ホルスの左眼 | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

やっと試験が終わった。

後期の中間試験、いわゆる定期試験で、
騒ぐほどのこともないのかもしれないが、
始まっても・終わっても・その最中でも!

試験はいまだにキライだ。

なぜだときかれても困ってしまう。
キライなものはキライなんだから
ショーガないじゃないかあ、
う~ん、いやなのお!……と、
親にピーマンを突きつけられた
子供のような気持ちになる。
子供にとって親は絶対であるから、
眼にも涙が浮かんでしまう。

シケンもイヤだが、
「ためされること」自体、
全般的にいやだ……

てなハナシを、以前に会社の上司にしたら、
そもそも生きること&社会に出て働くことは、
すなわち、
「試されること」の連続で出来とるんじゃないか、
と、苦笑されてしまった。
オマエはいまごろ何を甘いこと言ってるんだ、というわけ。
そりゃ、あんたにとってこの星は、
オール「試される場」かもしれないが、
ぼくにとってここは、決して、
「試されるためだけ」にあるわけじゃない。


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【できるかな?さかあがり】
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晴 日中 屋外


カッコつけていえば、
ぼくがここにいるのは、
自分の可能性を最大限に生かして「楽しむ」ためだ。
甘いかカラいか知らないが、この世のとらえかたは、
げに、人によりさまざまである。

そんなわけで、
中学を出て高専の電気工学科に入ったのも、
大学受験がなかったからだ。
(高専は中学を出て5年通う。
えっ?「キョーツーイチジ」ってなんですか)
そりゃもちろん、電気に興味はあったが、
男の子だから、という程度のもので、
めちゃくちゃ好きだったわけでも、
マニアだったわけでもない。
当時高専といえば就職率もほぼ100%で
(今はどうか知らない)、
試験らしい試験を受けることもなく、
神奈川の某コンピューターメーカーに就職した。
のちに別の会社に転職したが、いわゆるバブルの頃で、
「デュ~ダ~、デュ~ダ~」
などと口ずさみながら、面接だけで転職。
一応、20年近く、
コンピューターギョーカイに身を置いていたが、
試験がきらいなので、なんの資格もとらずにいた。
(そしてそのことでよく怒られた)
つまり、高専をでてからこのかた、この学校の学生なるまで、
マトモな「試験」を受けたことがなかったのである。
……
と、バイオグラフィもどきのことを書いていて思ったが、
これってひょっとして、
いままで、ただひたすらイヤなことを避けて歩いてきただけ??
可能性をいかして楽しむ……
とかえらそうなことを言っているが、
所詮は、ちょっとでもツライことは嫌な、ダメダメ人間の遠吠えか。

ま、そうかも。

でもいいや。別に。
それでもぼくはこうやって生きている。
(おおっ、開き直ったゾ)

ここまで試験を毛嫌いするのには
絶対なんか理由があるはずだと思っていたが、
以下の本に思い当たる節が……

「この本に真実は何もない
しかしそれがまさに現実なのである」
ボブ・フリ-ゼル著
柴上はとる訳
ナチュラルスピリット

上の本には、古代エジプトで行われていた、
秘儀伝授のためのイニシエーションの話がでてくる。
儀式で参入者は、ワニがウヨウヨいる暗黒のプールをくぐって、
壁の反対側にある出口から出てこなければならない。
「恐怖」を克服する試験・試練なのだが、
本のタイトルが示すとおりアカデミックな史実ではなく、
いわゆるチャネリングされた情報である。
ま、そりゃいいとして、
ひょっとしたら、
ぼくはその新参者(参入者)の、
生まれ変わりじゃないか、と思った次第。

とにかく、「試される」ことが、ちょっと病的にイヤ。
水がこわい。
泳げるようになったのは小6の夏からだ。
クラスメートの中では際立って遅い方だった。
日常生活でちょいとストレスのかかることがあると、
すぐに波(水;海・川・池、いろいろ)に飲まれる夢を見る。
大抵、窒息して眼が覚める……

もし、ぼくがその参入者の生まれ変わりだとしたら、
そいつは、このイニシエーションに失敗して、
そのまま昇天してしまった
ダメダメ参入者だったのだろう。

開き直ってみたり、
挙句の果ては、
「過去生」のせいにしてみたり。

「試験」

というコトバを思い浮かべただけでも、
こうしてジタバタしてしまうのである。

久々なので長くなってしまいました。
あんまり長くてもみなさん飽きてしまわれるだろうから、
本日はこのへんで。
おつきあい、ありがとうございました。