳しい鑑定結果が出ました。

このヴァイオリンです。


表板はとても高いアーチになっています。

裏板も負けじとぷっくらと膨らんでいます。
このような楽器にピエトロ・グァルネリのラベルが貼ってあると本物かどうか焦点になるわけです。私はすぐに本物でないことは分かりました。
問題はそれではこれがいったい誰が作ったものなのかということです。

オールド楽器のような雰囲気はあるので他のイタリアの作者かもしれないと思いました。

鑑定結果はフランスのフランソワ・イポリット・クサン作のヴァイオリンだそうです。クサンの生まれたのが1830年で1898年に亡くなっています。したがってオールドの時代の作者ではなく、モダン時代の作者です。1850年以降に楽器を作ったと考えて良いでしょう。

このような楽器が出てきたときにフランスのモダン楽器だという発想がまずないですね。さすが鑑定士です。フランスの楽器に詳しい人ならあるかもしれませんが私は全然わかりませんでした。


スクロールはいわゆるフランスのモダン楽器とは全く違います。しかしオールドのアマティの流派とも全然違います。

イタリアの感じがしませんでした。

何と言っても特徴的なのはアーチです。

フランスのモダン楽器として知っているものとは全く違います。




これを見てフランスのモダン楽器という発想はありませんでした。

作風が完全にオールド風だからです。じゃあこれをオールド楽器と呼べるかと言えば、やはりモダン楽器としか呼べないでしょう。「オールド楽器のコピー」として作られたモダン楽器です。
この作者は父親の代からオールド風の楽器を作っており、他のフランスの作者とは作風は一線を画しています。例えばヴィヨームでも塗装はアンティーク風にしていますが作風そのものは当時の新品の楽器と変わりません。そのためストラディバリのコピーでもまぎれもないフランスのモダンヴァイオリンです。
それに比べると明らかに違うのがこの作者です。生産数はかなり多かったらしく日本でも出回っているかもしれません。

値段はさほど高くなく最高でも300万円程度です。

サイズと板の厚み



板の厚みを見ると規則性を見出すのが難しいです。全体的にとても薄いことは分かります。アーチが丸みを帯びているためちょっとした彫り方で厚みが変わってしまうのです。とはいえ特に裏板はメチャクチャという印象を受けます。

面白いのはこのような板の厚みで19世紀後半に作られ100~150年くらい経過しているのにもかかわらずひどい変形などはありません。

特に裏板の中央は2.0mmくらいしかありません。こんなのは見たことありません。でも魂柱の来るところは3.8mmほどあり十分な厚さです。そう考えると魂柱のところだけ厚ければ大丈夫だとも考えられます。私にとっても新しい知見です。

サイズは357mmとフランスのものにしてはさほど大きくありませんが、それより幅が細くなっています。特に中央は直線距離では104.5mmと細くなっています。アマティで106、ストラディバリで108、ピエトロⅠで110、デルジェスで110~113くらいです。

気になる音は?


音は興味深いです。うちで修理したものではなく万全な状態ではありませんがとりあえず弾くことはできます。

音を出してすぐにわかることは細く鋭い音であることです。柔らかくて太い音とは真逆の細くて鋭い音です。
鋭くて強い音です。
これはシュタイナーでも細くて強い音がします。でもシュタイナーは音の質は柔らかいものでしたがこれは、硬く鋭い音です。
これは解釈の余地がありますが、強い音と考えることもできますし、細い分ボリュームが無いとも考えられます。音量があるかどうかも人によって考え方が様々です。商売人はそれを巧みに利用します。

音色は暗く味のある枯れた音がします。モヤモヤしたような鈍い音は一切ありません。

これが高いアーチの楽器の音かと言われれば、典型的な音と考えられます。反応が鋭く、細い音がします。
じゃあフラットなアーチの楽器が太く豊かな音がするかというと、それは物によるとしか言いようがありません。
私が作ればそのような違いはあると思いますが、全く別の作者のものと比較すると規則性は言えません。

フラットなアーチでも細く鋭い枯れた音のヴァイオリンはあります。特にミルクールの量産品にもあります。こうなると何の規則性も言えなくなります。
ただし、この楽器の場合には高いアーチの楽器の「室内楽的」という面が出ているように思います。やはり太くて豊かな音のほうがソリスト向きだと思います。
私がよく言う「窮屈さ」があるとおもいます。
オールド楽器の様な作風だから優れているというのではなく、やはりモダン楽器は優れているのです。

この楽器は板が薄く、裏板は特に薄いです。それによって柔軟性はあり、どうしようもなく窮屈ということは無くて、味のある音色のヴァイオリンということは言えるでしょう。人によって好き嫌いが分かれるということです。何本か持つなら面白いヴァイオリンとも言えます。

おおざっぱなイメージとして柔らかい音のイタリアのオールド楽器に対して鋭い音のフランスのモダン楽器というのがあります。この楽器はまさにフランスの楽器のイメージ通りの音です。

私は国によって音はイメージできないという話をしています。しかしこの楽器のようにイメージに当てはまるものもあります。作りが全く一般的なフランスの楽器と違うにもかかわらずです。逆にフランスの楽器らしい楽器でも柔らかい音のものがあります。

こうなると何の規則性も言えません。

細く鋭い音の楽器ですがどちらかというと低音のほうが鳴りやすいです。暗い味のある音色がします。これは板の薄さの影響だと思います。私が規則性としてかろうじて言えるのが板の厚さと低音の量感や音色です。当ブログでもそこまでは言ってきました。それすら他では聞いたことがありませんでした。

クサンのヴァイオリン

この作者をどう評価するかは難しいでしょう。主流派のフランスのモダン楽器とは全く違う作風であることは確かです。その点では個性的です。音については好き嫌いとしか言えません。
ピエトロ・グァルネリのラベルも初めからついていたのか後の時代の人が貼ったのかもわかりません。いずれにしても何かに忠実なコピーではないようです。

一般的にモダンの作者ではオールド楽器の複製が見事であれば、特別値段も高くなるものです。これは見事なのかよくわかりません。古い楽器の感じを出すのはうまいと思います。
古い楽器の感じがしますがソリスト用という意味で優れた楽器かと言われれば難しいです。

フランソワは兄弟がもう一人いて父親の代からこのような作風だったと思われます。父親はおそらくはじめは普通のモダン楽器の作風を習ったはずです。そのためオールド時代の伝統を受け継いではいません。

その時代の常識を捨ててオールド楽器のコピーを作ること自体むずかしいことです。まじめで優秀な職人ほど難しいものです。
ただ単にモダン楽器を雑に作っただけのものはたくさんあります。よく偽造ラベルが貼られて出回っているものです。

まじめで腕が良い職人の中で常識を逸脱して、さらに音まで良いものとなるとわずかな割合となるでしょう。

平らなアーチののほうが太い音がするかとそれも言えません。平らでも細い鋭い音のものがたくさんあります。それらは「強い音」として高く評価する人も多いです。趣味趣向の問題です。
私の作る場合にはもはや音が柔らかすぎると思う人も多いでしょう。高いアーチくらいのほうが強さが感じられてちょうど良いのかもしれません。しかしフラットなアーチでも細い音の人はそれ以上フラットにできません。
そのように作者には癖があり、自分の癖に合った作風を見つけるのも一つの可能性です。それよりもあきらめて自分の楽器の音を好む演奏者を探すほうが合理的です。

ユーザーの側からすると現実に音が良い楽器を買いたいならとにかく弾いてみて音が気に入ったものを選ぶしかないということです。


人間というのは何かしら物事には原因を求めます。それが迷信、神話、悪魔、妖怪などを生み出して来ました。商売人はそれを利用してきました。
科学的であるためにまずできることは、原因が分からないという理不尽な現実をそのまま受け止めることです。
こんにちはガリッポです。


最近面白いと思ったのはムツゴロウさんがYoutubeを始めたということです。
ムツゴロウさんと言えば本名は畑正憲で動物に詳しくてテレビ番組にもなりました。86歳でユーチューバーです。

動画では過去のいろいろなお話をしてビデオに収めていますがとても飛びぬけた話ばかりで、貴重な資料になるでしょう。
ムツゴロウさんが変わっているのは猛獣のような動物でも手なづけてしまう所です。これはよくわからないですけども、愛情があるのは間違いないでしょう。それでも多くのペット愛好家が人間の家族に動物を引き入れているのに対して、ムツゴロウさんは動物の群れに自分が入って行っているようです。学術的に生態や体の仕組みを理解していることも重要で、その上に実際に見たり触れたりしてより深く動物を理解しているようです。

ムツゴロウさんみたいな人は私はとても好きで変人なほど情熱にあふれています。芸術家や研究者はこういうちょっとおかしな人が偉業を成し遂げるわけですがビジネスの方は多額の負債を抱えたり苦労したようです。

私もそこまででは無いですが興味のあることに夢中になって他のことはどうでもよくなってしまうタイプです。

Youtubeの登録者数などもあきれるほど少なくてムツゴロウさんみたいな人が好きというのも変人の部類なのでしょうか?

ヴァイオリンを作って生きていくのが難しいのは私の場合には、ヴァイオリンを作る事よりも生きていくことです。ヴァイオリン作りに夢中になると他のことを忘れてしまうからです。


醜いチェロ・オブ・ザイヤー候補



私は高価な楽器だけではなく安価な楽器にも興味があります。まずは醜いチェロ・オブ・ザイヤー候補から



アンティーク塗装のわざとらしさで候補入りを果たしました。

なんでしょうね?

どうしたらこれで「ヨシ!」となるのでしょうか?

チェロ自体は機械で作られた量産品でモンタニアーナのモデルでしょう。アンティーク塗装がひどすぎます。

これなら普通にスプレーでニスを塗っただけのほうが良いように思うのは私だけでしょうか?

何がひどいのか一般の人にはわからないのでしょう。だからこうやって買って使っている人がいるわけです。

ヒョウ柄のような丸い斑点がたくさんあります。ニスの色も黄色でヒョウ柄です。それだけではおかしいと思ったのかひっかき傷もつけてありますがいかにも傷が付けてある感じがします。

古いチェロは全体的に古びてきてそこに傷がついているものです。これは新品のような明るいニスに真っ黒の傷がついています。普通は傷の部分はへこんでいるので全体についた汚れがクリーニングをしても取れずに残るのです。クリーニングでは汚れは完全に取れず全体的にうっすらと蓄積していきます。古く見えるのは傷だけではありません。
特にチェロの場合には長年掃除もされないことも多く、汚れが多く表面に付着しています。松脂によっても汚れが付きやすくなります。

大量生産品とはいえこれで良いと判断するのが私には信じられません。
塗装担当者だけでなく、他の作業を担当する人も見ているでしょうし、営業員や社長もこれを自分の会社の商品として売り込みに行くのが分かりません。

それを買う業者もわかりません。

でも一般の人にはおかしい所が何もないように見えるのでしょう。

美しいモダンヴァイオリン




近頃も結構多くの楽器が弾く人がいないので売りたいと持ち込まれてきます。
ほとんどは安価な大量生産品家、状態が悪くて修理代のほうが楽器の価値よりも高くつくようなものです。

たまにこのようなものがあります。
一目見ただけでそのようなものと違うのが分かります。


皆さんはどんな素性のヴァイオリンだと思ったでしょうか?

作者はリヒャルト・ヴァイデマンという人で1886年にドイツのフランクフルトに近いヴィーズバーデンで作られたものです。資料を見ても流派はよくわかりませんが美しいモダン楽器であることはすぐにわかります。これもアンティーク塗装ですがわざとらしい感じもなく実際に130年以上経って古くなってもいます。
アンティーク塗装は控えめにしておけば100年後にはずっと良い雰囲気になるものです。

スクロールを正面から見るとかなりフランス的な造形をしています。ストラディバリ的と言っても良いでしょう。

緑の線で示したように直線的になっています。赤線の方もそうです。これはフランスのスタイルの特徴と一致します。ストラディバリもこのような傾向があります。各国でストラディバリのコピーとして作られたモダン楽器でもこのようになっていれば分かっている職人ということになります。
水色で示したようにペグボックスの幅が指板よりも細くなっています。後の時代に持ちやすいように細い指板に交換されたのでしょうが、大きな産地のドイツやボヘミアのモダン楽器は指板の幅とペグボックスの幅が同じになっています。
一方都市のヴァイオリン職人はフランス風の作風をよく理解しています。

背後も緑の部分が直的です。これもストラディバリの特徴でフランスの楽器にも受け継がれています。おそらくストラディバリは作業の手順の関係で始めに緑のところを直線的に仕上げてから先に彫り進んでいったのではないかと思います。
これがスカランペッラやガッダなら水滴のような形になっていてストラディバリの特徴を理解していません。この前から言っているようにスカランペッラやガッダはアマチュアの流派のため細かい所を見ていないで自由に作っています。
正統派のモダン楽器はこうなっていないといけないのです。


コーナーの感じも正しいストラディバリモデルという四角い感じがします。パフリングの先端は片方が極端に長く伸びています。このようなものはフランスの作風をさらに誇張したもののようです。ストラディバリの作風を誇張したフランスの作風をさらに誇張したようなものです。ミルクールの楽器にも見られます。

アーチもモダン楽器らしいもので全体的にフラット、表板は駒のところを頂点に尖っています。これもフランスをはじめとするモダン楽器の特徴です。

ニスも黄金色で雰囲気も良いですね。

見ればすぐにこれがモダン楽器の上等なものだとわかります。

作者についてはさほど有名ではなく相場などもありませんが、鑑定士によれば1万5000ユーロくらいだそうです。日本円にすれば180~200万円くらいのものです。

板の厚みもこの前のチェコの楽器のようです。音もよさそうです。修理が済んだら音も試してみましょう。

作者の個性は大事?


普段はどうしようもないがらくたばかりが持ち込まれるわけですがこのような楽器が来るとすぐに工房の空気が変わります。これは良い楽器だと。

無名な作者であっても、モダン楽器はお手本というものがおおよそ決まっているのでその通りに高い品質で作られていれば「おお!」と思います。実際にははるかに粗雑なものが大量にあるので目立つわけです。
経験的に音響面でも新品に比べればはるかに有利で「よく鳴る」可能性は非常に高いです。

値段はそれでもべらぼうに高くはないのでこのような楽器は学生などにとても求められているものです。音は好みの問題ですが、このようなものをいくつか試奏すればきっとレッスンを受けるのに十分な楽器が見つかることでしょう。プロでオーケストラで弾くのにも十分です。

この楽器から見ると、何人かのお客さんが試奏すればそのうちこれが気に入ったという人が現れます。このようなものはうちで販売することに何の不安もありません。

楽器としてはモダン楽器の教科書通りのものです。しかしボタンが尖った丸になっていたり、パフリングの先端が長かったり、スクロールのセンターの彫り方が独特だったり細かい特徴はあります。
それが作者の特徴でアンティーク塗装の手法にも特徴があるでしょう。フルバーニッシュもあるようです。
必ずしもフランスの楽器に見せようという気はないようです。しかしドイツでもフランスに近い方になってくると流入してくるものも多くなるはずです。

ドイツで確立した作風のモダン楽器が作られたのは1900年以降のものが多いでしょう。これは19世紀のものですからよくあるものよりはちょっと古いのです。その点では珍しいです。

だらかと言って特別変わったところはありません。このようなオーソドックスなモダン楽器が見事に作られていると職人の目を持っていれば良い楽器というのが分かりやすいです。
200万円以下なら演奏家にとってもコストパフォーマンスに優れたものでしょう。

それに対して職人の精神論で「他人のまねをするのは良くない」とか「一流の職人なら自分独自の境地に達しているはずだ」というようなどこから来たかわからないような考え方でこのような楽器を見過ごすのはもったいないと思います。

職人というのは基本的に独創性を発揮するべきだという教えは無いですよ。
地場産業のような産地ではみな同じような楽器を作っていたし、品質が良ければ上等なものです。

ヴァイオリンは結果として音が良ければいいのであって、職人が長年の修行や研究で境地にたどり着く必要はありません。たまたま音が良いものができたらそれでいいですよね。

コレクターみたいな人は作者の「ストーリー」に何百万円も無駄なお金を払えば良いですよ。
音楽のための道具が欲しくて、粗悪品は嫌だというのならこのようなものを買えば高級品を持っているという実感が持てます。


うちの見習の職人が作っているヴァイオリンです。すでにこのようなモダンヴァイオリンと同じレベルにあります。

これが100年以上前のものなら「おお!」というものです。当然私が教えたので作り始めて数本目のものですでにこのレベルです。アマチュアなら一生かかってもこのようなものはできないかもしれません。これがプロの教育です。それ以上に現在では忘れられかけているモダン楽器の研究も日ごろから私がやっていることが大きいです。多くの職人は自分の流派の楽器の作り方しか知りません。

私は後輩は好きなように楽器を作れば良いと思います。しかし初めは何をどうして良いかわかりません。
現代では完全に決まった形というのは無く職人がそれぞれ自分が良いと思うものを作れば良いという時代です。教える人によってちょっとずつ違うというのが学ぶ人にとっては悩みの種です。

そうするとどうしていいかわからないので、フランスのスタイルを決まった形として教えたのです。普通は私ほど細かいことは考えておらず、こうなっていなくはいけないというのはあやふやなのに欠点があるとそれが指摘されます。欠点は分かりやすくセンスがそれほどなくても指摘しやすいです。欠点ばかりが指摘されるので欠点のないだけのものを現代では作らなくてはいけません。これを粗探しと言いますね。

私の教えはフランス風ならこうなっているべきだというのが具体的になっていて、はっきりしているので助かると見習の子は言っています。どうしたらいいのかわからないのに欠点ばかり指摘されるのはたまったものでは無いですね。他の職業でも同じでしょう。先輩は厳しくしなくてはいけないのかもしれませんが、これじゃあ嫌になってしまうでしょう。
その作業工程ではじめはよくわかっていないのに、フランスのスタイル通りに作るとびっくりするほど美しいものができて本人も驚いて喜んでいます。ヴァイオリン作りの楽しさを味わっているうちに、美しいモダン楽器を見分ける目ができたというわけです。

要するによくわかっていない先輩や師匠が目につきやすい欠点を指摘して先輩としての面目を保ってきたのが現代の楽器作りとも言えるでしょう。欠点を指摘するだけならだれでもできます。人間の社会ではいつもどこでもそうなんでしょう。


完全にフランスの楽器のようにはなりませんが、さっきのモダン楽器くらいのレベルにはなります。

去年初めて完成させたヴァイオリンでも音は良かったです。これで見た目も上等なモダンヴァイオリンと変わらないレベルにあります。初めて数年でこんな立派なものができるのです。

本人は力不足を痛感しているようです。思ったようにいかなかった部分や時間がかかりすぎてしまったところがたくさんあります。でも歴史的に見ればたくさん作られた楽器の中で上等な部類に入ります。

日本人が独学で西洋の楽器を作ろうとすれば大変だったでしょうが、教える人が分かっていればそこまで大変なことではありません。

問題はビジネスとして成功させて生きていけるかということです。


現代の我々がこのような楽器に対抗するのはとても難しいです。値段もあまり変わらないのに比べ物にならないほどよく鳴るからです。
100年以上前の楽器ならごく普通のもので十分音が良くなっていると思います。だから特別凝ったものである必要はないと思います。独自の境地に到達している必要もありません。

ごく普通に作られて古くなったものが名器なのです。
普通に作るだけでは古い楽器にかなわないので我々は様々な工夫をする必要があります。しかしユーザーは試奏して気に入ったものを買えば良いだけです。

重要なのは現代の職人が行った工夫が正しい方向なのかどうかということです。職人がもっともらしい理屈を言っていても信じてはいけません。単に古い楽器と弾き比べて実力を評価しないといけません。職人がいかに熱弁してもごく普通に100年前に作られた楽器に勝るというのは困難だと思います。

モダンの時代の「普通」すら現代の職人は忘れています。創意工夫以前に普通のものすら作れなくなっているのです。私はモダン楽器を研究してきてそれが分かってきました。だから見習の職人にはまず普通のものを作れるようになってもらいたかったです。普通のものすら作れないのに「画期的に音が良くなる方法を発見した!」というのは「当社比」で良くなったとしてもスタート地点がどこかって話です。アマチュアの職人も陥りやすい所です。

創意工夫をすることよりも、基本的なことをちゃんと理解する方が先だと思います。


一般的な工業製品では新製品が出るほどに性能がアップしていきます。スポーツ用品ならどんどんハイテク素材の道具が開発され記録が伸びていきます。今では木製のラケットにガットを張って使っているテニス選手はいません。
弦楽器でも同じはずです。
大きな企業がスーパーコンピュータでシミュレーションをして計算で自由自在に音を設計し、自動的に材料を加工して安価にヴァイオリンを製造できるかもしれません。素材も木材に限らず最適な特性を持ったプラスチックが見いだされるでしょう。

それが行われないのは、投資するに見合った市場規模が無いようです。業界自体が保守的で受け入れられないというのもあります。また「美しさ」という抽象的なものが求められる世界でもあります。ハイテク素材のヴァイオリンができるともうそれはヴァイオリンとは違う楽器になってしまうのです。

もし昔のものと同じようなものを作ったならおよそ50年以上古くなったものはよく鳴るようになっています。このためヴァイオリンでは新しい物よりも古い物の方が優れていると考えられています。

ヴァイオリン職人が作り出せるのは「キャラクター」だけです。楽器には「持って生まれた音」というのがあります。世の中にはもっと優れた楽器はいくらでもあるけども、この音は嫌いだとか好きだとかとなった場合には新しい楽器にも運命の楽器として受け入れられる可能性が出てくるのではないかということを私は考えています。