ぼくは占い師じゃない -57ページ目

ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press


えき

一時的な損失にこだわらないようにしてください。
(どこかで聞いたことがあるかもしれませんが)
得ようと思うならまずあたえることが大事です。
これはまた次のようにいいかえることもできます。
あなたが受け取れるのは、あなたがあたえた分だけです。
一時、損失にみえることであっても、
長い目で見れば、結局はそこで他にあたえなければ、
次のステップ……
さらなる成長や、新しい状況……に進むことはできなかった、
ということはよくあることです。
これをふまえたうえで、的確な判断をして、行動してください。
フローに乗っていれば、かならず前進することができます。

のろけるつもりはないが、
気恥ずかしいので周囲には、

「バイトして買った」
(現にバイトしてるし。短期だけど)

と言う事にしようと思っているが、
「プレゼント」とか言って、
かみさんがipodを買ってくれた。

自宅PCは容量的にすでに危機的状態にあり、
デフラグするときも、
「もうちょっと空けといてよね、せめて1割くらい」
などと言われてしまう。
それはつまり2Gをこえる
楽曲がのさばっていたからだが、
これでこいつらを全部吐き出すことができる。

シンク?
しないよ、そんなもん。
今後はPC側領域は、バッファ的に利用するのみとし
(つまりいったんipodに放り込んだPC側楽曲はすべて消す)、
ひたすらipodに音楽をためこむやり方でいこうと思う。

たとえ一部の友人が
「ipodこけたらみなこけた」
などと揶揄しようと、どうしようと、
かくてitunesは、
「ipodへのデータ転送用&ipod接続時のipod内楽曲再生専用」
ソフト、となるわけだ。
ミュージックストア?
そんなもん使わない。
ぼくには時間はあっても
容量もカネもないのだ。


holga09
【太陽の恵み(もちろんタダ)】
Harinezumi-Camera 110-ISO400
晴 日中 屋外


2Gの楽曲データなんてなんてたいしたことないじゃん、
といわれるかもしれないが、
システムプリロードと、必要なソフトを入れたら
すでに空きが3GちょいしかなかったPCにとっては大問題だった。

最初はそれでもいいと思っていたのだ。
ぼくがPC上で扱うデータは、文書と表、
それとかんたんなグラフィックがメインだから。
それらだけが相手なら3Gは広大な領域である。
音楽データはまったく想定の範囲外で、
PCで音楽を聴きながらこうしてポコ@ポコ、
ブログを打ったりすると結構キモチイイこと、
手持ちPCの1.5倍の容量を持つデバイスが
比較的安価に買える、
な~んてことは想定の範囲どころか、
銀河系の外だった。

しかしまあ、
かみさんがモノを買ってくれるなんて、
どういう風の吹きまわしだろう。

毎日、吉ブーの並と、藪ソバのモリの間を
往復しているオッサン学生を哀れんでか、
それとも、

『いや~、おれってさあ、早生まれじゃん。
だからクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントとお年玉がいつも一緒でさあ。
え?お年玉に合併だよ、M&Aだよ。
M&Aはともかくさあ、雑誌とかでも合併号ほどつまんないもんないじゃない。
え?あ、そうそう、
だから、クリスマスプレゼントと誕生日プレゼントつうもんを、
個別にもらったことがないってことよ。
そうだよ、この歳になるまでだよ、いやホントホント。
だからって別に、
お年玉が世間平均の3倍になるわけじゃなくてさあ、
そう、並だよ並、おれがいつも食ってるやつ……ながいので以下略』

といったことをいつもシツコクまくしたてているからか、
はたまた、たまたま、自宅からヤマダデンキまで歩いて10分くらいだからか、
それとも単なるきまぐれか。
しかし、まあ、よかった。

もちろんささやかだが、お返しはした。
銀座の伊東屋できれいな包装紙を買って(つっても500えん)、
包み直した小箱をかみさんに渡した。

「わあ、なにかな」

出てきたのは、
薄汚れたipod shuffle。

「つ、使い方とかほらさ、
そういうヤツのレクチャー付き!」

「あ・そ」
(『これって、あたしがあげた小遣いで買ったヤツじゃない。ていうか、別にいらないし』)

ぼくには時間はあっても
容量もカネもないのだ。

易経にこれをいましめる記述があり、
伝統的には、禁じ手とされていますが、

ぼくは、別にかまわんと思います。

やりたければどんどんやってよし。

でも、何度もやる前にちょっと考えてみてください。

なぜそんなに何度もやろうとするのでしょうか。
よく判らないからもう一回、というケースもあると思いますが、
多くの場合、

「結果が気に食わない」

からではないでしょうか。

もしそうなら、本当にその問いを占う必要があるのでしょうか。
すでに答えは問いを出す人(自分または相談者)のなかにあるのでは?
だからこそ、何度もやろうとするのではないでしょうか。

結果が気に食わない、ということは、
そこに、同時に「気に食う」結果がある、ということ。

それが答えなら、占うまでもない、ということになります。


しんいらい

動き、音、あるいはショック。
おどろくようなことがあるかもしれませんが、冷静さを失わないようにしてください。
たいていの場合、その実体は、はじめに感じたショックやおどろきほど、たいしたことはないものです。
といっても、ナメてかかれということではなくて、一時の激しい動きにとらわれないように。
なにごとも過大評価しないように、ということです。
そうすればカラ騒ぎせずにすみます。
悩みにしろ仕事にしろ、結局のところは、自分と等身大なのです。
平社員に社長の悩みはやってきませんし、社長の仕事がまわってくることもありません。
先にも書きましたが、
問いは、あいまいなところがないようにきちんとたてることが必要です。
あやふやな問いに対しては、あやふやな判断しかできません。
理想をいえば「YES/NO」で答えられるような問いです。

ただ、そういう問いのほうがじつはまれで、
「なんとなく、相談したい」
という問いのほうがはるかに多いでしょう。
しかしそれでもなお、
「ほんとうはなにを求めているのか」とか、
「どうありたいのか」とか、
「それがほんとうにききたいことなのか」
などの質問で自問自答して、
(相談者がいる場合は相談者と対話して)、
できるかぎり明確に掘り下げておく必要があります。

問いを明確にたてることができたならば、
今度は問いの周辺事実をおさえておくことが必要になります。
ハッキリと判ること(年齢とか、職業とか)から、カタチのない人間関係、
ものの考え方の傾向、性格など、問いに関することすべてです。
ここで明確にした事実にもとづいて論理を組み立てるわけです。
問いに答えようとするための理屈です。
場合によってはこの段階で、卦をたてるまでもなく、
「こうしたらいい」という回答がでてしまうかもしれません。
そんな場合は、易システムを利用する必要はないかもしれないし、
その回答の裏づけをとるために易システムを用いてももちろんかまいません。

「黙って座ればピタリとあたる」といわんばかりに、
相談者に何もいわせず、
「あなたの兄弟は×人で、お父さんは亡くなっていますね」
などと透視めいたことをやるハナシありますが、
あれほどナンセンスなものはありません。
問いに関係していて、相談者が知っている、
明確にしておかなければならない事実があるのなら、
相談者に聞けばよいのです。
余計なところで直観を働かせて、
自分の判断を権威づける必要はありません。
それが問いに直接関係無いことであればなおさらで、
そんなことは最初から話題にする必要はありません。
適切な回答は権威者から与えられるものではなく、
相談者とそのカウンセラが、
同じ目線で真剣に対話して得られるものだと思います。

話が横道にそれましたが、明確な問いをたて、
問いに対する事実を明確にしたところで、卦をたてます。
ここではじめて、
右手に直観、左手に論理という灯りをたずさえて、
回答の模索がはじめられるわけです。

.問いについて2

ぜいこう

障害は、勇気をもって真正面から相対し、取り除きましょう。
それがなんであるにせよ、いつまでもそこにいすわらせていい理由はありません。
なにごとにもはじまりがあっておわりがあるのが自然の摂理です。
その意味ではその障害もほうっておけば消え去っていくものなのかもしれません。
しかし、おそらく、今はそれをまっている時間がないのかもしれません。
それならば、真っ向からその障害に取り組む必要があるでしょう。
障害は外部にあることもあれば、自分自身のなかにある場合もあるでしょう。
そして障害を取り除く動機について、
慎重にチェックしてみてください。
その動機がコスモスの流れに沿ったものである確信があるのなら、
自信をもって行動してOKです。

ええと、だいぶ間があきましたが、
易システムのハナシを続けさせていただきます。

さて、このブログ、「占い」のテーマでは、
コード番号11~88までの大成卦の意味をご紹介しながら、
つれづれなるままに、
システムを取り巻く話題をとりあげております。
つれづれなるままなので、
以前に話した内容とダブる話もでてくるかと思いますが、
お許しください。
オヤジはくどいんですね。
(ていうか、前に何話したか忘れてる)

さて、今回は問いの話。
易システムを使うには、
最初に何らかの「問い」があることが前提になります。
「問い」なくしては、
立てられた卦は判断のしようがありません
(う~んアタリマエですね)。

問いの内容は、
最低限以下の条件を満たしている必要があります。

① 問いはできるだけ具体的であること。
② 問いをたてるときはできるだけ真剣であること。

このふたつの条件が、
システムから返ってくる答えの精確さを決定します。
システムからよこされる回答は、
上記ふたつのファクターの鏡のようなもので、
具体性に欠けた、ボヤーッとした質問を、
遊び半分でシステムにぶつけると、
回答は返ってきますが(返ってくるんです、一応)、
それなりのボヤーッとしたふざけたコタエが返ってきます。

別の描き方をすると、

A=f(c,s)

回答の精確さ:A
c:問いの具体度
s:問いを発したときの真剣度

ここで、f( )は、易システムそのものです。
具体度 c は、その問いがどれだけ
「YES/NOで答えられる内容になっているか」
ということと、その問いの純粋性。
純粋性は、その問いがどれだけ、
「単純に、ひとつの事項にマトがしぼられているか」
ということです。
問いは、往々にして、
複数の問いの複合で成り立っていることがあります。

たとえば、「A社に就職できるか?」というという問いは、
一見、純粋性としては申し分ないように思われますが、
よく考えてみると実は、
「A社の業務に、はたして自分が適しているか?」
なーんていう質問がかくれていたりします。
こんなときはまず、「××業界に自分は適しているか?」
もしくは上手くやっていけるか?という問いで回答をもらい、
YESということであれば、
その××業界の「A社に就職できるか?」という問いで、
最終的な回答をもらうようにする……
といった具合にシステムを利用するのがいいかと思います。

真剣度 s については、
まあ、あまり説明の必要はないかもしれませんが、
どれだけマジメに取り組むか、ということです。
もちろん、
いつもマジメ&マジメの四角四面では
肩がこってしまいますから、気楽にやってもらって、
もちろんかまわないのですが、
ふざけてチャランンポランにやれば、
それなりの、
ふざけたチャランポランな答えが返ってくるという
(実はこれもケッコウおもしろかったりして。
お遊びとしてはね。だから否定はしません)
……
ただそれだけのことです。
トモダチづきあいだってそうでしょう。
かる~いノリの話題には、
かる~い発言がかえってきますよね、普通。
思いもよらず真剣な方に流れていく、とうこともありますが。
要は、「与えたものを受け取ることになる」ということです。

なお、「真剣」は、「深刻」「必死」とはちがいます。
「わらにもすがる」気持ちで問いを発したときには、
なかなか精確な回答は得にくいと思います。

なぜでしょうか。

答えはアタリマエで、そんな時の精神状態は不安定で、
得られた回答に対しても、公正な判断を下すことは困難だからです。
これが、自己反射的なシステムの扱いのむつかしいところで、
そんな場合は、時をおいておちついてからやるか、
親しい友人に話を聞いてもらったほうがいいかもしれません。

「オレは易システムに精通しているから、
トモダチなんていらない」

なーんて、そんなことには絶対なりません。
それとこれとは別の話です。

ああ~やっぱりオヤジの話は長かった。

やっと試験が終わった。

後期の中間試験、いわゆる定期試験で、
騒ぐほどのこともないのかもしれないが、
始まっても・終わっても・その最中でも!

試験はいまだにキライだ。

なぜだときかれても困ってしまう。
キライなものはキライなんだから
ショーガないじゃないかあ、
う~ん、いやなのお!……と、
親にピーマンを突きつけられた
子供のような気持ちになる。
子供にとって親は絶対であるから、
眼にも涙が浮かんでしまう。

シケンもイヤだが、
「ためされること」自体、
全般的にいやだ……

てなハナシを、以前に会社の上司にしたら、
そもそも生きること&社会に出て働くことは、
すなわち、
「試されること」の連続で出来とるんじゃないか、
と、苦笑されてしまった。
オマエはいまごろ何を甘いこと言ってるんだ、というわけ。
そりゃ、あんたにとってこの星は、
オール「試される場」かもしれないが、
ぼくにとってここは、決して、
「試されるためだけ」にあるわけじゃない。


.holga08
【できるかな?さかあがり】
Harinezumi-Camera 110-ISO400
晴 日中 屋外


カッコつけていえば、
ぼくがここにいるのは、
自分の可能性を最大限に生かして「楽しむ」ためだ。
甘いかカラいか知らないが、この世のとらえかたは、
げに、人によりさまざまである。

そんなわけで、
中学を出て高専の電気工学科に入ったのも、
大学受験がなかったからだ。
(高専は中学を出て5年通う。
えっ?「キョーツーイチジ」ってなんですか)
そりゃもちろん、電気に興味はあったが、
男の子だから、という程度のもので、
めちゃくちゃ好きだったわけでも、
マニアだったわけでもない。
当時高専といえば就職率もほぼ100%で
(今はどうか知らない)、
試験らしい試験を受けることもなく、
神奈川の某コンピューターメーカーに就職した。
のちに別の会社に転職したが、いわゆるバブルの頃で、
「デュ~ダ~、デュ~ダ~」
などと口ずさみながら、面接だけで転職。
一応、20年近く、
コンピューターギョーカイに身を置いていたが、
試験がきらいなので、なんの資格もとらずにいた。
(そしてそのことでよく怒られた)
つまり、高専をでてからこのかた、この学校の学生なるまで、
マトモな「試験」を受けたことがなかったのである。
……
と、バイオグラフィもどきのことを書いていて思ったが、
これってひょっとして、
いままで、ただひたすらイヤなことを避けて歩いてきただけ??
可能性をいかして楽しむ……
とかえらそうなことを言っているが、
所詮は、ちょっとでもツライことは嫌な、ダメダメ人間の遠吠えか。

ま、そうかも。

でもいいや。別に。
それでもぼくはこうやって生きている。
(おおっ、開き直ったゾ)

ここまで試験を毛嫌いするのには
絶対なんか理由があるはずだと思っていたが、
以下の本に思い当たる節が……

「この本に真実は何もない
しかしそれがまさに現実なのである」
ボブ・フリ-ゼル著
柴上はとる訳
ナチュラルスピリット

上の本には、古代エジプトで行われていた、
秘儀伝授のためのイニシエーションの話がでてくる。
儀式で参入者は、ワニがウヨウヨいる暗黒のプールをくぐって、
壁の反対側にある出口から出てこなければならない。
「恐怖」を克服する試験・試練なのだが、
本のタイトルが示すとおりアカデミックな史実ではなく、
いわゆるチャネリングされた情報である。
ま、そりゃいいとして、
ひょっとしたら、
ぼくはその新参者(参入者)の、
生まれ変わりじゃないか、と思った次第。

とにかく、「試される」ことが、ちょっと病的にイヤ。
水がこわい。
泳げるようになったのは小6の夏からだ。
クラスメートの中では際立って遅い方だった。
日常生活でちょいとストレスのかかることがあると、
すぐに波(水;海・川・池、いろいろ)に飲まれる夢を見る。
大抵、窒息して眼が覚める……

もし、ぼくがその参入者の生まれ変わりだとしたら、
そいつは、このイニシエーションに失敗して、
そのまま昇天してしまった
ダメダメ参入者だったのだろう。

開き直ってみたり、
挙句の果ては、
「過去生」のせいにしてみたり。

「試験」

というコトバを思い浮かべただけでも、
こうしてジタバタしてしまうのである。

久々なので長くなってしまいました。
あんまり長くてもみなさん飽きてしまわれるだろうから、
本日はこのへんで。
おつきあい、ありがとうございました。


ずい

ときには状況にさからわないでいるほうが、結果的にはいい場合もあります。
といっても、「なにもしないで放っておく」という意味ではありません。
りきんでコントロールしようとせずに、
自分の内または外のながれに沿うように適度に力を加え、
適度にコントロールするということです。
心地よいてごたえ、充実感などの、
よろこびの中でそのようにできるのなら、それが一番です。
また、今はそのようにできるタイミングでもあります。

※試験期間中です。
間もなく再開しますのでよろしく。
holga07
Harinezumi-Camera 晴/屋外/早朝

人によっていろいろだと思うけど、
ぼくの場合は、勉強は朝やった方が、
よくアタマに入るようだ。
夜の9時か10時には寝てしまい、
翌朝の3時ごろに、やおら起き出して
活動を始めるのである。
わけあって入院してた頃もこんな調子だった。
病院は午後9時消灯で、新入りの患者は、
「夜9時なんぞにはねれませんよぉ」
とか言っていたが、
ぼくは意外とそのサイクルにすぐ慣れた。

とはいっても、
こんなことをはじめたのはつい最近で、
もともとは典型的な夜型だった。
勤めていた頃は、0時近くかそれ以降に帰ってきて、
寝るのは2時ごろだったりしたわけだから、
ヘタをすると、その頃だったら寝ていた時間に
今は起きているということになる。

ああ、それで……
昼とか夕方に勉強するよりも、
朝の方がアタマに入るという話。

朝はやっぱり、ノイズが少ないということもあって、
アタマに入りやすくなるのではないか、と思う。
周りが静かで集中しやすい……ということ?
それもあるが、いいたいのは想念ノイズのこと。

たとえば、こんな経験はないだろうか。
あなたの趣味がスキーだったとして、
つま~んない会議の最中に、

今年はどこにすべりに行こうかな……
安比でもいくか……

などとボンヤリ考えていると、
隣の男があなたの肘をシャーペンでつつく。
そして声をひそめてこう言うのだ。
「ねえねえ、今年さ、安比って何センチだか知ってる?」

偶然だろうか。

まあ、そういうこともあるかもしれない。
でも、人の想念が、他の人に想念に影響をあたえることも
あるのではないかと思う。
日々頭の中を過ぎてゆく何万ともいわれる「思い」。

これらが全部あなた自身の中からわいてくるわけでは……
多分、ない。

あなた自身も気付いていない深い自己から
あがってくる「思い」もあるだろうし、
意識してめぐらせている「思い」もあるだろう(これを思考、思索という)。
そして、他人様の「思い」をスクープして生じる「思い」もまた、
あるのではないかと思う。
一概にノイズ、と言ってしまうと語弊があるかもしれないが、
自分の意思とは関係なく生じる「思い」、想念である。

朝は、皆さん寝ているので、
この耳では聞こえないざわめきのレベルがとても低いのではないか。
だから、朝はよけいに静かに感じられ、それだけ勉強も……

などと考えながら新聞を取り行く。

うわぁ、今日はサミーなぁ。

から、雪景色を連想。

そして、さだまさしの「北の国から」が流れ出し、
とまらなくなってしまう。

むむむ、すごいジャマ。

他人様からのノイズが低い分、
自分で生産してしまうノイズが
でかくなってしまったようで。

とっほっほ。


PS.
中間テストがあるんで、
書き込みがこれよりしばらくノビノビしてしまいます。
と、だけ書こうとしたんだけど、
こんなに長くなっちゃった。
というわけで、frogさん、
ぼくがコーヒーの自動販売機の前でたそがれている時は、
たいてい、アタマの中で音楽がまわっています。
あ~いかんいかん、
ブログなんか書いてる場合じゃないんだけど。