問いは、あいまいなところがないようにきちんとたてることが必要です。
あやふやな問いに対しては、あやふやな判断しかできません。
理想をいえば「YES/NO」で答えられるような問いです。
ただ、そういう問いのほうがじつはまれで、
「なんとなく、相談したい」
という問いのほうがはるかに多いでしょう。
しかしそれでもなお、
「ほんとうはなにを求めているのか」とか、
「どうありたいのか」とか、
「それがほんとうにききたいことなのか」
などの質問で自問自答して、
(相談者がいる場合は相談者と対話して)、
できるかぎり明確に掘り下げておく必要があります。
問いを明確にたてることができたならば、
今度は問いの周辺事実をおさえておくことが必要になります。
ハッキリと判ること(年齢とか、職業とか)から、カタチのない人間関係、
ものの考え方の傾向、性格など、問いに関することすべてです。
ここで明確にした事実にもとづいて論理を組み立てるわけです。
問いに答えようとするための理屈です。
場合によってはこの段階で、卦をたてるまでもなく、
「こうしたらいい」という回答がでてしまうかもしれません。
そんな場合は、易システムを利用する必要はないかもしれないし、
その回答の裏づけをとるために易システムを用いてももちろんかまいません。
「黙って座ればピタリとあたる」といわんばかりに、
相談者に何もいわせず、
「あなたの兄弟は×人で、お父さんは亡くなっていますね」
などと透視めいたことをやるハナシありますが、
あれほどナンセンスなものはありません。
問いに関係していて、相談者が知っている、
明確にしておかなければならない事実があるのなら、
相談者に聞けばよいのです。
余計なところで直観を働かせて、
自分の判断を権威づける必要はありません。
それが問いに直接関係無いことであればなおさらで、
そんなことは最初から話題にする必要はありません。
適切な回答は権威者から与えられるものではなく、
相談者とそのカウンセラが、
同じ目線で真剣に対話して得られるものだと思います。
話が横道にそれましたが、明確な問いをたて、
問いに対する事実を明確にしたところで、卦をたてます。
ここではじめて、
右手に直観、左手に論理という灯りをたずさえて、
回答の模索がはじめられるわけです。
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