易経にこれをいましめる記述があり、
伝統的には、禁じ手とされていますが、
ぼくは、別にかまわんと思います。
やりたければどんどんやってよし。
でも、何度もやる前にちょっと考えてみてください。
なぜそんなに何度もやろうとするのでしょうか。
よく判らないからもう一回、というケースもあると思いますが、
多くの場合、
「結果が気に食わない」
からではないでしょうか。
もしそうなら、本当にその問いを占う必要があるのでしょうか。
すでに答えは問いを出す人(自分または相談者)のなかにあるのでは?
だからこそ、何度もやろうとするのではないでしょうか。
結果が気に食わない、ということは、
そこに、同時に「気に食う」結果がある、ということ。
それが答えなら、占うまでもない、ということになります。